インカ帝国に伝わる”アルパカの教え” 《旅行記・南米ペルーの世界遺産・マチュピチュ》

しかし今回の旅は珍道中であった。ハプニングなんて爽やかな印象のものではない関西的お笑い事件の連続であった。今、それを笑えて良かった。出発前に友人に”珍道中”を楽しんでくると言う文章をメールしてしまった。その時点から珍道中がイメージされていたからこんな結果になったのだろうか。イメージした事は実現する恐ろしさを感じた。 “アヤが付く”というがアヤが付きっぱなし! しかしこの旅で最終地のペルーのマチュピチには到着するのであろうか。散々、試された思いがある。最初にハッキリ断言するが、ツアーではない個人旅行(行き当たりバッタリタイプ)の人々なら途中断念という選択も当然であっただろう。俺達は負けなかったが・・・・・・ 9月2日 昨晩の素晴らしいラスベガスのイベントを終えて気分は大満足の中で我ら御一行はラスベガスのホテルを後にした。空港からは当然、平和に出発を考えていた。しかしナント”珍事その①” ノースウエスト航空がおもいっきりオーバーブック(過剰予約受付)していてラスベガスからロサンジェルス行きの飛行機に乗れない。そのまま乗り継いで南米のペルーのリマまで今日一日中を機内で過ごす程に遠いいのに! 最初から乗れないって!アメリカの航空会社では時々あることだが、しかし負けない!俺の強固な意志は何が何でも乗るであった。結果、強気の談判、泣きながら温情作戦、笑って情を引き出す作戦は通じ、結果乗れた。(従って誰かは乗れなくなった。申し訳ない・・・)荷物はそのままラスベガスから第一目的地のペルーのリマでピックが出来るという。相当にイヤな予感がしたが・・・これが間違いの始まりだった。さて今回の参加者の神谷アンドリューCとはロサンジェルス空港で待ち合わせ。ちゃんと会えた。福井格闘家Eと手下の室町茂R(双方とも某カラテ界の強豪。何かと安心!)はひたすら付いてくる。デカイ身体でコワオモテがどんどん付いてくるから不思議な光景であろう。今回はその4人の混成チームなのだ。

インカ帝国に伝わる"アルパカの教え" 《旅行記・南米ペルーの世界遺産・マチュピチュ》

LA空港は多くのラスベガス帰りのディストリビューターでさながら社交場と化していた。みんなそれぞれロサンジェルスで数日送ったりハワイに寄ったり、現地フォローでミーティングとかに散っていった。 そうだ忘れていたぞ!両替だぁ!アメリカ$ドルはそれなりにあるが、やはり現地通貨はある程度は必要だ。そこで”珍事その②”が勃発。何故か両替するべくペルー通貨”ソル”を買うのに隣の国のチリの”ペソ”を買ってしまっていた。何故!!航空会社がランチリ航空で、搭乗口を探すのにランチリ、ランチリ・・チリ、チリと何回も復唱していたからかなぁ。数日前からチリビーンズが食いたかったからかなぁ!? とにかく自分が行く国名位、覚えとけ!それに気が付いたのは現地でのピンチ時だった。 空路は平和に過ごした。読み終えていない本を読んだり、ガイドブックでペルーの即効基礎知識を頭に叩きいれた。実はこの旅行ガイドブックでもヒトもんちゃく!”珍事その③”大切な大切な情報源であるガイドブックを東京に忘れてきていた!!発覚したのはラスベガスに着いてからだ。あせって東京にメールして、有能秘書・土岐ちゃんは今回のツアーに後から参加するヒトを探しまくり熊本県在住の緒方さんが的中。佐川運輸を手配してくれて危機一髪。ラスベガスで受け取れたのだ。今、もしこの本が無かったらと考えると本当に恐ろしい。(緒方さん感謝です。)ちゃんと荷物整理しろ! そして深夜のリマ空港に到着した。決して豊かではない国の深夜の空港は結構恐ろしい。客引きがいっぱい!しかしそんな客引きに捕まるより恐ろしい事件が勃発!”珍事その④” なんと荷物が着いていない。ラスベガスからLAで乗るはずの荷物(衣類、洗面用品、登山靴他・・とにかく全部)いったいマチュピチュに何を着て登るの!?残るは電池切れのパソコン、デジカメ、携帯電話・・・トホホ、役に立たない。 その上、次の便は24時間後。それでは手遅れだよぉぉぉぉ!どーすんだぁ!!荷物を受け取る時間もないままに、次の目的地のクスコに人間は飛んでいるのだ。 とにかく眠いし荷物は無い物は無いので諦めてトホホ状態でホテルへ向かう。しかし歯ブラシもありゃしないので真っ暗な街のなかで唯一やっているドラックストアで歯ブラシ購入と思いきや・・・チリのペソなんてこの国では紙切れ。使えない! 何でオレ”ペソ”持っているんだぁ??? アンドリューに笑われてお金借りて他社製品購入。なんだか淋しい、自分の馬鹿さが悲しい・・・・ホテルに入ってとにかく寝た。翌日3日は、朝からアンドリューの優秀な息子の悠矢(4歳)が東京~フランスに行く機内でナンパしたペルー人の女の子 ニャニーナちゃんが何故か、オバアチャンと迎えに来てくれて市内観光。ニャニーナちゃんは18歳の医学生。片言日本語もオッケーな才女。マチュピチュにアクセスする街のクスコまで飛ぶフライトは16時なので、それまで時間潰しの必要があったので助かる。しかし幸せなリマ観光はマチュピチュ制覇の為に必要な、というか到着しない荷物の中で至急必要な物を買わなくてはどうしようもない。トレッキングシューズ、ソックス、アウター、パンツ・・・・買うほどに淋しい。なんでこんなモン、買わなきゃならないの! でもペルーの物価が恐ろしく安いので良かった。買い物は楽しめた。ペルーの首都・リマの町は本当に美しい。スペイン建築が沢山残っていて異国情緒豊かだ。せっかくだからペルー料理を食おうということで適当なレストランに入って注文。ニャニーナちゃんから様々な話を聞いて面白かった。お婆ちゃんは孫の監視役で来たのだろうか。そんな和みすぎてメシを食っていたら大変!飛行機の搭乗時間が迫っているので慌ててタクシーをひろい空港に入りチェックイン!搭乗券もらい空港利用税払い時間を考えるとギリギリではあるが・・・・そこにあった”アルパカ”専門店に綺麗な色で素晴らしい肌触りのアルパカのストールなどがあり、お土産に購入。そして搭乗と思いきや、目の前で飛行機のドアは閉まりタラップは外され・・・・乗り遅れた。そんなバァカァナァ!!!!!ナメていたんだなぁ。こんなに沢山旅行して年に50回以上は飛行機に乗っているのに、乗り遅れは初めてでショック。ということで立派な”珍事その⑤”に認定。しかしその後、どう冷静に考えても他にクスコまで行く手立てが無い。次の便は翌朝6時で、それだとクスコからマチュピチュに行く列車には間に合わない。そうだレンタカーで走ろう!!調べたらここから1100キロ、そして高速道路無し。盗賊も出る・・・推定時間は20時間以上だって・・・・日本に情報もらおうと思っても現地は深夜。相談にのるアメックスプラチナカードセンターも手が出ない。もっているガイドを読む限り・・・フカノーとある。俺も不可能だと思う。しかし全知全能使って考えた。事前調査で東大・文彦が言っていたクスコからマチュピチュは電車よりバスが実は早いと・・・・ということで光が見えてきた。そうだ、朝一便に乗って空港に7時に着いて、旅行会社にクルマを手配させて迎えに来てもらい、6時半に既に出発してしまっている列車(一日に何本も出ていない。)を追いかけて乗るのだ!!!名案!と問題に立ち向かう我々に、やはり”捨てる神あれば拾う神あり”なのだ。カウンターにいた女神みたいな女性が知り合いのガイドに連絡してくれて、そのネットワークでそれを引き受けてくれるヒトを探してくれたのだ。結果翌朝は段取り的に完璧!(こんなワザは絶対に全うな旅行情報誌には出ていない。) あとは遅刻しないで乗れば何とかなりそうだ。様々なチケット(途中乗車のチケット、マチュピチュ入場料、バスチケット)も手配してくれた。という事で再度、リマに泊まる事になりホテルを手配してチェックイン。なかなかいいミッドセンチュリー風ホテルで満足。

