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石井俊八&千賀ニューエグゼクティブ・ダイヤの脳内解剖。

9月23日(日)人生には様々なセレブレート(記念日)な日がある。誕生日、入学式、卒業式、入社式、結婚式・・・・それらと同等にオメデタイ日にちがディストリビューターにとっての”達成”の日なのだ。AМビジネス的には8月31日で締め切られ、9月18日で正式認定となるので気分的には9月23日の達成ラリーは色々な意味で節目となる日にちであろう。さて今日は、待ちに待った石井俊八&千賀ニューエグゼクティブダイヤの達成ラリーが有楽町読売ホールで行われる。日ごろ自分達でラリーを開催する会場なのだが、なぜか今日は空気が少し違うのだ。この空気は”祝福””達成感”であろうか。 さて波田と石井俊八&千賀との出会いは約17年前だ。二人は波田からみると飯島ダイヤ(学校の先輩)→大熊ダイヤ(飯島氏の日本旅行の後輩)→中嶋裕エメラルド(日本旅行の同僚)→石井俊八&千賀(中嶋裕氏の実の姉が石井千賀)という系列になる。サインした当時から印象深い二人であった。サインに至るまでのエピソードは数々聞いているが、やはり中嶋E(通称ナカジー)の情熱が二人の好奇心に火をつけたのは間違いない。義理の母さん(ナカジーの母親)からAМを裕氏に辞めさせるように依頼された俊八氏。(戸籍的にはトシヤであるが、波田はトシハチと呼ぶ!)当時は某一部上場ゼネコンでエリートコースまっしぐら。過労で胃腸に穴をあけながら何回も入退院を繰り返す、まさに”会社人間”。 彼はその総力を振り絞りAМの秘密を暴露すべく調べつくした。最近のアホで低脳な人間と違ってネットでの調査とはワケが違う! 様々な文献を読破して、会社に乗り込み自分の目で調べ上げた結果・・・・自分もサインして活動開始という、いわば”ミイラ取りがミイラになる”という結果となった。その後のサクセスストーリー(これは肝心な部分であるが割愛します。)は当然に紆余曲折とまでは言わないが楽しいばかりではないが、きっと様々な事柄を楽しんだ事であろう。わかってしまった二人は自分達のサクセス、そして彼らのグループの一人一人のサクセスにベクトルが向いていた。そして俊八は様々な経験から様々なクチグセが生まれた。”ツイテル”はその代表的ボキャブラリーだ。一日に何回、何十回、いや何百回とその言葉を連呼する。グループへの電話は”もしもし”ではない。リーン、リーン、ガチャ~”ついてる~”だ!! そして完全にツキを見方にして、まさに宗教的といわれても仕方が無い位に”ツイテル”を連呼。今日も新しいラッキーを取り込みながら、新しい目標に向かっている。様々な人間の変化を沢山見てきたが、あの鬼の様な目をした会社人間・トシハチは、まさに時間と経済力の完全な自由を手に入れて、正に”自由人”となって今日も”謎のオヤジ”となり周りをハッピーにしているのだ。 ”ツイテル”に根拠なんてありゃしない。でも間違いなく言葉は”言霊”で”引き寄せ”なのだ。 彼らには、スバラしいサクセスストーリーを見せてもらいました。その集大成のラリーは素晴らしかった。ゲストで来てくれた渡辺正人氏のスピーチも完璧だった。世の中の仕事のサクセスとこのビジネスの成功と、大きく違うのは、ただの経済的成功だけではない共に成功を分かち合える仲間がいることだ。ラリーの最後の俊八のコダワリには感動した。(DVD見てください!)そしてフィナーレーの9系列の仲間と手をつないでバンザイをしている姿の石井俊八&千賀ニューエグゼクティブダイヤの姿を心から誇りに思えた。 ありがとう!!いいもの見せてもらいました。どんな映画より見応えのある素晴らしいライブのサクセスストーリーでした。そしてこのストーリーにはまだまだ、続編があるのです!コレはたんに序説にすぎないのです。 GО!ダブル・ダイヤモンド!!~

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久々のニーツさん。ニーツさんは新津さん!

