下田海の家《オキラクハウス》この大仕事、相当部分を素人、いやド素人である自分達でやろうと壮大な計画。そしてこの夏を楽しむためには時間制限までついている恐ろしいプロジェクトなのだ。やるしかないぞ!!。

5月24日土曜日、沼津での朝、天気は晴れ。7時過ぎに起きてウォーキング&ジョキングで沼津港周りで海岸コースを走った。そして10時に東京から大工のハマー(※―1)に来てもらって一緒に下田に向った。今日は下田の工事計画の下見をして作業計画を立てるのだ。元太朗は友達のタイガ君を連れてきた。4人で昼前に到着して下田で回転寿司に乱入して、みんなでランチ!。元太朗友人タイガは僕の倍位、バクバクと高級食材ばかり食っていた!!。ウニ、アワビを食う屈託の無い少年の前には金、銀、ハデ系の皿が立ちあがり、オレはアジ、イカ、サバの青い皿ばかり食う。(まあ、それが好きなんだから良いじゃないの!)そしてシーハーしながらホテル大和館にビーチハウスの鍵を受け取りに行ったら女将の中川さんがいて子供とハマーを優しく迎えてくれてラウンジでアイスを御馳走してくれた。波田はこの女将程美しくインテリジェンスに富んだ女性を見た事が無い。今回もこの家の件で交渉している際に何度もボーッとなってしったほどに美しいのだ。そして鍵を借りて、ハマーとビーチハウス(仮称)に行ったら庭師を入れてくれたみたいで見違える様にキレイになっていた。

下田海の家《オキラクハウス》この大仕事、相当部分を素人、いやド素人である自分達でやろうと壮大な計画。そしてこの夏を楽しむためには時間制限までついている恐ろしいプロジェクトなのだ。やるしかないぞ!!。

といっても10年間未使用に近い状態だったのでやる事は沢山あるのだ。その後、夕方まで時間を忘れて室内の計測、傷んでいる部分のチェック。ハマーと作業上の相談,材料の考察をしながらデザイン上の相談をしまくった。また不要なカウンター外し、ドア外し、そしてジュータンの撤去、最後には床に穴を開けて地下への階段の新設する位置を確かめたりした。少し考えたって、マスターベッドの天井、リビング、キッチン、ベッドルームの床張り(約40畳)、壁の全面ペイント、一部は漆喰壁の塗り直し、キッチンの造作しなおし、地階倉庫を床を張って部屋にして泊れるように改造。玄関部分の作りなおし、庭の造作、バルコニーの防腐ペンキ、和室の壁、天井全てペイント、シロアリにやられているハリの入れ替え、電気の引きなおし、上下水道のチェック・・・・果てしなく仕事がある。書き出したらメマイがした。でも、この”下田海の家”は手の入れがいのある素晴らしい建物なのだ。(※―2)しかし、この仕事は誰がどうやってコナすのであろうか。なんと、この大仕事、相当部分を素人、いやド素人である自分達でやろうと壮大な計画があるのだ。そしてこの夏を楽しむためには時間制限までついている恐ろしいプロジェクトなのだ。そしてそして予算なんか、全然無いのだ!!。だんだん相当不安モードも入ってきたゾ。夕方に時間も遅くなってしまったので沼津に戻り、素晴らしき定食屋”ヤジキタ”で夕飯を食った。その後、ハマーとカフェ・ブルーウオーターで打ち合わせをした。オーナーの天野氏も加わり盛り上がった。しかしやる事も山盛りだが、デザイン上の決めなくてはならない事も山盛りだ。ヤルからにはハンパ無い最高なモノに仕上げたい。だって、これこそオレの夢そのものだったのだから・・・。
(※―1)大工ハマー 大工ハマーはニホンジンである。浜憲工務店という3代続く宮大工なのである。そこらぁのデェイクゥ(ダイクの江戸っ子読み)とは訳が違う腕前なのである。そんな心やさしきハマーは何処までもボクの我がままに付き合ってくれて下田に共に寝泊りする事,数十日となった。しかしその仕事ブリはお見事。今回の工事で絶対素人には不可能な部分、また技術的な事を我らド素人軍団に丁寧に教えてくれたのだ。下田海の家の庭に銅像でも立てなければイケナイくらいに尽力をつくしてくれたサイコーな男です。だれかオヨメサンにいませんかぁ!?。そして良い仕事しまっせ!!。
(※―2)下田・海の家。波田の夢だったビーチサイドの家。32年前にアメリカ人、ロバートニコラスラテンバーグ氏が建てた。豪華ではないがキュートなビーチハウスでフロリダの片田舎の水辺にありそうな建物。現在の法律ではありえない建物なのだ。

屋久島で色々と癒しましょ!!。どんどん癒しましょ。(SARSの不安で香港セミナーは中止。そのオフ・スケジュールを利用して初の屋久島へ・・!)