インカ帝国に伝わる"アルパカの教え" 《旅行記・南米ペルーの世界遺産・マチュピチュ》

近所のレストランで超ロマンチックなディナー。しかし面子を見るとロマンチックとは程遠い。その上、向かいに座る格闘家・福井は睡魔に襲われて目の前の食事に突っ込む始末! ワインも程ほどにして帰って寝た。 翌朝4日 6時のフライトなのに3時半に起きて4時に手配しておいたタクシーで空港に向かう。これで順調に行けばマチュピチュだぁ!空港は朝から人でごった返し。紛失荷物の件と言うポーズで列に並ばずチェックイン。ズル1回。後からロサンジェルスに届いた荷物とは再会できて良かった。しかしその荷物があると足手まといなので、そのまま航空会社に預けてクスコのホテルに届けてもらう強気な名案。空港では”アルパカ専門店”には目もくれず、絶対の時間的自信をもって搭乗口へ。そうしたら空港使用料支払いのカウンターが長蛇の列。またまた仕方なく非人道的、社会的、教育上は最低な100人抜きの”横入いり”を決行してチケットをゲット。ズル2回目。保安検査を受けていたら係官が、この飛行機は既に飛んだぞと忠告!!!!そんなバァナァナァ!!その後4人は100メートル10秒台の加速で登場口7番へ奇声を発しながら飛び込んだ。”待てぇぇぇ!乗るゾォ!!” マジで間一髪! あそこで二回にわたる社会的最低行為のズル横入りをしなかったら、またまた乗り遅れ・・・・日本にてマチュピチュお土産話を楽しみにしている連中にはなんて説明すんだぁ。当然、旅の”旅の珍事⑥”に認定でしょ。ハッキリ言って機内で達成感満ち溢れて泣きました。 なんだか試されているナァ・・・無事、クスコの空港ではガイドが待っていて、ボロッちいカローラ・ライトバンで二時間、野を超え山を越え途中のオリャンタイタンボ駅を目指し結果、間にあった!! 列車に乗れたときにはまた涙がホロリ・・・パノラマ列車からの自然が本当に綺麗だった。そしてマチュピチュ駅から山の上まで運んでくれるバスに乗り換えて到着。しかし電車の中からの景色は晴天で素晴らしき春空(南半球なので季節が逆なのです。)到着した瞬間にまた事件勃発 ”旅の珍事その⑦”こんなもん軽い珍事だがイキナリの雷雨だ。ドッバァ~~だ。どうして数分前までの快晴が、また何かを試すようにマチュピチ到着の瞬間に雷雨が降るの! イヤイヤそんなことでは負けないぞ。というか開き直り、昼飯を食い、雨をやり過ごしてからガイドと共に初の世界遺産マチュピチに足を踏み入れた。ゲートを越えて、いきなり目前に広がる空中都市”マチュピチュ”は雨上がりで空気が染み渡り美しさも倍増していた。

インカ帝国に伝わる"アルパカの教え" 《旅行記・南米ペルーの世界遺産・マチュピチュ》

やっと来た!!!着いた!!いや、着く事が出来たのだ。それから三時間、この場所で過ごしインカ人の謎の一部に触れた。本当に遠かったけど来てよかった。さ、帰ろう・・・・・・・・・・味噌汁の待つ日本へ。 インカ帝国の”アルパカの教え”に学びましょ! (時間には余裕を!お土産はあせらない、ペルー人に甘えない、ズルも時々は仕方が無い・・・・学びは多い。)
※ インカの歴史、マチュピチュの歴史はその関係の文献を読んでください。とにかく世界遺産でおとずれたい場所、人気ナンバー1な場所です。写真の100倍すごい。
※ ご存知の方も多いと思うが我々が訪問した6日後に、なんとこの列車が豪雨の為に倒壊してしまい1200人が閉じ込められた。そして復旧には当分かかるとのこと。従って・・・行かれない。というのは代替の交通機関が無いのです。ということで不謹慎とは思ったが・・・・・強運だった。

ラスベガス・レポート。 しかし・・ありえない企画。日本から4700人参加。

9月28日(水曜日)《時差の関係で長い一日》 今回は中島薫DCA主催のラリー&パーティーということで二年も前からスケジュールが決まっていたラスベガスでのイベントだ。ボクにとってラスベガスという街は結構好きと、何だか嫌いが両立する複雑な街だ。とてもハッキリと好みが言えないのが我ながら辛いところで、嫌いなら行かなければ良いなんて単純なものではない。

ラスベガス・レポート。 しかし・・ありえない企画。日本から4700人参加。

今回でラスベガスは人生上で四回目、いや五回目かなぁ・・。第一回目は学生時代の貧乏旅行中。当然、極端な安宿で映画に良く出るシーンで(ニコラスケージがロサンジェルスで女に見捨てられてダメヤローになってしまいラスベガスに逃避。ギャンブルと酒、娼婦に明け暮れる日々・・・みたいな空気の宿。二回目は友人とやはり安宿(モーテル)三回目はAMご招待で少しは大分出世した。その後はグループツアー・・・今回はこの世紀のイベントの参加したいのと、ラスベガスを大好きになりに来たというのが本音。そして、それだけではもったいなくて帰れないのが貧乏根性丸出しで帰りにはどこかに寄ろうと考えていた。街と田舎を組み合わせるのが単純に楽しい。例えばリゾートとシティー、街と田舎的な・・・(マイアミとミューヨーク、ホノルルとマウイ、地中海とミラノ・・・みたいなね。)ということ考えていた時に、映画”モーターサイクルダイヤリーズ”を見て単純に南米だぁ!そしてマチュピチュだぁ!行くしかないだろ!と決まった。(ゲバラがマチュピチュを見て放心する姿・・というか何を考えて放心したのかが知りたかったのだ。)しかしこのチョイスは奇想天外というか全くの別物の街、水と油、オトコとオンナという程に例えようの無い違いとしか思えない。(旅の荷物を見てみると、その両方の場所で使う服がまるで違う。そして9月の下旬、AM生活始めて初めての”海外で体験する最終営業日”の月末に出発した。・・・・今回はサンフランシスコ経由ということで、なんだか後ろ髪を惹かれる思いだ。サンフランシスコは世界でもお気に入りの町。後から少々、後悔したが、実は寄ればよかった。ダウンタウンもソーサリートも、とても好きな街だ。2~3日過ごしたら楽しかった。さて行きのJAL002便のビジネスクラスは本当に快適だった。シートが改良されていて見事な寝心地で飛んだ瞬間から7時間10分爆睡状態だった。 起きたら飛行機は着陸態勢に入る直前で慌てて貧乏根性出して食事をした。到着したら空港には沢山のディストがウロウロ。そして13時42分のアメリカウエストでラスベガスに入った。 無事にチエックインして荷物の整理。無事というのは今回泊まるMGMホテルは巨大なんてもんじゃないスケールで5000室以上あるようなメガホテルなので、普段、好きなこじんまりとホテルとは相反する、チェックインのフロントなんか量産型という感じの処理システムでどんどん人が運ばれるというカンジだ。その晩はハワイのパシフィックリムの名店”ロイズ”でメシ。洋でもない和でもない、でもワサビ、生姜、醤油、ゴハンを上手にアレンジした洋食は大変、胃腸にも心にも優しくアメリカゴハン導入の初日には身体が喜ぶ・・・・・キャリフォルニアのワインの名産地”ナパ”はここの近所、ということで飲んだワインは美味しい白のシャルドネであった。ハワイのロイ・ヤマグチの名店はラスベガスの客も満足させていた。さて、このラスベガスという街の旅行記を書くに当たる上での結論を言うならば、元来の24時間眠らない町である歓楽的な街と時差ボケ、天然ボケ・快楽主義者で一日という区切りはあまり無く、寝る、食う、話す、ショーを見る、飲む、寝る、食う、ジムで発汗、パーティー、寝る、食う、飲む、話す、飲む・・・・・のような時間の流れであった。そのすべては楽しい時間、いわば充実だったが、この街で通常生活をおくるのは不可能。というのは観光旅行とは本来こうありで非日常的な事が素敵であり、こんなダラダラ生活も良いんじゃないの・・・ということで自分で処理。では何が楽しいのかを解説・・・・・・・・・・・・・
《ラスベガス的ショー》ラスベガスの楽しさはこれだ。常駐(この表現が正しいかはわからないがぁ) シルクドソレイユの”О(オー)””KA(カー)””ミスティア””ズマニティー”などはその代表。ステージの特種効果などはとても移動できる代物ではない。ここに見に来なくては見れるものではない。しかし人間のポッシビリティー(可能性)ってこんなにあるのかと感心する。それを引き出す才能、引き出される才能に驚く。とにかく、このショーだけを見に行っても満足だろう。ほかには話題のセリーヌデュオンのショー(A New Day)他、見るべきモノが多すぎる。あと特筆するのはタダで見られるホテルの周りで行われるショーだ。べラージオホテルのファウンテン(噴水)ショー、ミラージュホテルの火山が大爆発する”ボルケーノ”他、ぶったまげる規模のショーが町中で行われている。
《カジノ》ボクはあまり熱を入れるほうではないので語る事ではないが”ギャンブルで家が建った奴はいない” 要は楽しみとして遊ぶのだ。スロット、ルーレット、カード、ダイス・・・・・それぞれやったら深い世界なんでしょうね。ただ日本のパチンコ店で遊ぶ人々と装い、雰囲気は相当に違う。いや全然違う。高級なホテルほどスゴイ空気だ。こんなのに場慣れしたらカッコいいねぇ。
《ラスベガス的食生活》 これは実に幅広い。しかし結論から申せばアメリカのゴハンだしラスベガス的な食事はやはり大量処理型。(当然、ロブションが手がける高級店なども目白押し。しかしラスベガス的で今回はハマッたのは日本語で言うならば”食べ放題バイキング”こちらで言うと”バッフェ”だ。(これを日本的に発するとビュッフェだろう。)が楽しい。楽しめる!各ホテル必死でこのバッフェにかけている。というのはこれを安く提供することで客を引き込みカジノでお金落としていただくというのが戦略なのだ。だからオレ達みたいに食って帰る奴は喜ばしい客ではないかなぁ。予算が限られた同行者は泣いて喜んでいた。
《ショッピング》ショッピングもスケールが激しい。当然、世界中の有名ブランド店が軒並みある。なかでもイベント性いっぱいのショッピングモールはすごい。古代ローマの町並みが見事で天井に描かれた空が青空から夕焼けに変化する仕掛けの”ザ・フォーラムショップス”6店の有名デパートを併設し250店もの店を擁する”ファッションショー”イタリアのベニスをモチーフにしてモール内に運河がながれカンツオーネを歌うゴンドラが流れる冗談みたいな”グランドキャナルズショップ”他、有名店の巨大アウトレットモールも3軒。買い物は欲しいものはなんでも手に入るのだ。