2007年7月31日、久々にニーツさんに会った。ニーツさんは新津さんで新津章(ニイツアキラ)さんだ。ニーツさんは波田のフロントでダイヤモンド。22年前にAМをスタートして一週間目、ボクが三人目にスポンサーしたのが新津さんだ。(ニーツさんスポンサーリングは至上命令であった。当時は我々には信用なんてものは皆無であった。そんな自分に絶対に必要なモノが信頼を勝ち得るという事!スポンサーする友人に”新津さんも始めたんだぞォ!”と言うと全員が”じゃぁ間違いないナァ!”と納得してくれてサイン。そこまで新津さんの信用は絶大だった。) 関係を簡単に言えば、元の会社の上司。新津さんと初めて出会ったのは、波田が18歳の時に、押しかけバイト(バイトとはいえ2年間は無給だった・・・)のフラットフォーという、まだ産声を上げたばかりの三人しかいない会社だった。夢イッパイの会社と社長は本当に魅力的だった。最初の”志”が高い分、いまでは業界では屈指の大サクセス・カンパニーに成長している。新津さんは当時は弁護士を目指す法律学科の大学院の学生だった。超×100位におしゃれで、そのコダワリ感は今でも鮮明に記憶があるほどに衝撃的なカッコ良さだった。(当時、深夜にアメリカのドラマで”若い弁護士達”という番組があって、お洒落な若き弁護士が問題をどんどん解決していく、という正義感あふれるインテリな若者・弁護士が主人公のドラマがあったが、相当にその主人公とラップしていた。)そのニーツさんとの出会いがキッカケで波田も”ファッション魂”に火が付いたといっても間違いがない。初めて見たときは、フランス製のソレックス(黒い自転車に原動機という小型エンジンが付いた乗り物でモペットという当時、パリジェンヌが愛している乗り物。日本ではまず見ることは出来ないシロモノ。)に乗り、当時ではまだまだ珍しいハンティングワールドのバックを斜めにかけて、(ルイビトンのモノグラムも初めて見たのはニーツさんのモノだった。)セーターは上質なイギリスのプリングル、パンツは誰も履いていないリーバイスのコーデュロイ、靴は見たことも無いクラークス、タバコはフランスのジターン。(名優アランドロンも愛したジターンがニーツさんの大人の香りだった。) 車はフォルクスワーゲンのバリアント、50年代の真っ黒いビートルにも乗っていたナァ。とにかくお洒落の極地だった。あんな選択眼はどうやって養ったのであろうか・・・・当時はまだ、ファッション情報誌ポパイもブルータスも無い時代。せいぜいメンズクラブ位だったからなぁ・・・そんな、とにかく時代の先端だったニーツさんとは、かれこれ30年の付き合いになる。   お互いのAМのビジネスが順調になるにつれて、だんだんと会う機会も減り、いまや意識して待ち合わせをしないと会えない位に忙しくなってしまった。ということで一ヶ月前に調整して、やっとお互いのスケジュールがあったのが7月31日だった。東急東横線の学芸大学駅で待ち合わせをしてニーツさんの知っている寿司屋を訪ねた。(これまたいい店だった。)ニーツ氏は超グルメで波田が知っている店、発見した店なんてとうの昔から、ことごとく全て知っているのだ。その情報量は本当にスゴイ。(自動車の情報量もスゴイ!自転車もスゴイ!何でも本当に良く知っている。)そんな久々の酒宴は昔話チョット、趣味の話が殆んど、AМ話もチョコっととで楽しい時間だった。年の頃、55歳だというのに、そんな空気は微塵もない。一昔前なら定年の年なのに、こんな健康体を放っておいたら危険だ。(最近は毎日、ロードレーサーでツーリングしているらしく筋肉ブリブリ!)そしてルックスが若い以上に脳が超若いし、発想なんて子供だった。・・・・・昔からの友達(いや、先輩です。失礼!)が幸せなのは、自分にとっても幸せだ。少なくとも、このビジネスがニーツさんの思考も、様々な選択も若くしているのは事実だろう。長い目で見て・・・・ビジネスの成功ってナンだぁ!?!と考えたとき、自分らしい素敵なライフスタイルを送り続けるニーツさんは充分な成功者なのだと思った。ダイヤモンドなんてもったいない程の実力なのに・・・・

悲願の17店舗ハシゴ・・・・新潟の堀正樹に学ぼう!

