何故かアフリカ最高峰・キリマンジャロ。

何故かアフリカ最高峰・キリマンジャロ。

何故かアフリカ最高峰のキリマンジャロ。波田はアルピニスト(登山家)ではない。道具も無ければ経験もない。そしてなにより7大陸最高峰制覇などという野望も無い。”山と渓谷”なんて雑誌は絶対に立読みもしない。しかし今回はキリマンジャロを目指した。理由は一つ!。断る理由が無かったのだ。今回の隊長である石川龍彦氏(※1)は素晴らしい方だ。私事ではあるが、数年前に南米最高峰アコンカグアを目指した。それは”勢い”での約束だった。しかし丁度その時期に父親が他界して波田啓次郎のみ脱落を余儀なくしたという過去がある。(正直、脱落して安心した。後日、ビデオを見てことさら安心は確信に変った。)ところがそのリベンジにキリマンジャロはいかが?・・・という事だったが・・・。とにかく誘ってくれるということは波田でも登れる山で楽しめる見込みがあるからであろう。わざわざヒドイ目に合うような登山を石川隊長が誘うわけは無い。今回はキリマンジャロでコーヒーも飲みたいし、行っちまうカァァ~~と参加を決定。帰ってきてみたら気分はアルピニスト。7大陸最高峰制覇もあとはたったの6つか!!、ふん!!という気の大きさだ。

何故かアフリカ最高峰・キリマンジャロ。
【キリマンジャロ登山のスタート点、マラングゲート】

2003年1月16日【1日目】6時に大熊が迎えに来てくれて羽田に向かう。羽田に着いてチェックインして坪松氏と会った。(関空経由なので羽田空港発。)そして関空に飛んで登山参加者6人と会えた。今回行けなくなった林光太郎さん(※8)も来てくれて、23時30分のエミレーツ航空317便で一路、アラブの石油産出・金持国家アラブ首長国連邦のドバイに飛んだ。11時間25分のフライトの殆どを曝睡状態。到着して全員がアングリと口を開くほどにドバイ空港は豪華絢爛。流石に中東の石油産出国だ。そして24時間空港なので朝の5時過ぎなのに、物凄い数の人間が空港内を移動。店なんか100万軒開いていてまるでラスベガス。免税店で買い物をすると車が当たるキャンペーンを実施していて空港内通路にはポルシェ、ベンツ、フェラーリ、マセラティー、ベントレー、がゴロゴロと展示。さすがにアラブ首長国連邦じゃ~~と唸った。トイレのトッテが金製なら○○と考えたがTOTOだったので諦めた。そして数時間後にエミレーツ航空でアフリカのケニヤに飛び時間的には昼過ぎに到着。遠かった。本当に遠い~~。アフリカ大陸の空気は乾燥した大地の香り。なんとも形容し難いオイニイがあるが過去3回もこの臭いがした。迎えが来てくれて荷物を積みこみナイロビの街に入って宿泊のホテルに向かう。機内食を変な時間に食っていたのでランチは無しでホテルに荷物を置いて観光旅行に出た。 ジィラフパーク(群れからハグれたキリンが保護)でキリンに餌付け。物凄い迫力だ。そして何故かそこにデカイ、土色をした亀がいて、必死に唸声を上げて交尾しているのを外人も我々も関心して見入ってしまった。亀の絶叫唸り声を聞いたヒトは珍しいでしょうねえ。”えうぅぅ~”。(カッタカッタカタカタ・・という甲羅の当る音もオカシイ。)隊長、以下全員気に入って永遠に亀の絶叫の声を真似ていたアホオジさんチームとなった。その後、動物孤児センターで様々なハグれた動物を見学した。その際、チーターの檻に入れてもらいチーターとツーショットが出来た。マジで恐かったよ。チーターと心は打ち溶け合えなかった。しかし何故に水前寺清子はチーターなのか??。まぁいいかぁ・・。夕方にホテルに帰って夕飯はホテルのプールサイドでバイキングを食い飲みまくり盛り上がった。満月が美しいアフリカの風が吹く夜はロマンティックだが見まわしたら男ばかり・・・まだ、亀の絶叫をしている奴も・・寝た。

