イタリア・デェ・デッタラメェー まずは南イタリア・ナポリに乱入。そこから始まった奇想天外な旅。

2004年12月9日 世間では師走と言われる誰でも忙しいこの時期に他人の目も気にせずイタリア旅行だ。話の発端はノンナ(ノンナは通称で本名は川口文子D、なんと年明けの1月23日が80歳の誕生日)が”ケージローとイタリアに行きたぁーいわぁ!”と言ったことに始まる。12月と言うことでイタリア北部は寒いので少しでも暖かくメシが美味しい南イタリアを中心に回る事にした。同行は井利元W、堀Ex、篠崎良子F・Ex、鈴木啓子F・EMそしてノンナとボクの相当に奇妙な6人組み。6人の合計年齢、合計年収、合計ワガママ度数は相当なもんだぞ。さてノンナのイタリア・マニアック度は激しく相当にディープなイタリアを知っているし知人も沢山。ということでノンナの期待を裏切ることがない様にボクにしては珍しく下調べを相当にしたが肝心な資料を家に忘れてきたことを今、往きの機内で気が付いてチョッとアオざめ(ヤァベェ・・)そして準備をした割にはホテルは一泊目と帰りのミラノだけしか予約を入れていないテキトーさだ。まぁぁぁ何とかなるぜぃ!で”行き当たりバッタリ”で楽しみたいと思います。旅はやっぱりこの不安感がいいんだぁなぁ。 成田のJALのグロ-バルラウンジで集合。ノンナは先にイタリアに入っているので5人で搭乗。ビジネスクラスはガラガラ状態でラクチン。昼の13時30分に飛び立ち機内での11時間は三本の映画鑑賞、三時間の睡眠、一時間のパソコン入力で終わり。同日の夕方6時前にローマ空港に到着。予約しておいたレンタカーをピックして先に入っていたノンナとも無事に会えて一路、最初の目的地ナポリを目指した。しかし6人と荷物ということで借りたワゴンは巨大でミニ観光業者という趣。(コブタ号と命名)その上にイタリアの高速度緒路事情は観光客には決して優しくないのだ。①照明が無い。いわゆる真っ暗。②ものすごい人々がぶっ飛ばす!。気分はシューマッハしてる奴が多数。150キロで巨漢ワゴン・コブタ号を中央車線でとばしていても後ろからパッシング!。その後200キロで追い越していく車多数。恐怖だ。③道しるべの標識が少ない上に速読が出来ないので熟練ナビが必要。 という事情からノンビリ走れば良いのだが眠さを振り払うためにも、ついついオレだってシューマッハになるのだ。イタリア人は早いか遅いかの二者択一なので遅い奴は極端に遅い。ということで9時半過ぎに200キロ離れた目的地ナポリに入ったが今度はホテルが全くわからない。充分な地図が無いのだ。最初に聞いたポリッツィア(ポリス)はホテルの場所を聞いても”オーイッツトゥーファー”で正確性にかけて駄目。二番目のパトカーは”オーイッツディフィカルトォ”(双方イタリア訛り英語)ということでやっと見つけたタクシーに金を渡して先導してもらい発見。絶対に自力発見は不可能な場所だった。あのタクシー代15ユーロ(約2000円)は安かった。ということで最初の晩の宿泊ホテル”パラディッソ”には11時近くにチェックイン。

