東欧への旅! 行く理由はただ一つ!『行った事ないから!』

男四人は13カ国3150キロを走破っ! 2011年9月5日  東欧(東ヨーロッパ)に旅に出た。 行く理由はただ一つ!『行った事がないから!』 世界遺産も相当あるし、アドリア海沿岸部もかなり美しいと聞く。ブルガリアでヨーグルトも食べたいし、アウシュビッツも実際を見てみたかったし・・・でも主なる理由は未体験ゾーンへの好奇心だ。 東ヨーロッパ(東欧)といえば20年前には旅するなんて考えられない土地だった。なんといっても俗にいう”東側諸国”だからだ。 今では東側なんて表現されても何も思わないが、20年前ならば”ソ連とツルんでいる国々”というだけで震え上がったものだ。そんな恐怖感はかなり昔の話で、今は少し発展が遅れ気味の国々というのが印象。良く言えば良き日のヨーロッパが残る、文化レベルの高い国々だ。とにかく見てみなければ、嗅いでみなければ、触ってみなければ分からないのが東欧だ。あまり情報も無く、地図を広げてみれば好奇心がどんどん湧いてくる。ただあまり興味が湧かない国があるのも事実。だがせっかく車で旅をするし、行きそびれそうな国(マケドニア、アルバニア・・・あたり!ブルガリアもわざわざ行かないだろうし、ましてやコソボなんて紛争地帯に用事は無いし・・・そんな事を言っていると、そんな国ばかりになってしまうから、あえて全部!行ける国は全部行こうと考えた。所詮、日数には限界があるのだから、逆に下見感覚で見て回るのも良いではないか!という事で時間が許す限り行ける国は全部行く事になった。本当にメチャメチャだ。 5日 日本から香港を経由してインドのデリーも経由、そしてフランクフルトから最初の訪問国のブルガリアを目指す。朝の成田発・香港経由のキャセイ航空は中国人でいっぱい! ヨーロッパに向かっているのに香港で乗り換える。どうも違和感があるのは同じアジア圏でも文化が全然違うからなのか・・・とにかくトランジットの2時間でニオイにやられて空港の中華料理店でラーメン!(笑)そしてそのままインドまで行くのかと思いきや、タイ・バンコクでまたトランジット、それからインドへ! 香港からはモノスゴい数の中国人、そしてバンコクからはビックリする程ウルサいインド人が機内に乗り込んで来た。 今回は復路にインドに寄る為、航空券の発券上の都合で、往路にもインドに寄る必要があるのだが、いつになっても到着しない。そしてフライトスケジュールを見ればデリーで6時間近くも時間がある。アメックスのステータスで空港ラウンジを使えるのは本当に助かった。その6時間の待ち時間にラウンジでシャワーも浴びられてスッキリ爽快っ!空港でカレーも食べられた。時計を見れば家を出てから18時間・・・それでもまだアジア圏なので距離的には半分程度。これはいったい、いつに到着するの!まさに失われた9月5日・・・この日は飛行機に乗る以外の事を何もしていない!! そして深夜2時にやっとヨーロッパ圏のドイツ・フランクフルトに向かう。朝8時に到着し、ここでもお約束の様に、空港内のレストランでフランクフルトソーセージを食う!大して空腹でもないし、座っているだけなので食欲もないはずなのに。 どこまでミーハーなんでしょ!(笑)でもすべて現地で、香港でラーメン、インドでカレー、ドイツでフランクフルトを食うチャンスって無いでしょ! ここから約2時間で東欧のブルガリアに行くのだけれど、そこでヨーグルトを食えればパーフェクトなのだ。(ちなみに中国では汁麺はあまり食べないし、インドではスパイスを多量に使う煮込みをカレーと呼んでるだけ。フランクフルトソーセージも多分、どこかの食肉加工業者がつけた名前で、ブルガリアはヨーグルトが大好きだが近隣諸国でも食うし・・・知ってます。まぁギャグですよ!)   今回のメンツは、まずはアメリカから参戦の神谷アンドリュー。まさに人間ウィキペディア!聞けば何でも知っているし、初めての街でもアンドリューはそこを曲がれば何があるまで分かっている。とにかく、いてくれるだけで安心出来る男。 そして弟家族がロシアにいるなら会いに行こうと誘ったものの、ビザが激しく面倒で、結局ロシア&バルト海界隈ツアーは東欧に変更となり、弟家族との久々の再会はキャンセルとなったのに付き合ってくれる長野県松本の北野。そしてチャレンジャー&好奇心の塊の玉田との四人だ。玉田は小さなデイパックに、旅をしつくした男しか気が付かないグッズを恐ろしい程持ち合わせていた。「玉田っ◯◯持ってる!?」の質問に持っていなかったモノは無い!レンタカーに乗るなり最後部座席に洗濯物を干す専用ロープを掛けた時は唖然だった(笑)4人の共通項は好奇心旺盛、メシ好き、酒好き、無計画好き、どんな状況でも楽しめる、そして2週間の時間が取れる仕事の持ち主・・・。

《第2日目 9/6 ソフィア(①ブルガリア)》 昼過ぎにソフィアに到着。ココが最初の訪問地になった理由はただ一つ! 交通の便だ。最初に地図を見てザッと回るコースを考えた時に、ポーランドのクラコフから南下しようと思った。しかしポーランドでレンタカーを借りると、ルーマニア等には保険の関係で乗り入れが不可能。何処で借りれば良いかを捜すと、ハンガリーのブダペスト。すると回りたい予定地の中心に位置して上がって戻って、下がって戻ってをしなくてはいけないので行程が倍になる・・・そして見つけた策がブルガリアで借りて上り(北上)約13カ国をまわりブダペストでクルマを交換(EUROPCARからHEARTZへ)そしてまた北上を続けてスロバキアを抜けてポーランドに入るというコース! コースへのこだわりは無く、効率重視なのでこれで決定!  空港でクルマをピックアップして、まず水などを買おうと入ったのが会員制スーパーのMETROだ。いきなり莫大な数のモノに圧倒! 何よりビックリなのがヨーグルトコーナー!30メートル位は続き、中には家庭用なのに一斗缶(18リットル)サイズまで売っている!ヨーグルト王国は真実なのだ。 ソフィアはブルガリアの首都。旧市街地には、旧共産党本部、大統領官邸、アレキサンドルレフスキー寺院、国会議事堂など荘厳な建物が建ち並ぶ。 少し市街地の外側に出れば、そこは西側の文化が流れ込み、マクドナルドに始まる西洋の文化が流れ込み、毒されているのが印象。みんな太ってるんです。スタバでコーヒーを飲みながら一服! 違う! オレ達はこんな時間をすごしに来たのではないと気づき、一路ソフィアの南に位置する世界遺産”リラの僧院”を目指した。山のはるか奥地にある僧院は、昔、大好きなテレビ番組の”世界遺産”でバッチリ見た場所だったので感動はひとしお! 何せ永遠に続くワインディングロードの先に忽然と現れる壮大な建物・・・演出したかの如く後ろ側には奥深い谷に挟まれて霧が立ちこめ、その荘厳さに輪をかけているんです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ リラ修道院

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その後はもう一度、ソフィアに戻ってホテルにチェックイン。ホテルの名前はケンピンスキーホテル。旧ソ連時代にきっと恐ろしい会談が行われいていたんだろうと想像つくホテルは、今ではかなりカッコ良いホテルだ。ケンピンスキーホテル=検品好きホテル・・・どうしてオレってこんな覚え方しかできないのだろう!? しかし歩いているロシア系大男がどいつもこいつもKGBかロシアンマフィアに見えてしまうのは偏見・・・ ディナーは恐ろしくレストランというモノが少なくて、選ぶというより選ばれるという状態。やっとメシを食える店を見つければケーキ屋さん・・・。そして裏通りに発見したピザ屋”マンマミーア”はブルガリアのお金”レヴァ”しか使えないという。もちろんカードは不可。そしてユーロも不可。ということで店内にいたインテリそうなお兄さんをつかまえて両替をお願いして成立させた! 見事に現地通貨”レヴァ”を使って晩飯にありつけた。ウエイトレスのオネーチャンには『お金は全財産でコレだけだから!』と万が一、食い過ぎてお金が足りなくなる事を恐れてクギを刺し、テーブルにレヴァ札を広げて出しておきながらピザを食べた。このピザが絶品だった!というのもヤギ系のチーズ(クワトロフロマジオ/4種のチーズ)を注文したんですが、外はこんがり中はしっとり・・・お見事でした。 (本日269.8キロ走破)

《第3日目 9/7 ブルガリアのソフィアから②マケドニア、③コソボ、④アルバニアへ!》 早朝、闇の中を出発! コンビニなども無いのでガソリンスタンドの中の簡単な店屋でパンを購入。勢いつけて一気に南西に向かう。目指すはマケドニア。東西の壁がなくなりユーロの時代になり”国境”がどんな存在なのかが気になったが、しっかりと昔ながらの国境は存在した。まずブルガリアで出国手続きをして、少し走るとマケドニアの税関。荷物を検査され、けっこうウザクてプロテインを不思議がられて・・・こんなの国境ごとにされるのかと思ったらウンザリだったけど、これはその後マケドニアだけだった。

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小さな街、クマノヴォで休憩してカフェでお茶! そして進路を北に変えてコソボを目指す。コソボは外務省の海外渡航情報ではハッキリと”渡航の安全上、見合わせろ!”と指示が!そして”地雷に注意”とあるではないの。地雷ってどうやって注意するのと疑問に思うが・・・舗装道を歩けば大丈夫らしい。入国の時に結構な金額の保険料を払わされるのだが、長居をする予定がないコソボだったので、クルマを税関界隈に止めてシカトでそこを去り徒歩で散歩。色々と異論はあったがパスポートには”KOSOVO”とハッキリとスタンプされたのでオッケーとしようという事になり退散っ・・・滞在時間、トイレタイムを合わせて15分というショートステイとなった。しつこいが”行った”事は事実だ。その後、マケドニアに戻り目指すはオフリドの街! ここは美しい湖畔の街でユネスコの文化遺産と自然遺産の複合遺産として登録をされている貴重な場所。到着してまずは・・・メシ! 湖畔のお洒落なレストランで湖魚、エビ、鶏肉などを片っ端からオーダー。全て美味しかった。その後、丘の上の要塞まで歩いて行った。途中、ガイドにも書いていなかった円形屋外劇場にはかなり感動! 丘の頂上の要塞からの景色は絶景そのものだった。ここで大切な懺悔・・・入場料の30ディナリ(約15円)だったがカードは不可、現地のディナリは無い、ユーロも使えないということで裏の階段から忍び入った(笑)。まるで忍者のように壁にはいつくばり・・・ドキドキしながらの観光は格別だった。 その後は一気にアルバニアに入国!!

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明らかに道がいきなり悪くなっているし、交通モラルも一気に低下。ゴミも散乱! 巨大な廃墟になった工場跡が生々しい光景。そんな”衰退”だけが目についてしまう。この国はなんと1990年まで鎖国をしていて、そして1997年に国中を巻き込むモノスゴイねずみ講事件でまたもや経済破綻!(笑)とにかく遅れていて、まだまだ発展途上の国なのだ。 目的地の首都ティラナまでは山道で3時間半! これが想像以上に幅も狭く悪路。途中で雨が降り、クルマがスピンしたりと、まさに珍道中! 下を見れば崖で落ちれば真っ逆さま!そしてガードレールさえ無い!! そんな悪路を玉田が緊張しながら走り切ってくれた。 この国民、不思議なのがやたらにクルマを洗車している光景を見た事。だからといって走るクルマがキレイとは言いがたいんだけど。あとは建築途中の家や店がやたらに多い。どうして鉄筋の駆体だけで工事が止まってる建物が多いのだろう!? そして、それからの作業は自分たち素人がやっているかの様にも見える・・・ティラナに到着して、やっとホテルを捜しチェックイン。(ティラナ・インターナショナルホテル)ノンアポだったがまぁまぁな条件で成立。 夕飯はホテル横のレストランをボーイに紹介されて入った。これが美味しい上に本当に安い! ビール、ワイン1本、追加でグラス、ラムと子牛を焼いてもらい、野菜もハイレベルなグリル!炭水化物も少し注文してお一人様10ユーロ以下(1200円程度) これは幸せだ。 今日は車内で『今日は何曜日だ!?』と議論になって結論が出なかった。長距離、長時間の移動、数多いトランジット、めまぐるしい都市めぐり・・・家を出たのは月曜日・・・正直、疲れた! 本日は爆睡してエネルギーチャージをします。    (本日の走行580キロ、それも山道!)

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《第4日目 9/8 アルバニアから⑤モンテネグロから⑥クロアチアへ!》 本日はティラナから北上! ティラナの街を出て空港の脇のカメズという街を通過。車内から見る限り、雰囲気がアジアっぽい。露天商がいたり、屋台で何かを焼いて売っていたり、人々がバスを待っていたり、道ばたに座っていたり・・・でもそこにいるのはアジアンではなくて西洋人・・・ボクの中では意外な光景。人々が、街がまさに”混沌”としている。モンテネグロまでの平地も道はかなり悪くて、運転マナーなんてメチャクチャ!あまり旅慣れていない人々はお勧めしないルートだ。(笑)だいたいこの国には信号っていうモノが無い。きっとあったって誰も守らないから、最初から無い方が良いのかなぁ!?・・・なんて思う。 国境を通過してモンテネグロへ! まず確認したのは『山は黒いのか!?』という事だ。モンテはマウンテン=山、ネグロは黒 要するにモンテネグロは”黒い山”という命名の由来。(ちなみに白い山はモンブランだ。マウント・ブラン=白・・・雑学博士のアンドリューが教えてくれた。) ということで見ればなんとなく黒部分が多い気もしないでもない。そのうちドドーーンと真っ黒い山が現れる事を期待する。BAR(バール)というビーチに立ち寄った。小さな高尚な趣味である”お砂集め”を実行する為だ。ところが砂ではなくて玉砂利・・・もちろん選別して、いただいた。玉砂利が進化(?)すれば”砂”となる。その後、左側には美しいビーチが見える。かなりの誘惑だったが、一路クロアチアを目指す。すると海岸から50メートル程度の小島がそのままホテルになっているという超お洒落なスヴェティ・ステファンというホテル http://www.amanresorts.com/amansvetistefan/home.aspxが・・・気になって降りてみた。これは良いかも!! 人生の宿題にしよう! そしてBUDVA(ブドヴァ)という1000年以上も前の海辺の要塞を街にしたリゾートにてストップ。3ユーロ払って要塞の先端の展望台に行くかどうするかで悩んだが(笑)突撃! 素晴らしい景色を堪能する事が出来た。海のキレイさはハンパがない。かなり高い位置の城壁から見下ろすと随分と深そうな海底までクッキリと確認が出来た! あぁ、いきなりシャツを脱いでドボーンとダイブして泳ぎたいもんだ。ランチは何故だか醤油味をここらで体内に注入しようという意見が出て、ビーチ沿いにある”上海”と”香港”という2軒の店のうち、少々考えて”香港”に突入。(どうも後から確認したら裏側はつながっているみたい!笑) 数種類を頼んで皆でドツキ食い・・・麺類が出て来て全員、唖然とした!焼そばの麺がなんとフィットチーネ(イタリアの乾燥の平ウチ麺)に他ならない! 早々に好奇心も爆発で食べてみたら・・・やはりイタリアンのパスタだよ! 海鮮焼そばなんて誰がどうみてもシーフードトマトソースのタリアテッレだ。キノコの焼そばはギリギリにオイスターソースがかかっていたから中華っぽいが。どちらかと言えば”中華風イタリアン”である事は否めない!(笑) まぁ、楽しく食べられたから良しとしましょ!  午後はモンテネグロが誇る世界遺産KOTOR(コトル)へ。アドリア海から十数キロも入り込んだ入り江の湾。そこの丘の上にある要塞と教会などの一連。ここは美しかった。やはり丘の上に上がるには通行料3ユーロを支払わなくては!頂上までは40分はかかるとの事。あまり時間的余裕はなかったが、駆け上がることにした!6合目あたりまで行って景色を望めば絶景なり!!こんな入り江にヨットを停泊させて2、3週間でも過ごしたいなぁ! http://ja.wikipedia.org/wiki/ コトル

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(今回、ある方のホームページの情報に本当に助けられた。この方は日本人で4年6ヶ月をかけて世界246カ国を旅されて、その記録を惜しげもなくデータにしている。その方のHPを参考にさせてもらった。世界遺産という名前だけで”えっ!?”と思うモノも数ある。お二人のランク付けした高位のものは間違いが無かった。どうしても物理的な時間という枠組みがあるので大変助かった。) http://tabisite.com/ 二人の世界旅。230カ国、1554日 夕方にはドブロブニクに到着! 今回のアドリア海沿岸の中では最も期待も大きい場所だ。実はクロアチアがまだ独立をする前、当然に内戦があるもっと前、旧ユーゴスラビアだった頃にクルーズ船で海から訪れた事があるのだ。その時の強烈な印象といったら、二十年以上経ってもまるで色アセていないのだ。そして内戦があって一度は壊滅的にブチ壊された街も、全て完全に修復されて世界遺産として登録されて復活したのだ。そんな姿も見てみたかった。 街はものすごく洗練されていた。というか20数年前は春から初夏にかけてのシーズンだった事もあるし、まだ観光地として脚光なんて全く浴びていなかったからか。ヨーロッパはこうやって観光地として脚光をあびると、カッコ良く洗練されて人が集まるが、きっと行政か総括するプロデューサー的な人間がいてしっかり総合的に見るから、こんなにまとまるんだろうなぁ。 残念な事に日本は役所のオッさんがデタラメに一つ一つをこなしていっちゃうから、結果として出来上がると、悲しいくらい税金の無駄遣いの塊みたいになって魅力が半減しちゃう気がする。昔、ケーブルカーで山頂に上がってそこから街の全景を見た時にエラく感動をした。今回も、と思っていたら、我々は山間の海岸線沿いに陸路で入る為にケーブルカーの頂上の脇を通過。という事で”殆ど同じ景色でしょ!”との結論から割愛! アンドリューが昨日、ネットで捜したホテルにチェックインした。(ホテル・ドブロニク/一泊1部屋130ユーロ) 4階なのにエレベーター無しで看板に偽りあり!まぁ金額が金額だから仕方が無いか! 街に出ればかなりの人出。やはりリゾート地には人がいないと淋しい。旧市街は期待以上に美しくライトアップされてかなり雰囲気を盛り上げてくれる。小さなお店も相当にお洒落。レストランだけは期待はしていなかった。こんな世界中から人が集まる観光地なのだから仕方が無い。 ということで雰囲気を重視して対岸の夜景が美しい岸壁沿いのレストランをチェック。人々が大きなバケツに入ったムール貝をカブりついている。コレしか無い! 入ってみればバリバリに伝わるものがある。早々にビール→白ワイン→ムール貝→フィッシュプレート(ムール貝、サーディン、白身魚、小さなタコ、エビの初心者向けセット)そしてサラダを注文! これが全てダイナマイト級に美味しかった。そして御会計をすれば100ユーロっ! 安っ!!!涙が出る程のパーフェクトディナァーになりましたよ!(おとなり地中海は海産物パラダイス!素材がいいから不味いわけがない!) THANKGOD! (本日320.6キロ走破!)

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《第5日目 9/9 クロアチアから⑦ボスニアヘルツゴビナ、⑧ブルチコ独立行政区、⑨スルプスカ共和国、⑩セルビア 》  ドブロブニクの朝は気持ちいい風が吹いていた。少しだけ近所を散歩したら公園のベンチのまわりなどにおびただしい数のビールの空き瓶が散乱! 若者が盛り上がってたんだなぁ。確かに昨夜は深夜まで外では、そこら中でパーティーをしていた。早々に荷物を積み込んで一路、ボスニア方面へ! 途中で給油の際にバックをしていたドライバーの玉田君、いきなり地元の若者のクルマのドアにガシャン!いやドッスーン! ぶつけられた若者は怒り狂う!そりゃそうだ。だいたい我々のクルマはサードシートの荷物上はお洗濯乾燥コーナーになっていて後部の確認はまるで出来ない状態なのだ。そして日本語VSセルビア語ではラチがあかずに英語が話せる女子が連れて来られた。どんどんと野次馬も集まる。そして通訳を買ってでた女の子が思い切って言って来た!『警察を呼ぶと面倒だから示談しましょ!・・・100ユーロでどーよ!?』・・・4人でウンウンとうなずき微笑んで100ユーロを出すと、相手のセルビア人男は満面の笑みで握手を求めてきた。ドアが一枚100ユーロ!どう考えたって安い。とてもピースフルな民間交流が行われた。 去り際にセルビア男はガッツポーズをしていたのを見逃さなかった。(笑) 一路、ボスニアヘルツェゴビナの世界遺産MOSTAR(モスタル)へ! ここの有名な橋はテレビ世界遺産でも見た事があった。橋の欄干に海パンで立つお兄さんがいる。お金を払えば、そこから飛び込んでみせるという芸らしい。景気が悪いのかお金を払ってまで見ようとする人がいなくてかわいそうだった。橋は1990年代の紛争で完全に壊されたが、見事に修復していた。街のあちこちに弾痕が残っていたのが、本当に痛々しかった。

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その後は首都サラエボまで山道を走り抜けて行った。サラエボの街も所々に弾痕が残っている。戦火に被害にあったままのビルも残り、かなりの空爆を受けたであろう爪痕も見られた。ホテル・ホリデーイン・サラエボにてランチ。ここは戦火の中でも営業を続けたという伝説のホテルなのだ。世界中のジャーナリストが世界にニュースを発信し続けるのをサポートしたというホテルは1960年代のかなりミッドセンチュリー系の建物&デザインで、老朽化しているのは否めないが、今なおいい雰囲気を残している。ランチはホリデーインの二階のレストランで肉料理をいただいた。ボスニアヘルツェゴビナは”お肉天国”と聞いていたので期待は大! 街は川を中心とした決してハデさはないけれど、住人のインテリジェンスを感じる素敵な街だった。もう少しゆっくりしたいなぁ・・・という気持ちを引きずりながら移動した。今日は夜までに更に約320キロ離れたベオグラード(セルビア)まで移動しなくてはならない! 途中で⑧スルプスカ共和国という初耳の国にも寄るのだ。 セルビアの首都ベオグラードに到着したのは23時頃。ネットで昨日予約をしておいたホテルを捜してチェックイン!かなりデザイナー系の素敵なホテルだが、ネット直前価格で一人約5000円程度。ハイシーズンでなければ、こんな旅も可能なのだ。 今回の旅は全て”行き当たりバッチリ”プラン。ホテルの予約は移動しながらパソコンで前日、または当日予約! この二つのサイトがあれば全く問題無い。  http://www.expedia.co.jp/  http://nicetripper3.com/hotelB/ 夕飯を食べていなくて、空腹と疲労でクラクラ・・・でも街に出ることにした。しかし外食屋はほとんどやってなくて、かなりトホホ・・・やっとカードで食べられる店を発見した時は24時も超していたのでサンドイッチ(というかコレしか無かった)とビール程度。 金曜日だっていうのに・・・帰って寝ましょ! (本日の走行距離622.6キロ・・・スゴっ!)

《6日目 9/10 セルビアから⑪ハンガリーのブダペストへ!》 朝は7時から朝食!かなりボリューミィーで美味しい朝食。ついサンドイッチを作って”小腹空き対策用”として用意してしまう程の美味しいハム、プロシュート、チーズなどが揃っている。 車を出して来て荷物を積むとともに、全員で車内洗濯物コーナーに各自洗って来たシャツやパンツを物干にかけて干す!(笑)今回、飛行機の乗り継ぎがあまりに多く、経験上、荷物が紛失する可能性が大。どうしても全ての荷物を機内持ち込みにしなくてはならない上、レンタカーに四人分の荷物を載せるという事は極端に荷物を少なくしなくてはならず、持ち物をかなり制限された為にこれがベスト!しかしセルビア国境警察の女性係官に車内に干していた洗濯物のパンツを、指を指して笑われたのは悲しい記憶である。(笑) ベオグラードの街を散策。国会議事堂やセルビア教会、旧市街地などを散策! NATO軍に空爆されたビルなどが記念碑的に残されているのが痛々しかった。 昼前にはアウトバーンで一気にブダペストに向かう。しかしセルビア国境で予想外に待たされて時間を取られてしまった。待つ事、車内で2時間、これにはウンザリ。そして入国で更に30分! あとブダペストまで175キロ。でもアウトバーン(高速道路)は最高速度制限が120キロなので、130キロでぶっ飛ばせば1時間半!   ブダペストに入ってビックリした。明らかにものすごいいい街なのだ。古い建物は美しくちゃんとして保存され、地図で見る限り、程よい大きさ。ブダ地区とペスト地区の間を流れるドナウ川も美しいしそこをつなぐ橋もいい雰囲気のデザインだ。また緑も多いし、丘の上の宮殿やパーラメント(国会議事堂)、中央市場、駅・・・・全てが本当に美しい。今朝予約しておいたホテル(フランス系のビジネスホテルでアイビスという)に早々にチェックインをしてそのまま街へ出た。川沿いを歩いて散策!景色を見ているだけでウットリだ。その美しさはパリ以上かもしれないなぁ。散々歩いて、腹も減りタクシーをつかまえると、ドライバーがなかなかいいヤツで、折角なので街の観光スポットを色々と連れて行ってもらった。パーラメント(国会議事堂)を対岸から見た姿なんて本当に美しい。建築物として美しいだけではなくライトアップされて、それがピタッと静かに雄大に流れるドナウ川に写り込み、綺麗さが100万倍になっている。丘の上のレストランに連れて行ってくれたがビールだけで退散。ホテルで教えてくれたハンガリー料理の店に行ったら予約でいっぱい!という事でホテル近くのあまりに美味しそうだったスペインバルに入って、プロシュート、フォアグラ(ハンガリーは名産)、そしてピンチョス数種類を食べてワインを飲んだ。それもハンガリーワインではなくてスペイン産(笑)そして4人で泥酔! 楽しい夜でした。  (本日422.7キロ走破!通算2215.7キロ)

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《7日目 9/11 ブダペスト(ハンガリー)から⑫スロバキア、⑬チェコを抜けて⑭ポーランドへ!予定660キロ、東京から岡山県程度!?》 今日は日曜日という事もあってブダペストの街はスローな始まり!9時にカフェが開いてのんびりとブレックファースト。 野菜のトマト煮込みの”レチョー”と魚味がやたらに濃いツナサンドをいただいた。 昨日は炭水化物無しで飲んでいたのでやたらに空腹なのだ。(そして二日酔い・・・) その後、10時にドナウ川の遊覧クルーズ船に乗った。かなりノンキな1時間のクルーズだった。 今日はレンタカー交換の日。ブルガリアで借りた車(ユーロレンタカー/韓国製KIA7人乗りミニバン)を返却して、ハーツレンタカーからVWパサートワゴンを借りた。 ランチはまたまた好奇心が膨らんだというかサンドイッチ的なモノが食べたくなくて満場一致で中華にチャレンジ!・・・満場一致で”ひどいメシ”の意見。二度と東欧で中華は食うまいと心に誓う。だいたい日本食レストラン、イタリアンすら見ないから、おそらく食に対しての好奇心はあまり無いのかもしれないなぁ。テイクアウトで酢豚っぽいモノを注文する人々を何人か見たので我々も注文してみたが、アメリカにも時々あるスィートサワーポークとうヤツで、それはそれは甘くてズレた酸っぱさでお世辞にも美味いとは言えなかった・・・というかマズかったなぁ・・・ヒドすぎて午後の会話にも出なかった。(笑)   かなりの後ろ髪を引かれながらブダペストを後にした。まぁ、気持ちよく全く見るべき物を見れていないので、次回の下見と思えばよろしい。 そのまま快適なVWパサートでアウトバーンに入り660キロ先のポーランドを目指す。 途中、スロバキアに入ったがEU加盟国なので国境は無く、少し淋しい。お買い物を少ししただけで通過。そのまま車は進んでチェコに突入! せっかくなので世界遺産のあるオロモウツに向かうが途中で挫折! 勘だけでチェコの山道は無理と判断。でも波田は新種のオイルサーディンの缶詰を発見出来てご満悦! 結局、ポーランドに入ってから道の状況が決して良くなく、途中のドライブインでディナーをして、23時にクラクフ(ポーランド)に到着した。今回はホテルでは無く、ポーランド人の友人アンジェイが紹介して予約してくれたアパートメントにチェックイン! 推定150?ある部屋は4ベッドルームでジャグジーもついて3日間で48000円(一人1日4000円)という部屋!これがかなり快適! ロング移動は今日で最後。明日からはここクラクフ(アンジェイはポーランドの京都と表現していた。)をゆっくりモードでまわります。 (本日はなんと710キロを走破!)

