
来年はハワイですよ。
ラスベガス・・・不自然な街だと思う。アメリカはこの街を抱えながら京都議定書にはとてもではないけどサインは出来なかったのだろう。まさに何も無い砂漠の上に作られた、人工的この上ない街だ。 ホテルの部屋数も過激に多くて、メインの交差点のまわりの4軒のホテルだけでワイキキ海岸の全部のホテル数を軽く上回るらしい。 近所の大都市ロサンジェルスは物価の高騰も激しく、仕事が無い。 しかしラスベガスは家の価格も安く、そして仕事はいくらでもある。従ってどんどん新天地を目指して人が増えているのが新しいラスベガスなのだ。
ハンバーガー屋さんで食べていたら、同席したお婆さんは87歳で、今でも現役でツアーガイドをしているという。そのお婆さんいわく、この年でも仕事があるのがラスベガスと言っていた。 5000室以上もあるMGMホテルなんかシフトの従業員が一度に同じ時間に出社、退社するだけで大渋滞になるそうで、そのスタッフの為に細かな時差通勤になっているらしい。 ということでラスベガスはお金持ち遊び人も沢山いるけれど従業員や一般人の数たるやハンパないのだ。 では一般ピープルに愛されている店は・・・ガイドの陽気なオバちゃん推薦の店がここなのだ。 オバちゃんはゴールドコースト・ホテルの”ピンポンパン”だという。どこかで聞いた名前だがその由来は考えた事も無い。なぜ幼稚園児向けの番組名が飲茶・中華料理店の名前に・・・そして到着してみたらピンポンパンでは無く”ピンパンポン”なのだ。(プッチーニのオペラ”トゥーランドゥト”に登場する中国のダメ三大臣の名称が”ピンパンポン”歌のお兄さんが登場する”ピンポンパン”とは関係ないのです。)
それがどうって話じゃないけど、とにかく店には”美味いぜオーラ”が出まくっている。 海外での食事の”箸休め”は中華に限る。厳密に言うならば中華というより飲茶が正しい。中華料理だと打率的に失望する可能性が低くはない。オレはパイナップルの入った酢豚なんて食いたくない。ここの飲茶のおかげでラスベガスの洋食ライフに小休止が出来てどれだけ幸せな気分になれた事か・・・お醤油味バンザイ!! なんだか運気まで上がってきた! (ラスベガスのレストランはコストパフォーマンスが最悪な店が多い。ようは観光客値段まるだし。でもここは本当に良心的だ。知っていて損は無い!)
ラスベガスの印象はギャンブル!これに尽きるでしょう。しかしそれは相当に昔の事、今やラスベガスは老若男女、金持ちも貧乏も楽しめる地球上類を見ない”砂漠の中の巨大一大エンターテイメント・シティー”と化したのだ。映画”バグジーで発祥の歴史を御存知の方も多いと思うが、それは一人のマフィアのバグジー(虫けら)と呼ばれる男のロマンと夢、遊び心から始まった壮大な夢のドラマなのだ。(そのホテルはフラミンゴ)しかし何故こんな乾燥した砂漠のど真ん中に作ろうと思ったのか驚く。もしクルマで行くならばロサンジェルスからフリーウェイ15を東に向かい4時間。なるべくならば夕暮れ時以降の到着が感動倍増する。良くアメリカ映画に出てくる砂漠の中の永遠に続く一本道のその向こうの山の向こうに、闇夜の中に空にまで光こうと光る巨大な光の塊が飛び込んでくる。それだけ何も無い場所にものすごいエネルギーの街を見ることが出来る。しかしここの消費電力をみていると節電なんてクソクラエ!そんな概念は何も無く消費こそ命、京都議定書にも賛同できない事情があるのかなぁ・・・・。
ということでこの街で何を食うか。さすがに世界の有名レストランは沢山、出店している。しかし今回特筆すべきは、それは”バッフェー”である。(日本語的発音ならば食べ放題ビュッフェまたはバイキングであろう。) とにかく巨大ホテルは集客の為に相当な知恵を絞る。その一つがバッフェーで品数と美味しさ、値段(通常ランチで18ドル、約2200円程度)ということで、これで呼び込んでギャンブルして帰ってね!!というのがホテル的策略なのだろうが、俺達はそんなホテル側の期待虚しく、ひたすらに食って帰る”直行直帰型”でホテルへ経済効果は期待できない。(バフェーは朝、昼、晩にも利用可能。一日中やっているからホテル側も便利なんでしょう。) さて評判は高級ホテル・ベラージオのバフェーだ。入り口でその日は18ドルを支払い席に案内され、そして各自散らばり自分の好きな料理を好きなだけ食う・・以上。
物凄い種類の料理が並ぶコーナーを見ているだけで満腹になりそうだ。サラダだけでもシーザーサラダからイタリアンハーブ系、少し重めのサラダ・・肉は牛、ターキー、チキン、ポーク、中華にイタリアン、和食(ロール寿司他)デザートなんて目まいがする量だ。さて充実したバッフェー生活をする為の心得を”全日本元取り協会会長”のモトトリケージロー先生にご指導、ご鞭撻いただこう。 ①まずは全体像を見回して、その日に食指が動くモノを考える。(肉はローストビーフとか炭水化物はピザだなぁ、チャーハンだなぁとか・・・)人生も仕事もバフェーも大切なのは計画である。 ②絶対に取り過ぎない。一度に山盛り盛り付けるほど下品な事は無いし味が混ざって不味い。見た目にも貧しい。従って面倒がらないで何度でも良いから好きなものを取る。
