「思い出」タグアーカイブ

ジイさんの遺品は船旅用のスーツケース。

ジイさんは貿易商をしていたので1930年代から海外を行き来していた。そんな時に活躍していたのが、こんなスーツケース。実家の倉庫からこの小ぶりなのから巨大な物まで何種類かが出て来た。その一つをレストレーション!(復元化)して、テーブルにすることにした。 まずは鉄部分をサンディング。錆取りが想像以上に難航し、なんどか挫折しそうになった。(笑)しかし完成の喜びをイメージする事、三日間かかって大分、キレイになった。そして1960年代にアメリカで流行った旅先での観光土産のディケール(シール)を大切に持っていたのでそれらを張り込み、最後にその上からニス塗りしてして本体はバッチリ。 “アシ”は沖縄の家具職人のHIDEに頼んで作ってもらい合体させて完成っ!! かわいいテーブルが出来ました。ジイさんも遺品のスーツケースがよみがえり天国から喜んでいるであろうと察しております。

ジイさんの遺品は船旅用のスーツケース。 ジイさんの遺品は船旅用のスーツケース。 ジイさんの遺品は船旅用のスーツケース。 ジイさんの遺品は船旅用のスーツケース。

ジイ様のカタミ! ユナイテッド航空の記念プラーク

うちのジイ様は貿易商という仕事をしていた。1955年といえば今から55年前の話・・・航空機の歴史をひもとけば、ボーイング707の就航が1957年、そしてダグラスDC8が1958年。ということで1955年当時は上記の旅客機黄金時代のスター達も登場する前のデハビランド・コメット号という機材で旅をしていたようだ。その機材は1952年にデビュー、36人乗り、世界初の実用4機ジェットエンジン付きとあるが、金属疲労による“コメット連続墜落事故”という悲しい歴史があり、コメットが新機種を出したころにはボーイング、ダグラスが台頭し終わるとある。ということは1955年に10万マイルを達成するという事は、まさに命がけの商用トリップだったのだろう。そんな時代の貿易商・・決して憧れの職業には思えない。(笑)そんな命知らずのジイさんの勲章は、このユナイテッド航空のプラークだ。 10万マイルとは勘算すれば62500キロ、それは日本列島を約20往復、東京からブラジルのリオデジャネイロを2往復弱・・・ハンパ無い距離ですよ。それもプロペラ機とフラフラして落ちてばかりのジェット旅客機で・・・尊敬します。ジイさん、ありがとう!

以下はユナイテッド航空の広報室にこのプラークの件を問い合わしたところ、下記の返信をいただけました。

拝復 平素は格別のご高配を賜り、厚くお礼申し上げます。 波田様からいただきましたお問い合わせの100000マイルクラブメンバーに関して、お調べいたしました。当時 100000マイル以上飛んでいただいたお客様に、差し上げていたライフタイムメンバーシップで、(一生有効)米国でも飛行機で旅行を頻繁にされる方も少なく、名誉あるメンバーシップだということです。 現在、弊社のマイレージプログラムで、百万マイル以上飛んでいただいた方に差し上げるOne Million Rewardに匹敵するもので、 メンバーとして、ご旅行の際、いくつかの特典がついてくるようになっていたと報告を受けております。     敬具

ユナイテッド航空 カスタマーケア 名嘉 カルメン

ジイ様のカタミ! ユナイテッド航空の記念プラーク

お道具入れ For 子供の幼稚園(笑)

子供の幼稚園時代の想い出だ。子供が作ったのではなくて大人である、親であるオレが作ったモノだ。 子供のハサミや筆記具、お絵描き道具を入れる為の箱を渡されて、父兄が“絵”を書いてくる風習らしい。 なんだか燃える! よそのお父さんがどんな作品だったかの評価はしないが、ここまでパワー全開(笑)で書くお父さんはそんなに見受けられなかった。一つは長男、もう一つは次男のモノ。当然、不要になって10年以上が経っているが捨てられない。子供には不要でもオレには捨てられない・・・だからといって誰ももらいたくない・・・だから引き出しの中にしまってあります。子供の想い出以上にボクの想い出になってるなぁ・・・・

お道具入れ For 子供の幼稚園(笑) お道具入れ For 子供の幼稚園(笑) お道具入れ For 子供の幼稚園(笑) お道具入れ For 子供の幼稚園(笑)

生まれて初めて買ったCDは!?

CD タワーオブパワー TOWER OF POWER “BACK TO OAKLAND.”
あなたが人生で最初に購入したCD(レコード)は何ですか!?
ボクはこのタワーオブパワーの アルバム ”Back to Oakland” のレコード。たしか中学3年生です。 今でもかなり好きなアルバムです。全く、いろあせないテンポの良いファンキーなお勧めアルバム。
しかし中学生には早い気もする!(笑)

http://ja.wikipedia.org/wiki/ タワー・オブ・パワー

生まれて初めて買ったCDは!?