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《8日目 9/12 クラクフ(ポーランド)界隈!》 朝はアパートのキッチンで、昨日買い込んだ食材で朝食。 朝も夜もリビングで和めるし、それだけでも解放される。 さて、今日は午前中はヴィエリチカ岩塩坑に乱入。これも当然の世界遺産! クラクフの街から約1時間の距離。深さ100mくらいまで永遠に階段を下る。帰りはエレベーターで帰れるのか、かなり不安モードになったが大丈夫! 深さは300m以上、全長は300km以上に及び、そのわずか2.5kmのみを公開している。(2.5kmで充分!)まさに地下都市状態で中には教会(チャペル)バレーボールやバスケットボールをする運動場まである。1250年からスタートして約500年も採掘し続け、1950年代まで続いたというまさに世界遺産にふさわしい壮大な洞窟なのだ。実はチケットを買う時に、適当に見て帰ろうと考えていたので、ツアーに参加したくない旨を話すと、それは出来ないとの答え。行ってわかったが帰れるはずもない迷路状態だった。しかし人間の力と知恵というのは偉大だと痛感する素晴らしい体験だった。 http://www6.ocn.ne.jp/~wnet/story.html

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岩塩坑のチャペル。シャンデリアも岩塩製 さて、ヴィエリチカ岩塩坑見学に意外に時間がかかり、午後のアウシュビッツのツアーガイドの中谷さんとのアポに危うい時間になってきた。ここから車で推定1時間30分。でもあと45分しかない。これは困った! でもそこは素晴らしいのはアウトバーンだ。 制限速度は、昔は無かったが現在は時速120キロ(場所により異なる)。それ以上にマナーが素晴らしいので中央線をトロトロ走るヤツはまずいないので飛ばすのがラクチン! ということで時間に15分遅れるだけでアウシュビッツに到着できた。(一時は時速200キロオーバー!波田の気分はシューマッハだった!)   そして今回のメインイベントの一つ、アウシュビッツ強制収容所を見学。ガイドの中谷氏は様々なガイドブックに紹介されている唯一の日本人ガイドで、幾多の難関を乗り越えてこの仕事に就かれている方だ。このアウシュビッツで何が行われたかをここには記さないが、見学していて目をつむる事、そしてとてもではないがシャッターなど切れない部分も沢山あった。ユネスコはこれを悲劇の証拠として”負の世界遺産”として登録をしている。ヨーロッパというかユーラシアの土地、過去支配して来た国々、その精神状態、人種、民族、宗教など、からまる幾多の複雑な背景を考えないと、なかなか納得できるものではないが、二度と犯してはならない事件であるのは事実。ガイドの中谷さんはたんたんと様々なここで行われていた事を話してくれたが、最後に”平和”という事の矛盾について語られたのが特に印象に残った。 http://ja.wikipedia.org/wiki/アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所

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夕飯はクラコフに戻り CHLOPSKIEJADLO http://www.chlopskiejadlo.pl/onas.php で食事!! 基本的ポーランド人の食事はとても日本人好み!! スープからメインの肉詰めワンタン、ピエロギと全てが美味しくまたまた飲み過ぎてしまった。 その後はアパートの一階にあるポーランド人アンジェイ紹介のスキャンダルロイヤルへ! ・・・ここハンパ無いっ!!(とにかく行ってみるがいい!!後悔はさせません!!)

《9日目 9/13 クラクフ界隈》 せっかくレンタカーもあるし様々な計画が立てられたが、土壇場でホテルの自転車を借りて、近所の旧市街界隈(ココ自体が全て世界遺産)、バルバカン(城壁入り口)、ヴァベル城、ヴァベル城の大聖堂、聖メアリー教会の展望台、聖メアリー教会大聖堂、ユダヤ人街、ヴィスワ川沿いをサイクリング、河原のカフェでランチ&ビール ・・・今日もまた充実!!本当に清々しい天気でいい気分だった。 夜はまたまた昨夜に続いて、アパート下のスキャンダルロイヤルという、それはそれは楽しいお店でアフター!(笑)シュチェパンスキ広場に置かれた席での飲み食いは本当に自分が外国にいると感じられる瞬間。食事もビールもワインも最高!そしてマジックアワーからほぼ満月タイムを楽しめてゴキゲン! ここのお店のウエイトレス・・・尋常ではない可愛さだったんです。どの子も・・・(笑)独身のあなたならポーランドに引っ越すかと思うかも! 東欧ラストナイト。

東欧への旅! 行く理由はただ一つ!『行った事ないから!』

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今回の旅、とても難易度は高い旅でした、何せ9日間で走行した距離は通算3150キロ、それは日本列島を北海道の稚内をスタートして鹿児島の枕崎をタッチして戻り、大阪、東京、仙台を過ぎて岩手県あたりまでの距離に匹敵するのだ。スゴい日なんか、アウトバーンとはいえブダペストからクラクフは710キロ! それって誰にもお勧めできるとは思えないけど素晴らしい時間でした。 想像出来なかったのが国境! EU圏内ならば楽勝で当然だけど、そうでない国々の国境越えはなぜか緊張を強いられる。またその国によって保険をかけろ、通行料を払えとガイドブックにはない様々な難題が!それも今では面白かった。

東欧への旅! 行く理由はただ一つ!『行った事ないから!』

真面目なアンドリューのおかげで安心出来た事も多々あり。 あと、これはちょっとばかり困ったのは、ほぼ全ての国で貨幣が違った事。ブルガリア=レヴァ、マケドニア=ディナリ、アルバニア=レク、モンテネグロ=ユーロ、クロアチア=クーナ、ボスニアヘルツェゴビナ=マルカ、セルビア=ディナール、ハンガリー=コリント、スロバキア=ユーロ、ポーランド=ズォティー・・・毎回、両替など出来ないし、カード(VISA、MASTER!)が使えれば問題無いけど、もし使えないと大変! まぁユーロがあれば何とか出来たが。 それも全ていい経験でした。こんな変態旅行にご一緒できる仲間がいる事は幸せな事。そして出来る環境や時間があるのも幸せだ。    若者よ、老人よ!とにかく誰でも!自由を味わいに旅に出よう。そして、檻の中の囲われた自由より、ホンモノの自由を味わって欲しい。  近々、残りの東ヨーロッパを必ず制覇しますよ!! バルト三国とかロシアも含めて全部まわります。 今回はどうしても回れなかったルーマニアも含めて・・・個人的な話だが今回の旅で訪問国数は65カ国となった。目標の153カ国まであと88カ国だ。

東欧への旅! 行く理由はただ一つ!『行った事ないから!』

追加!! 帰りにインドに寄り道! そして悲願のタージマハールへ! 泣けたよ・・・

イギリスの”メシがマズい”と言ったのは誰だ!

イギリスを訪れた。海外に行く時に頻繁に持ち物に加えるのが”チューブのワサビと醤油”なのだが、イギリスに行くのにも当然に持ち合わせた。イタリアやフランスに行く時には持たないのに・・・ハッキリ言って食事にはなんの期待も無かったのが事実だ。しかし、その予想は大きく裏切られた。考えてみれば初めて行ったイギリスは今から30年前の波田の20代前半のバックパッカー時代。その頃のイギリスは本当に景気が悪かった。そして二回目が20年前のEDCの初参加の時・・・どの時もイギリスは決して景気がヨロシイ状況では無かったからであろうか、波田の印象は”街は暗く、人も暗い・・”で止まっていたのだ・・・だから、その間に”イギリスに行く”という人に会うと正直、『ナニしに行くの!?』というのが本音だった。(笑)
《初日&移動日》6月4日 成田からヒースローへ!ヒースローには30年来の友人のMr.梶原(有名オーガニックの化粧品とアロマの先駆者でニールスヤードのオーナー。原宿のブラウンライスも経営、とにかく多方面の経営をする。現在はロンドンに在住していて、またどんどんと新しいビジネスを創造しているクリエーター。)が迎えに来てくれて、一路ロンドンの郊外のコッツウオーッズを目指した。 ロンドンは30分も郊外に向かえば、もう牧歌的な空気の景色ばかりとなる。まさに豊かさの象徴のような景色の連続だ。ブロードウェイという街の400年の歴史をもつホテル BARCELO THE LYGON ARMSにチエックイン。夕食はホテルのレストランで気取ったイギリス料理。まずはちゃんと美味しかった。(気持ちが疑ってかかっていたからなぁ・・(笑)

イギリスの"メシがマズい"と言ったのは誰だ!

《二日目》  見事に時差ボケの朝! 早朝に近所を散策したが、本当に歴史を大切にする町づくりで感心する。家は数百年経った石造りの建物。(石を張りつけたハリボテではなく本当の石積みの家。家の建て替えなんて個人の勝手では出来ないのがイギリスの町づくりで、だから未節操な建築物も無いしキレイに街がデザインされているのだ。)そしてどの家も庭作りが本当に素敵なのだ。少し街から離れるとそこは草原地帯・・・コッツウォーズ、ボートオンザウォーター、ストラトフォード、チッピングカムドゥン・・・どこも本当に素敵な街だ。イギリス人の成功者は沢山稼いで、早く引退してここら辺界隈に住んでカントリーライフを楽しみたいと思う人が圧倒的に多いらしい。 ランチは街の中心部でやっていた食品中心のマーケットで試食をしまくり。インド人の出していたお持ち帰りカレーの試食をしているうちにお腹イッパイになりランチは省略。 その後はバースに移動。 ここはローマ時代のお風呂が遺跡としてそのまま残る場所。お風呂の”バス”の語源となった街!ここがまた本当にキレイなんです。 夕飯はホテル近所のタイフード。これがまたまた美味かった!

イギリスの"メシがマズい"と言ったのは誰だ!

《三日目》朝イチで近所の散策! 川の滝が見事にキレイ! そしてローマ時代から残る公衆浴場を見学。ローマ人の時代から床下暖房があったのだ。そのスケールには圧巻! Mr.梶原はどこの街も津々浦々まで知り尽くしていて、そのベストポイントを見せてくれる。 その後はローワースォーター、デイリーズフォートオーガニック(今イギリスで相当に人気の自然食品系レストラン&雑貨屋さん)を見学。充実の時間の連続だ。渋滞を避ける為に早めにロンドンに戻って、日曜日だったので、ブリックレーンのマーケット(市)を見学。かなりストリートな感じで楽しいマーケットだった。
ロンドンのホテル Millennium Hotel London Mayfair(44Grosvenor Square Mayfair.LONDON W1K2HP UK) にチエックイン。ロンドンを見るならば素晴らしく動きやすく、便利なエリア。地下鉄の駅にもかなり近く、ハイドパークやリージェントパークも歩行距離で環境も抜群。ただロンドンはホテル料金が本当に高いので覚悟を!
夜は今夜だけ一人だ。ホテルのコンシェルジェで様々なレストランを紹介された。そして中東はレバノン料理に決定。トルコ料理との区別はつかないが、かなり美味しい時間でした。
《4日目》朝はハイドパークを一周散策。ゆっくり走って一時間なので推定7キロ! しかし公園の池はどう見ても池なのに真剣にトライアスロンの練習かたがた水泳をしている人が多数! とにかく緑が本当に美しい。ロンドン市内の移動は地下鉄(メトロ)とバスが本当に便利。不思議なのが初乗りが500円近いのに東京のスイカに相当するオイスターカードを使うと全然、安くなる。
月曜日の朝はコベントガーデンのアンティーク・マーケットが開いているので行ってみた。小さな露天を開く人々は楽しみながら趣味で開いているかの風情、その後はピカデリーサーカスの大英博物館を訪れたが大き過ぎて全部は無理なのでダイジェストで回った。しかし感心するのがロンドンで地図を広げて道を探していると『どこに行くかわかる?』と声をかけてくるローカル多数!こんな街はそうはない。彼らの中にはジェントルマン精神がバリバリに息づいているからであろうが、それにしても感動する。ランチは中華街近くのミシュランで星を取っている飲茶をトライ。美味いけどやはり中華は大人数が正しいなぁ。 SOHOの街の中にある公園・フェニックスガーデンはビルの狭間の公園なんだけど、小さな公園の樹々に下にベンチが隠れていて、良く見ると沢山の人が和んでる・・なんだかロンドンの象徴的な景色にも思えました。その後、デパートのハロッズやハーベイニコルズなどを見た。 コレといって買うものが無いのはロンドンっ子はあまりファッションに興味がないからかな・・夕方に、日本から到着したばかりの土田氏と合流してコマーシャルストリートのSt.JOHNで夕飯! この店はパン屋が経営するレストラン。相当に美味かった。(土田氏はロンドンに年に何回も通う、正真正銘のロンドン”通”で日本で約70軒のファッション店舗を経営し、アンティーク家具の店も経営。店の什器で使う都合でイギリスには特に通い込んでいて、ロンドンを知り尽くす方。奥様も同様で先日も”Miss土田と回るロンドン”という企画で雑誌社のロンドン特集が組まれていた。そんな方に案内してもらえるのもスゴい!25年来のお友達です。
St。JOHN (resevation 020-7251-0848)
St,JOHN Bread & Wine 94096Commercial Street London E1 6LZ
www.stjohnbredandwine.com

イギリスの"メシがマズい"と言ったのは誰だ!

《5日目》朝から地下鉄でウエストミンスターへ。地下鉄を出た瞬間に目の前にビックベンが現れてイギリス感はヒートアップ! 大観覧車ロンドンアイでロンドンを展望! その後は植物博物館、フルハムブロードウェイの建物の金物屋、リージェント公園の庭園、キングスロード(スローンスクエアからキングスロード)チェルシーガーデン(ガーデニングシヨップ)、コンランショップ(本店)、デイリーズフォートのカフェ(先日行ったカントリーサイドの店の都会バージョン)・・・とにかく一日、良く歩いた。万歩計の数字は2万6千歩! 夕飯はデイリーズフォートの店長に聞いたレストランにトライ!超オシャレで美味しい。これまたビックリだった。
The Orange.!(37 PimlicoRoad London SW1W8NE, 020-7881-9844 ,
THE ORANGE.CO.UK) /reservations@theorange.co.uk
ただし注意!どうもイギリス人は注文したものを前菜、副菜、メイン・・・とゆっくり持ってくるのが得意でないようでドンドンと持って来る。
《6日目》朝からレンタカーをピックアップしてロンドンから約3時間弱のリーンカーンのアンティーク・マーケットへ。ここは、わりと小さめなマーケットなのでウオーミングアップ! しかし世界中からのアンティーク家具のバイヤーが集まるだけあってモノの動きが激しい。いいかなぁ・・なんて思っていたらすぐに無くなってるのだ。とにかく雰囲気が英国なんです。  夕飯は醤油味が恋しくなり店構えで選んだ中華料理店! 宿泊はニューアークのB&Bでここは素晴らしい。
info@grangenewark.co.uk The GrangeHotel

イギリスの"メシがマズい"と言ったのは誰だ!

《7日目》ここのホテルが本当に朝ご飯が美味しかった。基本的なイングリッシュブレックファーストだ。数々の賞を受賞しているらしく壁には沢山の賞状が飾ってあった。 朝イチからニューアークのアンティーク・マーケットを散策。ここはイギリスだけでなく世界でも最大規模のアンティーク・マーケットでサッカーグランド2面、いや3面位はあるスケールに山の様な物が持ち込まれている。買っているのはプロっぽい人が殆ど。見るのも計画的に見ないと大変だ!イギリス人は本当にモノを捨てない国民なのだが、こんなモノまで売るの的なモノから、偽物っぽいモノ、本当に多種多様なモノが売られ、大きな家具から小さなアクセサリーまで本当に幅広い。土田氏のスタッフもチームを組んで朝から猛烈な勢いでモノを見つけて買い、トレーラーに積み込みをしていた。ランチはマーケット内で立ち食いのホットドック・・・今回の旅で一度だけ食事でハズれたのはここだった。まぁ状況が状況なので仕方がないのだが・・・期待通りに不味くてよかった。(あまり全部が美味しいとウソ臭いし・・) 夕方にロンドンに戻りレンタカーを返却して、近所のイタリアンで食事。ホテルのコンシェルジェのおすすめがイタリアンレストラン The Genova. 店主もスタッフも生粋のイタリアンでサービスもイタリアン!ここのワゴンでくる前菜は美味しかった!!

イギリスの"メシがマズい"と言ったのは誰だ!

《8日目》朝から他の人々(土田氏とゲスト)はお買い物に行くというので、一人で二階建バス(ロンドンバス)のチケットを買って市内観光。これがかなり観光気分が盛り上がります。テームズ川沿いのコンラン卿のデザインミュージアム、装飾品を集めたミュ―ジアム、そしてセビルロードを散策。(言わずと知れた男性スーツの背広の語源となった道)トラディッショナルな店が並ぶのだ。
夕方に土田氏とチエーンファーム駅で待ち合わせてご近所散策。イアンマッキーという生地屋さんに案内された。とても小さな良い街なのだが住みやすそうだ。近所の公園に連れて行ってもらったら、そこも市内のリージェントパークの片隅だという。いったいどれだけ大きい公園なんだろう! そして6時半に梶原氏の住む町、ハムステッドを訪れて待ち合わせ。そして3人でハムステッドを散歩、この街も本当にキレイだ。なんだかこんなにキレイな処ばかりにいると自分がキタナい人間に思えてきてしまう。 その後、地元で愛されるイタリアレストランで食事をした。これまた美味しい! その後ハムステッドの石造りのパブで一杯飲んで梶原氏が送ってくれてホテルに深夜に戻った。今日、イギリスの文化を日本に伝えるツートップ、そして新時代のアントレプルニュアーとの会話から学ぶ事は膨大であった。こんな幸せはそうあるものではない。
《9日目》朝からノッティンヒルのポートベローズのマーケットにくりだした。先日のニューアークとかは業者向けで、こちらは完全に観光というか一般向き! かなり楽しいけど時間とともにものすごい人出になってきた。 その後、ブリックレーンのレイバー&ウエイト(ガーデン用品の専門店)で買い物とおもいきや開店が13時ということで近所を散策。この界隈はインド料理専門店が秋葉原みたいに集中しているので、ランチはカレー屋で食べた。イギリスはインドを植民地にしていた関係か、沢山のインド人がイギリスに住んでいる関係でインド料理が相当に美味しい。中華料理店以上に多い気もする。待ちに待ったレイバー&ウエイトは楽しい店だった。 その後はタクシーでエンジェルを散策。ここもかなりスノッブな店のあるエリアでセレクト系のアンティークショップが並ぶ。(しかし値段は先日のニューアークの倍には感じる。もちろん日本では三倍だろうが・・) そんなハードと言えばハード、しかし充実と言えばこれ以上の充実はないであろう、素晴らしい時間の連続であった。
夕方のフライトで帰路に着く! 今回の大収穫はもちろん、イギリスへの間違った印象が全て正された事に他ならない。ロンドンは次のオリンピック開催地でもある。これからはロンドンから目が離せない! つねにチエックな街なのは間違いない。

モロッコまでひとっ飛び!!

冬のパリを訪れた。ハダのイメージでは春や秋のパリはもちろん、清々しくマロニエの並木道を歩いても、セーヌ川のほとりを歩いても、素晴らしい季節感があって好きなのだが、冬のパリは格別な楽しみが沢山あった。もちろん外気温は1桁になるのでそれなりのコートなどの装備も必要で荷物も多いのだが、それを差し引いても素晴らしい季節だ。特に街のイルミネーションは強烈で、エッフェル塔のライトアップショーなんて一人の観光客として観光協会の期待に応えるべく放心しながら口をあんぐりあいて、その美しさに見とれるのであった。 そんな素敵な8日間を過ごした後、何処かに行こうと世界地図を開いた。 寒いのが好きと言いながらもパリより北上する事は考えにくく、従って赤道に向かうのが正しき道! それはアフリカ大陸で未体験ゾーンといえば”魅惑のモロッコ”という事になった。 アフリカはそのままのイメージのサファリ(ケニアの国立公園でヌーの大移動、ライオン、象などをはじめ野生動物を観賞する旅)、そしてアフリカ最高峰のキリマンジャロを登る旅(タンザニア)また、イタリア対岸に位置するイスラム圏のチュニジアを散策する旅を体験したが、モロッコはハダにとって未知の国。 ・・・楽しみだった。 しかしこのモロッコ、人から聞けば聞く程に不思議な国だ。この数ヶ月でモロッコを旅して来た人々に7~8人会った。その殆どが女性。 そのうち何人かは世界中で数十カ所を回ったが、そのうちのベストな旅であった、まさにお気に入りの国であるとまで言い切った。 そしてその彼女達が連呼していたのが”モロッコ人の嘘つき、適当さ加減”であった。(笑) ハダもモロッコ経験者に会うと”モロッコ人は嘘つきなの?” と冗談半分で聞くと、真顔で”ヒドい!!”の答えが例外なく全員から聞く事が出来たのはなにかの偶然か。ちなみに、モロッコのマラケッシュの街で出会った世界一周の旅の途中の女の子は完全にモロッコに魅了されていたが、ことモロッコ人(男)の話になると、涙を浮かべて悔しがりながら、そのエピソードを語ってくれた。(笑)とても公共の場所で話せる事ではないが・・・・笑うよ! モロッコ男は男としての苦労が様々あるんです。 (毎度の事ですがモロッコ人やモロッコ観光局にケンカを売るつもりはありません。とても友好的関係を築きたく思います。) しかし彼女達はそれを差し引いてもモロッコは素敵な旅であったと断言する、そんな魅惑のモロッコに行く前から期待感がどんどん膨らんだ。

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12月9日(水) 一日目《カサブランカからマラケシュへ!》 早朝のエアーフランスでシャルルドゴールからカサブランカに飛んだ。機中3時間はほぼ爆睡! フランス人子連れ家族の”自己中心”を象徴するようなウルサさに参ったが、それも仕方が無い。 カサブランカ空港は驚く程に近代的でビックリ!! 冷静に考えるとそんなに近代的ではないが、ハダの頭の中ではハンフリーボガードの名画”カサブランカ”(おそらく1930年代とかの設定だろうなぁ・・)で止まっているので、そんな空港をイメージしていたんですよ。 ありえない話だなぁ・・(笑) 今回の旅は、プチ豪華なのです。まぁ、豪華というより効率重視が正しいかな。地元のツーリストのミニバン&ガイドを手配してあって9日間の全日程をサポートしてくれます。様々な話を経験者から聞くうちに、自分で民間のバスに乗ったり、あのメチャクチャな状況で運転したりなんて、行く前からウンザリで余計なエネルギーは使いたくないとの結論でこうなりました。  参加者は分かりやすく言えば”ヤロー4人組” 福井豪ボデイーガード1、ケンシローボディーガード2、愛葉ノブ・ボディーガード3と貧弱なハダの4人だ。この最初の3人を見る限り、対外的に獲物の対象にはならない。逆に容姿だけで稼ぐ気になれば稼げそうなメンツだ。(モロッコ人を不用意に脅かすことはありません!) 空港に迎えに来てくれたガイドのアラシッド氏とドライバーのカリド氏は信頼できそう!! ミニバンは快適でカサブランカから最初のマラケシュまでの三時間は快適そのもの。こんなラクチンに慣れたら自分がダメになりそうな気がしてくる。(迎えはランドクル―ザーでホコリっぽい砂漠のガタガタ道を発展途上国を旅する様な・・・イメージは大幅に異なり、新車に近いミニバンとキレイに舗装された高速道路!ただこの道の良さはマラケシュまでだけど!)   ランチは途中のドライブインで食べた。 経験上、ここで美味しいモノは無理とレッテルを貼るようなガソリンスタンドに併設されたドライブイン・・・仕方が無い。空腹を満たせるだけ幸せだと言い聞かせ・・・・すると美味しいパンとサラダ、そして”タジン鍋”が登場! 簡単に言えば”鶏のカレー味”なのだが、見事に美味しい! クミンの香りがパンチになっていて、なかなか日本で食べられるモノとは一線を画す、素晴らしい一品であった。最初からウレシいカウンターパンチ!  午後3時過ぎにマラケッシュに到着をした。今晩の宿泊は”リヤド”という、ホテルではない、一言で言えば高級民宿。世界遺産であるフナ広場にほど近く、まさにメディナ(グッチャグチャに入り組んだ旧市街地)の中にありなにかと便利。この手のリヤドは最近の流行で一般向けから高級まで色々とあるらしい。モロッコの建物もヨーロッパと同じで表に開放的ではなく、口の字の形をしていて表側からは壁があるだけ。まるで城壁のようで中に入ると中庭を囲んで建物が建つのだが、そんななかなか出来ない体験が連続することが、旅の醍醐味なのだ。この街には、かのアマンリゾートもあるが、そんな処に泊まっては見えない物が沢山ある。 早々にメディナを散策してみると、日本人ガールが本当にウザがる意味が良くわかる。小さなバブーシュ(日本で大流行の革製の刺繍を施したスリッパ)を売る店、彫金を売る店、布地を売る店、通るたびに『こんにーちわぁ!』と声をかけてくる。我々に現地人ガイドがいる事がわかると退散するが、いないとガイドを申し出てくるのを追い払うのに一苦労するらしい。(その意味でもガイドを雇って正解!旧市街地はあまりに複雑な迷路状態で誰が歩いても方向感覚を無くして出口がわからなくなる!) メディナの真ん中のフナ広場には蛇使いやら怪しい商売人が沢山ウロウロしている。そして一日に5回はアダンというお祈りの時間を知らせる案内が街中をモノスゴい爆音でスピーカーから流れるのを聞くと、ここが完全なるイスラム教徒の国なのだと実感する。

モロッコまでひとっ飛び!!

