「日記」カテゴリーアーカイブ

世界一幸せだった“最後の晩餐!”さよなら城野智則!!

2009年9月29日(火) 下田での朝。朝方にモノすごい豪雨で驚いて起きたが、また寝た・・・その雨がどんな意味だったのか。
昨晩は下田ミーティングが行われた。今回は第38回目。このミーティングは城野智則ダブルと波田ケージローのグループで主催している定期的なミーティング。 かつて38回のうち、35回までが雨に降られた・・・というか城野智則ダブルが下田に来ると、90%以上の確率で雨が降るという事実・・・・いい加減、怖くなってくるジンクスがあるのだ。(笑) ミーティングは町中の公民館の和室で行っている。なんだか“ニッポンのミーティング”って気がして好きなのです。そしてみんな落ち着くみたい。 アフターは恒例のOKIRAKUHOUSEで行われる。なにせ下田の街は9時以降にアフターが出来る店は無いに等しいのだ。カラオケスナックや暴力バーみたいな店じゃねぇ・・・・という事で、ココで行われるのは皆もとってもリラックスできるし、喜ばれている。食事担当は波田! 通常は数日前に城野智則ダブルと連絡を取り酒を飲む日か、飲まない日かを決める。お互いに休肝日を気にしているのだ。彼も波田と同じ、軽い“アルコール依存症”(笑)なので週二回の休肝日を設けるのは健康生活の必須なのだ。 ということでオレも“水”での食事を楽しむ事にしていた。・・・・ところが、夕方に皆に手伝ってもらって準備完了していた料理を見て城野智則ダブルの第一声は 『ケージローさん、この料理で飲まないなんて無理っすよ!!今日、やっぱり飲みましょうよ!!』 『オッケー!久々に飲むかねぇ!』という事で早々に冷蔵庫に冷やしてあったエビス・ビールで二人でキッチンで乾杯! 美味かった!! そして全員が集まりテーブルを囲んで『新会計年度、今年もヨロシク!!』と城野智則ダブルの音頭で乾杯! その日の“宴(うたげ)”は本当に幸せで参加者20人は終始、笑いっ放し。 新規も交えて本当に幸せオーラが出まくっていた。深夜には森君、ヨッシー、ミチさんのサプライズバーステー・ケーキまで準備されて幸せ感、一体感は頂点に。宴たけなわの12時過ぎに、皆で仲良く片付けをしていくうちに解散! 城野智則ダブルが他系列の方の車で東京に向かって帰ったのは25時過ぎだった。『また、来月っ!!』
翌朝、その城野智則ダブルの訃報を聞いて悪い冗談としか思えなかった。沼津の病院に安置された遺体は交通事故にもかかわらず、昨日の別れをした時と全く同じキレイな顔だった。
交通事故はイヤだねぇ。本当にイヤだよ。
城野智則は何か、お役目があって天に召されたんでしょうね。突然だけど、彼にはシメっぽい別れなんて似合わないし。素晴らしい人柄だから、きっと天国で次の大きな仕事が待っているのでしょうから!! 決して、長くはなかったが太い人生だった現世じゃないですか。
あのヒョウヒョウとした姿で“お疲れっ~~すぅ!マイッタなぁ~!”なんて言いながら今にも現れそうですけど。
冥福をお祈りします。天国の皆さんからも愛される事でしょうし、きっと回りをどんどん話の“虜(とりこ)”にしていって悲願のトリプルダイヤを達成してください。
日本のAM界は本当に惜しい人材を失った・・・・彼の死を無駄にしない様にしましょう。 限りある人生を、もっと丁寧に生きたいと思います。 さようなら!! 最後の夜が誰にも心から楽しい時間だった事が救いです。
《モツ鍋》《ささみのカルパッチョの柚こしょう》《鶏のトマト煮》《スペアリブ》《筑前煮》《枝豆》《ジンギスカン》他・・・宴のメニューでした。

『デッキでも作るかぁ!!!』グリグリのデッキ新伝説!

9月16日  沖縄のカフェグリーングリーンには相当に気持ちの良いデッキがある。そこのデッキからは自慢の庭が見下ろせるのだが、その庭には樹齢50年のホウオウボクやデイゴなど南の地方特有の樹木が生えていて、モノスゴいエネルギーをくれるのだ。 当然、デッキの席は人気絶大で、波田自身もここでお茶をするのが最高のお気に入りだ。(本当はお茶ではなくてビールまたはワインです。)  しかし、このデッキも多少の老朽化をしていて、いつかは大規模修繕をしなくてはと相談していたが、自民党的・問題先送りでごまかしていた。しかし、悲しい性格で、その場に立つと補修工事がオレを呼ぶのだ。

『デッキでも作るかぁ!!!』グリグリのデッキ新伝説!

そして、タイミングが訪れた。ある”緑好きな若者カップル”がここで結婚式を挙げたいと申し出て来た。そんな事を言われても・・・彼らの情熱は激しく、デッキ工事をやるならば手伝いもさせて欲しいと!(資金を出してくれるとは話に無かった!)彼らの情熱と誠意に我々は心打たれて、いよいよ決断したのが《古いデッキの解体、そして新設&増設。そして下の庭の50畳のデッキ》だ。 それを作ったら結婚式や様々なパーティー、ライブなど何でも開催できる! 大きな守り神の様な”ホウオウボク”の樹の下は素晴らしいオーラが流れている場所で、本当にそこにいるとハッピーな気分になってくるのだ。 みんながココで楽しい時間をすごしているのをイメージすると絶対にナントカしなくてはと思ったのだ。

『デッキでも作るかぁ!!!』グリグリのデッキ新伝説!

