ミーティングのアフターは中華の串焼き”故郷”で!!
バースデーもちゃっかりしてもらいました。
ありがとうね!

ミーティングのアフターは中華の串焼き”故郷”で!!
バースデーもちゃっかりしてもらいました。
ありがとうね!

2015年6月26日(金)
男はクルマが好きである・・・
おれはそう信じている。
クルマが好きではない男なんて男じゃない、とすら思っている。
オレの少年時代は頭の半分はクルマのことであった。
いや、それ以上だったかもしれないという程に頭はイッパイ。
今の少年、少女がゲームに狂うのと同じレベルかもしれないなぁ。
とにかく明けても暮れてもクルマ(脳の残りはチャリンコと好きな女の子の事。)
少年だから当然に実際にクルマを操縦するわけではなく、全てはバーチャルな世界。
だからか想像力はドンドンと膨れ上がっていったわけ!
当時はクルマのカタログを集めるのが趣味で、その夢いっぱいのカタログやクルマ雑誌を眺めているだけ幸せだった。
通り過ぎるクルマの名前は当然に言えた。
そして未来はこんなクルマに乗る、あんなクルマに乗ると想像を巡らせているのであった。
そんな良き日の時代のクルマが一堂に集まっているのが愛知県にあるTOYOTA博物館と聞いて、いつかは行ってみたいと思っていた。
そして、その好奇心に火を付けられたのは、その博物館のポリシーだ。
今まで行った海外のクルマ会社の博物館はドイツのBMW、ポルシェ、そしてメルセデスベンツ。
どこも共通しているのは自社のクルマだけを並べているのに(まぁ当然の事)なんとTOYOTAはTOYOTA車以外の名車やライバル社をわざわざ展示、それもいつでも動く最高のコンディションにして展示しているのだ。
そして幸運にも友人のイラストレーター松山氏(彼の作品はTOYOTA博物館にも展示。過去にここで個展を開催した経緯がある。)の紹介でバックヤードを見学させて頂けた。
博物館では展示してあるものは、じつはごく一部。
その他の膨大なコレクションは裏側で待機しているのが世の常。
マニア必見の超お宝アイテムが山盛りにあるのだ。
それを個人的に博物館の偉い方のガイド付きて見られるなんて幸せの極地。
とんでもないレアなクルマが何十台も見れて感動だった。
もちろん常設展も見応え抜群でずっと唸ってた。
そこにはリアルのボクの少年時代に憧れたクルマそのものが展示されていた。
スカイライン2000GT、TOYOTA1600GT、いすずベレットGTが一度にみられるなんてそうは無い事。
名車TOYOTA2000GTもベストコンディションで五台も!
日野コンテッサやHONDA N360、シビックの初期型、ゴルフ1などまさに時代を作った普通の人々の為のクルマもあったなぁ。
もちろん1910年代の自動車創世記のころのT型フォードとか珍しいキャデラックもあった。
とにかくここで過ごした三時間はアッというも間だった。
少年時代の夢がすべてここにあった気がした。
またいつかここを訪れて、少年時代にタイムスリップしてみたいと思う。

TOYOTAさん、本当に素晴らしい事業をされている。
ありがとう!
ジェフリーバワという崇高な建築家がいた。
バワは南国建築家として多くの名作をスリランカをはじめバリ島やインド、そして世界中でも特に南国に数多くの作品を残している。
よく思い描く南国スタイルの建築物と言えば、氏の影響やコピーと思って間違いないと言われる程に、多くの名デザインを残している。
氏のデザインは土地がもつ自然の美しさ、歴史、文化を最大限に引き出し、内と外、人間と自然の境界線を取り払うことがテーマ。
彼の手掛けた空間は、佇んでいるだけで本当に心地いい。
プールの先がいきなりストンと切れて見えて、そのまま海と一体化して見える様なインフィニティープールなる手法も氏の代表的なスタイルの一つだ。

氏は1919年にオランダ人の母親とスリランカ人の父親の間で生まれた。
セイロンと呼ばれた時代に19才からイギリスのケンブリッジに留学をしていて英文学を学んだ後に法学を学び、弁護士に。
裕福な家庭で仕事をする理由もなく、イタリアではビィラを購入して生活。
と言う事で相当な美意識の高さであったことは想像がつく。
20代の後半でセイロンの戻ることになり、その時にセイロンに大きな敷地を購入して自分で建築図面を引こうと思ったが知識が無さ過ぎを感じて製作が出来ない。
そこから再度、イギリスに渡って基礎から建築を学んで、実際に建築家デビューをしたのが38才と言う、かなりの遅咲き。