夜になって再び、フナ広場に行くとなんとビックリ、何も無かった広場に100軒近い屋台、それも屋台というよりお店が出来上がっていて、どの店も美味しそうなモノを出している。まさに”活気”という言葉が似合う大盛況なのだが、なんとこのフナ広場のモロッコ版屋台村は2000年の歴史をもつのだ。ニセンネンだよ!!(イスラムとしてはキリスト教よりも古いという事を 強調しているらしい) なんとこの屋台 数軒をハシゴして食いまくり!! しかし何かが足りない。それは”酒”である。厳格なイスラムの地域なので酒が無いのだ。・・・・簡単に済ませないでいただきたい! オレは軽いアルコール依存症なのだよっ!!(笑) ということで今夜は都合よろしく休肝日に認定した。 しかしメディナにしてもフナ広場にしても写真を撮るといちいちカッコいいのだ!  我ながら『オレってなんて写真が上手なんだろう!』と感激しているが、それは本当に街の景色が”絵”になるからなのだ。  リヤドでの寝心地は抜群だった。良い夢見たよ!!
12月10日(木)二日目《マラケシュの朝》 朝は7時に起床して散歩に出かけた。朝日が昇るのが7時過ぎなので朝焼けが差し込むメディナは静寂とキリリとした朝特有の空気で気分を一新してくれる。朝早くから営業を開始しているCD屋の屋台があったので覗いてみた。一枚位、モロッコらしいサウンドを調達してもいいかと考えたのだが、CD一枚の値段を聞くと600ディラハムと言われた。(1DHが約9円) 日本円に換算をそのまますると約5400円・・・・それはあまりに高いんじぁないのか!? ちなみによく見ればコピーモノである。マイケルジャクソンのコピーならわかるが(わかったらいけない!コピー撲滅っ!)地元のモロッコのミュージシャンをコピーしちゃダメだろとおもいつつ・・・・その店主の目を見たら”ライヤー(ウソつき)”と書かれていた。(笑) 『それ高いだろ!まけろ!』『3枚なら1200DHにする!』『じゃ、いいよ!オマエ、ライヤーだろ!』『・・・』そして一時間後に迎えに来た通訳兼ガイドのアラシード氏に聞いてもらったら、一枚がいきなり20DH(180円弱)になった。 ヒドい、ヒドすぎる!! いきなり30倍も吹っ掛けてヘッチャラだった。 しかし彼らも生きる道! よかった、ひっかからなくて! ”国民、全員うそつき論”は真実なのか!!  朝食の後は再び、メディナ散策をした。ココで昨日会った”女子一人旅リエコちゃん”と偶然の再会をして一緒にフナ広場を見下ろすレストランでタジン鍋ランチをして、世界一周話題で盛り上がった。午後には移動して大西洋岸のエッサウィラに向かう。エッサウィラに到着する直前に小高い丘からエッサウィラの夜景と夕焼けが見る事が出来て、とても感動的だった。日が暮れてライトアップされたエッサウィラはものすごいチャーミングな街だった。15世紀に作られた旧市街メディナはエーゲ海でよく登場するミコノス島やサントリーニ島のようなブルーと白が基調色になって、雰囲気は抜群。 今日も宿泊はリヤド(高級民宿)でこれまた雰囲気抜群! 夕飯はオープンテラスのレストラン。昨日の禁酒から解禁されてビール、ワインが美味しかった。夜になると大分、涼しいが空気がキリリとしていて好きだなぁ!  酔っていい気分で旧市街地を歩いていると200年位をタイムスリップしてしまった。

モロッコまでひとっ飛び!!

12月11日(金)三日目《大西洋岸の街・エッサウィラの朝》  爽やかな朝!!! 朝、7時に起きてもまだ真っ暗な闇だ。うっすらでも日が出るのを待って、海岸に散歩に出動!! とにかく絵になる風景の連続だ。 一時間の散歩ですでに100枚近くの写真を撮った。カモメにノラ犬にノラ猫、流れ着いた貝殻に、波が作った砂の模様、ビーチサイドのバーにカフェ、その看板、広大な空に雲、メディナの壁に、ブルーと白の建物、自分の影・・・無限に写真の題材が見つかるのだ。そんな街で午前中をすごして十二分に楽しめている。ここは超大物ロックギタリストのジミヘン(ジミーヘンドリクス)が愛してやまず、ついにここで暮らし始めたと聞いた。わかる!わかる!みんなここが好きになるに決まってる。ランチはスーク(市場)で魚料理を食いまくった。ランチの終了後はムーレイ・エルハッサン広場の前のカフェでエスプレッソを飲んだ。その時に靴磨き人がやってきて、ボクの砂でよごれた登山靴(ダナー)をピカピカに磨き上げてくれた。足元が綺麗になると気分がヨロシイ。 夕方にかけて再び、経由地であるマラケシュに3時間かけて戻った。途中で砂漠に入る為のモノをスーパーマーケットで購入!(モノってワインとビールなんですけど・・) 夕飯はマラケシュに60年近く前からあるイタリアンに入った。パスタ類は完全にアウトだが、他のモノは美味かった。なにせ最高の価格のワインが一本2500円位なので、心おきなくドンドンと飲めて皆でいい気分で様々な話をした。 そしてリヤドにて就寝! 寒っ!

モロッコまでひとっ飛び!!

12月12日(土) 4日目《アトラス山脈を超えてサハラ砂漠の入り口・ワルサザードへ!》 今日は移動が長いので少々、早起きで散歩は無し! カフェオレとパンの簡単な朝食をした後、早々に移動しはじめた。とはいっても車の後ろの席で座っているだけなので快適である。スタートして約一時間で景色はアトラス山脈っぽく変化してきた。 ピンク色っぽい岩山が永遠に続き、ワインディングロード(ぐにゃぐにゃ道)から下を見れば、断崖絶壁で落ちたら即死は免れないであろう高さだ。この先にアフリカの大地があるのかと想像すると雄大な気分にならずにはいられない。永遠に続く道から見える景色はどこまでもピンク色(いやレンガ色が正しいのか!)山岳地帯なのに冷たくないのだ。 途中2260メートルのティシュカ峠を超えて、要塞の村、世界遺産である”アイトベン・ハッドゥ”を訪れた。 土で作られた要塞は今でもベルベル人の6家族が電気も水道もない生活をしているらしい。 頂上からの景色は絶景で、とてもカメラではそのスケール感は伝えられないサイズだった。 ランチはお決まりのタジン鍋!! 毎日、毎日なのに飽きがこないのは何故だろう。 午後はひたすらに移動時間でカスパ街道をぬけて、バラの街・ティネリールまで向かう。街で一軒のホテルに宿泊。今日は移動が多くて歩き不足気味なのか食欲がわかない。久しぶりにネットがつながりドップリとジャパニーズな情報を入手! こうやって旅行してると、オレがいてもいなくても、世の中の体制に影響が無い事に気が付くし、いなくてもちゃんと回っているという事実に少し、感動するんです! 感謝だなぁ!(アフリカでも夕暮れ過ぎは相当に冷え込む。なのに同行の福井とケンシローは、何か記念にと訳の分からない事を行ってプール(当然ンに室外!)で泳いで死にそうになっていた!(笑)) 旅してる間は移動時間などで、普段よりいいペースで読書ができます。二日に一冊以上のスピードで読書してます!!

モロッコまでひとっ飛び!!

モロッコまでひとっ飛び!!

12月13日(日)5日目、《ティネリールから砂漠の入り口、メルズーカへ!》  9時に出発をしてトドラ渓谷のオアシス(砂漠のオアシス!)を見学。あんなに乾燥した大地に水があり、木が茂り、農業をしているなんて不思議です。 ランチはエルフードの街でデディユーン(フランス語で砂丘)という名前のレストランで通称”砂漠のピッッア”(メットフーナ)を食べた。ちゃんと石釜で焼いた中にミンチが挟まっているピザでチーズは使っていない。そしてタジン(Kalia)はトマトに牛肉、タマネギそして味付けはクミンと塩、胡椒で卵が落としてある。これが激美味くて、思わず”おかわり”を注文してしまった。なんだろう、このタジンの美味しさは!! そして昼食後、一時間したら右側に砂漠が見えて来た。ピンクに光ってオーラがガンガンに出てますよ!! 早々にロッジにチエックインをした。いくらアフリカだ、砂漠だといっても12月で冷え込みも厳しそうで、夜はテントでもロッジでも泊まれる段取りになっている。本当はテントがいいが、ここまで来て凍死はイヤだ!!  ロッジとはいえ、建物はワラと泥を練って作ったここら辺界隈風の景色を邪魔しない建物。実にサハラ砂漠の中で雰囲気がいいです。 またここもロの字の形をしていて中央には中庭とプールが備わっている。 早々にサハラ砂漠に向かう準備をした。 とはいえ、やることは通常の服にターバンを巻いてもらうという程度。(ターバンは宿の従業員からワガママ言って借りた。) ロッジの前にはラクダが4頭つながれて今日の観光客である我々を待っていた。 ラクダは思いのほか背が高い。現地の案内人のベルベル人が乗せてくれなければ、一生、一人で乗るのは不可能。 やっと乗ってもなかなか安定しないので、ダイエットマシーン・ジョーバ(乗馬の雰囲気で腰をグネグネするマシン)のノリで乗っていたらだんだんとコツがわかってきた。四頭のラクダはロープで繋がっていて絶対に裏切れないシステム。 そんな風に写真を撮ったり、ラクダを研究しているうちに景色は待望のサハラ砂漠になってきた。写真で予習していたそのままだ。途中でラクダを降りて歩いて眺めの良い砂丘を目指した。全員、テンションは絶好調になってきた!! まわりには一切の障害物もなく見渡す限り空と砂漠・・・それだけだ。 興奮しているうちにパラパラと小雨が降ってきた。砂漠で小雨とは相当にビックリだった。砂漠イコール雨とは無縁と思い込んでいた。空は雲が重なり、少しイメージと目指す景色が違うと残念な気持ちがわき上がるのは、ひょっとして今日は夕焼けが見えないのではと思い始めたからだ。淋しい・・・夕焼け、満点の星空、朝焼けは外せない三点セットだったのだ。砂と戯れウロウロしているうちに西の空がなにやら赤くなってきた。なんと!!!遥かかなたの空と大陸の間がすっかりと雲が抜けて見事にくっきり太陽が出て来て、その差し込む様な光が沢山の雲の合間に突き刺さり、空の雲にはものすごいグラデーションの夕焼けショータイムの始まりを予告したのだ。 一度、あきらめかけた光景なので余計に興奮!! その数分後から、見た事もないような真っ赤な太陽が辺り一面を照らし、サンドベージュの砂漠はピンク色がかり、空中に残っていた雲にも、そのピンク色の光が差し込み、また時間とともにピンクかオレンジに変化して行くのを見届ける幸運にみまわれたのだ。そしてオマケに東の空には、先程の小雨の置き土産に”虹”がくっきりと!! ハワイで見る虹が、このサハラ砂漠にて見る事が出来たのだ!! 感動→興奮→放心→を超えた瞬間、涙がどんどんと出て来た。 日が暮れないうちにラクダの待つ場所に戻る事だけを気にしながら砂漠をブラブラと大スペクタクルの中にいる事に感謝できた。 もう充分!! 帰りのラクダの上でも四人の興奮は全く収まっていなかった。 そんなうちにだんだんと雲が厚くなりホテルに到着して回りが真っ暗になった頃これだけラッキーな夕焼けを見られたんだから満点の星空なんて贅沢すぎてバチが当たるなんて思いながらロッジの煖炉の前で暖まった。そしてディナーは平和そのもの。ディナーを終わってあまりの寒さにテントは断念! 外を見上げたら、なんと満点どころか億点の星空が!!!!四人とも同時に『なんだぁ!こりゃーーー!!!!』と驚喜!! 衝撃的な景色がそこにあった! 全員、あんぐりと口を開けてひたすらに空を見上げていた。頭上ばかりでなく横の面(正しい表現がわかりません!地平線方面ですね。)まで満点に星が見えるんです。 流れ星は30秒ごとに見られるは、それも同時に2個、3個と・・・UFOも見ましたよ! 間違いない! とにかく、あんなに星を一度に見てビックリを超えていました。(天体マニアが一人でもいたら詳しく、なにがスゴいのかを解説できるんですが・・・) あまりの興奮でグったり疲れてベッドに入りました。 そして見た夢は何故か”味噌汁”・・・帰ろう! 日本に帰ろう!!

モロッコまでひとっ飛び!!

モロッコまでひとっ飛び!!

12月14日(月)旅の6日目 《砂漠の入り口のメルズーカからフェズへ!》 今日は移動日。高速道路も整備されていない普通の道、そしてアトラス山脈の山道を抜けて一路、世界最大の迷宮都市(メディナ)のあるフェズへ! その距離520キロ、行程は8時間! 途中の景色は雪まで積もり完全なる冬景色! アフリカは広いのだ。車中はひたすらに睡眠、読書、パソコンで写真整理、みんなでアホ話とポルトガルの基礎知識のお勉強! けっこうアッと言う間の8時間だった。ドライバーのカリド氏は温和な性格が運転に出ていて安心できるのが何よりだ。 夕方には無事にホテルにチエックインできた。今回のツアーで一番、ある意味、高級なホテルだ。(決して大好きとは言いません!) 夕飯はホテルのバイキング(決して大好きとは言いません!) の人畜無害ディナーでした。 そして久しぶりのバスタブでの入浴はトロけたね! トロトロです。これは大好きです。
12月15日(火) 7日目 《世界遺産フェズでの一日!》 昨日は良く寝られた。 隣の部屋の福井とケンシローの部屋は、そのまた隣の部屋の宿泊客が新婚さんみたいで、とにかく一晩中激しく燃え合っていたらしく寝不足気味!!(笑) すこし散歩をしたが、街にはパリみたいにカフェが多くて、なかなか豊かな印象だ。 朝食を済ませた頃に、ガイドのラシドが来てくれ、様々な観光スポットを回った。”ガイド付きの観光旅行”って印象が”旅慣れていない人”という感じだが、今回はこれが大正解だったと皆で話している。だって住所表記なし。旧市街なんてまったく道がわからず、なにが何処にあるかなんて、まったく不明・・・結果、全てを見ようと思ったら大正解だったと考える。というかモロッコも観光が資源になっている国なので”ウザいモロッコ人”が沢山、存在するのは事実なのだ。 それを追い払うのにもガイドがいて良かった! さて、モロッコで4番目に大きな、そして一番最古のメディナ(旧市街地)であるフェズは、遠目に見るとスペインのアンダルシアか、イタリアはトスカーナあたりに似ている。良く見ると、全然そうじゃないんですが・・・街の家々には驚く数のパラボラアンテナが!!世界遺産にパラボラがぁ・・・ 尋常じゃない数なんです。(笑) 主な観光スポットを制覇した。個人的にビックリ仰天だったのは、街を走るクルマだ。 古い車の数が多いのはわかるが、メルセデスベンツ(W123という型式で1976年から85年に生産されたモノ、時代的に最も最強で強固と言われている。)がハンパ無い数がタクシーとして走っていて、タクシー乗り場に行ったら100台以上が列をなしていた事。 波田は実はこの型が大好きで、いまだに愛用しているんですが、東京でも本当に見なくなりました。それが現役バリバリで100台!勇敢な姿でした。波田のも、あと20年は楽勝でのれるなぁ!!   ランチはまたまたタジンです。 まぁモロッコなんでタジンはウエルカムですがぁ、さすがに7日連続、時には夕飯にも・・・となると話は別。でもモロカンサラダは相変わらず美味しかった。野菜がヤルキ満々なんですよ。 午後はダラダラと街で過ごしました。ここでも日本人女子バックパッカーと遭遇。日本女子は根性あるよ。一緒にお茶飲んで楽しい話、恐ろしい話を聞かせてもらいました。 夜はイタリア料理だが、どことなくモロッコ的だった。持って行ったワザビと醤油が本当に美味しく、アボカドに付けて食べたら、日本のお寿司やさん気分でした。 味噌汁飲みたい!! 夜は福井の部屋で、ある下心があって待機していたけど、新婚さんはお疲れなのか、なにも無くて残念・・・迷惑だったのか、ウエルカムだったのか・・・!(笑い)
12月16日(水)8日目 《フェズからカサブランカへ!》 朝は早めにカサブランカに向かった。カサブランカ=ハンフリーボガード(1940年代の”カッコいい映画”の代名詞!)なのだが、そんな一面に出会えるだろうか! 街に入ったらウルサくてどうしようもない。クルマは意味も無くホーンを鳴らしている! ここは中途半端な都会だ。街の中心にあるモスクはハンパの無いサイズでビックリだった。波田の広角レンズでもまったく入らない。こんなスケールのモスクを見たら思わず、イスラム教徒になってしまいそうな迫力!! その後、食事をしたが、暴力的な量でウンザリ!! この同じ大地で飢餓に苦しむ人々がいるなんて考えてるのかなぁ・・・(注文してないのに勝手に出て来た。)しかし回りを見渡せば明らかにメタボな人が多い! 実に不思議!!  カサブランカ空港まで送ってもらい、今回のモロッコは終了。ガイドの二人は本当に気がいい奴だった。実に流暢な日本語を話すのだが、どうも”はひふへほ”がアラブ語にはないらしくて、昼ご飯と言おうとすると”ヘルゴハン”になる。それじゃ”地獄のゴハン”だし、”いろいろあります”は”エロエロあります!”になる。最後まで直らなかったのが気がかりのまま、空路でカサブランカを後にした。アンフリーボガードの影は見えなかった。 夕方にポルトガルの首都、リスボンに到着。ポルトガルに降り立ち、ハダの訪問国は、累積で50カ国を超えた。そして西ヨーロッパは制覇!  空港では先日、マラケシュで会った一人旅のリエコ嬢が来ていてビックリ! 丁度、陸路でポルトガルに入ったのでジョインをする事になった。 リスボンの街はすでに闇の中。 タクシーで先日、ネットで予約をしたホテルにチエックイン。 最近では”booking.com”という便利なサイトがあって直前でも日本語で世界中のホテルの予約が出来るとの事。素晴らしいシステムだ。空けておくよりは格安でも部屋に客を入れた方がお得という方針だろうが、あまりにホテルの質に対して(四つ星)値段が安いのにビックリだ。 夕飯は、ホテルの女の子、そして別のマネージャーに聞いたレストランに行ってみた。 これが満塁ホームランでいきなりポルトガルのファンになってしまった!! 前菜類(プロシュート、小さいコロッケ、チーズなど)は座るとすでに新鮮な物が置かれて、食べた分を払えばよろしいシステムにウレシい。注文した料理はとことん正解だった。(あまりに美味しくて結局、翌日もこのレベルは他では狙えないであろうという事で連チャンで通うことになった。 ホテルに帰ってそのまま就寝! 寝心地ヨロシク幸せです。

モロッコまでひとっ飛び!!

12月17日(木)旅の9日目! リスボン・デビュー 早朝にウオーキングでもしようと思ったら7時過ぎは、まだ”闇” しかし歩きたいので街の中心地まで歩き始めた。 地図が分かりにくくて、理解が難しいのだ。それでも何となく歩くうちに街の中心地の位置関係は把握できた。まるまる二日なので見る物には限界があるのだが、優先順位を決めてかかる! ホテルに戻り準備して皆で出動した。実はレンタカーを手配するつもりが国際免許を取得するのを忘れ、タクシーになったのだ。そしてタクシーをつかまえて、最初の訪問予定のジェロニモ修道院を告げると、そのオジイさんドラーバーは英語で(英語を話せる人は少し希少!)『そんな観光に来たのなら、まずはシンドラーへ行け! そしてアレとコレとアレを見ろ! とにかく見ろ!』 とまくしたてる。 どうも声のボリュームが壊れているらしくてウルサいし、まぁ別にどうしてもというワケでもない場所だったので、せっかくなので、そのまま乗って、いわば言いなりになって回ったらこれが大正解!ケリューシュ宮殿やペナ宮殿、そしてヨ―ロッパ大陸の最西端のロカ岬など、”本当に、コレを見ないで帰る気だったのっ!”という素晴らしい体験をさせてくれた。リスボンまでの帰り道はカスカイスという大西洋岸のリゾートをドライブ。ものすごいキレイな波が立っていて、少々サーフィン魂がゆすぶられた。 このツアーは本当に良かった!! ラッキー!!(しかしオレ達、どんなスケジュールを組んでんだぁ!) 夕方にカフェで軽いランチをした。昨日の食事は美味しかったが食べ過ぎて少々重かったのでモタレ気味みたい。その後は街の中心部のバイシャ、バイロ・アルトを散策して、行きたかった数店を廻った。 最高なのが、缶詰専門店のConserveira de Lisboa、 ポルトガルはサーディン(いわし)が名産なのだが、そのサーディン缶詰だけでも25種類の品揃え。 そしてそのパッケージ、店のデザインは驚異的な可愛さで感動した。ハダは世界中のサーディンの缶詰を収集しているのだが、これにはマイッタ!! 当然に購入!! 様々なモノを購入してホテルに戻り、夕飯は、迷わず昨日と同じ店COLLONIにてディナー! 昨日とは全く違うモノを注文して食べたが、どれも本当に満足のいくモノだった。今晩も幸せな夜だった!!
12月18日(金)旅の10日目  リスボンの二日目にして最終日! 朝から雨だった。昨日、”雨よ!降るなよ踊り”をするのを忘れていた。これかなり効果を望めます!  しかし今日の朝は絶対にハズせない予定があるのだ。 それは”リスボンの街のナナメ・ケーブルカーに乗る!”という悲願なのだ。(ちなみにナナメ・ケーブルカーの名前はハダが勝手に命名!) 数年前にクレジットカード会社のCMで”異国の地ポルトガルのシーン”で出ていて、何故かそのシーンに強烈に引かれたんです! という事で出陣!! これまた、どうしてだか地図にも表記がないし、なかなか捜せないのだが、ついに偶然発見!!感動だなぁ!! 可愛いなぁ!!みんなに愛されいてる、頼られている乗り物ってかんじなのだ! たしかに小高い丘の上まで歩くのは相当な旧坂で足腰に自信が無かったら難しそうだ。でも上でも沢山の人々が暮らしているから相当に頼られてるんだろうなぁ! 乗ってみたらわずか3分で頂上、そし5分待機して、またそのまま下降して終わった。雨の中、断り切れずに付き合ってくれた愛葉ノブに感謝!  それでも最高に楽しい時間だった。(おれって鉄道マニアだったのかなぁ・・・確かに乗り物好きなのは事実っ!)

モロッコまでひとっ飛び!!

その後、リスボン的ファーストーフードの店にて”ポーク塩焼きサンドイッチ”(正式名称分からず。)を食べてホテルに一度戻った。今日は悪天候ながら、アレンティージョ地方に遠出が正しいとの情報。 実はブログで数ヶ月前にポルトガル情報をお願いしたところ、美人読者のH-Tさんがポルトガル在住の岸さんというコーディーネーターに連絡をしてくれて、かなりディープな情報を仕入れることが出来たのだ。そして彼女いわく、せっかくならばアレンティージョまで足を伸ばしたら充実のリスボンツアーになるとの事。彼女はレンタカーを提案していたが、運転を考えるとアレンティージョは相当にグルメな街で、往復は電車も可能との事・・・誰が運転するの。その終電に間に合うの・・・様々な未知への場所への移動で結局、『行ってから決めっかぁ!!』の問題先送り自民党体質だったのだが、昨日のハイテンション・ジー様タクシードライバーと交渉したら、午後2時からリスボンを数カ所回り100キロ以上、離れたアレンティージョまで回り、お薦めのレストランまで送ってくれて、迎えに来てまたホテルまで送ってくれて200ユーロで話がついたのだ。 4人なので分担を考えれば、何よりラクチンでしょ!! ということで観光旅行に出かけた。 ジェロニモ修道院界隈を見学して、小雨降る中、一路、目的地へ!! アレンティージョ地方の中心は城壁に囲まれたエボラの歴史地区。当然に世界遺産で雰囲気は抜群。最初にサンフランシスコ礼拝堂を訪れた。ここは礼拝堂の中がナンと5000体の人骨(ヒトの骨!)で出来ているのだ!! もう衝撃的! 恐ろしくて何かが写りそうで写真は撮れなかった。(笑)ここで瞑想をするんですって・・・ゾクっ!! その後、可愛らしい小道を歩きながら(道は可愛いが歩いている奴はヤロー4人組で可愛くはない!)お買い物!どういう訳か、物価がリスボンより安く感じられた。そしてライトアップされたディアナ神殿なども見学!! もう感激ですっ!! ここに来ないでどうするつもりだったんだ!!

モロッコまでひとっ飛び!!

ナンだかんだしているうちにディナータイム。数日前にモロッコから電話をしておいたレストランに行った。薄暗いがまだ営業前の準備中。わずか15席程度の小さなレストランなのだが、ポルトガルでは有名な店! 最後まで正式な名前は読めなかった!!(笑) ホールは一人のウエイターが全て仕切っていて、こきみがいい。(ヨーロッパのレストランには、本当にリジェンド的なウエイターがいてカッコいい!) またまたポルトガル形式で座るやいなや前菜(コールド物)が10点程、運ばれてワインもハウスワインを注文。(アレンテージョ地方はワインの産地としても有名!)この前菜がブッたまげる程に美味しかったのだ。 もう今思い出してもわざわざ行きたくなる程に美味しかった。結局、この前菜を散々食べてメインは二品を注文して4人でシェアとなったが、ウルトラ満足大会!!(いずれ”世界7大陸食ガイド・食次郎”に紹介します。HPの名称変更しました。)あっと言う間の2時間半、外には迎えのタクシードライバーが!!! めちゃめちゃ後ろ髪を引かれたが仕方が無い。また来ようじゃない!
■エボラ Tasquinha do Oliveira Rua Candido dos Reis 45 A – Evora 7000-582 EVORA 266744841
日曜休、ひとり40ユーロ前後 15席ほどの小さい店。早めに行くかできれば予約を。 城壁内。カルヴァリオ修道院のある通り沿い。
そしてタクシーに乗った。本当にこのタクシーを雇って正解!! 全員20秒後には爆睡して、気が付いたらホテル・・・この一時間半の車中睡眠は全員、あの店の前菜が夢に出たと思う。 ポルトガルの食事って、なんだかどこか懐かしい味なのです。 あぁ、愛しのポルトガル! たった二日半だったけど、十二分に魅力を感じました! また必ず来ましょ! 翌日は、いよいよ帰国日。 またまたジー様タクシーに迎えに来てもらい空港へ! 3週間ぶりの東京に戻りましょ! 良い旅だっ!!!!

ネパールで深呼吸!ジューサンマンポの旅!

ネパールに行きたかった。というか正確にはネパールという国よりも、ヒマラヤに踏み入りたかった。世界最高峰のエベレストを”生”で見たかったのだ。そこでの壮大な自然のおりなすスペクタクルを体験したかったと言うのが夢だった。ヒマラヤの山々はもちろん登山という方法で頂上を目指すという道もあるが8000メートル級の山々にチャレンジをするには、準備が無さ過ぎる。それはチャレンジャーや石川先生達にお任せ! そこには”トレッキング”なる頂上を目指さずに、遠目にその山々を鑑賞しながらひたすら歩くというスポーツというかアクティビティーがあるのだ。 決して、ハイキングなんてダラダラ歩きのものとは違う、ある程度の装備で動くのだ。実は今回は自分の中ではハイキング程度と考えていた。

ネパールで深呼吸!ジューサンマンポの旅!

『チョロいもんだろ!ケッ!』と本当に思っていたのです! ところがどっこい、軽い高山病にはなるは筋肉痛に苦しむは・・・なにせ5日間で歩いた歩数は13万歩(ジューサンマンだよ!)そのうちで6割は階段の上り下り!これはハイキングじゃないでしょ!しかし結構なシニア世代の方々がいらっしゃる。もちろんジジババ山岳会の方々だろうが!(後から聞いてビックリしたのが、我々は通常のコースを半分の時間で走破するプログラムだとガイドから聞いて唖然!)どうりでクタクタだよ! なにせこのヒマラヤという所ですが、スケールが伝わるであろうか! ブータン、中国、インド、ネパール、パキスタン、アフガニスタンの六カ国をまたぎ、ヒマラヤを水源とする川はインダス川、ガンジス川、プラマプトラ川、長江だ。そしてこの水をたよりに7億5千万人もの人間が暮らす、そして、ここには7000メートル以上の山が100も有り、8000メートル以上はナンと14もある。

ネパールで深呼吸!ジューサンマンポの旅!

(そのうち8ケはネパール圏内)ちなみに日本の誇る富士山は3700メートル、ネパールの中では5000メートル以下は”山”の扱いではなく”丘”なのだと言う。従って名前も無いらしい。ということで好奇心旺盛なる”珍道中”を記しておこう。 波田はこの旅を通して本当に沢山の経験をした。ヒトから、どこかお薦めの旅はと聞かれたら・・・・ネパールと答えるだろう! http://ja.wikipedia.org/wiki/ ヒマラヤ山脈
《1日目、2日目》4月14日 羽田空港から関西空港へ! 羽田からの海外への脱出はラクチン! 送迎してもらった藤田とカフェでアホな企画話でもりあがり、海外旅行気分はゼロのままで関西国際空港へ。

ネパールで深呼吸!ジューサンマンポの旅!

