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“命の恩人”ビバリーヒルズのランドレスさん

5月29日《LSの帰りに久しぶりにロサンジェルスを訪れた。ジャカランタの花が咲きみだれ爽やかな風が街を吹き抜けていた!》  命の恩人という言葉がある。読んで字のごとく命を救ってくれた人だ。波田は1980年にアメリカに渡っていた。立場的に言えば”留学”という事になっているが勉強なんて学校でする予定はなかった。話せば長いが決めていた事は”アメリカに行く”という事。そしてその文化を体感するという事。 当時は今と較べようの無いくらいアメリカと日本の文化は違っていたし、日本は完全にアメリカ方面を全てに見ていた。今の日本のファッション界をリードする人々もほとんどがアメリカからの影響で育った。まだアメカジ(アメリカンカジュアル)なんて誰も着ていなかった時代だ。要するに、まだまだ未知の事が多い時代だった。当然に強烈にアメリカ文化に憧れていたし、いつかはアメリカを見て回りたい、影響を受けまくりたいと考えていた学生時代だった。しかし渡米の時期を決めるのも延び延びになりオヤジからはこっぴどく説教を受けて逆に期限を付けられてしまった。(そのわりにはオヤジは金銭的援助はなかった・・・)そして80年の4月に渡米・・・そこからの話は映画が一本、いや二本位、撮れる程にドラマがあった。

"命の恩人"ビバリーヒルズのランドレスさん

アメリカへの入国は観光ビザ。という事は自然と30日間と期限が決まられている。実は当初は一度、アメリカに来て学校を捜してから帰り、出直して行くつもりだった。当時は今みたいに入学を斡旋してくれる業者もなかったし、情報も本当になかった。(うちの親は全然知ったこっちゃ無い状態・・・)学校は様々な学校があったが波田が見つけたのはアダルトスクールだった。これはアメリカ政府が移民を受け入れる際に英語がわからないと困るから積極的に英語の指導をしている学校。奇特にも、その学校はビザを発行してくれる。その上に学費が三ヶ月で25セント!という事は年間1ドルだった。しかしビザを収得するには一度、日本に帰る必要がある。それは金銭的には本当に辛い! ということでイミグレーションにかけあうことにした。唯一、銀行にものすごい残高があれば例外的に観光ビザから学生ビザへの書き換えも可能性的にはあると聞いた。波田の残高は・・・・・500ドル程度。死ぬ程に金は無かった。そんな残高でイミグレーション(移民局)に掛け合うのも失礼というか前例がなさすぎたと思う。 実際にオフィスに行ってみた。何時間か待たされて波田の順番に・・・・辞書を見ながら書き込んだ書類と貯金通帳を提出すると、担当官はその通帳の残高を見た瞬間に波田の顔と数字をじっくり見たと思いきや大笑いを始めたのだ。それも机を叩きながら! そして後ろに座る同僚にも”こいつの残高を見てみろよ!!”と見せて廻る・・・意味がわからなかったが、要はこの残高でここに来るとは普通じゃないけど、この冗談みたいな数字を見て彼は何を思ったか”ビザ欲しいか?”と聞いて来たので”イエス”と答えるとバシーンと”受領”のハンコを押してくれたのだ。実にアメリカの”懐”の深さを感じた瞬間だった。そしてそのままアメリカに留まれる事になった。(アメリカ事情に詳しい方に聞くとありえない話だというよ。申請中という状態だとそのまま滞在をする事ができるのだ!)それはそれは、相当に強運だった。やはり聞いてみなければわからない。そしてアメリカ生活は始まった。最初は友達の友達の友達の家に居候。その後、別の友達の友達の家に居候。新聞で見た住み込みのホームステイで居候。そんな宿無しに近い何ヶ月が過ぎた。その間は暇だったから結構、必死で勉強はした。ロサンジェルスは車社会なので車だけはボロだが所有していた。ところが数ヶ月目にそのボロのフォードが壊れたのだ。その修理費は一ヶ月分の食費に相当・・・・辛かったなぁ。ついに貯金の底をついたのが4ヶ月目。(少ない貯蓄を無駄遣いしないように数ヶ月に一度ずつ日本から振込をしてもらっていた。) 残金は20ドルだった。もう終わりだ・・・・そんな時に、急に通りがかりの”UCLA (ユニバーシティーサザンカリフォルニア・ロサンジェルス校)の生活カウンセリング”の看板が目に入った。そこの学生でもないクセに、迷いも無くそのカウンセリングの戸を叩くと、出て来たのは品の良い女性だった。そしてボクの事情を全て話した。そのカウンセラーの女性は、困った人ねぇという顔でメモを渡してくれた。その住所に夜の八時に行きなさいという。という事で帰って夕飯にリンゴ一個を食して夜の指定された時間に出直した。場所はビバリーヒルズ。ものすごい豪邸! ブザーを鳴らすと、先程のカウンセラーの女性がいた。”????”

"命の恩人"ビバリーヒルズのランドレスさん

要はその奥様は、超お金持ちで、ボランティアーで学生の役に立ちたいと生活相談を受けているのだ。そしてそのご夫妻には三人の子供がいたが二人は実の子でサンフランシスコの大学へ。三人目は孤児だったが、その家で育てられ、大学でニューヨークに出た。ということで、もうこれ以上子供はいらないけれど、子供と同じ待遇ならば我が家で受け入れてくれるという。そしてプライバシーも尊重してあげるからプールサイドのサマーハウスに住めという。さっき初めてあったオレを信じてだ。ビックリした。そんなデカイ器の人が世の中にいたなんて・・・まさに破産寸前から人生V字回復を遂げたのだ。危機は回避出来た強運な瞬間だった。ただ夫妻は敬虔なユダヤ教信者なのでドイツ製品は敷地内に入れるなと(意味が分からない人は世界史をひも解こう!)・・・ということで当時乗っていたワーゲンは売却されてジャガーが与えられた。(これものすごいラッキー!!) そしてアメリカ生活は当然に豊かに変化した。とりあえず飢え死にだけは免れたい・・・・・なんてレベルを超えた。その後、アメリカ放浪旅行に出るまでの半年近くをこの家庭で生活させてもらえた。だいたいこんな素晴らしい条件だとハードな労働を強いられることが多い。事実、以前にお世話になった家庭では奴隷のように働かされた。だから覚悟はしていたが、最初の土曜日にダイニングに行くと”お仕事リスト”が置いてあった。メモにはプール掃除から芝刈り、家中の掃除機がけ、部屋の模様替え、カーテンを洗濯・・・・驚く程の量の仕事だ。(アメリカ人はお金持ちでも自分でそのような雑事をやる人が多い)『これ一人でやるのかぁ・・仕方が無いよなぁ、こんな生活させてもらっているのだから・・・』と思っていたらご主人の登場。そしてそのメモを見ながら①③⑤は一緒にやったほうが効率がいい。②④は家内にやってもらおう。⑥⑧はケイジローがやってくれ。⑦⑨はボクがやるから。そして⑩は三人で協力してやろうよ!と言われたのだ。その御主人に『一人で全部やるかとおもった!』と言うと『君は家族だ!』・・・・泣きましたよ!これが人を動かす基本なんだなぁと思ったなぁ・・・・そんな波田の青春の最高な体験をさせてくたビバリーヒルズのMr&Mrsランドレスさん宅を久しぶりに訪問した。ビバリーヒルズは例年以上にジャカランタの薄紫の花が綺麗に咲き乱れていた。突然の訪問、そしてオマケに福井と室町、そして妻を連れての訪問だったが大歓迎をしてくれた。

