ネパールに行きたかった。というか正確にはネパールという国よりも、ヒマラヤに踏み入りたかった。世界最高峰のエベレストを”生”で見たかったのだ。そこでの壮大な自然のおりなすスペクタクルを体験したかったと言うのが夢だった。ヒマラヤの山々はもちろん登山という方法で頂上を目指すという道もあるが8000メートル級の山々にチャレンジをするには、準備が無さ過ぎる。それはチャレンジャーや石川先生達にお任せ! そこには”トレッキング”なる頂上を目指さずに、遠目にその山々を鑑賞しながらひたすら歩くというスポーツというかアクティビティーがあるのだ。 決して、ハイキングなんてダラダラ歩きのものとは違う、ある程度の装備で動くのだ。実は今回は自分の中ではハイキング程度と考えていた。
『チョロいもんだろ!ケッ!』と本当に思っていたのです! ところがどっこい、軽い高山病にはなるは筋肉痛に苦しむは・・・なにせ5日間で歩いた歩数は13万歩(ジューサンマンだよ!)そのうちで6割は階段の上り下り!これはハイキングじゃないでしょ!しかし結構なシニア世代の方々がいらっしゃる。もちろんジジババ山岳会の方々だろうが!(後から聞いてビックリしたのが、我々は通常のコースを半分の時間で走破するプログラムだとガイドから聞いて唖然!)どうりでクタクタだよ! なにせこのヒマラヤという所ですが、スケールが伝わるであろうか! ブータン、中国、インド、ネパール、パキスタン、アフガニスタンの六カ国をまたぎ、ヒマラヤを水源とする川はインダス川、ガンジス川、プラマプトラ川、長江だ。そしてこの水をたよりに7億5千万人もの人間が暮らす、そして、ここには7000メートル以上の山が100も有り、8000メートル以上はナンと14もある。
(そのうち8ケはネパール圏内)ちなみに日本の誇る富士山は3700メートル、ネパールの中では5000メートル以下は”山”の扱いではなく”丘”なのだと言う。従って名前も無いらしい。ということで好奇心旺盛なる”珍道中”を記しておこう。 波田はこの旅を通して本当に沢山の経験をした。ヒトから、どこかお薦めの旅はと聞かれたら・・・・ネパールと答えるだろう! http://ja.wikipedia.org/wiki/ ヒマラヤ山脈
《1日目、2日目》4月14日 羽田空港から関西空港へ! 羽田からの海外への脱出はラクチン! 送迎してもらった藤田とカフェでアホな企画話でもりあがり、海外旅行気分はゼロのままで関西国際空港へ。
そこで関西から参加の石川龍彦氏(元・高校教師、京都大学卒のホンマもんの登山家、今回の隊長。そしてEX、注釈※1)と本山進氏(56歳にしてホンマもんのトライアスリート!生の鉄人!来年は宮古島トライアスロン出場、半端ない筋肉、多分、体脂肪3%)、そして北海道のヨシキダイ(吉木大輔E、波田と同じ軽いアルコール依存症! 飲んでないとテンションはドォ?♪、飲むとイキナリにラァ?♪♪♪と無口が饒舌に!パソコンを使いこなし、帰りの機内と待ち合い時間で約1000枚の四人の写真を編集してDVDを製作。とにかく面白い30代前半の若者。そういえばニセコのスノボーのアフターで飲んでいる時に無意識にボクが、このトレッキングに誘ったらしい。翌日、ダイが行く事を聞いてビックリ!!)と合流! 深夜の便でバンコクに早朝に到着して、接続便を待つ事6時間(空港内のスタバのソファー席を占拠して時間を過ごす。)、そして三時間後の昼前に、ネパールの首都カトマンズに到着!