そんな経緯をグリーングリーンのホームページにケーコ(マネージャー)が書いていたら、作業を希望するボランティアの人々や材料を安価にて提供してくれるという業者さん、図面を引いてくれるという設計士さんなどが連絡をくれた。 初夏に話が持ち上がり、どうせならば早くに着工をしたいところだが、なにせ沖縄の夏はそんなロードォーには全く適さない気候。少しでも涼しくなる9月(結婚式は11月だという。)を目処に作業をするプロジェクトがスタートしたのだ。 一足先に、唯一のプロフェッショナルの大工ハマーは先攻隊長として、ボランティア一級建築士のモトと一緒に乗り込み、皆が作業をしやすいように段取りを組む。資材の調達、計測などやることは膨大! しかし”段取り大魔王”はやることもテキパキで本隊のボランティアチームがぼちぼちと来る15日、16日までに相当に仕事のし易い状況を作ってくれていた。波田は16日から入ったが予想以上にハイペースで作業は進んでいてビックリ!

『デッキでも作るかぁ!!!』グリグリのデッキ新伝説!

ボランティアには地元のローカル・ピープルを初めとして、長野や静岡、東京から会社を休んで、その上 ”手弁当” で来てくれている。 近所の建設会社の人が視察に来ていたらしいが、素人さんとは思えない仕事ぶりと、全員ボランティアと聞いて驚きまくって帰ったらしい。 作業は本当に楽しくサイコーな時間だった。ボランティアの何人かはオキラクハウスの改装作業も手伝ってくれた人々で、なんだか懐かしい時間にも思えた。半端ない量の材料を切り刻み、防腐剤のキシラデコールを塗りまくり、ビスを打ちまくり・・・本当に作業は膨大だったが人海戦術で乗り越えた。 波田も勝手なもんで、現場で作業しながら考えていると、新たなプランがどんどん湧いてきて予定変更、作業追加など多数。結果、10月にフィニッシュ工事をあと3日間やるのだが、ほぼ完璧なモノが出来上がろうとしている。 めちゃめちゃに楽しみです。ボクと同等にスタッフやお客さんも、このデッキの完成を心待ちにしてくれています。 この場を借りて、手伝ってくれた皆さんに改めてお礼を述べさせていただきます。ありがとうございました!!

『デッキでも作るかぁ!!!』グリグリのデッキ新伝説!

《労働チーム》(10月工事に参加の方は後日追記します。) ハマー 参川基 古山 兄 神田慎也 石田裕 なーリー 菊池優 北野久史 平野剛 山城優&みゆき 前島利之 めぐみ 吉田曜 外間久美子 仲村ナオジー 大平真 山城和彦 大城太一 ガーデナー伊佐さん 家具屋ヒデ スタッフ与座康仁 スタッフ本村大 スタッフ仲谷友孝 スタッフ大城太一 岩渕哲哉 波田ケージロー! 《後方部隊》 慶子 北野奉子

何を食べさせたいか!!!! 

9月2日(水) グリーングリーンのマネージャーのケーコが東京に来ている。(ケーコはグリグリの波田のビジネスパートナーであるテッちゃんの人生のパートナーで一緒にグリグリを沖縄No.1の店にする為に様々なトライをしてくれている。とても美人!) 今回の目的はズバリ”試食”グリーングリーンはおかげ様で大盛況!昼間はいつもお客様が列になり待ってくださる程に盛況!後の課題は沢山くるパーティーのオファーを受ける為の設備の充実(庭にパーティーや結婚式を出来る様にする広大なデッキを作製する。)と夜のメニューの見直し。グリグリのある場所は相当な僻地(へきち)で、住宅地の突き当たりのそのまた突き当たりという立地。沖縄人には馴染みのある目標物があるのと、観光客にはレンタカーにナビがあるのでここには間違いなく到着は出来るのだが、やはり冷静に考えて夜は場所的なハンディーがある。でも、グリグリの夜は何処にも無い深い森のライトアップが素敵だし、煖炉のある部屋はムード満点!ハンディーは時にはメリットとなる。争う相手がいないのはオンリーワンになれる可能性が充分ということだ。  後は夜のメニューの充実化が課題なんです。ということで、藤田に運転手&試食の残り物処理班として参加してもらい、選んであった飲食店数軒を片っ端から廻った。そんな最中もグーグルで新しい店を探しまたまた試食。とにかく試食に続く試食(試食といえば聞こえも良いがスパイ活動とも言えるなぁ。)という二日間であった。全ての成功はマネるところから始まるといっても過言ではない。お客様が何を食べたいか・・・ではなくて、我々がお客様に何を食べて欲しいか・・・・これに尽きると思っているのです。だんだんアイデアが固まってきましたよ!11月にリニューアルするグリグリをお楽しみに!! そして9月中旬にはボランティアーの勇士10人以上が全国から集まりデッキを作り始めます。久しぶりの肉体ロードーが楽しみなんです。またブログで実況中継しますね。 ケーコは超美人です。今回、波田ケージローの勝手でしょ!で紹介している居酒屋”東大”のテビチの後ろに写っているのがケーコです。

新潟へ”恩返しツアー”が恩返された!