ラスベガス・レポート。 しかし・・ありえない企画。日本から4700人参加。

そして今回のメインイベントのラリー&パーティー(前夜祭、アフターパーティー)は素晴らしく盛り上がれた。本当に感動の域であった。前夜祭のショーのエンターティナーのライネルリッチーも想像以上の盛り上がりに本人がブッ飛んでいたが本当にすごかった(オレッて日本ではまだまだ人気があるんだなぁ!という顔を終始していた!)ラリーの表彰は感動的で皆、嬉しそうだった。その為にがんばったんだモンねぇ。そしてAMの創業者のリッチデボスは素晴らしいく “もし今・・AMをしてなかったら・・・”というスピーチで沸かせてくれた。しかし心臓移植手術後8年にしてこの元気はすごい。(世界一の記録)ラリーのエンターティナーのケニーロギンスも良かったヨォ! アフターパーティーも楽しいひと時だった。しかし個人でこのような興行をできる中島薫DCAのスケールって何なのだ!!参加者パーティーで3700人、ラリーが4500人(全員が日本から来ている・・・)すごすぎる。ニューヨークラジオシティー、ロサンジェルス・シュラインオーディトリアム・ラスベガスMGMと続きいったい次回はどこなのだろう・・・・・・・・・AMはおもしろい。

ダイヤモンドフォーラム 2004 マウイ

今回のダイヤモンドフォーラムは、マウイ島の南側のワイレア・リゾートだ。毎年素晴らしいリゾート地に行けるのはダイヤモンドになって良かったと実感できる時だ。さて、今回のグランドワイレアはホテルのレベルも相当に高いホテルだ。この地域に限らないがアメリカ人のトータルに町をデザインして美しく自然を生かしながら開発するセンスには本当に脱帽する。このホテルの界隈にはフォーシーズンを始め強力なホテルが建ち並ぶが、どこも本当に美しい。11月4日から10日までがオフィシャルで希望の人(というかほとんど)が前後に自由で北側のハナとかオアフのお気に入りのホテルに滞在というパターンだった。

ダイヤモンドフォーラム 2004 マウイ

初日はウエルカムパーティーで海沿いのプールサイドでガーデンパーティーが行われハワイアンのエンターティナーを聞きながらビュッフェスタイルのディナー。久々の全国のお友達と歓談、暴飲暴食。しかし普通、こんなビュッフェは料理は不味くて量もなくすぐ無くなってしまうのに山盛りの料理と美味さに流石!と感心。2日目はフリーチョイスアクティビティー(ゴルフ、天体観測、ディナーショー、スパなどをチョイス)ボクはフリーをチョイスして橋本ちあき&みどりTダイヤ、八松エグ、小川ニューダイヤらとサーフィン三昧、夕食はビーチサイドでイタリアン。美味しいワインをガバガバ!。

ダイヤモンドフォーラム 2004 マウイ

次の日も結局、朝から夕方までサーフィン三昧だった。幸せ度数100な最高な一時であった。橋本夫妻はハワイに数年間暮していた事もあってハワイの海を知り尽くしていて今回はアテンドしてくれて本当に感謝だった。みどりチャンも冗談みたいにサーフィンに入れこんでいて、こんな40代のサーファーな夫婦なんて見た事が無い。(長女は16才でプロスノーボーダーにしてプロサーファー)しかし、みんな好きな事をやって楽しそうだったなぁ。(橋本夫妻のすごさは後日特集でも組んで皆さんにお知らせしたい。今年一番の衝撃な家族です。本当にすごい!)そして夕飯はパシフィゥクリムの総本山のロイズでワイン飲みまくり。美味いモノ食いまくり。

ダイヤモンドフォーラム 2004 マウイ

4日目の朝はビーチウォークを1時間ジョギングして朝食、そしてビジネスセッションが行われ作家の林真理子さんが特別ゲストで講演をしたが相当に面白かった。(そういえばプロダクトフェアーは行くの忘れていたので誰かから話しを聞いてくださいな。相当に新製品が紹介されていたらしいです。)そして集合写真。(コレ大事!)午後はやっぱりサーフィンを!。

ダイヤモンドフォーラム 2004 マウイ

シンペイ、山崎ヨッちゃんCA夫妻、橋本じゅんニューダイヤ夫妻、髙木直ニューダイヤ夫妻、ケンタロー夫妻でキヘイの平和な海でサーフィンをして遊んだがこれまた楽しい時間だったなあ。ほとんどが初体験なのに波に乗れて絶叫していた!。ハワイの波は乗りやすいんだよね。デビューにはもってこい。夜はグランドバンケットで皆ドレスアップしてカクテルパーティー、着席ディナーはベジタリアンメニューをあらかじめ注文しておいたら美味かった(決してベジタリアンじゃないんだけど・・)エンターテイメントはオリータアダムスが素晴らしい美声を聞かせてくれた。オフィシャルはここまで。

ダイヤモンドフォーラム 2004 マウイ

翌日からウチと正人T、湘南・小川D、名古屋の山本夫妻他でホノルルにヒトッ飛びして2日間を過す。ハレクラニホテルはいつでも完璧!。ベルボーイに会うなりチエックイン前なのに”ハローミスターハダー!”と呼ばれてゴキゲン。さて今日もこれがまた忙しい。ワイキキは大好きな街なのでやる事が沢山ある。そしてやはりサーフィンもしたい!!。ボードも買いたい!、注文しておいたボードのピックアップもあるぞ。服も買いたいし!!。ホームセンターも行きたい!。到着した日はサーフガレージにサーフボードのオーダー、オジサンサーファーは器具に頼るのだ。晩飯は井利元W、野佐掛ひろむDも交えて中華”レジェンド”で海鮮食いまくり!ワイン飲みまくり。久々の醤油味にウナリ、そしてナゼかボクの悲願だったローカルには有名なボーリング場で食う牛テールスープがバツグンに美味しいという話題になり即刻乱入。そして注文して制覇(その間34分、いずれ紹介します)帰りにダイエーハワイ店でコナコーヒーを購入して帰った。

ダイヤモンドフォーラム 2004 マウイ

翌日は朝からサーフィン、ワイキキのポップスというビーチから10分位沖(パドルで10分は相当な距離)のポイントに入って力尽きるまで約4時間入った。橋本夫妻も来て楽しい。入っていたローカルサーファーは皆、友達になった。今日アテンドしてくれた面白いアメリカ人のトニーは友達の友達で世界は狭い。メシはローカルなオノ食堂へ乱入。信じられない感動だった。(後日紹介しますね。)そしてトニーの家を訪問。山の上にあってカワイイ!。景色もバツグンで家賃が12万円!許せない。その後アラモアナにてヒデ子さんと待ち合わせ(今回の旅行で奥さんと夕飯以外出会うのは初めてだよ!!スンマセン!)買い物をしてホテルまで帰った。

ダイヤモンドフォーラム 2004 マウイ

その後下半身の運動不足を感じてジョギングを1時間した。夕飯はカフェミロという新悦なレストラン。近所にタムラというホノルルでは有名なワイン屋があってそこでワインを購入して持ちこんでも良いという寛大なサービスを気に入った。ものすごい種類のワインの中から店員に相談して4本をチョイスしてレストランで最後の晩餐。ワインも当りで感激なヒトトキだったなあ。明日は帰国です。充充充充充充実の7日間だった。ハワイで観光的でなく日常的な過し方が出来る様に旅慣れる事が出来てウレシイ。

ダイヤモンドフォーラム 2004 マウイ

世界にはもっともっと楽しい事、綺麗な物、美味しいモノ・・・・が色々あるのだろうなあ。感謝です。(しかし今回の参加者は176組、305人その人数をファーストクラスとビジネスクラスのみで招待・・・スゴイ。そしてあなたもこのタダの旅をゲットしてください。そう!やれば出来る!!と思う。こんなインセンティブツアー(招待旅行)に来て色々な人と話せば話すほどに感じるのは・・・・皆、普通の人だ。本当に普通の人なのだ。ただあきらめなかった普通の人だと痛感する。)

何故かアフリカ最高峰・キリマンジャロ。

何故かアフリカ最高峰のキリマンジャロ。波田はアルピニスト(登山家)ではない。道具も無ければ経験もない。そしてなにより7大陸最高峰制覇などという野望も無い。”山と渓谷”なんて雑誌は絶対に立読みもしない。しかし今回はキリマンジャロを目指した。理由は一つ!。断る理由が無かったのだ。今回の隊長である石川龍彦氏(※1)は素晴らしい方だ。私事ではあるが、数年前に南米最高峰アコンカグアを目指した。それは”勢い”での約束だった。しかし丁度その時期に父親が他界して波田啓次郎のみ脱落を余儀なくしたという過去がある。(正直、脱落して安心した。後日、ビデオを見てことさら安心は確信に変った。)ところがそのリベンジにキリマンジャロはいかが?・・・という事だったが・・・。とにかく誘ってくれるということは波田でも登れる山で楽しめる見込みがあるからであろう。わざわざヒドイ目に合うような登山を石川隊長が誘うわけは無い。今回はキリマンジャロでコーヒーも飲みたいし、行っちまうカァァ~~と参加を決定。帰ってきてみたら気分はアルピニスト。7大陸最高峰制覇もあとはたったの6つか!!、ふん!!という気の大きさだ。

