「日記」カテゴリーアーカイブ

夏の定番の日記!

2010年8月2日 オレは自分の日記を読み返すなんて趣味は無いので、おそらくだが、こんな同じ様な文章を毎年書いている気がする。 でも、これを読むアナタも、一年前のオレの日記なんて記憶にないだろうから新鮮に読んで下さい。
この最近の7年間は、夏の上旬は下田《オキラクハウス》で過ごしている。そしてそこには毎年、毎年沢山の仲間が来てくれる。その数はのべで300人近く・・・笑う! オレの生活はまるで民宿のオヤジだ。朝は5時から6時には起床してとりあえずは海に入る。気持ちよく波乗りが出来る日もあれば、力不足をまざまざと感じる日も多々ある。8時には皆で朝食をする。ゴハンに味噌汁、ぬか漬け、焼き魚・・・そんなシンプルな朝ご飯だ。その後、後片付けは皆さんにお任せをして、オレは数人を引き連れて“野菜の産直/旬の”に出かける。(朝イチに行かないと良い野菜は買えないのだ。)ここのおネーサン達とも当然に仲良し! 毎朝のたわいもないおネーサンとの取り交わしは楽しい。 帰って様々な雑務。庭掃除、お家の掃除は皆で分担。なんとなくランチの準備がはじまり13時にはランチ。午後は皆も勝手に過ごして、オレは夕方にはサーフィンをして2時間位で出て夕飯に支度を皆でする。その時に飲む、サッポロ黒ラベル(瓶)は格別だ。皆でアホ話95%で夕飯。二日に一度は外のデッキでとる。この時間もご機嫌に楽しい。という事で、何もストレスがないオキラクな日々こそ、ここオキラクハウスの世界! 当分、何年も先までこの季節にはこんな時間の過ごしかたをするんだろうなぁ。 だから来年も同じ様な日記を書いているかと思う。

山形に行くには意味がある!

2010年7月22日 朝から新幹線で長野県上田市に向かい午前中にミーティングをしてから、昼過ぎの新幹線で、一度、大宮に戻り東北新幹線と山形新幹線を乗り継ぎ、終点の新庄まで向かった。・・・遠い!! なんだか一日中、新幹線に乗っている気すらする。 今回は勢いで約束をしてしまった事を実行するツアーだ。 話せば長い・・・数ヶ月前に飛行機で国内移動をしている時に、JALに機内誌(アゴラ)をながめていた。すると“山形ラーメン”の特集がなされていたのだ。山形ラーメン・・・聞き慣れない名前だ。しかし読んで衝撃を受けたのが、なんと山形県はラーメン出荷量が日本一とある!! かなりビックリな事実だ。和歌山でも、福岡でも、横浜でもなく、そして人口も決して多くはない“山形が日本一”!!そして新庄、山形、米沢の名店が6軒、丁寧に取材されていた。その味はそれぞれだが、“丁寧な中華そば”が基本になっている。 とにかく食べたい・・・そんな事を思っていたら、数日後のミーティングに山形の女性がいらしていた。・・・何かの縁かなぁと思いつつ、後日上海に行った時に紹介された高橋クンが山形に精通しているらしく、ゲストに来てくれたら山形ラーメン6軒を案内してくれるとステキな提案を!! 日にちは仙台、福島にボクが行く時に絡めてくれるという事で決まり!! もう一度、JAL機内誌を読んで胸を膨らませた!!
そして約束の日は訪れた。夜に新庄でミーティングをする関係上、早めに新庄に入り、まずは一軒目の“末広”で一杯!量的にも軽く、何よりオバアちゃん二人連れが楽しそうにラーメンを食べているのが可愛かった。ここは地元民にこよなく愛されている店との事。地元では“モツラーメン”が有名だ。(本に紹介されていた2店は様々な事情により割愛!) 翌日は一路、山形市を目指した。途中の道は牧歌的な景色が連なり、蝉が鳴き狂い、入道雲が空イッパイに広がって正に“ニッポンの夏休み”だった。山形には11時半に到着して、そこで仙台から来たケージローチームの桂さん、中村とも合流して二軒目の老舗“栄”へ乱入。開店と同時に地元の門間さんご夫妻が席を確保してくれたおかげでスムーズに注文!その先制パンチに衝撃!!~~~その後、一行は山形市でもう一軒、米沢市でもう二軒を食べたのだ。 もう限界!!