2009年7月8日(水) 話せば長い。しかし便利な時代なので 興味がある人は読み直して下さい!  http://www.keijiro.co.jp/1476  そこまで情熱の無い、アナタには簡単に説明します。北海道のニセコはジンギスカン&もつ鍋の聖地。

新潟へ"恩返しツアー"が恩返された!

そこに寛松という店があり、そこの店のナベがすこぶるスポーティーでカッコいい。そして使い勝手も最高なのだが、この店のオリジナルなので販売していないし、売ってくれと何度頼んでも無駄。一時は”長期拝借”も考えたが、人としてそれは道を外しているではないか! ということでコピーをする事を考えて、サイズを計った。波田は常日頃からノギスなる簡単計測器を持ち合わせているので、簡単な事。そしてブログにて世間一般サマからの、このナベを作ってくれる人の募集をした。鉄を丸く切り、半円形に加工できる人・・・たぶん簡単ではない。するとなんと一時間後に、このお仕事を請け負ってくれるという青年が現れた。その名は伊藤君。この際だから、マイスター伊藤と呼ぼう。 彼はボクにメールをくれた。それから何回かメール&電話で打ち合わせて、約一ヶ月後に試作品が出来たが、少しばかり小さい(お一人様サイズ)なので大人数バージョンを作ってもらう事に!!

新潟へ"恩返しツアー"が恩返された!

そして完成時にお礼をしたいと申し出で希望を言ってもらったら”ケージローさんと一緒に、このナベでモツナベが食べたい”と爽やか青年らしい答えが。 波田の頭の中では”外は雪(新潟は雪しかない)津々と雪降る中で彼のアパートのコタツで数人でお礼にミーティングをして、その後にナベ!”という絵柄をイメージしていた。良く考えれば月日は7月!(でも新潟には雪が残っているのではと、まだまだ意味不明な勝手なイメージが!)行ってみたら大きな会場に、大変な人出っ!!! あぁビックリ!!(会場は堀ダブルの20軒、所有するうちの一軒でラルゴという大箱のレストラン。)そしてアフターはマイスター伊藤のアパートでは全くなく、やはり堀ダブル所有の居酒屋モスラを貸し切りに!(やはり外に雪は無い)そしてついに悲願の円盤ナベに素材が入れられて着火!! 感無量・・・(涙) 実に美味しかった。ニセコの寛松の味が、ここ雪国・新潟で食えている! このナベさえあれば・・! マイスター伊藤は、そこで二週間遅れのサプライズoバースデーまで演出してくれた。 ありがとう!!! 恩返しどころか、また恩をもらってしまった。 新潟の人々は本当に”酒飲み好き”そして”盛り上がり好き”だ。 そこらへんは”堀”仕込みなんでしょうね! お世話になりました。 本当にあたたかく楽しい時間でした。

新潟へ"恩返しツアー"が恩返された!

堀正樹氏は海外遠征中なのにお店を手配してくれたり、様々な配慮をしてくれた。マイスター伊藤氏、同様に感謝しています。 モスラの店長さんもありがとう! 幸せな夜でした。

60歳~~還暦かぁ・・・楽しみっ!

7月7日(火)今日は七夕(たなばた)である。七夕は例の短冊(たんざく)に願い事を書いて笹に吊るすと願い事が叶う日として幼稚園から小学生までは真剣に願い事を書いた記憶がある。 そして今日は満月。バリ島に行くならば満月の日に限る!という程に月の満ち引きで生きている人々は沢山いる。バリでは満月の日には祭りが行われ、人々は祈り、そして海の中の生物など活発化して満月の日には明らかに普段と異なる状況になる。満月と七夕は19年に一度は重なる行事らしい。ところがそこに皆既日食で月がハイパワー!とにかく2009年7月7日はただならぬ一日なのだ。  その日に還暦60歳をむかえたのが有馬七重CAなのだ。今日は港区汐留のある会場でパーティーが開催された。数百人の有馬CAグループの人々が集結。東京タワーや東京の素晴らしい夜景を見下ろす素敵な会場だった。パーティーは非常に和やかに、楽しい時間になった。波田も久しぶりな沢山の人々にお会い出来て本当にウレシかった。 七重さんは若かりし頃、六本木、青山、赤坂界隈で相当にブイブイ言わせていたのだ。そりゃ、60歳にしてこの美貌!というか初めてお会いした30代もすでに抜群に素敵だったが、年齢を増すごとにどんどん女力が増している気がする。そしてそんな七重さんが赤いドレスで登場したときは歓声があがったのは当然。さすが元・モデルの歩き方が板に付きすぎている。七重さんはそれでいて、お高くなく、逆に庶民的な空気だから回りからの絶大な人気モノでいるのだろうなぁ!七重さんを見ていると、女の美しさは内面から出てくるモノだと痛感する。オレもいつかは(というか確実に9年以内)に還暦だ。どんな還暦を迎えられるかは日々の精進にて決まるのであろう。  素敵に生きよう!! 七重さん”ハッピーバースデー”いつまでも可愛く美しい素敵な七重さんでいてください。 今年の七夕は満月でした。満月には七夕同様に願い事を叶えるパワーがあります。これは19年に一度の事。そして2009年7月は月のパワーが爆発的に増大する皆既日食が起こります。日食は月が太陽の前を通過する為に起こりますが、この7月は月が太陽のパワーを充分に吸収しているのです。

忙しいとは”心が無い”と書く。心はあります!

