東京の家のソファーは我が家に長くあるもので(推定60~70年)嫌いではなかったが正直飽きていた。ということで下田の家の改築計画に取り入れてハワイアンなプリントに張り替えて引越し。東京の家にも何かソファーを考えること約1年。その間は以前ソファーが在った所には何も無かった。というか中途半端なモノを買いたくなかったのだ。ソファーとか椅子って難しくて座り心地と見た目は別なのだ。それが両立というとなかなか難しいと思う。そして当然に値段の問題もある。ソファーは洋服みたいに簡単に買い換えたりが出来ない。その上予算を考えると・・・・随分、様々な店をブラブラ見て回った。カッシーナ、アルフレックス、セレクトショップ・・・・しかしピンとこないというか、焦っていなかったので結論は出さなかった。しかしある時、恵比寿のB&B・ITALIAのショールームを見たら感動的な座り心地とスタイルでボクを魅了したのがこのソファーで価格は・・・・・・125万円位だったかな。はっきり言って値段見てぶっ飛んだ。欲しいけど値段を考えると、革ならともかくファブリックだもんなぁ・・・・・その後数週間後に強運・波田に事件が起こった。B&Bはセールなんて絶対にやらないのに12年ぶりに小規模の内輪だけのセールがひっそり行われると事情通・広中氏からの電話。ところがその当日はボクは先約有りで不参加。広中氏は朝一で並んでセールに参加して我が家に合うものを探してくれていたら、偶然に素晴らしいソファーを発見。その場で写真を携帯に送ってくれたらナント、恵比寿のショールームで見た、このソファーが!!(まったくそのもの)。結果45万円で購入できました。大満足なソファーです。すわり心地、スタイル抜群な名作です。
※これ長さがなんと3メートルもある。5人が楽々に包み込まれて座れます。その幸せ感ったらたまりませんよ!!
我が家に来て10年目に突入。本当に素晴らしい車だ。巨匠・徳大寺有恒先生(”間違いだらけのクルマ選び”の著書で有名)は20世紀に最も輝いていた車と評し、モナコのホテルドゥカップ前にビカビカなフェラーリ、ポルシェ、ランボルギーニ、ロールスが並ぶ中、何故かそこに駐車していたゴルフクラッシック・・これが忘れられないと語っていた。乗ればわかる素晴らしい車です。当時の限定仕様で白い皮シートがとてもチャーミング。基本設計は80年代のゴルフだと思うけど、実にシートに座ってダッシュボード越しに見る景色がなんともいいのです。この時代の車はウエストラインが低いので車内から外が良く見える。(当然、エアバック無しの爽やかデザイン)現代は流行、安全性から深い位置で座るので見渡しがこんなにきかない。まぁ、そんな理屈ではなく素敵な一台です。春先や秋口の日中、海岸線、深夜の都内なんか時々気分転換に開けて走ると爽快です。(当然、電動トップなので簡単開閉!) 当時の価格はブッタマゲに高価だった。たしか400万円前後だったと記憶する。グリーン×黒ホロ、バーガンディー(エンジ)×エンジホロ、紺メタ×濃紺ホロの三色がありどれも内装は白レザー。程度が良い車があったら買い!な一台です。
このサイズになるとモノではない気がする。しかし道具としては素晴らしいし、人生のお気に入りの場所となった下田の家のデッキは、かつてはただのベランダだけで、その先には荒れ果てた庭しかなかった。(ビフォーの写真を見てください。)そして庭の木々を撤去した後はただの空き地状態で数ヶ月、そこに座って何を作ろうか構想を練っていた。雨に直接あたる場所に木造の造作物というのは少々抵抗があったがしっかり防水塗装して通風を考えればいいカァと判断。アウトドア・アリビングという発想でナゴミの空間とすることにした。以前からあったデッキのラインから、テーブル、椅子のラインが全て通っているのがデザイン的に苦心したところで、製作を手伝ってくれた面々も細かい指示に大変だった。