山形に行くには意味がある!

波田は夕方に皆さんと分かれて福島に向かった。福島の長谷川さんチームとの夕食会があるからだ。そして数あるお店から選ばれていたのが・・・餃子専門店の“山女”だった。 胃腸の中は中国人だ!(笑)
高橋英臣クン&チームの人々、本当にありがとうございました! 頭らか冷やしラーメンが離れません。 詳しくは“食次郎”で書きます。

楽しい!悔しい!空しい!“モルジブサーフ合宿!”

7月1日より常夏のモルジブに出かけた。行きの機内では南国に向 かう新婚さんやダイバーで気持ちはかなりハッピー感が漂っていたが、一人いまひとつ浮かない男がいた・・・オレ。 機内ではずっと“なんでこんな旅、約束してしまったんだぁ・・・”とかなり後悔の念が飛んでいた! モルジブはダイバーの聖地であり、サーファーのパラダイスでもある。ただしそれはそれなりのスキルがあるエキスパートにとってはなのだ・・・・
数日前に旅行社から送られたツアーの日程表を改めて見て、ため息が出た・・・初日の日本からの移動日、最終の日の移動と夜に出て朝に東京に到着するフライトスケジュールの間の日程の6日間・・・ 何も無い。普通の旅ならば、何日目には◯◯観光とかセミナー、自由行動とか書いてあるのに何も無い。
このツアーはボートサーフと言う名の体育会系、いや“系”ではない。体育会のサーフツアーなのだ。毎日、起床→サーフィン→朝食 →サーフィン→昼寝→ランチ→ごろごろ→サーフィン→バカ話→サーフィン→ビール飲んでアホ話→夕飯→9時には倒れる→これが永遠に続く!!こんなツアーなのだ。モルジブは大小数百、いや数千・・・忘れたが多くの島で出来たインド洋にある島国なのだ。空港も当然に島で空港横には港があり、到着後にそのまま船に乗り込 み、よほどのリクエストがなければ永遠に上記のパターン!(笑) 永遠だ!!
船はなかなか快適だが、参加者、特に主催者が戦闘モード丸出しなので憩いの時間というのはあまり無い!  ・・・ならばどうして参加したの。大人の自己責任でしょと思うのだが・・・オレも自分のサーフィンスキルを何とかしたいと思い、半年先のこのツアーを申し込めば、少しは準備に気合いが入るかなと考えたのが甘かっ た・・・仕事にかこつけてサボったんです。季節は冬をまたいだので気持ちがノラないというのもあったのは事実!!そんな言い訳言ってどうするの!! とにかく最初の二日間は本当に辛かった。 支払った代償は大きかった。身も心もキズだらけ!(笑) 三日目に少しだけ勘を取り戻し・・・でもダメ。サーフィンは本当に厳しいスポーツで、これほど素人に厳しいスポーツが他にあるのだろう か。ジェリーロペスはあんなに神の様な存在なのに、こんな勝ち負けの世界で勝ち上がったのか・・・(波の取り合いという壮絶な戦いが毎回あるのがサーフィンです。恐いんだから・・オレ下手だからねぇ。)
言い訳を言うならば、今回はグーフィー(右足前)の人には不利な波の場所(ライトと呼ばれる右から左に割れる波。)ばかりで、波田には辛いリハビリだった。一年間の出場停止をくらっていた選手がいきなり試合のど真ん中に投げ出されたような過酷な状況。サイズは時にはダブル近く(背丈の二倍)波質はグリングリンでチュービーな波。(マニアにはたまらない波!)まぁそれをいきなりバックサイドっていうのもねぇ・・・なんて言い訳してるけど全ては自分の撒いた種ですから。
後半は1ラウンドに2~3本は乗れて、一本でも乗れると嬉しく なっちゃうのが困ったもん・・・そして飲んだ勢いもあり、来年のツアーに参加の約束をしてしまいました。今度こそ・・・・・バカヤローやってやる!!(このバカヤローは社会やサーフィンにでなくて自分自身へのバカヤローです。)
早々に陸トレ・グッズを購入して準備に入りました。今年は違いま す!!(笑)
堀クン!散々、気を遣ってくれてありがとう!!倉元氏、服部氏感謝です。
あと、今回は伊豆からミネ(山中ミネ&ヨッシー)が新婚旅行で参加。 グループの茜チャンと下ちゃん二人が本当に楽しませてくれた。
今回、乗船したボートはスティングレイ号(110フィート、9 ベッドルーム、各部屋にトイレ、シャワー、温水、エアコン完備、 シェフも乗船していて三度の食事は完璧!
モルジブのサーフポイントは全てリーフブレイク(下は珊瑚礁)カレント(流れ)が早い。有名なのはチキンズ(レフト)、コーク(ライト)、ロヒズ(レフト)。 ニンジャ(ライト)、パスタポイント (レフト)、サルタンズ(ライト)、ホンキーズ(レフト)、 ジェイルブレイク(レフト)、フルムーン(ライト)など