2007年7月11日 新潟の堀正樹はダブルダイヤにして二児の父、ウェイクボードの世界ランキングをもつ腕前にしてサーフィンに熱狂中。日本中、そして世界中をサーフトリップして回っている。その上、新潟市内で17店舗の店を経営しているというのだから感心する。今回はその17店舗を全て案内してもらおうというのが、その趣旨。店がどんな店なのか、どんな状態なのか、どんな料理で雰囲気で店員さんがいて・・・・是非見てみたいと前から思っていたのだが、なかなか機会が得られなかったが、ついに実現の時となったのだ。夕方に波田は新幹線で新潟に入り、同行の井利元Wは札幌から空路、駆けつけた。折角なのでミーティングが企画されていて、19時からお仕事なので早々に戦略会議が開かれる。と言うのはミーティングをしたら終了は21時、それから17店舗周りと考えると、実質4時間で17店舗ということは240分÷17=14,11分/1店舗当たり・・・・という計算だ。食事どころかドリンクを注文して出てきた頃には次の店へ・・・・なんて状況も考えられる。ということでミーティング前に行かれる数軒の店に開店同時に乱入作戦で、イタリヤ料理店の大箱の”ラルゴ”を視察。ここは日本海側一番の音響施設を備えている。(しかし日本海一という比較級があるんだなぁ)そしてベトナム料理の店”ハノイ”(この店だってスゴくて、堀と一緒にベトナムのハノイを旅行して、帰ってきて一ヵ月後にはその店が出来ていた!しかし旅先で出店計画なんて、一切そんな話は出ていなかったのになぁ・・・)にてフォーと生春巻を食べて、早々に移動して、ナナメ迎えの焼き鳥屋へ出かけて注文したのは、名物の鳥つくねとウーロン茶(ミーティング前には流石に飲めないからネェ・・ちょっと辛かった。>^_^<)・・・その後ミーティングに挑んだ。持ち時間の二時間半は全て井利元と波田が担当!ハロートークも無い。ビールを美味しくするためにも120%の全快状態で飛ばした。なにせ会場は恐らく定員の220%は入っていたよ!消防法をナメてるか、会場の担当者を手なずけた意外には考えられない。ミーティング終了後はイッキに堀号で市内に戻り、戦いは始まった。申し訳ないが、それぞれの店名はハッキリと記憶していないので悪しからず。最初は和ダイニングの店。奥の個室が落ち着いてイイカンジ。何故か同行した姫路の重田洋子さんと宮崎五子も落ち着いたソファーでくつろいでいる。しかし落ち着きすぎて時間がドンドン過ぎている。堀は、聞くと、はなから全店制覇は無理と決め込んでいるではないかぁ。そこで奴の間違った考えを一撃して、キッチリ正して波田の覚悟と意思を確認してもらった。その後、その一階の居酒屋、近所のアジアンダイニング、洋風居酒屋、ダーツバー、不思議なバー~~~~~~をどんどん店から店を回った。それぞれに個性があり、作った経緯(いきさつ)を聞きながら飲むのは楽しい。店の数店は一年以上ぶりの社長の訪問にビックリしている。最後の焼酎専門バーでは、本当に全員ともぐったりと疲れたが楽しい時間だった事を一軒ずつ思い出して確認しあった。今回、堀の言葉で印象的だったのは”人ありき”ということ。店をやりたい人がいて、その人の責任で店を作り運営も決済も任せているのだ。(回った店の中の一軒で”足長おじさん”という店があったが、まさにその人が堀なのだ。)何かをやりたい人間にも最高のチャンスを提供して、当然に利益も分かち合える関係をもてる人間関係を作れている・・・・これって素晴らしいことじゃない! これが堀の幸せの”源”の考え方なんだナァ・・・・・学びました。有難うございました。また今回、運転手をしてくれて段取り良く回る手配をしてくれた富樫エメにも感謝です。   あぁ~~~オレも堀様になりたいなぁ。

少し大きなお買い物・・・・迷いは無し!

6月25日 お買い物をした。少し大きい買い物だ。夢リストを確認したら、そんなサイズの夢は書かれていなかった。でも正直、時々だが考える事はあった。何となくねぇ・・・ ボクは十数年、ほぼ毎月、沖縄に通っている。最初はダイビングがてらAМのグループ・ フォローというのが大義名分であったが、そのうちにフロントが出来て、グループが出来だして独立、また別にもグループが出来て、また独立、そして新たなグループが出来て・・・ダイビング熱は一時的に冷めてしまったが、沖縄熱は冷めるどころか、どんどん増していき、どんどん好きになっていっている。離島(石垣島、宮古島、与那国島、西表島、竹富島、小浜島、慶良間諸島、・・・)も随分、行ったが本島が好きだ。それは自然と都会(程よいサイズの街)そしてアメリカ文化が根強く残っているところであろうか。ここの中心は米軍基地。基地の周りにはアメリカから持ち込まれた文化が色濃く残っている。食べ物、家具や家、文化にまで浸透している。

少し大きなお買い物・・・・迷いは無し!

沖縄には一泊1日で通う事も多いが、(昼過ぎの便で那覇に着いてミーティングをして居酒屋で飲んでホテルで倒れて、翌朝8時台の便で東京に戻る・・) 近年は滞在時間がだんだん長くなってきていた。それでも二泊二日程度かなぁ・・・・なのに毎月、来ないと何故かリズムが狂うような気持ちにさえなってくるのだ。そんな沖縄には天気や土地からくる魅力もあるが、人間の魅力は大きい。素晴らしい出会いが出来たといえば、全てだが、出会う人、出会う人が本当に素晴らしい。ノンビリしすぎている人も多いが、それもオッケー。  だいたい沖縄の人は本当に沖縄が好きで、東京に働きに出てもスグに帰ってきちゃうし、何かに付け沖縄は素晴らしいって話をしている。・・・・・まぁボクも同じ部類だよなぁ。  ボクにとって沖縄での魅力的な”家”は二種類で、昔からある”琉球住宅”(赤瓦で木造、軒が長くて日差しをさえぎる、畳の広間が続く伝統的な住宅)良く沖縄の映画といえば出てくるタイプだ。 または”米軍住宅”と言われるアメリカ軍のベース(基地)の中にあるアメリカ人に住みやすい”小さなアメリカ的”平屋の住宅なのだが、これは本島にしかない。そして当然に日本人にも住みやすい家。(これは個人の趣向によるなぁ。) 時々市内に数十件の集落の様に米軍住宅が建ち並ぶ地域がある。 いずれにしろボクの好きなそんな住宅は減少傾向で、だんだん貴重な存在になることは必須だ。 古いものに強く惹かれる、ボクの趣味は、いつか住んでみたいなぁ・・・的な希望的観測はあったが、そんなに現実的ではなかった。ただ東京の価格と較べるとワンルームマンション程度で買えるのは事実。ならばオフィスとか使い方はあるかナァ・・・あの頃に手に入れていれば・・・・なんていうのも淋しいので、何となく酒の席で岩渕テッちゃんに、何かあったら情報をちょうだいねとは言っておいた。(テッちゃんはこの手のお願い事には誠心誠意答えてくれる。) そしてそんなお願い事も何ヶ月もたって忘れ始めた頃にテッちゃんからのメールが届いた。『こんな物件がありますよ!ケージローさん見てみたら・・・・』 正直、見るのが怖いナァ~的な思考が脳を走ったが、即クリックしたのだ。(それが丁度、下田工事が終盤戦でだいたいの完成図がわかった日の夜だった・・) そこには、かつて見たことも無い位の素晴らしい物件があった。 家自体もパーフェクトであったが庭が凄かった。庭の充実した家というのは沖縄では希少なのだ。(どういうわけだか人々は庭に過度なエネルギーを注がない。緑は山に行けば沢山あると考えているからであろうか・・・沖縄だけではないが・・)その庭には樹齢100年級のホウオウボクやシークアーサー、またマンゴーなどが自生しているのだ。アレカヤシなど見事で植物園状態だ。