"命の恩人"ビバリーヒルズのランドレスさん

ランドレス夫妻は本当に元気で、先週まで船旅で一ヶ月間のオーストラリア、ニュージーランドに出かけていたとアルバムを見せて話を聞かせてくれた。まさに悠々自適なリタイア生活をしている。もちろん夫妻は今でもボランティア活動には積極的で、最近まで12年間も中国人家族を家の離れで暮らさせ、親は大学を卒業させて子供も近所の高校に通わせてあげたと言っていた。(簡単な事ではないよ!!) ランドレスさんとの出会いは、波田がアメリカで見て、身体で感じた生のアメリカだ。おれもこんな人間になりたいって本当に感じた人だ。久しぶりに懐かしい良い時間になった。 想い出っていいもんだ。

どこまでが素人か・・・・・・

2008年5月3日  素人とは何を提議するのであろうか。一般的な解釈で考えれば、それで食べている人をプロ、いわゆる玄人(くろうと)・・・・ということは、食べていない人を素人というならば我々は素人に他ならない。子供の頃からの夢の一つに、自分で家を建ててみたいというのがあった。少年時代の我が家の近所のサラリーマンのオジさんが、家の外装部(基礎、柱、壁、天井、屋根)を大工さんに作ってもらい10年位かけて自分でコツコツと内装を作っている人がいて関心した。 男なら、という表現はしたくはないが“大工道具”を見るとワクワクするし、日曜大工で何かを作れる人を見ると尊敬の目になる。夢は叶えるためのモノなのでいつも心にはあった。オキラクハウスの改築工事をしているうちに、一瞬、その夢は途絶えたかのように思ったが、裏の土地を買って勃発!(別に地上げではない。ヤミクモに広い土地が必要なのではない。違法建築で建つているビーチハウスを合法的なモノにするには裏側の土地を入手して合体しかないのだ。まさにモノポリーゲームをライブでやっていたのだ。) オキラクハウスは夏場に定員オーバーを起こす事が多々あるので、小さなゲストハウス&野外バー(当然の暖炉付き)を作ろうではないか! と考え始めたのが一昨年。そして構想を練り、デザインを起こした。今回はしっかりと設計図を作ってもらい。小さい物ながら構造計算を依頼して建築許可を取った。(国立公園内の何かを建てるという事は本当に大変な事なのだ。)冬の工事は辛すぎるので春を待った。そしてゴールデンウイークの前から作業に突入。今回はヒトデが絶対に必要な事ばかりなのて、またまた皆に協力を願った。たまたま遊びに来たアンドリューやグループの人々なんて知らずに手伝わされている! 玉田チームに福井チームが総力を結集してお手伝いをしてくれて、なんと何も無かったところに建物の基礎を作り、そしてゴールデンウイーク中の棟上げ(柱から、はり、そして屋根までを製作)までを作りきった。ものすごい人海戦術以外の何者でもない。期限は夏の7月20日までに寝泊まり可能な空間にすること。内張りがまだ、トイレが出来上がらない、エアコンが間に合わない・・・は許容範囲!とにかく人間がまずは寝起き出来るまでにはやってしまおう。これ期限を切らないと間違いなく出来ないんです。切ると出来ます。そのように段取ります。ということで楽しい夏休みの為にも頑張ってます! 今後の課題・・・床の基礎と床はり。外壁張り、窓の取り付け。中二階を作る。ハシゴを作る。トイレを作る。(トイレ、洗面周りのデザインをして図面を書く。断熱材を入れて壁をはる。(壁は珪藻土を佐官する。) 断熱材をいれて天井を張る。外のテラス周りのタイル(37?)を張る。暖炉を設置する。 エアコン取り付け、大きい窓(建具屋管轄で木製で作成はプロ仕事。)電気の配線(これもプロ仕事)・・・アウトドアリビングの細かいところのデザインも起こさないと・・・・やる事イッパイだけど、本当に自分達で楽しみながらやると愛着100倍ですよ! 人手になりたい人の参加をお待ちしています。プロ、アマ問わす!今回は求人広告をも含めた日記でした!

男の金沢、気分は高倉健!! 後編

“男の金沢”の二日目。朝は恒例のジョギングだ。新しい街を知るにはジョギング&ウオーキングは本当によろしい。ナンてったってタダだ!! ホテルを出て金沢の街の真ん中を流れる二本の川の西側の犀川(さいがわ)沿いを探索。やはり川原の桜の木が満開で、幸せ感は一杯だ。長町武家屋敷跡の界隈は本当に”基本的金沢”を象徴する景色だ。こんな昔の町並み、建物をキッチリと保存をしている事は、本当に財産だ。なにより観光客を引き寄せる大切な資源だ。(現に波田はそんな景色につられて寄ってきた!)