何故かアフリカ最高峰・キリマンジャロ。
【マンダラハット】

1月18日、【3日目】 アフリカはケニヤの街も高地なので清々しい朝、美味しいバイキングで朝食をとって出発。チェックアウトして乗らされたバスはなんと、乗合のバス。荷物はマイクロバスの天井に乗せられアフリカ人も乗りこみ国境の町であるナマンガに向う。昨日、”ゲェ~ヒデェバスだなあぁ!、イヤだネェあんなバス乗りたくないネェ~”と笑っていたバスにまさか自分達が乗るとは・・)約3時間のドライブでヘロヘロしながら陸のイミグレーションにてケニヤからの出国とタンザニアへの入国手続きをすませて再度、バスでタンザニア第二の都市アリューシャに向う。結構、疲れたがランチはノボテル(ホテル)で美味しいランチ。なんだか絶対に山に上がったら美味しいモノを食えそうに無いので必死に食った。アボカドサラダが抜群だったなぁ。そこから宿泊地の”モシ”という街のホテルに移動。家を出てから3日目なのに、まだまだ、キリマンジャロの麓にも着かない。モシのホテルは快適だが、シーツの上で寝るのもシャワーも今日で最後なのだ。夕飯はホテルで用意されたメシを食う。アメリカ人の学者と友達になって一緒に食事。長い移動のせいか皆、早々に倒れてしまった。
1月19日【4日目】 朝飯を食いニュートリを食い準備万端。いよいよキリマンジャロ登山の出発点であるマラングゲートに移動。登山口の雰囲気は素晴らしく、まさにこれから登山が始まるというワクワク感。入山手続きを済ませて荷物を整理。自分達のガイドのソブリンとオニックスを紹介されて、いよいよ出発。なんだかアルピニストな気分。今回はキリマンジャロの規則で荷物はポーターが持ってくれてコックもガイドも自前。6人の我々のチームを支えるのに15人のスタッフなのだ。しかし決して大名旅行とはいかない。結局はこの高度差、距離は自分の足だけが頼りだ。ガイドのソブリン(※2―波田はサブちゃんと命名)はゆっくりゆっくりとした足取りで標高2727?のマンダラハットを目指した。もちろん、この低さでは高山病の症状は出ないが、一人だけ荷物がデカイというか倍以上の用意周到・坪松氏(※3)は汗ダラダラで少し心配だ。しかしガイドはあくまで物凄いスローペースで上がっている。これが高度順応の基本なのだ。ランチは簡単なサンドイッチだがマーガリンが不味かった。皆で文句言ったらその後、二度とマーガリンは出なかったので助かった。マンダラハットまではまだまだ森林地帯で緑の空気が素晴らしい。気分はハイキングである。まだ決してアルピニストではない。約4時間で到着。ハット(山小屋)はとても可愛くて4人部屋になっている。あてがわれた部屋に入ってワクワクした。”立って半畳、寝て一畳”という言葉を思い出したがなんだか狭さが快適だ。しかし荷物を背負ってくれた現地人の汗のオイニー(臭い・・)がザックに染み着き少々の騒ぎになった。夕飯は中央の食堂で食うのだが、結構まともで皆驚いた。最後だろうと思いビールを飲んだ。調子にのって隠し持っていた緊急用バーボンを飲んだら気分が不思議な症状になったぞ!。もうすでに高度が上がっているので普通ではないのだ。食後は2段ベットに早々に入り寝袋で熟睡。酸素が薄くなり胃腸が圧迫されているせいか、みんなやたらにオナラを連発していた。一部、臭いヒトがいたが名前は伏せよう。堀正樹隊員(※4)の名誉ためにも・・・。

