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久々のニーツさん。ニーツさんは新津さん!

2007年7月31日、久々にニーツさんに会った。ニーツさんは新津さんで新津章(ニイツアキラ)さんだ。ニーツさんは波田のフロントでダイヤモンド。22年前にAМをスタートして一週間目、ボクが三人目にスポンサーしたのが新津さんだ。(ニーツさんスポンサーリングは至上命令であった。当時は我々には信用なんてものは皆無であった。そんな自分に絶対に必要なモノが信頼を勝ち得るという事!スポンサーする友人に”新津さんも始めたんだぞォ!”と言うと全員が”じゃぁ間違いないナァ!”と納得してくれてサイン。そこまで新津さんの信用は絶大だった。) 関係を簡単に言えば、元の会社の上司。新津さんと初めて出会ったのは、波田が18歳の時に、押しかけバイト(バイトとはいえ2年間は無給だった・・・)のフラットフォーという、まだ産声を上げたばかりの三人しかいない会社だった。夢イッパイの会社と社長は本当に魅力的だった。最初の”志”が高い分、いまでは業界では屈指の大サクセス・カンパニーに成長している。新津さんは当時は弁護士を目指す法律学科の大学院の学生だった。超×100位におしゃれで、そのコダワリ感は今でも鮮明に記憶があるほどに衝撃的なカッコ良さだった。(当時、深夜にアメリカのドラマで”若い弁護士達”という番組があって、お洒落な若き弁護士が問題をどんどん解決していく、という正義感あふれるインテリな若者・弁護士が主人公のドラマがあったが、相当にその主人公とラップしていた。)そのニーツさんとの出会いがキッカケで波田も”ファッション魂”に火が付いたといっても間違いがない。初めて見たときは、フランス製のソレックス(黒い自転車に原動機という小型エンジンが付いた乗り物でモペットという当時、パリジェンヌが愛している乗り物。日本ではまず見ることは出来ないシロモノ。)に乗り、当時ではまだまだ珍しいハンティングワールドのバックを斜めにかけて、(ルイビトンのモノグラムも初めて見たのはニーツさんのモノだった。)セーターは上質なイギリスのプリングル、パンツは誰も履いていないリーバイスのコーデュロイ、靴は見たことも無いクラークス、タバコはフランスのジターン。(名優アランドロンも愛したジターンがニーツさんの大人の香りだった。) 車はフォルクスワーゲンのバリアント、50年代の真っ黒いビートルにも乗っていたナァ。とにかくお洒落の極地だった。あんな選択眼はどうやって養ったのであろうか・・・・当時はまだ、ファッション情報誌ポパイもブルータスも無い時代。せいぜいメンズクラブ位だったからなぁ・・・そんな、とにかく時代の先端だったニーツさんとは、かれこれ30年の付き合いになる。   お互いのAМのビジネスが順調になるにつれて、だんだんと会う機会も減り、いまや意識して待ち合わせをしないと会えない位に忙しくなってしまった。ということで一ヶ月前に調整して、やっとお互いのスケジュールがあったのが7月31日だった。東急東横線の学芸大学駅で待ち合わせをしてニーツさんの知っている寿司屋を訪ねた。(これまたいい店だった。)ニーツ氏は超グルメで波田が知っている店、発見した店なんてとうの昔から、ことごとく全て知っているのだ。その情報量は本当にスゴイ。(自動車の情報量もスゴイ!自転車もスゴイ!何でも本当に良く知っている。)そんな久々の酒宴は昔話チョット、趣味の話が殆んど、AМ話もチョコっととで楽しい時間だった。年の頃、55歳だというのに、そんな空気は微塵もない。一昔前なら定年の年なのに、こんな健康体を放っておいたら危険だ。(最近は毎日、ロードレーサーでツーリングしているらしく筋肉ブリブリ!)そしてルックスが若い以上に脳が超若いし、発想なんて子供だった。・・・・・昔からの友達(いや、先輩です。失礼!)が幸せなのは、自分にとっても幸せだ。少なくとも、このビジネスがニーツさんの思考も、様々な選択も若くしているのは事実だろう。長い目で見て・・・・ビジネスの成功ってナンだぁ!?!と考えたとき、自分らしい素敵なライフスタイルを送り続けるニーツさんは充分な成功者なのだと思った。ダイヤモンドなんてもったいない程の実力なのに・・・・