座面の深さ、高さ、位置、人数(快適に12人が食事を出来る。)とか計算しつくして作ったので、クッションも無いのに座り心地は抜群。そしてウエットスーツを着たままでも座れてしまう快適さ。数ヶ月の間、何処に行くにもメジャー持って気に入った椅子があると高さ、深さ、背もたれの角度、高さを計測して・・・・知恵とアイデアが実は集積した作品なんです。と自画自賛の境地。小細工としては冬にアウトドアー鍋物が出来るように暴雨コンセントを隠したり、照明のブランケットは脱着式で三種類(エスニック、クラシカルに、モダンにと変身)が用意。そしてこの上の骨組みにブーゲンビリアを現在育成させていて10年計画でブーゲンビリアのタナが出来る予定。咲き乱れるブーゲンビリアの下で海を見ながらのキリリと冷やした白ワインを飲む日が待ち遠しい。(当然に昼間からね。しかしココから見た満月が夜の海に写り込み輝く景色はこの上ない美しさでした。) 製作日数は10日に渡った。(約3ヶ月にまたぐ)従来あったデッキを補修。それの幅に合わせた腐りにくいヒノキを調達。裏面、横面、裏面をしっかり防腐塗料のキシラデコールを塗り、基礎材にはクレオソートを染み込ませ防虫、防腐対策は完全。様々な “技”も大工ハマーにより伝授。時期が11月を過ぎていたので寒くて過酷な労働条件だったが、本当に出来たときには感動した。延べで20数人が製作に手伝ってくれた。感謝。(わざわざ沖縄から上地もやってきた。)
ジイ様がどのようにしてこのソファーを入手したかは全く不明。(解体したときに明治何年と書いてあった・・)とにかくボクが生まれるズッーと前から家にあった。ジーさんの家に行くと良くこのソファーで飛んで跳ねて遊んだりカクレンボの隠れ場所として利用していた。最初はグリーン系のベロア素材だったがオヤジの代で超趣味悪素材(錦糸町の安キャバレー的)になりオーラ値は一気に落ちた。そして10数年前にボクが引き取り昔の色を思い出して張り替えて東京の家で使っていた。しかし生まれた時からあるソファーはやはり飽きる。そこで下田《オキラクハウス》に座面のみを張り替えて移動。素材はハワイアン・プリントのデッドストック生地を発掘して張り替えた。下田の家は築35年位の古いビーチハウスなので雰囲気はバッチリ合う。そして最近、サイドテーブルを自分で製作した。階段の製作に使った無垢の木材を切って金具でつなぎ、ソファークッションで余った生地を工業用ホチキスで圧着した。なんだかセットで愛着がバリバリに湧いてくる家具が出来上がり。座り心地は決して良くないけど文字通り、人生を共にしてきた一品なので思い入れは絶大。ソファーとか椅子ってなかなかカッコ良さと座り心地が両立しないのだけど、見た目と思い込みでカバーしてる。いつも昼食後の昼下がりに来客者の誰かが海風を感じながら気持ち良さそうに、何故かクッションを抱きしめながら昼寝しているのだ。
1993年に憧れのクラッシックカーレース”ミッレミリア”に出場した。(ミッレミリアとは1600キロという意味)1950年代まで続いたイタリアが国をあげて開催した公道レースだったが観客を巻き込む大事故で、やむなく中止。そして1980年代に復活。古い車好きならば見る事が夢という人も多い。その憧れのミレミリアに縁あってスポンサーが付き参加、出走という夢を現実にしたのだ。波田は憧れの名車フェラーリ250GTC(50年代の名車、値段は9桁)にて出走!! 生涯忘れえない思い出になったのは当然だ。他の約350台の世界の名車達は全て名車といわれるクルマで、殆んどが公道でお目にかかることは無い博物館クラスのクルマ。そんな名車が道路交通法を無視(?)して公道レースをするのだ。そして波田が三日間イタリアを走りぬけたゼッケン301番の赤いフェラーリ250GTCの爆音は人生観を変える音で、素晴らしい走りっぷりであった。