少し大きなお買い物・・・・迷いは無し!

また道路から一段下がり、家が建って、もう一段下がって庭がある。遠方には太平洋も望めるのだ。おそらく米軍の将校クラスが庭を愛しながら長く住んでいたのだろう。 ということで後日、沖縄に行く日に内見のアポを取った。そして、約10日後に現地を初めて見たのだ。・・・・・・・・・正直、衝撃だったなぁ。現物は写真などよりズッとかっこ良かった。沖縄の家に本物の石積みの暖炉なんてお洒落すぎる。 当然、欲しくなったが、なにせ家を買い集める趣味など、まるでないし、時々住むにはデカすぎる。オフィスにするには大きすぎる・・・・何に燃えたかと言えば、この場所でカフェを開いたら、相当に地元民に喜ばれる素敵な場所になると思ったのだ。・・・・しかし良く話を聞けば、すでに手付金を入れている先約があるという。でも、そんなのは全然、大丈夫だと察知した。絶対に”引き寄せ”られるに決まっている。(波田の不動産引き寄せパワーは凄いんです!!)・・・・・そして一週間後に不動産屋さんから連絡があり、手に入ったのだ。 また引き寄せてしまったナァ~~そんな安易なカフェ構想がスタートしてしまった。しかしやるからには中途半端はしない。今はそんなテキトーな事を言っているが、やるときにはやりたい。自分の理想をジックリと考えよう。やはり潜在的には何かをやってみたいと言う考えはあったんだよなぁ。   だから実現しつつあるのだ。そして考えた事がなかった夢を手に入れるのだ。
沖縄方面の大工さん、水道屋さん、植木屋さん、食材屋さん、カフェの店員希望の方、なにか素敵なアイデアのある方、メール下さい。

久々の”奴隷マスターズ”の顔見世。

2007年6月4日 久しぶりにハイスピードで下田の工事をしている。5月の連休に始めた下田第15期工事(本当かよ!)は裏のテニスコートを破壊、そして普通の土地にしてから庭として機能するようにしなくてはならない。プール案、熱帯植物園案、温室案、バー案、カフェ案、トレーラーハウス案、パオ(モンゴルの丸いドーム型据え置きテント)、丸太小屋でビレッジをレンタル・・・・・様々な案が出たが考えているうちに迷い迷い迷いまくり・・・・飽きて次のアイデアに移り・・・・・デザインも散々考えているが今だ、結論には至っていない。(ゲストハウスは必須なので場所はあけてある。) ということで、大体のグランドデザインは出来たので見切り発車!

久々の"奴隷マスターズ"の顔見世。

一気に夏前になんとか出来るまでやろうというのが今回の工事なのだ。まずはガレージを作る。その線引き、塀を作るので基礎を掘る工事。こんな時に怪力・福井チームは本当に100万人力だ。塀だって何もこだわらないアミのフェンスにすれば、まったく問題は無いだろうに、しかしやはりカッコいいのは”木”だろう。メンテも手間も費用も全部大変なのに・・・・・・今回の工事で裏庭から母屋をグルリと塀で囲うことにしたので、その調達した木の量だってハンパじゃない。またそれを一枚一枚丁寧に防腐剤がはいった材料で二度、三度とペイント、ソレが出来たら植栽にかかる。

久々の"奴隷マスターズ"の顔見世。

ドラセナインディーサを13本、巨大ソテツを3本、細かい木々を大和田健(大和田剛の弟で庭師)と相談して東京の市場で購入・・・膨大な量を植え込んでもらった。そして芝生も入れられて完成の粋に!!  今回の工事には、久しぶりの菊池優D(オキラクハウスでは奴隷マスターという最高ピンレベル)が来てくれて、一緒に穴掘りをした。ヤツは本当の創設期(5年前のまだ廃墟だった頃。いや、初めてオキラクハウスを発見したときも一緒だったから真の生き字引だ。)を一緒に手伝ってくれた、いわば恩人だ。久々のオキラクハウスで日々遂げている発展を見て喜んでくれた。オキラクハウスには最初からの工事が写真で記録として残っているが、そのヘビーな工事の写真にはだいたい菊池、岩渕あたりが写っている。福井チームも劇的な変化を作業してくれた”恩人”で今回もサーフ&ロードウのハードスケジュールを楽しんでいた。夜の”宴”はどうしても昔話でも盛り上がった。

