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カリフォルニアに憧れて・・・

2013年3月20日  カリフォルニアには強烈な憧れがある。少年時代から憧れ、21才の一年間をカリフォルニアを中心で過ごし、より一層その憧れは増した。カリフォルニアデザインなる世界がある。それはモダンリビングの起原とも言えるのだ。そんなボクにドンピシャな展覧会が開催っ!! このチラシを4ヶ月前に渋谷の小さな映画館のフライヤーコーナーで発見。もう小躍りをして待ちに待った。

カリフォルニアに憧れて・・・

iPhoneのスケジュールに書き込みアラームまでセットする気合い!もちろん初日に行ってじっくりと拝見してまいりました。 展示物を一点一点、鑑賞して知らない事もいっぱい発見! 1930年代になぜ、カリフォルニアの特にロサンジェルスが爆発的に巨大化したのか、そしてなぜモダンなモノが発展する潮流が出来たのかがわかった。20世紀の初頭から多くの移民を受け入れたカリフォルニアは第二次世界大戦後、世界一の経済力を誇る大国アメリカの大衆文化の中心として飛躍的な発展を遂げた。急激な人口の増加で建築や生活空間のデザインの需要が生じ、戦争に際して開発された新技術、新素材を有効活用して大胆、かつ実践的なデザイン活動が展開。また、その時代はビーチカルチャーとも連動していてサーフィンなる文化(スポーツを超えて生活文化です。)がハワイから伝わり流行して、ひとつの産業にまで成長する土台が出来た時代でもある。そこでも今までは木製だったサーフボードがFRP (エフアールピー/繊維強化プラスティックの略称)の進化に乗って作られる様になり、イコール量産体勢となり益々普及する事に!

カリフォルニアに憧れて・・・

爆発的に増える人口を受け入れる為にも工業製品的で廉価な住宅や家具、いわゆるミニマルなモノが当然に考えられ、それまでのアメリカの殆どが目指していた懐古主義的な建築と一線をひく型になったのは必然で必要な事だった。しかし工業製品的なクールなものではなく、デザイン化されたモノはカリフォルニアの気候が影響したからであろうか食器や家具をも含めて、全てがモダンで暖かいスタイルになっていったのだ。もっと身近な表現をするならばアナタの回りでも文房具から調理器具、家具や洋服、テキスタイルのデザイン、何から何までカリフォルニア・モダンデザインに影響されているモノを沢山見つけることができる。 結論、とにかく行きなさい!!!! 素晴らしい文化の香りがします。 http://www.nact.jp/exhibition_special/2013/california/index.html

アメックスのプラチナデスクのお仕事!

