PVーBVスノーボードツアー 2002(12月8日~10日)

PVーBVスノーボードツアー 2002(12月8日~10日)

今回で4回目のスノーボードツアー、毎回、超のつく盛り上がりだったが、今回は特に参加者93人全員パワー炸裂発狂興奮状態。なにせ北海道でも有数の素晴らしいゲレンデのルスツ高原で2泊三日、宿泊はルスツタワーの全室スイート、3日間のリフト券付き、朝食付き、ちろん飛行機代込みで39900円の市場破壊価格の上に、今回も開催2日前までは雪不足だったのに前日に大雪、そして着いたその日から3日間はほぼ快晴。こんな強運あっていいのかという程に強運。(ちなみに東京は大雪で大混乱)

PVーBVスノーボードツアー 2002(12月8日~10日)

ゲレンデも新雪地帯もパーフェクトな状況+楽しい仲間で異常興奮は当然の事。あ~~今シーズンのスタートには最高な3日間だった。

PVーBVスノーボードツアー 2002(12月8日~10日)

居酒屋マルミツのフェアーウェル宴会も狂乱状態。来年は記念すべく第5回目で”5周年アニバーサリーモデル”企画を今から考えてます。お楽しみに。

PVーBVスノーボードツアー 2002(12月8日~10日)

ヘミングウェイが愛したキューバ

1年前に”ブエナビスタ ソシアルクラブ”というライ・クーダーのプロデュースした映画を見た時から、キューバ行きは決まっていた。その映像の鮮烈さとラテンリズムの心地よいサウンドが記憶にある方も多いだろう。キューバ音楽を紹介した映画なのだが、今までは社会主義の下でカストロ政権の元、決して観光に気軽に行く地域ではなかったが、東西冷戦状態となった現在は国交の無いアメリカは別として、あまりの遠距離を苦にしないなら(なにせ国交がないのでフロリダから150キロ弱な距離なのにエアーがないためにメキシコを経由しなくてはならない。日本から出発して翌々日に着く)素晴らしいカリブ海に浮かぶ宝石のような島だ。元はスペイン人の植民地でアフリカからの黒人奴隷が多数、労力として連れてこられていた。そこでヒスパニック系とアフリカ黒人文化が融合して新しいリズムが生まれ独特なマンボ、ソロ、ボレロ、そしてルンバへと発展して行った。これらのリズムとカリブ海からの貿易風、そしてラム酒の香りと酔いが手伝って完全にタイムスリップした街並みに引きずり込まれて行く。近代化なんて何の意味がある・・・なんて考えちゃう。

ヘミングウェイが愛したキューバ

ここの街並みはまさに驚異である。50年代に栄えて当時の近代的な美しいビル(とはいっても3階建て程度、装飾は素晴らしい。)が建ち並び、大きなアメリカ製のハネの生えたような優雅なアメ車が走り回っていた。そして1959年にカストロやゲバラの率いる革命軍によって政治的に独立。社会主義の道を歩むようになる。ソ連とのつながりが強かった為にアメリカからの物資供給はストップ。従って他の東側諸国同様に物質的に困り,車など買いなおすなどということは全く無く、ひたすらに現在にいたるまでその家、車、道具、全てのモノを直し続け使っている。しかし社会主義ゆえ最低限の生活は保証されている為に人々の生活はいたって豊か。(豊かのレベルは違うが。)屈託が無い笑い顔と犯罪が殆ど無い安全な社会が不思議にさえおもう。

ヘミングウェイが愛したキューバ

キューバをこよなく愛したアーネスト・ヘミングウェイ(1899~1961)が居を構えたのは1940年。以来20年間に渡ってこの地ですごした。ヘミングウエイはキューバ人の底抜けの明るさと澄みきった青い海に魅了されてサンフランシスコ・デ・パウラの丘の上にフィンカビビア(眺望楼)と呼ぶ邸宅を建てた。生い茂る南国のココナッツやマンゴーの樹木や極彩色の花々に囲まれ北に海を望んでいる。ノーベル賞を受賞したときもここにいた。そして午前中は自宅で執筆して午後はコヒマルという漁村に船を置き気軽に釣りを楽しんだ。その船長グレゴリオ・フォンテスこそ老人と海の主人公のモデルそのもの。現在も102才でコヒマルで漁師をして暮らしている。