久々の"奴隷マスターズ"の顔見世。

世の中には様々なハッピーな姿があるのだろうが、オレはこんな瞬間に幸せを感じる。素晴らしい仲間がいるということは、実は最高の財産なのだと思う。《オキラクハウス》の完成までの道のりは確実に進んでいる。沢山の人々に愛され、沢山の人が集うここ《オキラクハウス》、いつも楽しいオーラに包まれている。・・・・・・・・今年も沢山のお客さんがやってきます。うっふっふ~~~楽しい。

久々に欲しい・・・・・モノ。

4月26日(木) 最近、とても欲しいモノがある。それは自転車だ。ママチャリとは一緒にして欲しくない・・・ロードレーサーが欲しい。少年時代(記憶だと小学校4年生から中学校2年生位。)が頭の中はクルマと自転車でいっぱいだった。クルマは流石に乗れるようになるまで、6~7年あったので現実的ではなかったが、国産車から外車のカタログを1500冊位、集めて常日頃から研究をしていた。現代社会でいうところの”オタク”である。そしていつも空想の世界でドライブを楽しんでいた。自分の中で欲しくなって乗り回して、だんだん飽きて、また乗り換えてドライブしてみたいなことを繰り返していたなぁ。その頃に乗りたかったクルマを今、順々に乗っている。なにせ当時(70年代から80年代)は各国のクルマの個性が著しく違っていて楽しい時代だった。性能的には現代のクルマが格段に良いのだが愛着が湧くのは当時の車だろう。ドイツ、イギリス、フランス、アメリカと国によって会社によって主張がハッキリしていた。・・・・・・クルマ論議はさておいて、当時(時代的には熱狂クルマ少年の前の時代であるが・・・)自転車が大好きであった。

久々に欲しい・・・・・モノ。

当時はサイクルスポーツなどといいうマニア向け雑誌を穴が開くほど読みふけっていた。自転車での日本一周旅行記なんて本を読むと妄想で頭が膨れ上がり寝られなくなった。そして、ここでも空想の世界・・・当時はランドナーという長距離の旅行用の自転車に憧れ、イタリア製の自転車なんて夢の又、夢だった。鉄人メルクスが活躍したツールド・フランス(フランスの国を挙げての自転車レース。スゴイよ!)なんて憧れだったし、当時から登場していたイタリア・ブランドの”コルナゴ”や”デローザ”なんてヨダレもの!! 崇高さはフェラーリ以上に感じたナァ。ただ一言で自転車といっても、もうここらへんは、性能もさることながら工芸品的に美しい”仕事”が細部に施されていた。しかし当時、乗れた自転車は国産ブリジストン社のスポーツ自転車。それをイタリアンバイクな気分で日曜日には60キロ位のサイクリングに出かけていた。話は長くなったが、最近、周りの大人の友達が自転車(ロードレーサー)に燃えている友人が多いのだ。そして様々な話を聞いているうちにフツフツと興味が湧いてきてインターネットで様々な情報を見ているうちに、当時の欲望が爆発したのだ。友達から紹介されて自転車屋も覗いてみて”ヤル気”も満々になってきた。細かい好みの話はしないが”クラシカル&快適”を追求して注文をしてみようとおもう。イタリアでは週末には草レースが沢山行われていて素人(ズブじゃマズいだろうけど・・・)も参加可能だし、ハワイでも、沖縄でも参加できるレースはあるみたいだし・・・・・・・・そんな少年時代の夢を実現するのも楽しい事だ。 後日、ものすごい一台を入手に成功!!!目の留まったのは、やはり80年代でした。アンティーク界の大御所T氏(20代にロンドンでお世話になった。)は自転車のコレクターで一台分けてもらえたのだ。それも名車”トマジーニ”当時はコルナゴ、デローザより高級ブランドだった。  ウッフッフ~~嬉しい。やはりモノ(道具)は大切だ。一流の道具で練習するぜぃ!!!