2009年6月8日(月曜) 今週は笑う程に濃厚なスケジュールだ。今回は”日記”というより”週記”! 月曜の朝に沖縄に飛んでグリーングリーンでランチ。岩渕マネージャー(シャチョー)夫妻と試食がてらランチ。これがスゴくて毎回、メニューを片っ端から食べまくり、そして試す!! 一緒に大平夫妻に付き合ってもらいドンドンと食べる。 ひいき目抜きに”美味いねぇ!”と納得。 散々、ああしましょ!こうしましょ!そして、これやったら面白い。これやったら皆が喜ぶとブレンストーミング(脳で考えるままをドンドンと口に出して提案しあう。)をして盛り上がる。今回のこんな会議で、庭をいよいよ開拓して広大なデッキを作製する事に・・・・そして気が付いたら夕方。そのまま那覇市内に戻りミーティングへ。今日のミーティングはエイダ&ラスベガスの映像を期待してなのかいつもより人が多い。最後に皆でリッチのスピーチを見てジィーンとしたところで、いきなり後ろから三線を持って歌いながらケーキが乱入してきた。沖縄人の大好きな”人を喜ばす作戦”で波田のバースデーサプライズをしてくれた。そして場内は一気にお祭りムードとなり参加者は唖然としていたかとおもいきや、皆、踊りまくりだした。この状況、想像つきますか!? まさに狂喜乱舞! アフターは居酒屋にて、またまた盛り上がり。これまた激しい。しかしさっきの映像を見た感動の涙は何処に行ってしまったのか・・・Its Okinawa! 9日(火) 翌朝は自然と早起きが出来たので、一時間のジョギング。最近は那覇の新都心から国際通り界隈をまわる一時間コースがお気に入り。本当に気持ちが良いんです。 帰って準備をして、送迎定番の又吉裕子さんに送ってもらって空港に到着。グループの玉城ヨーコさんと偶然に会ってラウンジでお茶を飲んだ。ヨーコさんはお花の先生でとても素敵な方。そのまま同じ飛行機で福岡へ。ここでラブリーな東富士美嬢が迎えてくれてグループの女子二名を加えて四人でランチ。しかし富士美嬢はサイコーですよ。まさに頭の回転なんてピカイチ。超キレイで若かりし頃に、銀行に勤務していて窓口に来ていたオバァさんが(オバちゃんだったかなぁ!?)ウチの息子と縁談はいかがとスポンサーリングされて、お見合い結婚という相当にユニークな過去がある。超素敵な富士美さんは今回計、ダイヤカウントにも突入していたという凄腕繁盛記!彼女とのランチは刺激絶大です。楽しかったなぁ。グループの女子A、Bは終始、唖然としていた。(笑)その後、福岡駅から新幹線で広島へ。 広島では墓参りをして、広島在住の大久保学ダイヤとカナミちゃん親子FDDと食事。大久保氏は元々、南海ホークスの野球選手。カッコいいんだぁ!カナミちゃんはボリショイバレー団に所属していたバレリーナでこれまたカッコいい! 今夜は大久保氏推薦の”燻製専門店”は超ご機嫌、二軒目の”中ちゃん”は相変わらずナゼに保健所がこれを許しているかと思う程に○○!しかし美味い!深夜にホテルに帰る。 10日(水)朝からAM主催のOMのゲスト(波田はアルバイトと呼んでいる)でマーケとスピーチ。満員でウレシい。終了後は広島で頑張る波田グループの人々とお好み焼きランチ。広島でのランチは”お好み焼き”以外は無い!午後の新幹線で一路、京都を目指す。ところがお別れのご挨拶をダラダラしていたら目の前で新幹線”のぞみ”が行ってしまった。メシを食ったあとで思考回路が静止していて、とにかく眠くて隣に待機していたレイルスターという名前の新幹線に乗ったら只の各駅停車の”こだま”・・・なんでそんなノロマなクセに早そうな名前をつけるのだ!! 予定より1時間以上も遅れて京都に着いてしまう。結局、乗り換えに次ぐ乗り換えで寝る事が出来ず、淋しい! 京都から滋賀県の琵琶湖沿岸の琵琶湖ホテルに移動して会場ミーティング。 明日の朝の京都でのミーティングと、このミーティングはセットで数ヶ月前に酔ッぱらっている時に約束したのだ。しかし楽しいミーティングだったし、アフターの長戸エグの”花火を見る為のマンション”には唖然とした。スゴいなぁ!!深夜に京都のホテルにて就寝。主催者のナァオーミィー(福田ナオミEME)とは付き合い古いけど、本当にいつでも若い!ありがとう!! 11日(木)昨日は酒を抜いたのにクセで二日酔い!(笑) そして清水寺まで一時間のジョギングをした。朝一番の清水寺は本当に好きだ。観光客は10人位しかいなかった。絶対にこの時間をオススメします。アナタの頭に描く”京都”がそこにあります。まるでJRのCMですよ! ミーティングは人妻ギッシリ状態でいい雰囲気。(なにがいいの!?)ランチは中華と聞いていて、朝から朝食も食べなかったので空腹でスピーチの途中で空腹で空腹で頭の中は何故か”麻婆豆腐”でいっぱい。それも山椒がビシビシと効いてる奴!!??アフターは新都ホテルの上等な個室で中華。京都ピープルは本当に洗練されていて楽しい!そして午後の新幹線で一路、名古屋を目指す。名古屋ではそのままホテルにチエックインして二時間、一人で読書大会。一人の時間も良いもんです。ミーティングはAMプラザで!それはそれは自分で言うのもナンですが盛り上がりました。消防法は大丈夫かなぁと思う程に満杯!立ち見だった方々、ゴメンナサイ! アフターは当然の手羽先の発祥の店”風来坊”しかし多くの系列が入り乱れスゴいことになっていました。楽しい夜でしたよ!!ここでも愛葉君の配慮でケーキがぁ!!! 12日(金)朝は6時に起床して7時の特急電車で長野県へ!途中の木曽川が綺麗な事!松本に二時間で到着をして、花村さんの迎えで千曲市の滝沢FDD宅のホームミーティングのお手伝い。ミーティングはいい雰囲気!またまた可愛らしくサプライズでバースデーをしていただいてハッピーな時間になりました。ここのランチは恒例で持ち寄りなのですが、いつも美味しいです! 皆さんQCを使いこなしてます!(ボクはいつも手ぶらでスミマセン!)昼下がりの新幹線で東京に戻りました。そして東京でアポが・・・・ これって”忙しい”ですか!? 忙しいとは”心が無い”と書きます。波田の仕事には心はあります!充分に! スケジュールはハードでも時間に追われる仕事ではなく、なんといっても自分で組んだスケジュール。波田はこれを”充実”と呼びます。 ”充実な一日”の積み重ねが”充実の一年”。そして”充実の一年”の積み重ねが”充実の一生”に他なりません!!