男の金沢、気分は高倉健!! 後編

そこから金沢城の周囲の桜を見物しながら走り、朝のメインイベントの”近江町市場”に乱入。まさに北陸の台所という市場は迫力満点だ。海産物の品種の多さは日本海の魚影の濃さを感じるなぁ。野菜類、山菜など珍しいものもいっぱいだった。後ろ髪を引かれながらホテルに戻り、着替えて外出。いつの間にか昨夜から残ったアルコール分は消えて無くなっている。午前中は話題の”金沢21世紀美術館”を見学。金沢城と兼六園の横に位置する街の新しいシンボル的な建物は現代の巨匠・妹島知世+西沢立衛の作品だ。丸いガラス張りの建物でプールのオブジェ(プールの水面がガラスで下から人が入って上を眺められるという不思議な体験を出来る。)や緑化された壁などが有名だ。

男の金沢、気分は高倉健!! 後編

コレクション展も、面白かったが、今回見る事が出来た展覧会は有名作家ではない一般市民の展示物(絵、写真、彫刻、陶芸など)が数千点も展示されていた。その一つ一つのレベルの高さに芸術都市、金沢を感じた。十分に文化芸術を堪能した後に、引き込まれるように歓楽街近くの寿司の名店”乙女寿司”《076-231-7447》に行ってみた。あいにくの満席だがなんとか入れてくれてカウンターのハジに座った。こんな時、一人は便利だ。そして高倉健さんを気取るには”カウンターのスミに男一人”が約束だ。お味は申し分無く、珍しいところだとカサゴ、昆布ジメにして一日寝かせた鯛などが特に美味しかった。店員さんや板前さんも忙しそうだが、一人で来ている客であるボクを色々と気を使って話しかけてきてくれて楽しめる。旅行は二人で旅すると二人の移動だが、一人だと随分と他人様と話すキッカケが多いのだ。乙女寿司は場所的にはどちらかというとお世辞にも好立地とは思えないが、このお客さんの満足度は嬉しそうな顔を見れば一目瞭然だ。 午後は新竪町(たてまち)商店街を探索。最近は東京でもどこの地方都市でもそうだが、街のシャッター化が激しく進行する一方で、家賃が下がって店が出しやすいという事情で、やる気のある若者が頑張って様々な個性的な店を出している。ご多分にもれず、金沢も同じで、特にここ新竪町商店街には様々なアンティーク屋、家具屋、雑貨屋、文具屋、骨董屋、焼き物屋が並んでいて、楽しい。当然に全店制覇してみたが、面白い店は沢山あった。特にアンティークの《フェールメール》と雑貨屋《レジスタン》《Benllys&jobs》は抜群な品揃えだった。こいつら”ヤル気あるなぁ!!”が感想。そして店主の皆さんの共通項は”金沢が好きな事”だろう。住んでいる人間がその街を愛している街はすぐにわかる。 夜はミーティングだった。金沢は静かに燃えているのだ。伊賀の忍者を生み出したこの街は他の都市とは異なった燃え方があるようだ。アフターの食事会も素敵な店に連れて行っていただいた。河村氏をはじめとした金沢、福井方面の方々には本当に感謝です。 アフターで歓楽街の”プログレ料亭うまいぞや哲”という超スーパーディープな店を訪れた。この店の変態ぶりは呆れ返る。12時前に入店して時間に気が付いて帰るまでの4時間弱はあまりにもアッというまの出来事だった。店はバラック風ではなくバラックだ。そのまんま・・・恐らく震災時の仮設住宅だってずっと上等だろう。素材はトタン板!そして室内の高さは1m90?、外人が来たらアウト! 店のハジには壁一面に様々なジャンルのDVDが並んでいる。店には5.1チャンネルの音響になっているのにテレビは黒い古い箱形ブラウン管というアンバランスも楽しめる。しかし店内は一体感に包まれ、店主に”こんな映像あるかなぁ”なんて言ったら全部出てくる。まさにライブのYOUTUBEなのだ。最初は松田優作モノで盛り上がり、ピンクレディーのさよならライブ、その後はNHK教育番組の”ピタゴラスイッチ”という超面白い(飲み屋で夜に上映するにふさわしい映像とは思えなかったが、実に面白い。(東京に帰って思わず買ってしまった!全二巻!)気が付いたら三時半! 完全一体化していた店内もだんだんにお帰りムードになってきたのでフラフラしながら解散した。・・・・・・・・男の金沢は実に濃かった!特濃だ。高倉健さんもきっと、この街が好きに違いない。街も人も新鮮だった。日本は本当に素晴らしい国だと改めて感じた。みんな!もっと素敵な日本を知ろう!

男の金沢、気分は高倉健!! 後編

男の金沢・・・・《前編》

4月10日は札幌、そして4月12日は金沢という予定が入っていた。その間の空白の一日をどう過ごすかで考えていた。 途中の青森でフォローをするか、仙台に顔を出すか、秋田でキリタンポを食うか・・・・考えた。一度、札幌から東京に戻って、一日仕事して金沢に出直すというのも一案ではある。しかし波田はどうも東京の家から羽田または東京駅まで行く行程が好きではない。要は様々な地方出張を一度に済ませたい効率第一主義なのだ。・・・・そんなスケジュールを考えているときに、書店で目にしたのが”男の金沢”という特集の雑誌だった。(月刊誌PEN)その言葉に参った!!(そういえば以前に大阪から東京に戻る日に駅の書店で”男の京都、一人旅”という特集を見て、そのまま雑誌を片手に京都で途中下車をしたのを思い出した。という事で、男の金沢なのだ! 渋く決めてみよう! 自分は高倉健だと思い込んで・・・・ 本来は金沢に関してキッチリと予習をしていく予定が、札幌でも結構忙しく人に会っていたので、千歳空港から小松空港(金沢の最寄り空港)の機内での集中講座となった。(ちょいと裏話があって、まだまだ時間があると錯覚していて札幌駅のスターバックスで和みながら本を読んでいたら気が付いたら出発の1時間チョイ前。慌てて駅に行ったら千歳行きの電車は目の前で行ってしまった。次の電車だとフライトの搭乗の閉め切り時間を過ぎてしまう。電車到着が13時5分で飛行機の出発時間が13時15分!しかしどうしようも無い!祈る、イメージする!信じる!ひとりLMして、次の電車に乗って、千歳駅に着いて、アサハパウエルをしのぐ勢いでスーツケースを抱えながらダッシュ!結果は・・・・乗れた。一時は急遽”残された男の札幌”になるところだった。) 金沢の天気は素晴らしかった。そして東京ではすでに散り去った”桜”が満開状態! これは嬉しい。”お得感満載”な旅となったのだ。 ホテルにチェックインをして本日のポイントを整理。まず見るべきエリア、店、をチェック!!(なにせ機内で金沢特集を三冊読破!)①金沢21世紀美術館 ②新竪町アンティーク&雑貨街 ③西金沢の大きな骨董品屋・金沢古民芸会館 ④ひがし茶屋街 ⑤食事は片町界隈の数軒を予約・・・・そして歓楽街が今回のポイントだ。(歓楽街って別にエッチな場所ではない。繁華街です。) またラッキーな事にタクシー運転手から聞いた情報によると兼六園(日本庭園)は、夜間は花見の時期だけ、ライトアップされていて、無料開放されているということ! タダなのでその案は取り入れようではないか。 夕方の4時からの出陣だったので効率重視でまずは西金沢の古民芸会館に乱入、元、小学校を移築して作られた店は広大で所狭しと、骨董品が並んでいる。骨董品の”目利き”がある訳ではないが、昔の器を日常用として使いたいので、そんな気分で選んでいくつか購入! その後、夕暮れ時になってきたので、”男の金沢”は基本的金沢の景色を眺めなくては話にならないので”典型的・古都金沢”な景色である”ひがし茶屋街”に突入した。