そこで関西から参加の石川龍彦氏(元・高校教師、京都大学卒のホンマもんの登山家、今回の隊長。そしてEX、注釈※1)と本山進氏(56歳にしてホンマもんのトライアスリート!生の鉄人!来年は宮古島トライアスロン出場、半端ない筋肉、多分、体脂肪3%)、そして北海道のヨシキダイ(吉木大輔E、波田と同じ軽いアルコール依存症! 飲んでないとテンションはドォ?♪、飲むとイキナリにラァ?♪♪♪と無口が饒舌に!パソコンを使いこなし、帰りの機内と待ち合い時間で約1000枚の四人の写真を編集してDVDを製作。とにかく面白い30代前半の若者。そういえばニセコのスノボーのアフターで飲んでいる時に無意識にボクが、このトレッキングに誘ったらしい。翌日、ダイが行く事を聞いてビックリ!!)と合流! 深夜の便でバンコクに早朝に到着して、接続便を待つ事6時間(空港内のスタバのソファー席を占拠して時間を過ごす。)、そして三時間後の昼前に、ネパールの首都カトマンズに到着!

ネパールで深呼吸!ジューサンマンポの旅!

ガイドのスリヤ氏(とにかくネパール系の名前が覚えられなくて皆で試行錯誤。スリヤはスリが業の人、すり屋と記憶。本名はスリヤ・バハドール・タマンク。 この人は視力が5、0はあると言っていた。すごいのが生まれ育った場所はカトマンズからバスで12時間、そしてバス停から歩いて丸々3日だそうだ!通学していた学校は自宅から徒歩2時間弱・・・すごすぎ!そして仕事がトレッキングガイドだから人生、歩きっぱなし!) 案内されて、早々に五つ星のホテル・マーラにチエックイン。 この”五つ星”って誰が決めてんだぁ!? ”笑う五つ星”だった。 まぁいっかぁ!!早々にカトマンズの街を散策に出かけた。ここは全く洗練なんかされていない、ある意味、毒されていない街。雰囲気はインドかなぁ。まるでアメリカナイズされていないし(良い意味です)決して財政的には豊ではないはずなのに、物乞いもいなければ、ストリートチルドレンもいない、偽物ブランド業者もいなければ、ぽん引きもいない・・・平和なんですね。

ネパールで深呼吸!ジューサンマンポの旅!

しかし大気汚染はハンパ無い! ここに空気清浄機を設置したら3~4日でフィルターは許容量をこえるであろうか。 なにせインフルエンザ対策に持参していたマスクが一日で目に見える程に真っ黒になっていた。初のカトマンズナイトに夕飯を食べていたら、イキナリの停電で真っ暗になった。この街では日常茶飯事の事らしい。店員は何食わぬ顔をしてロウソクをもってきて、いきなり男四人とガイドのスリヤさんだけのマンズワールド・男の世界がラブリーな空間に変わったのだった。(カトマンズでは一日の大半が停電状態になっていた。)従って電化製品なんてあまり無いのだ。

ネパールで深呼吸!ジューサンマンポの旅!

《3日目》4月16日カトマンズでの朝。空港からポカラへ。国内線の空港なのだが、空港入り口のサインはブロック塀にペンキのサイン。セキュリティーのX線検査はなくて手で調査。荷物のハカリはアナログの巨大体重計。滑走路を犬連れのオッサンが歩いていたり、座り込んでいる奴がいたりと既成概念なんて吹っ飛ぶ。空路で数十分、乾いた大地を見ながら、全席自由席のプロペラ機は超低空飛行をしているので楽しい時間だった。到着したポカラの空港は本当にラブリーでいい感じ。相当に気に入った。荷物をピックアップして車で一時間のトレッキングのスタート地点のナヤプルへ。 早々に準備をして、ポーター(荷物持ち係)に荷物を預けてトレッキングを開始して、河原の道をどんどんと谷に入って行き、だんだんと傾斜がつきはじめ上り階段攻めが始まってくる。空気もだんだんとマイナスイオンが多く含まれる爽やかさで、おもわず深呼吸をする。

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ビレタンティという村のカフェ、いや休憩所でランチをしたのだが、極上に可愛く素晴らしロケーションで料理も抜群。気分はグリーングリーン・ネパール支店だった。 メニューのモモ(餃子)と春巻き(スプリングロール)など抜群に美味しかった。 まさか今後、毎日のランチ、夕飯で同じモノをずっと食べるなんて、この時は想像もしなかった。 こうやって旅をすると、言葉は無理矢理な英語でも良いが、やはり簡単な挨拶は現地語のネパール語が好感がもたれるのは万国共通ということで、皆で学習。 ところがなかなか覚えられないのがネパール語(たぶんネパール語が悪いのではなくて記憶力の問題かなぁ。)とにかく一番、お世話になる身で大切なのがご挨拶とお礼。こんにちはの ?”ナマステェ” はヨガ教室に行くと先生が最初と最後に言うので知っていた。

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インド語に同じで ”生捨てる” とメモリー。 山は行き交う人々とは必ずご挨拶な世界なので ”ナマステェ” は大変便利。 何故か最後まで覚えられなかったのが ”ありがとう” の ”ダンネバート”(鶏肉は断念と記憶・・・こんな覚え方しているからイザという時に出てこなくなるのかなぁ!) そしてセットで記憶するべくは ”どういたしまして” なのだが ”ソーガダウン”(寒川さんのダウンと記憶/寒川さんという大阪のF・EXダイヤがいらっしゃる。)・・・・今日の目標地点のティルケドゥンガ(標高1540メートルへ)までの途中、驚く程のスコールに出くわした。山の天気は変わりやすいというが、あまりにも変わり過ぎ!! 運良く雨宿りもできて濡れないですんだが! 初めて泊まるロッジは設備(電気、温水シャワー)などは無いが(裸電球があったが異常に暗い。シャワーもあったが・・・冷ッ!) なのに清潔で何とも言えずに和む空間。

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シュラフ(寝袋)には封筒型のパリっとしたシーツが仕込まれていて愛を感じる。(これは旅行社の段取り)到着するとポーターがアルミニウムのタライに温水を運んで来てくれて顔を洗えと・・・・早々に皆でテラスで裸になって、タオルを使い全身温水マッサージをして綺麗サッパリとなった。実に爽快な気分! 日も暮れて食堂に行くと、メニュ-をガイドのスリヤさんから渡されて唖然!! ランチの店とメニュー内容が一緒じゃないの!! これは後でわかった事なのだが、ガイジンがやってくる店のメニューは、ほぼ統一されているらしく、各店がその枠の中で創意工夫をして出すらしい。 毎回、頭を使わずに注文していたメニューは《モモ(餃子)、炒飯、スプリングロール(春巻き)、焼そば、トマトスープ、野菜スープ、》結局、お店ごとに味は違っていて、それはそれで楽しめた。(後日”ケージローの勝手でしょ”でご紹介予定。)

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夕飯が終わるのは21時位で、その後は停電もしていて暗いし・・・寝るしかなかった。しかし良く寝れるのですョ!! 山小屋のいい時間でした。  《本日の歩行歩数16500歩/本山EXがdocomoの老人向けラクラクフォンを持参していて、なんと万歩計が付いている。毎日何歩を歩いたかがわかってものすごい達成感があって楽しかった。》
《4日目》4月17日(金)当然に早起きが出来る!朝6時に起床しても8時間睡眠を遂行しているのだ。そしてやたらに快便! とにかく身体を使って、バカ話をして、美味しいものを食べて、美味しい空気を吸ってたら、快調にもなるわなぁ!! 今日は、ティルケドゥンガから峠の村ゴレパニ(2860メートル)へ。 標高だけで1300メートルも上がるんだから、相当な距離だろう。今回、悲願の山男ウオッチのSUUNTOを購入していたので、常に標高が表示されていて楽しいし達成感があったのだ。 朝からひたすら歩き始めた。空気はとことん澄んでいて気分爽快。

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ただ一つ、写真には写らないがライブだと要注意な問題があった。ここらへんは運輸機関がなにもなく、佐川急便もなければクロネコ・ヤマトもない。あるものはロバだけ!!この住人のライフラインをつなぐ”ロバ”は大切な労働の担い手なのだ。そのロバは犬と違って、決まった場所で排泄をするわけではない。 ハッキリ言えば、そのまま・・・出たい時に出す!ということは歩いている道のど真ん中にて、いきなり排泄物(ウンコ)に遭遇したりするわけ! 遠くの山も見たいし、下も見なくてはエンガチョしちゃうから、大変だ。前を歩くダイちゃんなんか、何回か生々しいのを踏みつける瞬間を目撃して思わず”危ないッ!!”なんて叫んでも手遅れな事があった!(登山靴は靴底が凸凹で激しい作りだから余計に入り込む!) そしてある時、ある法則がわかったのだ。

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“ロバも人間と同じでヨイショってリキむ場所で、無意識に排泄をする” という事だ。または緊張が続いた下り階段の下りた様な場所も多かった。”アナタのモヨオしそうな場所はロバにもモヨオしそうな場所である” という新しい学説を見いだしたのだ。今後もロバの研究をしたいが、ロバは回りにはいない・・・・ランチはバンダイティという眺めの良いカフェで取った。ここも例外無く同じメニューで、オーダー担当の波田が同じ注文をすると ”所変わると姿変わる” の定説どおりに違う味付けの料理が運ばれるのだ。 隣の席の白人女性一人旅の女の子と話していたら、ネーデルランド(オランダ)から来たという。約3週間のトレッキングで5000メートル級のベースキャンプまで行くという。左薬指には指輪がぁ! それを見た石川隊長は ”おおっダッチワイフだぁ!”と叫んだ。(英語ではオランダ人をダッチという。)

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まったく、流石に京都大学出身だけの事はある。その後、何故にしてダッチワイフという名前の商品名になったのかを討論する時間が随分とあった。 (深く、いや浅く、いや真剣にとらえないで下さい!) 夕方、日没の少し前にゴレパニには到着をした。ゴレパニは特別な種族が集まっているらしく、聞けば今日は、ゴレパニ村の年に一度の ”お正月”だそうで村はお祭りをやっているという。 実際に行ってみたら、想像していたお祭りではなくて、露天が少し出ている程度で、ハデなお祭りではなかった。なんとこの村は、この正月で2066年になっているらしい。 相当に未来にいっているのだ。 夕方に、山と山の間から尖って見える魚のシッポみたいな ”マチャプチャリ”(6993メートル)が見えて、尖った山が夕焼けで染まってなんとも言いがたいオーラを発していたのが見えて感激だった。

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ところで、何か、お土産をと考えているのだが、本当に買うものがなくて困った。彫金細工や木の人形などを売っている店先に古い空き缶(意味不明なアラビア文字のよう。)なんだか可愛くて交渉をしたら、相手は思いっきりふっかけてきたのだが、100円位だったので支払ったら、ビックリして喜んでいた。 夕飯は停電の中で、またまた同じメニュー!でも違う味! 夕食後は寝るにも回りの広場ではお祭り騒ぎで深夜まで騒々しかった。そりゃ年に一度のお楽しみなんだから我慢してあげなきゃ・・・なんだか素朴でいい村だ。(今日は26360歩を走破)
《5日目》4月18日(土)日の出前の4時に起床して、ゴレパニからプーンヒル(3193メートル)に朝日を見に出かける。 頂上の展望台から見るヒマラヤの山並みは感動的だった。だんだんとアンアプル・サウスが姿を見せ、マチャプチャリ、そして8091メートルのダウラギリが見えてきた。

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朝日にあたったそれらの山々は半端のない存在感! オーラ出まくりだった!! 自然のおりなす雄大な姿を見ると人はただただ無言となる。世界各地からの旅行者が、そこに集っていたが、みんな無言で視野に入らない程の雄大な姿を見とれていたのだ。 その後、ゴレパニに戻り朝食をすませてから、本日の予定は9時間のトレッキング! 思わず朝のプーンヒルまでの往復の二時間が含まれての9時間なのか質問をしたら、ガイドのスリちゃんはクールに ”含まれてませんよ!” との答え。ということは一日のうちの11時間を徒歩に費やすのだ!! なんだかダマされた気分。(笑) 文句を言ってたって仕方が無い。 いざ出発っ! 3時間かかって3200メートルのグリーンヒルズに上がり、その後2645メートルのブァンタンティまでものすごい急傾斜の階段を下りた。

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もう太ももはプルプル、ガクガク! しかしそんな急傾斜でも現地の”仮称・ヒマラヤ老人会のオバァちゃん御一行が孫とか巨大な荷物を背負いながらビーチサンダルで先を越してさっさと下りて行かれると、さすがにメゲルのだよ!  バンタンティで、またまた定番のランチをしていたら ”ダッチワイフ” が追いかけて到着して一盛り上がり!(相当にキュートな子なんです!) アンナプルナ山脈も望むグルン族の村、ガンドルン(1951メートル)へたどり着いたのは夕方遅くであった。 ガンドルンはとても素敵な村だった。ここの村はイギリス軍に派兵されている勇敢な若者が多く高額所得層が多く豊からしい。 サクラ・ホテルで久々の温水シャワーを浴びられて気分は爽快だった。しかし二日間もシャワーが無いと本当に部屋にキレイなタオルが置いてあるだけで、皆で歓喜が上がる程に感激したのだ。

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夕飯は停電のなかで同じメニュー。こうなったら同じメニューを楽しもう!!(本日の徒歩9時間、36666歩)
《6日目》4月19日(日)ガンドルンを朝の8時過ぎに出発。見渡す景色は壮大な ”谷” だ。 しかしこれから向かい側の谷を超えて山の上に行くのだが、よく見るとモノスゴい深い谷で、谷底の村の家々のサイズを見るとビックリする程のサイズでこれから末恐ろしく谷底まで下りて、ふたたびものすごい距離を上がるのかと思うとメマイがする。まずはガンドルック(1950メートル)から谷底の河原沿いの村のキューミまで高低差600メートル。そして再び急斜面を1700メートルまで上がりランドルンクへ! もう体力的にはヘロヘロ。トゥールカ(1700メートル)でランチ(これまた同じメニュー)をしてからデウラリ峠へ。

ネパールで深呼吸!ジューサンマンポの旅!

今まで三日近くの間、携帯電話が使えなかったが、ここで久々のバリ3(アンテナ三つたった状態)になったのでブログの更新をした。まったく忙しい!! そこからは約2時間、アンナプルナ山脈を望む尾根上の村、ダンプス(1650メートル)の ”月の家” まで二時間、ほとんど傾斜もない森の中をトレッキングした。夕方に到着をして本日の力を使い果たしてチエックイン。 ここは日本人の経営するロッジで五右衛門風呂まで備えていて快適だった。 夕飯は久々に定番でない料理が出て来て美味しかった。(本日の万歩計による歩数は30500歩。)
《7日目》4月20日(月)午前にダンプスから下山してフェディ(1130メートル)まで2時間かけて下りる。しかし相変わらず、下りの2時間は本当に足、ひざに激しい負担がかかるのだ。

ネパールで深呼吸!ジューサンマンポの旅!

波田の励みはトライアスリートの本山氏も ”きつぃなぁ!ミィはいるなぁ!(関西弁で筋肉痛になるなぁの意味)と言い、隊長の石川氏もヘロヘロになったと弱音をはく時に安心を感じるのだ。それは ”良かった!こんなアスリートの二人が疲労困憊しているのだからオレが疲れても当然だぁ!” と安心するのだ。 そしてついに最初にスタートした場所であるフェディーに戻って来た。もうこれ以上、下り階段だけは見たくもないという程に足腰は疲れた!! でも心地よいんです。あぁぁぁ良い旅です。(本日だけで7200歩)          そしてポカラにて湖畔の中華料理店でランチをしてから、空路でカトマンズへ。 通算計算したら今回のトレッキングで13万歩以上を歩いた事になる。素晴らしい体験になりました。ジュウーサンマンポ・・・・ 夕飯はカトマンズのネパール料理店にて、踊りを見ながら平和な時間。

ネパールで深呼吸!ジューサンマンポの旅!

《8日目》4月21日(火)今日は悲願であった、ヒマラヤの山々を空から見る旅ツアーに参加。カトマンズの国内線空港からプロペラ機でヒマラヤ上空までひとっ飛び!その景色の素晴らしさたる生涯忘れられない景色でした。迫力は満点! しかし石川隊長は本当にスゴいのが『あの山はナンですかぁ!?』の質問に『あれは○○○山で標高○○メートル、そのトナリは○○山で○○メートル、あの山はアタックが難しい・・・あの山はまだ日本人が登頂に成功していない・・・』と完全に”登山オタク”なのだ。 先生の登山の美学は8000メートル以上の山に重装備で登るのは好きではなく、少人数で軽装備でサクッと7000メートル級を軽く登るのが好きなのだそうだ。 一時間のフライトから帰り、そのまま市内観光旅行に出かけた。世界遺産のバクタプール(バクダッドのプールと記憶)を訪れた。

ネパールで深呼吸!ジューサンマンポの旅!

この街が世界遺産だということは、行ってから知った。その看板をみていきなり有り難い気分になったのだ。ランチはこれまた波田の悲願であった ”ヒマラヤ蕎麦” を食べた。 ネパールは蕎麦の実の産地で美味しい蕎麦が食べられると何かの本で読んだ記憶があったのだ。 事実、美味しかった!! 食後はまた別の街、パダンを訪問。 夕方に激しいスコールがあったが、こんなスコールを体験すると、この街がアジアで雨期を迎えているのだと実感する。夕飯は流石に、なにか別の味のモノを食べたく、イタリアンを食べに行った。しかし街は停電でイタリア・レストランもロウソクの火で超ムーディー!! この店、相当に美味しくて4人でワインを3本とグラスで数杯いただいて、散々食べまくり、なんと御会計は5000円チョイ!(全員分で!) いきなりカトマンズの街が大好きになる体験だった。 ホテルに帰ってダイちゃんは四人の1000枚近くの写真を整理し始めて、今回の旅のDVDの編集を開始した。波田はトナリのベットで平和にお先にお休みした。

ネパールで深呼吸!ジューサンマンポの旅!

《9日目》4月22日(水)バンコク経由で東京へ!! 帰って風呂に入ろう!!帰って白いゴハンを食べよう! 世界にはまだまだ行かなくてはいけない場所が、ゴマンとあるではないか!!  仕事もしなくちゃ!! こんな旅をすると、本当に身体にエネルギーが湧き出てくるのだ。

ネパールで深呼吸!ジューサンマンポの旅!

注釈※1 石川龍彦(EX-ダイヤモンド)ホンマもんの登山家(アルピニスト)京都大学在学中から登山三昧!そして就職は休みが多いとの理由で、高校の教師に!(普通、京都大学卒業者は教師にならない(^ .^)y-~~~)長い休みをフル活用してヒマラヤに何度も登頂。それだけでなく後輩育成に尽力。ド素人の仲間を従え、冬山へ!アコンカグア(南米最高峰)やキリマンジャロへ(ー)! 以下は、登山好きならばぶっ飛ぶ登山歴&プロフィールです。
京都大学卒。
日本ヒマラヤ協会理事
協会発表の登山家ランキングでは日本のトップ20に入るほどの実力。
登山暦 主なもの
海外登山 1979年 韓国/インスボン、 岩登り 1980年 カナダ/ヴィクトリア、テンプル他 1983年 旧ソ連/レーニン(7134m) 隊長、登頂 1985年 旧ソ連/コルジェネフスカヤ(7105m)隊長、登頂 コムニズム(7495m) 隊長、登頂 1987年 アルゼンチン/アコンカグア(6959m) 隊長、登頂 1989年 インド/ヌン(7135m) 隊員 1996年 中国/ムスターグ・アタ(7546m) 副隊長、登頂 1997年 中国/ニンチンカンサ(7206m) 登頂 1999年 アルゼンチン/アコンカグア(6959m) 隊長、登頂 1999年 中国/チョムカンリ(7048m) 隊員 2000年 カザフスタン/ハンテングリ(7010m) 隊長、登頂 2002年 アルゼンチン/アコンカグア(6959m) 隊長、登頂 2003年 タンザニア/キリマンジャロ(5895m) 登頂 2003年 パキスタン/パスー東峰(7295m) 登頂

甘いキューバの香り・・・男はハバナを目指す!

メキシコから空路でハバナ国際空港に到着した。やはり社会主義国への入国は緊張する。いきなり目についたのは空港ロビーの天井には万国旗が掲げられている。間違いなくアメリカ国旗だけはない。”オレたち世界中の人と付き合うけどアメリカだけは付き合わないもんね!”と物語っている。(アメリカ国籍の神谷アンドリューは相当に人生の想定外の旅だったようで、モロに緊張! アメリカで初等教育を受けたアンドリューにとってキューバに行く事は日本人のオレ達が北朝鮮に行く感覚と似ているらしい。そういえばオレの英語教師のケニー(完全アメリカ人)も同様にキューバ行きに関しては異常なまでに嫌悪感を示していた。そんな教育をうけているのだ。実際にはキューバは貧しいが相当に平和レベルが高く、歩いていて危険もないし国民は精神的には豊かそうにみえる。なんといっても社会主義なので最低生活が保証されているせいか自殺者は皆無らしい。 空港で緊張のイミグレーション(入国審査)を抜けて荷物をピックしようと思ったら同行者の室町茂がいない・・・奴は何を思ったか、今日のコスチュームは迷彩柄のシャツだった。どうもその挑戦的態度をかわれて別室に連れて行かれたようだ。待つ事、数十分で出て来れた。良かった!! そしてタクシーで30分で市内に入った。

甘いキューバの香り・・・男はハバナを目指す!

決して上等ではないが、位置的に便利なクラシカルなホテルだ。(というか町中にはクラシカルしかない。なにせ時代は1950年代の今のカストロ政権になってから諸外国との国交を断絶したことにより停止。走る車など50年代の羽根がはえた巨体のアメ車かソ連製の車がほとんど。その時代の止まり具合というかモノに支配をされていない雰囲気が面白い。そして町中、何処に行っても音楽に包まれている。国民のほとんどが楽器または歌を歌うといわれている。レストランに入ると”生バンド”は当たり前だ。市街地を散歩して夕飯時になってきたのでレストランを選んだ。だいたい夕飯はスペイン圏などだそうだが10時位が日本の7時位の感覚。従ってオレ達がメシを食う時間はガラガラだ。(カブれて10時まで待ったら倒れちゃう。ランチは機内食のパン一個だった。)ディナーはパエリアをメインとしたスペイン料理。 酒は普通はワインとなるが・・・・実は一昨日、成田発メキシコ往きのJALの機内販売で幻の焼酎の”森伊蔵”を買ってしまったのだ。(一年のうちの限られた期間に限定で販売される。見たら”買う”が鉄則。ちなみに機内では3000円だが市場に出るとプレミアで1万円は軽く超える。)何の考えも無くラッキーとか思い買ってしまったが、よく考えたら”液体物”なので機内持ち込みが出来ないのでメキシコ、またはキューバで飲むしか無い! 持って帰る事は出来ないからね。自業自得とはいえ困った。そして思いついた必殺技がペットボトルに入れてレストランに持ち込んで水のふりして飲むという技であった。最初から水で好きな濃さに割っておいたら尚、便利!(これ前割りという技なんです。氷だと薄まるでしょ!)

甘いキューバの香り・・・男はハバナを目指す!

一応、カモフラージュにキューバの酒”モヒート”は注文。乾杯して飲んでから、我々は酒は弱いから後は水を飲みますね・・みたいな顔をして名酒・森伊蔵を飲んだ。しかし幻の名酒も鹿児島で生まれて、まさか飛行機に乗せられてメキシコ経由でカリブ海のキューバに連れてこられて、その上、ペットボトルに入れられ、カバンの中で半日連れて回され、ワイングラスに注がれ、あげくの果てには故郷の薩摩揚げなどと胃腸のなかでのランデブーを楽しみたかったであろうに、一緒になったのは友達だれもが見た事も無いパエリア・・・少し気の毒になったが、その分、誉めまくって飲んで差し上げた。しかし波田の脳みその中では《森伊蔵=キューバ》の図式が出来てしまい、作者の意図とは違う方向に向いている気がしてしまう。次回出会ったらちゃんと薩摩揚げと一緒にしてあげよう・・・・しかしレストランの従業員は、水を飲んでゴキゲンになるニッポンジンは奇異に見えたに違いない。ホテルに帰ったらホテル従業員の激しいセールス活動を受けた。この国は全員がセールスマン化していて可笑しい。ボーイは葉巻の手配からレストラン斡旋、タクシー斡旋、葉巻の販売までこなす。終いには、仲介人と女の子まで部屋に乱入されてマイッた! 処理を室町に依頼してオレたちは寝た。 翌朝はウルサい目覚めであった。多分昨夜は4~5回は起きてしまった。ホテルは一階の部屋だが回廊の隣で人通りが激しい。なによりキューバ人は朝からテンションが高くて騒がしい。人は最高!! みんなで朝食をしながら本日の行動を検討! ハズせないのはヘミングウェイの屋敷の見学。コヒバ(キューバは最大の葉巻の産地なのだ。その中の最高級ブランド。国営で本当にカッコいい!)あとは・・・別に無い。 近所のフリーマーケットをのぞいて、数点のお土産的人形を購入して、タクシーでヘミングウェイ邸へ。キューバでの観光では相当に人気があるようで、綺麗に修復されヘミングウェイが暮らしていた時と同じ状態である。(古い屋敷を維持、管理するということは相当にお金がかかるのだ。)

甘いキューバの香り・・・男はハバナを目指す!

素晴らしい邸宅で置いてある物、全てがカッコいい! 小高い高台にあるのだが本宅とは別にお茶目な離れが10畳間そのまま三階建てのようになっている展望台型の書斎があって相当にいい雰囲気で執筆活動が出来たのだろうと想像がつく。書斎、応接室、ベッドルーム、ゲストルーム、バルコニーからの景色、すべてに文豪ヘミングウェイのこだわりを感じられる。とても素晴らしい時間になった。(オレも印税生活でこんな屋敷に暮らしたい。)その後、タクシーで市内に戻り、腹も減り、国営ホテルのナシオナルデェoクーバに向かう。1930年に出来たままの姿で維持管理され、まさにキューバの顔的なホテル。何となくランチをして、午後の活動に入ろうと思いきや・・・メチャメチャにダルい空気になってロビーのソファーでまったり状態に突入! 『あぁ、今回はビーチに行くチャンスが無かったなぁ!トホホo・・』(砂コレクターなんです。ボクの密かな趣味です。)なんて思った矢先に、アンドリューが『砂をとりにビーチに行きましょう!』と声をかけてくれて行く事に決定!バンザイ!ということでセント・マリアーナビーチに向かった。

甘いキューバの香り・・・男はハバナを目指す!

タクシーで20分、行く道々も気分がよく窓から入る風も、なま暖かく、潮と木々の香りを含んだ素晴らしい風で、今、カリブ海にいるのだと実感した。ビーチはご機嫌だがビーチ対策の服がなくて少々残念だが、目的の砂も回収できたし、プリンプリンのカリビアンな女の子を沢山見る事が出来て幸せだった。タクシーの運転手のオジさんは遠距離のお客を乗せて上機嫌! 帰りは頼みもしないのに色々なベストビューポイントを案内してくれた。みんな、ドーにでもなってチョウだい的な空気で運転手の案内に身を任せた。ホテル・アンボスムンドスというヘミングウェイが居を構えるまで暮らしたホテルでモヒート(ラム&ミントのカクテル)を屋上のバーで飲んだ。その後、全員の意見が合致してホテルに帰りシェスタ(昼寝)をした。夕飯はラ・ポテギータ・デルメディオでキューバ料理を堪能(すばらし店なので波田ケージローの勝手でしょで紹介)実にキューバ的な素晴らしい時間でした。明日は朝、6時の便(朝3時起き!)でメキシコ経由、ロサンジェルス、そしてサンディエゴに向かいます。一日中移動かなぁ??またキューバが好きになったのは間違いない。

甘いキューバの香り・・・男はハバナを目指す!