リッチに会いに!!!

2009年5月20日 AMは今年で50周年をむかえた。50年は半世紀、それはまさに記念すべきミレニアムな年だ。今回は、豚インフルエンザの問題もあり、出発直前まで、行くか行かないかを本当に悩んだ。自分一人の問題ではなかったし、あの時のマスコミの過剰な騒ぎ方などを見ていると、判断は簡単にはくだせなかった。万が一、帰りに成田空港で1週間、足止めをくらったら・・・・なんて考えると!(波田は足止めされた時の対策でDVD、本、ゲームなどたんまりと引きこもりグッズを持参していたのは事実だ。) やはり、リスクをとってでも、行くと決めた理由は数多くあった。《ライブのリッチデボスが見たい。きっと節目にするはず。・・・・事実、スピーチでは引退宣言もあった。 そりゃ80歳だもんなぁ。》《リッチに”ありがとう!”を言いたい。そして自分の人生の半分を共にした”生業”としてのアムウェイの誕生日を祝いたい。・・・波田の人生は50年、AMに関わり24年、言い方を変えれば全てだ。今の自分があるのはAMのお陰以外の何ものでもない。》 《世界中のアムウェイ・ディストリビューターを見たい!・・・・日本は島国だとつくづく感じた。外に出なくては!!》《今後の50年の可能性を肌で感じたい。・・・いよいよAMの時代だとも思える。それを実感したかった。》・・・・・・・充分に全てを感じられたし、見ることが出来た。

リッチに会いに!!!

リッチは心臓移植から12年が経過しても元気だった!こと細かいスピーチにヒントをたくさんもらえた。 また、世界の”やってる”ディストリビューターを目前にして衝撃だった。世界4ヵ国でCAを達成しているマレーシアのFCA、ものスゴい、オーラのある中国のCAは元・道路清掃員、FAA100点を目指す台湾のFCA、超元気でハイテンションな、元バーテンダーのFCA、やはり世界中でビジネスを展開するドイツのFCA 、ニューダイヤを500人連れてきたFCA、親子でニューヨークで4ヵ国語で展開する韓国人Fトリプルダイヤ・・・・スゴかった!本当に刺激的だった。 リッチのスピーチはエイダでのグローバル・エクゼクティブダイヤモンドカウンシルとラスベガスでのグローバル・ダイヤモンドフォーラムで二回聞く事が出来た。そのスピーチは力強く、まさに頂点! 波田のメモから抜粋すると《自分のビジネスを持つ事は世界を変える事!》《成功を望む人々に機会を与える自由企業の理念/フリーエンタープライズ》《希望を持てば未来を変えられる。》《外見からは誰が成功するか予想がつかない!》《強いリーダーがいる組織が強い組織ではない。沢山の人が希望を持つ組織が強い組織になる!》《東ドイツの崩壊後、人口の1%の人々がアムウェイにサインして自分のビジネスを持とうと努力した。そして多くのフリーエンタープライズが育った!》《フリーエンタープライズはビルの中に存在するものではない。世界中の人々の心の中にある。誰にも破壊は出来ない。(テロにも破壊は出来ない。)》《チームが成功するためにパートナーシップが大切。》《北朝鮮にもいずれAMのフリーエンタープライズが入る。それは人々が必ず望む事だから・・・》《英語を勉強しなさい。ここにいる数十カ国の人々がお互いに会話出来たらどんなに素敵だろう!》 本社を訪問する時、“奇跡の1マイル”にさしかかった時に数千人の社員が揃いのTシャツを着て、全員がおもいっきり手を振ってくれていたのは大感激!!泣けちゃいました!

リッチに会いに!!!