③人の目を気にしない。何故か”食べ放題”というと”デブにお似合いなお食事”というイメージなのだろうか。大体、二度目、三度目と料理を取りに行く人は・・・・あぁ~こんなに食うからデブなのねぇ・・・みたいな目で見る奴がいる。(見られてる気がする。)そしてそれを自覚しているかのごとく”えっへっへ、間違えて、またこんなに取っちゃった!エヘェ!”みたいな顔して帰ってくる。他人に”良く食うねぇ!”なんて軽蔑の眼差しをされても気にしてはいけない。自分のペースと好みを貫こう!! でも先日は何故か、とてもセレブな女性とバッフェーを御一緒して幸か不幸か、彼女はボクの正面に座った。スレンダーな彼女が何を食うかが興味津々だったがやはり、そのセオリー通りな取り方で品位を感じた。しかしボクは彼女の目が気になって(間違いなくボクの食う物、まして量なんて興味なかったと思うがぁ。)食べたいものを全て食いきれず少し切ない午後だったなぁ。
大事なのは自分で払って食うんだから満足する事だね。みんなで行ったら楽しめますよ。(国内でも上等なバイキングは沢山あります。石垣島のクラブメッド・地中海クラブはゴキゲンですょ。)
9月下旬のラスベガス・ラリーには日本からなんと4700人が参加した。この日は姫路の重田グループ、宍倉グループ、文彦グループ、仙台の宇津木グループらとアラジン・ホテルのランチ・バッフェで盛り上がった。皆、モトトリパワー全開で食いまくっていたなぁ。楽しいランチタイムでした。
9月28日(水曜日)《時差の関係で長い一日》 今回は中島薫DCA主催のラリー&パーティーということで二年も前からスケジュールが決まっていたラスベガスでのイベントだ。ボクにとってラスベガスという街は結構好きと、何だか嫌いが両立する複雑な街だ。とてもハッキリと好みが言えないのが我ながら辛いところで、嫌いなら行かなければ良いなんて単純なものではない。
今回でラスベガスは人生上で四回目、いや五回目かなぁ・・。第一回目は学生時代の貧乏旅行中。当然、極端な安宿で映画に良く出るシーンで(ニコラスケージがロサンジェルスで女に見捨てられてダメヤローになってしまいラスベガスに逃避。ギャンブルと酒、娼婦に明け暮れる日々・・・みたいな空気の宿。二回目は友人とやはり安宿(モーテル)三回目はAMご招待で少しは大分出世した。その後はグループツアー・・・今回はこの世紀のイベントの参加したいのと、ラスベガスを大好きになりに来たというのが本音。そして、それだけではもったいなくて帰れないのが貧乏根性丸出しで帰りにはどこかに寄ろうと考えていた。街と田舎を組み合わせるのが単純に楽しい。例えばリゾートとシティー、街と田舎的な・・・(マイアミとミューヨーク、ホノルルとマウイ、地中海とミラノ・・・みたいなね。)ということ考えていた時に、映画”モーターサイクルダイヤリーズ”を見て単純に南米だぁ!そしてマチュピチュだぁ!行くしかないだろ!と決まった。(ゲバラがマチュピチュを見て放心する姿・・というか何を考えて放心したのかが知りたかったのだ。)しかしこのチョイスは奇想天外というか全くの別物の街、水と油、オトコとオンナという程に例えようの無い違いとしか思えない。(旅の荷物を見てみると、その両方の場所で使う服がまるで違う。そして9月の下旬、AM生活始めて初めての”海外で体験する最終営業日”の月末に出発した。・・・・今回はサンフランシスコ経由ということで、なんだか後ろ髪を惹かれる思いだ。サンフランシスコは世界でもお気に入りの町。後から少々、後悔したが、実は寄ればよかった。ダウンタウンもソーサリートも、とても好きな街だ。2~3日過ごしたら楽しかった。さて行きのJAL002便のビジネスクラスは本当に快適だった。シートが改良されていて見事な寝心地で飛んだ瞬間から7時間10分爆睡状態だった。 起きたら飛行機は着陸態勢に入る直前で慌てて貧乏根性出して食事をした。到着したら空港には沢山のディストがウロウロ。そして13時42分のアメリカウエストでラスベガスに入った。 無事にチエックインして荷物の整理。無事というのは今回泊まるMGMホテルは巨大なんてもんじゃないスケールで5000室以上あるようなメガホテルなので、普段、好きなこじんまりとホテルとは相反する、チェックインのフロントなんか量産型という感じの処理システムでどんどん人が運ばれるというカンジだ。その晩はハワイのパシフィックリムの名店”ロイズ”でメシ。