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【ホロンボハットの朝】

1月20日【5日目】 マンダラハットの朝は爽やかだ。朝焼けもキレイだ。昨晩、トイレで起きた時に夜空を見上げたら、満点の星に驚いて唖然とした。南十字星が手に届きそうな距離だ。今日は高度順応の為にココにステイして高度で数百?高いクレーター周辺を散策したりして体調の調整。今回は通常のツアーより、この高度順応に時間をかけている。この山登りは高山病との戦いでナメると地獄を見るのだそうだ。ガイド達とゆっくりゆっくり森林地帯を徘徊した。なんだか物足りないが仕方が無い。しかし、木々がものすごく珍しい形が多くて飽きない。そしてせっかく上がったのに下りるのはもったいないなあと感じながら、またまたマンダラハットの戻って、みんなで和んだ。洗濯をしたり雑務をしているうちに夕飯。今夜もメシは美味しかったがアルコールは控えた。波田の歴史に残る控えめな食生活だ。就寝。また誰かのオナラがうるさい。
1月21日【6日目】本日は移動日で朝飯を食った後に3720?のホロンボハットを目指した。はるかにキボ峰を眺め草原地帯をひたすらに歩いた。それもゆっくりゆっくり(スワヒリ語でポレポレ)。この辺にくると森林限界を超えて高い植物は殆どなくなってくる。あまりノンビリと休憩をする事もなく歩く事、約6時間でホロンボハットに到着した。今回のハット(山小屋)もとても可愛くて、ここは6人部屋で全員で同じ部屋に入れた。結構酸素が薄い感じがするのだが、考えて見れば3700?といえば、富士山の頂上と同じではないか。そう思うとイキナリ酸欠化をイメージしてしまう。お湯をタライに入れて持ってきてくれて洗顔、身体拭きをしたらジイ様みたいだけど気分が壮快だ。しかしオレはどうも高度順化がしにくい体質らしいのであと100?位歩いて上がりまた下がりを3回繰り返した。すこし足が速くなるたびに息が上がってしまう。こんなことで大丈夫だろうか。しかし景色は雄大そのもので、ここまでくるとキリマンジャロの氷河とギルマンズポイントが遠くに見える。そして下界のサバンナがウッすら見えている。夕日がものすごく美しく本山隊員(※5)と大きな岩の上で放心しながら見入ってしまった。夕焼けが終ると満点の星空で、その後にはなんとアリューシャーの街の夕焼けまで見えて素晴らしい。撮影をしてもこのスケール感は間違いなく伝わらないので視覚で記憶。またまた夕飯もいい加減、期待しなかったのに思いの他に美味しく鶏の唐揚げなんて最高だった。空気が薄いと言う事はお湯の沸点も違うので低地と同じ事をするのがなかなか困難なのだ。たいしたもんだなあ。しかし相変らず呼吸は少し辛いのだ。10時頃まで、みんなでヘミングウエイの”キリマンジャロの雪”についての考察とか、イラクの査察問題、北朝鮮拉致問題を話しあうかと思ったら終始、アホ低俗時折エロ系な話題のみの会話が繰り広げられた。

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【標高4700mのキボハットへ】

1月22日 【7日目】今日はまた高度順応の為にホロンボハットに滞在。しかし、じっとしていては意味が無いので水を持って400?程度を上がった。だんだんと紫外線が激しくて日焼け止めが必須だ。足立健造隊員(※6)など歌舞伎役者みたいに不気味なメイクだった。400?上がったと言っても横ではなく縦なので歩く距離は結構なものである。右側には壮大なマウエンジ峰が聳えている。白黒のまだらなゼブラロックまで上がる。そこまでは、よかったが、そこから一気に高度差はないが急な傾斜を上がったら呼吸困難になって、一気に自信喪失。高度は4200?、実際のギルマンズポイントは5685?なので、まだまだ程遠い!。大丈夫かねえ・・・。しかし、そこから見えたキリマンジャロははじめて見たキリマンジャロの全景で感動だ。まさにJTBのカレンダーで見た、コーヒーのパッケージデザインで見た、数々のアフリカ紹介の映像でみたそのもののキリマンジャロがそこのそびえていた。しかしネェ、どう考えたって遠いいぞ。まあココまで来てしまったんだから行くしかない!!。なんだかもったいないが、そこから下山して宿泊のホロンボハットに戻った。今日も清々しい風で気分は絶好調だ。
1月23日 【8日目】朝早めに準備して朝食を取った。朝食といっても、お茶と焼けた色というか柄のトースト。(焼いたのだろうが冷めていて・・・)救いはケニヤで購入してきたマヨネーズだ。不思議なのは卵の黄身の色がオレンジでなくて黄色なのだ。まあとにかくランチをもらいパッキングして出発した。今日はキボハットに向い6時間の走行予定。標高が4703?なので一層、空気が薄くなる。当然ゆっくりゆっくり(ポレポレ)上がるが少し敏速なことをするとたちまちに呼吸が困難になる。クゥキィガザスィタァァァイ・・・・景色はやっと昨日みたゼブラロックを越えるがキリマンジャロの山は歩けど歩けど近づかない。ラストウォーターポイントという小さな最後の湿地帯を抜けてサドルという高山性の砂漠で赤茶けた大地を抜ける。すでに4000?を越えているので全員、頭痛、呼吸困難など高山病の症状が出てきている。遠くにキボハットが見えてきた。しかし歩けど近づかない。6時間ゆっくり歩き到着。今回の宿舎は大部屋だが僕ら御一行様だけなのでくつろいだ。食欲もまるで無い。登山はダイエットには最高だ。きっと体重も落ちた様な気がするしアルコールだって数日飲んでいない。そんな人生何年ぶりであろうか。そして5時に夕飯をしてガイドは寝ろという。そう、明日が本番というかアタック日なのだ。日本を出て9日目、キリマンジャロを決断して半年、そのいよいよの日が明日だ。