イトウシンペイの幸福な一日

4月7日(土)朝から”お手伝いさん”の敏ちゃんが来て掃除、洗濯をしてくれたりと、本当に助かる。単身赴任生活のボクの家に敏ちゃんは月に四回程度来てくれるのだが、敏ちゃんがいなかったらオレの生活は全く成り立たない。人間にはどうして得意、不得意があるのか、料理は好きだが後片付けは苦手、洗濯は出来るが、干すのと取り込みがキライ、庭の手入れは好きだが、草刈りは好きじゃない・・・・自分の苦手な事は気持ちも入らないから、結果、なかなかいい仕事は出来ない。苦手な事を仕事としてお願い出来るのだから、ストレスを溜めない為にも、お願いできる事はお願いしよう。正しい社会は分業なのだ。午後からは石井俊八ダイヤと行う毎月表彰ミーティングの”イッピデゴォー”(毎月1日からバッチリと盛り上がろう!!)が行われ、先月、達成した人々を祝福した。今回はサファイア、エメラルドのカウントに突入した咲間ルビーや加藤ルビーのグループのおかげで、本当に盛り上がった。大島知己君は、マーケティングを聞いて理解できて、脳に衝撃が走り大学を中退して親には念書を書いて許しを請うてスタート!見事に三ヶ月でSPを達成した根性野郎だ。彼のスピーチは本当に素晴らしかった。なにより石井俊八&千賀は前期にファウンダーズダイヤを達成して、そのままの勢いでエグカウントに突入している。まさにノリノリな二人なのだ。この二人のお陰でどれだけ良い空気になっているかは計り知れない。存在がポジティブ・シンキングの空気清浄機そのものだ。とにかく素晴らしい経済効果。・・・・・・終了後は藤田の運転で浅草に向かった。今晩はイトウシンペイのサプライズパーティーが行われる。その会場は、なんと日本一古いというか由緒ある遊園地の”浅草・花やしき”だ。恐怖のジェットコースターで有名だ。それは富士急ハイランドみたいな高度なソレと違って、ジェットコースター本体が”木製”というシロモノ。揺れる恐怖は別物だ。今日は18時の閉園後を貸しきってた。(だいたい貸し切れるなんて初めて聞いた!) 高木ナオグループはもの凄い団結力で、このパーティーを盛り上げ成功するために準備していた。今日の参加者は480人と聞く。どうしてそんな大人数が連絡しあって準備していてもシンペイは気が付かないのかというと、シンペイは携帯電話は持ってはいるがメールなど出来ないのだ。そしてファックスも見ない。ハイテク生活は無縁・・・・だから人々の口封じさえしておけば、シンペイに気付かれる術は無いと言う事だ。シンペイにはゲストでミーティングとして依頼している人がいて、それの誘いで”花やしき”に入ってきて、そのままサプライズパーティーへと流れた。本人は全くナンの事だかわからない様子で”唖然”としていた。だんだん事の成り行きに驚き、珍しく男泣きをして感激を表していた。そしてその日、シンペイがもらったプレゼントはハーレーダビットソン(オモチャでなくて本物。)会場は本当にハッピーな空気で充満していた。渋谷センター街をウロウロしているような青少年も嬉しそうに見守っていた。(本当にシンペイのファン層は幅が広いのだ。)

イトウシンペイの幸福な一日

二次会は近所の由緒ある居酒屋だった。そこの女将は浅草の有名人で天才・北野タケシのメンター。なんと映画・座頭一を撮るように勧めたのも女将の助言と聞く。しかし精々100人位の定員の店に推定280人!!そして先程まで季節はずれの夕立で豪雨が降った後にも関わらず外の道にもテーブル&椅子が100人分位、用意されていて外は外で盛り上がっていた。今夜は昔懐かしい顔も沢山見ることが出来た。皆、それぞれ元気そうだった。皆、少しだけ年をとっていた。皆、少しずつ笑いシワが増えていた。みんなAМでそれぞれの幸せを掴んでいるんだナァ・・・・・安い焼酎だけど、今夜はとっても美味しかった。

ある沖縄での一日。

3月24日(土)沖縄での朝は気分が爽快だ。今日は天気は少々どんよりしているが、それでも少し湿った南国の風がたまらない。一時間のウオーキング&ジョギングで那覇の市街を回って発汗した。昨晩は照屋エグゼクティブ・ダイヤのオフィスを借りてミーティングを開催し、その後、近所のカフェでアフターをした。なかなか素敵なカフェで、二階には20人が座れる大テーブルがあり、そこはハッピーな空気が漂う楽しい少し遅めのディナータイムになった。今日ののミーティングの最後に岩渕Dのサプライズ・バースデーケーキが登場して皆に祝ってもらったのだが、その延長でアフターは岩渕テッちゃんバースデー&新婚の幸せオーラが出まくっていた。そんな楽しく素敵な夜は・・・・・飲み過ぎるのだ。そしてこの朝を迎えている。昨晩の最後は記憶にあるような、無いような・・・・まぁ発汗で全てはチャラとなった。祝嶺さん(波田のフロントDD)が迎えに来てくれて、大平綾ちゃんとお友達と”しむじょう”(首里末吉町)という最近出来た、熱帯植物が林立する中の琉球家屋をリノベートして作った沖縄ソバ屋で食事をした。ソーキソバもジューシー(沖縄炊き込みご飯)も中々美味しく幸せなランチタイムになった。さてその後、今日のメイン・イベントの”ホエールウオッチング”に出かけた。2月、3月には回遊してきたクジラが子育てをする為に、慶良間諸島界隈で生活するのだ。それを見学するツアーが様々な会社が出しているのだが、古山利行&あつ子さんが切り盛りするダイビングショップ(セブンテンスイメージ)でチャーターを出してくれて17人の仲間と参加することになった。意外にも沖縄人はこんなツアーには参加したことが無くてビックリ!そして13時の那覇マリーナという港での集合時間に急いでいったら、波田と同行した4人意外は誰もいなかった。・・・・そう、ここは沖縄なのだ。時間通りに来るほうが不思議って世界。結局13時20分過ぎに全員集まった。”遅れてゴメンね”も無ければ、待っていた船も”コラァー遅れんじゃないよ!”の空気も何も無い。沖縄人はドォーンとしてるのだ。そして出航!!一路、慶良間に向かったが船は多少のウネリの影響で揺れて数人は多分、一生、船なんかに乗らないと決断したに違いない。30分で慶良間諸島まで到着して、すでに船長が他の船と連絡を取り合ってクジラが出没するポイントをチエックしたらしく、到着したらイキナリ、クジラの親子が思いっきり近くに出没して参加していた全員が狂喜乱舞の錯乱状態となった!なんでこんなに大きな生き物がいるの!!なんでジャンプするの!!長~~~~い!!デカァ~~~い!!かつて遠めに見たことはあったが目前10メートルは衝撃だった。その後、そんなに目前に現れることは無かったが、充分に優美な姿を見せてくれたのだ。参加者全員大満足なツアーになった。アッちゃんの説明も素晴らしく楽しい時間を過ごせた。夕方、那覇に帰港して解散。その後はナンと、大平グループの月一恒例のバトミントン大会が開催されていて、断ることも出来ずに参加した。何故、テニスでなくてバトミントン・・・・と思い参加してみたら、これが実に楽しいのだ。元々殆んどの参加メンバーがシロウトだったらしいが、みんな楽しみながら練習しているらしい。”バトミントンをナメたらアカン!!”参加者20人がジャンケンでペアを組んで試合をしたものの、波田は3試合(6ゲーム)して一勝も出来なかった。そうとうなエネルギー消費をしたなぁ。終了後のアフターが近所の居酒屋で行われたが、本当に美味しいビールだった。大平達は様々な工夫をして人と人が出会ったり、仲良くなる為の工夫をしている。その結果、大平のグループは本当に暖かいし結束力がある。そんなリーダーの大平夫妻を誇りに思う。