男の金沢・・・・《前編》

タクシーを降りた瞬間に『これだよっ!これっ!!』と思わず叫ぶ。実に情緒のある素敵な街だ。”やまきち”というお目当ての”昆布ジメ専門店”をチェック。いちいち買っていたら大変なのでチェックのみ。(正直言うとチョットだけ買って食べた。激美味い!) だってこれからだって言うときに白いビニール袋やお土産品丸出しの格好で”男の金沢”は成り立たないではないか。高倉健さんは間違っても白いお買い物ビニール袋は下げては歩かない。ということで”ひがし茶屋街”を闊歩した。くれぐれも高倉健風に渋々にだ。 金沢の街の真ん中に流れる二本の川で東側に位置するのが”浅野川”だ。明日は桜も満開で園遊会が開催させるらしく準備で忙しくしている。明日ここを訪れたら超満員なのだろう。なかなかの絶景を木造の”梅の橋”から眺める事が出来た。オッサンが一人、橋のたもとで黄昏れる姿は、哀愁を漂わせているだろうか気になるところだ。まわりはだんだんに夜更けとなり帰り道を急ぐ人が目につきだした。さあ本日の”男の金沢”はクライマックスを迎える。それも結構な長い時間のクライマックスだ。 繁華街の片町に向かう途中で期間限定のライトアップされた”兼六園”を訪問。何度見ても桜の花は華々しくて好きだなぁ。ここは決して華美ではなく情緒がある。そして人々も上野公園やどこかの公園で行われる”お花見”という名前の宴会みたいに騒ぐ事も無く、実に穏やかに鑑賞が出来て素晴らしい時間だ。

男の金沢・・・・《前編》

そんなポエトリーな時間を過ごしていたら予約をしていた店の時間が迫ってきている。急がなくては!!ということで信頼のおける雑誌で発見した料亭/竹千代《076-262-3557》に入店。男の金沢は料亭なのだ。リョウテイ!いい響きだよ。カウンターと小上がりで6~8人で満席な御主人一人で切り盛りする繁盛店。これが実に上品な美味しい店だった。主人は料理に、サービスにと動き回る。カウンターのハジっこで、料理を食べながら、その間に文庫本をほぼ一冊読破!いい時間だった。常連らしき金沢のボンボン風一行が帰って、手が空いたと察して御主人と少しの世間話。実直な若く志の高い店主だった。なんとなく御飯ものが出てきたりして、移動の空気となり二軒目に向かう。二軒目は歓楽街にある赤城《076-263-7897》という飲み屋(屋号には山菜季節料理の店とある)。ディープだ。実にディープ!!(この店はケージローの勝手でしょで紹介するので省略)ここでの時間は本当に濃厚だった。無茶苦茶だった。 その後、12時をまわりホテルに帰ろうかと思ったが、なんだかもったいない。男の金沢はよりディープでなくてはいけない。ということで調べておいた、おでんの名店である菊一の暖簾をくぐる。(どれだけ食うの!!)相当に明るい店内だが来ているお客さんは全員”まじめ”という空気だ。まるで市役所の職員食堂を連想させるお客さん。国家公務員御用達!! この店の事も、別の機会で書くとしましょ!  渋渋な金沢の一面を見たのだ。・・・・ということで”男の金沢”第一日目は無事に終了。ホテルの部屋に入ってそのままの姿で寝てしまった。たぶんヨダレでも垂らしながらニタニタして夢でもみながら寝ていたと思う。明日も早い!!

だって・・・クジラに会いたかった!!