人から尊敬されるという意味もよくわかった。デボス家とヴアンデル家の地域への貢献度はスゴい。 最後に、アムウェイの歴史が飾られているコーナーがあって、そこにリッチ&ジェイの創業した1959年当時の写真があった。なんだかその写真が、とてもいいんです!お茶目で、自信にみちていて、パートナーシップが感じられて、そしてスタイリッシュで! アムウェイの歴史は我々ディストリビューターが作るんですね。リッチが“本当は今日参加されている一人一人がいかにこの仕事を知ってどうやって成功してきたのかアナタ方のサクセスストーリーをお聞きしたいのです”と言った。 新たな50年に向かって、いい仕事をしますょ。リッチが、アナタがきっかけでビジネスをスタートする人がいる。人の未来に影響を与えられる仕事と、何回も言ってた。アナタの周りでAMを必要としている人は沢山いるのだ。 原点に立ち戻りしっかりしたビジネスを構築しようと新たな決断が出来た。・・・・・・本当に、行って良かった!!

ラスベガス50thセレブレーションOpening
http://www.youtube.com/watch?v=dJ6XnVykb3Q

●リッチ・デボスのスピーチ(ラスベガス)
「今日の私の話は、皆さんに直接出来る最後の話になるかもしれません・・・・。 でも、悲しむことはありません。これは人生の現実です。 私は時代の中で、たくさんの旅をしてきました。 世界中の人たちと成功を分かち合い、沢山の人たちが集って祝う、今日という日が来ることなど50年前は想像もつきませんでした。 達成者の皆さんに、どのように達成して来たのかという物語を一人一人、 話を聞いてみたいです。しかし、こんなに多すぎては聞けませんね。 12年前、私は心臓移植をしました。 当時70才以上の心臓移植はリスクが高く過去に前例がなく禁止されていたので、 心臓移植は不可能だと言われたのです。 全ての医者に手術を断られました。 心臓移植をしないと後1年半の寿命と宣告されましたが、私には、 まだまだ生きてやることがたくさんあったわけです。 皆さんの役に立ちたい!! リスクが大きいけれど、私に興味を持ってくれた一人のイギリスの医者が、 手術を引き受けてくれました。 そして女性の心臓をもらうことが、出来たのです。 その心臓が私の体に適応し、私が、こうして生きているのは神の力なのです。 神様のおかげで、私はまだ生かされているんだと・・・ ある日、日本の中島薫から私に質問がありました。 「リッチの理念とアムウェイのマーケティングプランはどのような関係がありますか?」 という質問です。 この質問は私のアムウェイ人生の中で、初めての質問でした。 50年間、私に誰も聞いたことのない質問でした。 その時、すぐに答えられず私は薫に少し時間を欲しいと言ったのです。 しばらく、ゆっくり考えてから薫に答えました。

リッチに会いに!!!

その答えは4つあります。 まず1つ目は「自由」です。 精神的な事から答えます。私はキリスト教徒です。 私たちが罪人だと認めてくれた神様に、私は感謝をしています。 あなたは完璧である必要はないと許してくれた神様に感謝しています。 リーダーは完璧である必要はないということです。 アムウェイは50周年ですが私たちにとっては60周年なのです。 私とジェイはニュートリライトの製品のディストリビューターから始めました。 アムウェイは収入を取ることだけが大事なのではありません。 収入も大事だけれど、それよりも大事なのは多くの人の信頼を得ることなのです。 アムウェイは単なるプランだけではありません。 他のネットワークビジネスとの違いは、私たちのベースになっている「信念」は デモキットには入っていないのです。 「信念」・・それは、皆さんの心に入っています。 アムウェイは自由になる権利だけでもありません。 やりたいことができるようになることだけでもありません。 誠実に、ビジネスをやるという責任が大切なのです。 周りの人たちに信頼されるように支える責任があります。 それを大切にすれば、あなたは成功出来るのです。 アムウェイ・ビジネスを単純に金儲けだけと考えると、すぐに潰れます。 一人一人の人を大切にし、アムウェイの価値を大切にしてきっちりと伝えていくのです。 それには人々を尊敬することが必要です。 それが、責任の元にある、「自由」なのです。 2つ目は「家族」です。 周りの人が大変な時に助けてあげる・・・。 あなたが大変な時に支えてくれる人がいる。それが「家族」なのです! それは同じ魂を持っている人たちの集まりです。 バスケットのオーランドマジックのマイケルというフランスで生まれた選手がいます。 彼は2才の時に親が亡くなりました。 身内は誰もいません。 今はフランスからオーランドマジックに来てプレーをしています。 私は彼のことを大切な家族だと思っています。 家族のように育ってきた人たちがたくさんいます。 ここで私の妻ヘレン、大切な私のパートナーを紹介します。 あっ!今ヘレンからスピーチの時間が終わりだと言われました。 でも、まだまだ話したい事があるので無視して話を続けます。(笑) 私が病気になったときに私の子供に、アムウェイの会長というポジションを譲りました。 でも私は、まだアムウェイに関わりたいのです。 私の子供たちは4人います。孫は16人います。 彼らは本当にこのビジネスの本質をよく理解しています。 皆さんを守りたいのです。 「アムウェイ」という会社をスタートした時のことです。 私は、元、ニュートリライトのディストリビューターをしていました。 その時、私はバニス・ハンセンさんをスポンサリングしていたので、 彼女の家でホームミーティングを行ったのです。 自由に意見の交換をしあい、お互いを尊敬しました。 3つ目は、「報われること」つまり評価されるということです。 新しく皆さんが達成され、それを表彰するということです。 仲間たちが成功することによって、あなた自身が評価され表彰されるということです。 皆さんの子ども達、孫たちも、アムウェイの世界に巻き込んでください。 皆さんをステージにあげることで感謝の気持ちを表したいのです。 やったことが報われることを、皆さんにも実感して欲しいのです。 4つ目、最後は「希望」です。 最初から成功出来ることがわかっている人は誰もいません! 私もアムウェイを作った当初は、こんなに大きな会社になるとは、 夢にも思ってもみませんでした。 もしかしたら出来るかもしれない!という希望を持つことが第一歩を踏み出すことに なりました。 皆さんの人生を支えることができることが私達は大きな喜びです。 アムウェイを通して、ひとりでも多くの人々に、精神的に豊かになって欲しいのです。 あなたならできます! (heckle dream line より抜粋)

“Garden” Makes Me Happy!!(ガーデンがボクを幸せに!)