何故かアフリカ最高峰・キリマンジャロ。
【キリマンジャロ登山のスタート点、マラングゲート】

2003年1月16日【1日目】6時に大熊が迎えに来てくれて羽田に向かう。羽田に着いてチェックインして坪松氏と会った。(関空経由なので羽田空港発。)そして関空に飛んで登山参加者6人と会えた。今回行けなくなった林光太郎さん(※8)も来てくれて、23時30分のエミレーツ航空317便で一路、アラブの石油産出・金持国家アラブ首長国連邦のドバイに飛んだ。11時間25分のフライトの殆どを曝睡状態。到着して全員がアングリと口を開くほどにドバイ空港は豪華絢爛。流石に中東の石油産出国だ。そして24時間空港なので朝の5時過ぎなのに、物凄い数の人間が空港内を移動。店なんか100万軒開いていてまるでラスベガス。免税店で買い物をすると車が当たるキャンペーンを実施していて空港内通路にはポルシェ、ベンツ、フェラーリ、マセラティー、ベントレー、がゴロゴロと展示。さすがにアラブ首長国連邦じゃ~~と唸った。トイレのトッテが金製なら○○と考えたがTOTOだったので諦めた。そして数時間後にエミレーツ航空でアフリカのケニヤに飛び時間的には昼過ぎに到着。遠かった。本当に遠い~~。アフリカ大陸の空気は乾燥した大地の香り。なんとも形容し難いオイニイがあるが過去3回もこの臭いがした。迎えが来てくれて荷物を積みこみナイロビの街に入って宿泊のホテルに向かう。機内食を変な時間に食っていたのでランチは無しでホテルに荷物を置いて観光旅行に出た。 ジィラフパーク(群れからハグれたキリンが保護)でキリンに餌付け。物凄い迫力だ。そして何故かそこにデカイ、土色をした亀がいて、必死に唸声を上げて交尾しているのを外人も我々も関心して見入ってしまった。亀の絶叫唸り声を聞いたヒトは珍しいでしょうねえ。”えうぅぅ~”。(カッタカッタカタカタ・・という甲羅の当る音もオカシイ。)隊長、以下全員気に入って永遠に亀の絶叫の声を真似ていたアホオジさんチームとなった。その後、動物孤児センターで様々なハグれた動物を見学した。その際、チーターの檻に入れてもらいチーターとツーショットが出来た。マジで恐かったよ。チーターと心は打ち溶け合えなかった。しかし何故に水前寺清子はチーターなのか??。まぁいいかぁ・・。夕方にホテルに帰って夕飯はホテルのプールサイドでバイキングを食い飲みまくり盛り上がった。満月が美しいアフリカの風が吹く夜はロマンティックだが見まわしたら男ばかり・・・まだ、亀の絶叫をしている奴も・・寝た。

何故かアフリカ最高峰・キリマンジャロ。
【マンダラハット】

1月18日、【3日目】 アフリカはケニヤの街も高地なので清々しい朝、美味しいバイキングで朝食をとって出発。チェックアウトして乗らされたバスはなんと、乗合のバス。荷物はマイクロバスの天井に乗せられアフリカ人も乗りこみ国境の町であるナマンガに向う。昨日、”ゲェ~ヒデェバスだなあぁ!、イヤだネェあんなバス乗りたくないネェ~”と笑っていたバスにまさか自分達が乗るとは・・)約3時間のドライブでヘロヘロしながら陸のイミグレーションにてケニヤからの出国とタンザニアへの入国手続きをすませて再度、バスでタンザニア第二の都市アリューシャに向う。結構、疲れたがランチはノボテル(ホテル)で美味しいランチ。なんだか絶対に山に上がったら美味しいモノを食えそうに無いので必死に食った。アボカドサラダが抜群だったなぁ。そこから宿泊地の”モシ”という街のホテルに移動。家を出てから3日目なのに、まだまだ、キリマンジャロの麓にも着かない。モシのホテルは快適だが、シーツの上で寝るのもシャワーも今日で最後なのだ。夕飯はホテルで用意されたメシを食う。アメリカ人の学者と友達になって一緒に食事。長い移動のせいか皆、早々に倒れてしまった。
1月19日【4日目】 朝飯を食いニュートリを食い準備万端。いよいよキリマンジャロ登山の出発点であるマラングゲートに移動。登山口の雰囲気は素晴らしく、まさにこれから登山が始まるというワクワク感。入山手続きを済ませて荷物を整理。自分達のガイドのソブリンとオニックスを紹介されて、いよいよ出発。なんだかアルピニストな気分。今回はキリマンジャロの規則で荷物はポーターが持ってくれてコックもガイドも自前。6人の我々のチームを支えるのに15人のスタッフなのだ。しかし決して大名旅行とはいかない。結局はこの高度差、距離は自分の足だけが頼りだ。ガイドのソブリン(※2―波田はサブちゃんと命名)はゆっくりゆっくりとした足取りで標高2727?のマンダラハットを目指した。もちろん、この低さでは高山病の症状は出ないが、一人だけ荷物がデカイというか倍以上の用意周到・坪松氏(※3)は汗ダラダラで少し心配だ。しかしガイドはあくまで物凄いスローペースで上がっている。これが高度順応の基本なのだ。ランチは簡単なサンドイッチだがマーガリンが不味かった。皆で文句言ったらその後、二度とマーガリンは出なかったので助かった。マンダラハットまではまだまだ森林地帯で緑の空気が素晴らしい。気分はハイキングである。まだ決してアルピニストではない。約4時間で到着。ハット(山小屋)はとても可愛くて4人部屋になっている。あてがわれた部屋に入ってワクワクした。”立って半畳、寝て一畳”という言葉を思い出したがなんだか狭さが快適だ。しかし荷物を背負ってくれた現地人の汗のオイニー(臭い・・)がザックに染み着き少々の騒ぎになった。夕飯は中央の食堂で食うのだが、結構まともで皆驚いた。最後だろうと思いビールを飲んだ。調子にのって隠し持っていた緊急用バーボンを飲んだら気分が不思議な症状になったぞ!。もうすでに高度が上がっているので普通ではないのだ。食後は2段ベットに早々に入り寝袋で熟睡。酸素が薄くなり胃腸が圧迫されているせいか、みんなやたらにオナラを連発していた。一部、臭いヒトがいたが名前は伏せよう。堀正樹隊員(※4)の名誉ためにも・・・。

何故かアフリカ最高峰・キリマンジャロ。
【ホロンボハットの朝】

1月20日【5日目】 マンダラハットの朝は爽やかだ。朝焼けもキレイだ。昨晩、トイレで起きた時に夜空を見上げたら、満点の星に驚いて唖然とした。南十字星が手に届きそうな距離だ。今日は高度順応の為にココにステイして高度で数百?高いクレーター周辺を散策したりして体調の調整。今回は通常のツアーより、この高度順応に時間をかけている。この山登りは高山病との戦いでナメると地獄を見るのだそうだ。ガイド達とゆっくりゆっくり森林地帯を徘徊した。なんだか物足りないが仕方が無い。しかし、木々がものすごく珍しい形が多くて飽きない。そしてせっかく上がったのに下りるのはもったいないなあと感じながら、またまたマンダラハットの戻って、みんなで和んだ。洗濯をしたり雑務をしているうちに夕飯。今夜もメシは美味しかったがアルコールは控えた。波田の歴史に残る控えめな食生活だ。就寝。また誰かのオナラがうるさい。
1月21日【6日目】本日は移動日で朝飯を食った後に3720?のホロンボハットを目指した。はるかにキボ峰を眺め草原地帯をひたすらに歩いた。それもゆっくりゆっくり(スワヒリ語でポレポレ)。この辺にくると森林限界を超えて高い植物は殆どなくなってくる。あまりノンビリと休憩をする事もなく歩く事、約6時間でホロンボハットに到着した。今回のハット(山小屋)もとても可愛くて、ここは6人部屋で全員で同じ部屋に入れた。結構酸素が薄い感じがするのだが、考えて見れば3700?といえば、富士山の頂上と同じではないか。そう思うとイキナリ酸欠化をイメージしてしまう。お湯をタライに入れて持ってきてくれて洗顔、身体拭きをしたらジイ様みたいだけど気分が壮快だ。しかしオレはどうも高度順化がしにくい体質らしいのであと100?位歩いて上がりまた下がりを3回繰り返した。すこし足が速くなるたびに息が上がってしまう。こんなことで大丈夫だろうか。しかし景色は雄大そのもので、ここまでくるとキリマンジャロの氷河とギルマンズポイントが遠くに見える。そして下界のサバンナがウッすら見えている。夕日がものすごく美しく本山隊員(※5)と大きな岩の上で放心しながら見入ってしまった。夕焼けが終ると満点の星空で、その後にはなんとアリューシャーの街の夕焼けまで見えて素晴らしい。撮影をしてもこのスケール感は間違いなく伝わらないので視覚で記憶。またまた夕飯もいい加減、期待しなかったのに思いの他に美味しく鶏の唐揚げなんて最高だった。空気が薄いと言う事はお湯の沸点も違うので低地と同じ事をするのがなかなか困難なのだ。たいしたもんだなあ。しかし相変らず呼吸は少し辛いのだ。10時頃まで、みんなでヘミングウエイの”キリマンジャロの雪”についての考察とか、イラクの査察問題、北朝鮮拉致問題を話しあうかと思ったら終始、アホ低俗時折エロ系な話題のみの会話が繰り広げられた。