ガイドのスリヤ氏(とにかくネパール系の名前が覚えられなくて皆で試行錯誤。スリヤはスリが業の人、すり屋と記憶。本名はスリヤ・バハドール・タマンク。 この人は視力が5、0はあると言っていた。すごいのが生まれ育った場所はカトマンズからバスで12時間、そしてバス停から歩いて丸々3日だそうだ!通学していた学校は自宅から徒歩2時間弱・・・すごすぎ!そして仕事がトレッキングガイドだから人生、歩きっぱなし!) 案内されて、早々に五つ星のホテル・マーラにチエックイン。 この”五つ星”って誰が決めてんだぁ!? ”笑う五つ星”だった。 まぁいっかぁ!!早々にカトマンズの街を散策に出かけた。ここは全く洗練なんかされていない、ある意味、毒されていない街。雰囲気はインドかなぁ。まるでアメリカナイズされていないし(良い意味です)決して財政的には豊ではないはずなのに、物乞いもいなければ、ストリートチルドレンもいない、偽物ブランド業者もいなければ、ぽん引きもいない・・・平和なんですね。
しかし大気汚染はハンパ無い! ここに空気清浄機を設置したら3~4日でフィルターは許容量をこえるであろうか。 なにせインフルエンザ対策に持参していたマスクが一日で目に見える程に真っ黒になっていた。初のカトマンズナイトに夕飯を食べていたら、イキナリの停電で真っ暗になった。この街では日常茶飯事の事らしい。店員は何食わぬ顔をしてロウソクをもってきて、いきなり男四人とガイドのスリヤさんだけのマンズワールド・男の世界がラブリーな空間に変わったのだった。(カトマンズでは一日の大半が停電状態になっていた。)従って電化製品なんてあまり無いのだ。
《3日目》4月16日カトマンズでの朝。空港からポカラへ。国内線の空港なのだが、空港入り口のサインはブロック塀にペンキのサイン。セキュリティーのX線検査はなくて手で調査。荷物のハカリはアナログの巨大体重計。滑走路を犬連れのオッサンが歩いていたり、座り込んでいる奴がいたりと既成概念なんて吹っ飛ぶ。空路で数十分、乾いた大地を見ながら、全席自由席のプロペラ機は超低空飛行をしているので楽しい時間だった。到着したポカラの空港は本当にラブリーでいい感じ。相当に気に入った。荷物をピックアップして車で一時間のトレッキングのスタート地点のナヤプルへ。 早々に準備をして、ポーター(荷物持ち係)に荷物を預けてトレッキングを開始して、河原の道をどんどんと谷に入って行き、だんだんと傾斜がつきはじめ上り階段攻めが始まってくる。空気もだんだんとマイナスイオンが多く含まれる爽やかさで、おもわず深呼吸をする。
ビレタンティという村のカフェ、いや休憩所でランチをしたのだが、極上に可愛く素晴らしロケーションで料理も抜群。気分はグリーングリーン・ネパール支店だった。 メニューのモモ(餃子)と春巻き(スプリングロール)など抜群に美味しかった。 まさか今後、毎日のランチ、夕飯で同じモノをずっと食べるなんて、この時は想像もしなかった。 こうやって旅をすると、言葉は無理矢理な英語でも良いが、やはり簡単な挨拶は現地語のネパール語が好感がもたれるのは万国共通ということで、皆で学習。 ところがなかなか覚えられないのがネパール語(たぶんネパール語が悪いのではなくて記憶力の問題かなぁ。)とにかく一番、お世話になる身で大切なのがご挨拶とお礼。こんにちはの ?”ナマステェ” はヨガ教室に行くと先生が最初と最後に言うので知っていた。
インド語に同じで ”生捨てる” とメモリー。 山は行き交う人々とは必ずご挨拶な世界なので ”ナマステェ” は大変便利。 何故か最後まで覚えられなかったのが ”ありがとう” の ”ダンネバート”(鶏肉は断念と記憶・・・こんな覚え方しているからイザという時に出てこなくなるのかなぁ!) そしてセットで記憶するべくは ”どういたしまして” なのだが ”ソーガダウン”(寒川さんのダウンと記憶/寒川さんという大阪のF・EXダイヤがいらっしゃる。)・・・・今日の目標地点のティルケドゥンガ(標高1540メートルへ)までの途中、驚く程のスコールに出くわした。山の天気は変わりやすいというが、あまりにも変わり過ぎ!! 運良く雨宿りもできて濡れないですんだが! 初めて泊まるロッジは設備(電気、温水シャワー)などは無いが(裸電球があったが異常に暗い。シャワーもあったが・・・冷ッ!) なのに清潔で何とも言えずに和む空間。