イタリア・デェ・デッタラメェー まずは南イタリア・ナポリに乱入。そこから始まった奇想天外な旅。

ナポリ港を見下ろす絶好なロケーションだ。皆お疲れかと思いきや何か食べたいとの事で近所のレストランへ。ボクは正直、運転で疲れ果てていたがレストランで美味しい白ワイン(3日前から地球上で最も飲みたかったモノ)でスイッチが入り初日から翌朝に残る程に飲んでしまった・・・しかしモッツアレラチーズの美味さにビックリしたなぁ。ということで深夜に就寝。しかしみんな元気だねぇ。 12月10日≪時差の関係で二日目≫朝は6時に目が覚めてしまった。なかなか良く寝た感いっぱいで7時近くにやっと明るくなってきたので起きて時差ぼけ対策の発汗を含めて外にでてウォーキング&ジョキングを一時間した。ホテルはナポリ湾を見下ろす絶景な場所でクネクネ道を降りて港方面まで散策がてら充実な発見続きのランだった。そして帰ってシャワーをして出発準備。朝食を軽くした。ジュース絞りマシーンが面白くてグレープフルーツ6個にオレンジ6個をジュースにして全部飲んでしまった。おかげでトイレ探しが午前の最重要課題となった・・。初日なので遅めの10時出発でナポリ市街地を散策。サンタルチア港のカステルデローブォ(卵城)から海越しの斜面に建ち並ぶ基本的なポリの景色を見て唸る。実に美しい。”ナポリを見て死ね”と誰が言ったか知らないが伝えられる言葉を思い出し・・まだ死なないと決断。しかし街の中は車と人でごった返し渋滞とセコセコ運転と無信号交差点、二重駐車の無法地帯で巨漢バス・コブタ号を停めるのには本当に苦労。野球のピッチャーみたいに、いつ盗塁されるかという神経状態で路上駐車する車が空くのを探る!!。まさに勝負な世界だった。そしてやっと見つけてもコブタ号はデブチンで入らない!。そして43分後に発見。この喜びは何かに例えようも無い程に嬉しかった。発見して停めたときには頭の中で映画ロッキーの勝利した時のお決まり音楽が流れたゼェ!。俺は駐車場戦争に勝った!。なんだかこの苦労を思うと当分車をそこから出したくは無かった。そして街を散策。時間はランチに突入していたので食するモノは当然”ピッツァ”しかないでしょ。ナポリと言えばピッツァと決まってます。ということでナポリ3%レベルの我々は有名店チーロ・ア・サンタブリジータへ乱入しようかと思ったら店が閉まってるではないの。また気分は奈落のそこに落とされた。がぁがぁがぁ・・その脇に別のドアがあって入店出来た。いちいち上げたり下げたり感情が激しくなりがちな街だなぁ。そしてピッツァは実に美味かったゾォ。魚介類がトマトで煮込まれたピナァティエッロ・エ・ブァベゥラも美味くて最後の最後までスープをパンで拭き取り食べ切った。満足!。その後は街を散策。ナポリ仕立ての洋服屋という世界があるがこの場所とは違うかと思う程にダウンタウンな感じ。ボクは魚屋とか肉屋に関心を寄せた。そして駐車場を誰かに明渡すのはシャクだったが旅人なので次なる目的地へ!。アマルフィーだ。井利元ナビゲーターが食い入るように地図を見て看板を発見してくれたおかげで夕方までにはアマルフィーに到着。