何故かアフリカ最高峰・キリマンジャロ。
【標高4700mのキボハットへ】

1月22日 【7日目】今日はまた高度順応の為にホロンボハットに滞在。しかし、じっとしていては意味が無いので水を持って400?程度を上がった。だんだんと紫外線が激しくて日焼け止めが必須だ。足立健造隊員(※6)など歌舞伎役者みたいに不気味なメイクだった。400?上がったと言っても横ではなく縦なので歩く距離は結構なものである。右側には壮大なマウエンジ峰が聳えている。白黒のまだらなゼブラロックまで上がる。そこまでは、よかったが、そこから一気に高度差はないが急な傾斜を上がったら呼吸困難になって、一気に自信喪失。高度は4200?、実際のギルマンズポイントは5685?なので、まだまだ程遠い!。大丈夫かねえ・・・。しかし、そこから見えたキリマンジャロははじめて見たキリマンジャロの全景で感動だ。まさにJTBのカレンダーで見た、コーヒーのパッケージデザインで見た、数々のアフリカ紹介の映像でみたそのもののキリマンジャロがそこのそびえていた。しかしネェ、どう考えたって遠いいぞ。まあココまで来てしまったんだから行くしかない!!。なんだかもったいないが、そこから下山して宿泊のホロンボハットに戻った。今日も清々しい風で気分は絶好調だ。
1月23日 【8日目】朝早めに準備して朝食を取った。朝食といっても、お茶と焼けた色というか柄のトースト。(焼いたのだろうが冷めていて・・・)救いはケニヤで購入してきたマヨネーズだ。不思議なのは卵の黄身の色がオレンジでなくて黄色なのだ。まあとにかくランチをもらいパッキングして出発した。今日はキボハットに向い6時間の走行予定。標高が4703?なので一層、空気が薄くなる。当然ゆっくりゆっくり(ポレポレ)上がるが少し敏速なことをするとたちまちに呼吸が困難になる。クゥキィガザスィタァァァイ・・・・景色はやっと昨日みたゼブラロックを越えるがキリマンジャロの山は歩けど歩けど近づかない。ラストウォーターポイントという小さな最後の湿地帯を抜けてサドルという高山性の砂漠で赤茶けた大地を抜ける。すでに4000?を越えているので全員、頭痛、呼吸困難など高山病の症状が出てきている。遠くにキボハットが見えてきた。しかし歩けど近づかない。6時間ゆっくり歩き到着。今回の宿舎は大部屋だが僕ら御一行様だけなのでくつろいだ。食欲もまるで無い。登山はダイエットには最高だ。きっと体重も落ちた様な気がするしアルコールだって数日飲んでいない。そんな人生何年ぶりであろうか。そして5時に夕飯をしてガイドは寝ろという。そう、明日が本番というかアタック日なのだ。日本を出て9日目、キリマンジャロを決断して半年、そのいよいよの日が明日だ。

何故かアフリカ最高峰・キリマンジャロ。
【キリマンジャロ頂上のギルマンズポイントの朝焼け】

1月24日、午前0時、【9日目】1時間前に起こされというかあまり寝られない。やはり酸素が半分の場所だと深い睡眠が得られないのだ。それに加え足立健造隊員のひどいイビキでせいぜい1時間しか寝られなかった。緊張しているし、気がはっているから精神力でゴー。宿舎の世界中から来ている外国人チームもほぼ同じ時間に頂上アタックにスタートした。一気に標高差1000?を上がって御来光(朝日)を拝むには6時間を要するのだ。たった200?を平均1時間で上がるのがやっとな程に厳しい急激な斜面、そして決して足場はしっかりしていなくて崩れる。ゆっくりゆっくり上がるが、眠いし寒いし景色は無いし休むとガイドは怒るし、そして苦しいし・・・・なんでこんな辛い思いをするのであろうかと登山家の気持なんて全くわからない。歩きながらヒトと話すユトリも酸素もなくて下ばかり向いて歩いているからロクな事考えない。苦しい~~~~。そして少し明るくなりかけた頃に頂上に到達!!。最後の一歩を登ったら倒れて外人が起きあがらせてくれた。意識不明だ。そして感動を通り越して気絶しそうに眠かった。おれは眠さには本当に弱い。優しいガイドのオニックス(※7)が熱くて甘い紅茶をサーブしてくれて、それが宇宙一美味しかったのでガブガブ飲んだら意識もエネルギーも戻ってきた。景色を見たら物凄い!!。ざまあみろ!!。おれはキリマンジャロに来たんだと痛感した。参加者全員登頂で皆で狂喜した。そこで一応は登頂。もうひとつのピークであるウフルピークを目指した。標高差で200?だが時間は往復で3時間。坪松氏はリタイヤしてガイドと下山して、他の5人はウフルに向う。今度は平坦だが一歩足を滑らせたらクレーターの底、数100?にまッさかさまだ。しかし足は重くなってきたし・・・。中盤で波田は予定変更で下山してキボハットに先回りして待機することにして他の隊員4人はウフルに向う。同じ道を下山しながら驚いた!!、よくもまあ真夜中にこんなに険しい足場の悪い道を永遠に登ったものだと関心した。はるかかなたに宿舎であったキボハットが見えるが歩けど歩けど着かない。約2時間でヘトヘトになって到着。登りもキツイが下りもヒザには辛いのだ。小休止するつもりがベットで倒れこんでわずかな時間だったが水深200?位の勢いで熟睡した。そしてみんなが戻り、感想を語り合いながら、あまりの疲れに食欲も湧かないままに下山。これからは下山の一途だがホロンボハットまで降りるのだ。おそらく3~4時間の道のりだ。もう、考える事も無しに”無”になった状態で歩いた。後ろを振り向くと雄大なキリマンジャロが!!。しかしこんなデカイものに本当に登ってきたなんて信じられない。ああ、あとは帰るだけだ・・・。夕方全員へとへとになってホロンボハットに到着。空気はだんだん楽になってきたが、まだ3700?だから人間の順応とは凄いなあ。夕飯もそんなにガツガツも食えないまま8時過ぎには全員就寝した。数日間の間、寝ていても酸素濃度が50%の為に普通ではなかった睡眠状態が慣れたのと疲れていたので翌日の6時まで永遠10時間以上もトイレに行く事も無しに全員、曝睡した。

何故かアフリカ最高峰・キリマンジャロ。
【登頂証明書をもらい、達成感!!】

1月25日【10日目】 壮快な朝である。もう1?も上には行きたくない。お家へ帰ろう!!。朝食をすませて荷物を整理してポーターに渡してから今回のサポートしてくれたスタッフ総勢15人がロッジの前に勢ぞろい。そう!!。彼らはチップを要求しているのでニコニコしている。全員の役割別にチップの贈呈式を行った。みんなウレシそうにしていた。そしてアムウェイの旗を中心に記念撮影をしてから下山。帰りも、やはり永遠に遠い。丘を越してやっとかなと思い山を越えると、またもや丘が来るのだ。下りはじめて5時間で最後というか出発点のマラングゲートに到着した。終った・・・。感無量だぞ!!。記念にカッコイイ登頂証明書をもらえた。ガイドとキリマンジャロ国立公園のサインが入っている。なんだかガイジンさんのサインが入っていると本物感が強い。ランチをした後にスタッフとは別れて車でアリューシャのホテルに向かった。途中、アフリカらしい樹齢650年の”バオバブの樹”を見たりした。そしてホテルで7日ぶりに風呂に入った。風呂の水は汚水と化していた。だから快適感は格別だ。みんなでプールサイドでビールを飲んだが本当に美味しかった。夕飯は決して美味しくは無いメシだったが、やはり相当に飢えていたせいでワインも美味しく飲めた。ちょっとの量で頭がグラングランきたぞぁ!!。達成感だなあ!!。そして嬉しい事に仲良くなったスワヒリ人ガイドのオネックス(オリックスと覚えたせいで時々、アコムとかプロミスとか呼んだ。)が可愛らしいシャイなガールフレンドを連れて会いに来てくれた。盛り上がり、その後はバーにいって堀隊員は生バンドにリクエストして歌いまくっていた。観客なゼロだが堀隊員には武道館になっていた。そして全員、倒れた。
1月26日【11日目】 朝食はあまり食えなかった。少々、都会的な二日酔いな頭痛を抱えてバスに乗る。今日はシャトルバス(全然、そんなオシャレな名前とは似つかわないヒドイ、9人乗りの乗合ワゴンだ。うんざりする程に長い距離と時間だった。しかもバスがボロくてショックが抜けていて乗り心地は最悪。右からは強力な日差しで右手の皮がむけた。国境を越えて昼過ぎにケニヤのナイロビに入った頃は全員クタクタで、そのまま観光相手のレストランに連れこまれた。しかしそこは以外や以外に美味しいというか奇妙なレストランで鶏肉、豚肉から始まり牛は当然としてゼブラ、ガゼル、ダチョウ、インパラ・・・・と普通じゃない珍獣食材のオンパレードであった。なんだか”アフリカ”を食った気がした。象やキリン、かば、ライオンも食ってみたくなった。(ウソ)その後、ガイドに無理言って地元スーパーに乱入してコーヒーなどお土産を購入。6時半の飛行機なのに3時過ぎには空港に向った。理由は航空会社がへっちゃらでWブックをしでかすのだ。アフリカの常識は違うのだ。出発までダラダラと過し飛んでからも一層、ダラダラとドバイ到着の深夜まで過した。そして深夜に経由だったのでステイすることにしたアラブ首長国連邦のドバイに到着。ギンギンギラギラな空港で目を丸くした。そして深夜にシェラトンにチェックイン、ちょっとヒトモンチャク。