ヘミングウェイが愛したキューバ

キューバは本来、社会主義だから海外旅行とか所有などの自由は無いが、彼等は決して悲壮感など微塵もなく、”キューバ主義”という言葉を使って自信と誇りに満ちていた。街中、いたるところで見られる人々の”たむろ”は何を話しているかわサッパリ分からないが、いつも皆で大笑いしている。モノを盗む人間もいないに等しいらしいし、自殺者は皆無。これだけでも素晴らしい国家ではないか。(つい何処かの金持ちぶった貧しい国と比較してしまう。)偶然的に近代化から取り残されて独自の文化が根付いたわけだが、まさにパラダイスだった。カリブの生暖かい貿易風、街を歩いていると何処からともなく香ってくるキューバ産のシガー(葉巻)の香り。ラムベースに多量の生のミントの葉っぱの入ったカクテル”モヒート”、街中で自分達が楽しむ為に歌い踊り演奏している人々、ライトアップされた旧市街、煙を吐きながら走り行く50年代の丸いアメ車、あまりにも出来すぎた平和の象徴のような国だった。

ヘミングウェイが愛したキューバ

(2001年7月初旬)

ベトナム再乱入・・・ひたすら面白い街

昨年はベトナムを代表する南のホーチミン、そして先日は北のハノイに乱入した。そのベトナムという国の歴史はまさに波乱万丈。1000年にわたる中国からの支配と侵攻、植民地支配を受けたフランスからの独立、独立と統一を同時に達成する為に、こんな小国が巨大なアメリカを打ち負かした力は何であろうか。勝利に導いたホーチミン氏の右腕、ザップ将軍は”我々は過去も現在も民族の色を守りつつ東西の全てから学び取り入れなければならない。中国や日本から学んできた様にフランスからも学ぶべきは学んだ。”と語っている。このいいものはどんどんと吸収して力にしてしまうという姿勢が全てのパワーにつながっていると思う。そして変に影響されていない独自の文化だ。ただのアジアではない、中国でもない、フランス色(食)、アメリカ的文化、全てをいいとこ取りした小さな巨人がベトナムだ。この街を楽しむにはひたすらにシクロがお勧め。街中がシクロとホンダ・スーパーカブの洪水(ホーチミンは人口60万人に対してカブが20万台・・・半端ないよ。) 信号機も交通ルールも無しに等しいのに事故は殆ど見かけない。そんなシクロで人のスピードで回りましょう。何日乗っていても楽しめる!!

ベトナム再乱入・・・ひたすら面白い街

我社には有力なベトナム情報局がある。芳賀淳氏である。彼は某・巨大電気メーカーのベトナム支局長(局員はたった一人だったらしいが・・・)を勤めたまさに企業戦士。そしてベトナム・ストリート情報はKGBもCIAも歯が立たぬと業界ではいわれている。”ベトナム・ウォーカー”なる雑誌が出来たら初代編集長は芳賀氏以外にはいないであろうといわれているツワモノである。レストランのヒット率(推薦してくれた店が本当に美味しい)は99,7%を達成。ベトナム滞在中の5年間は仕事もしないで何してたんだろうと思うほどに知り尽くしていた。

ベトナム再乱入・・・ひたすら面白い街

ベトナムという偉大な小国は成田からホーチミン(旧名称をサイゴンという)まで6時間、香港から北のハノイが2時間、ホーチミン・ハノイも国内線で2時間、南シナ界沿いにS字型に細長い形をしている。その東西の文化、食の違いが関東、関西みたいな違いで面白いので一読を。 [特集・あまり役に立たないベトナム北南事情] 芳賀淳レポート。(カッコ内は波田談) ・シクロの高さと幅が違う・…シクロとは自転車の前に人が乗るキャリアーがついた乗り物。まさに町の大切なタクシーにかわる交通機関、一時間やとって100円程度。何故だか北南でサイズが違う。 ・アオザイ(あの綺麗な女性の民族衣装)の生地と厚さが違う…(芳賀は触ったんだなぁぁ。これにみんなヤラレル!!。誰でも清楚な女学生になっちゃう!!) ・言葉が違う・・・北の発音のほうがクリアである ・税関の厳しさが違う・・・北が圧倒的にゆるい、北が首都ハノイ。(何か悪いもん持ちこんだのかぁぁ??) ・緑のヘルメット帽を被っているやつがハノイは多い・・・社会主義っぽい金の星付き。 ・ねーちゃんがハノイの方がきれい ←重要・・・・・(いや、どっちも良いよ) ・ハノイのうどん・フォーは、かなり生臭い ・ハノイは寒いし湿度も高い ・流通しているビールが南部と北部で違う ・道路を行き交うバイクとかの速度が違う・・・・北の方が全てのスピードがのんびり。 ・北の人のほうが顔つきがキツイ・・・・性格は似たようなもん ・北には華僑がほとんどいない ・大使館のあるのは北なので、基本的に偉そう(だからか、味は洗練されている気がする) ・北の方が様々な点でゆるい。灯台下暗し(もとくらし)と言うか、わざとそうしていると言うか・・・・・サイゴンへの対抗意識。 ・ハノイ以北は犬を食用にする。サイゴン以南は蛇を食う。(波田はどっちも断じて食っていない。本当だぁぁぁ!!。芳賀氏は知らない。)  ・ 歴史が違う、ハノイ1000年・サイゴン200年(ハノイは古い西洋的な建築物が相当に残っている。サイゴンは近代的ビルが沢山。やる気はサイゴン)