何故かアフリカ最高峰・キリマンジャロ。
【キリマンジャロ頂上のギルマンズポイントの朝焼け】

1月24日、午前0時、【9日目】1時間前に起こされというかあまり寝られない。やはり酸素が半分の場所だと深い睡眠が得られないのだ。それに加え足立健造隊員のひどいイビキでせいぜい1時間しか寝られなかった。緊張しているし、気がはっているから精神力でゴー。宿舎の世界中から来ている外国人チームもほぼ同じ時間に頂上アタックにスタートした。一気に標高差1000?を上がって御来光(朝日)を拝むには6時間を要するのだ。たった200?を平均1時間で上がるのがやっとな程に厳しい急激な斜面、そして決して足場はしっかりしていなくて崩れる。ゆっくりゆっくり上がるが、眠いし寒いし景色は無いし休むとガイドは怒るし、そして苦しいし・・・・なんでこんな辛い思いをするのであろうかと登山家の気持なんて全くわからない。歩きながらヒトと話すユトリも酸素もなくて下ばかり向いて歩いているからロクな事考えない。苦しい~~~~。そして少し明るくなりかけた頃に頂上に到達!!。最後の一歩を登ったら倒れて外人が起きあがらせてくれた。意識不明だ。そして感動を通り越して気絶しそうに眠かった。おれは眠さには本当に弱い。優しいガイドのオニックス(※7)が熱くて甘い紅茶をサーブしてくれて、それが宇宙一美味しかったのでガブガブ飲んだら意識もエネルギーも戻ってきた。景色を見たら物凄い!!。ざまあみろ!!。おれはキリマンジャロに来たんだと痛感した。参加者全員登頂で皆で狂喜した。そこで一応は登頂。もうひとつのピークであるウフルピークを目指した。標高差で200?だが時間は往復で3時間。坪松氏はリタイヤしてガイドと下山して、他の5人はウフルに向う。今度は平坦だが一歩足を滑らせたらクレーターの底、数100?にまッさかさまだ。しかし足は重くなってきたし・・・。中盤で波田は予定変更で下山してキボハットに先回りして待機することにして他の隊員4人はウフルに向う。同じ道を下山しながら驚いた!!、よくもまあ真夜中にこんなに険しい足場の悪い道を永遠に登ったものだと関心した。はるかかなたに宿舎であったキボハットが見えるが歩けど歩けど着かない。約2時間でヘトヘトになって到着。登りもキツイが下りもヒザには辛いのだ。小休止するつもりがベットで倒れこんでわずかな時間だったが水深200?位の勢いで熟睡した。そしてみんなが戻り、感想を語り合いながら、あまりの疲れに食欲も湧かないままに下山。これからは下山の一途だがホロンボハットまで降りるのだ。おそらく3~4時間の道のりだ。もう、考える事も無しに”無”になった状態で歩いた。後ろを振り向くと雄大なキリマンジャロが!!。しかしこんなデカイものに本当に登ってきたなんて信じられない。ああ、あとは帰るだけだ・・・。夕方全員へとへとになってホロンボハットに到着。空気はだんだん楽になってきたが、まだ3700?だから人間の順応とは凄いなあ。夕飯もそんなにガツガツも食えないまま8時過ぎには全員就寝した。数日間の間、寝ていても酸素濃度が50%の為に普通ではなかった睡眠状態が慣れたのと疲れていたので翌日の6時まで永遠10時間以上もトイレに行く事も無しに全員、曝睡した。

