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満月ナイト@富士山〜そりゃ楽しい!

2018年5月30日
いつの年頃からか満月が待ち遠しくなった。
あの優雅で神秘的な光、
自分が宇宙で暮らしている事を教えてくれる光が待ち遠しい。
そして同様に見ていてワクワクする山、富士山。
日本人ならば大好きな山のひとつだ。
そう言えば富士山が嫌いだとか、
見ているとムカムカくるなんて奴は聞いたことがない。
ニッポンジンとして生まれて富士山に思いを馳せない人はいない。

その二つのマイフェイバリットが
同時に見れるなんて最高ではないか。
それも大自然の中から。

冬の北海道のスノーボードツアーの最中で
その話題からこの日のちが決定。

春頃で夏前の平日で満月の日、梅雨のリスクは避けたい・・・・・自然と5月29日と決定。
(しかし誰がどんな計算で満月の日にちを未来まで計算したの?ありがたいことだ。)
場所は僕には“お初”だったけれど
静岡県と山梨県の境目に位置する
“ふもとっぱらキャンプ場”だ。
行って見てびっくり仰天
“名は体を表す”の言葉通りの
巨大な“原っぱ”だ。
広さの数字は知らないけれど、
この原っぱ状態のキャンプサイトだけれど大人気。
全くの“放置”スタイルで
キャンプサイドが細かく仕切られていない。
なんとこのフリーな場所に
ゴールデンウィークは1500台、
マックスだと2500台が入るそうだ。
そんな所に行きたくもないし
・・・・そんなだだっ広いキャンプ場に
当日いたのは多く見ても10台、
人数で20人・・・・全く貸切と言っても良い状態。

天気予報は少し残念気味だが、
そんな時は天気予報は信じません。(笑)
我々は様々な都合上、夕方に到着。
山梨のスノボー友達の
H君チームの3人が先に来て準備をしてくれていた。
これはありがたい。
もっとはっきり行ったら買い出しから設営、
料理までやってくれて
夢の“上げ膳据え膳”状態。
(改めてありがとうございます。)

 

 

 

乾杯する頃は
薄雲の中にうっすら富士山のシルエットだったが、
日が暮れて何が起こったのか、
気象的な事はわからないが、
だんだんと富士山が浮かんで現れて、
その横に雲の中からボワァーンという感じで
“満月”も登場!!

 

 

美しい。
富士山の大きなシルエットと満月
〜〜〜もう歓声まで上がってしまった。
余談だがここから見る富士山はかなり麓
(ふもと)の下から下まで、
要するに全シルエットが見える事で有名。

そんなスチエーションで食べるもの、
飲むものは10倍、
いや20倍も美味しくなる。
(その上に準備までやってもらえたら二乗倍だ。)

夜更けまで個人的には時差ボケと戦いながら
H君たちと楽しい時間を過ごせた。
彼らが作ってくれたポトフ(煮込み)、
スモーク類、実に美味しかった。
そんなオカズに選んだのは
バーボン&ソーダが美味しかった。
彼らのキャンプスタイルも研究させてもらえ
勉強になることばかりだった。

また秋のある満月の日にやりましょう!
〜〜〜〜〜と提案してください。
持つべきは友達だ。

55才のバースディー!

6月22日 6月25日に55才になった。この年を迎える為に、なんの努力もしていないけど、誰でも生きていれば成れるのだ。そして、なれたら嬉しい年である。だってGOGO55だよ!! 55才、生まれてから55年というより、成人(20才)になってから35年という方がずっとリアリティーがあるのはナゼでしょう!? その昔の高度成長期には企業の定年が55才だったなんて信じられない。この元気で未来に燃えている若きオッさんを社会が必要としなかったってどういう事なの?(昭和の企業戦士と言われた人々はお疲れだったのかなぁ!?) とにかく自己評価をすると我ながら良く頑張って生きて来たと思う。一般的に20代は最高だった、30代は不自由だったみたいに言う人を聞くけれど、オレ、どう考えたって20代より30代、そして40代、それどころか50代が一番充実しています。50代になると良く聞いていたけど、実際に人生の終盤をも考えたりするのですよ。 と言う事で5年に一度位、皆さんにワガママを聞いてもらって誕生パーティーを開く事に!何処にしようか悩んでいた時に、友達から聞いたのが”代々木ガーデン”早々に出かけてみたら素敵な会場。ちょうどいいサイズかなぁなんて思って決めました。かなりハイエンドな空気の大きなレストランとカッコ良いバー&ホールが使えてご機嫌な空気。パーティーには南は沖縄から北は北海道まで200人のお友達が来てくれました。

55才のバースディー!