ベトナム再乱入・・・ひたすら面白い街

食の深さは相当なモノだ。宮廷料理的なモノもあるのだが、残念ながら食ったことはない。中部のフエなる昔の都では食えるとのこと。いつか食べて見たいなあ。しかし、別コーナー(波田啓次郎の勝手でしょ)でこれから紹介する定食屋、フォー屋(ラーメン屋)、そして高級なレストランと全てに感動の美味しさだ。中華、西洋(フレンチ)の影響を受けて昔からの食材が素晴らしい合理的な料理となって皆に愛されている。きっとまた行ってしまうんだろうなぁぁ。

ベトナム再乱入・・・ひたすら面白い街

パシフィック・コースト アメリカ西海岸

西海岸といえばアメリカ西部のキャリフォルニアからオレゴン、ワシントン州を指すが、一般的にはキャリフォルニアだろう。そして内陸部も緑豊かなところ、砂漠地帯など様々な顔を持つ。しかし、やはり海岸線の町々が西海岸的な空気がながれている。季節は一年を通じて温暖。夏は暑いが湿気がないので、一般家庭でエアコンをつけるなんて事はない程度。過ごしやすさは世界一。冬も夜はブランケット程度。ヒーターとは殆ど無縁である。(やはりサンフランシスコまで行くと秋からは相当に涼しいが。)まさに天国的な気候。またここぐらい、青い空が似合う所はない。ハワイや南の島は当たり前だが、あくまでもここには都会的なテイストがある。南国ハワイにはアロハが似合う。南の島はファラオ。北京は人民服。しかし西海岸の街に似合うのは少し気取った白に麻のシャツとかスーツとか。勿論、海岸線の街はサーフィンのメッカ。ここにはオシャレなビーチバムがいる。そしてやはりT―シャツが良く似合う。そんな自由な街が続くウエストコーストの代表的都市、ロサンジエェルスからサンフランシスコまでの700キロのドライブ、そして途中の街にふらりと訪ねた旅行をレポート。

パシフィック・コースト アメリカ西海岸

10月のロサンジェルス(ここで覚えておこう。西海岸通な人はエルエーと呼ぶ。)は空港に降りると独特の臭いを感じる。これを表現するには相当の文学的センスが必要だが、僕の中のアメリカの臭いなのだ。すこし甘ったるいカンジ。(外人は成田に着くと醤油の臭いがするという。それが日本の臭いなのだろう)そんな空気を感じながらレンタカーをピックアップ。レンタカーを借りて、また返却するたびに思うのだが、このシステムの完璧さはさすがに車社会のアメリカ、実に無駄なく大量の客と車を管理、そして処理していく。地図をみながら早速にフリーウエイに入る。片側5~6車線ある道を相当なスピードで走っている。この道が幾ら走っても無料。タダだと思うといっぱい走りたくなる。これがアメリカ中を縦横無尽に走っている。いったい日本の道路公団の高額料金は何処に入っているのだろうか。今回は大好きなLAは通過するだけ。昼に到着して約200キロ北上したサンタバーバラまで一路、向かう。途中にもマリブなど素晴らしい街があるが、そこを回るのは老後の楽しみに取っておこう。そんなところで和んでいたら目的地サンフランシスコまで1ヶ月かかってしまう。

パシフィック・コースト アメリカ西海岸

今回の旅はサンタバーバラからの上のカーメル、モントレー、そして17マイル・ドライブに時間をかけたいのでそこはフリーウエイを使った。本当はパシフィック。コーストハイウェイというまったくの海岸線沿いが素晴らしいのだが・・・。サンタバーバラには3時間弱で到着。静かなリタイアーを楽しむ人やのんびりした時間を楽しみたい人が暮らす街だ。文化レベルは相当に高い。 西海岸の朝にはクリーム色の霧が海岸地方の山岳地帯から太平洋にかけてかかる。朝日が昇り始めると、そのクリーム色のモヤがだんだんと美味しそうなオレンジ色に変化してきた。二日目の朝、桟橋から見たそんな朝焼けは今までの人生で見た朝焼けで最も美しいといえる素晴らしいものだった。こんな朝焼けが見れるだけでも、ココに住んでも良いと思う。(あいにく、時差調整ジョギングの途中なのでカメラは持参していなかった。)