5月19日、月曜日。朝から屋久島への出発モードで戦闘状態!。家族全員が早起きして子供の弁当の準備をして3人のガキを7時15分に学校に送り出して沼津を7時半には出発することができた。まさに戦争のような朝だった。東名には7時45分位には乗れて東京の家に順調に到着してタクシーも9時前には迎えにきてくれてセーフ。相当に時間的には心配モードだったので安心した。オネーサン(※―1)を奥沢まで迎えに行ってそのまま羽田空港に突進!。10時50分の鹿児島行きに無事に乗る事が出来て鹿児島空港でトランジット。そこで昼食。鹿児島空港というだけで黒豚を食わなくてはイケナイと考えて一路、ラーメン屋に入る。九州巡業から直接参加の渡辺正人氏とも空港で会えた。屋久島空港には天候不良で引き返しの可能性と言われてビビッたが無事に到着した。素朴な屋久島空港には小笠原さん(※―2)が迎えに来てくれていてそのまま今回の宿泊の小笠原家に向う。太平洋を一望する家は平和で部屋も過しやすそうだ。草木も手入れされて素晴らしい環境だ。貸してくれたタウンエースで4人でドライブに出かけた。ガジャマロがウヨウヨと生えている公園を見学。そして汗を流しに楠川温泉に行ったが混んでいて諦め。(有名なのに3人しか入れない浴槽。そして混浴。)そして平和な海亀の産卵で有名な”いなか浜”に行ったが、ここはゴキゲンだった。真っ白い砂が可愛くて袋に入れて持って帰った。最初に宿泊を予定していた”送陽亭”はなかなかな景観だった。小笠原家の夕飯は6時で、それまでに戻った。夕飯は完璧で鯖の刺身が絶品。(名物の首折れサバ)またカンパチも物凄い美味しい。大好物な島ラッキョウもバカスカ食べた。焼酎は”愛子”と”三岳”(※―3)が用意されていて屋久島ムードは絶好調。本当に美味しかった。最後に鯖のシャブシャブを食ったが、これも超美味い!!。絶品中の絶品だった。とにかく倒れそうなメシの美味さのオンパレードで感激だった。

オネーサンがブッちぎれて泥酔して倒れてそれを見て冷めた。なぜか自分以上に酔う人間を見ると酔いがさめるなぁ・・。英子さんも酒でハイテンション!!。それ見てまたまた冷めた!!。コラァァ俺より酔うのはヤメンかぁ!!。しかし小笠原さんは相当に面白い人だ。また島のラグビーの後輩も来ていて色々な話しを聞けて和めた。実に屋久島的な素晴らしい夜であった。屋久島は年300日、雨と言われているが明日は晴れの予報。勿論、山に出かけて屋久杉森林浴でも楽しもう。もう一度、いなか浜のも行ってみよう!!。たった東京から2時間半でこんな楽園があるなんて・・・。今日だけで緑を見すぎて視力が0,3位上がった気がするぞぉ・・。
※ ―1 オネーサン。度々、この日記に登場の鈴木啓子女史。名門・慶応ラグビー部の女史マネージャーという経歴で察しがつく性格と面倒見の良さ、そしてサッパリとした性格。波田のマブダチ。
※ -2 小笠原さん。元・プロ野球のピッチャー。肩を故障して引退。そしてその3年後には初挑戦のラグビーで日本代表に選出。(事実!)その後はワールドラグビー部の鬼監督となり全国制覇へという輝かしきメチャクチャな経歴。ルックスは長身で日本男児そのもの。星飛馬の父、星一徹氏にそっくり。合宿に訪れた屋久島が気に入って住んでしまった。オネーサンの知合いで、自宅に招待してくれたのだ。屋久島滞在中、一度も外食なんてしなかった位、美味しいモノを食わせてくれた。そして陶芸への造詣も深く素晴らしい器にふれられた。
※ -3 ”三岳”は焼酎である。イモ焼酎なのに香りが素晴らしく美味しい。屋久島島民は99,7%、三岳しか飲まないとのこと。それ以来、波田も三岳にはまり、調達して飲んでいる。ラベルが超カワイイのだ。