NY ツインタワーの想い出。

あの2001年9月11日の悲劇から6年が経つ。丁度、その年の春先にニューヨークを訪ねた。何とも豪勢な旅でAМ社からというより、リッチからの招待でボストンの郊外のリゾート地であるナンタケットを訪れていた。KENNEDY家の別荘があるほどの素晴らしい場所であったし、宿泊は豪華クルーザー”エンタープライズ号”だ。(35億円するらしい。)それは、それは豪華な素敵な時間であったが、我々ガイジンには暇すぎる場所だった。そこで船長に提案。『ここは素晴らしい場所ですが・・・ニューヨークに遊びに行きたい!連れて行って下さい!』とのあまりにも身勝手な提案に船長は『了解しました。リッチからお客様の満足がいくようにと言われておりますので今しばらくお待ちを!』との返答。その数時間後には、全てが整いました。今夜、出航して皆さんがディナー、パーティー、そして就寝している間に走り抜けて明朝にはニューヨークです。多少ゆれる可能性がありますが勘弁下さいませ。』との返答。(この全てが整ったという意味が深く、船の入港場所の手配、フォーシーズンのスイート4部屋、各自のリムジン、おまけにミュージカルのプラチナチケットを並びで8枚、とびきりゴージャスなアランデュカスのレストランの予約・・・を指しているのだ。だいたいボストンからニューヨークまで船でカッ飛ばしたって8時間以上はかかる。)・・・・そして翌日、朝日がまだ空に赤みを残す時間にエンタープライズ号はハドソンリバーからManhattan島を右舷に見ながら下り、最後にはこの写真と同じツインタワーが見えて来て、感無量になった記憶は鮮明だ。参加者は全員、デッキに出て大富豪の気分を味わっていた。そして朝日がツインタワーに当たりキラリと反射したのを覚えている。その旅行の時に、道端で行商していた露天商の写真の中に、この三点があり、無意識のうちに購入した、この写真はもう現実には無い、その時の”想い出”の象徴になっている。世界が平和になって欲しいと写真を見る度に思うのだ。

NY ツインタワーの想い出。 NY ツインタワーの想い出。 NY ツインタワーの想い出。

友情の証、びっくりこいた秘蔵のMD三本組

これは衝撃的な驚きであった。この三枚のMDは波田の青春を象徴するような70年代、80年代の大好きな曲のオンパレードだ。たまたまラジオでかかったり、誰かの車中で聞いた昔懐かしい曲をキッチリとメモしていたのだが、そのメモに載っていた約50曲を岩渕哲哉(現在は沖縄在住のD)が知らない間に、かき集めて編集してくれたのだ。それは、たしか6年前の誕生日。下田の“ごろさや”というお気に入りの居酒屋で、みんなでボクの誕生日当日に下田の海でサーフィンした後に寄って“宴”をしたのだが、その時に岩渕を始め数人の友人が出費して作ってくれ、このMDを渡されたのだ。そして今でも大切に聞いている。(今でこそダウンロードしたりすれば、そんなに経費はかからないかもしれないが、当時は無い音源はレンタルしたり、購入したりと相当に苦労したらしい。)今でも70、80年代の曲は本当に美しいメロディーが豊作したといわれ、様々なカバーも出ているが、どれも本当に素晴らしい曲ばかりなのです。・・・・音楽って、そんな良い思い出のある時代にタイムスリップ出来るから素敵だなぁ。

友情の証、びっくりこいた秘蔵のMD三本組

35,892人の署名と心温まる手紙

これをモノと片付けていいのであろうか。 しかし間違いなく宝物である。 こ の2月の始めから友人・ミネ君の母さんが、わずらったガン(GIST)の治療薬を日本の厚生労働省に承認してもらうための署名活動を始めた。 最初はミー ティングで呼びかける程度であったが、仲間にメール配信したところ、山崎拓巳 FCAを始めとして多くのハイピンの方々の協力で、どんどんと話は広まり、 GIST患者の家族会のホームページは一日数件のアクセスだったのが、イッキ に数千アクセスに膨れ、結果、期限の2月25日の時点で35892人を突破!! 郵便ポストは爆発状態。宅配ボックスは貸切状態!とにかくAМ関係者 の温かさを感じさせてもらいました。 お手紙も思わす涙してしまうものあ り・・・・伝達の恐ろしさを感じたのは”波田さんのガンの早期回復を祈りま す・・・” オレは大丈夫だってさぁ!!(*^_^*)  とにかく勇気をもらいま した。 早々に集計して《患者の会》に提出します。 このお手紙はミネ君のお母 さんにお渡しする予定です。 こんな励ましの手紙読んだら、病気なんてフッと んじゃかもね!!  皆さん、本当にありがとうございました。

35,892人の署名と心温まる手紙 35,892人の署名と心温まる手紙