中には37年の付き合いになる女友達も!! 約三時間のダラダラっとしたパーティーは、とても和やかで幸せな時間になりましたよ。来てくれた皆さん、本当にありがとうございました。来れなかったけどメッセージをくれた皆さんもありがとう! スタッフの皆さんも、ボクの仕事を支えてくれている土岐ちゃん、藤田も改めて感謝。当日は二人の息子が来てくれて父親の55才を見せられて良かったと思う。(娘はなんと日にちを間違えると言う残念な事実・・・) 最後に、多くの人はボクより年下かと勝手に思っているけど~~『55才!悪くない!!』 是非、素敵な未来を作りましょう。未来はまぶしい程に明るいね!(全ては思いですよ!!)

ウエオ君とのランチ!

久々にウエオ君とランチした。ウエオ君は某マニア系アパレルの有名なバイヤーで世界中を買い付けに回っている。いつも本当にカッコいいスタイリッシュな男だ。そんな刺激的な人生を送る友達の話は楽しい。久々の待ち合わせは渋谷の109という少し恥ずかしい場所!(笑) 遠くから手を振る不思議なカッコをした人が見えたが瞬間には判断出来なかった。『・・・・誰!?』・・・近づいてビックリしたのは久々のウエオ君は和服を着ていたのだ。 和装・・・『えっ!マジっ!』が久々のご挨拶! 上から下までを3往復くらいは見て、最後に顔を確認して『うっうっウエオ君!!久しぶりっ!』しかし驚いた。その着物の着こなしが実にカッコいいの! どこかの若旦那か、着物店の店主さんって感じ。 ボクも和装への憧れがあったんだけど、友達が、それも洋服のプロが和服を着こなしている・・・かっこいい! 聞けば散々、世界中の洋服を扱って結局、日本人にとってカッコいいのは和服だと気が付いて、外出時の殆どは着物を着て過ごしているという。 食事の間中、ずっとなぜ和装にいたったのか、和装のコツ、着物の選び方、着こなし方・・・様々な疑問を全てなげかけて答えてもらった。 オレも着物を着よっと! やはり日本人が行き着くカッコ良さは着物なのかも・・・友達の奥様が外国でのパーティーというと着物で登場するんだけど、どんなドレスで登場するよりニッポン人のアイデンティティーを発揮していてカッコいいんですよ! 勝負は和服で!! 勉強しよっ!

久々のニーツさん。ニーツさんは新津さん!