2月15日(金) 有能な秘書がほしくありませんか!? ボクには有り難い事に本当に有能な秘書(土岐ちゃん)に助けられてます。彼女なしにはナニも出来ないと言っても過言でない程に有能です。男子スタッフの藤田君も、その有能ぶりは天下一品!何から何まで世話になりっぱなし。 そんな彼らでも出来ない仕事があるんです。そんな仕事をカバーしてくれるのがアメリカン・エクスプレスのビジネスプラチナサービスなるシステム。例えばホテル・ライフもコンシェルジェ(お客様便利係なるレストラン手配、観劇チケット手配、買い物のアドバイス、とにかくゲストがその街で快適に過ごせる為の全ての事を面倒みてくれるのがコンシェルジェの職域)を使いこなしてホンモノなどと言われますけど、まさにクレジットサービスに付随したサービスなのです。ある時、友達から勧められて、『ケージローさんならば元は取れますよ!』と誉められたのだかバカにされたのか知らないけれど・・・確かに年会費は高いのですよ。(136,500円)でも、今ではそれらは安いモノだと思っています。例えば今までにやってくれた驚きのサービスを紹介。
◎ 海外での皆でお食事会。(毎年LSでの恒例行事。)行った事が無い国、そして場所で50人の食事。それも予算がある、好みもある、ホテルからの移動もあるので位置関係も重要! そんな中で毎年、見事なレストランを探して くれます。あとこのお食事会は中華料理と限定しているので各国の中華なんです。
◎ ニュージーランドの雑貨店で買い物をし忘れた。そんなお買い物を手配してくれます。帰国後10日でちゃんと手に入りました。
◎ 誰も行った事が無い様な僻地の旅の予約。
◎ 予約至難の店を予約! 予約枠を持っているみたいです。
◎ 細々と旅の手配!
◎ 世界中どこの空港でもラウンジが使える
現在、お願いしているサービス・・・
◎ 毎度恒例ながらシンガポールでの50人のお食事会のレストラン探し。
◎ シンガポールのお世話になっている人とのディナーの手配。
◎ ハワイの離島へのツアーを選んでもらっている。
◎ 四月に行く変態ツアー(ウルグアイ、ニカラグア、パナマ、コロンビア)のランドオペレーション(現地の旅行社やコーディネーターとのアクセス)
◎ 5月のロシアのホテル探し!&レストラン紹介
◎ ロサンジェルス空港に午前中に到着して夜のフライトまでの間にシャワーを浴びたい!空港内でシャワーを浴びられる場所を探して欲しい。
こんなサービス、普通では無理でしょ。入会時に『どれだけ使いこなすか!』が勝負だと言われましたが、絶対に”元”は取れてます。(笑) というか使いこなして欲しい! そんなサービスです。アメックスプラチナ・・・色は銀色でゴールドより安い印象だがとんでもない。そのサービスたるやハンパないです。 アメックスプラチナホームページ http://www.americanexpress.com/japan/personal/benefits/cards/platinum.shtml 
サービスは具体的には書いてありません。そして自ら希望しても無理。まずはグリーンかゴールドからの実績をみられます。 実はメンバーの年会費ですが、昨年よりいきなりさりげなく2万円近く値上げ!(笑)スゴイことします。ますます元取ろう!!

人の縁・・・世の中狭い!! “人生は昔からFaceBook”

2012年12月5日(月) 『世の中は狭い!』とは日常に良く出てくる言葉だ。日本だけでなく海外でも『It’s small World!』なんて言葉を聞く。 1000万人もの人間がひしめき合う東京! 東京で生活していて様々な初対面な方に出会うと、その方が友達の友達であったりする事は良くある。 そんな事には慣れているつもりだった。 11月初旬にブータンに行った時に、昼食をしていたレストランに日本人がいたので話しかけた。どちらかというとブータンにはあまり相応しくないキラキラ系な女性だったので、興味もあった。ブータンでは旅人が行かれる店が限られ、それにブータンは国の方針でビザ発給が簡単ではないので気楽な旅行者はそんなにいない。要はお金がかかるんです。ということは貧乏バックパッカーの人々が来る事は無いのです。ブータンに行くとわかるけど、とてもぶらりと何処かのついでに寄るとかいう国には思えないのですよ。それに昨今はブータンの王様も日本にいらしていたので、いきなり脚光をあびてるけど、少なくとも国王の来る以前の日本では『ブータンに行くんだ!』というと『へぇー』の答えしかなかった。 そんな地味で特殊な国、ブータンに来ている女性二人組・・・立ち話を少しした。しかし違う旅行エージェントで来ているので、あまり話をする時間は無かったのだが、偶然にも翌日のパロでのホテルが一緒になって、食事を一緒にして話をする事が出来た。 という事で東京での再会という流れ・・・ 日本での再会は青山で待ち合わせて食事。 旅の話、ブータンの話(王様が来日していきなりブータン人気がヒートアップして今や、昨年の50倍の申し込み軒数らしい。) そして学校関係、交友関係を聞いていたら、なんとボクの36年前の高校生時代、3歳年上の先輩。学校は全く一緒ではなく原宿で遊んでいる時に出会ったA氏を良く知っているし、仕事にも数年間も絡んでいたと・・・そしてボクの友人の、ボクの仕事も時々手伝っているデザイナーとも知り合い、良く聞けばボクのオフィスのある目黒でお店をしていて、ヒイキにしていた店も知っている、そしてボクの仲間のMも知ってるし・・・捜せばまだまだ接点は色々ありそうだった。初対面と思いきや、共通の友人がわかっただけでも3人。仲間の仲間、今までどうして会わなかったのかという位に近い位置にいる女性だったんですよ。 『世界は狭い!』と思い知る夜だった。ビックリだ!!  “人生は昔からFaceBook”

日頃からお世話になっている皆様へ!