2月28日 キープインタッチ!友達は大切だよ! 《後編》

偶然に見かけたマイク(マイクはニックネーム、浅川ミチヒコが名前)だが、携帯で確認が取れて、やはりマイク本人であった。そしてマイクの野暮用の後で、そこから程近いボクの家に寄る事になった。爆音を立ててヒーレーに乗ったマイクがやってきたのは30分後。本当に変わらない。初めて会ったのはボクが高校生で時間給バイトには興味が無く、夏休みは原宿の路上で当時、流行りまくっていたプカシェル(ハワイで大ブームだった白い天然の貝をヒモで通して首飾りにしたもの。当時の主流ディスコのメビウス、ビブロスに行ったら全員している位に流行った。なかなか入手困難。)販売を友達と路上でやっていた。(違法か合法かはわからないが・・・)そう!布をひいて、その上に陳列して売るわけ。これが相当に売れて当時は豊かな高校生夏休みだった。その頃、原宿でブイブイ言わせて遊んでいたのがマイクだった。当時は衝撃的にカッコいいフォルクスワーゲンの改造車に乗っていた。スケボーも上手でファッション(今で言うアメカジ!)も超かっこ良かった。どこで売っているのだかわからない、多分、横須賀のベースか、アメ横の輸入専門店あたりであろうか。とにかく誰も履いていないコンバースのスニーカーとかジージャンを着ていて、まるでスティーブマックイーンだった。(まだナイキなんて世の中に存在していない時代!コンバースなんて見たことも無かった。)そんなマイクはその後、創刊期のポパイの海外特派員をしたりクルマの貿易をしたり、世界中を庭の様に遊んで廻って、探した物を日本に紹介したりもしていた。世界中のバイクレースにも出ていたし、ボクを誘って、あのイタリアのミッレミリア(世界一のクラシックカーレース)にも出場した。広尾でファラフェルというサンドイッチ屋をやったり、目黒でバンビーニというピザ屋、鎌倉の材木座で海の家をやったり、家具のコーディネーターをしたり、世界中を飛び回り、とにかくよく働き、誰より遊んでいた。・・・・・・・・・実はマイクとは計算してみたら33年の付き合いになる。その間、何年も会わない期間があったが、出会いからは、そんな年月だと計算して驚いた。しかし会っても、昔を懐かしむ話などは一切無く、遊び話で終始くれる。我が家に来ても、ガンガンに未来像を描いた話に明け暮れていた。今は世界中から買い集めたコレクションの車やバイク、雑貨、家具を整理しているそうだ。 ちなみに数年前に湘南の友人宅で見せてもらった”立体的な鯨の形をした風見鶏”を探しているのだが、マイクに聞いたら、アメリカは西海岸のハモッサビーチにある庭関係の雑貨屋かメキシコのティワナの彫金屋で見つかるであろうとの答え。ボクが最近、コスタリカに興味津々で是非行ってみたいと話すと、昨年、マイクも興味があって1ヶ月半、スミからスミまで見てきたとの事。どこどこのホテルが良いとか、リゾートがカッコいいとか、メシが美味いとか、バーが素敵だとか、女の子が抜群に可愛いとか・・・・・・”生”の情報にあふれていた。あぁ~マイクみたいな生き方に憧れていたが、なかなか追いつけないナァ~~と実感した。そんな好奇心を刺激しまくられた時間は本当に楽しかった。そして時間は夕方になってしまった。今日の日中はアポは入れないでデスクワークをする予定だったがズレ込んだ。それもオッケー!3月のスケジュールを立ててリーダーと連絡をしたりアポ取ったりと効率の良い仕事をした。しかし一ヶ月は早すぎる。今月は広島、姫路、岡山、仙台、沖縄、札幌と回り沢山のグループの人々と会えた。全国で何か新しい動きを感じるナァ。皆、一度の人生を、素敵に生きたいんだよね。”オレもこれからの人生をもっとかっこ良く生きたいネェ~”と痛感。今日会ったマイクも昨晩、久々に会えた実業家K氏(元・暴走族の大頭)もオレに本当に様々な影響を与えてくれた。ボクがバットな時は相談にも乗ってくれたし、様々な生き方をみせてくれたメンターだ。そんな素晴らしい大人に出会えた事で今があるんだなぁ~~とシミジミと感謝が湧いてきた素晴らしい月末となった。