パシフィック・コースト アメリカ西海岸

カーメルは小さな最も西海岸的な街だ。ここはかつて俳優のクィーント・イーストウッドが市長をしていたことでも有名だ。ここの、特に海岸線沿いの家(あえて豪邸とはいわない。ゴージャスな家はベルエアーやビバリーヒルズに行けば幾らでも見つかる。)ここの家は決してゴージャスではないが実に品が良い、そして住み手のセンスが光る家が並んでいる。樹齢数百年の木々が素晴らしい。そして自然を破壊することなく上手に融合している。目前に広がる太平洋は雄大だ。美しい波が立ち、誰しもがサーファーに憧れるだろう。街の店も上品な観光客を相手にした個性いっぱいの店が並んでいる。 17マイル・ドライブはまさに奇跡が生んだ美しい世界だ。ゴルフマニアでなくても、名前は聞いたことがあると思うが名門・ぺブルビーチ・ゴルフクラブはここにある。きっとここでゴルフをしたら他の何処にも行きたくなくなるであろう。樹齢数百年の大木と数万年かかって削られた断崖絶壁。美しく荒々しい太平洋の海。これにはどんな建造物もかなわない自然のオーラがある。

パシフィック・コースト アメリカ西海岸

サンフランシスコは坂が多い街である。上り下りに運転は技術が必要だ。そのおかげで街のいたる所から絶景が眺められる。坂を登りきって、不意に現れた遠くの海に反射する光・・・本当に、ケーブルカーに乗ったり、タクシーに乗っていても、散歩していても、そんな光景がイキナリ現れて感動する。中華街も大好きだ。観光用の中華的デザインではない、自分達の居心地のよいデザインとしての町がある。そしてゴールデンゲート・ブリッジを走るたびに映画”卒業”のダスティンホフマンになってしまう。アナタもここを歩けば必ずたそがれてしまうことだろう。 今回はキャリフォルニア・ワインの聖地、ナパ・バレーを訪れた。20年前に一度、昨年に2回目。そして今回が3回目の訪ナパだ。キャリフォルニア・ワインの歴史には触れないが、ここにはアメリカンドリームがある。実力ではフランスワインをしのぐと言われるほどにまで成長したキャリフォルニア・ワイン。そのワインナリーを見学出来るのだが情熱を感じる素晴らしい世界だ。

パシフィック・コースト アメリカ西海岸

今回、有名なレストランも訪れ美味しいワインと食事も楽しめたが、今回の大発見はニューヨークの超高級デリカテッセン・ DEAN & DELUCA が素晴らしい支店を出していた。天気の良い昼下がりだったので、そこで美味しそうなデリー(御惣菜)を十数品購入して、公園で冷えた白ワイン(勿論ナパ産)とともに昼食をしたのが最高だった。食事は何を食うかより誰と食うかだなあ・・・。楽しい仲間とのリラックスしたランチは御機嫌だ。 今回のコースは実は初めてではない。もう何回も訪れている。しかし、何度来ても新しい発見がここにはある。キャリフォルニアに来るたびに生活は楽しむ為にある・・・・・・と痛感するのだ。きっとこの先何十回も通う事になるであろうパシフィック・コースト。

イタリア食い倒れツアー    ~ ノンナ トゥ イタリア ツアー ~

5月の下旬にイタリア、ローマ、トスカーナ(ミノーレ)、地中海の島・サルディニア、フィレンツェ、ミラノ、リビエラ(ポルトフィーノ)を約11日かけて食い倒れの旅に出ました。今回は川口ノンナ(ノンナはイタリア語でオバアチャンという意味。本名・川口文子さん。75才でダイヤモンド、イタリアからワインやオリーブオイルを輸入する会社も経営しています。)今回はノンナの御供で参加。トスカーナ地方の素晴らしい農園で作られるオリーブオイルの産地(なんと、イタリアのオリーブオイル品質コンテストで金賞を受賞した名品)や、やはり無農薬にこだわったワインを生産するセラーなどを訪れて、こだわりを感じる方々から色々な話しを聞けて最高でした。こだわりは製品にとどまらず、その方々の生活へのこだわりも物凄く、まったく日本では考えられないほどに豊かで健康的、人間的な生活でした。またひとつ驚いた事に、ノンナが薦めたわけではないのにすでに、そのようなこだわった人々のキッチンにはデイッシュドロップが必ず置いてあったこと・・・(実はイタリア人はあまりアメリカ製品が好きではない・・・と思う。)判る人には判るのがアムウェイ製品ですねえ。という感じでした。簡単なレポートを楽しんでください。ここには記載出来ませんが、新しい食の発見はハンパなし。胃腸君、肝臓君、痛めつけてごめんね・・・という食い倒れの旅でした。