メキシコでバラガン!!

メキシコで“バラガン”に会う!! 2008年5月19日   東京も過ごしやすい毎日だ。一年のうちで東京が一番好きな時期だ。サンディエゴでリーダーシップセミナーがある。それをさかのぼり五日間が今回の時間的に許される日程。 さて何処に行こう! 南米まで行くには時間が無さ過ぎ・・・アメリカ圏には、慌てて行く場所は無い。(今回はロサンジェルスにサンディエゴの帰りに寄る程度で十分) バハマ諸島か、カンクーンか・・・メンツを見るとビーチで和む気にならない。 ホモ軍団だと見られるのもナンだしなぁ! そうだ!夢の一つである“ルイスバラガンの建築を見る!”を叶えよう。ついでだからキューバまで飛んでキューバミュージックに触れよう。

メキシコでバラガン!!

ルイスバラガンは崇高な建築家だ。個人宅が世界遺産になっている。(他に個人宅が世界遺産になっていう例はあるのだろうか!?) 安藤忠雄氏(名実共に日本が世界に誇る建築家だ。)が敬愛するのがバラガンなのだが、随分前に東京都立美術館で安藤氏がプロデュースした“バラガン展”を見てバラガンに強烈な思いを持つようになったのだ。(バラガンは建築家のノーベル賞にあたるプリッカー賞を受賞している。グアダラハラの裕福なスペイン系の7人兄弟で育ち、若かりし頃世界中を旅して様々を感じていた敬虔なカトリック信者だ。作る作品は光の取り入れ方が絶妙。そしてメキシコの大地を感じる色使いが鮮烈だ。)  時間的な事もあるので見られる範囲を見よう! しかし調べるに、その黄金期の作品の多くはメキシコシティー界隈なので効率良く、回れば大丈夫!という事が発覚。神谷アンドリューがロサンジェルスから来てくれて一緒に回ることにした。アンドリューはツアーの段取りをしてくれて、日本語が話せる、そして建築の知識もあるガイドを捜してくれて手配済み。困ったときのアンドリューなのだ。(まだ困ってなかったけど案件としてアメリカ手配がラクチンと判断、そのかわりキューバに関してはアメリカ内では国交が無いので一切の情報が入らず、波田が手配)・・・・ということで5月19日に日本を出発! 成田でチエックインする際にバンクーバー経由メキシコシティーと聞いてなんだか、えらい遠回りに思ったら地球は丸い事を考慮すると近いらしい。約18時間で無事にメキシコシティーに着いたが、アンドリューがロサンジェルスから来るはずの便が来ていない。途中悪天候ということでアカプルコに行ったらしい。途中で電話連絡がついてホテルで待機することにした。こんな夜の決して安全そうとは言えないメキシコシティーの空港でも、同行の剛の者・福井剛と室町茂がいるとナンにも不安ではない。自分を守るために護身術を習うか、福井を連れて回るかの二者択一ならば後者を選ぶ。 数時間後に無事にアンドリューとホテル・ガレリアプラザで会えた! 食事もまだだったのと、そんなに期待が出来る状態ではなかったが、ホテルのレストランで、皆で盛り上がり・・・・いきなりコンセントを抜いた電気製品のように倒れて寝た。 5月20日 朝は9時に観光会社のガイドさん(大山さん)とドラーバーが迎えに来てくれた。いよいよメキシコのメインイベント“バラガンを観るツアー”だ。基礎知識なし。別段、興味も無いが何となく付いて来ている福井&室町氏がそれなりに楽しみ何かを感じる事を祈るばかりだ。走り出すと町中にブルーのジャカランタが咲き乱れているのが感動だ。 さて、バラガンなど建築物の中では一切の撮影が出来ないと聞いて少し残念だったけど、その分、しっかり肉眼,五感をフル活用して見て回ろう! 最初はバラガンの最高傑作と言われるカプチン修道院を見学。教会といえば教会の形をしているのが普通だが、スペイン様式というのは、まず中庭方式で外界から大きな高い壁でシャットアウト。外から見たらん中に何があるのかわからない。ただの壁なのだ。呼び鈴をならしてシスターが出て来てガイドさんが交渉。(もちろんアポは入れてあるのだが、時々断られるらしい。よかった!まずスペイン語で話さなければ無理そうだし、第一、この場所に来る自信もないし、隣まで来ても探し出せないであろう。)重厚なドアを開けると、散々写真集で予習をいていたので初めて見る景色ではなかった小広場に案内される。スペイン式は周りを囲んで内側に庭を作り、そこから採光をとるのだ。その50?程度の場所にも様々考え尽くされているのだ。その講釈を聞くとまたまた感動!中に入り礼拝堂にはお祈り中の修道女がいて気を使いながら見学。礼拝堂中央に5m?位の十字架がそびえ立つ。ちょっと違和感があるのだが、なんと午前7時過ぎに東側の縦長の窓(床から天井までの幅50センチ程度のスリット)から光が差し込み十字架に当たった光は礼拝堂の正面に光と影により十字架を映し出すしくみになっているのだ。残念ながら曇り空と10時を回っていたので光の演出を見る事は出来なかったが、さぞや感動だろう。この修道院は一時が万事、そんな演出が数々されている。また壁の色も考え尽くされ、光があたると色の変化が感じられるように演出。実はこの教会はバラガンの寄付で出来ている。様々な施主(依頼人)からのリクエストを聞くのが嫌だったバラガンの提案で、寄付するから好きに作らせてほしいという提案をそのまま受け入れたらし。そして没後にあまりにもデザイン重視で使いにくかった部分を修理したらしい。静寂をテーマとしていたバラガンは人生の最終章をここと自宅の往復で費やしたと聞く。巨匠・安藤氏も年に一度はここを訪れてご自身のチューニングをされているらしい。 バラガンのお気に入りのベンチに座ってみたら感無量となった。

メキシコでバラガン!!

メキシコでバラガン!!

そして次なる目的地へ! しかし、この街の運転の秩序はどうなっているのだ! まず東京の常識を当てはめれば大事故だ。メキシコでは“乱暴な運転ほどチャンと家に帰れる。安全運転を心がけると事故する!”というのが定説であるとガイドが言っていてビックリ。ますますこのガイドさんに会えて良かった。 そして折角だからとガイドさんが案内してくれたのが建築家リカルト・リゴレッタの代表作品のアートセンターだ。元ゴルフ場の広大な土地の中に美術大学や様々な芸術系の研究設備がある。その自由な空気に圧倒された。そして驚いたのが植物を考え抜いて植えられて、しっかり育ち管理されている点だった。メキシコは木々を大切にする国で勝手に木々の伐採などやってはいけないらしい。全て市当局の管轄なのだそうだ。だからどこも手入れが行き届いている。日本みたいに木々を大切にしないで勝手に抜きまくる建設業者なんて死刑だなぁ! ジャカランタやコロリン(デイゴ)などが咲いた時に映える壁の色を選ばれている。ちなみにメキシコ人は白を色として考えていなくて、つまらない色という位置づけになっているそうだ。どんどん散歩していると、すこし息が切れ気味になるのは、この街は標高2240m?から3000m?にあるからなのだ。そしてまた命がけドライブで、バラガンが人生のステージとしたバラガン邸を訪問。ここも周りからは只の壁。こんな地味な世界遺産は無い。中に入りやはり予習をしていたカットが実際に肉眼で飛び込み感動は100万倍! 鳥肌たちまくり! こんなモダンで味のある建物が1940年代に考案されて暮らしながら実験をしていたなんて凄い。ガイドさんからバラガンなどの人柄などを聞くと余計に面白かった。バラガンはヨーロッパでフランス人小説家にして画家と造園家という肩書きのフェデリアンバックという人に相当に影響を受けて、家作りと庭作りを同じほどに重要に考えたらしい。その後は近所のバラガンの遺作となったギラルディー邸を見学。小振りながら室内にプールがあり(日本の住宅と比べたら全く小ぶりではないが・・・)それが家の中心をなし、様々に工夫された窓(明かり取り)から差し込む自然光が水の上で芸術的な屈折をなすのだ。三階まで続く階段には手すりが無い。その緊張で場所を変わる演出なのだ。(波田が暮らしていたら酔っぱらいで落ちて即死であろう。) その後はランチ!!当然にメキシカンだ。これホームラン級に美味しかった。ランチ後はやはりリカルドリゴレッタ設計のカミノレアルホテル(1968年のメキシコ五輪の年に竣工)を訪ねた。元祖デザイナーズホテルという趣で凄い。正面玄関にある噴水が凄くて、噴水が日本海の荒れ海みたいにバッシャンバッシャンと洗濯機のごとく凄い勢いで回っているのだ。建築家本人はバラガンからの影響は無いと言っているらしいが、どこをとってもバラガン様式だった。椅子なんかバラガン作の“ミゲリート”がそのままあった。その後はバラカンが設計をしないでデベロッパーになった時代に作った街のラス・アルゴレーダスを見学。馬を共生する生活をテーマにするこの街は馬用の道が特徴で散歩道の最後には馬が水を飲める場所がありカッコいい。雨上がりでユーカリの木々から良い香りがしている。とても体に良さそうな天然ハーブだ。深呼吸しまくった。ちなみにバラガンの生涯を通じての趣味は乗馬だった。そして最後に、バラガンがデザインした街のシンボルである“サテライトタワー”を見た。ベストショットを求めて命がけで道を横断して撮影。見る角度で全然違うものに見えるタワーは時代を超越している。

メキシコでバラガン!!

その後、近所の巨大スーパーに寄り波田は趣味の外国産オイルサーディンの缶詰めを購入(話すと長いから今回はモノケージローでご紹介!)ホテルに一度帰り、ツアーは解散して、近所の屋台的お土産物屋街に行ってみた。民芸的お土産から様々な物を売っていたが、プロレス用覆面を同行の室町が発見して購買に燃えていた。(メキシコと言えば覆面レスラーが名物なのだ。)夜はFonda de Refugioにてイタリアン!アンドリューは相当にテキーラが気に入りストレートでガンガン飲んでクルクルしていた。充実の一日だった。また夢が一つ叶ったし・・・・・(後半のキューバは6月中旬に載せます。お楽しみに!!)

メキシコでバラガン!!

未知の国ブルネイへ・・・・・

ダイヤモンドフォーラムはブルネイ王国と発表されたのは前回の開催地であったニューヨークの最後のフェアウェルパーティーの席上だった。通常、こうやって次回の旅行が公表されると、その後の数日間は、どこを回ってその地に入ろうかとか思いを馳せるのだ。ちなみに、その回のニューヨークの時は以前から行ってみたかった、南米はブラジルのリオデジャネイロとサンパウロを訪れて、数日を過ごしてからニューヨーク入りをした。 それはそれは、楽しい経験が出来た。リオデジャネイロ・・・憧れはあるけれどわざわざ行くには遠すぎる。ついでならばこの上なくし幸せだ。 そして今回のブルネイ・・・・いったいそれは何処なのだ・・・・・映像から想像するとイスラム教の国、そして石油産出国で相当にリッチ。世界に二つしかない7つ星ホテルであるザ・エンパイヤ ホテル&カントリークラブ があるっていう程度。あまりに情報も知識も無くて予定も立たなかった。・・・・・別に何処にも寄らないでただ、真っ直ぐに行って真っ直ぐに帰れば問題ないのだが、なんだかモッタイナイの一言なんですよ。そして地図と飛行機の運航表(日本から直行便はないので、香港、タイ、インドネシア、シンガポール、マレーシアなどを経由して行く必要がある・・・・・ということで以前から寄付を続けているタイのチェンマイのエイズの孤児の施設であるバンロムサイを訪ねようと準備をしていたら、なんと秋になった頃にロイヤルブルネイ航空にフライトをキャンセルされてしまった。航空会社なんて勝手なもんで、こっちがキャンセルしたらお金を取るクセに、あっちからは一方的通達となった。そしてタイ経由の日程的には断念。アンコールワット観光もチェンマイでの雑貨屋めぐりもフッ飛んだ。 もう今更、ストレートに近いルートでブルネイに入るルートから席を探すのは不可能ということで、インドネシアはバリ島を経由を模索したらバッチリ。バリで三日間すごして、直行でブルネイに入れるルートがあり、これはラクチンということで予約。ところが直前にまたまたロイヤル・ブルネイ航空はバリ~ブルネイの直行便をキャンセルしてきた。どうなってんの!!そんな適当な事で国際社会の信頼は獲得出来ないぞ!と叫んだところで、ブルネイの王様の耳には入らない。(ブルネイ航空は王様の所有物。)結局、8日の過激なスケジュールでの移動となった。(ロイヤル・ブルネイ航空の広報部の方、ちゃんと謝罪しないと永久に悪口を言いますよ! 謝罪はね・・・・ボクは甘いものはキライですから!!)
12月5日 午後15時50分のフライトで成田から直行便でバリのデンパサール空港に飛んだ。ファーストクラスの設定が無いフライトなのに機材はファーストのフルフラットを使っていてお得感イッパイ。(ビジネスクラスでファーストに乗れたと言う事。)

未知の国ブルネイへ・・・・・

読書しまくり、映画を見まくりな文化レベルの高い時間を楽しめた。深夜に到着して空港にはホテルの迎えが来てくれていて、そのままホテルにチェックインした。入室後4分で就寝。
12月6日 朝6時にホテルのロビーに集合して堀正樹Wと専属サーフィンガイドのマデ君に案内されてスミニャックから1時間半のバリアンというポイントにサーフィンに出かけた。とっても良い空気のビーチで幸せな時間を過ごせた。なにせ波はいいのに入ってる人数は10人弱ということで気分は最高だった。ただ波田自身が2ヶ月近くサーフィンから遠ざかっていたので体力的な限界が早かった。どうしても最後の最後でパワーが入らないのだ。ということで二時間半位だが楽しんで出た。なかなかタイミングがつかめなかったが、一本のロングライドが決まって気分は爽快!堀はまたまた”親のカタキ打ち”的に攻め込んでいる。堀も一時間後には出てきてシャワーを浴びてから移動した。 ランチは途中のクロボカンのサテカンミン屋(細めの焼き鳥を自家製味噌に漬け込んで味付ける。それを専門的にやっている。)にて食う。三人分で500円程度。(ビンタンビール大瓶二本を含む値段!安っ!!)これが超美味い。本当に美味い。ホームページに紹介しようと思い、住所を聞いたら『住所は無い!!』との事。電話も『無い!!』そんなアホなぁ・・ おまけに店名も無いとの事。・・・・その後、ホテルに帰ってマッタリしてから夕方の1ラウンドということで、今度はチャングービーチのポイントに来た。ここは以前に大和田剛が連れてきてくれた”サーフポイント世界十選”に選ばれていポイントで素敵。その日はチャングーにしては波が無かったらしいが、波田には充分なビッグウェイブだった。m(__)m 二時間半の間に、楽しめる三本の波に乗れてゴキゲンさんだった。入ってから一時間もしたころから地元の小学生は10数人が入ってきて、ものすごい勢いでサーフィンを始めたが、その、すごいレベルの高さでビックリした。(オレ、この先どれだけ頑張れば、こんなレベルになるのだろう。俺、負けてる・・・と見ていてネガティブが入ってきてしまった。) オッサンサーファーは小学生に迷惑をかけないように頑張るのだ。夕焼けをしっかり眺めて帰った。 夕飯は堀正樹と二人でワルン・イタリアという”簡単・バリ風イタリアン料理店”がオススメということで出かけた。そしてその料理は実に多彩で美味しかった。(ここは住所も電話もあるのでご紹介します。) ○紺CAは一緒にゴハンをする予定だったのに・・・・彼女としっぽり・・悪の虫が爆発してしまい来なかった。友情は大切なのになぁ・・・・
12月7日 朝6時にサーフガイドのマデが来てくれて、昨日は入ったチャングーに入った。人数も少なく幸せだったなぁ。昼はホテルのプールサイドでインドネシア料理を食べた。プールサイドの野郎二人は絵的に人迷惑な気がしたのはオレだけだろうか。午後はそのままプールサイドで日光浴&読書。 今回は本は10冊持参してきていて、すでに機内からで三冊を読破。 少し頭も良くなった気がする。(ちなみに読んだのは《頂点のサービス・リッツカールトンとペニンシュラ》《カンブリア宮殿/村上龍×経済人》《人間の関係/五木寛之》読み始めが《養老訓/養老孟司》) 夕方はお洒落なエリアである近所のスミニヤックを散歩して小さな店を見学。家賃が安いからか、様々な国のチャレンジャーが様々な店を出している。来るたびに発見があるのが若い町な証拠なのだろうなぁ。 夕飯は大和田剛と連絡を取って、クロボカンのワルンソバというインドネシア料理店で食事をした。増田C、細見W、橋本T夫妻、進藤ユメT、堀正樹W、大和田剛EX・・・要はバリ経由のブルネイ組みが集まった。終始アホ話とサーフィン話題で盛り上がった。解散して帰ろうと思ったら外はイキナリの豪雨。この熱帯地方の夕立が好きなんだ・・・
12月8日 朝、5時に起床して空港に向かう。冒頭で話したが、アホ・ブルネイ航空のドタキャンでジャカルタ経由に変更となり、そのうえジャカルタで5時間も潰さなくてはいけない羽目となった。結果、ブルネイには夕方の5時過ぎに到着。  空港の税関でオレンジ色の書類に持参してきた酒類を書き込んで申請。実はこの数年で最強の問題が降りかかってきたのだ。なんとブルネイは国をあげての”禁酒”の国。そんな国、あるのかと耳を疑った・・・・以前、行ったモルジブがやはり禁酒の国だが、なんとかなったのだが、ブルネイは一筋縄にはいかないようだ。申請書を出すと受け付けた係官は心なしか犯罪者をみるような、軽蔑の目で見るのだ。中学校の頃に本屋でエロ本を買おうとして店主に見られた目と似ていた。・・・飲酒がそんな悪い事には思えないが・・・・ 暴飲暴食がオレのライフワークなのになぁ。  ホテルまではタクシーで向かう。高畠秀ちゃん夫妻とジョー君と四人で楽しい車内。 エンパイアホテル&リゾートに足を踏み入れて驚いた!なんだぁこのロビーはぁ!なんだぁ!この部屋はぁ!!

未知の国ブルネイへ・・・・・

(豪華絢爛を超えている。黄金蛇口の黄金ベンキブラシだよ!m(__)m) チェックインしてその夜はディナー難民を恐れてあらかじめ日本で夕飯友達(メシダチと呼んでいる。)お願いしていた京都の外川EX御一行と合流してホテルの中のタイ料理に出かけた。そしてイキナリに持ち込みをした焼酎を飲んだ。トムヤンクンと芋焼酎の組み合わせはなかなか好きだ。終始、ここでもバカ話で終わった。そして、やたらにでっかいバスタブに入って和んで入浴。浴槽が大きすぎて滑って、あわや水死するところだった。酔っての入浴は危険だと学習・・・・就寝。
12月9日 《ブルネイ2日目》 今日はフリーチョイスアクティビティーの日。ということでウル・テンブロン国立公園日帰りツアーに参加。(他にはゴルフ、市内観光、エステとか色々準備されている。このコースは明らかに変態系だ。)ボルネオの荘厳な手付かずの原始熱帯雨林を体験することが出来るのだ。参加者は約20人。今回のダイヤモンドフォーラム参加者の殆んどは市内観光とかゴルフをチョイスしていた。我々はホテルを朝の7時半に出発してバスに30分、運河を高速のボートで40分、また小さなマイクロバスに乗り換えて20分、再度、唯一の交通手段の伝統的なロングボートで公園の入り口まで30分。衣服は結構なビショビショ状態。そしていよいよハイライトの1226段の階段を登るトレッキングになった。

未知の国ブルネイへ・・・・・

つり橋を渡り、階段を登って・・・・その道のりは決して楽ではなかった。約40分かかって頂上到着。そこにはアルミの工事現場の足場で作ったキャノピー(鉄塔)がある。その高さは推定30メートル。200段はある鉄塔をまたまた登りきると、ボルネオの密林からポッコリと展望台が出ていて、とんでもない景色を見ることが出来るんです。みんな、オタケビを上げて興奮していた。素晴らしい森林浴を楽しめました。 ランチは下山して皆でバーベキューを食べた。こんな発汗して気分は爽快なのに、ビールが飲めないって厳しいなぁ。また帰りは行きの逆で時間をかけて帰った。ホテルに戻ったのは夕方。 帰って一番先にやった事は、当然に部屋に配給されて冷やされていたビールをプシュッと飲み干した。二本目もプシュッ! ダメって言われると10倍に美味しい。なんて美味しいビールだろう。ちょっと感激。 夜はウエルカムパーティーがあった。本来はガーデンパーティーの予定だったが、夕方のスコールで出来なくなりプールサイドのレストランで行われた。日本全国のダイヤモンドが一同に会して楽しい時間になった。波田は『やぁやぁ!!』と皆さんに久しぶりのご挨拶。  その後、渡辺正人氏の提案でホテル内のボーリング場で”賭けボーリング”をした。(きっと酒がダメなんだから賭け事なんて絶対にダメなんだろうなぁ・・死刑かなぁ。) 波田は恐ろしく下手っぴなのだが、ハンディーを三十点いただき2ゲーム戦った結果、勝った。そうなのだ!!波田は賭け事になるとものスゴイ、パワーが出てくるのだ。と言う事で明日の夕飯はご馳走になることとなった。うふふぅ~~やたらに嬉しい!
12月10日 《ブルネイ3日目》 朝7時からジムで発汗した。外国のホテルのジムはやたらに外人がテンションが高くて好きだ。健康オタクっぽい人々、ビジネスマンが朝からトレーニングに精を出している。 帰ってゆっくりシャワーを浴びてホテル内を散歩。ビーチで砂を採取(これ、小さなボクの趣味なんです。モノケージローを見てください。)写真をたくさん撮ってブラブラして過ごした。 その後、市内観光のシャトルバスでお出かけ。街は・・・・・地味だ。食事は、やはり飲茶でしょ!! ということでローカルなホテルの中のレストランで食べた。何故か一味、足りないのは、やはり料理にもお酒を使わないからかナァ・・・その後、近所のブルネイで一番の繁華街を見たが何も買うものは無かった。ショッピングセンターの最上階に不思議なカフェが二軒あった。 一軒は”ブライダルカフェ”と書いてある。

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薄暗い中を覗くと周りにはウエディングドレスがかけてあり、真ん中では女の子達がお茶を飲んでいる・・・・・理解不能だ。その隣は、店は明るいカフェで周りでは輸入文房具を売っているという”文具カフェ!” こんな店を考えた事も無かった。沢山のファイルやボールペンを眺めながらお茶・・・・引き続き理解不能だ。 近所の庶民エリアに突入してスーパーマーケットを散策した。プラス思考で考えれば買うものが全く無いので無駄遣いをしないですんで良かった。 今晩は唯一のフリーな日なので、6時に林厚子CA、正人T、山本EX夫妻、岡リエコEX、佐々木穂積W、堀正樹ダブル夫妻、石井俊八・ちかEX、伊藤かずえEXらと中華料理でお食事会を開催。ちょうど夕方はハンパの無い豪雨でものすごい水溜りを駆け抜けて地元の中華料理屋に突入。このフォンムンレストランは、検索ワード”美味しい中華で酒を持ち込める”という条件でAМのホスピタリティーデスクで探した。(多くのレストランは持ち込みがダメなのだ。そんな店はこっちからお断りだぁ!!)静かなローカルな店で個室に案内されて各自、持ち込んできたシャンパン&ワインをテーブルに並べてご満悦。 そのワインのビンを並べて驚喜する我々を見て、従業員は完全に軽蔑の目・・・・そんなの関係ねぇ!! 早々に注文して超盛り上がりながら食事をした。

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本当に楽しい食事だったなぁ。料理も美味しいしワインも最高、それ以上に楽しい仲間なんだなぁ。普段から酒が飲めない佐々木穂積や石井俊八などは割り勘負けがなくて嬉しそう! 二時間のお食事会はアッという間に終わってしまった。帰りもまだ洪水みたい水溜りが残る中、帰って波田の部屋で再度、酒宴は続いたのだった。 正に乱れ狂う異教徒を地元の人々はどんな風に写ったのだろうか・・・・国際問題に発展しない事を祈るばかりだ。
12月11日《ブルネイ4日目》 朝からビジネスセッションが開催。ホテル内の超カッコいい国際会議場のエンパイヤシアターで行われた。新社長のJohnParkerのスピーチは素晴らしかった。完全に参加者の気持ちは一体化していたなぁ。そして日本市場に対しての考え方などを細かに説明してくれた。ちなみに本社社長のダグ・デボスはパーカーに連れられ、日本の庶民の家を見学、山手線、地下鉄に乗り様々な小売店などを見学して日本のマーケットを理解すべく時間を過ごしたらしい。こんなことは今までには無かった事。なにかが変わるなぁ!

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ランチはまたまたまたまた中華料理。ホテル内の高級中華を食べに行った。雰囲気はお洒落だったが、やはり昨晩のローカル店が美味しかった。 午後は完全なるヒキコモリ状態で部屋でパソコン、読書、時々うたたね・・・そしてジムで発汗大会。こんなの贅沢でいい時間だぁ。今晩はグランドバンケットということで全員、正装(タキシードまたはブラックスーツ) 会場はホテル内のエムパイヤシアターで行われた。荘厳な作りのこのシアターは本当に、タキシードが良く似合う。豪華ディナーも素晴らしい。海外旅行はいくらでも出来るけど、こんなパーティーを海外で経験出来る人なんて、すごい事だ。

未知の国ブルネイへ・・・・・

エンターテイメントは世界中が注目するピュアボイスのヘンリーウェステンラ。(ホセカレーラス、アンドレボッチェリ、などのデュエットパートナー。イギリス王室の前でも歌う。若干20歳にして3枚目のCDを出す実力派。フジテレビ45周年記念ドラマの”白い巨塔”の主題歌も歌う。)がもの凄い美しい声と声量を披露!まさに圧巻的な歌唱力だった。アンコールはなんと”なだそうそう”を歌う。ものすごい感動したなぁ。終了後は中島薫DCAの部屋を見せていただいた。なんと一泊が170万円。出来て七年のホテルだが、その間に泊まったのはクリントンとプーチンだけ。でもそれぞれ一泊だけだった。そこに薫さんは4泊ということで凄い!!室内プールなんて25メートルあって衝撃のデカさで笑えたナァ。

未知の国ブルネイへ・・・・・

クローゼット部屋も8畳、そして専用エレベータまで付いていた。だいたい、こんな部屋に泊まる人は沢山の友達を部屋に呼んじゃうなんて人はまずいないのだ。薫さんの部屋には30人くらいはいたけど広すぎてガラガラ。(*^_^*)豊かなお金持ちなんだなぁ。翌朝はクアラルンプール経由で日本へ帰国する。・・・・・・・・ 今回も新しい経験がテンコ盛りで本当に楽しかった。人生は一回だけ。そして賞味期限付き! こんな旅行にグループの沢山のダイヤモンドを連れてくるのが当面の”夢”だなぁ。こんな楽しい時間を仲間と共有したら最高だよ!!・・・・・一度来てみたらいかが!