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ここはリゾート地なので夏がメインだがボクは季節外れのリゾート地って何故か好きなので好感イッパイだ。世界遺産になるほどの素晴らしい町並みに驚嘆。美しい!。本当に美しい。ブラボー。今晩の宿泊はホテル・ルナコンベント。ここは元は修道院ということでそれらしい部屋やエントランスで情緒たっぷり。そして窓からは眼下に地中海を見ることが出来て感激。夕飯はホテルのレストランで前菜中心に食べた。これまた美味しい時間となった。そして倒れた・・・いきなりコンセントが抜けた状態で・・。 12月11日≪3日目≫朝は男三人でウォーキング&ジョキング。結構、健康的なオヤジ達だ。アマルフィーの隣の集落を徹底散策して発見多数。一時間の発汗タイムを終えて戻って朝食の後に昨日決めた突然スケジュールでカプリ島に行く。昨日命がけで通った海岸線の道を再度ソレントまで戻る。ソレントまでの途中今晩、宿泊のポジターノのホテル・ポゼイドンにチェクインしてノンナを降ろしてあげた。ノンナはカプリはキャンセルしてここで和むとの事。そしてソレントに到着してそこからフェリーに乗るのだ。本当に断崖絶壁に張り付いたワインディングロード(クネクネ~の連続)、そして峡路(狭い道)、そしてデブなコブタ号と対向車、後続車は皆シューマッハと条件が悪い。見通しが利かないヘアピンカーブで正面にいきなり巨大観光バスに出くわすなんてしばしばだった。絶対に全神経入力しないと危ない。良い子にはお勧めしたくない道である。(というか他の選択は無いのだが。)良くマウイ島の山の裏側にある素晴らしい町、ハナまで行く道をそんな風に表現するがハナまでの道のりの100倍は危険だ。少なくともハワイ人にシューマッハかぶれは居ない。ソレントからはカプリ島まで30分。高速船が11時45分発で一時間待ったが別に急ぐ旅でもないのでまたまたエスプレッソタイム。いったい一日何回コーヒーに飲んで和んでんだぁ!。カプリは季節外れで閉店している店も多かったが、とても平和な楽しい時間だった。ランチはカワイイお店の女の子の口コミでレストラン”ダ・ジェンマ”に乱入。絶景だがそんな事を忘れる程に美味かった。午後はウンベルト1世広場のカフェでお茶を飲んで和み。本当に日差しが気持ちよくて子猫になった気分だった。午後の買い物で井利元はドルガバでピーコートを購入。ここのセレクトショップのセンスは世界的にも有名で良子さんもマーロでニットの掘り出し物を見つけてゴキゲンだった。皆なかなかヨロシイ買い物で大満足。4時過ぎのソレント行き最終の高速船で戻りポジターノのホテルに帰った。季節的に名勝”青の洞窟”は見ることが出来なかったが、それでも素敵な時間を過ごせて大満足。夕飯はポジターノの海岸にあるレストラン、ラ・カンブーサで食う。手長海老(スカンピ)のリングイネが抜群。しかしホテルから海岸までの急斜面を数百段の階段と迷路を抜けて降りて来たため食事の間中、帰りの足が心配だったが心配は的中して帰りも階段を登ることになった。80歳のノンナにはキツかっただろうに、また昼間に転んで負傷した良子さんにもキツかったが頑張った。(明日、もう一度誘っても絶対に来ないだろうなあ・・) 12月12日≪4日目≫ 予定はここ、ポジターノに連泊する事に決まった。ここの絶景を見たら一泊で移動なんて悲しい。

イタリア・デェ・デッタラメェー まずは南イタリア・ナポリに乱入。そこから始まった奇想天外な旅。

旅するうちに距離感がわかって行動予定が決まってきた。このラフさはパッケージ旅行にはありえない。大体このホテルも昨日泊まったアマルフィーのホテルのフロントからの紹介なのだ。ということでリラックスムード満々で8時前からウォーキング&ジョキングで街を囲む道をぐるりと一周、推定6~7キロだが絶景の連続で感動だった。イタリアの町並みは細かく見ると実にこ汚いのだが離れて総合的に見ると美しい。(ちなみに日本は逆で個々は美しいがトータルで調和が無いというか美しくない。)朝食はホテルのバルコニーで朝からマッタリ感がイッパイなのは日曜日のせいであろうか。部屋に帰ってシャワーをあびて見晴らしの良いバルコニーで読書をした。そして昼前にまた海沿いのレストランで皆さんと待ちあわせてランチをした。シャンパンを飲みながら12月とは思えない気持ちの良い日差しを受けながらピザ・クアトロフロマジオ、マルゲリータ、パンチエッタの白いピザなどを食った。毎日イタリアンの連続。そうイタリアにはイタリアメシ以外無いのだ。12月だというのに昼間はTシャツで過ごせて夜も軽いセーターでアウトドアーで食事が出来るなんて最高だ。昼食をしながら明日朝はポンペイを見て一気にエミリアロマーニャ(ボローニャ)のアグリツーリズモに泊まることを急きょ決定。この季節は前日でも予約が入るので嬉しい。午後は地中海のほど良く暖かい気持ちが良い風を感じながら海岸線の険しい道を歩いて断崖絶壁の散歩道を通り抜け謎のレストランやカフェをチェック。発見、感動、期待への連続だった。次回はそんな怪しいクラブやカフェが開店している初夏あたりをねらって来よう!。夕方にホテルのバーで一杯飲んだ。暖炉の前での一時が素敵だったなあ。夕飯はまたまた昨晩と同じレストラン、ラ・カンブーサで食った。坂をどんどん下って海岸に向かうが帰りを考えるとシンドイがそこしか期待できる店がないので仕方が無いなあ。二日間連続で同じ店で食うなんて珍しい事だが評価点が高い店だったしメニューが本当に豊富だった。スカンピ(手長海老)のグリルは美味いしアサリ、ムール貝などのアクアパッザは激ウマ。またまた白ワインが美味しい夜でした。急坂をトボトボと歩いて帰って就寝した。なんて夜が弱くなってるんだろう。だんだん社会で使いモノにならない人間になってきている。 12月13日≪5日目≫ 朝はやっぱり5時前に起きてしまい同室の井利元に気を使いながら入浴、そして読書。今日は7時からメシを食い世界遺産・ポンペイを見てそのまま一気にフィレンツェの手前のトスカーナのアグリツーリズモまで行く。予定到着時間は午後4時。移動距離は500キロ近く。コブタ号を頼りにしている。ポンペイには予定通りに9時前に到着して早々に見学。2000年以上も前の滅亡した文化都市がそのままの残っていることも驚異だ。そしてこの文化的にも進んだ都市はブィスビオ火山の噴火の灰で18世紀まで地に埋もれていて謎となっていたのだ。当時の円形劇場、運動場、会議場、そして風呂屋、洗濯屋、居酒屋(当時からワインが生産されていた。)などが残っていて見ることが出来る。人類の英知は凄いのだ。