何故かアフリカ最高峰・キリマンジャロ。
【現地のスタッフ(ガイド、コック、シェルパー他)】

1月27日【12日目】朝起きて、昨晩にコンシェルジェで手配した砂漠ツアーと観光に出かけるので朝食を取った。マィウーーな朝飯に満足。10時にアブダビだかアルデヒトとか言うガイドが迎えに来てトヨタランドクルーザーで町を散策、まぁ、とにかく新しい町でいたるところが建設ラッシュだ。ドバイセンター、ミュージアムを見学。昼に中華を食い、その後はメインイベントの砂漠に向い、なんとそこには仲間のランクルが数10台終結していて、4時過ぎに全車両が一気にスタートして一列に砂漠を物凄い勢いでかけ回った。飛ぶは跳ねるはで、それはそれは壮大な気分だ。時々丘陵のテッペンに停車させて景色を眺め、そこはもうアラビアのロレンスそのものの景色で、赤い土が波うって永遠に続く別世界だった。そしてその先に夕焼けが沈み、そこを野良なラクダが過ぎて行って完全にやられたのだ。もう、観光協会の仕業とは思えないが参った・・・。参加者全員放心しまくった。誰しもがイメージしたアラブがあるのだ。その後、日が暮れてからアブラハムじゃないアブダビ?が連れて行ってくれたのが、砂漠の真中の集落のような所で(もちろん観光用の場所)そこでラクダに乗せてもらった。坪松氏のラクダは気性が荒く彼は吹っ飛んでいた。そしてホテルに戻って食事。色々と夕飯の選択肢はあったが、今晩深夜の出発と言う事もあったのでホテルのビュッフェで食ったが、結構美味しくて正解。じつは昨晩のホテルのチェックイン時のフロントの失態に対してのペナルティーで支配人からの招待だったので、より嬉しい。深夜12時半にラゲージアウトして3時の飛行機で関西空港に向い時差が重なって夕方4時に関空に到着して解散した。波田はアクセスが悪く羽田に帰れたのは9時過ぎでそのまま直行して鯖寿司を食いにニコタマ・パパゲーノに迎えにきてくれた大塚健司らと乱入した。ああ、幸せな旅でした。そして日本は幸せな国だ。キリマンジャロの旅が教えてくれた事は多い。今までのどんな旅とも違う感動があった。不自由な中の快適がたまらない。そして偉大な大自然の美しさに勝る物は無いと実感した。美しい地球を守りましょう。 2003年1月
※ 1) 石川龍彦隊長、5○才には全然見えない。京大出というインテリ臭さを出さない元、高校教師。世界の山を制してヒマラヤ、アコンカグアなど7000?級はお庭。EX。
※ 2) ソブリンが正式名だが波田はサブチャンと認定。 タンザニア人のガイド。とてもインテリ系。超薄いジャージ一枚とスニーカーでキリマンジャロにポケットに手を入れて登頂。過去に100回のアタック経験。
※ 3) 坪松隊員 歩くジャポニカ百科事典、どうしてそんなこと知ってるのと言う事を日に平均12,6回ヒトを唸らせる。とにかく1、聞くと100は答えが用意されている。事前調査を鬼のようにしていて、とても初めて登山してキリマンジャロに来たとは思えない予備知識状態。そう現代のイッキューさんと呼びましょう。難は知識が多すぎるいこと・・・・?!。しかし荷物の量は要リストラ状態。DIA
※ 4) 堀正樹隊員 度々、波田とは変態旅行を共にする新潟在住40才、オシャレな年齢不肖の二児の父。6軒のカフェ、レストランを趣味で経営。波田には時々イジめられるが新潟ではきっとエライ!!。EX。次回は内科検診受けてオナカ治して登頂してください。プ~~ 。
※ 5)本山隊員 絶対に裏から見ても表から見ても下から見てもめくって見ても50歳になんて見えない。体脂肪率9%以下の研ぎ澄まされたバディーは男の憧れ。ゲイの夢。EX。水泳とランニングが得意で趣味のトライアスロンも!!!。愛車はE55!!。
※ 6 足立健造隊員 三重県四日市在住。荷物は少ないのに聞けば何でも持っている。真夏の下界でも氷点下の頂上でもほぼ同じコスチュームで過していた。上海師範大學御卒業で中国語はべーラべラ(未確認)。ユニークな人格。
※ 7) オニックス、スワヒリ人の長身ガイド。ノーとは絶対に言わない頼れる奴。彼女が可愛かった。オニックスが何故か覚えられなくてオリックスと覚えたら、みんなからオリコとかアコム、プロミスと呼ばれていた。
※ 8)林光太郎 準隊員 出発二週間前の正月にいきなり左足を骨折。ギブスに車椅子・・・行きたくなかったのか、わざとの骨折と一部からウワサ。(波田説)自分で骨を折るのは、ざぞや痛かっただろう・・・しかし、林ギャグ百連発が聞けなかったのが淋しかったなあ・・・。DIA

PVーBVスノーボードツアー 2002(12月8日~10日)

PVーBVスノーボードツアー 2002(12月8日~10日)

今回で4回目のスノーボードツアー、毎回、超のつく盛り上がりだったが、今回は特に参加者93人全員パワー炸裂発狂興奮状態。なにせ北海道でも有数の素晴らしいゲレンデのルスツ高原で2泊三日、宿泊はルスツタワーの全室スイート、3日間のリフト券付き、朝食付き、ちろん飛行機代込みで39900円の市場破壊価格の上に、今回も開催2日前までは雪不足だったのに前日に大雪、そして着いたその日から3日間はほぼ快晴。こんな強運あっていいのかという程に強運。(ちなみに東京は大雪で大混乱)

PVーBVスノーボードツアー 2002(12月8日~10日)

ゲレンデも新雪地帯もパーフェクトな状況+楽しい仲間で異常興奮は当然の事。あ~~今シーズンのスタートには最高な3日間だった。

PVーBVスノーボードツアー 2002(12月8日~10日)

居酒屋マルミツのフェアーウェル宴会も狂乱状態。来年は記念すべく第5回目で”5周年アニバーサリーモデル”企画を今から考えてます。お楽しみに。

PVーBVスノーボードツアー 2002(12月8日~10日)

ヘミングウェイが愛したキューバ

1年前に”ブエナビスタ ソシアルクラブ”というライ・クーダーのプロデュースした映画を見た時から、キューバ行きは決まっていた。その映像の鮮烈さとラテンリズムの心地よいサウンドが記憶にある方も多いだろう。キューバ音楽を紹介した映画なのだが、今までは社会主義の下でカストロ政権の元、決して観光に気軽に行く地域ではなかったが、東西冷戦状態となった現在は国交の無いアメリカは別として、あまりの遠距離を苦にしないなら(なにせ国交がないのでフロリダから150キロ弱な距離なのにエアーがないためにメキシコを経由しなくてはならない。日本から出発して翌々日に着く)素晴らしいカリブ海に浮かぶ宝石のような島だ。元はスペイン人の植民地でアフリカからの黒人奴隷が多数、労力として連れてこられていた。そこでヒスパニック系とアフリカ黒人文化が融合して新しいリズムが生まれ独特なマンボ、ソロ、ボレロ、そしてルンバへと発展して行った。これらのリズムとカリブ海からの貿易風、そしてラム酒の香りと酔いが手伝って完全にタイムスリップした街並みに引きずり込まれて行く。近代化なんて何の意味がある・・・なんて考えちゃう。

ヘミングウェイが愛したキューバ

ここの街並みはまさに驚異である。50年代に栄えて当時の近代的な美しいビル(とはいっても3階建て程度、装飾は素晴らしい。)が建ち並び、大きなアメリカ製のハネの生えたような優雅なアメ車が走り回っていた。そして1959年にカストロやゲバラの率いる革命軍によって政治的に独立。社会主義の道を歩むようになる。ソ連とのつながりが強かった為にアメリカからの物資供給はストップ。従って他の東側諸国同様に物質的に困り,車など買いなおすなどということは全く無く、ひたすらに現在にいたるまでその家、車、道具、全てのモノを直し続け使っている。しかし社会主義ゆえ最低限の生活は保証されている為に人々の生活はいたって豊か。(豊かのレベルは違うが。)屈託が無い笑い顔と犯罪が殆ど無い安全な社会が不思議にさえおもう。

ヘミングウェイが愛したキューバ

キューバをこよなく愛したアーネスト・ヘミングウェイ(1899~1961)が居を構えたのは1940年。以来20年間に渡ってこの地ですごした。ヘミングウエイはキューバ人の底抜けの明るさと澄みきった青い海に魅了されてサンフランシスコ・デ・パウラの丘の上にフィンカビビア(眺望楼)と呼ぶ邸宅を建てた。生い茂る南国のココナッツやマンゴーの樹木や極彩色の花々に囲まれ北に海を望んでいる。ノーベル賞を受賞したときもここにいた。そして午前中は自宅で執筆して午後はコヒマルという漁村に船を置き気軽に釣りを楽しんだ。その船長グレゴリオ・フォンテスこそ老人と海の主人公のモデルそのもの。現在も102才でコヒマルで漁師をして暮らしている。