モルディブ・サーフトリップ。 体育会系だってこんなにやらない。恐ろしき平均年齢42.8歳。

これは日付を追った日記ではない。2007年6月14日から21日までの7泊8日でインド洋の島々、モルディブにサーフ・トリップに行った。その内容を書くのだが殆んどの日々のスケジュールの内容的には変化は無い。しいていえば、何処のポイントに入ったか、それは良かったのか、そうでもなかったか、メシは何を食べたか、会話はなんだったのか・・・・・程度のもので、大きな変化こそ無いが、本当に濃い内容の “オトナのサーフィン強化合宿”だ。 冬のある日に、アキヤン(秋山和茂EX)から電話があり”サーフ・トリップに行きませんか!”と誘われた。それは嬉しさ半分、不安半分な誘いだった。嬉しさを分析すると”オレってサーファー!?”なんだぁと少々の認知を受けた嬉しさ。不安部分は約一週間の毎日のサーフィンを続けられるか、その体力。それ以上に、その技術力も不安だった。

モルディブ・サーフトリップ。 体育会系だってこんなにやらない。恐ろしき平均年齢42.8歳。

今回は素晴らしいボート・トリップ(豪華な10ベッドルームの客船をチャーターしてサーフィンのポイントを目指して島から島へクルーズ。料理上手なコック、サーフィンのガイド、掃除係、船員、様々な世話をしてくれる係りなどがサービスをしてくれる快適そのもの船なのだ。)ということだったが、なんとなく消極的な返事をした。(あと問題は当社の秘書の土岐ちゃんが新婚旅行で2週間、出かけるとのこと、その日程がピッタリ、帰国日と出発日が重なる。ということは3週間、土岐ちゃんと顔を合わさない!我が社の存続の危機!!という不安もあった。) 結局、何かを決めないとイカンと思い数日後に”行きますぅ!!ヨロシク!”と返事をした。 さぁ後には引けない! この何年も進化をしていないサーフィン人生に何かのキッカケを与えなくては。  それからの準備が始まった。 まずコジマ電気でオムロン製の”体脂肪計”を買ってきて体力作りをスタート。(ズレてるかなぁ・・!) 今までも週に数回はジムに行くか、ジョギングかはしていたが、目標を持って体調を整えると言う事はあまりなかった。 とにかく体脂肪と体重を落として身体の筋肉を強化。そして精々、近場にサーフィンの練習にでも出かける。DVDでも観てモチベーションをアップ・・・そんなとこだろうなぁ。(結果、3ヶ月半で体脂肪は5%、体重は5キロ落とした。体力的にはやることはやった。)  でも知れば知るほどに不安にもなってくる。モルディブは恐ろしくデカイ、そしてホレホレな波が立つらしい。 何でオレなんかが誘われるんだぁ・・(事実、今回の参加者が一様に上級者だ。オレ、人数あわせかなぁ・・・なんて被害妄想癖も出てくる始末・・・・)しかし後には引けない・・・・・(結構、意気地なし野郎になっていた。)

モルディブ・サーフトリップ。 体育会系だってこんなにやらない。恐ろしき平均年齢42.8歳。

成田までは大和田剛EXのベンツの巨大キャンピングカー(ヨドコウ号)で乗り合いで行く事になった。しかしデカイ車ながら、計画性ゼロ状態で荷物と人間はマンパン状態!途中、環状七号線で他の班の車と合流して荷物を仕分けて人間も分散! その道端での姿は佐川急便の荷物仕分けセンターそのものだった。(こんなことで成田に着くんだろうか。誰がこの姿を見て”憧れのモルディブ”に行く御一行と思うであろうか・・) 成田までの道々での会話は盛り上がっていたのだが、突然に”航空券”の話になった。オレとヤッシー(石島D)は旅行社から旅券が送ってきてない!当然、持ってきてないと主張。(結局、ちゃんと来てた・・トホホ) しかし他、全員は当然に持参。急きょ、無くても大丈夫か、また今から手配してバイク便で世田谷の家から成田に届けられるか・・・・様々な方法を考えてみた。JTBの友達に電話して聞いたら旅券なくしての成田チェックインは不可能との事。しかし不可能が可能になるのが波田の事。何とか成田に着いて、その間に代理店に連絡をしてくれて、チェックインが出来た。相当にラッキー! そして恐ろしい大量の荷物を運び込んだ。プロサーファーの集団かと思うほどのボードの量。だって一人で4枚も持ってきている人もいる。 笑っちゃう量の重量オーバーだったが、なんなく逃げ切りチェックイン! 今回のメンバーは相当にオモシロい。秋山和茂、通称ラルゴはアーティストにしてEX、とてもスタイリッシュでカッコいい! 二年間のサーフトリップ経験で旅はお手の物! 進藤由美子Tは、やはり二年間のサーフトリップ経験者だけあって上手。本当に可愛い子だ。 大和田剛EXはいつもゴキゲンさんな46歳、飲むは笑うは、ヤルコトは豪快。でもソーメンを”生”で食うのは止めたほうがいい。  高畠秀Wはいつもギャグを飛ばしっ放しのハナピー大阪(極悪)オヤジ。超おもしろい。 伊佐さんはアパレル勤務なのに自由で高収入、そして時間ありの不思議な一番の年長者。サーフィン経験は30年近くで知識もすごいDD。

モルディブ・サーフトリップ。 体育会系だってこんなにやらない。恐ろしき平均年齢42.8歳。

そして友達の柴田ゴンちゃんは八王子でライドというサーフィン&スノボーの店を経営。小ぶりな西郷さんの見かけだが、紳士で優しい。サーフィンのワンポイントアドバイスは適格だった。 上地Rはフロム 沖縄!いつもデカイ一発を狙っている。今回は静かにしている。ピンに臆しているのだろうか。 石島ヤッシーDは、親友の橋本淳Dと大仲良しで、二人の絶妙なコンビには終始、笑いっぱなし。こんな仲良しが人生にいたら、本当に楽しかろうに。サーフレベルはほぼ、ボクと同じの15%なので心強い。 二人でモルジブ人のガイドやスタッフにウソの日本語ばっかりを教えていた。 新潟の堀Wは下田でサーフィンをしたのがキッカケだというが、完全に取り付かれたようにサーフィンにはまっている。今回も一日平均7時間位、海に入っていた。情熱の注ぎ方はハンパじゃない。(見てるとメゲる・・)なにせウェイクボード世界ランキング保持者の体力は尋常ではない。 倉本EX、フロム大阪は脳の中の95%がサーフィンだと推測できる。今回驚いたのは推定12時間以上、毎日寝ていた。いやもっとかも。要は一日の中でサーフィン、たまにメシ、睡眠で全時間の98,25%を消費していた。 そして高地三郎D! いやぁ愉快愉快!!。ずっとモルジブのガイドと交流しあっていた。”ヒッヒッヒッ”と高笑いしながらロングライド! 平均年齢42.8歳の世間的に言ったら、けっこう良い年のオッサンズは恐ろしく元気。大学のサーフィン部の合宿だってこんなにしないだろうって位、みんな激しくサーフしていた。 そんなメンツとの人生初めてのツアーはエキサイトしたものだった。夜にモルジブのマーレー空港に到着して、そのまま空港前の港で船に乗った。(空港の真横に波止場があるのも島ばかりの国なのだと実感。) 僕たちが乗船するバーニーアドベンチャー号は相当にデカくて押し出しが効いたサイズの船だ。船首にはジャクジーまで完備されている。(結局、それは海水を入れて使うもので、どうして海から出てきて、常温の海水にわざわざ入らなくてはならないのか理解が出来なかった。) スイートルームが二部屋と船底に7部屋あり、部屋分けされた。波田はサーフィン9%の身分なので発言権なし。(当然だ)

モルディブ・サーフトリップ。 体育会系だってこんなにやらない。恐ろしき平均年齢42.8歳。

部屋はなかなか可愛くて素敵だ。しかし昨年に出来たばかりの船・・・というキャッチコピーはウソだと直に判明した。船室は狭くても必要充分なのだ。ここで早朝に起きて朝一から、または7時半に朝食を取ってから入水。(食事がハンパなしに美味しくて、聞いたら5スターホテルのシェフを務めていたらしい。) 停泊している海の真ん中は数箇所のポイントの中心地で、テンダーという小船で母船から、希望のポイントまで数分で送ってくれて降ろしてくれる。疲れたらサーフボードを左右に振り回すとデンダー・ボートが迎えに来てくれる便利なシステムなのだ。14時頃までは海に入りっぱなし、帰ったらランチ。一休みしてまた入水。夕方は日没寸前に迎えに来てもらい、そのままシャワーを浴びてビアー・タイム、そして美味しいデイナータイムに突入。またまたそれが毎食、毎食本当に美味しいのだ。その後、グロッキーして就寝。ここはイスラム圏で酒類を自由に買えないとの情報で手荷物で持ち込もうかとトライしたが殆んどが税関で没収され生き延びたのは”これはジュースだ!文句あっか!”と逆切れしたサブちゃんと、何故かノーチェックのボク位。何とか持ち込まれた分を皆で大切に飲んだ。でも今回は普段の飲む量とは比較にならないほど少ない。酒豪的飲み方をするメンバーも沢山いたのに、完全な”サーフ合宿”状態だ。 初日はジェイル(刑務所がある島)というポイントに入った。皆はモルディブにしては相当にメローな波(ゆっくりと穏やかに割れる波)と言うが充分に早かった。波田には最初はハワイのワイメアと同じくらいに思えた。また波田はグーフィー(右足が前、逆が一般的でレギュラー)なので波的に言うと、ここの波は辛いのだ。しかし今回はそんな事、言ってられないので試練と思い練習を重ねた。(これもいつか克服しなくてはならない事なのだ。)

モルディブ・サーフトリップ。 体育会系だってこんなにやらない。恐ろしき平均年齢42.8歳。

普段は日本で練習するにも、どこも相当に混んでいて、なかなかいい波に乗せてもらえなくて、実際には練習にならないのが現状なのに、まさにここはサーフィンの”打ちっぱなし練習場”みたいだった。どんどん様々な教則DVDで見た映像を思い出しながら試してみて出来たり、出来なかったり・・・楽しかった。そして少しずつ、上手になっていく自分を感じられて幸せだった。環境は本当に大切だ。みんな朝からヘロヘロになるまで体力を消費して、船に戻り体力を回復させながら、サーフィンDVD見ながら食事して、また出て行く・・・・・・・すごすぎる。恐ろしい軍団だよ! よーやるわ、オッサン!!って日々だ。 あっと言う間の7日間だった。天候も雨季にも関わらず、そんなに雨に降られなかった。最初にも書いたがサーフィン→メシ→サーフィン→昼寝→和み少々→サーフィン→酒、飯→爆酔 みたいな日の連続。島に上陸も一瞬した程度。すっと海の上だった為、いつも揺れているので三半規管が相当に鍛えれたと思う。間違いなく波田のサーフィン人生には、なにか良いキッカケになったし、素晴らしい経験だった。主催してくれたアキヤン&伊佐さんには本当に感謝だ。そして今回は初めてのサーフトリップで忘れ物も多数!(なんと二枚のボードのそれぞれのフィンを忘れてきた!) また下手すぎて”前のり”(一本の波に誰かが乗ったら絶対に邪魔してはいけない。)も散々して許してくれた人々にも感謝。じゃなくて謝罪します。また来年も参加させて下さい。 今後も精進します!

リオデジャネイロ&ニューヨーク

11月13日(月)冬の到来を少々、感じるような肌寒さを感じ始めた11月中旬、南米はリオデジャネイロに旅立った。昨日(11月12日)は第二回シンクビックラリーが開催されたので、出発日は13日以前は無理。そしてニューヨークで行われるダイヤモンド・フォーラムまで約6日間ある。この限られた時間を何処で使おうか、どこかに行こうかと考えた。地球儀をぐるりと見てみたら・・・・興味は南米だった。ただ正直、日程的には相当に厳しい。ブラジルは遠いいのだ。(キューバ、メキシコ、バハマ、カリブ海・・・選択肢はあるが、行った事が無い所を攻めたかった。) その上に接続する便も少ないし、情報も少ない。聞けば予約していた便がキャンセルなんて日常の事らしい。また情報も無く、例えば大きな本屋さんを何軒か回ってもガイドブックすら扱いが無い。出版されていないのか扱いだけが無いのか・・・ようは、あまりわざわざ遠路はるばる行く人はいないというのが南米なのかなぁ。旅行者のパンフレットが並んでいる店先を見たってブラジルやアルゼンチンなんてありゃしない。ということで何だか名前的にロマンを感じる”リオデジャネイロ”に行く事になった。しかし実際、ニューヨークのJohn・F・ケネディー空港までは12時間。そして乗り継ぎして10時間のフライトでブラジルのサンパウロに到着。二時間待って一時間のフライトでリオデジャネイロに到着。なんと家を出てから26時間・・・・書いていてイヤになってきたが、気が付いたら・・・もう機上の人になっていた。時差に時差が重なりどんな状態でリオに到着するのであろうか。今回の同行者は堀正樹W、そして福井F・Eme、室町R、そしてサンパウロで神谷アンドリューCと合流する。海外で行った事も無い場所で”待ち合わせ”なんてオシャレすぎだ。 空港でチェックインしてある事に気が付いた! ニューヨークでの乗り継ぎのリオデジャネイロ行きの次の便までの待ち時間はなんと11時間もある事が発覚。(よく見りゃスケジュール表に書いてある。)ってことは・・・プラス11時間で合計37時間で家からリオデジャネイロ到着。すごい!! 37時間あったらいったい何が出来るか!!持ってきた本は6冊、雑誌2冊、パソコン、BОSEの雑音を軽減するヘッドホン、安眠マスクにマクラ・・・・機内を快適にする道具は万全だ。実は今回は恐ろしいことにビジネスクラスもファーストクラスも予約が取れなかったのだ。5ヶ月も前から予約をしたのに、どうもアメリカ系航空会社が太平洋路線を撤退したらしく、予約状況は半パニック状態らしい。話が長くなるので・・・・要は十数年ぶりにエコノミークラスでの長旅となった。なんだか、それも楽しみたい!(ごめんなさいね、生意気になっちゃって・・・) ニューヨークはJohn・F・KENNEDY空港に到着した。 数日後に戻ってくる、宿泊予定のウッドルフ・アストリアホテルに向かい荷物を預かってもらい市内観光に出かけた。目の前にあったディアンデルーカでランチをした。スープ、小さいサンドイッチ、サラダで約1800円!!高いナァ(アナタに文句を言っているわけではない。ニューヨークの物価が高いのか、日本の国力が無いのか・・)  街に出たら堀正樹が”観光用二階建てバス(グレイハウンド/日本ならばハトバス)に乗りたいという。それが夢だったと言うのだ。そんな夢は叶えましょうということで早々に乗った。二日で49ドル乗り放題!!一瞬、間違えて安いと感じて乗ったが今晩は又、飛行機でブラジルに向かうのだった!! 疲労から判断を誤った! しかし堀様は長年の悲願が叶いご満悦。車内は観光ムードムンムンで楽しい。どうみても外国から来た観光客のご夫妻と話になり写真を撮ってあげたら、なんとカナダのバンクーバー近郊のホワイトロックという街のメイヤー(市長)だと言って名刺と、その街のバッチをくれた!是非、カナダに来たらよってちょうだいね!!なんて言っていたけど本当に行ったら覚えていてくれるのかナァ・・。そして悲劇のグランドゼロに行ったが小雨と芯から冷える寒さでテンションゼロになっていて滞在時間1分20秒でスターバックスに向かいタクシーに乗った。(これは5日後に帰ってきてから、ちゃんと訪問しましょうという事。)そしてスタバのカフェラテがまぁ美味しかった事。そして時差ぼけと睡眠不足で4人は完全にエネルギーレベルが要充電の赤ランプが点滅した状態であった。 ウッドルフアストリアのロビーの影のほうで、英気を養い(超高級ホテルのロビーで昼寝してしまった。)その後、気を持ち直してかお出かけ。しかし時計を見ればそんなに時間的余裕も無さそうなのでタクシーをつかまえて最近、いい雰囲気の店が集まるM、P、D(ミートパックディストリクト)地域に出かけた。ウワサ通りの、構えだけみていてもヨダレダラリンの店が沢山並んでいる! 可愛らしい洋服屋などもチェックして、待たせてあったタクシーでホテルに戻り、そのまま預けていた荷物を積み込んで空港に向かった。(アメリカではチェックインは国際線3時間、国内線2時間が常識らしい。とにかくセキュリティーが厳しいのだ。)これを乗りきれば、今回の最終目的地、憧れの”リオデジャネイロ”だと思うと我慢も出来る。そして機内に乗り込みコンセントをブチッと抜いたみたいに倒れて寝た!!!  ウッフッフ~~~楽しみじゃ!

リオデジャネイロ&ニューヨーク

11月14日(火) いや13日()《日本をでて二日目・・微妙、日にちが何だかわからない!》リオデジャネイロに到着した。午後であったが、あいにく天気は曇り一時、雨。雨のリオデジャネイロなんて全くイメージしていなかったから意外! 神谷アンドリューとサンパウロ空港で出会えて、人数は5人になった。プラス五人分のスーツケース。タクシーを見つけるのは普通では容易ではない。まぁ近頃は海外に行くと空港にはミニバン的なタクシーがいるのが常だからとおもいきや、リオデジャネイロでは先制パンチ! なんと通常の小型ライトバン型のタクシーに、その全てを載せるという。”乗車定員”なんて野暮な事を言わないのがラテンの血なのだ。大人運転手を含め6人(容積的に言うと6,5人、そしてスーツケース5個)のキツキツなタクシーでホテルにチェックインしてからランチに繰り出した。今回は本当に情報もなくて、唯一に近いモノが古い雑誌”pen”の南米・イパネマ特集であった。(この本に衝撃を受けていつか機会があったらイパネマに行こうと決断していたのだ。)その本に載っていた野菜のデリカテッセン的な店を訪れたら、これが満塁ホームランで得点4点ゲット!!いやぁ、当然にリオデジャネイロが大好きになったのは当然だ。大満足の遅いランチを食い終わり、ただでさえ時差ぼけで疲れているのにビールを飲んで余計にダルくなる”自業自得”体験をここでもした。みんなでブラブラ徘徊しながら街方面に向かう。お店を見てみると、まぁ可愛い店はあるが、購買には繋がらない。”オスクレン/OSKLEN”なるリオデジャネイロを発信地とする、ヨーロッパでも”ビーチウェアのプラダ”と称される店があるので、興味津々見てみたら素晴らしかった。なんとミラノにも店があるらしい。ということで何かを買わなくてはと思うがシャツなどはイパネマ仕様で、試着してみたらエッチな空気で恥ずかしくなった。しかし何か買わなくてはとトランクスを購入。その後、ホテルに戻り相談の結果、ブラジルで有名な肉料理屋”シュラスコ”に乱入を決断。これがまた素晴らしいシステムで”お肉のわんこソバ屋”とでも言おうか! 肉がどんどん出てくる。肉も部位により20種類以上あるらしい。そして前菜的な料理もサラダ、パエリア、魚介、野菜マリネなど40~50種類あり食べ放題。そんな料理は通常、あまり期待は出来ないのが常だが、相当に美味しくて皆、満足だった。 オスクレンの店員の可愛い女の子に”今晩、どこか面白いクラブかなにかは無いの!?”と聞いたらパーティーがあるからおいでという。すごい!!さすがにリオ・ねーチャン達は、こんな平日からパーティーしているのだと感動。そしてそれは詫びながら”サンバ・パーティーなんだけど良いかしら!?”という。結構じゃないの”サンバ!!”なんて最高!ということで場所をメモでもらっていたので、行こうかと思ったら、なんとそのメモが無い!!!!タクシーで落としてしまったのだ。辛い・・・・・・リオ・ギャルズと素敵なナイトライフな予定だったのに・・・・しかし夜10時にして、皆の目を見たら既に営業終了の目になっていたのでホテルに退散した。タクシーでホテルに向かった瞬間に車内は例外なく全員、撃沈していた。 11月15日(水)今日はリオデジャネイロの祭日であった。(だから昨晩は深夜にパーティーだったんだね・・・)皆で朝食をすませ、8時にタクシーが迎えに来た。気の利くホテルマンに、直接ホテルを通さないで5人を丸一日、行きたい場所に案内してくれるタクシーはいないか聞いたら、そいつの知り合いが受けてくれるという。値段は一日で400レアル(約200ドル)これで一日、あっちへ、こっちへと効率よく動いてくれるなら申し分ない。最初に今日、行きたい場所を全部指示!こんなに全部行けるのかしらと思いきや”オッケー!”と快い返事。まず、最も有名なリオの見学すべきポイントのコルコバードの丘に行きたいと告げたら、行くならば夕方に行ってサンセットも楽しめという。それは本当に大正解だった。ということで、ますは”ボンジアスカール”なるリオのシンボル的な超不思議な形をした丘をケーブルカーで登ることにした。何故!こんな巨大(海抜395メートル)な奇岩が存在するのであろう。そこをまたロープウェイで登るのだ! 雲の中を抜けるケーブルカーは絶景だった。グアナバラ湾に突き出しているので、ここからリオの町を見下ろすと感動。リオの街の形がそのまま良くわかる。そしてそこにはヘリコプターの観光会社が待機していたので、皆でコルコバードの丘のキリスト像を見学に約10分の空の旅を楽しんだ。空からの景色は本当に感動的だった。

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その後、ボクにとっては悲願の絶対に外せないミュージアムを見学しに対岸まで出かけた。1950年代に出来たコンテンポラリーアート・ミュージアムと言われるモノなのだが、その建物はブラジルの生んだ巨匠オスカー・ニーマイヤーがデザインした”超宇宙的”な建造物。実はこの建物を中学校の頃に何か雑誌で紹介されていて衝撃を受けた記憶がある。これを見て建築家という職業を思いついたが、先生に相談したら『お前は数学が弱いから無理』と一括されて諦めた。今を思えば、ひどい先生だなぁ。いつか行ってみたいと思っていたが実現できて相当に嬉しい。まるで空を飛んでいるような、海に不時着しているような、何故、こんな形。デザインとなったのか、またコレを許す施主もスゴイ。とにかく、こんな斬新的なデザインが50年前に発案されているのがすごいのだ。とにかく終始感動しまくった。(しかし不思議なのはこんなに重要な建築物なのに観光の本には出ていなかった。) ブラジルは相当にデザインに関して進んでいる部分を感じるけど、少年時代からこんな作品を見ていたら、そりゃ発想も違う子供になるのだろうナァ。

リオデジャネイロ&ニューヨーク

今日、タクシーを一日貸切にしたのは本当に正解だった。こんな所に来るには、相当に苦労するはずだ。その後、市内に戻ってランチを”海の幸版シュラスコ(食べ放題)”を食べたのだが、これがまたビックリする程に美味しかった。海老なんてブリブリの伊勢海老がドッドーンと何匹でも出てきた。皆でこんなの食べ放題で本当にいいのかナァと相談しながら食った。ブラジル人は太っ腹なのだ。

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昼食後は”ボッタリー植物園”まで出かけて植物を鑑賞。ここがまた巨大な上に、植わっている葉っぱまで強力にデカイ。日本だったら観葉植物でチンマリと育成されているモンステラの葉なんて畳一畳位に成長していた。とにかく今回、リオの街で相当に感激したのが樹々が本当に美しい事。街路樹の素敵さはハワイもタヒチもカリブ海の島々もかなわない。この植物園は昔の統治していた国王が作ったらしいが、きっとその国王が町の街路樹まで、考えて植樹を行ったのだろうか。ここにいても永遠に飽きないので見切りをつけて、次の目的地に向かった。通りがかりのコンラッドという海岸でサーフチェックをした。やはりブラジルはサーフィン大国なので波はなかなかなのだ。

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そして夕方になって、本日のフィナーレであるコルコバードの丘に向かった。今日はブラジルの建国記念日だったらしく行楽地周りの道は相当に混んでいる。タクシー運転手は相当に飛ばしまくりサンセットには間に合って、到着した。朝、ヘリコプターツアーで空からキリスト像を見たのも感激だったが、下から上るのも素敵だった。しかし何故このような切り上がった丘が出来て、その上に頂上に30メートル近くもあるキリスト像が建てられたのだろうか。これこそリオデジャネイロの象徴で町中何処にいても拝めるというか、見守られている感じだ。結局、サンセットの時間を楽しんで、その後、太陽が完全に沈んで空が真っ暗になり町の夜景がキラキラに輝く頃、すなわち閉館の時間までいて楽しみ、係員に追い払われる様に退散した。

リオデジャネイロ&ニューヨーク

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夕飯は湖畔にあるバー&カフェに出かけてワインとおつまみを食った。店は7~80年前の建物で店内はアールデコ調で素晴らしかった。皆、体力を使い果たし、食事の席も盛り上がりに欠けた。今夜も夜遊びも出来ないで、ホテルに帰ってイキナリ爆睡モードとなった。 11月16日(木)(旅の4日目) 朝起きて空港に向かう準備。国際線は三時間前が常識らしく相当に早い。今回は荷物を本当に限界まで少なくしているので、それもラクチンだ。11時のフライトでブラジルの最大都市であるサンパウロに出かけた。行く前からサンパウロはとにかく危険と言われた。福井がいても(福井は極真空手を操る野獣!)拳銃VS空手では多少、部が悪い。あまり危険エリアには行くのは止めよう。そしてランチタイムだが、和食は食べたくないので(食べて不味かったら余計悲しい・・)中華でも食うかなぁ。ということで、まず到着後にアンドリューが予約していたホテルにチェックインした。マリオット・エアポートホテルは何故か安全地域みたいな気分になった。アンドリューはここで解散して明日から一人でイグアスの滝を見学に行って、ロサンジェルスに一度帰り翌日にニューヨークに入るとの事。まったくジェットセットな生活だなぁ。しかしこのホテルのお陰で荷物置き場にも困らなかったので本当に助かった。そしてタクシーを待たせておいてガイドブックの紹介する中華料理店に行ったらまたまた量り売りタイプでビックリ。中華も計るんだなぁ。味は語るのは止めよう。腹が減ってたが沢山は食べなかった。(量り売りは許せる!)道端で買って食ったカバブーサンド(1リアル/60円)は相当に美味しかったのに・・・・。その後、ガイドに載っていたお洒落なエリアに乱入したら、これが相当に楽しかった。というのも、何も無い、全然つまらない、所詮工業都市・・・なんて悪情報ばかりが入っていたので逆に喜べたのかも! ”オスクレン”でベルト他を購入。オスクレンは相当にカッチョ良いブランドだ。ブラブラ時間を数時間過ごし、気が付いたら夕方。夕飯はフライトの時間があるので早めに開始した。お洒落な街、界隈の何チャってビストロに何となく入ったのだが、雰囲気は良いが、多分シェフが何やら流行の雑誌を見すぎたせいか、やたらにノブやらパシフィッククイジーン的な盛り付けで笑えた。今日は実はアンドリューの誕生日だったので皆で祝った。男四人の全員、音程はずれたバリトンみたいな可愛くない声のバースデーソングが店内に響き、間違いなく”ホモ軍団”としか写らなかっただろうなぁ。アンドリューは喜怒哀楽が少ない中で恥ずかしそうに万遍の笑みを浮かべてくれていた。

リオデジャネイロ&ニューヨーク

空港近くのホテルに戻る途中は全員、爆睡状態!何処かに連れて行かれてもおかしくない状況だが、ちゃんと帰れて無事にチェックインできて機上の人となった。この辺りは、旅の疲れと まだ残る時差ボケで記憶は薄い。ただ、福井と室町は初めて乗ったJALのビジネスクラスで死ぬほど、”おかわり”しまくって機内食を食っていた。若いってスゴイ。(奴らは行きのサクララウンジでもオニギリ7~8個をカバンにしまいこみ、翌々日位まで事あるごとに食べていた・・・俺ももらったけど!ちなみに彼らは苦労して貯めたマイルでアップグレードです。ダイヤの疑似体験と言っていました。)

リオデジャネイロ&ニューヨーク

11月17日(金) 旅の5日目 ニューヨークに到着してウドルフアストリア・ホテルには昼にならないとチェックインが出来ないのでコンシェルジェでレストランの予約や確認などを依頼して、街に出た。何となく醤油系の食べものが食いたくなる。ここで絶対に日本食は食べない。失望をしたくはないのだ。ということで中華街に飲茶を食いに出かけた。これが満塁ホームラン的な店で感動!!正直、自分の嗅覚と探索本能には感心する。(後日、勝手でしょ・・・に掲載しますよ。)大満足の昼食をしてからソーホー界隈の店を見て回った。本当にお洒落な店が多くて溜め息モンだ。夕方までひたすらにプラプラを繰り返す。夜は最近、最もイケている地域のミートパッキングデイストリクト(MPD)の最も予約が取れないレストラン・スパイスマーケットに乱入。(さすがにウドルフアストリアのコンシェルジェは予約を取ってくれるのだ。)感想を述べるなら・・・・多分、いや二度は行かない。しかし店の内装は強力だったなぁ!!まるでディズニーランドのフォンテッドマンションだ。その後、リンカーンセンターのアレン・ルームという今、話題のJAZZクラブにお出かけ。ステージの後ろがマンハッタンの夜景とセントラルパークという壮大なホールなのだ。しかし・・・・・洒落ては見たものの半分は寝てしまった。まだ時差ぼけが残っているんだよね・・・・トホホ。でもとてもいい時間でした。 11月18日(土) 旅の6日目。 朝から悲願のホームデポー・マンハッタン店を訪問。(全米一のDYIのチェーン)波田のホームセンター巡礼の旅は生涯のテーマである。何故か本当にワクワクするんだよねぇ!アメリカ郊外型の巨大ホームセンターがマンハッタンに登場と聞いていたので興味津々行ってみたら本当に楽しかった。(堀、福井、室町には申し訳なかった。貴重な時間を・・・)今日は皆を待たせて落ち着かないから、また出直して来よう! 福井班は明日からサンフランシスコに向かうので、初ニューヨークということで解散して観光に出かけた。堀とボクはマディソン界隈のバーニーズ、家庭用品のケイト&バレル(相当なお気に入り。)他様々なショップを散策。ランチはマディソンをチョイと入った地元民ご愛用らしきデリカテッセンで軽いランチ。とはいえグラスワインを注文したら美味しい事!!その後、軽い酔いで強気になったか、堀がイキナリに買い物魂に火が付いて相当に”スノッブな革製品ブランド”M0851”大量購入!見ていて気分が良かった。そろそろホテルに帰ってチェックインをしましょ!