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【登頂証明書をもらい、達成感!!】

1月25日【10日目】 壮快な朝である。もう1?も上には行きたくない。お家へ帰ろう!!。朝食をすませて荷物を整理してポーターに渡してから今回のサポートしてくれたスタッフ総勢15人がロッジの前に勢ぞろい。そう!!。彼らはチップを要求しているのでニコニコしている。全員の役割別にチップの贈呈式を行った。みんなウレシそうにしていた。そしてアムウェイの旗を中心に記念撮影をしてから下山。帰りも、やはり永遠に遠い。丘を越してやっとかなと思い山を越えると、またもや丘が来るのだ。下りはじめて5時間で最後というか出発点のマラングゲートに到着した。終った・・・。感無量だぞ!!。記念にカッコイイ登頂証明書をもらえた。ガイドとキリマンジャロ国立公園のサインが入っている。なんだかガイジンさんのサインが入っていると本物感が強い。ランチをした後にスタッフとは別れて車でアリューシャのホテルに向かった。途中、アフリカらしい樹齢650年の”バオバブの樹”を見たりした。そしてホテルで7日ぶりに風呂に入った。風呂の水は汚水と化していた。だから快適感は格別だ。みんなでプールサイドでビールを飲んだが本当に美味しかった。夕飯は決して美味しくは無いメシだったが、やはり相当に飢えていたせいでワインも美味しく飲めた。ちょっとの量で頭がグラングランきたぞぁ!!。達成感だなあ!!。そして嬉しい事に仲良くなったスワヒリ人ガイドのオネックス(オリックスと覚えたせいで時々、アコムとかプロミスとか呼んだ。)が可愛らしいシャイなガールフレンドを連れて会いに来てくれた。盛り上がり、その後はバーにいって堀隊員は生バンドにリクエストして歌いまくっていた。観客なゼロだが堀隊員には武道館になっていた。そして全員、倒れた。
1月26日【11日目】 朝食はあまり食えなかった。少々、都会的な二日酔いな頭痛を抱えてバスに乗る。今日はシャトルバス(全然、そんなオシャレな名前とは似つかわないヒドイ、9人乗りの乗合ワゴンだ。うんざりする程に長い距離と時間だった。しかもバスがボロくてショックが抜けていて乗り心地は最悪。右からは強力な日差しで右手の皮がむけた。国境を越えて昼過ぎにケニヤのナイロビに入った頃は全員クタクタで、そのまま観光相手のレストランに連れこまれた。しかしそこは以外や以外に美味しいというか奇妙なレストランで鶏肉、豚肉から始まり牛は当然としてゼブラ、ガゼル、ダチョウ、インパラ・・・・と普通じゃない珍獣食材のオンパレードであった。なんだか”アフリカ”を食った気がした。象やキリン、かば、ライオンも食ってみたくなった。(ウソ)その後、ガイドに無理言って地元スーパーに乱入してコーヒーなどお土産を購入。6時半の飛行機なのに3時過ぎには空港に向った。理由は航空会社がへっちゃらでWブックをしでかすのだ。アフリカの常識は違うのだ。出発までダラダラと過し飛んでからも一層、ダラダラとドバイ到着の深夜まで過した。そして深夜に経由だったのでステイすることにしたアラブ首長国連邦のドバイに到着。ギンギンギラギラな空港で目を丸くした。そして深夜にシェラトンにチェックイン、ちょっとヒトモンチャク。