キープインタッチ! 友達は大切だよ!  《前編》

2月28日(水) 昨晩は高校生時代に本当に世話になった先輩K氏と銀座で食事をした。共通の友人Y氏も同席。K氏はハンパなくビジネスで成功していて気持ちがいい。(会社は上場も視野にある程の絶好調、麻布に豪邸! クルマはベントレー、フェラーリ、ゴロゴロ・・・そこら中に別荘、超ハンサムで体脂肪は1ケタ、関係ないけどスゴイわぁ!) Y氏も凄くて、なにせ日本一メルセデスを売るセールスマン(年間160台!!二日に一台だよ!!)で話題は豊富。タックスヘブンのバージン諸島に税金対策の会社を持っている営業マンなんて聞いたことがない!

キープインタッチ! 友達は大切だよ!  《前編》

まぁ、とにかく会話はバブリーで久々に90年代の日本に舞い戻ったような会話だった。K氏と出会ったのは、まだ高校生の頃、都会のどちらかといえば遊び人系の出会いだった。(なにか濁した表現でスミマセン。書けません・・・)ボクが大学をやっと卒業するある時、K氏は銀座にボクを呼び出して、いきなり紳士服店に連れて行き、そこで店員に一言”こいつにスーツを作ってやってくれ!”と言って”お前ももうガキじゃないんだからスーツの一着ももってろ!”と言ってスーツを作ってくれたのだ。その当時はまだK氏もサラリーマン。そんなに派手なことする経済状態ではないとおもうが、その頃から後輩思いの素晴らしい先輩だった。彼がボクに”人生の苦労は売ってでも捨てろ!”という名言を教えてくれた。当然、世間的には間逆なのだが、彼流の考えだと、人はいつか全力で乗り切らなくてはイケない問題にブチ当たるが、その時にこそ溜めておいたエネルギーを全快で使って乗り切れ!普段から使いすぎるとイザという時に発揮が出来ないという論理であった。しかし今、K氏の成功を見ると、その論理は正解だったのか。結局、ビジネスの成功は人徳から来るものなのか・・・・イタリアレストランの後は、超高級クラブでオネーちゃん遊び。何十万らしいがご馳走してもらって、それはそれは楽しく艶っぽい時間だった。(しかしオネーちゃんがハンパ無しに綺麗だった。それも数十人単位で綺麗で、いったいどうなってんだぁ!! 松本清張”黒皮の手帳”を思い出して怖くなっあがぁ・・・美人、艶々オネーちゃんに店の外に送られて帰宅という時、K氏の黒塗りの車の前に運転手さんが愛犬(超恐ろしいドーベルマン、愛犬じゃない狂犬だろ!がお出迎え。飼い主に出会って興奮して泣くドーベルマンの吠える声が銀座のビル街に響いていた。)ここは別世界だと痛感。 ということで楽しい夜だった。昔からの仲間が “成功”というのはAМだけでなく楽しいものだ。・・・・・・・正直、オレって本当に幸せだと思った。 そんな夜が一夜明け、多少二日酔いの中、起きてダラダラしていたらチャイムが鳴った!なんとボクの英語個人レッスンのケニーキクノ氏が玄関にいるではないか! そう今日は英語のレッスンの日であった。彼はベルリッツの偉い先生なのだが、通学が向かないボクの為に週1回程度来てくれるのだ。ということでフリートーク1時間。世間話100%で英語のレッスンというより”ジジイの話し相手”的な空気。その後、お客さんというかフロントの福ちゃんが浄水器のフィルターを取りにやってきた。彼はポルシェの営業マン。当然に最新のポルシェ911に乗ってきてもらい試乗した。実は試乗というか確認だ。ポルシェは好きだし欲しい。買える!(これ大切!)ただ面倒臭いというのも本音。欲しい気持ちと面倒だぁという気持ちが頭の中で行きかっている。野毛町内、多摩川土手、そして田園調布を回り帰路につこうと思ったら対向車線を、名車オースチン・ヒーレー3000/ハンドレット4 が屋根を開けて爆音をたてて走ってきた。

キープインタッチ! 友達は大切だよ!  《前編》

素晴らしい1950年代の名車だ。しかし良く見ると、その名車に乗るのは”おぉ!!!マイクじゃないの”思わず声を出してしまった。即、携帯電話でかけてみたら、やはりマイク浅川だ。こんなイキな人はそうはいない。懐かしすぎる!!昨晩に続いて、本当に懐かしい!    《ここからは、また話が思いっきり長くなるので次回に続く・・・・》