皆さん、日頃から我々がこうして平和に暮らしているのも、周りの皆さんのお陰です。改めてありがたいなぁと痛感する日々です。
さて、ご報告です。  この度、25年間の結婚生活にピリオドを打つ事になりましたのでご報告申し上げます。いわゆる”離婚”です。洒落て言うならば”熟年離婚” 決してケンカ別れではなくて、これからの将来がより明るく幸せになる為の選択です。 これからも二人に気遣い無く仲良くして頂けたら幸いです。 ヨロシクお願いします。

よくある質問!
●家族は大丈夫なの!?
もちろん親子関係は今のままです。これまで以上に家族の”絆”は強めたいと思っています。
●これからの生活は!?
実際、すでに10年以上も別に暮らしていたので、今までとそんなに変らないのです。あと数年は英子さんは静岡の沼津がベースでボクは東京生活です。
●これからのビジネスは!?
ボクが引き受けます。英子さんはフロントで再登録。(系列分けは出来ないルールなのです。)グループの方々は御安心を!
●原因は!?
ボクのワガママ、身勝手が全ての原因と認識しています。英子さんの希望でこの結論となりました。

ボクの主義ですが、”人の噂話はしない。”~~~なので、あまり我々の事がウワサで飛んで、今後の生活を考えたら誤解を招きたくないので、イッキにSNS(Facebook)でご挨拶という事にさせて頂きました。

二人とも、今までの25年以上の長い時間を皆さんと過ごす所存ですので、新しい人生を見守って下さったら幸いです。
どうぞ、我々にお気遣い無くお付き合いください。
我々もこれからはそんな仲を目指しますので!

《英子さんより!》
突然の事で驚かれているかと思いますが、このたび離婚する事になりました。15年に渡っての東京と静岡の別居生活で少しずつ二人の価値観や生き方が違って来てしまった事が原因です。 今回の事はそれぞれが、より良い人生を生きる為の前向きな結論だと言う事をご理解頂きたいと思います。唯一、子供達には迷惑をかけ、悲しい思いをさせてしまったと心配ですが、これも今後の私達を見て徐々に理解してもらいたいと願っております。今まで仲良くして下さった共通のお友達の皆様、今後も変らぬお付き合いをお願いしたいと思っておりますので暖かく見守って頂ければ幸いです。 尚、私は離婚後も変らず波田の姓を名乗るつもりでおりますので、今後ともヨロシクお願い致します。         波田英子

Have a nice day !

《なるほどっ!波田も頑張れヨッと思われた方は “いいね!”を押して下さい。心の支えとなります。(笑)》

従兄弟の光宏くん、そして兄さんとのディナー!!

これはウチだけの家風なのであろうか、親戚とか兄弟って意外に待ち合わせしてまで会わない。ましてや男ばかりの場合は余計、そうなのかもしれないなぁ。 決して仲が悪い訳ではないし、それぞれが会えば話は盛り上がるのに。
三歳違いの兄貴、健太氏と四歳違いの従兄弟の光宏君とで青山のイタリアン・サバティーニで待ち合わせをした。 別にナンの主題がある訳でもないが・・・まぁ、たまにはね! 久しぶりだしねっ! という感じのディナー。オレが言い出したんだけどなかなか、ここまでに至るのに随分と時間を要した。
ウチの母方の婆ちゃんが鎌倉の由比ケ浜に暮らしていたので、夏休みと言えば親戚一同がそこにて集っていた。 毎年、夏休みのそこでの楽しさったらなかった。今でも沢山の想い出があるが、そこの中心にいてガキ共を一気に取りまとめていたのが光宏君で、その参謀を努めていたのが健太氏というポジションだった。 そしてウチのオフクロの一番下の弟の大学生のヒロシオジ(叔父)が相談役という役柄だった。そのヒロシ叔父がクルマ好きという事で、光宏氏兄貴とオレはかなりの影響を受けて、クルマ好きになったのではと思う。とにかく小学生時代の夏休みの最初の日から最後の日まで鎌倉で過ごしたので、夏休みの想い出は”従兄弟達と過ごす鎌倉”のみだったのだ。
そんな大親分の光宏君(今では趣味が高じてマニア系のクルマの販売を行っている。)参謀の健太氏との大人になってからのワインを飲みながらの会食なんで面白いに決まっている。
子供の頃には謎だった親戚関係の事とか色々わかってきたし、忘れかけていた想い出も沢山、蘇ってきて懐かしさイッパイになった。しかしよく考えると子供の頃と何も変わってはいないかと思う事ばかりだ。 当然に、昔話に花が咲いた3時間はアッという間で、なにか名残惜しい別れになった。
またねっ! て挨拶して別れたけど・・・またあるかなぁ。 なにせこの53年の間で初めての事なんで・・・

