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辛い事ばかりじゃない! リストラが変えた人生。 好吃(はうつー)は母の味。

主人公の謝名(じゃな)さんは36歳。決して裕福ではないが、なにも不自由ではない少年時代を、生まれ故郷の沖縄本島の中部の町、宜野湾市で暮らしていた。家は典型的は大家族でオバァを中心として長男夫婦の両親と5人の兄弟の三男として育ち、近所には沢山の親族が暮らしていて何かにつけて集まっていた。沖縄の人々の生活は想像以上に質素であるが、温暖な気候と暖かい人間関係はどんな金銭的な裕福さより、ずっと贅沢に子供たちに素晴らしい影響を与えていた。家は小さくて古いが、昔からあるブーゲンビリアが咲き乱れる庭がありシーサーが飾られた沖縄的な門構えの家だった。

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謝名さんは少年時代には年の近い二人の兄といつも、近所の浜や河原、そして基地近くの公園で遊んだ。そんな公園の上を嘉手納基地から行きかう戦闘機ファントムの耳をつんざく爆音は日常になって、少年同士の会話も、戦闘機が離発着する瞬間には途切れても、静寂になった瞬間から何も無かったように継続して会話は元通りに弾む程度に日常化していた。ベトナム戦争で一層、慌ただしくなっていても基地のフェンスの外の少年には何も影響はなかった。父親は米軍関係の仕事をして少しアメリカ・ナイズされていたが、逆に沖縄の伝統を重んじる厳格な男だったが、そんな父を当たり前に見ていた謝名さんは、必然的に影響を受けた。父親は毎晩、泡盛を静かに飲み、基地の中での出来事や昔話、特にオジィから聞き伝えられた昔話を楽しみ半分、家長としての義務感から子供達に話して聞かせたが子供達には、決して楽しい話ではなかった。 母親は謝名さんが少年時代から近所のマーケットに働きに出ていて、仕事で帰宅が遅くなっても家庭での仕事はキッチリとする人であった。それは料理にも渡り、半分、趣味の料理は単に”上手”の粋を越していた。そして子供達は母親の作るチャンプルー料理をこよなく愛していた。また母親は料理番組から得た情報や新聞、雑誌の料理ページをメモ書きして、好奇心旺盛に様々な料理を試しては夕食の席に並べて、家族の評判を楽しんでいた。その中には世界中の様々な料理もあったが、食べた事もない料理を作るのは疑心難儀な連続だろうに、家族は誰も試した事のない、そしてその国がどんな国だか想像をしながら試食するのだった。

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その中で、家族の大評判を得た料理が”肉まん”であった。レシピ通りに手をかけた肉まん は本当に美味しかったが、ある時、創作的な母親は、沖縄の昔からある”紅芋(べにいも)”を皮に練りこむ事を思いつき試しに作ってみたら、大好評。そのうち肉まんを作ることが楽しみになり、だんだん趣味の粋を越えて、大量に作っては近所や職場の友達に配っては喜ばれた。時間を問わずに気楽に食べれ、また冷凍保存も利く、肉まんはいつでも人気者だxった。そんな母親の姿を当たり前に見ながら、少年は成長していった。 それから十数年、少年も家を出て家族を養う立場になっていた。 やはり母親の遺伝子を受け継いでか、少年の頃は母親の手伝いで見よう見真似でやっていた料理を、今や好奇心の赴くままに、気ままに真似事をして皆に振舞うのが好きだった。しかしその家族の中には大好きだった母親の姿はもうなかった。謝名さんは、そんな肉まんのネタを練りこみながら、子供たちに亡き母親の話を聞かせていた。そして気が付くと父親から聞いた先祖の事や、昔の沖縄の事を子供達に話して聞かせるのであった。

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さて30歳も半ばになった頃、社会的にはバブル崩壊という時期を迎えていたが、そんな余波が沖縄に到達するには本土より多少に時差があった。バブル崩壊など”対岸の火事”程度に考えていた謝名さんに、それが他人事ではないと実感する日が突然に訪れた。勤め先の建築会社に朝、出勤すると、会社は突然、倒産を迎えていた。なにか予兆があるならば、心の準備もあっただろうに、なにも無く、十数年間、当たり前のように通っていた会社が無くなったと聞いて驚きの粋を越えて言葉もなかった。そして様々な整理をするにも管財人が会社を封鎖して長年通った会社に入る事も出来ず、本当に行く所が無くなってしまった。帰り道、初めて現実の事を考え出した。いったい、三人の子供と家族をどうやって養っていけばいいのだろうか。別段、特技や技術があるわけでもなく・・・・・その瞬間に思い立ったのが”肉まん屋”だった。 実際にどれだけ売れるかわからないし、どこで売ったらいいかもわからない。貯金も大して無いので、出来る事といえば自宅を改装して店にする事。それには大した考えも無かった。選択の余地は無いからだ。

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そして一ヶ月の間に、とにかく今まで家族で暮らした居間を、お客を迎える店に、台所を厨房に、そして家の外観も少しは店っぽくしなくては、ということで友人や親戚の力を借りて改装し、中々の出来栄えとなった。生活スペースは半分になったが新たな門出のためなら仕方が無い。家族も反対するどころか子供は家が家でなくなり店に変わる姿を楽しみ、妻もパートを止めて店番を手伝う事になり、会社を事実上、リストラされて一ヶ月に満たない期間でこの肉まん専門店”はうつー”を開業にこぎつけた。そして主人の真面目さが評価され、だんだんとお客がお客を呼んで、決して繁盛とまではいかないが、少なくとも家族が食べるには困らない収益を得られる様にまで成長。”災い転じて福となる” のコトワザ通りの小さな成功を手にしたのだった。彼の心にはいつも母親の愛情いっぱいの”紅芋にくまん”を再現することで、母への思いを馳せているのだ。   この美しきストーリーは全部、波田の作り話だ。従って家族構成など全て、波田の想像の話しです。しかしリストラを余儀なくされて、思いついて起業したのは事実です。失礼しました。本当に超×15倍 へんぴな住宅街の突き当たりの隠れた家というカンジな場所です。しかし口コミのエネルギーはスゴいんだなぁ。いつもお客さんでイッパイです。美味いよぉ~~!

  • 手作りまんじゅう 好吃 (はうつー)
  • 沖縄県宜野湾市伊佐3-21-9  電話 098-890-2865
  • 58号線を那覇から北谷に向かい伊佐交差点を過ぎてガソリンスタンドを過ぎて最初の信号をナナメに左折。喫茶ティファニーを右折して直進してムーミン保育園を右折してすぐの路地の一番奥の家。
  • 営業時間 12:00~19:00 定休日 月曜日 伊佐ムーミン保育園近く