ディスカバージャパン!!松江!

6月20日 山陰は松江に行った。世の中の人がそうであるように、あまり島根県には縁がなく、それにアシ(交通手段)も決して多くはないので、なかなかわざわざ出向かないのが事実だ。セミナーの仕事(ゲストなんです!)で誘いがあったので行かせていただいたが、本当に良い時間だった。 出雲大社や様々な神社はオーラいっぱい!(出雲大社は伊勢神宮同様にいつかは見たいニッポン人の故郷であろう場所だ。) 松江市と日本海の間に位置するのは真水と海水がまざりあう汽水湖の宍道湖(しんじこ)だ。これが深い場所で6メートルという湖で美味しい魚がざくざく!シジミが有名だ。そして街の真ん中には、ほれぼれする外観の松江城!城下町ってのはそれだけでカッコいい。そして最高に好きなのが堀川めぐりという遊覧船!松江城のまわりを10人乗りの小舟で一時間位かけて回るのだが、日常の景色を水側からみるとなんだか風情を感じて大好き。その船が可愛いのが、屋根がついているのだが、橋が低いところが何カ所かある為に、自動的に倒れる仕組み。座っている全員が超猫背になって唸りながら橋の通過を待つ訳!これ最高ですよ! かなり乗り物好きだけど、これは格別!!食事は決して多くは食べ尽くせなかったけど、宍道湖のシジミの味噌汁は美味しかったし、鯛茶漬けは明らかに上品で美味しかった!(山本宏&美智子EXさん、ごちそうさまでした!)~~~素晴らしい季節に観光客で来るから良いのかもしれないけど、さすがに日本書紀にニッポンがスタートしたのはこの地域と書いてある位、オーラ値の高い素晴らしい場所です。絶対にまた行こうっと!!!!   こうやって日本中を旅行すると、まだまだ知らない街がいくらでもある。日本は本当に奥深い国なのだ。 ディスカバージャパン!!(昔JRが国鉄と呼ばれた頃にキャンペーンで旅を推進する企画があったんだけど、この言葉・・・結構、ベタで好きなんです。)

船舶免許の更新に思い出す”教育のひずみ!!”