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ガイドブックを片手に2時間弱かけて見て回った。その後一路アウトストラーダ高速道路)を平均時速150キロで北上。昼にローマを抜けてドライブインで昼食。ドライブイン事情も日本とは相当に違っていてイタリア人の食に関してのコダワリを感じる。そして2時にシエナ界隈に到着。新しく購入した地図の威力は絶大。ナビ・井利元の北海道の大地で養われた方向感覚は威力を増大している。しかし朝はアマルフィー海岸でまだ日差しも暖かかったのに午後は完全景色は違う牧歌的な糸杉が林立し広大な草原が続く景色になってしまい車旅行の面白さをまたまた痛感。今晩の宿はまさにアグリツーリズモの農家を三年かけて大改造したビラ(民宿)で最近出来た所で数百年前の農家を原型は変えずに中身を完全リノベーションした素晴らしい作り。近所にはレストランが無かったので30分位走った村落まで行ってスーパーで食材を購入して帰りキッチンで料理をすることにした。ナゼだか5時から始まるスーパーは品揃えが実にイタリア。肉コーナーや惣菜コーナーの充実ぶりには関心したしヨダレが出まくった。ということで豚肉、鶏肉、パンチェッタ、サラミ、野菜、ハーブ系野菜・・・・シェフ鈴木啓子の頭の中で構成された食材とワインのつまみ系を購入。夕飯は素敵な時間となった。シャンパン、白ワイン、赤ワイン二本を制覇。こんなトスカーナの民家のキッチンで調理して食べるなんて超オシャレだなあ。少し室内が寒かったがそれもなんとなくトスカーナ的に感じた。就寝。 12月14日≪6日目≫ 朝は気分のヨロシイ高原の目覚め。(本当は時差がまだ残っていて3時過ぎに起床して一時間の読書。)ウォーキング&ジョキングで30分位奥に行った集落というか大昔の領主が住んでいただろう小さな城まで三人で行った。朝日もそれがオレンジ色に写る雲海も素晴らしい。出会うの農民は見知らぬボク達に蔓延の笑みで”ボナセェーラアー”と声をかけてくれる。観光協会からの使者であろうか!。素晴らしい村だなあ。そして空気の清々しさはここならであろう。朝食は昨晩のキッチンで残り物を上手に使ったオムレツとサラダなど。これが朝から本当にに身体に優しくて幸せだった。(別に昨日までが何ら厳しかったわけではないけど・・。)そしてキノミキノママな旅はフィレンツェの街を訪ねることに決定した。久々のフィレンツェは嬉しかったが車の駐車で少々苦労。違法駐車で覚悟を決めたが落ちつかないのでドゥオーモ、ポンテベッキオ周辺を見学をしてバールでサンドイッチ(パニーニ)とカフェオレの簡単ランチをして今日の宿泊地のボロー二ア近所のアンティカ・シィオアローラに向かった。