シュラフ(寝袋)には封筒型のパリっとしたシーツが仕込まれていて愛を感じる。(これは旅行社の段取り)到着するとポーターがアルミニウムのタライに温水を運んで来てくれて顔を洗えと・・・・早々に皆でテラスで裸になって、タオルを使い全身温水マッサージをして綺麗サッパリとなった。実に爽快な気分! 日も暮れて食堂に行くと、メニュ-をガイドのスリヤさんから渡されて唖然!! ランチの店とメニュー内容が一緒じゃないの!! これは後でわかった事なのだが、ガイジンがやってくる店のメニューは、ほぼ統一されているらしく、各店がその枠の中で創意工夫をして出すらしい。 毎回、頭を使わずに注文していたメニューは《モモ(餃子)、炒飯、スプリングロール(春巻き)、焼そば、トマトスープ、野菜スープ、》結局、お店ごとに味は違っていて、それはそれで楽しめた。(後日”ケージローの勝手でしょ”でご紹介予定。)
夕飯が終わるのは21時位で、その後は停電もしていて暗いし・・・寝るしかなかった。しかし良く寝れるのですョ!! 山小屋のいい時間でした。 《本日の歩行歩数16500歩/本山EXがdocomoの老人向けラクラクフォンを持参していて、なんと万歩計が付いている。毎日何歩を歩いたかがわかってものすごい達成感があって楽しかった。》
《4日目》4月17日(金)当然に早起きが出来る!朝6時に起床しても8時間睡眠を遂行しているのだ。そしてやたらに快便! とにかく身体を使って、バカ話をして、美味しいものを食べて、美味しい空気を吸ってたら、快調にもなるわなぁ!! 今日は、ティルケドゥンガから峠の村ゴレパニ(2860メートル)へ。 標高だけで1300メートルも上がるんだから、相当な距離だろう。今回、悲願の山男ウオッチのSUUNTOを購入していたので、常に標高が表示されていて楽しいし達成感があったのだ。 朝からひたすら歩き始めた。空気はとことん澄んでいて気分爽快。
ただ一つ、写真には写らないがライブだと要注意な問題があった。ここらへんは運輸機関がなにもなく、佐川急便もなければクロネコ・ヤマトもない。あるものはロバだけ!!この住人のライフラインをつなぐ”ロバ”は大切な労働の担い手なのだ。そのロバは犬と違って、決まった場所で排泄をするわけではない。 ハッキリ言えば、そのまま・・・出たい時に出す!ということは歩いている道のど真ん中にて、いきなり排泄物(ウンコ)に遭遇したりするわけ! 遠くの山も見たいし、下も見なくてはエンガチョしちゃうから、大変だ。前を歩くダイちゃんなんか、何回か生々しいのを踏みつける瞬間を目撃して思わず”危ないッ!!”なんて叫んでも手遅れな事があった!(登山靴は靴底が凸凹で激しい作りだから余計に入り込む!) そしてある時、ある法則がわかったのだ。
“ロバも人間と同じでヨイショってリキむ場所で、無意識に排泄をする” という事だ。または緊張が続いた下り階段の下りた様な場所も多かった。”アナタのモヨオしそうな場所はロバにもモヨオしそうな場所である” という新しい学説を見いだしたのだ。今後もロバの研究をしたいが、ロバは回りにはいない・・・・ランチはバンダイティという眺めの良いカフェで取った。ここも例外無く同じメニューで、オーダー担当の波田が同じ注文をすると ”所変わると姿変わる” の定説どおりに違う味付けの料理が運ばれるのだ。 隣の席の白人女性一人旅の女の子と話していたら、ネーデルランド(オランダ)から来たという。約3週間のトレッキングで5000メートル級のベースキャンプまで行くという。左薬指には指輪がぁ! それを見た石川隊長は ”おおっダッチワイフだぁ!”と叫んだ。(英語ではオランダ人をダッチという。)
まったく、流石に京都大学出身だけの事はある。その後、何故にしてダッチワイフという名前の商品名になったのかを討論する時間が随分とあった。 (深く、いや浅く、いや真剣にとらえないで下さい!) 夕方、日没の少し前にゴレパニには到着をした。ゴレパニは特別な種族が集まっているらしく、聞けば今日は、ゴレパニ村の年に一度の ”お正月”だそうで村はお祭りをやっているという。 実際に行ってみたら、想像していたお祭りではなくて、露天が少し出ている程度で、ハデなお祭りではなかった。なんとこの村は、この正月で2066年になっているらしい。 相当に未来にいっているのだ。 夕方に、山と山の間から尖って見える魚のシッポみたいな ”マチャプチャリ”(6993メートル)が見えて、尖った山が夕焼けで染まってなんとも言いがたいオーラを発していたのが見えて感激だった。