久しぶりの引っ越しっ!!!

引っ越しは好きかと言われれば・・・『好きだ!!』 なんだか人生がリセットされる気がする。世界的に有名な経営コンサルタントの大前研一氏も人生変えるなら引っ越しだと言っている。 思い起こせば生まれ育った世田谷区の実家から初めて出たのはやはり世田谷区の等々力、そして目黒区の柿の木坂の古いマンションを総リノベーション、世田谷区の上馬の280?のマンション(笑)、世田谷区岡本の一軒家、世田谷区野毛の一軒家、今回は目黒区というか駒沢に位置する小さなビルの新築という経緯だ。 思い起こせばどの家の様々な思い入れがあるなぁ。 という事で、今回は6年ぶりの引っ越しなのだが、完全にナメていた。思ったよりズッと荷物が増えていたのだ。整理しながら積み上がった段ボールは100個以上で引っ越し屋さんも呆れ返る始末。最初に来てくれた引っ越し屋の営業マンは段ボール50箱で収まると言ったが・・・結果、2トンロングというトラック二台体制で挑んだのだが、それでは載り切らずに、引っ越しの当日に、後から追加でもう一台のトラックが来る始末。(笑)・・・しかし、この家は家族は住んでいない男の独り住まいなのにね!(家族は静岡県の沼津市です。さすがにそこにはボクの荷物はありません。)  ”断捨離(だんしゃり)”なる言葉が流行って久しいが、相当に気合いを入れて荷物を捨てまくったが・・・最後は収まらなかった。特にキッチン用品と洋服には相当にたっぷりとパントリー(キッチン脇にある収納部屋)とウォークインクロゼットを用意していたのに・・・引っ越しの最中にも、またもや断捨離を遂行っ!! 捨てて捨てて捨てまくり一応は収まったが・・・(笑) 少し買い物に対しての姿勢も考え直さなきゃなんて思いながら・・・でもそれぞれに気に入って気持ちが合って買ったモノばかりなんですけどね。 引っ越しから4日目にしてなんとか収まったが、まだ開かずの段ボールも存在するし。

久しぶりの引っ越しっ!!!

あと本がものスゴい数になってるんです。(笑)これどうやって捨てればいいのかなぁ・・・とにかくこれからの人生は断捨離を遂行して行く事を決断っ! 身も心も持ち物もスッキリとして春を迎えますよっ!!  引っ越しは楽しい。というか、生活をするという事は本当に楽しい事だ。

泣く子も黙る三茶の”テっちゃん!”