リオデジャネイロ&ニューヨーク

レギュラースケジュールの日本からダイヤモンドフォーラムに参加する皆さんが来るので”やぁやぁ!!”言いに行かなくては。アムウェイから手配された部屋はデカかった。一泊20万円だそうだ。有難うございます。それなのに朝早くから出て、夜遅くに帰るのはもったいないなぁ。夕飯は渡辺正人チームとでSOHOのイタリアン”ダ・シルバーノ”に乱入。これは満塁ホームランがまた出てしまった。札幌のいたずらっ子・イリモトが何故か知り合ったLAの人気セレクトショップ・フレットシーガルのオーナーの紹介というのだから間違いは無いと思っていた。参加者全員泣きました!来ている客は超×5カッコいい。オーナーのシルバーノ氏はやんちゃなイタリアオヤジ。食べている間も何度と無く人のテーブルに座り込み話し込んでいった。これは是非また行きたい店でした。

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11月19日(日) 旅の7日目 朝からフリーチョイスアクティビティーのメトロポリタン美術館散策ツアーに参加。他の選択はナイトクルーズ、ヘリコプター観光、ディナークルーズ、ムービーツアー(映画で登場した場所を巡る)・・・色々あるのだが、あえてこの地味目なツアーに参加。これがまた大正解であった。美術館はしっかり理解したガイドさんに案内してもらうと面白さが200倍になるのだ。ボクに下田や世田谷区の観光に連れて行ってもらうようなモノ!わかる?

リオデジャネイロ&ニューヨーク

今回はハーレムにある別館(これがすごい建築物で大富豪ロックフェラーが世界中の修道院をバラして運んで合体させた。そして庭の景色を保全する為に川の対岸の見える土地を全部購入してからNY市に寄付)からスタートして本館(マネ、ルノアール、モネ、セザンヌ、ゴッホ、ルーベンス、ベルメール・・・・本当に解説が面白かった。その絵の背景、作者の人柄など聞いてから見るのと、分からないで見るのとでは、全く違うなぁ。

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ランチは超お洒落なスウェーデンスタイルのレストランでインテリアは北欧家具で構成されていてお見事。料理も綺麗で美味しかった。その後、ツアーは解散してボクは五番街、界隈を見てまわった。ここらへんはマディソンアベニューと並んで世界一高級なエリアで、歩いている人を見るだけで楽しい。夜はウドルフアストリア・ホテルのバンケットでのウエルカムパーティーが行われた。もの凄いスペースで舞踏会とかが似合いそうな回廊(3フロアーをぶち抜いた部屋。)で豪勢だ。パーティーには陸上競技100m.走世界一のアサハパウエルも登場。また、メイクアップアーティストのエディーファンクハウザーのショーも行われた。これまたド派手! 本日は休肝日でスッキリした体調。

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11月20日(月) 旅の8日目。 朝からジムで大発汗大会! !走ってストレッチして発汗した。海外のホテルのジムはテンションが高くて好きだ。朝食はルーム・サービスで注文。9時のオーダーは時間通りに届けられた。”ア ロット オブ サラダ”と注文シートに書いておいたらボール一杯分の野菜(レタス、トマト・・)が来て笑った。全部、当然に食べた。朝はマディソン界隈の店を見たりブラブラした。気になっていたレザーのジャケット(M0158)があったのでドドーンと購入!!結構嬉しい。ランチのカフェテリアも相当にサンドイッチが美味しかった。ニューヨークはこの10年で本当に食べ物が美味しくなったと言われている。アメリカンコーヒーのように薄いコーヒーの味(ファミレス的なコーヒー)しか飲んでいなかった人々もスターバックコーヒーで新しい味を知り、どんどんグルメ化していると聞く。町のデリカテッセンも本当に美味しくなった。午後もブラブラと買い物をしていた。

リオデジャネイロ&ニューヨーク

夕方にホテルの近所のワイン屋でワインとシャンパンを5本、購入。白ワイン、シャンパンはすぐに飲めるように、ちゃんと適温で冷やして売っている。今晩は7人で中華を食いに行くのだが、その店は抜群に美味しいと評判ではあるが、酒を置いていない。(結構、この手の店は多くて、その代わり好きな酒を好きなだけ持ち込めるのだ。酒の販売ライセンスは結構、高額らしい。)待ち合わせは6時半でホテルに集結!ビニール袋に入れたシャンパン、白ワインに氷を山盛り入れて運んだ。中華レストラン”フェニックス”はミッドタウンの住宅街にある地味目なレストランだが、本当に美味しかった。今晩の7人が実に飲む人ばかりで、あっという間に5本は無くなった。神戸の平井君と堀正樹はものすごい勢いで喋り捲っていた。他は聞き役に徹し、終始盛り上がった!その後の記憶は無い・・・・

リオデジャネイロ&ニューヨーク

11月21日(火曜) 旅の9日目。 ニューヨーク最後の日である。ボールルームでビジネスセッションが開かれた。表彰はオリビエ・バンドーン氏のアーティストリーのパッケージデザイン他のプレゼンが行われた。新しいコンセプトのアーティストリーは相当に素敵だ。終了後は、中華街の飲茶を食いに出かけた。初日に行った”ハーモニー”に再度、乱入したが、やっぱり美味しかったなぁ。轟エグ夫妻、石井Fダイヤも大満足だった。

リオデジャネイロ&ニューヨーク

そのままニューヨーク最後の今日はSOHO地区を散策した。SOHOには小さな可愛い店が沢山並んでいる。どちらかといえばレディースが多いので、やはりファッションが気になる人にはタマラない地域だ。元々は倉庫街で家賃が安いので沢山集まってきたクリエーター達も、流行りすぎて又、別のエリアに移ったりした。いまやSOHOにも高級ブランドが店を連ねるにいたっている。夕方までブラブラしてホテルに戻りパーティーの準備と帰国パッキング。今晩のパーティーはなんとニューヨークが誇るメトロポリタン美術館のエジプト館で行われるのだ。これは一企業レベルで開催するのは本当にスゴイ事!カクテルパーティーの部屋も素晴らしかったし、古代宮殿を展示するためだけに作られた部屋での着席パーティーも感動。その上、食事もケータリング(調理場が無いので何か工夫されている。)なのに本当に美味しい。

リオデジャネイロ&ニューヨーク

エンターテイメントに出てきたJAZZトランペッターのクリスボッティー氏は”全米50人の美貌”といわれるイケメン・ミュージシャンだ。雰囲気は最高潮になっていた。こんな体験はそうはないであろう。ビジネスの安定で得られる収入も、インセンティブな旅行も魅力だが、個人ではまず出来ない、こんなに素晴らしい規模の体験が出来るのも魅力だし、またそれを仲間と共有出来るのは、やっぱりスゴイ事だと思う。明日は久しぶりに東京に帰る。今回、もらったエネルギーや感動を皆に教えてあげよっと! 人生に夢を持つことは大切だ。そしてそれを現実化させる手段を知っているという事の有り難さに再度、気が付いた。もちろん簡単な道のりではない。簡単に手に入るサクセスなんて、基礎工事の無いビルみたいなものだ。少しずつ目標に向かい”構築”をすることが、未来を作っていくのだ。 来年のダイヤモンドフォーラムは”ブルネイ”です。・・・・・・想像もつかない新しい感動があるのだろう。  今回も本当に感動の連続だった。人生は”旅”なのだ。

リオデジャネイロ&ニューヨーク

大人の夏休み北欧→Fit→スペイン

7月9日 成田空港を午前11時10分発のパリ(シャルルドゴール空港)行きに乗る。成田は第一、第二で大分引っ越しがあった様子で模様が変わった。新しいVIP用のゲートが作られセキュリティーが大幅に短くなった。何が違うかと言えばセキュリティーに時間がかからなくなったのと機械が木目になって優しく見える程度。ユーロ(ヨーロッパの通貨)を買おうと思ったらなんと1ユーロ150円という円安になっている。大丈夫かよ・・前回イタリアに行った時は115円位だった。機内では映画を三本見まくり、本を一冊読破、雑誌三冊に目を通し2時間の睡眠を取った。JALのフルフラットにはマッサージ機能が付いているは、パソコン用コンセントが付いているはで、たったの1,25?の中での生活は楽しい。機内生活は”空飛ぶ、楽しいヒキコモリ”なのだ。 シャルルドゴールで今回の同行者の井利元夫妻と会えて安心。すでにイタリアで数日を過ごし、今回は一ヶ月近い旅をするようだ。同日にヘルシンキ(フィンランド)までパリを経由してそのまま飛んだ。 (Radison S,A,S Roya Hotell)
7月10日 ≪ヘルシンキでの朝。≫ 昨晩はホテルにチェックインして、そのまま寝る程疲労も溜まっていないので、近所のパブへ出かけた。ちょうどワールドカップの決勝戦が行われていて(残念ながら試合を見ることは出来なかったが・・・)街は静まり返っていた。パブも静まり返り,なんだか北欧っぽさを感じた。そう北欧はボクのイメージでは”静かな場所”なのです。そのままホテルに帰り就寝しドリーミーナイトのおかげで熟睡。朝はホテル近くの湖をジョギングした。やはり涼しいので汗も出ない程に爽やかさだ。早々に朝食を食ってお出かけした。午前中はヘルシンキ観光という事で湾内の観光船に乗船して世界遺産のスオメンリンナ島を訪れたり街を散策した。さすがにデザインされた街は美しく清潔だった。しかし歩く人を観察しているとみんな静かだ。クルマもクラクション鳴らす人は全くいないし大声で話す人、電話で話しながら歩く奴、店内のインフォメーション・・・とにかくクワイエット!!静かなのが印象。ランチはとてもお洒落な中庭のあるレストランVIAでワインを飲みまくり食べた。(ここで出会ったプジョー社の胡椒引きマシンス/ペパーミルをこの旅行中探す事になった。モノケージロー参照)おかげで午後は完全にヤル気を失い広場のカフェでマッタリモードに突入していた。夕方の4時にシリアラインに乗船した。これはヘルシンキとストックホルムを往復する豪華客船で夕方に出航して翌朝到着という便利で快適な船なのだ。船は13階建て船内には6軒のレストラン、ディスコ、バー、サウナ、プール、ショッピングアーケード、免税店、お土産物屋、カジノなどがあり快適な時間を過ごせる。バルト海は内海なので静かな上に船は巨大なので殆んど揺れないのだ。値段は一人三万円程度と記憶しているが、二食、ホテル代、飛行機代が浮いた事を考慮したら安いと思う。

大人の夏休み北欧→Fit→スペイン

夕飯はビュッフェ・ディナーを選択した。7時45分から閉店時間までマッタリモードで夕飯を食べていた。ここでも持参したワサビ&醤油は活躍!)夕食後は船の先端の景色が素晴らしく見えるバーで夕焼けを観賞。食事が終わったのは10時過ぎだが、まだ日は高く日没は10時半過ぎだった。それは正に”白夜”という奴で夜中に起きると既に日が出ていて困惑する。(逆に冬場は一日数時間しか日照がないのだ。朝から夜のミーティングみたいなんだよ。)そして就寝。そう、いつも瞬間的に寝てしまう日々。
7月11日≪フィンランドからスェーデンへ移動≫ シリアラインでヘルシンキからストックホルムまで夜の間に豪華客船で移動する。朝起きたら外は”基本的北欧の水辺の家”が並んでいた。食欲的には無かったけれど朝飯クーポンを良く見たら”マキシム・スペシャルブレックファースト”と書いてあり急きょ食欲を呼起こした。ということで朝ごはんは船の中のマキシム(フランスの高級レストランの出店。)で食べた。しかし内容は・・・いたって普通でビックリ。9時半に下船してタクシーで今日の宿泊のホテルに向かう。(Birger jarl Hotel)今回の北欧の4カ国は全て違う通貨なので出来る事ならば両替などはしたくない。その度にお金が残るのは面倒すぎるではないか。さて今日の宿泊先のHOTEL Birger jarl (この名前が読めなくて困った・・・波田読みだとホテル・バーギャージャール、またはビルゲージールかなあ・・・と思いきや正解はホテル・ビエールヤール・・・絶対に読めないだろ。レストランの名前なんて別に笑う対象ではないけれど高級レストランの”オナメ・プー”とか意味不明に笑ってしまう。(正式名はオメナプー・・・・・・一緒だなぁ。)タクシー乗っても手話状態で全くわからなかった。英語はあまり役に立たない。しかし旅先でのお役立ちは通称”ナビモトチズオ(ナビもと地図雄)”こと井利元敏哉は生まれ持ったナビDNAを最大限に生かし土地勘100%発揮してあっという間に街を理解していた。やはり北海道の原野で育つと、そんな本能が自然に育成されているのだろうか。とにかく”そこの角を曲がると○○がある!”位の素晴らしい能力だ。きっと奴はヤマト運輸に入ったら奴の持ち前の強靭な足腰とナビ本能を最大限に発揮して5人分位のテリトリーを一人でこなして宅急便業界の風雲児となるのは間違いない気がする。話は戻って、スェーデン語はわからんのだ。やはりその国の言葉で簡単な挨拶とかお礼位は言えたほうが気が利いているし国際交流を考えたら大切だ。またこの地域の人々は100年位前までは略奪を繰り返した恐ろしきバイキングという人々。じつは静かな顔して怒らせたら怖いのだ。ということで基本的ご挨拶は大切なので覚えようと努力。デンマーク語での”ありがとう”は”マンゲタック”・・・・・覚えられない。ということで”○○毛の拓巳君”と記憶。またスェーデン語では”タックソーミュッケ”で”タクが草原でユッケ”と記憶した。毎回、山崎拓巳氏の登場なのだよ。こんな覚え方でいいのかナァ。さてバーギャーナンチャラ・ホテルはデザイナーズ系で本当にかっこよかった。さすがにデザイン王国スェーデンなのだ。道を歩いていたらファッション誌らしきの撮影をしていて見ていたら、是非その写真に入ってくれと頼まれて皆で”北欧ファッション誌デビュー”を果たした。

大人の夏休み北欧→Fit→スペイン

ランチは醤油系テイスト+濃厚刺激味を求めて中華料理にした。世界中、何処に行っても中華料理は美味いのだ。地元民にも愛されるフートン(富山)という店に行った。さすがにバイキングの国で中華料理も食い放題(バイキング形式)だった。何故かカレーが美味くて集中攻撃をした。後で考えると何故カレーが中華なのかなぁ。今日はランチで酒を飲まなかったので午後は快適(毎回、わかってるなら止めなさい!!)午後はソーデルマルム方面に突撃して家具屋、雑貨屋を見て回った。なかなか可愛い店がいっぱいあったぞ。しかしここで”買い物魂”に火が付くと間違いなくこの先で後悔するから買い物はバルセロナに期待しよう。(堀正樹は何故かそこで雑貨を買い捲り、その後荷物で泣きを見ていた。)夕方はユールゴート橋を回る運河クルーズに乗ってみた。9ヶ国語の案内マシーンは流石に国際的観光都市を感じた。運河沿いは信じられないほどに美しい家々が建っていた。ちなみにスェーデンのスーパースター・アバもここに住んでいるそうだ。水辺の家・・・幸せそうだ。夕飯は雑誌フィガロに載っていた”サーディン”というビストロに乱入。予約は三日前までにとあったが、そんな事は絶対に無理。だって食いたいのは今晩なんだぞ!という事で祈りながら電話をしてもらったらなんと予約出来たのだ。おぉ~! 今日も間違いなく強運だぞ。そして行ってみたところ間違いなくこの店は美味しいに決まっているだろう的状態な店で食指が動くどころかブルブルと痙攣。オーナーらしきスウェーデン人がメニューを解説してくれて片っ端から注文して食いまくったら、全てに完全、パーフェクトだったなぁ。そしてワインも飲むわ飲むわ、5人で4本をアッという間に胃袋に流し込んだのであった。いや肝臓かなぁ。まぁどっちの臓器でも通過してホロヨイとなった。こんな店が近所にあったら幸せだなぁ・・波田満足度数は99点であった。(一点はウチの近所にない事。遠くてまた来られない!世田谷だったら週二回は行くね!) そしてホテルに帰って爆睡した。(今回はヨーロッパのホテルの枕がフニャフニャして駄目なのでテンピュールのトラベル用を持参したら、これが抜群の快適な安眠を約束してくれるのだ。枕と”指きりゲンマン”はしていないが・・・・・・
7月12日スェーデンのストックホルムからノルウェーのオスロを経由してフィヨルドの入り口のベルゲンへ。オスロの空港はオスロしくかっこ良かった。(オヤジギャグですわ!!)鉄とガラス、そして木の使い方がお見事なんです。空港内にはエコロジー的な二輪のスケーターが空港職員用に配備されていたが、皆我慢出来ないで借りて乗り回した。全くタチの悪い大人達だ。そこから一時間でノルウェー海に面した港町のベルゲンに到着した。飛行機が着陸する時、天候が不安であったが見事に雨だった。この地での雨は完全な想定外な事。なにせやる事は青い空の下でフィヨルド観光とかケーブルカーで山頂に上がり景色を眺めるとか晴れの日を前提に予定を組んでいたのだ。ということで全ての観光行事はキャンセル。いいのですよ!また来ればいいのだから・・・・ということで昼から世界遺産のブリッゲン地区のスイスの山の中の居酒屋っぽい店を探して入りビールを飲み始めた。入店時に混んでいるから料理が出るまで多少の時間がかかるとのことだったのでビールとつまみのタラの乾燥させたものを注文して待っていた。しかし待てども暮らせど料理は出ないので、テーブルに置いてあったローソクを利用して乾燥タラを調理開始。持ち合わせていたチューブ入りワサビと醤油、そしてパン用のバターを塗ってローソクで炙ってみたら美味しい!唸って食べていたら周りの外人達も、なにか新しい香りを感じて真似を始めて店内の好奇心旺盛な外人さん達がトライし始めたのだ。店内は”焼き乾燥タラ臭気”が立ち上がった。それは恐らくノルゥエー人がかつて嗅いだ事のない新しい香りであったであろう。美味しいというより可笑しいランチをしてから観光名所を廻る気力というか情熱も湧かずに(また酒飲みすぎてダルくなってる・・・)

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近所のマーケットとかを散策してホテルに帰って・・・・・・寝た。(いったいベルゲンに何をしに来たのだという自問自答は避けていた。)18時に皆で夕飯に出かけた。フィッシュマーケットで聞いた評判のシーフードのレストランだった。(店名はBryggelofiet &Stueneブリッゲロ~なんとかぁ!!とにかく読めない!!)でも結局は観光人相手なので決して安くはない。あまり動いていないので食欲もないのにムール貝を食べ始めたら、食欲にスイッチが入った。結局5人で2キロのムール貝を制覇した。そして・・・・・帰ってまた寝た。人生でもう一度、この地、ベルゲンを訪れる日があることを祈って・・・・・。(Clarion Hotel)
7月13日≪雨あがりのベルゲンの朝≫  昨晩は11時に就寝していた気がする。ドリナイ投入した朝はタイマーでセットしたみたいに6時間後に起床。そして携帯ホームページを更新してから天気を見たら青空が出ているじゃないの。慌ててジョギングウェアに着替えて外に出た。世界遺産のブリッゲン地区を目指して走り始めたら空がだんだんと青くなってきた。一昨日、ストックホルムでアメリカ人と話しをしてベルゲンに行くならばケーブルカーで山頂を目指して下界の景色を見るのが最高だと言っていたのを思い出し、いきなり進路を変更して山頂を目指した。(ケーブルカーは早朝で走っていなかったので自力で走破。)19世紀までは北欧最大の都市だっただけあって古い町並みは本当に美しくウットリしてしまう。そして45分で山頂に到着。途中から景色は森の中に変わり昨日までの大雨が気化してなんともいえないマイナスイオンを吸い込む。I―podの音楽は何故かシャッフルされてモーツアルトになった。もう脳内モルヒネはタレ流れっぱなしで気分は爽快だった。頂上からの景色は絶景!!大満足で下山・・・・あぁあと数日ここで過ごしたかったなぁ。

大人の夏休み北欧→Fit→スペイン

朝食の後に迎えのクルマが来てくれて空港にて搭乗手続き。ベルゲンからコペンハーゲンへ10時05分のフライトで飛んだ。約1時間のフライトは爆睡だった。どうしてこんなに良く寝られるんだ・・・起床したらデンマーク。これはワープに似た状態だった。最近のヨーロッパはEU連合になったので入国審査が無いに等しく、その国のハンコウも押してくれないのでパスポートがまるで使われないのが淋しい。昔はハンコでどんどんパスポートのページが無くなっていくのが素敵だったのに・・・ホテルまではミニバンタクシーで向かう。今日のホテルは”ホテル27”でデザイナー系のモダンな内装だった。最近はダサいホテルは人気が無いみたいで、どんどんデザイナーズ系のホテルに模様替えされている。とはいえ部屋に入ったら全然ドン臭い昔の空気のホテル。しかしあまりに狭いので文句を言ったら、アッという間にリニューアルされたピッカピカの超カッコいい部屋に変わった。ここ、コペンハーゲンでも”言ったもの勝ち!”が証明された。夕飯のレストランの予約をホテルのフロントに依頼。そこでホテルにレンタルサイクルがあることを発見。一日120クローネ(約2400円)だが安い。この街は程よいサイズで自転車で廻るのが丁度良い。タクシーにはコスト高なことが多そうなので即、レンタサイクルの調達をした。そのチャリでいざ出陣。インテリア誌”エルデコ”のデンマーク特集に出ていた家具屋マップで町を散策。公道にはクルマ用、バス用、歩行者用、そして自転車用と完全にレーンが分かれているので運転はいたってラクチンだった。最初は逆斜線走行、信号無視、並列走行と地元民の反感を買う運転マナーであったが、だんだんに学んで実行して数十分後にはコペンハーゲンの爽やかな風を受けて快適に走行が出来た。家具屋の並ぶエリアはやはり若者が多い地域で決して高級ではないがワクワクする地域だ。意外にこの街で困ったのが何故かアメックスやビザ、マスターなどのクレジットカードが使えない事であった。支払いはデンマークカードでヨロシクって言われたって困ってしまうぞ!雑貨屋で可愛い品物を選んで、結局買えなかったのが残念だった。 今回はチャリンコのおかげで相当に広い範囲の場所を回った。

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夕方にコペンハーゲンで有名な観光スポットのチボリ公園を訪ねた。ここはディズニーランドの原型になったといわれる遊園地なのだ。そして7時半に楽しみだったヤコブセン・レストランに行った。ヤコブセンは60年代から活躍した北欧、いやヨーロッパを代表する家具&インテリアデザイナーだ。氏の遺作はこの界隈には色々と残っているのだが、レストランとして残っているのは希少だ。食事は美味しかったしロケーションは海の前で素敵だった。そして店の家具は全てヤコブセンデザインで北欧ムードは満点だった。(Restaurant Jacobsen. )
7月14日≪デンマークからスイス!FITが始まる。≫ コペンハーゲンからスイスのジュネーブまで飛ぶ。コペンハーゲンの空港でひと悶着。話すと長いが”言ったもん勝ち!”搭乗して、またまた爆睡。しかしこの5日間は良く飛行機に乗ったものだなぁ。スイスのジュネーブからFITが行われるローザンヌまではタクシーで37分。さすがの国際都市スイスは綺麗だ。空も真っ青で絵葉書みたいな世界が続くのだ。そして到着したBEAU-RIVAGE PALACE(ビューリバージュパレス)はブッタマゲの豪華絢爛。ホテルのロビーもクラシカルな威厳そのものだが階上にあがるエレベーターなガラス張りの超モダン(当然にシンドラー製!)ホテル前のエントランスに並ぶ車は外車博覧会がそのまま!どれも全然ピッカピカではない。フェラーリもベントレーもメルセデスも”足”なんだと衝撃。ホテルはこんな朝からチェックインしても大丈夫なようにAMが昨日からキッチリと確保してくれているので嬉しい! ボーイの”アロォ~ムッシュ~!”とフランス語が心地よいのよ! 日本からの殆んどの人々は夜に到着なので、誰も来ていない様なので、我々はまたまた中華料理を食いに出かけた。スイスで食うサンラータースープは美味い。平和な味付けを感じた。焼きソバも中々なんです。その後、ダウンタウンエリアを歩いたがたまたま今風の不良っぽいエリアに行った。何処よりも安全感が高いのが流石にスイスという感じ。不良が怖くない。しかしスイスというと涼しいイメージであったが、ビックリする暑さと湿度で北欧帰りにはキツかった。ということで避暑を兼ねてホテルのスパ&プールに出かけたら宇宙一(当社比較)なカッコ良さでブッタまげた。お客も超超超怪しげな大富豪風オヤジとカノジョ(歳の差36歳)からモデル風男を引き連れたマダム(推定53歳、体力自信あり)フランスからの愛の逃避行風カップル、エロい視線でプールボーイを観察するマダム、日光浴しながら投資顧問会社に資産150億円の運用指揮を伝える謎の中近東の石油商(推定69歳)、本を読んだふりして”人間・身上当てクイズ”を一人楽しむパパラッチ風の波田・・・・・と明らかにプールの本来の”水泳をする場所”という使い方ではない人達の集合場所であった。きっと同じニオイがするんだろうなぁ。泳いでジャグジーで.ブクブクして、サウナで発汗、ミストサウナで深呼吸して部屋に帰った。