2010年5月25日  今日は、朝から小型船舶一級の免許書の更新の講習会に参加する為に横浜にやってきた。この免許、シンペイの弟の啓介(ケッケ)とボクが23歳の時に取得したんです。その時は『いつか金持ちになった時に必要になるから、暇な今のうちにとっておこうかぁ!』という気軽なアイデアで取ったのだ。 それも申し込みに行ったら、4級船舶の免許が12万円(今と比較したら恐ろしく高額)で一級が18万円だったから、なんとなく『一級の方が割安じゃないの・・・』という程度の発案。 ところが講習に通い始めてビックリ!! まず一級は土日を使って約10日間位通い、それも朝から晩までの講習。その上、当時の学校は”日本船舶振興会”なる恐ろしい団体の直轄だと記憶しているが、その教官が恐ろしく厳しい教官で、実技試験なんて暴力まで振るう始末! 一緒に受講していた年輩者の半分が教官の態度が悪いのに嫌気がさして学校を途中で辞めていったのだ。 そして実技実習は10トン位の中型の船で、それも横須賀の沖の浦賀水道で、海流的にも相当に厳しい地域で、ものすごいウネリのなかでの実習だった記憶があるのだ。(当然に悲惨な状況!多くの受講生は・・・) 当時は今の様にIT化も進んでなくて、六分儀(ろくぶんぎ)なる、きっと大航海時代からそんなに変化のしていない(たしか太陽の位置と水平線・・・いや忘れたが、要するに天文学的に海上での自分の位置を割り出す超原始的な精密機械。・・・だと思う。)物での計測とか、それを海図(海の地図)に書き込んだり・・・今みたいなGPSなんて発達していない時代だからねぇ・・・とにかく400ページの本二冊を丸暗記的に詰め込んで、試験前日は、人生であんなに勉強をした事が無いと思う程に頑張ったのだ!(笑)???晴れて実技、筆記試験を合格して免許を取る事ができた。・・・感無量!  しかし忘れられない衝撃的な体験。免許を取って間もなくの事、縁あって先輩の船を操縦する機会に恵まれた。そして港を出る時に正面から一艘のクルーザーが入って来た。角度で言えば正面・対・正面になった。クルマならば”左側通行”と決まっているから相手を右に見て通過すればいいのだが、一夜漬けで勉強したのがたたって・・・瞬間に判断出来なかったのだ。立ち往生するにも船にはブレーキが無い。止まる事も出来ずに・・相手方の船長さんの判断に委ねた・・・ハッキリ言って思いっきり”教育のゆがみ”を感じた。一夜漬けのお勉強はダメだっ! こんなままに海上に出たら・・・死ぬ(笑) (正確にはお互いが右に回避!と先日の講習で学んだ!) いつか船で世界一周をしてみたいという夢はいつも持っている。期限はつけていないけど・・・(笑)

上海で見たもの・・・

2010年4月13日 15年ぶりに上海に出かけた。上海に行った理由はただ一つ・・・世界一成長する中国、そしてその中心の上海の成長を肉眼で見たかったという事。 昨年、ラスベガスで行われたグローバルミーティングには世界数十カ国からのIBO(インデペンデント・ビジネスオーナー/独立した事業主)の集いの衝撃的な体験だった。パーティーなどで様々な国々の人々と話し、名刺交換をすると殆どの人々が数カ国でビジネスを展開しているということだった。だいたいアジア圏の人々はタイ、フィリピン、中国、台湾あたりを網羅、アメリカ人は世界中で、ヨーロッパに人々はロシアやオセアニア・・・ニッポンは未だに“鎖国”状態!?!?

上海で見たもの・・・

とにかく何かの布石を打たねば始まらない!! 久々の上海は羽田空港からたったの二時間チョイ! アッという間とはこの事。沖縄までより距離は短く、税関を通らなければ海外に来たなんて気持ちにはならない。たった二時間の大都会・上海の近郊、半径一時間圏内だけで日本の人口に等しい1億二千万人が生活しているんです。その意味がわかる!? 中国全土ではAMプラザが100カ所以上、そして上海だけでも10カ所、さすがに2020年には2兆円の売りあげを見込むマーケットだ。そんな可能性にに満ちあふれた地域に一石を投じたいと考えるのは当然の事・・・ 上海では本山進EXが早くから入り様々な紆余曲折を乗り越えて、安定成長期を迎えた。そんなイイトコドリを目論むハダチーム!(笑) 定期的なミーティングも行われ、『さぁコレから!』というムード満点でした。

上海で見たもの・・・

リーダーのMr.&Mrs.タイ夫妻は日本語も堪能な中国人、波田グループのリーダーの中本君はナンと日本人にして中国でエメラルドを達成したエキスパート!~~準備万端でしょ! しかし前回、訪問した上海とは全く別世界でビックリでした。いつかは中国に日本は抜かされるなんて、まことしやかな話がちまたで出てましたが、すでに抜き去ってました!(笑) 百聞は一見にしかず・・・たった二時間の別世界を見るべきですよ! 肌で感じて飛び出そう! 私は中国語がしゃべれない、私は中国に知人がいない・・・そんな事、考えてるから“脳みそが鎖国”になるんですよ! 良かったらご一緒しましょ!

10周年記念!! 感謝です!!