だって・・・クジラに会いたかった!! 3月20日(春分の日) 沖縄のホテルでの起床。昨晩はグリーングリーンでハウス・ライブパーティーがあって参加していたので、ついつい相当に飲み過ぎてしまった。グリーングリーンのパーティーは本当に素敵だった。アーティストの首里フジコさんと、そのバンドの方々のサービスぶりには感動した。ほとんどが一般のお客さんで、誰もが波田ケージローの存在を知らない。(その感覚が波田の望んでいた事だ。)  結局、ワインも美味しくて・・・飲み過ぎてしまったのだ。そして綾ちゃんに運ばれるようにホテルに戻ってきた。(正確には気がする・・・・気が付いたらホテルにいたのだ。)  だいたい、起きた瞬間に”ここはどこだっけ!?”と記憶を辿るのが巡業中の毎日だ。そして頭の様子をうかがい、二日酔いが無いと、ホッとして行動にでる。今日も充実のスケジュールなのだ。最初のアポは昼なので、それまでの間は那覇新都心から国際通り界隈を1時間半位、ウオーキング&ジョギングをした。三月とはいえ、沖縄は東京より大分、暖かく、やはり自分にとっては寒い気候より暖かい気候の方が、気分を明らかに良くしてくれるドーパミンが出まくっているのを感じる。(いや、やっぱり北の国のキリッと引き締まる空気も好きだなぁ・・・こうやって北国の読者の事もいつも考えている!)  朝から住宅街やローカルなエリアを散策がてらウロウロしていると様々な発見があって楽しい。そして気分も爽快になるのなら、なお良いではないか!   昼前までに準備をして、今日は新都心の”てぃあんだー”というソバ屋にてランチ。ここの”フーチバーソバ”(よもぎソバ)が最近のマイブームだ。 カウンターの隅に常連用の”マイ箸お預かりコーナー”があるのだが、とても羨ましい! 波田も預けられないか聞いたら”まだダメだ”とのつれない返答! 頑張って自己アピールしていつか箸を預けるぞ!”と新たな人生の目標が浮かび上がった。 13時に那覇マリーナに集合して本日のメインイベントのホエールウオッチングに出かける。今回もセブンテンスイメージ・ダイビングショップの古山氏が仕切ってくれて企画された。昨年の初体験は感動しまくりだったので期待も絶大!  ところが、この数日間、気象状況が安定していなくて、海は不安な状況。ちなみに今日の午前の、その類のツアーは全てキャンセル。 たぶん、普通ならば状況的には、午後も絶対に出ないだろうけど、波田的には絶対にあきらめはつかない! なんとか無理言って、いやメチャクチャな無理を言って出航してもらった。 ヒドい状況ならばいつでも引き返すという条件のもとでのドキドキの出航! チャーター船ならではのワガママで無謀な決断。まわりが堤防で囲まれている湾の中ではわからなかったが、外海に出てみるともの凄いウネリだ。 今回のツアーの参加者は約25人、中には船に弱そうな女子や子供も混ざっている。 『あっ!ヤベっ!』が波田の最初の一言・・・・普通なら最初の10分で何人かは三半規管に異常を感じて訴え出るモノも出てくる時間・・・・・ところが全員、超ハイテンションになって、まったくマイっていないじゃない!! 気分では5m?位のアップダウンが不規則にやってくる感じ!グオーングオーンというジェットコースターだ。相当に大きな船だが二階のデッキにもバッシャンバッシャンと波が叩き付けられて潜水艦みたいな状況だ。しかしそんな状況を、全員が楽しんでいる。波に突っ込んでのジェットコースターも”ヒエーイイィィィィィィ!”とばかりに盛り上がっている。 正直、呆れ返った!!地獄絵図をも覚悟してのツアーなのになんてメンタルが出来まくっているのだ。 湘南から参加の相沢さん御一行なんてレディーにもかかわず、ニコニコして叫んでいる。結果、目的地の慶良間諸島に無事に到着。クジラが遊んでいるポイントは島影になるために風はないので救われた。そして待つ事30分、参加者全員が視力を5、0に上げてジィーーーっと海を観察。クジラがジャンプしたり、潮を吹くなどの様子を目視して、そこをめがけて船を走らせて鑑賞という流れだ。普段はそんなホエールウオッチングツアーの船が多数でていて無線で情報を交換し合ってみんなで鑑賞なのだが、今回は唯一の船なので自力で発見しなくてはならないのがハンディーであるのだ。 そして最初の一頭をダイちゃんが発見した。素晴らしい! その後どんどん現れて、結局は親子で4頭を見る事が出来た。あの雄大な動きは同じ動物として感動するよ。あの巨体がジャンプしたり、潮をふいて親子でランデブーをしている姿を見ると本当に感動する。あぁ哺乳類なんだなぁ・・・そして最後を見届けようとしていたら、船の船尾あたりが、なにか動物的なブクブク音がしてきて少し船が持ち上がったという様な感覚がした。その瞬間、巨大なクジラが船を押し上げる勢いで船尾から左舷に向かって潮を吹き上げながら浮上してきたのだ。全員、ビックリを通り越して放心状態になる興奮状態だった。 みんなの満足げな顔が忘れられない。そして充実の時間を過ごすことができて、慶良間を後にしたのだ。帰航して一時解散して、ミーティングに向かった。今日のミーティングはクジラのエネルギーをみんながもらってか、普段よりずっと高い空気だった。今回、参加の相沢さん御一行は来年にもう一度、ホエールウオッチング&沖縄癒しツアーを計画するという。(グリーングリーンのパーティーもセットでいかがですか!) そんなに気に入ってもらえて良かった!(なんだか沖縄観光協会の人みたいだ。) アフターは、お気に入りの居酒屋”うりずん”で和んだ。そんな時間はひときわ楽しいし、やはり話題は昼間に行ったホエールウオッチングだった。時間を忘れて盛り上がる夕べでした。

食について考えた・・・・・

2008年3月6日  人は様々な物を食べる。今夜は何を食う・・・・和食、洋食、それもイタリアン、フレンチ、地中海、スペイン、アメリカンにファーストフード、中華も四川に広東、北京に上海、焼き肉にジンギスカン、エスニックならばカレーにインド料理、ベトナムにタイ・・・・和食だって多岐にわたる。それも定食屋から寿司、天ぷら、そして居酒屋、料亭・・・・切りが無いほどに幅広い食生活だ。  海外旅行をしていて、いつも思う事・・・・世界中の食べ物が揃う場所なんてせいぜいニューヨークとロサンジェルスにチョボチョボ程度。殆どの、どこの国民も自国の料理しか食べない。例外的に世界中に進出する華僑系中国人が中華料理店をやってはいるが、決して一般的ではない。イタリアはミラノにもやっと最近、寿司屋はあるが何十軒もあるわけではない。世界の日本食ブームなんてごく一部の限られた人々のもので一般的とは言い難い。   なにが言いたいかと言えば、日本人ほど様々な食材を食べている人種はいないという事だ。世界中の食材をかき集めて食べている。グルメブームは日本中を巻き込んで世界中を食べまくっているのだ。これはポジティブに考えれば”食生活”の充実ということであるが、ネガティブに考えれば食料自給率の極端に低い先進国としては問題含みなことなのだ。 実は日本食の素材であってもその多くは海外から頼っている。”フードマイレージ”なる言葉をご存知であろうか。  朝、ジムでランニングをしているときに、ふと見ていたNHKの教育テレビの番組。小学生向けにある問題提議していた。ナレーターが世界地図を広げて、その上に一杯の”天ぷらうどん”をのせて、”この一杯のうどんがどれくらいの距離を旅してきたのか考えてみよう”という。意味が分からなかった。だって”天ぷらうどん”は明らかに日本の食べ物だろう・・・・・・・違っていたのだ。たとえば、うどんは讃岐かと思えば、原料の殆どはアメリカ製の小麦(その移動距離は10000キロ)そして汁の鰹節はアルゼンチン(約18000キロ)、醤油の原料もなんとアメリカで10000キロ、そして天ぷらの海老はインドネシアで4000キロ、衣の卵は初めて日本の千葉県(80キロ)だが、その飼料であるトウモロコシは、やはりアメリカ(10000キロ)だ。天ぷら粉も当然にアメリカ(またまた10000キロ)・・・・・我々が思っていた和食は日本の素材ではないのだ。気が付いたらそんな物まで輸入に頼っている。それは食料自給率の低さとの関係と問題で、とても深刻な事だ。そしてその食品が移動する距離(運搬)によって生まれる二酸化炭素の排出量が問題なのだ。本来、近所、または自国で生産されたモノを食べているだけならば、排出しなくていいエネルギーなのだ。 今回の中国の殺虫剤入りの冷凍餃子・・・・これは明らかに氷山の一角だと言われている。中国の食品管理のズサンさは想像を絶するようだし、我々が想像する以上に中国野菜や食品は名前を変えて日本に入り込んでいる。その残留農薬の量は半端ではないと聞く。時々、新聞に中国製のニンニクに残留農薬が基準の30倍なんて話を聞いた事があるでしょ! だいたい納豆だって、”遺伝子組み換えでない”なんて書かれているけどアメリカ発で中国経由の組み替え大豆が日本に入っているのは承知の事実。有機もの、国産物が1%でも入っていれば国産と表示はあたりまえ。長野県は蕎麦の名産地だが、実際には需要13万トンのうち、長野産はわずか2000トンの1%しかない。こんな事ばかり書いていたらネガティブにならざるを得ないけど事実は事実として捉えなくては・・・・・ 明らかに次世代のために何か考えなくてはいけないね・・・・・マイ箸も確かに手軽に出来る大切な事。なるべくローカルな安全な野菜を食べる(近所の生産者の顔の見える物を食べる事がフードマイレージを減らす事が出来るし、健康的)そして無駄な食材も出さない。聞くところによると日本人の年間に排出する食材の無駄だけで、世界中の飢餓に苦しむ人々を助けられるらしい。また家の電気をもっと無駄無く消す。(日本人の電化製品好きは世界ダントツだ。) 運転も気をつけてエコなドライブをする。過剰包装も避けよう。ゴミが出る食品(コンビニ弁当、ファーストフードも考えたい。) そして公共の交通機関をもっと利用する。                           日本人にはもっともっと、現実的に考えなくてはならない問題が山積みされているのだ。人間一人が何かしたって関係ないなんて思ったらダメだよね。 出来るところから始めよう。波田は日本って本当に素晴らしい国だと思う。みなさんに当たり前に思っていることが、実は世界的にはとても特殊であることが沢山ある。例えば、このくっきりと分かれた日本の四季は世界中の殆どの地域では無い。春になると日本人は桜の開花を心待ちにしてワクワクする。ニュースでも桜の開花を伝えている。桜を愛でる心は、やはり日本人特有のモノなのだ。外人にはなかなか理解出来ないメンタリティーらしい。そして伝統的な食生活、生活様式、地方ごとの風俗習慣・・・・本当に素晴らしい国だ。欧米化も悪くはないが”軸”をしっかり保ちたいものだ。 もう一度言うけど”日本は素晴らしい。そして日本人も素晴らしい。” だから、大切な食生活やそんな食物を作るための土地などの事も含めて、今一度、考えたい。今、出来る事を何かしなくては・・・・・・