2007年7月31日、久々にニーツさんに会った。ニーツさんは新津さんで新津章(ニイツアキラ)さんだ。ニーツさんは波田のフロントでダイヤモンド。22年前にAМをスタートして一週間目、ボクが三人目にスポンサーしたのが新津さんだ。(ニーツさんスポンサーリングは至上命令であった。当時は我々には信用なんてものは皆無であった。そんな自分に絶対に必要なモノが信頼を勝ち得るという事!スポンサーする友人に”新津さんも始めたんだぞォ!”と言うと全員が”じゃぁ間違いないナァ!”と納得してくれてサイン。そこまで新津さんの信用は絶大だった。) 関係を簡単に言えば、元の会社の上司。新津さんと初めて出会ったのは、波田が18歳の時に、押しかけバイト(バイトとはいえ2年間は無給だった・・・)のフラットフォーという、まだ産声を上げたばかりの三人しかいない会社だった。夢イッパイの会社と社長は本当に魅力的だった。最初の”志”が高い分、いまでは業界では屈指の大サクセス・カンパニーに成長している。新津さんは当時は弁護士を目指す法律学科の大学院の学生だった。超×100位におしゃれで、そのコダワリ感は今でも鮮明に記憶があるほどに衝撃的なカッコ良さだった。(当時、深夜にアメリカのドラマで”若い弁護士達”という番組があって、お洒落な若き弁護士が問題をどんどん解決していく、という正義感あふれるインテリな若者・弁護士が主人公のドラマがあったが、相当にその主人公とラップしていた。)そのニーツさんとの出会いがキッカケで波田も”ファッション魂”に火が付いたといっても間違いがない。初めて見たときは、フランス製のソレックス(黒い自転車に原動機という小型エンジンが付いた乗り物でモペットという当時、パリジェンヌが愛している乗り物。日本ではまず見ることは出来ないシロモノ。)に乗り、当時ではまだまだ珍しいハンティングワールドのバックを斜めにかけて、(ルイビトンのモノグラムも初めて見たのはニーツさんのモノだった。)セーターは上質なイギリスのプリングル、パンツは誰も履いていないリーバイスのコーデュロイ、靴は見たことも無いクラークス、タバコはフランスのジターン。(名優アランドロンも愛したジターンがニーツさんの大人の香りだった。) 車はフォルクスワーゲンのバリアント、50年代の真っ黒いビートルにも乗っていたナァ。とにかくお洒落の極地だった。あんな選択眼はどうやって養ったのであろうか・・・・当時はまだ、ファッション情報誌ポパイもブルータスも無い時代。せいぜいメンズクラブ位だったからなぁ・・・そんな、とにかく時代の先端だったニーツさんとは、かれこれ30年の付き合いになる。   お互いのAМのビジネスが順調になるにつれて、だんだんと会う機会も減り、いまや意識して待ち合わせをしないと会えない位に忙しくなってしまった。ということで一ヶ月前に調整して、やっとお互いのスケジュールがあったのが7月31日だった。東急東横線の学芸大学駅で待ち合わせをしてニーツさんの知っている寿司屋を訪ねた。(これまたいい店だった。)ニーツ氏は超グルメで波田が知っている店、発見した店なんてとうの昔から、ことごとく全て知っているのだ。その情報量は本当にスゴイ。(自動車の情報量もスゴイ!自転車もスゴイ!何でも本当に良く知っている。)そんな久々の酒宴は昔話チョット、趣味の話が殆んど、AМ話もチョコっととで楽しい時間だった。年の頃、55歳だというのに、そんな空気は微塵もない。一昔前なら定年の年なのに、こんな健康体を放っておいたら危険だ。(最近は毎日、ロードレーサーでツーリングしているらしく筋肉ブリブリ!)そしてルックスが若い以上に脳が超若いし、発想なんて子供だった。・・・・・昔からの友達(いや、先輩です。失礼!)が幸せなのは、自分にとっても幸せだ。少なくとも、このビジネスがニーツさんの思考も、様々な選択も若くしているのは事実だろう。長い目で見て・・・・ビジネスの成功ってナンだぁ!?!と考えたとき、自分らしい素敵なライフスタイルを送り続けるニーツさんは充分な成功者なのだと思った。ダイヤモンドなんてもったいない程の実力なのに・・・・