イタリア・デェ・デッタラメェー まずは南イタリア・ナポリに乱入。そこから始まった奇想天外な旅。

途中のアウトストラーダ(高速道路)が意味不明な渋滞で参ったが夕方6時前には到着。北海道出身の井利元の実家の近所の景色に似ていると興奮していた。北海道にイタリアのボロー二ア似の場所があるなんて・・。宿はアンティカロカンダ(古い高級民宿と訳すかなぁ?)で、なんと半端なしの田舎なのにミシユラン一つ星を獲得しているというレストランが併設されていて興味津々でやってきた。季節外れだから前日のイキナリ予約も可能だったと推測する。室内は超ローカル色が強い、ひょっとして”赤毛のアン”(適当なイタリア民話が思いつかない・・)でも出てきそうなホテル。ホスピタリティーは極上でボクの無理難題のミラノのホームセンター調べなんて必死でやってくれた。部屋も赤毛のアン状態で井利元ど同室でパンツでウロウロしてるのがナゼだか恥ずかしい女々しいインテリアだった。期待の食事は素晴らしかった。洗練されたイタリアンでプリフィックスメニューだったが大満足。海コースはアサリの手打ち麺のボンゴレとシーバス(スズキ)がメイン。ワインも地元から選んで白、赤ともに完璧だった。そして寝た。これが一番太ると知りながら・・・。 12月15日≪7日目≫ミラノへの移動日。そして皆に付き合ってもらってミラノ郊外のイタリアのホームセンターのブリコを探したが地図通りに行っても全然無い!。とにかく全知全能を地図読みに賭けている”ナビ井利元”(ナビモト君と改名)は気が狂いそうになっている。結局アキラメモードになっていたら奥まった所にブリコホームセンターをノンナが発見!。いったい80歳にしてどんな視力になっているのだろうか。ということで晴れて乱入。しかし想像した洗練されたデザインの大工道具、資材などは無くて退散。(波田はアキラメがついた。)、空腹も極地になったがどうしても市内中心部に入れずまたイライラ状態。やっと遠くにドゥオモの屋根が見えて安心。そして巨大コブタ号を無理やり驚異の縦列駐車をしてメシを食う。ビジネスマン街のカフェにてテキトーランチ。とてもミラノのファーストフード化は進んでいるのだ。電子レンジでチーンのラザニアは少々都会の味がしたのは田舎から廻って来たせいかなぁ。午後はホテル・アンティカロカンダ・レオナルドにチェックインした。このホテルには三年前に泊まった事を思い出した。その後、大好きなセレクトショップ・コルソコモや雑貨のハイテックがあるガリバルディ地区を散策。充実の雑貨購入が出来て嬉しい。しかし雑貨、キッチン用品、なんて山のように買ったって3万円もしないのだ。これで幸せな気分になれるなんて安上がりな奴だなぁ。夕飯は堀正樹の強い願いで回転寿司”禅”を訪れた。8時に予約が出来たがすでに開店と同時で満席。ミラノには回転寿司はここだけ、というかイタリア人は本当にイタメシしか食わないのでこの店の存在や満席が驚異。しかしイタリアンらしく寿司とデザートとフルーツが同じ比率で回っているのは抵抗があった。しかしなかなか美味しいというか和んだ時間となった。久しぶりの醤油味と焼酎で頭がクルクルして平和。これで明日もキッチリとイタリアンメシに望めるぞ!!。ホテルに帰って10時前に就寝した。完全に日本への帰国後は使いモノにならないゾォ!。 12月16日≪8日目≫  ミラノでの朝は小雨だった。ナゼか小雨のミラノってボクのイメージなんだよね。午前中は店も閉まっている所が多いのでせっかく車もあるのでアウトレットに行ってみることにした。途中、街中の魚、肉、野菜などの食材の市場があるので乱入した。ハッキリ言ってモンテナポレオーネのブランドショップに行くより”買い物心”にスイッチが入って燃えた。いったいこの身体の芯から燃え上がるワクワク感は何なんだろう。肉屋のサラミ、パンチェタ、魚屋の新鮮な無数の見た事も無いような魚や貝類、そして積み上げられた新鮮な野菜達はスローフードの代表選手だ。チーズ専門店も凄い品揃えだ。ということで明日帰国なので”個人密輸品”を購入する事が通常なので買い込みに入った。水牛製モッツアレラ、パルメジアーノの塊、サラミ数種類、そして季節がらポルチーニを購入した。ワクワク感は頂点に!。その後は買出し食材をコブタ号に積み込んで一路スイスの国境を越したアウトレットまで超渋滞の中をドライブ。国境では入国審査があり、そしてコモ湖を右に見ながらヨーロッパ最大のアウトレットに到着。集合までの二時間の中で皆、それぞれのお気に入りのお店に消えていった。とにかく若者系(ディーゼル、リプレイ)からスポーツ系(プーマ、アディダス)ブランド系(プラダ、D&G)高級系(マーロ、ロロピアーノ)とそそるブランドが数百店!。そしてガラガラに空いているので楽しい時間だった。その後は”買い物大王六人組”はミラノの中心地のモンテナポレオーネまで戻り、ドゥオーモ界隈のクリスマスイルミネーションに衝撃を受け(ドゥオーモは現在外側を改装していたのだが、その全てを囲む外側の工事用テントを映像スクリーンにして広場一体から眺められるシアターにして荘厳な音楽と映像を楽しめた。何なんだ!このイタリア人の美意識は!)そしてまずはフェリージまでクリスマスの買い物で盛り上がる街を歩いた。フェリージでは時速100万円コースの勢いで皆でバックを購入。その後ブゥラブーラ歩いて各自、お店を見て回って8時まで過ごした。夕飯は最後の晩餐ということでホテルから程近い評判のレストラン・ラ・ブリーサを予約した。過激渋滞、道路困惑、駐車困難、歩行疲れなどの諸事情でディナーは一時間遅れたが、それはそれは洗練されたイタリアンで美味しかった。ワインも素晴らしい。話題は今回の旅行中にして初めてAMの話題になった。