2012年7月某日  泣く子も黙るという表現があるが、まさに無く子も黙ったのがテッちゃんだった。テッちゃんなんて気安く呼んでいるけれど、年齢はオレの三歳上。友達というかオレの兄貴(実)の高校の同級生だったのだ。当時の悪さは半端無しで三軒茶屋を中心とした暴走族Sの会長を務めていた。(ああいうのも務めるのか!?) 中学3年生の好奇心バリバリなケージロー少年を、わざわざ深夜に我が家まで迎えに来てくれて、暴走族の集会なるモノに連れて行ってくれたのもテッちゃん。様々な悪の道へ導いてくれたのもテッちゃんだった。そんな頃もケージロー少年を”ツカイッパ”などにはしないで優しくしてくれた。そんな男気のあるテッちゃんに遊んでもらうのが大好きだった。時は過ぎ、テッちゃんは様々な理由から高校を早期卒業! 社会に出た。元々の根性はビジネスでも生かされて、アパレルで名を上げた。オレも当時のキャラクタービジネスの手伝いをして仕事ももらった。(なんとそのキャラクターは明治製菓からスナック菓子が出るまでに成長。そのロイヤリティーは美味しかったと後日談。) ビジネスはどんどんと成長。日本の好景気にも押されて地元の三軒茶屋に大きなビルを持つまでに! その後はバブルの崩壊と共に倒産。負債はウン十億! でもゼロからスタートした根性はそのままで、数年間は海外で暮らし、気付けばちゃんと日本に戻り”カレーうどん”の店を開き大成功。そんなウワサは聞いていた。コンビニでテッちゃんのカレーうどんがカップ麺になっているのを見た時には腰が抜けたけど・・・! そしてまた地元に戻ってホルモン焼きの専門店を出した。これが満塁ホームラン! 現在は都内に20店舗近くを経営し、世界戦略も成功。上海では一人勝ち状態・・・だとさ! 先日、朝の駒沢公園をジョギングしていたら向かいから十数年ぶりのテッちゃんが!! 『あぁぁぁ!テッちゃん!』『おぉ!!ケージローかぁ!』と久しぶりの再会で嬉しかったのだ。そして近々に飲みに行く約束をしてテッちゃんの店に案内された。昔話も楽しかったけれど、もう60歳寸前なのに夢を淡々と語る姿がカッコよかった。 まさに波瀾万丈な男の人生っ!! 毒の無い人生なんて何がオモシロいんだろう!? 最近、岡本太郎の”自分の中に毒を持て!”なる名著を読み直したけれど、安全なんてナンのオモシロミも無い代物だと思った。 一度の人生、やりたい事をやろう!と再度、思わせてくれたテッちゃんに感謝だ。

福島の人々に思う事・・・そして出来る事。

震災後の約二ヶ月が経過した5月下旬に青森、岩手、秋田、山形、宮城、福島を訪れた。様々な目的があったが、やはり被災地を生で見ておきたいというのが第一の目的だった。津波に飲み込まれた街はまさに明暗が分かれていて道路を隔てた左側は悪夢のような景色、かと思うと右側は全く何も無い平和で飲み込まれた街とその境目がハッキリとしていてビックリだった。陳腐な言葉だが自然は恐い。とても戦える相手ではない。 そして未だなお、見えないニオイの無い敵と戦う福島に人々の強さには感動をした。 もちろん開き直っていると言えばそれまでだが、久々に会った友人は『私たち、薄い放射能を浴びて新たに進化をしてます!頑張ります!』との挨拶・・・言葉も無かった。その説、オレも応援するから! 彼ら、彼女らは何かをしたいのだ。そして今回、期限付きの依頼を受けて”ヒマワリの種”が欲しいという。それも大量にだ。ご存知の通り、ひまわりはセシウムなど地中に落ちた放射線物質を吸い取ってくれるという効果があるのだ。だが福島ではそのヒマワリの種を手に入れる事が難しく、それをヒマワリを撒ける6月の中旬までに欲しいとの事。その話をした午後から全国の友達にツイッターやブログを通じてお願いして、現地にまたウチに送って頂いた。多くは寄付で頂けたが、一部は買いあげた。結果、6月7日までに目標の400キロを大きく超えて1トン(1000キロ)が集まり、福島の人々の手によって方々に分けられ撒いてもらえた。数ヶ月で福島の何エーカーかの広大な土地にヒマワリが咲いて人の目も和ませて、そして少しでも土壌浄化に役立てば何よりだ。 今回、またまた多くの方々の力をお借りした。本当に感謝しています。お礼はヒマワリ畑になった写真一枚になるかと思いますが、福島の人々はい多くの人々の愛に支えられて、かなり力強く生きています。これからも様々な援助をしていきたいですよね。ヨロシクお願いします。 あと、義援金で放射線測定器ガイアカウンター(約12万円)を二台、保育園に空気清浄機2台、児童用のマスクを寄付しました。それも感謝です。(義援金の会計報告ですが、もう少し時間を下さい。かなり事務処理で時間がかかっています。)

ボクに出来る事・・・なんだ!?