イタリア国内を1600キロ、一般公道を疾走する三日間なのだが途中の沿道では学校が休校になるくらいのお祭り騒ぎ。イタリアの少年達はサッカー選手になるのと同じ位、将来ミレミリアに出るのが夢だという。そして各都市のポイントでは市長や市民の熱烈な歓迎を受ける。そこで市長などから記念品をいただくのだ。だからチェックポイントの都市抜けるたびにクルマの後部にはお土産、記念品でいっぱいになっていくのだ。またフェラーリでこのレースに参加することは別格な事で、フェラーリ者社長(セルジオ・カッサーノ氏)の歓迎を受けて記念品贈呈がある。記念品は全てが超レアー物だった。出走前のパーティー(皆、ワインをガバガバ飲んで!)最終日のディナーパーティーも宇宙一のお洒落さであった。
とても美しい顔をしている、この人形には完全なる一目惚れであった。ハワイはアラモアナショッピングセンターの有名高級デパート・ニーマンマーカスのチョコレート売り場に彼女はチョコレートを持って立っていた。とても幸せそうに任務を静かに遂行していた。とにかく彼女を見た瞬間に欲しい!連れて帰ろう!と決断。店員に相談したら売ることは出来ないと淋しい返事。しかしそんなことであきらめては名がすたる! マネージャーに直接交渉に入り検討願い宿泊先を告げて退散。
翌日、ハレクラニホテルのメッセーボックスに返事がぁ!!誠意は通じるのである。そして200ドルでお手打ち!帰りは梱包すると危険なので軽くエアークッション(オレはプチプチと呼んでいる)で包みJALの機内に持ち込み搭乗。女性の人形を大切に抱えるオジサンの姿は怪しかったと思う。置き場が無くてスチュワーデスは空いていたファーストクラスのシートにシートベルトでくくりつけてくれて日本に入国。VIP待遇に彼女はご満悦。今は下田≪ オキラクハウス≫ で第二の人生を過ごしている。行くと『だだいまぁ!』帰るときは『バイバァイー』と声をかけるとアロハァーと微笑んでいるように思える。 愛するフラ人形の名前は”マリーサ” 手の上のカゴにチョコレートが飾られていた。現在は演奏中のCDを持っていてくれる。
1968年製のこの車、年の頃は37才になる。37年間、動き続けている機械というのは凄い事である。37才の友達は20代のヒトとは違う風格、美しき加齢を感じる。冷蔵庫だってコンセントをさして動いているだけで10年も経ったら壊れるのに37年間も動いているって凄い事だ。そしてその走りっぷりはお見事!、現役バリバリで夜中の首都高、第三京浜では”サーキットの狼”(古いねぇ)と化すのだ!!とにかく軽いので俊敏でコーナーリングはお見事!そして乗るのと同じ位、ガレージで眺めているのが嬉しい車だった。クルマを停めて歩き去るときに振り返る。その後姿をみてまた立ち止まるなんてことがしょっちゅうある程に素敵です。(ボクの好きな車・・・・去る時に振り向きたくなるクルマ) ある時、普段乗りの車の修理に入れていた工場に見舞いに行ったら、そこにやはり修理に入っていたのがこのエラン。イッパツで一目ボレ。ロータスエランらしくない色がまた印象的だった。(普通はブリティッシュグリーンとか赤が多い。)狙っていたら願いは叶ってボクのガレージに。 1960年代の初め、英国のロータスという小さな自動車会社が倒産の危機に瀕していた。それはエランの兄貴分のエリートがその名の通り優秀だったが放蕩物だったのです。社主のアンソニー・コーリン・チャップマンは、もうちょっと稼ぐクルマを作る必要に迫られていました。エリートより安いコストでエリートを凌ぐ性能を要求されてロータス社を救う為に1963年に生まれてきたのが”エラン”です。この二人乗り高性能スポーツカーは1973年までの10年間作られ、ロータス社はこのクルマで救われ大成功を収め会社は持ち直しました。
