1年前に”ブエナビスタ ソシアルクラブ”というライ・クーダーのプロデュースした映画を見た時から、キューバ行きは決まっていた。その映像の鮮烈さとラテンリズムの心地よいサウンドが記憶にある方も多いだろう。キューバ音楽を紹介した映画なのだが、今までは社会主義の下でカストロ政権の元、決して観光に気軽に行く地域ではなかったが、東西冷戦状態となった現在は国交の無いアメリカは別として、あまりの遠距離を苦にしないなら(なにせ国交がないのでフロリダから150キロ弱な距離なのにエアーがないためにメキシコを経由しなくてはならない。日本から出発して翌々日に着く)素晴らしいカリブ海に浮かぶ宝石のような島だ。元はスペイン人の植民地でアフリカからの黒人奴隷が多数、労力として連れてこられていた。そこでヒスパニック系とアフリカ黒人文化が融合して新しいリズムが生まれ独特なマンボ、ソロ、ボレロ、そしてルンバへと発展して行った。これらのリズムとカリブ海からの貿易風、そしてラム酒の香りと酔いが手伝って完全にタイムスリップした街並みに引きずり込まれて行く。近代化なんて何の意味がある・・・なんて考えちゃう。

ここの街並みはまさに驚異である。50年代に栄えて当時の近代的な美しいビル(とはいっても3階建て程度、装飾は素晴らしい。)が建ち並び、大きなアメリカ製のハネの生えたような優雅なアメ車が走り回っていた。そして1959年にカストロやゲバラの率いる革命軍によって政治的に独立。社会主義の道を歩むようになる。ソ連とのつながりが強かった為にアメリカからの物資供給はストップ。従って他の東側諸国同様に物質的に困り,車など買いなおすなどということは全く無く、ひたすらに現在にいたるまでその家、車、道具、全てのモノを直し続け使っている。しかし社会主義ゆえ最低限の生活は保証されている為に人々の生活はいたって豊か。(豊かのレベルは違うが。)屈託が無い笑い顔と犯罪が殆ど無い安全な社会が不思議にさえおもう。

キューバをこよなく愛したアーネスト・ヘミングウェイ(1899~1961)が居を構えたのは1940年。以来20年間に渡ってこの地ですごした。ヘミングウエイはキューバ人の底抜けの明るさと澄みきった青い海に魅了されてサンフランシスコ・デ・パウラの丘の上にフィンカビビア(眺望楼)と呼ぶ邸宅を建てた。生い茂る南国のココナッツやマンゴーの樹木や極彩色の花々に囲まれ北に海を望んでいる。ノーベル賞を受賞したときもここにいた。そして午前中は自宅で執筆して午後はコヒマルという漁村に船を置き気軽に釣りを楽しんだ。その船長グレゴリオ・フォンテスこそ老人と海の主人公のモデルそのもの。現在も102才でコヒマルで漁師をして暮らしている。

キューバは本来、社会主義だから海外旅行とか所有などの自由は無いが、彼等は決して悲壮感など微塵もなく、”キューバ主義”という言葉を使って自信と誇りに満ちていた。街中、いたるところで見られる人々の”たむろ”は何を話しているかわサッパリ分からないが、いつも皆で大笑いしている。モノを盗む人間もいないに等しいらしいし、自殺者は皆無。これだけでも素晴らしい国家ではないか。(つい何処かの金持ちぶった貧しい国と比較してしまう。)偶然的に近代化から取り残されて独自の文化が根付いたわけだが、まさにパラダイスだった。カリブの生暖かい貿易風、街を歩いていると何処からともなく香ってくるキューバ産のシガー(葉巻)の香り。ラムベースに多量の生のミントの葉っぱの入ったカクテル”モヒート”、街中で自分達が楽しむ為に歌い踊り演奏している人々、ライトアップされた旧市街、煙を吐きながら走り行く50年代の丸いアメ車、あまりにも出来すぎた平和の象徴のような国だった。

(2001年7月初旬)