ところで、何か、お土産をと考えているのだが、本当に買うものがなくて困った。彫金細工や木の人形などを売っている店先に古い空き缶(意味不明なアラビア文字のよう。)なんだか可愛くて交渉をしたら、相手は思いっきりふっかけてきたのだが、100円位だったので支払ったら、ビックリして喜んでいた。 夕飯は停電の中で、またまた同じメニュー!でも違う味! 夕食後は寝るにも回りの広場ではお祭り騒ぎで深夜まで騒々しかった。そりゃ年に一度のお楽しみなんだから我慢してあげなきゃ・・・なんだか素朴でいい村だ。(今日は26360歩を走破)
《5日目》4月18日(土)日の出前の4時に起床して、ゴレパニからプーンヒル(3193メートル)に朝日を見に出かける。 頂上の展望台から見るヒマラヤの山並みは感動的だった。だんだんとアンアプル・サウスが姿を見せ、マチャプチャリ、そして8091メートルのダウラギリが見えてきた。
朝日にあたったそれらの山々は半端のない存在感! オーラ出まくりだった!! 自然のおりなす雄大な姿を見ると人はただただ無言となる。世界各地からの旅行者が、そこに集っていたが、みんな無言で視野に入らない程の雄大な姿を見とれていたのだ。 その後、ゴレパニに戻り朝食をすませてから、本日の予定は9時間のトレッキング! 思わず朝のプーンヒルまでの往復の二時間が含まれての9時間なのか質問をしたら、ガイドのスリちゃんはクールに ”含まれてませんよ!” との答え。ということは一日のうちの11時間を徒歩に費やすのだ!! なんだかダマされた気分。(笑) 文句を言ってたって仕方が無い。 いざ出発っ! 3時間かかって3200メートルのグリーンヒルズに上がり、その後2645メートルのブァンタンティまでものすごい急傾斜の階段を下りた。
もう太ももはプルプル、ガクガク! しかしそんな急傾斜でも現地の”仮称・ヒマラヤ老人会のオバァちゃん御一行が孫とか巨大な荷物を背負いながらビーチサンダルで先を越してさっさと下りて行かれると、さすがにメゲルのだよ! バンタンティで、またまた定番のランチをしていたら ”ダッチワイフ” が追いかけて到着して一盛り上がり!(相当にキュートな子なんです!) アンナプルナ山脈も望むグルン族の村、ガンドルン(1951メートル)へたどり着いたのは夕方遅くであった。 ガンドルンはとても素敵な村だった。ここの村はイギリス軍に派兵されている勇敢な若者が多く高額所得層が多く豊からしい。 サクラ・ホテルで久々の温水シャワーを浴びられて気分は爽快だった。しかし二日間もシャワーが無いと本当に部屋にキレイなタオルが置いてあるだけで、皆で歓喜が上がる程に感激したのだ。
夕飯は停電のなかで同じメニュー。こうなったら同じメニューを楽しもう!!(本日の徒歩9時間、36666歩)
《6日目》4月19日(日)ガンドルンを朝の8時過ぎに出発。見渡す景色は壮大な ”谷” だ。 しかしこれから向かい側の谷を超えて山の上に行くのだが、よく見るとモノスゴい深い谷で、谷底の村の家々のサイズを見るとビックリする程のサイズでこれから末恐ろしく谷底まで下りて、ふたたびものすごい距離を上がるのかと思うとメマイがする。まずはガンドルック(1950メートル)から谷底の河原沿いの村のキューミまで高低差600メートル。そして再び急斜面を1700メートルまで上がりランドルンクへ! もう体力的にはヘロヘロ。トゥールカ(1700メートル)でランチ(これまた同じメニュー)をしてからデウラリ峠へ。
今まで三日近くの間、携帯電話が使えなかったが、ここで久々のバリ3(アンテナ三つたった状態)になったのでブログの更新をした。まったく忙しい!! そこからは約2時間、アンナプルナ山脈を望む尾根上の村、ダンプス(1650メートル)の ”月の家” まで二時間、ほとんど傾斜もない森の中をトレッキングした。夕方に到着をして本日の力を使い果たしてチエックイン。 ここは日本人の経営するロッジで五右衛門風呂まで備えていて快適だった。 夕飯は久々に定番でない料理が出て来て美味しかった。(本日の万歩計による歩数は30500歩。)
《7日目》4月20日(月)午前にダンプスから下山してフェディ(1130メートル)まで2時間かけて下りる。しかし相変わらず、下りの2時間は本当に足、ひざに激しい負担がかかるのだ。