今回はちょっと違う指向。ボクの”ひとつの時代”がこのケーランチなのだ。25歳の時に何かを始めようと起業したのが、このケータリングサービス。金は無い、信用は無い、経験も無いの三拍子揃ってのスタート。要は弁当屋で、契約した企業に昼飯時間までに毎日、日変りの弁当を配達するサービスなのだがパッケージ、配達の車、制服、サービス、当然にメニューなど徹底的にこだわり原宿、渋谷、青山界隈のファッションメーカー、デザイン会社などには相当にウケたのだ。商売自体は数年間続いたが、ボクの元来の”企画”の仕事から営業、経営的な仕事になるのがダメでボクは社長辞任・・・この時期にAМをスタートして、まさに波乱万丈な一時代だったのだ。利益はまあまあ出たが辛く悲しく厳しい時代だったのです。今でも当時の制服のプリントの一部が事務所のデスク前に額に入れて飾ってあり、それを見ると”ガンバロっ!!”って決断出来るんです。まぁ今は楽しい思い出になってるけど・・・・(日経新聞にもすごい新しい分野だとお褒めいただいたんですよ。ちょい自慢でした。) このランチボックスは先日、偶然に仙台でミーティングに来ていた渡辺君(パン職人)が持っていて(当時の提携先の店の従業員だった)返却願った品物なんです。ああ懐かしい。
※ この黄色いボックスの中に白い弁当箱でゴハンとオカズ、スープなどが入っていた。
※ デスクの前の壁に飾ってある当時の制服(トレーナー)の袖のプリント。
北海道の代表的な料理の”ジンギスカン”はとても美味しい。そして、ついに東京ではジンギスカンがブームの兆しである。その理由は美味しい事とダイエット効果に尽きるのだ。ラム肉の脂は肉の中で唯一、人間の体内に入って人間の体温で溶けて流れ出るのである。ボクの自慢のジンギスカン専用鍋であるが形が見ての通り北海道なのだ。(通常は円形ヘルメット型ですから誤解の無いように!!)これは誰でもわかる北海道でないと成り立たない鍋で山形県、埼玉県、山口県の形では何が何だかわからない鍋となるのだ。この鍋の存在は話に聞いていたのだが、とにかくこの鍋がいつかは欲しかった!。この冗談みたいな鍋で、あーここは国後だぁ、襟裳岬だぁ、函館あたりだぁ、室蘭だぁ言いながら食ったら楽しいじゃないの。こんな素敵な鍋はマブダチ・イリモト氏からの贈答品なのです。(飲んだ席での約束を覚えていてくれて数日後に届いて感動倍増。しかし東京の肉屋にはラム肉売ってない・・・・探してます。)そしてこの鍋は南部鉄器製なのだ。南部鉄鍋で調理された食物は多くの鉄分が含まれていることが科学的に立証。水分が多い程、鉄溶出量が多く大部分は身体に吸収されやすい二価の鉄なのだ。なんだかわからんが幸せを感じるぞ。
このマシーンというか道具との付き合いは長い。最初に発見したのはイタリアレストランの三軒茶屋のペペロッソ。店で使用していて物凄い気に入って交渉したが譲ってもらえず、しかたなく、その次に行った時に拝借(長期無断リース)。約一年間は波田の家で大切に使った。しかし根が正直なボクはその後、イタリアに行く際に同じモノを探し回った。チーズすり機は数あれどステンレス製だったりデザインがヨロシかったりでなかなかこのベタなデザインの同一品がない。そして翌年、ついにサルディニア(地中海の島)の荒物雑貨屋で発見。店の在庫を全て購入して帰った。そして利息を付けて2個、三軒茶屋のぺぺロッソに持っていって正直に話して返却した次第だ。顔なじみの店員は驚いていたがぁ・・。 とにかくパスタを食う時、サラダを食べる時、イタリアンには欠かせないパルメジアーノレジアーノが10倍引き立つアイテムです。なんてったってフレッシュですから。 (その後、神戸の雑貨屋で一個、原宿の雑貨屋でも見た。探せばある。決して僕の家から拝借をするのは許しません。 メーカーはGRATER Made in Italy )
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