大人の夏休み北欧→Fit→スペイン

部屋がさっき散々散らかして出かけたのにピッカピカになっている。長旅だったので流石に洗濯と思い、ホテルのランドリーに出すにはシャツは良いけどパンツは自分で手洗いと思い、自分で洗って干しておいたのが恥ずかしくなった。(だってパンツの洗濯代1000円位する!せっかくクールウォッシュを持ってきたし!)その後夕飯は北紺CAを含めて6人でカジュアルなイタリアンを食べに行った。(北紺氏はパリの後、8月中旬までフランスからスペイン界隈でサーフィンするそうだ。王子様生活だよ!)店はピザやパスタでカジュアルだが値段はカジュアルでないのがやはりスイスだったなぁ。帰って就寝。
7月15日 朝起きて豪華絢爛朝食を食べにレストランに降りたら、すでに昨晩の深夜にチェックインしていた正人渡辺氏と会い情報交換。こんな旅行ではフリーの日にディナー難民(ディナーの計画を立て損ねてメシ友達がいない人の事、またはレストランを選んでいるうちに何処も予約が一杯で食えなくなる状態をも指す。波田の造語。)を避けるためには大切なのだ。昼間はフリーだったので山崎ヨッチャンCA夫妻も交えて、みんなでレマン湖対岸のフランスのエビアンに水を飲みに行く事にした。遊覧船は一人往復で35フラン程度で楽しい小旅行となった。しかし到着したが誰も一切、下調べもしていないし、ガイドブックも無い。何をしたら正しいのかもわからないので、とにかくアテも無く嗅覚のみで歩いてエビアンの水が湧き出ている場所を発見して飲んだ。物凄い勢いで住民が水を汲みに来ていてビックリした。その上、みんなエビアンのボトルかと思いきや他社ばっかり!!(どうでもいいのか!?)しかしこんなに美味しい水がどんどんとタダで出ていたら浄水器売るのが大変だと思った。そういえばホテルの水もあまり塩素臭くなかったぞ。東京で良かった。日本で良かった! その後ケーブルカーで山頂へ。可愛いホテルの庭で平和にお茶をした。後で気が付いたが山頂へ登る電車は無料!!!ビックリだよ。箱根登山鉄道なら1200円は徴収するぞ。水で潤うエビアンの行政はリッチなのだ。下山して港前のレストランで濃厚ランチをした。サービスされるスピードがフランスで、結局ワインを飲んでマッタリしているうちに船は出港してしまい次の船まで無駄話をしていた。帰りの船で畑山T夫妻と城野もうすぐW夫妻と合流。またまた無益な話で盛り上がり。ホテルに帰って大好きなプールに直行してエッチなフランスマダムを見ながら獏睡した。夜はレマン湖を見下ろすバルコニーで弦楽四重奏をバックにカクテルパーティー、そして超豪華絢爛なバンケットルームでのウエルカムディナーが行われた。ここで今までどれだけの世界の要人が会食をしたのであろうか。会場は本当に荘厳で感動した。このホテルは世界の要人(天皇陛下・・・)が泊まるそうだ。(そりゃそうだ!)同席は高木エグ(JALのパイロット)夫妻と武智ダブル夫妻、渡辺辺正人氏と波田家。今日もAM話で盛り上がる。みんな、この仕事がとことん好きなんだナァ。そしてニューエグ以上の方々の表彰があった。明日は早くからフリーチョイスアクティビティーなので寝よう。

大人の夏休み北欧→Fit→スペイン

7月16日 今日はフリーチョイスアクティビティーの一日だ。AMもここには相当に気を使っている様子で様々な嗜好を凝らしたツアーが準備されているのだ。今回は①名門ゴルフクラブ・ドメーヌデ・ディボンヌでのゴルフ。②ローザンヌとシヨン城観光(スイスを代表する城)③モレゾン村と世界遺産の街・ベルン④ヘリコプターで遊覧するマッターホルンとツェルマット。ゴルナグラード山頂&豪華ランチ⑤気球体験飛行ということでヘリコプターを選択した。起床は5時半で6時集合。バスで一路ツェルマットに向かった。ここは有名な山岳リゾート。街にはガソリン自動車の侵入は許されず電気自動車が走っている。バスで隣町まで入り電気ミニバスで移動して最初の目的地のヘリポートまで向かった。ヘリポートへはエレベーターで上るのだが、そのエレベーターがシンドラー社製で皆、ビビッていた。いちいちディストリビューターは盛り上がり好きだ。ヘリは4人組になって待機。三機のヘリが15分ずつのツアーをした。たった15分とおもいきや15分は、ある意味充分なのだ。通常クルマで2時間位の距離をヘリなら10分で着けるのだ。いざ搭乗するとものすごい爆音と共に上空に舞い上がる。氷河みたいな(氷河なのかなぁ!あまり見慣れない光景で・・・氷の巨大な塊。これも世界遺産です。)を抜けると断崖絶壁の急斜面からいきなりマッターホルンが顔を見せた。それまでの所要時間わすか3分! この形はスイスの象徴みたいな印象を受ける、この山の頂(いただき)には何か独特のオーラがある。自分の足で登頂した人のみが観ることが出来ると思っていた山頂からの究極の景色がヘリコプターならばいとも簡単に見えてしまう事に衝撃。マッターホルンには数人の登山客がいて手を振ってくれた。だいたいこんなに晴天でハッキリと見えることは強運らしいが、格別な天気の良さでウレシイ限りであった。(ガイドによると10連続で見ることが出来なかった人もいるらしい。)マッターホルンから近隣の山々をグッグッと接近して見せてくれた。あぁそんなにヘリで寄ったら危なぁーい!!驚喜の15分間はアッという間だった。あぁ大金持ちになってヘリで移動なんてしたら最高なんだろうなぁ。

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その後、ツェルマットの街から登山電車でゴルナーグラット3089mまで上った。あぁこの景色!数ヶ月前のブルータスの高原特集”山へ”の表紙でみた景色そのままだぁ。素晴らしい景色に息を飲む。深呼吸をすると肺のなかからクリアーになる感じ。そして軽い高山病になる酸素濃度なのだ。売店でビクトリーノックス(万能ナイフ)を発見。なんとその場で名前の刻印もしてくれるという事で、何個かを発注した。なんだかスイス気分満喫だよ! 下山して途中のスイスシャーレー風五つ星ホテル(リッフェルアルフホテル)で上等なランチをした。またまたスイスホルン奏者の演奏をバックにシャンペン、ワインと飲みまくり、しまいにはみんな子供の遊技場でブランコに乗って歌っていた。食後もゆっくりしてから登山電車で車窓の景色を見ながら下山した。本当にスイス・・・っていう一日だ。

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夕飯はホテルに帰ってから山崎ヨッチャンCA、堀ダブル夫妻、神谷アンドリューC夫妻、食の友、渡辺正人氏、イリモト孔美(トシヤ氏は病欠)波田家でムール貝を食いに行った。これがまたビックリな美味さだったなぁ。ムール貝を様々な味で食わせてくれるのだ。食欲もアル、金もアル(*^^)vということで注文しまくり端からどんどん皆で食べた。僕がタイムキーパーになりムール貝に入ったバケツを回して食べた。”はぁーい交換タァイム!!”カレー、レモン、クーム系、トマト系・・・どれも美味かった。堀氏は新潟で15軒の店を展開しているので、是非こんなムール貝の店を開店してくれと嘆願した。しかし皆、話題豊富で話は尽きなかった・・・
7月17日 朝は6時半からジムにて1時間の発汗。そしてレマン湖畔を30分間ジョギングした。なんだかもったいなくて寝てられない。実は運動を二日に一度に抑制されているために、どうしても発汗がしたくなる。(筋肉増強には休みが必要)それにここのホテルのジムのモチベーションが物凄く高くレマン湖が豪華淫乱プール越しに見えて快適なのだ。ヨーロッパの最新建築は古い城のような建物と最新建築のガラスと鉄を本当に上手に組み合わせて伝統と快適を融合させているのに感心する。11時にホテルを出発してジュネーブ駅に向かいTGV(新幹線)でフランス・パリに向かう。ヨーロッパでの電車に乗るのは言語がわからないプラス日本みたいに案内が極端に少ないということで、ものすごい緊張を強いられるが、ここはAM団体旅行なのでアホ状態で問題ない。車内から見える景色はフランスの牧歌的な素晴らしい草原やブドウ畑か続き感動だった。そうなんだ、ここフランスは食料自給率100%を誇る農業国なんだなぁ。3時間半でパリに到着してそのままホテル・グランドハイアット・ヴァンドームにチェックインした。部屋は快適には快適だが、美術館みたいで、なにか居場所が無いのだ。夕食時間までそんなに無かったが貧乏性はそんな時間を無駄にはしないのだ。宿泊しているホテルのエリアは超高級エリア。そして今はバーゲンシーズンなので外出。ギャラリーラファイエットというデパートの家具&生活雑貨屋を探索した。しかし欲しかったペパーミル(詳しくはモノケージローで後述。)が見つからなかった。大体、なかなかパリでもミラノでも歩いていて珍しいモノなんて、見つからない。カワイイと思って買ったら日本で自由が丘の雑貨屋で売っていたなんてよくある話だ。そして8時にディナー難民を恐れてレストランを予約しまくったら結構、休業日と満席が続き当惑。結局、タイ料理になった。タイ料理は美味しいがタイで食うな!と安積CAは言っている。パリで食うタイ料理!なんだかエキゾチックで良いじゃない!スポンサーの林CAと久々の旅先でのフランスで食うタイメシは何処か求めている物と違うやんわりした食べ物だった。結果、満場一致で途中退場をした。(後から嗅ぎ付けて来た城野、畑山チームや安積CAはどうだったのだろうか。)そして林立夫氏とレアールのフレンチJAZZバーにお出かけした。ここ最近のパリの温度は32度、ときおり38度位にまで上るらしい。しかしエアコンの装備率は至って低く店内がやたらに暑い。そしてタクシーもエアコン装着率40%ということで、キャッチするのも選んでキャッチするのだ。なにせフランスでは昨年は猛暑で15000人死んだらしい。JAZZライブは、楽しかったけれど、熱さで弱ってきて林さんが帰ると言い出したときは実はホッとした。さぁ帰って寝ましょ!
7月18日《FITパリ二日目》今日だけがパリでの自由な日。朝から計画的な行動しましょ!ということで朝食の後にタクシーで6月末に開館したケ・ブランリーという博物館を訪問。展示品もアジア、アフリカ、オセアニアの原始時代のモノ30万点ということで興味深いが、それ以上にここはエッフェル塔にほど近い1,8ヘクタールの土地に70%が緑地、そしてカルチェ財団美術館やアラブ研究所を設計したジャンヌーベル氏が設計した建物は壁がもの凄い種類の植物で緑化されていている部分とモダンなエリアからなり現代建築界に一石をと投じた建物なのだ。11年かかった建物はシラク大統領がパリ市長だった頃からの企画。展示品も面白かった。(よく解らないが、原始時代の笑うほどにヒョウキンな顔をした木材から削りだした人形があって見るだけで笑いたくなるのだが、きっと当時は笑う材料のテレビもマンガもなかったので、こんな可笑しい人形を彫って皆で笑いあっているうちに病気が治ったとかで重宝された・・・・なんてことはないよな!?と馬鹿な事を考えていた。)その後、フィンランドのオスロのお洒落なレストランで見た、プジョー社のペッパーミルをめでたくゲット(胡椒引き機なのだが赤ワインのハーフボトル型、超かわいい。)(◎モノケージロー参照) パリで唯一欲しいモノだったので本当に嬉しかった。そんな大満足な日のランチは醤油補給をしたくて讃岐ウドンの大国屋という店に行った。久々に美味かったなぁ。その後はレアール、サンジェルマン界隈の雑貨屋、服屋をチェック。買ったものといえば”オイルサーディン”の缶詰くらいかナァ。(現在コレクションを開始してます。)夕方早めにホテルに戻りグランドバンケットの準備をした。このパーティーはシャイヨー宮殿というエッフェル塔が最も美しく見えると言われる荘厳な場所で開催された。カクテルパーティーは厳かに大写真大会。みなさんエグ本の写真収集に余念が無い。”立食”で薄暗い美術館のような館内でシャンペンを飲み、みなさんと”やぁーやぁー”とご挨拶。その後、演出も濃厚にカーテンがドド~ンと音楽とともに上がると、その向こうにはエッフェル塔がそびえ立っていた。ありえない荘厳な演出に会場にいた人は全員、大きなため息をついた! そしてディナー。終始平和な会話だった。隣席の高木氏は現役にJALの機長さんで様々な話を聞けて面白かった。そして最後にヨーロッパ全土で大人気のチューザレピッコ(ピアニスト、作曲家)のクラシック、オペラ、バレエ、ポップスのジャンルを超えてJAZZの伝統の革新的なソロライブが行われた。なにせこの会場で催し物がフランス政府から許されたのはバレンチノとベルサーチのファッションショーのみ。食事を許されたのはAMが初めてとのこと。そんな、夕暮れが映り込みオレンジ色に輝くエッフェル塔とピアノJAZZに全員悩殺されたのだ。ほんとうにこの空間にいれて幸せだった。 (後で考えたが、ここはレストランではないので100人以上のゲストが同時に暖かい美味しい食事を同時にサーブするということは至難の業であっただろう。当然給仕人だけで数十人が待機していたはずだし・・・・こんな手配がAMの凄いところだと感心してしまった。感謝!)

大人の夏休み北欧→Fit→スペイン

7月19日《FIT最終日・スペイン移動日》早朝に目覚めてシテ島からサンジェルマン界隈を一時間のジョギングをした。その後ホテルに帰ってチェックアウトの準備。皆さんとはお別れして11時半にバルセロナ行きの飛行機に乗った。機中爆睡である。到着したら乗り継ぎの時間的には全然、ヤバイ!!イビザ行きは数分前で飛んでしまっている時間。山崎拓巳夫妻、イリモト夫妻とボクの五人は走った!! !搭乗口に着いたら・・・・全然飛んでいないしなんともなっていない。みんな何のことも無く並んでいる。それも踊る奴、歌う奴と普通じゃない。別段、遅れてスミマセン的な放送も無い。スペイン人はどうなってるんだ!!? ということでヘッチャラで1時間遅れて謝罪も無く普通の出来事のように離陸。待合室から機内にいたるまで、イビザに向かう若者でごった返している。この島、イビザ島は知る人ゾ知る、知らない人は全然知らない、ある意味パラダイス的な島なのだ。70年代からイキナリ盛り上がり始め、ヨーロッパの若者はここイビザで夏を過ごしたがると聞いていた。とにかく様々な点で盛り上がっている島なのだ。ダンサー系の子達は列に並んでダンスを披露。機内でもI-Podにスピーカー設置して盛り上がり。そんなの全然気にしないスペイン人のスチワーデスもなんか可笑しい。(イビザ島はヨーロッパ音楽の結構先端を行っている。また島中のクラブが営業して朝2時から営業開始とか日の出からスタートなんて店もある。)45分で地中海の楽園に到着。スケジュールは何も決まっていない。ただ世界中の若者が集まるイビザのクラブに行きたい(クラブは昔のディスコです。少しニュアンスは違うが・・・)あとはカフェデルマーで茶飲んで夕焼け観たい・・・それだけ。レンタカーを借りてホテルに向かう。(INVISA LA CalaHOTEL)レンタカーのエンジンをかけた瞬間から鳴っているラジオの選曲が超カッコいい!そのラジオ局は永遠に期待を裏切る事無く素晴らしい音楽がかかっていた。ホテルに荷物を置いて、早めの夕飯(といっても8時、通常スペイン人の夕飯は10時)を食べてから仮眠した。そして2時に起床して空港で会ったダンサーから聞き込み調査をしたクラブ”パチャ”を探した。(ダンサーはオランダから来た四分の一日本人のダンサー・ナカァタァー、とてもナイスガイだった。)やっと辿り着いたパチャはハンパ無い田舎にあった。そして店内に入ってブッたまげた!!!外の屋根の上には巨大カクテルグラスの中で踊る美女! 夜中の1時から始まった店は3時近くには爆発的な状態になっていた。恐らくフロアーには2000人以上はギューギュー詰め状態。しかしこんなにまとまった人間を見たのは久しぶりだよ。曲選択は超~かっこよくシビれた。今日はワケがわからないが、どうも有名なカリスマDJが来ているらしい。そんなデカイ部屋が3つあって何処も違ったジャンルの音楽がかかり超満杯なのだ。いったいコイツらぁなにやってんダァ!とにかく爆音のなかのハウス系ミュージックはノリノリだった。ホテルに帰ったのは朝の7時。そして寝た。

大人の夏休み北欧→Fit→スペイン
7月20日 昼近くに起きて散歩した。当然に街には普通の人もポロポロといるが暑さで進む時間はラテン系なスピードだ。ランチをするにもランチタイムは二時からが通常。(夕飯は10時が通常。だいたいラテン系民族は3時~5時は昼寝・シェスタをする。)昨晩と同じレストランが、なんとなく、また食指が動き再度、乱入をしてビールで乾杯。こんなダラダラ生活がだんだん当たり前になってくる恐ろしさ!ランチで盛り上がり・・・・何故か先日から浮上していたイリモト坊主頭願望の話しになり、せっかくだからイビザ御来島記念に実行しましょと満場一致で決定して近所のコンビニでハサミを購入してホテルに帰った。そう、この名誉ある仕事を仰せつかったのだ。(ちなみに波田は美容師ではない。さだ散髪経験はいたって豊富で少年1号、2号の頭髪は10年位刈り続けていた。ただし今回は電動バリカンは無く、あるものは髭トリマーのみ。)ということである道具で断髪大会をホテルのベランダで始めた。ものスゴイやりがいを感じる作業だった。途中、横綱の断髪式みたいに拓巳FCAも参加した。出来上がった頭はお見事なモヒカンとなった。今日はこの”謎の東洋人モヒカン男”でイビザの遊び人小僧を威圧するのだ。

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数時間のシェスタの後に夕方5時に起き上がり島の反対側の街までイリモト運転で波田ナビ次郎の役割で向かう。今回はここにあるカフェデルマーにやってきた。イビザ島は独特の音楽選曲で有名だが、その中心的な店がカフェデルマーと聞いていた。オリジナルのコンピレーションアルバムが特徴で実に選曲が美しい。ここで観る夕日は最高だと聞いていたので9時過ぎの日没の為に7時過ぎから席取りをして待機した。夕日に時間になると店の中は当然ながら一段下がった海岸にもおびただしい数のギャラリーが集まっている。店はそのギャラリーにも楽しませるほどにハイクオリティーな音を強烈なボリュームで流している。日没の時間が近づくにつれてビーチの人々、店内の人々はいい雰囲気になってきている。地中海の暑い中でのライムの入ったコロナビールは格別に美味しい。だんだんと夕焼けショーは盛り上がり300人位のギャラリーが集まってきた。日没直前の選曲が楽しみだったが、それはショパンであった。(相当にビックリ!) 日が落ちた瞬間にビーチから、店内から割れんばかりの拍手と歓声が上り、その瞬間から音楽はハウス系の超ノリのいい曲に変わった。”さぁ、夜だぜ!レッツパーティー!! “まさにサンセットは完全な一つのショーとしての演出がされていた。この光景が毎日繰り広げられているのかと思うとそれだけで感動した。

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その後は中華料理を食い、時計は11時を回っていたので相談して一度ホテルに帰り仮眠というか寝て4時に起きて出直す事にした。今日はスペースという巨大クラブに行く。(とにかく店の開店が深夜の二時から三時、そして盛り上がりのピークは5時、6時とかなのだ。正直オレにはキツイ時間です。コレ20代の遊び方だね。)皆で荷物のスーツケースを全てクルマに詰め込んでホテルをチェックアウトして向かった。(クラブから直接空港に行くという強行スケジュールをタクFCAが発案。店内は異常な盛り上がり。入って間もなく朝日が出てきた。なんとボク達は9時過ぎの飛行機でバルセロナに行く予定だったので7時過ぎに店を出たのだが、今日の朝8時からパーティーがあるからと誘われた。いったいこの街はどうなってるんだぁ!(ということでいつの間にか21日、しかしイビザに滞在した間は一日二回ずつ寝ていたので4日間位いた気分)イビザに来て本当に新たにライブな感動をした。夢がまた実現したなぁ・・・しかし40代の遊び方ではないと自覚。(^.^)
7月21日 9時40分のフライトなので8時過ぎに空港に入りチェックインした。荷物はイビザで買ったCDなどでだんだんに確実に増えている。搭乗して爆睡。バルセロナ空港は洗練されたお洒落な空気が満々だ。タクシーは超陽気な大男で30キロのスーツケースを軽々と持ち上げて屋根に載せでロープで留めた。めちゃめちゃ不安だなぁ。そして市内まで30分、運転手がなかなか話せる面白い奴でバルセロナの事を様々教えてくれた。チェックイン(Catalonia Corcega Hotel)してシェスタ(昼寝)をしてランチは運転手が教えてくれた”ボータフメイロ”へ行ったら、満塁ホームランな美味さで感動した。(今回の旅の最優秀レストラン!かも・・)死ぬほど食い飲んだ。店内の雰囲気も最高で絶対にここのカウンターでいつか渋くメシを食うぞと決断。(わいわいも良いけど、なんだかやたらにカウンターがイイカンジなんですょ。スペイン語練習してフラメンコダンサーとかも良いかナァ・・)その後、タクシーで、まずは脳への先制パンチでも一発という事で”サクラダファミリア”まで出かけた。(1882年着工。100年経ってもいまだ未完成の教会。もちろん日々工事で進歩しています。)

大人の夏休み北欧→Fit→スペイン

10年前に来た時と同じだけ感動出来た。前回より確実に工事は進んでいると思え、大聖堂もだんだんと出来ている。今回も当然に最上階まで上がりバルセロナの街を眺めた。とにかく、こんな壮大なものを作ろうと考えた建築家ガウディーも凄いけどそれを許したパトロン、教会も凄いとおもう。その後はガウディーの遺作でも人気のあるカーサミーア(集合住宅・1910年)を見学。タクFCAも大感動していた。本当に可愛らしい建築物で、よくもそんな時代にこんなアイデア、発想をしたと感心する。お土産物屋をチェック(この手のスーベニアショップに驚きの雑貨やハイセンスなモノが見つかる。)そしてホテルに一度帰り、本日、二回目のシェスタをした。(だって今日も朝4時から生きていてヘロヘロですよ。だんだんラテン系な生活に慣れてくる。)夕飯はマリーナ沿いの超美味しいシーフード店だったがランチが美味すぎて食欲が進まなかったのが残念。そして帰って倒れた。こんなのを充実というのだなぁ。
7月22日《バルセロナの最終日そして旅の最終日》朝は7時半に起床。イビザボケか老人性かわからないが快眠をした。結構、日が高くなっていたがホテル界隈を1時間ジョギングした。高い湿度と運動発汗で結構な汗だ。そして帰って準備して9時に集合してガイドブックに載っていた古物マーケットが今日、土曜日に、たつということで行ってみたが発見できないで再度必死でタクシーを探してピカソ美術館に向かう。10時開館なのにすでに長蛇の列。ただの人気というだけでなく検証すると①スペイン人は”待つ”ということが苦ではない。②受付が異常に作業がノロく単に時間がかかっている(1人に対して1分はかかる。)面接でも一人ずつしているとしか思えないスピード。理解不能。③職員が何故か高慢な態度で文句あらば帰れという空気をかもし出している。(おそらく特種な教育、洗脳がされなければ、ああはなれない。以上の理由から20分は待たされて、やっと入館。ここはバルセロナでも一番下町な地区なので、なぜかピカソ美術館がこんなエリアにあるとピカソの”ヒトトナリ”を感じる。逆に画家ミロのミロ美術館は丘の上の真っ白く明るい瀟洒な建物で対極的に感じる。画風も対極だ。ということでピカソ美術館は程よいサイズでピカソの幼年時代の作品(ひたすらピカソ的でなく絵の上手な子供だった。)から晩年までの変化などがわかる。きっと子供みたいな大人だったんだろうなぁ。ミュージアムショップは充実していた。面白いグッズを数点購入してウレシイ。ランチはホテルの近所のバール(簡単なバーと軽食が食べられる気軽な店。ドトールコーヒーの原型みたいな店。)で簡単なランチ。と思いきやワイン開けてプロシュート、チョリソ、数種の小皿に載った野菜マリネなどを食ったが相当に幸せ感いっぱいになった。午後はタクシーでガウディーの作品・グエル公園に向かう。ここも相当に簡単には理解不能なデザインで驚きの連続だ。”どーしてこうなったの??””何故、施主(依頼人)はこれをオッケーしたの!?””どうしてこんな曲線でなくては・・・”全く自分は凡人なのだ。

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次は波田の悲願であった建築家ミースファンデルローエの”バルセロナ・パビリオン”を観賞。バルセロナ万博のドイツ館。近代建築のモニュメントといわれる名作。こんなクールなデザインが巨匠ガウディーとほぼ同じ時代ということが驚嘆。イリモトは”こんな家に住みてぇ~~!”を連呼していた。そりゃオレも住みたいよ! そしてこれまた悲願であった雑貨屋のビンソンに乱入。あの店内に入った瞬間のワクワク感はディズニーマニアがディズニーランドに行った時のような、釣りマニアがシーズン解禁で湖に入った時の様な・・・・そんなワクワク感であった。珍しく不思議な道具、見たこともない雑貨を数点、いや数十点購入した。まさに”金に糸目はツケねーゼィ!”状態だったが2万円にも満たない金額。オレって安い! ホテルに帰り購入したものをチェックしてほくそ笑みバックに投げ込み一時間のシェスタをした後に、また皆と合流してディナーに出かけた。最後の晩餐は10年前に来て食べて雰囲気にやられたレストラン・トラガルーズ。土曜日なので予約をしておいて良かった。店は相当に古い温室のような場所をモチーフにデザイン。カッコ良く落ち着く。温野菜のサラダ、ビッソワーズ(冷静スープ)、タコのカルパッチョ、イベリコ豚のロースト、オックステールの煮込み・・・・どれも圧巻!ワインも文句なし。二時間はあっと言う間の出来事だった。その後は深夜だがスペインと言えば・・・・フラメンコということでタクFCAが探し当てた店に乱入した。ショーは約1時間20分だが完全にフラメンコダンサーにやられた。なんだぁ!!!あと艶かしさはぁ!オッレェイ!!ホテルにかえって寝たのは2時近くだった。実に長く激しい一日だ・・・・頭の中であの激しいフラメンコダンサーが踊っている!
7月23日 帰国日 東京に帰る! 山崎拓巳FCA夫妻はロンドンへ、イリモト新婚夫妻はまだ、バルセロナ。オレはパリ経由でトウキョウへ! 帰るところがあるのはウレシイ。また、いくらでも旅はするが、今晩はトウキョウに帰ろう。”人生は旅のようなものだ”と先日引退したナカタは言っていたが本当だ。旅をすると外から自分の位置とか姿が見えくる。たまには客観視してみよう。自分の常識が、いかに偏っているか、自分の考えがいかにチッポケかわかるだろう。知らなくても罪ではないけど、知ろうとしない事はとっても恐ろしい。 ヘルシンキ、ストックホルム、ベルゲン、コペンハーゲン、ローザンヌ、パリ、イビザ、バルセロナ・・・・様々な都市で見たものは観光地、世界遺産、レストラン、街で会った人、雑貨や道具・・・だけではない。本当に見ることが出来たのは自分の未来だ。そして過去だ。人間は過ぎてから解る事が多すぎる。 そして、やはり痛切に思う事は素晴らしい仕事に出会えて良かったということだ。