“猫に小判、波田に高級ワイン”でも美味かった!。それはわかった!。

5月7日、水曜日、晴れ、午前中に砧をウォーキング&ジョキングすること1時間。のんびりと入浴して昼メシを食った後に原宿の写真家・寺内マサト氏の写真教室に出かけた。昨日、宿題の提出に間に合わないので急ぎで受けてくれる青山ラボにて写真をピックして原宿に向う途中で表参道の交差点で非常識でアホなオンナに愛車をぶつけられた。その女はぶつかっているのにシカトして逃げ切ろうとしている。とっかまえて文句言ったら娘の塾の送りで急いでいるという。唖然・・・・!。そして警察を呼ぶように言ったら拒否。仕方なく警察を拒否されたので一筆もらい解放。本当にアホで非常識な女だ。きっと馬鹿なガキに育つ事だろう。その後、FоBで皿乾かし棚を購入。思わずカワイいランプシェードも購入した。下田リニューアル計画の備品揃えはもう始まっている。寺内オフィスでの写真教室は実に勉強になる。一緒に習っているのは渡辺正人氏と岡里栄子さん。3人で有名人・寺内先生から写真を教えてもらえるなんて、丸山茂樹にゴルフを教えてもらうほどに豪華な話しだ。今回の講義も面白かった。僕の宿題は苦労のかいあって誉めてもらえた。5時過ぎに終了して、大急ぎで首都高で帰宅。そして夜のワイン会の準備をした。本日は金森信一夫妻とまたまたイイヒト・荒川夫妻が素晴らしいワインを御馳走してくれるという。(※―1)僕に出来る事はなにかということで、僕は自宅を場所提供。しかし良く考えたら誰がメシ作るの・・・・ということで、僕が担当。そうなんです。その気になれば出来るんです。サラダ、トマト、牛タン塩蒸し、牛のワイン煮、ゴルゴンゾーラのペンネ・・・どうダァ!!。写真教室があって仕込ができなくて前の晩から準備をしておいた。食事はなかなか評判がよかった。今回の参加者は城野夫妻、金森夫妻、荒川和彦、残念ながらヒロコさんは病欠、波田、そして正人氏、岡里栄子だった。相当に美味しい上等なワインのオンパレードで感激だった。リエちゃんと荒川氏が波田タクに宿泊した。僕は意識不明でいつか、就寝していた。 ※―1 その晩に飲んだワインを御紹介しましょう。ルイロデール・クリスタルグリュット(1996)、シャトーオーブリオン・ブラン(1981)、プチシュバル(シュバルブランのセカンド)(1997)、シャトーモンローズ(1976)、シャトーレオビルラスカーズ(1984)、シャトーオーブリオン(赤)(1976)、シャトーオーゾンヌ(赤)(1976)・・・・・・・フルトンストリート。

夢がかなった。本当に叶った!!。

5月5日、朝起きたのは5時半。下田に来ていると夜が早寝で朝が早くなる。それにしても早過ぎるぞ。昨晩も興奮状態で寝られなかったのだ。今回はホテルジャパンに宿泊しているので、上から海岸を見下ろして憧れのアメリカンハウスを眺める事1時間。昨日、初めて内装をを見せていただき衝撃的にカワイイ内装に感動をうけた。おかげで昨晩も良くは寝られなかったのだ。外観から想像していたものの570倍位カッコ良かったのだ。朝メシ前にホテルの洞窟風呂に入浴して、その後、ホテルのロビーの朝市を見学してから朝食を食った。ここの朝飯はすこぶる美味い。その後、散歩がてらビーチハウスを外から見学。見るほどに素晴らしい。少しビーチで子供を遊ばせてからゴールデンウイークの渋滞を避けるために早めに帰宅する為に下田を出た。少し混んだが渋滞回避裏道を駆使して昼には沼津に到着して、お気に入りの映画館前のラーメン屋で昼食をした。なんと今日は子供の日で子供のラーメンが何を食っても100円という企画でラッキーだった。オレってどうしてこんなことがやたらにウレシイのだろうか。その分、混んでいたが結構な企画だと思った。このラーメン屋は店員も調理場も全員女性で和風のラーメンを得意とするのだ。その後、自宅に帰って少しだけソファーでウタタネ。夕方に香貫山山頂までウォーキング&ジョキングをした。気分は壮快。ここからの景色は絶景で駿河湾、伊豆半島、箱根、富士山、沼津の町が見渡せて絶景なのだ。子供達もここが気に入っている。そのまま帰ってから宗一郎と元太朗を連れて鶏肉屋と魚屋に買物をしてから海岸まで自転車で行って和んだ。メシは自宅で”和みメシ”。朝、下田で買ってきた竹の子やら何やらを食い焼酎を飲んだ。そして食事終了後にパソコンで日記を書いていたら、運命の”下田の老舗旅館の女将”から電話がかかってきて下田のビーチハウスを提示していた金額で譲るとの事で連絡をもらったのだ。この上ない喜びだ。強運すぎる。感激しまくった!!!!。夢はやっぱり叶うんだぁぁ!!!。お仕事頑張ろう。今夜は寝れないかなあ・・・。

※―1 下田は素晴らしい街だ。下田にはまって20数年。一年中この地に通っている。抜群にキレイな水、そして白い砂のビーチ。人もメシも素晴らしい。そしてここに素晴らしいビーチフロントのアメリカンハウスの所在を意識し始めたのが10年前、3年前に調べ始めてオーナー(老舗旅館の女将)に出会えて挨拶できた。それから嘆願するこ3年。そしてこの春に、売る予定は無いと言っていたのが急転した。誠意が通じたと解釈しているが、僕のその家に対しての強力な思いが通じたのだ。そしてこの5月5日に波田のモノになる事が決まったのだ。築35年のアメリカ人が建築したこの家はアメリカそのものだ。パーーーーフェクト!!。夏までにデザインと修理計画を立てて10年間使っていなかったこの家を生き返らせるんだ!!。