ボクは普段は家族と一緒に生活をしていない。わかりやすい言葉で言えば”単身赴任”というヤツだ。ただ世間で言うところの悲壮感漂うそれとは違うけど・・・思春期の少年二人とのコミュニケーションをどのように取るかは、かなり大切な問題だ。 ある時から少年二人と約束をした。携帯電話を持たせる代わりに、毎週日曜日に前の週に何があったかをメールで報告するという約束だ。これ、なかなか面白くて、毎週読むのが楽しみだし、長男と次男でも随分と違う文体で書いて来るのだ。しかし悲しいかな、少年達は、そんな約束も時々、遂行出来ずにボクからペナルティーを課せられる。二回、三回と重なると携帯電話の一週間取り上げなど・・・しかし、中学二年生の次男坊は随分とナメた態度で数週間も催促なしに忘れるという快挙。 最初は漫画本を全て破棄の刑、そしてゲームカードも破棄の刑に罰せられたが、ついに・・・ウザい父親がキレて重罪を課したのだ。 息子には三つの罰から選ばせた! ①坊主 ②全てのゲームとカードを破棄 ③沼津から下田まで歩く! だったのだが、まさかの冒険を選んだ。(笑) 結局、彼は予測を反して、ボクが下田に居る時に沼津から下田までを歩いて来るという罰を受けた・・・その距離70キロ、そしてアップダウン激しい天城峠!! 当日は母親に送り出されて5時半に出発。二時間置きに何処にいるかをメールさせて、下田で位置確認をしていたが、スピードが想像以上に遅いのだ。どんな心境で歩いているのかはわからないが、あまりワクワクはしていない事だろう。だいたいの地名と位置はわかるから地図上で追いかけても、思いのほか苦労をしていると思える。それかダラダラと歩いているのか・・・これが罪として適しているか、否かは賛否両論あるであろうが、ボクは素晴らしい体験だと思うのだ。 実は今をさかのぼる約35年前はボクが中学生の時であったが、ある事でオヤジを怒らせることになってしまい、オヤジから課せられた罰が”東京から鎌倉まで歩く!”という試練だった。歩いている間は少しも面白くないし、別に国道一号線から鎌倉街道だったかを歩く訳で、風光明媚なんて全くの無縁・・・そして歩く事、約7時間で鎌倉の鶴岡八幡宮に到着をしたのだ。その経験・・・今でも懐かしく思う位だから、良い経験になったのだ。 そしてその距離は約60キロなのだが、自分の中の距離計算の基準になっている。(60キロが、それが遠いのか、近いのか、歩ける距離なのか否かを知れるのは良い事だ。)ウチの次男坊君は小学校の頃から健脚だった。学校の5、6年生の行事で箱根ウォークというイベントがあるのだが、低学年の時から兄貴について参加して小田原から三島までの箱根旧道の山道約40キロを、簡単に歩き切っていた位だから、多分、体力的には大丈夫であろうと推測はしていた。しかし想像以上に天城峠は厳しかった様で、殆ど一日中、朝から晩まで歩いていたのだが、高低差の激しい天城峠の上までのぼり、頂上を超えて随分と下り、最後の激しいいポイントにループ橋という高低差がありすぎて直線のルートが作れずクルクル回るループ状の橋を下るという、ものすごい橋が河津という場所にあり、その車道を歩いている時にほぼ夕暮れとなり(それでも下田まで残りは約10キロ)通行中の農家のオジさんに声をかけられて駅まで乗せてもらい電車で下田までやってきてボクにひろわれるという展開になった。 最後まで歩いて来れなかったのは本人も残念だったようだが、それでも天城峠を自力で超えたのは事実だし、それはそれはいい経験になった。 下田から沼津、東京への帰り道、二人でボクの車に乗って、その道中の話を聞きながら、この道を歩いたのかぁ・・・なんて考えると、800メートルの真っ暗なトンネルは、さぞや恐かっただろうし、普段はナンの気も無しに歩く道の高低差を歩行者レベルで考えると、どれほど厳しい試練だったか想像すると、すごい罰をかぶせた気もするが・・・でも生涯、約束を破ると大変な事になる。自分は険しい天城峠を徒歩で超えた、60キロの距離感・・・多分、ずいぶんと大人になったのではないであろうか。 という罰を与えたボクがドキドキした一日だった。 少年はすこしずつ、大人になっていく。