そしてルヌガンガ(塩の川と言う意味)という場所に少し高台でペンドータ川を望む事ができる24エーカーの土地を購入して、そこに楽園を作る事を決め、生涯に渡りそこの地に様々な個人的な建築物やギャラリー、ゲストハウス、ステューディオ、夕焼けを見る場所、当然に農園や水田までをデザインして11人の専任ガーデナー(庭師)もいたそうだ。そして43年間もかけて作っていったのが氏の桃源郷“ルヌガンガ”なるバワの別荘なのだ。

さてそこで氏はどんな生活をしていたのであろうか。
スリランカ人が愛する食・・・カレーに違いない。
なんとこのビィラでは予約をするとランチを用意してくれるのだ。
ここのカレーは美味しいスリランカのカレーの中でもトビきりな美味さだった。
その作り方も極めて丁寧で、とても満足のいくものであった。
このランチをしている場所の庭から続くベントータ川の光景からバワはインフィニティープールのアイデアを思いついたと言う事だ。
(その川にはホンドゥアネイチャーランドなる名称の“島”も付いていた。)
そんな思いを馳せながらバワが食事した同じ場所でお食事が出来るなんてなんて幸せなことでしょ。
ランチコースはコーンスープ(格別に美味かった)からスタート。
レッドライス(ローカルライス)、ビーツ、バナナ唐揚げ、そしてここから6種類のカレーが続く。
ブラウンチキンカレー、パイナップルカレー、海老のカレー、キューカンバーモージョー(スリランカ風やや甘め野菜の酢豚。
(オニオン、キャプシコ(唐辛子)キャロット、ナス、マンゴーチャツネ、ダルカレー(スリランカの定番中の定番で朝から出てくる。)インゲン豆カレー(ゴトコラなる薬草とココナッツパパダ)と11種類の料理が続いた。それはそれは美しく素晴らしいランチとなった。

そしてこの屋敷のツアー、ランチを含めて30ドル。
これはお得感イッパイ。
ハウスツアーも我々だけの為の時間だった。
アナタもルヌガンガで巨匠・建築家の気分を味わってみたら!!

Lunuganga ルヌガンガ
Dedduwa Lake,Bentota、SLIRANKA
℡+94-91-4287056
入場料1250Rs ランチ 3000Rs(入場料込) 要予約
宿泊も可能(全6室)
※ちなみにここルヌガンガはゲストルームが一般にお泊まり出来る様になっている。
それぞれが趣向をこらした部屋なのでそれも楽しいかと思う。
(宿泊には食事も付いている。)全6室
※現在はバワの財団になっていて、様々な収益でこのルヌガンガも維持管理されていると聞く。
素晴らしいことです。
※場所はバワの作品であるAHUNGALLA / HERITANCE AHUNGALLA HOTELからクルマで小一時間。
相当に山奥で複雑な道であった。





北京ダック・・・・・・
しかし大胆な名前である。
少なくとも高級料理の代名詞としてビフテキ(ビーフステーキ)、しゃぶしゃぶ、と同等に名前で“威厳(いげん)”を感じる。
しかし、よく考えたらダックってアヒルかぁ。
『アヒル、食いにいかないかぁ!?』と誘われれば即答で断るであろう。
なぜダックという名前が付くと別の話になるには不思議ではないか。
さて、この高級品を格安で提供するというのは発想として素晴らしい。
高級な食べ物の代表の寿司を回転させて格安で出した“回転すし”が代表するように、それは人類へ偉大なる貢献としか言いようが無いモノだ。
そんな高級品である北京ダックが安価で食える店、それが中華茶房エイト(8)である。
エイトは漢数字“八”が由来であろうか!?
中国人にとって末広がりの数字(八)は最も重要な数字であることは皆さんのご承知のことであろう。
香港では車のナンバープレートの8888なんて数億円とも言われる数字崇拝がある。
店に入れば至ってカジュアルな空間。
大きめで低めな円卓がかなりの数が置かれている。
イスも丸いドーナツ型で背もたれ無し。
この円卓システムは“相席どんどん”システムだ。
6人円卓には二人連れが三組、もしくは詰め込んで7人も座らせちゃうという強引ながら、それはそれで居心地のいい空間となる。
(狭さって時折、一体感を感じたいお食事会などでは大好きだ。)
肝心な料理は一品一品が実にリーズナブル。
中華料理は大皿で大人数でないと色々と試せないと言うのは過去のお話。
最近では“中国小皿料理”とでも言うのか小さめのお皿に低価格で盛りつけられて出てくる店も多い。
エイトもまさに、そんなカユい所に手が届くような店!
さてメインイベントとなる北京ダックのご登場!!!