イタリア食い倒れツアー    ~ ノンナ トゥ イタリア ツアー ~

● トスカーナ・ミノーレは牧歌的なトスカーナの中でも特にその雰囲気が残っている地域。そこのエルマーノさんを訪ねました。彼はもとミラノで建築家をしていましたが、都会の生活より田舎での生活を選びトスカーナでこだわりのオリーブオイルを製作し始めました。その後、順調に理想的な製品が出来て殆どトスカーナの身内での消費でしたが多少、余裕がでて世の中にも出るようになりました。最近ではイタリアのオリーブオイルのコンテストで金賞を取るほどの名品に育ちました。決してビシネスを巨大化させようとせず、あくまでも自然なペース。そして収穫期ではない、時間のある時は、古い大きな農家を買取り、自分で設計しホテルに改造(8室程度のこじんまりしたホテルです。)、そして施工も自分で行うというこだわりぶり。その新しく出来たホテルで僕達を迎えてくれ、毎日、手料理の地元料理を振舞ってくれました。その味と手間の素晴らしはとても文章で表現できる域ではありませんが、まさにイタリア。まったく変な気取りがなく皆で素晴らしい時間を過ごせました。お米を使ったスープ、地鶏(全部地鶏ですが・・)を釜で焼き上げた料理、サラダ類の新鮮さ、など半端なし。今回は伯母さんから手打ちパスタの秘儀も伝授されて実演もしました。そんな素朴な楽しさがこの地の楽しさなんでしょうね。

イタリア食い倒れツアー    ~ ノンナ トゥ イタリア ツアー ~

● ミラノから車で山岳地帯のワインディングロードを抜ける事,約1時間半、イタリア地中海沿岸地方のリビエ(フランス側をコートダイジュール)のポルトフィーノに行きました。ここら辺の一帯は素晴らしい海岸線が続き、究極の景色です。ここは12年前にも一度訪れ大感動した場所(2回目の参加のFITでした。)そんな時間を楽しめました。食事は前回に偶然に発見した地元のトラットリア・・・・・・。その味の大発見は参加者、目から涙という感動。”海老のレモンソース蒸し”(定かな名称は判らない)、鰯のフリッター、パスタ類、白身魚のオリーブ蒸し・・・・思い出すと感動です。イタリア旅行の楽しさは、新しい味と昔からの伝統的な味の出会い。大満足。景色との雰囲気は凄い。港には沢山の豪華客船とアラブの王様としか思えない船が停泊。昨年の夏休みはビルゲイツ家族も来ていたと、ある写真週刊誌に出ていましたねえ。スプレンディッドという最上級のホテルもあります。

イタリア食い倒れツアー    ~ ノンナ トゥ イタリア ツアー ~

● 地中海の島、サルディニアは個人的に2回目の訪問(4年前のFIT)今回は南側の地域、特別にスペインの貴族の館(非公開)に招待されたり、小さな田舎町を訪問したりと素晴らしい時間でした。地元産のアサリをお米のような形をしたパスタでからめた料理は最高でした。さすがに地中海というかんじで、海の物は新鮮その物、前菜のオイル”サーディン”の名称の由来はサルディニアから来ているだけあって美味。古代の遺跡も感動的でした。

イタリア食い倒れツアー    ~ ノンナ トゥ イタリア ツアー ~

● 今回は偶然にもローマのバチカン市国でローマ法王・ヨハネパウロの82才御生誕ミサにも出席。ミレニアムの2000年にバチカンを訪れるだけで過去の罪が一切、消されるといわれているのに・・・・・・その上こんなにタイミングがいいとは。これも感動的なことでした。

italy_batikan

● ミラノは勿論、お買い物。モンテナポレオーネ界隈の有名ブランドショップはとりあえずとして、新しいセレクトショップも素晴らしい。・・・・・・・・・はダントツ、小物雑貨のハイテックはやる気満万、最後に書くのは何ですが、ミラノにおそらく6回目の訪問にして初めて見た(いつも予約が取れなかった)ミケランジェロの”最後の晩餐”は感動の一言でした。