震災後には、日本人の心の中で様々な事が変化したと思う。 自分が被災したか、しなかったかという話ではなくて、この震災はたまたま東北を襲ったが、日本中どこにいたって決して他人事ではない事だ。 決して人ごとではなく捉えなくてはならないし、何かをしなくては・・・多くの方が思う様に、ボクも考えた。何人かの友達から現地に出向いて、その惨状を見る様に勧められたが、他府県ナンバーの車が直接的な支援でなく現地を訪れる事に対しての抵抗があった。だいたい、ボクなんかが行ったって使い物にならない。
ある縁あって岩手県の石巻界隈の方々に支援物資を送る事になり、食料品から始まり、下着類300人分とか様々な形でピンポイントに望まれている物を送ったりもした。しかし知れば知る程に、先が長い支援になると実感をした。そして最初は東京でも支援ムードが盛り上がっていたが、だんだんと沈静化・・・わからないではないけど、絶対に同じ日本人として何かを続けなくてはと思った。しかし義援金の募金集めは限界がある・・・
自分に出来る事は何だ!! ふっと、Tシャツを販売して、その利益金を義援金にしていったら良いのでは!! ムーブメントとしても楽しいし、着る事によってその重要さも忘れない、また、まわりの友達にも啓蒙しやすい。昔の仕事仲間のシャツの輸入元、プリント屋に声をかけたら協力価格を出してくれると言う事で決まった。肝心のイラストだが最初はやはり昔、仕事を一緒にしていた時期があるイラストレーターの安斎肇氏(タモリクラブの空耳アワーのソラミミストとしても有名、作品はJALのリゾッチャキャンペーンなどが有名)に依頼したら快諾!ところが一向にデザインが上がらない。なんとなくネット検索をしていたらWikipediaで安斉氏を見ると、なんとすごい事実が!!仕事の期限を守らないので有名!遅刻の常習犯で何度か生放送のテレビ番組にまで遅刻・・・その遅刻癖、締め切り守らない癖が列記されているではないか!!Wikipediaだよ! これでは東北の人々に申し訳ないし、やはりキャンペーンとしては時間が大切だ。ということで急遽、ユージンのアキヤンこと秋山和茂氏に依頼。すると翌々日に見事なイラストが出来て来た。(という事で安斎肇氏は第二弾!!)  http://ja.wikipedia.org/wiki/安斎肇
この企画、一枚、一枚自分たちで売っていたら頑張ったってたかが知れてる!という事で30枚1パッケージ(S15、M10、L5)にして委託販売。全国のクチコミで問い合わせてくれた勇士に委託して二週間程度で換金していただき振り込んでもらう段取り! 1枚2000円でコストが700円、という事は1300円が利益になるので1箱で1300×30=39000円の寄付ができるのだ。
現在5000枚が売れているので650万円の寄付になるので、その予算を“家族の食器プロジェクト”の資金にする。
これも参加型企画!! 5月の上旬で福島や岩手では仮設住宅が完成し始める。そこで家族が生活をするのだが、家と家電は政府が寄付をしてくれるが、生活する為の食器などの道具は自分で調達をしなくてはならない。そこで皆さんにお願いしたのは家で使っていない食器を出してもらい、それを送る!! しかし考えたら皆が勝手にどんどん色々なモノを現地なり、ウチなりに送って来たら・・・恐ろしい! そこで、そんなボランティアを募り自分の、又はまわりの人々の使ってない食器を集め、1家族分(茶わん6、おわん6、湯のみ6、小皿6・・・おたま、包丁・・)を1つの箱に収めて送るという企画! これも半月間で800家族分以上が集まっている!
皆さんから本当に嬉しいメールを沢山いただいて、そんなメールがこの支援の原動力になってはいるが、現地でボランティアをされている方々を思えば微力も微力。でも何もしないよりずっと良いじゃないか! もっとまわりを巻き込んで我々にも出来る何かを探し出して、誰でも参加出来る支援、ピンポイントな支援を目指してやりたいと思う。 是非、一読を!!