このショータイムみたいな演出が抜群だ。
専用テーブルに専用台にまさに鎮座するダック様!
それを白衣を着たコックさんが手早く切り刻み大皿に並べてゆく姿はパフォーマンスとして美しい。

これぞ食事では大切な要素なのだ。
その一つ一つの作業がワクワク感を最高潮に盛り上げてくれるのだ。テーブルに置かれた時はの気分は最高潮!
それをアヒルだなんてイメージする事無く“高級料理・北京ダック”として頂くのです。
まだホンモノの北京ダックを食べた事の無い若者よ!
是非、いつの日かに食らうホンモノの疑似体験をエイトで楽しんで欲しい。
疑似体験と失礼な事を言ったけど、これはこの値段では考えられない充分に完成された、回転寿司にも相当する偉大なる食事である。
残念ながら北京ダック以外の食べ物は普通というか値段なりです!(笑)
だから余計なモノを食わずにダックだけひたすらに食うべし。
中華茶房 8 (エイト) 北京ダック専門店
東京都港区西麻布3-2-18
コートアネックス六本木 2階
電話 03-5414-8708
他にも都内に数店あり!
(恵比寿店 渋谷区恵比寿南1-16-12 ABCビル3階
電話 03-3713-2858)
2015年6月7日 旅には目的があると面白さが増すのは事実だ。
実はこのスリランカ(昔の名前はセイロン)
ただのサーフポイント、インドの斜め下、
ついこの間まで内戦とかあったしね。
なにせ別名は南国建築家。
その土地で何かを建てるならば、
良いものを沢山、見てたんでしょうね。
相当に遅咲きだけど、
そんなバワの作った建築物を見るのもスリランカの目的の一つ。


神々は細部に宿ると言っだのは建築家・
せっかくのリゾートだから何もしないのも良いけれど、

北海道の一回り小さなサイズのスリランカ。
69.7%が ブッティスト(仏教徒)12.7% キリスト教(カソリック)そして7.5 % ヒンドゥー(残りはその他)と言う真面目な人々。
日本からたったの9時間の楽園!
ハワイも良いけれど、

旅の行程表&メモを旅レポートに作っておきます。

夢リストに追加いかがですか?
追伸
今回は8日間あったけどサーフィンのチャンスは残念ながら無かっ
それ以上に魅力的なアクティビティー出会った事と実際、
今年も来ました!春の“変態旅行友の会”ツアー。
散々相談して、前回廻り切れなかった場所の代表として選んだのが“スタン”シリーズ。
一昨年、南アフリカのヨハネスブルグの空港でそれはそれはスゴい旅人のオバアちゃんと知り合った。
その老人は車椅子を押されながら南極を目指していた。
それもリピーターとして三回目、彼女はすでに世界150カ国を旅していた。
そして、そのオバアちゃんが色々と話してくれて、かつて訪れた国で最高だったのがスタンシリーズだと・・・。
今回の参加は常連熟練旅人の玉田シンちゃん、新たなメンバーは中嶋裕(ナカジー)目の前にいたので誘ったら『行くっ!』の一言。
マメさと健康の知識はウルトラ級。
そして僕の長男の元太朗。
◆5月18日(月)
羽田空港からからソウル金浦へ!(OZ1055 羽田9:00-金浦11:20)
ソウルで5時間以上の時間差があるし、空港は金浦(キンポ)から仁川(インチョン)への移動という事でソウル市内でウェルカムパーティー。
空港からアメックスのセキュレタリーサービスで調べておいた焼肉屋でランチ。
少々ボラれた感もあるけれど楽しく美味しいランチでした。
14:00に仁川空港に向かって移動。
ソウル仁川より空路でウズベキスタンのタシケントへ
(OZ573 仁川16:50-タシケント20:50)
所要時間7時間30分と結構、長いフライトで映画三本鑑賞。
《ウズベキスタン/1カ国目》
到着後、ガイドとともにホテルへ。
ホテル内レストランにて夕食。
ガイドの彼女はお見事な日本語を操る。
『私の名前はサイダです。三ツ矢サイダと覚えてね!』と。
彼女は五カ国語が堪能、そして日本語は完璧だ。
ここの国は冬はマイナス30℃。夏の暑い時は50℃にまで上がるらしい。
日本と時差4時間。
今日は早朝から動いていたせいか、やたらに長い一日だ。
タシケント泊
ホテル Le Grande Plaza
Ovozi str.2, Tashkent Uzbekistan
Tel. +99871-120-6600
◆5月19日(火)
ガイドのサイダと一緒にタシケント国内線空港へ。
国内線空港もキレイで清々しいけれど、写真とか一切禁止で少しソ連時代を思い起こす。
空路ヌクスへ小さなプロペラ機で。
(HY1001 タシケント7:10-ヌクス9:55)着後、トルクメニスタンとの国境へ向けて出発。
この場所ヌクスはなんと自治国の首都で思いもよらず1カ国追加!
《カラカルパクスタン共和国/2カ国目、オレの110カ国目》
そこから陸路でトルクメニスタンへ。
ヌクスから国境を越えダシュオヴズまで陸路で140キロ
(2時間半、途中で国境を通過。)
《トルクメニスタン/3カ国目》
国境から四輪駆動に乗り換え、世界遺産クフナ・ウルゲンチ観光。
クトゥルグ・チムール・ミナレット、テュラベク・ハン廟、イル・アルスラン廟などを見学。
暑くて乾燥していて辛かった。
そこから、一路ダルヴァザの目的地 “地獄の門”へ、330キロ移動。
途中の道は悪路なんてもんじゃない。
夕方までになんとか到着はしたけれど、 クルマも古いので心底辛い時間でした。
しかし忽然と砂漠のど真ん中に現れた“地獄の門”は感動的。
直径70m、深さ50mのドデカイ穴(ガスクレーター)に引火した炎はゴォーとものスゴい爆音をたてていた。
そして、そこからくる風の熱いこと。
生涯忘れられない体験だ。
これ45年前に落盤事故で出来た偶然の産物だそうだ。
今夜はキャンプ。
ドライバーがテントを準備。
トルクメニスタンの国境で出会ったソロ旅人の宇和君も交えて夕食はガスクレーターの近くでバーベキュー。
移動距離 1270キロ
タシケント=ヌクス 800キロ 飛行機
ヌクス=ダシュオヴズ 140キロ2時間半(途中国境有)
ダシュオヴズ=ダルヴァザ 330キロ 6時間
遠いわけだ。グッタリ・・・・