ヘミングウェイが愛したキューバ

キューバは本来、社会主義だから海外旅行とか所有などの自由は無いが、彼等は決して悲壮感など微塵もなく、”キューバ主義”という言葉を使って自信と誇りに満ちていた。街中、いたるところで見られる人々の”たむろ”は何を話しているかわサッパリ分からないが、いつも皆で大笑いしている。モノを盗む人間もいないに等しいらしいし、自殺者は皆無。これだけでも素晴らしい国家ではないか。(つい何処かの金持ちぶった貧しい国と比較してしまう。)偶然的に近代化から取り残されて独自の文化が根付いたわけだが、まさにパラダイスだった。カリブの生暖かい貿易風、街を歩いていると何処からともなく香ってくるキューバ産のシガー(葉巻)の香り。ラムベースに多量の生のミントの葉っぱの入ったカクテル”モヒート”、街中で自分達が楽しむ為に歌い踊り演奏している人々、ライトアップされた旧市街、煙を吐きながら走り行く50年代の丸いアメ車、あまりにも出来すぎた平和の象徴のような国だった。

ヘミングウェイが愛したキューバ

(2001年7月初旬)

ベトナム再乱入・・・ひたすら面白い街

昨年はベトナムを代表する南のホーチミン、そして先日は北のハノイに乱入した。そのベトナムという国の歴史はまさに波乱万丈。1000年にわたる中国からの支配と侵攻、植民地支配を受けたフランスからの独立、独立と統一を同時に達成する為に、こんな小国が巨大なアメリカを打ち負かした力は何であろうか。勝利に導いたホーチミン氏の右腕、ザップ将軍は”我々は過去も現在も民族の色を守りつつ東西の全てから学び取り入れなければならない。中国や日本から学んできた様にフランスからも学ぶべきは学んだ。”と語っている。このいいものはどんどんと吸収して力にしてしまうという姿勢が全てのパワーにつながっていると思う。そして変に影響されていない独自の文化だ。ただのアジアではない、中国でもない、フランス色(食)、アメリカ的文化、全てをいいとこ取りした小さな巨人がベトナムだ。この街を楽しむにはひたすらにシクロがお勧め。街中がシクロとホンダ・スーパーカブの洪水(ホーチミンは人口60万人に対してカブが20万台・・・半端ないよ。) 信号機も交通ルールも無しに等しいのに事故は殆ど見かけない。そんなシクロで人のスピードで回りましょう。何日乗っていても楽しめる!!

ベトナム再乱入・・・ひたすら面白い街

我社には有力なベトナム情報局がある。芳賀淳氏である。彼は某・巨大電気メーカーのベトナム支局長(局員はたった一人だったらしいが・・・)を勤めたまさに企業戦士。そしてベトナム・ストリート情報はKGBもCIAも歯が立たぬと業界ではいわれている。”ベトナム・ウォーカー”なる雑誌が出来たら初代編集長は芳賀氏以外にはいないであろうといわれているツワモノである。レストランのヒット率(推薦してくれた店が本当に美味しい)は99,7%を達成。ベトナム滞在中の5年間は仕事もしないで何してたんだろうと思うほどに知り尽くしていた。

ベトナム再乱入・・・ひたすら面白い街

ベトナムという偉大な小国は成田からホーチミン(旧名称をサイゴンという)まで6時間、香港から北のハノイが2時間、ホーチミン・ハノイも国内線で2時間、南シナ界沿いにS字型に細長い形をしている。その東西の文化、食の違いが関東、関西みたいな違いで面白いので一読を。 [特集・あまり役に立たないベトナム北南事情] 芳賀淳レポート。(カッコ内は波田談) ・シクロの高さと幅が違う・…シクロとは自転車の前に人が乗るキャリアーがついた乗り物。まさに町の大切なタクシーにかわる交通機関、一時間やとって100円程度。何故だか北南でサイズが違う。 ・アオザイ(あの綺麗な女性の民族衣装)の生地と厚さが違う…(芳賀は触ったんだなぁぁ。これにみんなヤラレル!!。誰でも清楚な女学生になっちゃう!!) ・言葉が違う・・・北の発音のほうがクリアである ・税関の厳しさが違う・・・北が圧倒的にゆるい、北が首都ハノイ。(何か悪いもん持ちこんだのかぁぁ??) ・緑のヘルメット帽を被っているやつがハノイは多い・・・社会主義っぽい金の星付き。 ・ねーちゃんがハノイの方がきれい ←重要・・・・・(いや、どっちも良いよ) ・ハノイのうどん・フォーは、かなり生臭い ・ハノイは寒いし湿度も高い ・流通しているビールが南部と北部で違う ・道路を行き交うバイクとかの速度が違う・・・・北の方が全てのスピードがのんびり。 ・北の人のほうが顔つきがキツイ・・・・性格は似たようなもん ・北には華僑がほとんどいない ・大使館のあるのは北なので、基本的に偉そう(だからか、味は洗練されている気がする) ・北の方が様々な点でゆるい。灯台下暗し(もとくらし)と言うか、わざとそうしていると言うか・・・・・サイゴンへの対抗意識。 ・ハノイ以北は犬を食用にする。サイゴン以南は蛇を食う。(波田はどっちも断じて食っていない。本当だぁぁぁ!!。芳賀氏は知らない。)  ・ 歴史が違う、ハノイ1000年・サイゴン200年(ハノイは古い西洋的な建築物が相当に残っている。サイゴンは近代的ビルが沢山。やる気はサイゴン)

ベトナム再乱入・・・ひたすら面白い街

食の深さは相当なモノだ。宮廷料理的なモノもあるのだが、残念ながら食ったことはない。中部のフエなる昔の都では食えるとのこと。いつか食べて見たいなあ。しかし、別コーナー(波田啓次郎の勝手でしょ)でこれから紹介する定食屋、フォー屋(ラーメン屋)、そして高級なレストランと全てに感動の美味しさだ。中華、西洋(フレンチ)の影響を受けて昔からの食材が素晴らしい合理的な料理となって皆に愛されている。きっとまた行ってしまうんだろうなぁぁ。

ベトナム再乱入・・・ひたすら面白い街

パシフィック・コースト アメリカ西海岸

西海岸といえばアメリカ西部のキャリフォルニアからオレゴン、ワシントン州を指すが、一般的にはキャリフォルニアだろう。そして内陸部も緑豊かなところ、砂漠地帯など様々な顔を持つ。しかし、やはり海岸線の町々が西海岸的な空気がながれている。季節は一年を通じて温暖。夏は暑いが湿気がないので、一般家庭でエアコンをつけるなんて事はない程度。過ごしやすさは世界一。冬も夜はブランケット程度。ヒーターとは殆ど無縁である。(やはりサンフランシスコまで行くと秋からは相当に涼しいが。)まさに天国的な気候。またここぐらい、青い空が似合う所はない。ハワイや南の島は当たり前だが、あくまでもここには都会的なテイストがある。南国ハワイにはアロハが似合う。南の島はファラオ。北京は人民服。しかし西海岸の街に似合うのは少し気取った白に麻のシャツとかスーツとか。勿論、海岸線の街はサーフィンのメッカ。ここにはオシャレなビーチバムがいる。そしてやはりT―シャツが良く似合う。そんな自由な街が続くウエストコーストの代表的都市、ロサンジエェルスからサンフランシスコまでの700キロのドライブ、そして途中の街にふらりと訪ねた旅行をレポート。

パシフィック・コースト アメリカ西海岸

10月のロサンジェルス(ここで覚えておこう。西海岸通な人はエルエーと呼ぶ。)は空港に降りると独特の臭いを感じる。これを表現するには相当の文学的センスが必要だが、僕の中のアメリカの臭いなのだ。すこし甘ったるいカンジ。(外人は成田に着くと醤油の臭いがするという。それが日本の臭いなのだろう)そんな空気を感じながらレンタカーをピックアップ。レンタカーを借りて、また返却するたびに思うのだが、このシステムの完璧さはさすがに車社会のアメリカ、実に無駄なく大量の客と車を管理、そして処理していく。地図をみながら早速にフリーウエイに入る。片側5~6車線ある道を相当なスピードで走っている。この道が幾ら走っても無料。タダだと思うといっぱい走りたくなる。これがアメリカ中を縦横無尽に走っている。いったい日本の道路公団の高額料金は何処に入っているのだろうか。今回は大好きなLAは通過するだけ。昼に到着して約200キロ北上したサンタバーバラまで一路、向かう。途中にもマリブなど素晴らしい街があるが、そこを回るのは老後の楽しみに取っておこう。そんなところで和んでいたら目的地サンフランシスコまで1ヶ月かかってしまう。

パシフィック・コースト アメリカ西海岸

今回の旅はサンタバーバラからの上のカーメル、モントレー、そして17マイル・ドライブに時間をかけたいのでそこはフリーウエイを使った。本当はパシフィック。コーストハイウェイというまったくの海岸線沿いが素晴らしいのだが・・・。サンタバーバラには3時間弱で到着。静かなリタイアーを楽しむ人やのんびりした時間を楽しみたい人が暮らす街だ。文化レベルは相当に高い。 西海岸の朝にはクリーム色の霧が海岸地方の山岳地帯から太平洋にかけてかかる。朝日が昇り始めると、そのクリーム色のモヤがだんだんと美味しそうなオレンジ色に変化してきた。二日目の朝、桟橋から見たそんな朝焼けは今までの人生で見た朝焼けで最も美しいといえる素晴らしいものだった。こんな朝焼けが見れるだけでも、ココに住んでも良いと思う。(あいにく、時差調整ジョギングの途中なのでカメラは持参していなかった。)