このホームページを書き始めて、4月(今回)で見事に10年目!!  泣けてきます!! 一言で10年と言えども、紆余曲折と色々とありました! と書き出したものの、大した紆余曲折もなく平和な10周年記念となりました。 さて自慢する訳ではありませんが、自慢大会になります。・・・だいたい10年前なんて世の中の流れ的に言うと『なんじゃ!?ホームページって!』的な空気が満点! 少なくとも企業でもそんなに充実したホームページなんて、まだまだ定着はしていませんでしたし、肝心な見る側も、まだパソコンも今程に普及もない時代でした。当初は《全国B級グルメガイドの”ケージローの勝手でしょ!/現在は名称改め”食次郎”》とミーティングスケジュールだけ。 その後、日記、マニア、モノが加わり、昨年は個人的なページとお仕事関係が分割・・・現在のスタイルになっています。 波田の”脳みそ”を整理整頓するのが目的の一つでしたが、このホームページを元に悲願であった出版も出来たしで充実感イッパイです。 皆さんの役にたっていると信じつつ、これからもまずは20周年記念を目指して頑張ります。 しかし世界7大陸食ガイド!食次郎 ですが、いったいどれだけのコストがかかっているのでしょう。事実、北米、南米、アジア全域、ヨーロッパ各地、アフリカ大陸・・・にまたいでいます。毎日、最低でも1万ヒットなので、そのアクセス数の合計たるや・・・・みなさん、有り難うございます。 今後も頑張るっ! なにを頑張るんだかわかりませんが、これからも楽しい食事、楽しい旅、楽しい買い物を楽しみます。 一生懸命文章にしていきます。 これまでご愛読ありがとう! これからもヨロシクお願いします。

そしてこの場をお借りして(お借りしてってボクの場だな、これは!)WEBマスター(ホームページの管理者)の大島章弘氏、馬橋氏、そして校正をしてくれる土岐ちゃんに感謝です。

人生の恩人!林厚子(ペコ)のバースデー

2010年3月30日 今日はスポンサーの林厚子CA(通称ペコ)の50歳の誕生日。普段は会計年度の折り返しのまっただ中ということで、お祝い行事などのパーティーは遠慮深い彼女の配慮からか無かったのだが、さすがに50歳という節目で、御主人の林立夫氏が企画してパーティーが行われた。
久々に会う、林グループの面々は懐かしさがいっぱい! 遠くは長崎、名古屋、北海道など、全国から彼女のバースデーを祝う人々が集まっていた。 川口忠大氏の素敵な歌声のバースデーソングからスタートして、グループのダイヤモンドや、系列を超えた仲良しのリーダーの方々がスピーチ! 数々のペコのエピソードが披露され、皆さんさすがにスピーチが上手で、それはそれは盛り上がった。 後半はいよいよ、林立夫氏(ご存知、日本を代表するドラマー)の本領大発揮ということで、業界のスターが集結。そしてドラムスは御子息の林一樹(プロのドラマー)が担当! すばらしい、セッションを聞かせてくれた。一樹は現在22歳、かなりヤンチャな少年時代を過ごしていたが、母親の誕生日のお祝いにニューDDをプレゼントした程の親孝行をする息子に大変身した。ペコはとてもクールでチャーミング。 たんたんと話す人なのだが、今日はとてもウレシそうな、そして感激しているのが伝わってきて、こっちも感激! 実に良い時間になりました。
50歳・・・半世紀・・・人の人生に大きく関わるこの仕事が本当に楽しい。 あなたの50歳の誕生日にどうありたいか!