洋でもない和でもない、でもワサビ、生姜、醤油、ゴハンを上手にアレンジした洋食は大変、胃腸にも心にも優しくアメリカゴハン導入の初日には身体が喜ぶ・・・・・キャリフォルニアのワインの名産地”ナパ”はここの近所、ということで飲んだワインは美味しい白のシャルドネであった。ハワイのロイ・ヤマグチの名店はラスベガスの客も満足させていた。さて、このラスベガスという街の旅行記を書くに当たる上での結論を言うならば、元来の24時間眠らない町である歓楽的な街と時差ボケ、天然ボケ・快楽主義者で一日という区切りはあまり無く、寝る、食う、話す、ショーを見る、飲む、寝る、食う、ジムで発汗、パーティー、寝る、食う、飲む、話す、飲む・・・・・のような時間の流れであった。そのすべては楽しい時間、いわば充実だったが、この街で通常生活をおくるのは不可能。というのは観光旅行とは本来こうありで非日常的な事が素敵であり、こんなダラダラ生活も良いんじゃないの・・・ということで自分で処理。では何が楽しいのかを解説・・・・・・・・・・・・・
《ラスベガス的ショー》ラスベガスの楽しさはこれだ。常駐(この表現が正しいかはわからないがぁ) シルクドソレイユの”О(オー)””KA(カー)””ミスティア””ズマニティー”などはその代表。ステージの特種効果などはとても移動できる代物ではない。ここに見に来なくては見れるものではない。しかし人間のポッシビリティー(可能性)ってこんなにあるのかと感心する。それを引き出す才能、引き出される才能に驚く。とにかく、このショーだけを見に行っても満足だろう。ほかには話題のセリーヌデュオンのショー(A New Day)他、見るべきモノが多すぎる。あと特筆するのはタダで見られるホテルの周りで行われるショーだ。べラージオホテルのファウンテン(噴水)ショー、ミラージュホテルの火山が大爆発する”ボルケーノ”他、ぶったまげる規模のショーが町中で行われている。
《カジノ》ボクはあまり熱を入れるほうではないので語る事ではないが”ギャンブルで家が建った奴はいない” 要は楽しみとして遊ぶのだ。スロット、ルーレット、カード、ダイス・・・・・それぞれやったら深い世界なんでしょうね。ただ日本のパチンコ店で遊ぶ人々と装い、雰囲気は相当に違う。いや全然違う。高級なホテルほどスゴイ空気だ。こんなのに場慣れしたらカッコいいねぇ。
《ラスベガス的食生活》 これは実に幅広い。しかし結論から申せばアメリカのゴハンだしラスベガス的な食事はやはり大量処理型。(当然、ロブションが手がける高級店なども目白押し。しかしラスベガス的で今回はハマッたのは日本語で言うならば”食べ放題バイキング”こちらで言うと”バッフェ”だ。(これを日本的に発するとビュッフェだろう。)が楽しい。楽しめる!各ホテル必死でこのバッフェにかけている。というのはこれを安く提供することで客を引き込みカジノでお金落としていただくというのが戦略なのだ。だからオレ達みたいに食って帰る奴は喜ばしい客ではないかなぁ。予算が限られた同行者は泣いて喜んでいた。
《ショッピング》ショッピングもスケールが激しい。当然、世界中の有名ブランド店が軒並みある。なかでもイベント性いっぱいのショッピングモールはすごい。古代ローマの町並みが見事で天井に描かれた空が青空から夕焼けに変化する仕掛けの”ザ・フォーラムショップス”6店の有名デパートを併設し250店もの店を擁する”ファッションショー”イタリアのベニスをモチーフにしてモール内に運河がながれカンツオーネを歌うゴンドラが流れる冗談みたいな”グランドキャナルズショップ”他、有名店の巨大アウトレットモールも3軒。買い物は欲しいものはなんでも手に入るのだ。
そして今回のメインイベントのラリー&パーティー(前夜祭、アフターパーティー)は素晴らしく盛り上がれた。本当に感動の域であった。前夜祭のショーのエンターティナーのライネルリッチーも想像以上の盛り上がりに本人がブッ飛んでいたが本当にすごかった(オレッて日本ではまだまだ人気があるんだなぁ!という顔を終始していた!)ラリーの表彰は感動的で皆、嬉しそうだった。その為にがんばったんだモンねぇ。そしてAMの創業者のリッチデボスは素晴らしいく “もし今・・AMをしてなかったら・・・”というスピーチで沸かせてくれた。しかし心臓移植手術後8年にしてこの元気はすごい。(世界一の記録)ラリーのエンターティナーのケニーロギンスも良かったヨォ! アフターパーティーも楽しいひと時だった。しかし個人でこのような興行をできる中島薫DCAのスケールって何なのだ!!参加者パーティーで3700人、ラリーが4500人(全員が日本から来ている・・・)すごすぎる。ニューヨークラジオシティー、ロサンジェルス・シュラインオーディトリアム・ラスベガスMGMと続きいったい次回はどこなのだろう・・・・・・・・・AMはおもしろい。