波田の励みはトライアスリートの本山氏も ”きつぃなぁ!ミィはいるなぁ!(関西弁で筋肉痛になるなぁの意味)と言い、隊長の石川氏もヘロヘロになったと弱音をはく時に安心を感じるのだ。それは ”良かった!こんなアスリートの二人が疲労困憊しているのだからオレが疲れても当然だぁ!” と安心するのだ。 そしてついに最初にスタートした場所であるフェディーに戻って来た。もうこれ以上、下り階段だけは見たくもないという程に足腰は疲れた!! でも心地よいんです。あぁぁぁ良い旅です。(本日だけで7200歩) そしてポカラにて湖畔の中華料理店でランチをしてから、空路でカトマンズへ。 通算計算したら今回のトレッキングで13万歩以上を歩いた事になる。素晴らしい体験になりました。ジュウーサンマンポ・・・・ 夕飯はカトマンズのネパール料理店にて、踊りを見ながら平和な時間。
《8日目》4月21日(火)今日は悲願であった、ヒマラヤの山々を空から見る旅ツアーに参加。カトマンズの国内線空港からプロペラ機でヒマラヤ上空までひとっ飛び!その景色の素晴らしさたる生涯忘れられない景色でした。迫力は満点! しかし石川隊長は本当にスゴいのが『あの山はナンですかぁ!?』の質問に『あれは○○○山で標高○○メートル、そのトナリは○○山で○○メートル、あの山はアタックが難しい・・・あの山はまだ日本人が登頂に成功していない・・・』と完全に”登山オタク”なのだ。 先生の登山の美学は8000メートル以上の山に重装備で登るのは好きではなく、少人数で軽装備でサクッと7000メートル級を軽く登るのが好きなのだそうだ。 一時間のフライトから帰り、そのまま市内観光旅行に出かけた。世界遺産のバクタプール(バクダッドのプールと記憶)を訪れた。
この街が世界遺産だということは、行ってから知った。その看板をみていきなり有り難い気分になったのだ。ランチはこれまた波田の悲願であった ”ヒマラヤ蕎麦” を食べた。 ネパールは蕎麦の実の産地で美味しい蕎麦が食べられると何かの本で読んだ記憶があったのだ。 事実、美味しかった!! 食後はまた別の街、パダンを訪問。 夕方に激しいスコールがあったが、こんなスコールを体験すると、この街がアジアで雨期を迎えているのだと実感する。夕飯は流石に、なにか別の味のモノを食べたく、イタリアンを食べに行った。しかし街は停電でイタリア・レストランもロウソクの火で超ムーディー!! この店、相当に美味しくて4人でワインを3本とグラスで数杯いただいて、散々食べまくり、なんと御会計は5000円チョイ!(全員分で!) いきなりカトマンズの街が大好きになる体験だった。 ホテルに帰ってダイちゃんは四人の1000枚近くの写真を整理し始めて、今回の旅のDVDの編集を開始した。波田はトナリのベットで平和にお先にお休みした。
《9日目》4月22日(水)バンコク経由で東京へ!! 帰って風呂に入ろう!!帰って白いゴハンを食べよう! 世界にはまだまだ行かなくてはいけない場所が、ゴマンとあるではないか!! 仕事もしなくちゃ!! こんな旅をすると、本当に身体にエネルギーが湧き出てくるのだ。
注釈※1 石川龍彦(EX-ダイヤモンド)ホンマもんの登山家(アルピニスト)京都大学在学中から登山三昧!そして就職は休みが多いとの理由で、高校の教師に!(普通、京都大学卒業者は教師にならない(^ .^)y-~~~)長い休みをフル活用してヒマラヤに何度も登頂。それだけでなく後輩育成に尽力。ド素人の仲間を従え、冬山へ!アコンカグア(南米最高峰)やキリマンジャロへ(ー)! 以下は、登山好きならばぶっ飛ぶ登山歴&プロフィールです。
京都大学卒。
日本ヒマラヤ協会理事
協会発表の登山家ランキングでは日本のトップ20に入るほどの実力。
登山暦 主なもの
海外登山 1979年 韓国/インスボン、 岩登り 1980年 カナダ/ヴィクトリア、テンプル他 1983年 旧ソ連/レーニン(7134m) 隊長、登頂 1985年 旧ソ連/コルジェネフスカヤ(7105m)隊長、登頂 コムニズム(7495m) 隊長、登頂 1987年 アルゼンチン/アコンカグア(6959m) 隊長、登頂 1989年 インド/ヌン(7135m) 隊員 1996年 中国/ムスターグ・アタ(7546m) 副隊長、登頂 1997年 中国/ニンチンカンサ(7206m) 登頂 1999年 アルゼンチン/アコンカグア(6959m) 隊長、登頂 1999年 中国/チョムカンリ(7048m) 隊員 2000年 カザフスタン/ハンテングリ(7010m) 隊長、登頂 2002年 アルゼンチン/アコンカグア(6959m) 隊長、登頂 2003年 タンザニア/キリマンジャロ(5895m) 登頂 2003年 パキスタン/パスー東峰(7295m) 登頂