2月28日 キープインタッチ!友達は大切だよ! 《後編》

偶然に見かけたマイク(マイクはニックネーム、浅川ミチヒコが名前)だが、携帯で確認が取れて、やはりマイク本人であった。そしてマイクの野暮用の後で、そこから程近いボクの家に寄る事になった。爆音を立ててヒーレーに乗ったマイクがやってきたのは30分後。本当に変わらない。初めて会ったのはボクが高校生で時間給バイトには興味が無く、夏休みは原宿の路上で当時、流行りまくっていたプカシェル(ハワイで大ブームだった白い天然の貝をヒモで通して首飾りにしたもの。当時の主流ディスコのメビウス、ビブロスに行ったら全員している位に流行った。なかなか入手困難。)販売を友達と路上でやっていた。(違法か合法かはわからないが・・・)そう!布をひいて、その上に陳列して売るわけ。これが相当に売れて当時は豊かな高校生夏休みだった。その頃、原宿でブイブイ言わせて遊んでいたのがマイクだった。当時は衝撃的にカッコいいフォルクスワーゲンの改造車に乗っていた。スケボーも上手でファッション(今で言うアメカジ!)も超かっこ良かった。どこで売っているのだかわからない、多分、横須賀のベースか、アメ横の輸入専門店あたりであろうか。とにかく誰も履いていないコンバースのスニーカーとかジージャンを着ていて、まるでスティーブマックイーンだった。(まだナイキなんて世の中に存在していない時代!コンバースなんて見たことも無かった。)そんなマイクはその後、創刊期のポパイの海外特派員をしたりクルマの貿易をしたり、世界中を庭の様に遊んで廻って、探した物を日本に紹介したりもしていた。世界中のバイクレースにも出ていたし、ボクを誘って、あのイタリアのミッレミリア(世界一のクラシックカーレース)にも出場した。広尾でファラフェルというサンドイッチ屋をやったり、目黒でバンビーニというピザ屋、鎌倉の材木座で海の家をやったり、家具のコーディネーターをしたり、世界中を飛び回り、とにかくよく働き、誰より遊んでいた。・・・・・・・・・実はマイクとは計算してみたら33年の付き合いになる。その間、何年も会わない期間があったが、出会いからは、そんな年月だと計算して驚いた。しかし会っても、昔を懐かしむ話などは一切無く、遊び話で終始くれる。我が家に来ても、ガンガンに未来像を描いた話に明け暮れていた。今は世界中から買い集めたコレクションの車やバイク、雑貨、家具を整理しているそうだ。 ちなみに数年前に湘南の友人宅で見せてもらった”立体的な鯨の形をした風見鶏”を探しているのだが、マイクに聞いたら、アメリカは西海岸のハモッサビーチにある庭関係の雑貨屋かメキシコのティワナの彫金屋で見つかるであろうとの答え。ボクが最近、コスタリカに興味津々で是非行ってみたいと話すと、昨年、マイクも興味があって1ヶ月半、スミからスミまで見てきたとの事。どこどこのホテルが良いとか、リゾートがカッコいいとか、メシが美味いとか、バーが素敵だとか、女の子が抜群に可愛いとか・・・・・・”生”の情報にあふれていた。あぁ~マイクみたいな生き方に憧れていたが、なかなか追いつけないナァ~~と実感した。そんな好奇心を刺激しまくられた時間は本当に楽しかった。そして時間は夕方になってしまった。今日の日中はアポは入れないでデスクワークをする予定だったがズレ込んだ。それもオッケー!3月のスケジュールを立ててリーダーと連絡をしたりアポ取ったりと効率の良い仕事をした。しかし一ヶ月は早すぎる。今月は広島、姫路、岡山、仙台、沖縄、札幌と回り沢山のグループの人々と会えた。全国で何か新しい動きを感じるナァ。皆、一度の人生を、素敵に生きたいんだよね。”オレもこれからの人生をもっとかっこ良く生きたいネェ~”と痛感。今日会ったマイクも昨晩、久々に会えた実業家K氏(元・暴走族の大頭)もオレに本当に様々な影響を与えてくれた。ボクがバットな時は相談にも乗ってくれたし、様々な生き方をみせてくれたメンターだ。そんな素晴らしい大人に出会えた事で今があるんだなぁ~~とシミジミと感謝が湧いてきた素晴らしい月末となった。

キープインタッチ! 友達は大切だよ!  《前編》

2月28日(水) 昨晩は高校生時代に本当に世話になった先輩K氏と銀座で食事をした。共通の友人Y氏も同席。K氏はハンパなくビジネスで成功していて気持ちがいい。(会社は上場も視野にある程の絶好調、麻布に豪邸! クルマはベントレー、フェラーリ、ゴロゴロ・・・そこら中に別荘、超ハンサムで体脂肪は1ケタ、関係ないけどスゴイわぁ!) Y氏も凄くて、なにせ日本一メルセデスを売るセールスマン(年間160台!!二日に一台だよ!!)で話題は豊富。タックスヘブンのバージン諸島に税金対策の会社を持っている営業マンなんて聞いたことがない!