5月3日(ゴールデンウイーク)ゴールデンウイークは下田OKIRAKUHOUSEで庭作りに精を出した。”ガーデニング”と”園芸”の違いは良くは認識出来ないが、波田のやっているのは、何がなんでもガーデニングだ。 ”緑”に興味を持ったのは、ほんのこの数年、子供の頃は、家に小さな芝生の庭があって、その雑草抜きをさせられるのが、本当に嫌いで、絶対にオトナになっても庭付きの家なんか買わないと思っていたし、京都の石庭などはオレみたいな雑草嫌いな人間が考えた庭なのだと思い込んでいた。 それがいつのことか樹木に興味がわいたというか、樹木が近くにあると、和みを感じる様になって来て、そして下田の内装工事が終わって外回りの工事が始まり、その樹々に何を植えるべきか考え研究しているうちに、だんだんと樹々のパワーに魅了され始め、今では相当にディープな域に入っている。

"Garden" Makes Me Happy!!(ガーデンがボクを幸せに!)

もうコレ無しでは生きられないと思う程に樹木が好きだ。 “家は一年、庭十年”と言われている。要するに家なんかどんなに大きくて立派でも一年あれば建ってしまうが、庭はそれなりの年月をかけて育てないと出来上がらないという事だ。この言葉が波田を焦らせている。どうせなら早く理想的な庭に成長をさせたいけど、手間も必要だし、それ以前にそこの気候に合う植物、そして育てたい植物、あとウチの場合だとやはり長く滞在するのは夏場なのだが、春に咲く花は多いけれど、やはり夏に咲く花というのは意外に限られていたりとか・・・散々、植物園とか豪邸のお庭などを見て、研究してプロに相談して、今に至っている。一昨年は大まかなモノを植えた。昨年は思いつきで植えて、今年は計画的に整理してと、様々な試行錯誤を重ねている。 センスと経験は本当に大切だと思うが、相談する相手を間違えると、どこかの安っぽい日本庭園モドキになっていってしまいそうだから気が抜けない。また気候風土との相性もモノすごく大切で、ウチは特に海に面しているので日照的には最高だけど、潮風がやはり樹木の種類を限らせるのだ。また土地が砂を含んでいるので日々の水やりも大切だし・・・課題は多いがお庭のジャングル化は夢である。

"Garden" Makes Me Happy!!(ガーデンがボクを幸せに!)

主な樹々はドラセナインディーサ、元々からのカイズカイブキ、沖縄にたくさん見られるキョウチクトウ、ソテツ、イトウシンペイから20年前に寄贈されたアボカド(食いカスの種を発芽させたモノ、いまでは男性の腕位の太さになり高さは4メートルになった。)フェイジョワ、オリーブ、そしてアウトドアリビングにはモッコウバラ、通り道のアーチには湘南クレマチス、木造の塀にはクレマチスアーマンディー、テイカカズラ、自慢は近所の大好きなフリードマンさんからいただいたビワとパッションフルーツ(昨年はナンと一個を収穫!美味しかった!)だ。毎年、とにかく少しずつでも育っていくのを確認できると感動! 今年もゴールデンウイークに植えた植物がまた下田ジャングル化計画に一役買ってくれるであろう。”庭は10年”の3年が過ぎた。あと7年・・・そんな計算でないのはわかっているけど実に幸せなマイoガーデンだ!  家を建てた友達には必ず植物というより樹木を植える事を進めている。家族の成長、自分の成長とともに樹木が育つのは楽しいモノだし、家への愛情も倍増する事は保証する。