イタリア・デェ・デッタラメェー まずは南イタリア・ナポリに乱入。そこから始まった奇想天外な旅。

そして皆はホテルに帰りボクと堀氏は”夜のミラノ見学”ということで若者が盛り上がる運河界隈の怪しいクラブ、バーをチェックしに行って深夜に帰宅をした。パンクロックの野外バーは異常!怪しげなバーは実はカラオケだったり・・奇想天外な夜だった。 12月17日≪9日目で旅の最終日≫ またまたミラノは曇り空。午前中は探していた服を目指して堀氏とブラブラ。結局聞き込み調査が成功して購入が出来た。その後、イタリア在住の豊嶋ミホさんとノンナ、オネーサン、ナビモトと食事。居住者しかわからない面白い話が聞けたし10年間以上会っていなかったので楽しい時間になった。美味しそうなイタリア食材をプレゼントしてくれて感激だなぁ。その後もモンテナポレオーネ界隈を散策したが街中は疲れるなぁ。ブラブラ人間ウオッチングして5時のホテルに帰って荷物を整理して、いよいよ帰宅の途についた。しかし気が付かないうちに荷物は爆発的に増えていた。マルペンサ空港で9日間付き合った快速コブタ号をレンタカー外車に返却した。この9日間で1500キロ以上を走破したコブタ号に感謝だ。しかし、今回の旅は本当に楽しかった。みんな会話の引き出しが多い人達だったんだねぇ。堀は新潟で10軒の飲食店を経営しているだけあって様々な知識、オネーサンは料理研究に関しても知識多彩、井利元は持ち前の好奇心からの博学、良子さんは平和な話題提供をいつもしてくれる。そしてノンナは流石に80年間、人生を楽しんできた人だし・・。実に奇想天外ながら皆で楽しめた旅だった。しかしノンナの皆と一緒に行動出来る体力には恐れ入ったしこの分だと90歳にももっと凄い旅行が出来ることだろう。 イタリア・・・・・・本当に奥深い。またこの先の人生で何度も訪れるであろうこのイタリア。ノンナの愛したイタリア。もっと知りたいし体験したい。そしていつまでも・・・・・・・自由な旅がしたい。 だから早く人生の宿題を片付けよう。なぁ・・・・・・・・・。