キープインタッチ! 友達は大切だよ!  《前編》

まぁ、とにかく会話はバブリーで久々に90年代の日本に舞い戻ったような会話だった。K氏と出会ったのは、まだ高校生の頃、都会のどちらかといえば遊び人系の出会いだった。(なにか濁した表現でスミマセン。書けません・・・)ボクが大学をやっと卒業するある時、K氏は銀座にボクを呼び出して、いきなり紳士服店に連れて行き、そこで店員に一言”こいつにスーツを作ってやってくれ!”と言って”お前ももうガキじゃないんだからスーツの一着ももってろ!”と言ってスーツを作ってくれたのだ。その当時はまだK氏もサラリーマン。そんなに派手なことする経済状態ではないとおもうが、その頃から後輩思いの素晴らしい先輩だった。彼がボクに”人生の苦労は売ってでも捨てろ!”という名言を教えてくれた。当然、世間的には間逆なのだが、彼流の考えだと、人はいつか全力で乗り切らなくてはイケない問題にブチ当たるが、その時にこそ溜めておいたエネルギーを全快で使って乗り切れ!普段から使いすぎるとイザという時に発揮が出来ないという論理であった。しかし今、K氏の成功を見ると、その論理は正解だったのか。結局、ビジネスの成功は人徳から来るものなのか・・・・イタリアレストランの後は、超高級クラブでオネーちゃん遊び。何十万らしいがご馳走してもらって、それはそれは楽しく艶っぽい時間だった。(しかしオネーちゃんがハンパ無しに綺麗だった。それも数十人単位で綺麗で、いったいどうなってんだぁ!! 松本清張”黒皮の手帳”を思い出して怖くなっあがぁ・・・美人、艶々オネーちゃんに店の外に送られて帰宅という時、K氏の黒塗りの車の前に運転手さんが愛犬(超恐ろしいドーベルマン、愛犬じゃない狂犬だろ!がお出迎え。飼い主に出会って興奮して泣くドーベルマンの吠える声が銀座のビル街に響いていた。)ここは別世界だと痛感。 ということで楽しい夜だった。昔からの仲間が “成功”というのはAМだけでなく楽しいものだ。・・・・・・・正直、オレって本当に幸せだと思った。 そんな夜が一夜明け、多少二日酔いの中、起きてダラダラしていたらチャイムが鳴った!なんとボクの英語個人レッスンのケニーキクノ氏が玄関にいるではないか! そう今日は英語のレッスンの日であった。彼はベルリッツの偉い先生なのだが、通学が向かないボクの為に週1回程度来てくれるのだ。ということでフリートーク1時間。世間話100%で英語のレッスンというより”ジジイの話し相手”的な空気。その後、お客さんというかフロントの福ちゃんが浄水器のフィルターを取りにやってきた。彼はポルシェの営業マン。当然に最新のポルシェ911に乗ってきてもらい試乗した。実は試乗というか確認だ。ポルシェは好きだし欲しい。買える!(これ大切!)ただ面倒臭いというのも本音。欲しい気持ちと面倒だぁという気持ちが頭の中で行きかっている。野毛町内、多摩川土手、そして田園調布を回り帰路につこうと思ったら対向車線を、名車オースチン・ヒーレー3000/ハンドレット4 が屋根を開けて爆音をたてて走ってきた。

キープインタッチ! 友達は大切だよ!  《前編》

素晴らしい1950年代の名車だ。しかし良く見ると、その名車に乗るのは”おぉ!!!マイクじゃないの”思わず声を出してしまった。即、携帯電話でかけてみたら、やはりマイク浅川だ。こんなイキな人はそうはいない。懐かしすぎる!!昨晩に続いて、本当に懐かしい!    《ここからは、また話が思いっきり長くなるので次回に続く・・・・》