イテッッ!!・・・人間ドッグでの痛々しい体験

2008年2月21日  二年以上もドッグに入っていなかったので、別段、 心配事があったわけではないが、ドッグに入った。ちょうどドッグ入りを決め たあたりに、バリバリに元気だった知人がドッグに入ったら食道ガンが見つか って一命を取り留めた、などと聞いて予約をしただけで延命した気分になって 安心した。予約の前日はミーティング前に大戸屋で夕飯を食べて、その後は一 切の飲食は禁止されている。何かをダメと言われるだけで、なんだか不自由な 気がする。そしてドッグの当日は8時半に北里大学の人間ドッグの受付を訪れ た。病院はあまり好きな空気ではないけど、さすがセレブな“港区白金”にあ る病院だけあって陰気臭さは何も無い。受付を済ませてから看護婦さん(最近 は看護婦って言わないそうだねぇ。看護士だよ。保母さんは保育士、スチワー デスは客室乗務員・・・・嫌いな名前だ。新しい呼称はどうも好きになれない 。従軍慰安婦は従軍慰安師なのかなぁ・・・なんて一人くだらない事を考えて いた。)血液検査から尿検査、眼球、聴力、様々な身体検査の流れ作業を受け た。昼飯も食べられないままにメインエベントの胃カメラによる検査・・超痛 いし気分が悪い。ただ画面で見た波田の胃腸の表面はとても奇麗であった。ツ ルツルのピカピカでホルモン屋さんで出てきたら進んで食べたくなる臓物に見 えた。ドッグは3時に終了して、どういうわけだが病室に案内をされたのだ。 (よく説明を読んだら波田のコースは一泊二日でお泊まりをして翌朝に備える というもの。看護婦に聞いたら15時から翌朝まで、なにも検査とかやるべき 事は何も無いという。『どうぞ、ゆっくりしてください!』とか言われたって 普段からゆっくりしているから、なにもそんな慌ててゆっくりする理由なんて ないでしょ! そんなの気が狂うから家に帰りたいと言ったら、何を言い出す のみたいな空気に!聞けば他の患者さんは全員、リゾート気分でここにお泊ま りするらしいのです。確かに部屋は豪勢で、六本木ヒルズから東京タワー、新 宿の高層ビル群が見えて綺麗だけど・・・・僕は帰りますということで“外出 届け”を提出して家に帰った。家の方がゆっくりできます。(看護婦さん曰く 世間の企業戦士諸君は家ではノンビリできないから入院なんだって。意味が分 からない!)   翌朝は7時に病院に入り様々な検査の準備。なんだか大腸を検査するために不味い液体(正式名称を知りません。)も1リッター飲んだりと、辛いったらな い。病気じゃないのに、どんどん弱ってくる。結局、痛い大腸カメラをお尻か ら突っ込まれ(やられたみたいな被害者的な言い方をしているけど申し込んだのは間違いなくボク!!)モウロウとしながらモニターで見た波田の大腸君は 本当に綺麗だった。無事に終わったのが午後の3時・・・・・・空腹の上に正直、疲れたよ!楽しむにも限界があったなぁ。まあ、とりあえず再検査を必要とするようなものは見つからず、問診した先生も、波田の『ストレスなんか全 くない!!あったら社会に申し訳ない!』という発言にビックリしていた。  まぁ、高い安心料だけど、この先を生きていく上で必要な時間だったと思う。 ・・・・肝臓君にも大分、苦労と負担をかけたかと思っていたけど、たいした事もないみたいだし、今後もヨロシクお願いしますって感じだなぁ。 そしてその晩に食べた ビール→白ワイン→生牡蠣 が美しくキレイな胃の壁面にバシャっと落ちてたたき付けられていく状態をイメージするのが可笑しかったなぁ! さあ、ますます暴飲暴食に熱が入るぞ!!

そうだ!!本だぁ!本を出そう!!