パシフィック・コースト アメリカ西海岸

カーメルは小さな最も西海岸的な街だ。ここはかつて俳優のクィーント・イーストウッドが市長をしていたことでも有名だ。ここの、特に海岸線沿いの家(あえて豪邸とはいわない。ゴージャスな家はベルエアーやビバリーヒルズに行けば幾らでも見つかる。)ここの家は決してゴージャスではないが実に品が良い、そして住み手のセンスが光る家が並んでいる。樹齢数百年の木々が素晴らしい。そして自然を破壊することなく上手に融合している。目前に広がる太平洋は雄大だ。美しい波が立ち、誰しもがサーファーに憧れるだろう。街の店も上品な観光客を相手にした個性いっぱいの店が並んでいる。 17マイル・ドライブはまさに奇跡が生んだ美しい世界だ。ゴルフマニアでなくても、名前は聞いたことがあると思うが名門・ぺブルビーチ・ゴルフクラブはここにある。きっとここでゴルフをしたら他の何処にも行きたくなくなるであろう。樹齢数百年の大木と数万年かかって削られた断崖絶壁。美しく荒々しい太平洋の海。これにはどんな建造物もかなわない自然のオーラがある。

パシフィック・コースト アメリカ西海岸

サンフランシスコは坂が多い街である。上り下りに運転は技術が必要だ。そのおかげで街のいたる所から絶景が眺められる。坂を登りきって、不意に現れた遠くの海に反射する光・・・本当に、ケーブルカーに乗ったり、タクシーに乗っていても、散歩していても、そんな光景がイキナリ現れて感動する。中華街も大好きだ。観光用の中華的デザインではない、自分達の居心地のよいデザインとしての町がある。そしてゴールデンゲート・ブリッジを走るたびに映画”卒業”のダスティンホフマンになってしまう。アナタもここを歩けば必ずたそがれてしまうことだろう。 今回はキャリフォルニア・ワインの聖地、ナパ・バレーを訪れた。20年前に一度、昨年に2回目。そして今回が3回目の訪ナパだ。キャリフォルニア・ワインの歴史には触れないが、ここにはアメリカンドリームがある。実力ではフランスワインをしのぐと言われるほどにまで成長したキャリフォルニア・ワイン。そのワインナリーを見学出来るのだが情熱を感じる素晴らしい世界だ。

パシフィック・コースト アメリカ西海岸

今回、有名なレストランも訪れ美味しいワインと食事も楽しめたが、今回の大発見はニューヨークの超高級デリカテッセン・ DEAN & DELUCA が素晴らしい支店を出していた。天気の良い昼下がりだったので、そこで美味しそうなデリー(御惣菜)を十数品購入して、公園で冷えた白ワイン(勿論ナパ産)とともに昼食をしたのが最高だった。食事は何を食うかより誰と食うかだなあ・・・。楽しい仲間とのリラックスしたランチは御機嫌だ。 今回のコースは実は初めてではない。もう何回も訪れている。しかし、何度来ても新しい発見がここにはある。キャリフォルニアに来るたびに生活は楽しむ為にある・・・・・・と痛感するのだ。きっとこの先何十回も通う事になるであろうパシフィック・コースト。

イタリア食い倒れツアー    ~ ノンナ トゥ イタリア ツアー ~

5月の下旬にイタリア、ローマ、トスカーナ(ミノーレ)、地中海の島・サルディニア、フィレンツェ、ミラノ、リビエラ(ポルトフィーノ)を約11日かけて食い倒れの旅に出ました。今回は川口ノンナ(ノンナはイタリア語でオバアチャンという意味。本名・川口文子さん。75才でダイヤモンド、イタリアからワインやオリーブオイルを輸入する会社も経営しています。)今回はノンナの御供で参加。トスカーナ地方の素晴らしい農園で作られるオリーブオイルの産地(なんと、イタリアのオリーブオイル品質コンテストで金賞を受賞した名品)や、やはり無農薬にこだわったワインを生産するセラーなどを訪れて、こだわりを感じる方々から色々な話しを聞けて最高でした。こだわりは製品にとどまらず、その方々の生活へのこだわりも物凄く、まったく日本では考えられないほどに豊かで健康的、人間的な生活でした。またひとつ驚いた事に、ノンナが薦めたわけではないのにすでに、そのようなこだわった人々のキッチンにはデイッシュドロップが必ず置いてあったこと・・・(実はイタリア人はあまりアメリカ製品が好きではない・・・と思う。)判る人には判るのがアムウェイ製品ですねえ。という感じでした。簡単なレポートを楽しんでください。ここには記載出来ませんが、新しい食の発見はハンパなし。胃腸君、肝臓君、痛めつけてごめんね・・・という食い倒れの旅でした。

イタリア食い倒れツアー    ~ ノンナ トゥ イタリア ツアー ~

● トスカーナ・ミノーレは牧歌的なトスカーナの中でも特にその雰囲気が残っている地域。そこのエルマーノさんを訪ねました。彼はもとミラノで建築家をしていましたが、都会の生活より田舎での生活を選びトスカーナでこだわりのオリーブオイルを製作し始めました。その後、順調に理想的な製品が出来て殆どトスカーナの身内での消費でしたが多少、余裕がでて世の中にも出るようになりました。最近ではイタリアのオリーブオイルのコンテストで金賞を取るほどの名品に育ちました。決してビシネスを巨大化させようとせず、あくまでも自然なペース。そして収穫期ではない、時間のある時は、古い大きな農家を買取り、自分で設計しホテルに改造(8室程度のこじんまりしたホテルです。)、そして施工も自分で行うというこだわりぶり。その新しく出来たホテルで僕達を迎えてくれ、毎日、手料理の地元料理を振舞ってくれました。その味と手間の素晴らしはとても文章で表現できる域ではありませんが、まさにイタリア。まったく変な気取りがなく皆で素晴らしい時間を過ごせました。お米を使ったスープ、地鶏(全部地鶏ですが・・)を釜で焼き上げた料理、サラダ類の新鮮さ、など半端なし。今回は伯母さんから手打ちパスタの秘儀も伝授されて実演もしました。そんな素朴な楽しさがこの地の楽しさなんでしょうね。

イタリア食い倒れツアー    ~ ノンナ トゥ イタリア ツアー ~

● ミラノから車で山岳地帯のワインディングロードを抜ける事,約1時間半、イタリア地中海沿岸地方のリビエ(フランス側をコートダイジュール)のポルトフィーノに行きました。ここら辺の一帯は素晴らしい海岸線が続き、究極の景色です。ここは12年前にも一度訪れ大感動した場所(2回目の参加のFITでした。)そんな時間を楽しめました。食事は前回に偶然に発見した地元のトラットリア・・・・・・。その味の大発見は参加者、目から涙という感動。”海老のレモンソース蒸し”(定かな名称は判らない)、鰯のフリッター、パスタ類、白身魚のオリーブ蒸し・・・・思い出すと感動です。イタリア旅行の楽しさは、新しい味と昔からの伝統的な味の出会い。大満足。景色との雰囲気は凄い。港には沢山の豪華客船とアラブの王様としか思えない船が停泊。昨年の夏休みはビルゲイツ家族も来ていたと、ある写真週刊誌に出ていましたねえ。スプレンディッドという最上級のホテルもあります。

イタリア食い倒れツアー    ~ ノンナ トゥ イタリア ツアー ~

● 地中海の島、サルディニアは個人的に2回目の訪問(4年前のFIT)今回は南側の地域、特別にスペインの貴族の館(非公開)に招待されたり、小さな田舎町を訪問したりと素晴らしい時間でした。地元産のアサリをお米のような形をしたパスタでからめた料理は最高でした。さすがに地中海というかんじで、海の物は新鮮その物、前菜のオイル”サーディン”の名称の由来はサルディニアから来ているだけあって美味。古代の遺跡も感動的でした。

イタリア食い倒れツアー    ~ ノンナ トゥ イタリア ツアー ~

● 今回は偶然にもローマのバチカン市国でローマ法王・ヨハネパウロの82才御生誕ミサにも出席。ミレニアムの2000年にバチカンを訪れるだけで過去の罪が一切、消されるといわれているのに・・・・・・その上こんなにタイミングがいいとは。これも感動的なことでした。

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● ミラノは勿論、お買い物。モンテナポレオーネ界隈の有名ブランドショップはとりあえずとして、新しいセレクトショップも素晴らしい。・・・・・・・・・はダントツ、小物雑貨のハイテックはやる気満万、最後に書くのは何ですが、ミラノにおそらく6回目の訪問にして初めて見た(いつも予約が取れなかった)ミケランジェロの”最後の晩餐”は感動の一言でした。

手ぬぐい(ふきん)のコレクション!

手ぬぐいは常時、持参しているモノのひとつ。汗拭きに、手ふきに、食事時のナフキンに、運動時の頭の頭巾(ずきん)に、お弁当を包む時に、会いたくない人が前から来た時の変装用に・・・とにかく便利この上無しなのが“てぬぐい”だ。 結構、全国何処でもオモシロイものを売っているけれど、特にオススメはブランド『かまわぬ』だ。一枚1000円程度だけど素晴らしいいデザインのモノがいっぱいあってお土産なのにも使います。是非一枚お試しあれ!!!

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