何故かアフリカ最高峰・キリマンジャロ。
【現地のスタッフ(ガイド、コック、シェルパー他)】

1月27日【12日目】朝起きて、昨晩にコンシェルジェで手配した砂漠ツアーと観光に出かけるので朝食を取った。マィウーーな朝飯に満足。10時にアブダビだかアルデヒトとか言うガイドが迎えに来てトヨタランドクルーザーで町を散策、まぁ、とにかく新しい町でいたるところが建設ラッシュだ。ドバイセンター、ミュージアムを見学。昼に中華を食い、その後はメインイベントの砂漠に向い、なんとそこには仲間のランクルが数10台終結していて、4時過ぎに全車両が一気にスタートして一列に砂漠を物凄い勢いでかけ回った。飛ぶは跳ねるはで、それはそれは壮大な気分だ。時々丘陵のテッペンに停車させて景色を眺め、そこはもうアラビアのロレンスそのものの景色で、赤い土が波うって永遠に続く別世界だった。そしてその先に夕焼けが沈み、そこを野良なラクダが過ぎて行って完全にやられたのだ。もう、観光協会の仕業とは思えないが参った・・・。参加者全員放心しまくった。誰しもがイメージしたアラブがあるのだ。その後、日が暮れてからアブラハムじゃないアブダビ?が連れて行ってくれたのが、砂漠の真中の集落のような所で(もちろん観光用の場所)そこでラクダに乗せてもらった。坪松氏のラクダは気性が荒く彼は吹っ飛んでいた。そしてホテルに戻って食事。色々と夕飯の選択肢はあったが、今晩深夜の出発と言う事もあったのでホテルのビュッフェで食ったが、結構美味しくて正解。じつは昨晩のホテルのチェックイン時のフロントの失態に対してのペナルティーで支配人からの招待だったので、より嬉しい。深夜12時半にラゲージアウトして3時の飛行機で関西空港に向い時差が重なって夕方4時に関空に到着して解散した。波田はアクセスが悪く羽田に帰れたのは9時過ぎでそのまま直行して鯖寿司を食いにニコタマ・パパゲーノに迎えにきてくれた大塚健司らと乱入した。ああ、幸せな旅でした。そして日本は幸せな国だ。キリマンジャロの旅が教えてくれた事は多い。今までのどんな旅とも違う感動があった。不自由な中の快適がたまらない。そして偉大な大自然の美しさに勝る物は無いと実感した。美しい地球を守りましょう。 2003年1月
※ 1) 石川龍彦隊長、5○才には全然見えない。京大出というインテリ臭さを出さない元、高校教師。世界の山を制してヒマラヤ、アコンカグアなど7000?級はお庭。EX。
※ 2) ソブリンが正式名だが波田はサブチャンと認定。 タンザニア人のガイド。とてもインテリ系。超薄いジャージ一枚とスニーカーでキリマンジャロにポケットに手を入れて登頂。過去に100回のアタック経験。
※ 3) 坪松隊員 歩くジャポニカ百科事典、どうしてそんなこと知ってるのと言う事を日に平均12,6回ヒトを唸らせる。とにかく1、聞くと100は答えが用意されている。事前調査を鬼のようにしていて、とても初めて登山してキリマンジャロに来たとは思えない予備知識状態。そう現代のイッキューさんと呼びましょう。難は知識が多すぎるいこと・・・・?!。しかし荷物の量は要リストラ状態。DIA
※ 4) 堀正樹隊員 度々、波田とは変態旅行を共にする新潟在住40才、オシャレな年齢不肖の二児の父。6軒のカフェ、レストランを趣味で経営。波田には時々イジめられるが新潟ではきっとエライ!!。EX。次回は内科検診受けてオナカ治して登頂してください。プ~~ 。
※ 5)本山隊員 絶対に裏から見ても表から見ても下から見てもめくって見ても50歳になんて見えない。体脂肪率9%以下の研ぎ澄まされたバディーは男の憧れ。ゲイの夢。EX。水泳とランニングが得意で趣味のトライアスロンも!!!。愛車はE55!!。
※ 6 足立健造隊員 三重県四日市在住。荷物は少ないのに聞けば何でも持っている。真夏の下界でも氷点下の頂上でもほぼ同じコスチュームで過していた。上海師範大學御卒業で中国語はべーラべラ(未確認)。ユニークな人格。
※ 7) オニックス、スワヒリ人の長身ガイド。ノーとは絶対に言わない頼れる奴。彼女が可愛かった。オニックスが何故か覚えられなくてオリックスと覚えたら、みんなからオリコとかアコム、プロミスと呼ばれていた。
※ 8)林光太郎 準隊員 出発二週間前の正月にいきなり左足を骨折。ギブスに車椅子・・・行きたくなかったのか、わざとの骨折と一部からウワサ。(波田説)自分で骨を折るのは、ざぞや痛かっただろう・・・しかし、林ギャグ百連発が聞けなかったのが淋しかったなあ・・・。DIA