2月10日 波田にも夢がある。数ある夢の中で、生涯の間に本の一冊も出したいと言う夢がある。 総理大臣になりたいとかアメリカ人になりたい、鳥のように空を飛びたい・・・なんて夢よりはずっと現実的だと思う。ただ波田が書いた本を誰が読むのか・・・・読者あっての本だからなぁ。確かにホームページのアクセス数は激しく週末には1万を越す。ただし、波田の見解ではホームページ閲覧はタダだからなのであって、お金を払って本を買う人間がこの世にいるのか・・・・あまり自信ないなぁ! そしてだなぁ、波田には・・・小説、随筆、エッセイ、自伝 (笑)、ビジネス書(オレの書いたビジネス書なんて読みたくないでしょ!!)なんて書く自信もまるでない。 何でも人の書いた本を読んで文句を言うのは簡単だけどイザ、書いてみろと言われたって無理な話。 文才がある、ストーリーを描ける人ってスゴイとおもう。 先日も、とても面白い恋愛小説(相当に官能的だった)を書く若い小説家に会って、色々と話が聞けたのだけれど、おそろしく若くて美人だが、どこにそんな奥深い描写の恋愛小説を書く才能が潜んでいるかは、感じ切れなかった。(波田の中のイメージは、どちらかというと恋愛なんて無縁っぽく、その願望から様々な妄想に発展して文章を書けるのかなぁと思っていた。) 先日、進藤由美子さんが言っていたけど、現在は過去最高に”人がモノを書いている時代”なんですって。 正確には書いているではなく打っている(パソコンなり携帯を)時代なんしょう。 なるほどねぇ・・・ブログ人口は1千万人に達し、国民の10人に一人は書いているらしい。考えてみたら、波田だって10人のうちの一人なのだよ!  今回の出版という話はチラホラあったが酒の席での話しで、リーダーシップを取って積極的に行動してくれる人は、登場しなかった。 波田は50歳を前にして、何かの形を残したいと思っていたので、話もタイミング良く “ホームページを本にする!”ということで話は進み始めた。 進行役を務めるエミは山崎拓巳氏のDVDなども手がける映像関係の女性。 今回は拓巳FCAも助言をしてくれて、だんだんとイメージは出来上がってきた。(タクは本当に様々な角度から物事を研究していてスゴイと思う!) 中身的に言うと、”今までのホームページの集大成”(食のページ、日記、モノケージロー、旅行記)をダイジェストして作るのだが、まず過去8年間の作品をプリントアウトしてもらったら、軽い電話帳位あって衝撃!! 知らない間にこんなに書いてあったんだナァ!!量だけはすごい。  ここから選び出すのも簡単ではないかもしれないけれど、楽しい作業だ。 少し過去のモノを読んだら、結構、可笑しく思えたのは自画自賛!? 食のページは、今までに書いた全ての店で楽しく食事が出来た、懐かしさも入っている。 今までに紹介した店舗数は180軒! 今でも友達に美味い店情報を聞かれたら、波田脳内の検索エンジンをフル回転して、そこから紹介をしている。 monoケージローは様々な愛用品(世間的に言えばジャンクなんだろう。)を波田なりの解釈で購入や出会いの経緯を書いてきた。(このページに相当のファンがいる。)元来、モノが好きだが、愛用品を改めて書いてみると、そのモノへの愛情が改めて再認識できる。 日記と旅行記は読んでのお楽しみ・・・・・ということで完成は6月中旬です! 何かステキなアイデアがあったらアドバイスくださいな!こんな編集の仕方をして欲しいとか・・・どんどんと取り入れます。オキラクハウスの改装過程なども入れようか・・・・沖縄のカフェの紹介とか・・・  今日もガンガン食べ続け、笑いまくる日々を送るのは、このホームページの為なのかもしれないなぁ・・・・・・・・   ヨロシク! 本当にヨロシク!!!

アロハァ~~ハワイでしょ!!

2月8日 東京の冬は間違いなく昨年より寒い気がする。 少し痩せたから、年齢的なもの、普段、東京の家が留守がちだから・・・いや違う! 明らかに今年は寒さがキツイ。オレは零下(マイナス)1度と零下10度の差を感じた事が無かった。北海道のニセコで零下15度なんて日も体験したが、外をブラブラしているわけではないし、そんなに体感的な”零下”は感じていなかったのに、今年は厳しい!!  そんな厳しい季節(雪国の方々には申し訳ないが・・・・)に太平洋のど真ん中! 常夏のハワイは本当にステキな島なのだ。エスケープ フロム ジャパン!!  今回は長野県のエメラルドの北野夫妻の結婚式の参加が目的だ。 連休ということもあって飛行機は満席。夜9時過ぎ発のノースウエスト便に搭乗して、離陸した瞬間にリクライニングを倒しきり、次に意識が戻ったのはホノルル到着30分前。キャビンアテンダント(この職業名、あまり馴染めないね!やっぱりスチュワーデスがいいね!)が食べなかった夕飯を朝食として持ってきてくれる。食事が終わったら着陸体制に入って到着! イミグレーションでパスポートのアラビア文字(ブルネイなんだけど・・・)で担当係官が異常反応するのがビックリ!ホノルル空港に着くと独特の甘い香りがする。 アメリカのニオイ、イタリアのニオイ、オキナワのニオイ、韓国のニオイ・・・・ガイジン曰くトウキョウにもニオイがあるらしい。 久しぶりのホノルルの休日は楽しい。するべきことはワイキキでサーフィン! アラモアナで無駄遣い!! ワード界隈でサーフグッズやキッチングッズを買い物。 アラワイ運河からビーチをジョギング。 食べるレストランはアランウオン、マリポサ、ロイズ、ショアバード、ハレクラニのオーキッド、パンダクイジーン、ハレベトナム、ヤブ蕎麦、アランチーノ・・・・・それで充分! (*^_^*) 気が向いたらレンタカーでも借りてドライブしてノースショアのパイプラインなどでサーフィン見学(この季節はハンパないよ!素人さんが見ても感動でしょ!)クアアイナでアボカドバーガー、ジョバンニで海老食べて、パタゴニアで買い物して・・・・・・・ハワイってそんな定番が楽しいのだ。時々、新規開拓もするけれど、このお決まりが脳みそがラクチンで良いのだ!!  かの旅人で有名な井上陽水氏は、世界中散々、旅をして、一番好きな場所はという沢木孝太郎(旅の本、深夜特急の著書)との対談での質問で、それはワイキキと答えていた。ニッポンジンにとって本当に心休まるのがココだと・・・・・沢木氏は相当に驚いていた。でも考えたらそれ、わかります。 ここハワイは外国で、ニッポンなのだ。   今回、嬉しかったのは高校三年生で大学進学が早々に決まった長女が一緒に同行したこと。(案外、お父さんは嫌われていないとわかった!) もうこんな機会はないだろうし・・・・・楽しい思い出になりました。  そして北野夫妻の結婚式はダイヤモンドヘッドを正面に見るステキな場所で行われた。式は陽気な神父さんに、フラダンスにウクレレ演奏・・・・とてもハワイアンでステキだった。 その後のランチも日本から駆けつけた、(いや飛びつけた・・・・m(__)m)仲間に囲まれて、とてもハッピーな時間になった。  そんなハワイでの、心も身体も暖まる時間をすごせて、帰国後の生活も少し暖かく感じられた・・・・ もうすぐ春だ!