ONE LOVE JAPAN プロジェクト

ONE LOVE JAPAN プロジェクト《重要!お手伝いいただける方を募集!》

このたびの東北関東大震災で被災された皆様とその家族の方々に心よりお見舞い申し上げます。

このたびの東北関東大震災で被災された皆様とその家族の方々に心よりお見舞い申し上げます。 被災地の一日も早い復旧、復興と、被災された皆様の日常が一日も早く取り戻せます事をお祈り申し上げます。
日本人としてこの20日間は本当に長い時間と感じたのはボクだけではないと思います。
宮城県、福島県の仲間、あまり報道をされていませんが茨城県の人々がどうしているかを考えると胸が締め付けられています。当たり前にある物が当たり前に無い不便を強いられ、本当に大変な日々をお過ごしでしょう。
もし災害に合われた方々がこのメールを読む機会があるならば、夢と希望を絶対に忘れないで下さい。
人に希望をふりまく人、毒ガスのようなデマを流して人々を混乱しようとする人、様々な人々の反応。テレビを見ていればあまりにもデリカシーの無い報道・・・だからといって何も出来ていない自分・・・気になる福島や宮城の友達の安否・・・
そりゃ“普通”でいる事は至難の業なことはわかるけど、一瞬にして全てを失った人々、いまなお原子力施設で必死の消防活動に従事する人々を思うと何かの形で貢献したいと考え行動に出ています。
戦争で原爆まで落とされた、敗戦国である日本は戦後の焼け野原から世界第二位の経済大国になり、阪神大震災も復興に10年と言われたのに2年で元通り!この国の底力って・・・本当にスゴい国です。そして国民です。
でも、ボクはこの震災が日本をいい方向に向けてくれると信じています。ハッキリ言って日本の最近は“おもいやり”や“助け合い”のような感覚に欠如があったと思います。でもこれがキッカケで日本が“一丸”になって行く様にも思えるんです。いやそう信じます。
本当に大変なのはこれからですよね。がっちりと東北を元気にしていきましょう。そして早く普通の生活が出来る様に、出来る限りのお手伝いをしましょう!
一人一人の力は小さくても、沢山集まればどんどん大きな力になると思います。
ちょっと元気が出る映像を!
http://www.youtube.com/watch?v=Dxfqi2bPO1o&feature=related

きみの心の中にはある場所があり,それが愛というものであることをぼくは知っている
そこは明日よりも,ずっと明るい場所かもしれない
そしてきみが本当に努力すれば,,泣く必要なんてないことがわかる
そこできみは感じるだろう痛みや悲しみなんてないことを
あらゆる生命に慈しみを持てば,そこへ行く道は見つかる
ちょっとした空間を見つけよう,そして、よりよい場所を作ろう・・・
世の中をいやそう 世界をもっといい場所にするんだ きみとぼくと,そしてすべての人類のために
生きている人たちに目を向けてみると,死んでいく人々がいるのがわかる
よりよい場所を作ろう きみとぼくのために
理由を知りたければ,人を欺くことができない愛というものがある
愛は強いも,愛はただ喜んで与える
努力すればぼくらはわかる 無上の喜びの中には 恐れや心配などはないということが
ただ単に存在するのではなく、生き始めるんだ
すると、愛はぼくたちが成長するのに 十分あるって感じるようになる
だからよりよい世界を作ろう よりよい世界を・・・
ぼくらが心に描いてきた夢が 喜びに満ちた顔を現し
ぼくらがかつて信じた世界が 再び優雅に輝き出す
どうしてぼくらは息苦しいのだろうか
なぜこの地球を傷つけ その魂を苦しめるのだろうか
この世がすばらしいものだってことは簡単にわかるのに
神の輝く光となろう
ぼくたちは高く飛ぶことができる
ぼくたちの魂が死ぬことのないようにしよう
ぼくの心の中では みんなが兄弟だと感じる
恐れのない世界を創造しよう
一緒に幸せの涙を流すんだ
世界の国が剣を鍬に持ちかえるの 見るんだ
ぼくたちはそこへたどり着ける あらゆる生命に慈しみを持てば
小さな空間を作ろう
よりよい場所を作るために
生きることを真剣に考えれば
死んでいく人々がいるのがわかる
よりよい場所を作ろう みんなとぼくのために
生きることを真剣に考えれば
死んでいく人々がいるのがわかる
よりよい場所を作ろう みんなとぼくのために
みんなとぼくのために
みんなとぼくのために…
http://www.youtube.com/watch?v=Dxfqi2bPO1o&feature=related