日本を知る”箱根ウォーク、35キロ”という行事。

4月29日(祭日) 今日は次男、宗一郎クンの小学校の年一度の学校行事で”箱根ウォ―ク”というイベントに参加した。 これは小田原から箱根の東海道の旧道の山道を抜けて芦ノ湖をかすめ、三島まで、全行程35キロを歩いて行くという企画で、彼の通う小学校の恒例行事なのだ。 波田は4回目の参加だと記憶する。  今年は本来、4月25日(土曜日)の予定であったが、幸いにも雨で延期となってホッとしていた。 というのも5月23日にネパールのトレッキング・ツアーから帰って来たばかりだったからだ。 まだ13万歩の走破した後の筋肉痛から解放されていないのに、それにかぶさる様に筋肉痛が重なるなんて・・・・まぁ雨天延期を誰よりも喜んでいたのは波田であろう。本当に良かった!! このイベントは過酷な企画なのだ。 沼津駅で朝の5時に集合して、JRで移動すること約40分。三島から熱海などを通過して小田原に到着。 初めての時は、何かの間違いかと思う程に遠く感じたが、何の間違いでもなかった。 そして小田原の駅前を6時に出発してひたすら旧道を歩き、とにかく歩く・・・・・小田原から箱根湯本あたりまでは一般道の裏道のような通りで、まだまだ平和。 箱根湯本を左折して箱根の山を上がり始めるとだんだんと林道のような細い、そして長い階段を登ることになる。 登って下りて、また登る、そして登って、またまた登り、またまた登って、時々下ってまた登る、最後にはずっと下る・・・それぞれ自分のペースで歩けばいいのだが、そうはいかないのが子供の世界。 毎回、先頭集団に入ってマイペースなんてありゃしない。 結構なスピードで進むのだ。 回りのお父さんと会話はするが、どうもなかなかテンポは良くない。 どうしても、今の状況が辛いのか、ネガティブな会話になる傾向になる。 景色は素晴らしく、新緑が色濃くてマイナスイオンが出まくっているので幸せだ。 しかし、だが遠い。 そんなに辛いのならば、参加しなければ良いとも思うが、本当は結構、楽しいのだ。 子供とのたわいもない会話が楽しいし、子供の友達とも話すのは面白い。 最近の子供界のトレンドを探れる最高のチャンスなのだ。 結局、今年は8時間弱で走破。 いや走ってないから歩破!! 35キロは決して近くはなかったが、歩く途中は様々な事を考える。 昔の人々にはJRもなかったし、アスファルトの道もなかった。 箱根の旧道を、徳川家康も織田信長も豊臣秀吉も、坂本竜馬も皆、この道を歩いたのだ。(一部は籠(かご)だね。歩いてはいないと思う。または馬かぁ・・・ラクしてんだなぁ。偉い人々は・・・) まぁ、とにかく多くの人は歩いていたのですよ。 同じ景色、同じ道、同じ階段を・・・なんて考えると楽しい時間です。 本当に今月は良く歩いたなぁ! 歩くってとても原始的で、楽しい時間です!!

郵政民営化に思うノロマの未来

一言で言うとオレは“せっかち”だ。“せっかち”の意味を広辞苑で調べてみると『落ち着きの無い様』と、男としてロクでもない様ように書かれている。しかし最近“せっかち”とか“おこりっぽい”などの特性がある男性は、比較的のんびりした人より、心筋梗塞などの疾患になりにくい可能性があるとの疫学調査結果を厚生労働省研究班(主任研究者・津金昌一郎国立がんセンター予防研究部長)が発表したともいう。どっちにしろまぁ、これは気質だから仕方が無いが・・・・(別にせっかちで損をしたとか不利だった事は無い!)
そんな波田はやっぱり“ノロマ”が嫌いだ。 ノロマでいい事はナンであろうか。 波田はゆっくりする時間が嫌いとか言っているわけではない。スローライフは大歓迎! やる事はサッサとやって、ノンビリすれば良いではないか。
近所の郵便局に用事を片付けに出かける事がある。波田の性格が悪いのか、常々気になってしまうのが、カウンターの中での仕事の段取りや手さばきなどだ。そしていつも思うのは、結論から言えば、郵便局員の行動はノロマであるという事だ。(全国の郵便局関係者を敵にまわすつもりはない。ウチの近所のごく一軒の郵便局の実態であると信じたい。)これは長かった“官”の管理下にあった郵政の名残であろうか。こんな仕事ぶり、そしてサービスでは、長く民間で鍛えられ切磋琢磨してきた宅急便業者などにライバルとして恐れられるようになるのは100万年かかっても無理なのではなかろうか。そもそも彼らにサービスという事の重要さを認識出来る日は来るのであろうか。守られた安堵の中に成長は無い。波田はお客として郵便局には相当に貢献していると信じている。ほぼ毎月1000通程度の郵便物を出すし(しかし最近ではクロネコメールなどに切り替えた。値段の問題より郵便局の姿勢、態度への不満からだ。)要は決して、覚えられない客ではないと自負していた。あるとき簡単な頼み事をした。友人の誕生日にカードを送りたいが、到着日前日に自分はちょうど東京に不在。秘書もいない。そこで一番の名案は、日頃郵便物を出す郵便局に事前に持参して前日に投函をしてもらおうという思いつき。さて、郵便局に出向き、頼んでみるとそれは出来ないの一点張り・・・そして近所のローソンならやってくれますよと顔見知りだったはずの(オレの勘違いかぁ!)アホ郵便局員は真顔で答えた。そしてローソンで出来るならアナタにも出来るだろうと言うと、それは規則だから出来ないという。全く社会主義時代のソ連と見まがう郵便局員の対応だった。これってオレの独りよがり!?!? サービスって何!! こんな事もあった。同じサイズの箱を3カ所に送る為に持ち込んだ。箱のサイズは一目瞭然なのに、三個の箱を全てわざわざ計ったのだ。そして波田が『それどう見ても同じサイズだと思うのですが何故わざわざ計るのですか。オレっ時間が無いのです!?』答えは『一応、決まりですから・・・』こんな仕事をしているから、無駄が“塊”となりハンパの無い赤字を生み出したんだろうなぁ。 仕事は段取りが大切だと信じている。そして顧客満足度の高さこそ、サービス業の明暗を分ける極みであろう。
この日記で政治的な話をした覚えは無い。そして今後もあまり無いと思うし読者も全く期待はしていないであろう。
だがごく身近な場に日本を良くするには、みんなが目標を持って仕事をする事だ。自分の与えられただけの仕事しか出来ない人間は去れ!!(言い過ぎかなぁ・・・!) 一生懸命、人に喜ばれる仕事をして世の中の役に立とうではないか。