人生の恩人!林厚子(ペコ)のバースデー

人生の恩人!林厚子(ペコ)のバースデー

人生の恩人!林厚子(ペコ)のバースデー

人生の恩人!林厚子(ペコ)のバースデー

探し物は『あった!あった!』

2010年3月2日(火) 今年もこのシーズンはニセコに来ている。ニセコは自然に恵まれた広大な土地! 遠くはヨーロッパや、オーストラリア、ニュージーランドからもここのパウダースノーを求めてやって来るほどに世界基準での最高な場所なのだ。 来ている客もガイジン率は平日だと90%! 年々増えている感じがする。まぁ、それはそうとして今年も様々なハプニングが起こった。 今年もパウダーを求めるが故に、ゲレンデのコースを外れてロープをくぐり抜けて林の中をツリーラン!! バフバフの新雪の残る山を谷に向けて滑り降りる! 当然にナチュラルハイ状態になり『ウヒョー!!』という叫び声も聞こえる。仲間とそんな時間を過ごすと本当にハッピーな気分! 今日も何本もこんな時間を共有した。 下に降りて間もなく、吉木大輔が青ざめた顔で・・・『ケッケッ携帯が無いっ!!・・・』この男は真顔で冗談を言わない。当然のシラフ!!(大輔は本当に面白くてアルコールが入るとイキナリ、同じ人間かと戸惑う程に饒舌になる!オレと同じ軽いアルコール依存症!(笑)) という事で、みんなで捜索隊に出る事にした。とりあえず滑り降りたラインを思い出してそこを皆で滑って捜す事に・・・・しかしそれが発見出来る確率は、至って低い! 山の上に戻り、皆に伝授したのは、その捜索方法。通常探しものをする時に人は『無いなぁ!無いなぁ!』と言いながら捜す。しかし考えてみればそれこそ“引き寄せの法則”ではないか! 正しい推奨的な言葉は・・・『あった!!あった!!』無くても『あった!』これが正しいのだ。ということでオトナ5人は手分けする様に『あった!』を連発しながら捜索隊に出た! あまりにも広大な土地、 果てしない雪・・・これは、まったく砂漠で10円玉を捜す様な話だ。 『あった!』『あった!』無くてもあった! そうしたら、なんと若者マコト君が『あぁ!!本当にあった!!』と叫んだ! なんと木のたもとに落ちていた携帯電話を発見したのだ。全員で歓喜!!!! やったぁ~~!! まさにアンビリーバブルな事件でした。 以後、行動の度に“持ち物点呼”は欠かさず行っております!!
『あった!あった!』・・・今日も探し物!

人生の”定番”年中行事のスノボーツアー!

人生にはだんだんと年中行事なる”お気に入り”の時間が増えてくる。その恒例のなかの恒例が、毎年2月、3月あたりに行われる”スノボーツアー”(北海道のとは別です。) これは別にツアーを組んで参加者を募集してなんて何も無く、ただ行く日を決めて、それぞれのチームが勝手に行って、現地集合で盛り上がる! ランチしてアホ話をして下山して温泉で盛り上がり、帰り道にわざわざ途中の甲府で高速通路を降りて、皆のお気に入りの居酒屋で盛り上がり”宴”をして各自、帰る! 以上! これが楽しいんです。新しい顔ぶれが多いときもあれば、馴染みの顔が見られる時もあり!  年に一回しか会わない奴もいれば、しょっちゅう会うメンツもいる。 今年は2月24日・・・何となく決まった日であったが、今回も東京、千葉、山梨、新潟、長野と近隣の人々が集まり、帰りの宴会の為に長野ピープルはわざわざ100キロ以上ものドライブをして山梨に合流して、また帰って行く様!  なぜそんなに面白い!?  例えば職業をみてみると・・・本日の職業別参加者・・・・保育園の園長先生、OL、スバルの整備士、日産の整備士、加圧のアドバイザー、醸造家、眼科医士、中学校の先生、プロスノーボーダー、自販機管理、ホテルのフロント、看護学生、東京電力社員、結婚相談所オーナー、大和証券、イベンター、看護師、歯科衛生士、ニート、学生、整備士、水道屋、クレジットカード会社勤務、医療事務、無職、居酒屋料理長、人妻、格闘家、インターネット関係、介護士・・・・メチャクチャです!! だから面白いんだなぁ! 年齢も20代、30代、40代そしてボクが唯一の50代!(笑)  全くのスノボーの素人がいるかと思うと、元オリンピック選手(トリノ大会のアルペンボーダー)なんて人もいて、それはそれは異業種交流もいいとこです。 だいたい今回の参加人数が30人というのも行ってみてわかった数字! 仮予約していた居酒屋の御主人はその人数を昼過ぎに聞いて出張を早めに切り上げて帰って来てくれました。(申し訳ない!) ということでよろしかったら、アナタも参加しませか!?  次回は3月24日! 長野県のロイヤルヒルスキー場に行きますよ! 帰りは皆で”ほったらかし温泉”経由で甲府の居酒屋さん”ふく吉”で和みましょ! この決まった定番コースが最高なんです。  あぁ、毎年のお楽しみっ!!

ロイヤルヒル・スキー場  http://www.royalhill.co.jp/

ほったらかしの湯  http://www.hottarakashi.com/