ニセコで2度の衝天! イリモモに感謝!

1月15日の札幌のミーティングの翌日に、ニセコに移動してスノーボード合宿に入った。そして三日目の最終日の朝、肉体的には少々の疲れが残っていたし、前の晩の暴飲暴食がたたり、胃腸的にもダルいのだが、朝は7時前に起きて、8時スタートの”アーリーモーニング”という通常営業前の一時的に動く特別リフトに乗るために、リフト前でスタートを順番待ちして待機していた。そのピリピリ感はあまり好きではない緊張だが、並んでいる人全員が、今日を待っていたと言う程のグッドコンディションな朝だった。誰だってパウダースノーの誰も入っていないファースト・トラックをモノにしたいという気持ちが満々にある。そんな瞬間だけの為に準備してきた連中が、このニセコの朝一、言い方を変えれば”北半球で最も幸せなスノーリゾートの年に何度も無い、最高の瞬間”を体験したいのだ。 昨晩は相当な降雪量で昨日に食い尽くされたゲレンデやコース外の林の中などには、綺麗に新雪がかぶり”まっさら”な状態になっている。そして天気は晴天。雪の湿度も申し分ない。 もしも、昨晩から雪が降り続けていたら、視界は悪く、気分も重く、決して、待ちに待った”THE DAY”とは言いがたいのだ。 そんなパーフェクトな日に当たる確立は意外に低く、夜に雪が降らない、天気悪い、吹雪・・・などが常なのだ。 ということで、今回も強運にも二日ともパーフェクトに近いが、今日は格別な朝だ!!  センター4、キング第3、そして第4というリフトを乗り継ぐ事、約30分、中でも最後のキング第4リフトは一人乗りでカバー無しの吹きっさらし、そして森林限界点(標高が高くて樹木は生息しない)を越えているので吹く風はストレートな冷気。マイナス20度位だろうか。 そして・・・・・・トイレに行きたい!! テンションは落ち気味だった。 そんな時はロクな事を考えない・・・・そしてリフトを降りて、今回もガイドをしてくれているイリモトトシヤ(今回から彼を井利元を改めイリモモ君と呼びたい。奴の強靭な太もも筋肉は、どんなコンディションの雪でも、一切の疲労困憊無く滑り降りる事が出来るだけのエネルギーを蓄えている。あんな疲れ知らずな太もも筋・大腿筋が手に入ったら・・・無敵だ。敵はいないけど・・・) ということで通常だと、この場所で下界を見下ろしながら本日のオススメコースを説明してくれて、イリモトが先頭となり滑るというより降りる、いや突っ込むカァ・・・とにかく過激に気持ちがいい場所(当然、ゲレンデではないロープをくぐった正しい少年少女には推奨しがたい林間コース)なのだが、今日は何の説明も無いまま、ボードを脱いで抱えてアンヌプリ山頂を目指して、なにも無い雪道を山頂に向かって歩き出した。(ここで今までも何回か誘われたが、これ以上、体力を使って、ましてや歩いてなんて・・・と断っていた。でも今回は問答無用という事か・・・それほどまでに今日は”THE DAY”なのだ。歩き始めてだんだんと頭の中がトイレでいっぱいになった。こんな障害物が一切無い、真っ白な雪の世界で”立ちション”というわけにはいかないし・・・・絵的に問題だ! 呼吸も結構辛いぞ! 波田は数年前にアフリカの最高峰キリマンジャロ(5000メートル)を制覇したが、その時を思い出す辛い記憶がよみがえる。途中何回か休んで深呼吸・・・後ろを見ると、まだこんな距離しか歩いてないのかとメゲる。辛い、苦しい、淋しい、トイレ行きたい、もらしたらカッコ悪い・・・とにかくネガティブ。しまいにはイリモモ君に文句を言う・・・・しかし何とか頂上に到着した。同行のヒロムとダイも疲れているのを見て安心! 避難小屋があったので、世の中には申し訳ないが、そして社会通念的にも問題があるのもわかるが・・・用事を済ませた。本当に気持ちがよくて『あぁぁぁぁぁぁ~~~っ!!』と叫んでしまった。あれ以上のション経験は無い。それは人生上、最高のションとなった。そしてその快感とともに、波田は復活した!! 『行くゼィ!!』  四人は準備に入り、コースを検討、そのままイッキに北半球1番のアンヌプリの頂上から、40分歩いて登ったところを、わずか30秒たらずで至福の滑走をした。その新雪の深さは70~80センチ。足に引っ掛かるモノがなにもない、まさに”浮遊状態” 頭の中から脳内モルヒネ(アドレナリン)がドロッドロッと湧き出るのがわかった。(薬事法ゴメンなさい!) 意識も無く衝天の声が全員から出ていた、いつもの見慣れた場所までの、推定30秒は、最高の時間だった。その場所で全員が奇声をあげ、ハイタッチ!! 波田は目に興奮の涙が出ていた。 その瞬間、思った。 ついてきて良かった! そして一人じゃこんなに感動出来ない。感動を共有できる仲間って最高じゃないの!! 今日はまさに”THE DAY”だった。 その日の午後はソバを食べながら、温泉に入りながら、車に乗りながら、飛行機で外を見ながら、次の目的地、仙台でマーケをしながら・・・・その瞬間を思い出してニンマリニンマリ・・・・スノボー+パーフェクトデイそして仲間 これ以上は無い冬の一日だった。 雪に、天気に、ニセコに、イリモモに、ヒロムに、ヨシキダイに感謝です。 また行く!!!必ず!! ”THE DAY” イリモモ君はイタリアを車で目的地未定旅行をした時も、ナビ(機械)無しなのにイタリア地図を頭に叩き込んで、いつも道を案内してくれた。その時の別名は”ナビモト”君だった。 様々な動物的才能の持ち主だ。