◆5月20日(水)
地獄の門で見る朝日は格別だ。
キャンプ地にて朝食後、トルクメニスタンの首都アシガバットへ。
途中、アシガバットへ入る手前で洗車。
どうやらアシガバットでは、クルマが汚いと罰金($20)になるらしい。
世界遺産「オールド・ニサ」に立ち寄る。
遺跡は正直、見飽きた(笑)。
だけれどトルクメニスタンの女子学生らしきが何かの撮影しに来ていて微笑ましかった。
むこうから写真をせがまれ記念ショット。

市内レストラン(宿泊ホテルの隣)「Altyn Yldyz」にてトルコ料理の昼食。
やたらにだだっ広くて閑散としたレストラン。
夕方まで部屋で和み、それからトルクメニスタンの金満国家ぶりを観察する為にお出かけ。
意味不明な建物が本当に沢山ある。
全て金ピカ&大理石!
数年前に建った“国民の健康を祈るタワー”なんて全く意味がわからない。
公園もはてしなくデカくどこまでも金ピカ&大理石。
ロシアンバザールも行った。
楽しかったけれど、とにかく写真撮影が出来なくて残念。
夕飯は数少ないアルコールが出るレストランへ。
子供のお誕生会をやっていてウルサかった。
トルクメニスタンの母親たちが沢山来ていて本当に魅力的だった。
全員民族衣装と段ボールで膨らませた帽子を着用しているのだけれど、なんともいい感じだ。
その後は夜のアシガバット夜景巡り。
これも衝撃の連続。
トルクメニスタンは電気代もタダらしく電気の浪費っぷりが笑えた。
移動距離
ダルヴァザ=アシガバット 270キロ 5時間
アシガバード泊
ホテル Grand Turkmen
Gorogly str. 50, Ashgabat, Turkmenistan
Tel. +99312-920555

◆5月21日(木)
朝は近所をウォーキング。
国会議事堂らしきや、様々な金満ぶりを垣間見られるスゴイ建物が沢山あった。
これらは写真を撮るのに一苦労。
公園には、緑や花も多く、来ている人よりおおいくらいの銅像が立ち並んでいた。
ホテルをチェックアウトして空港へ。
トルクメニスタンの人々は寛大なのか、モラルがズレているのか、列には並ばないし、横入りも放置だし。
そして飛行機は約30分遅れたけれど、案内も謝罪も無い。
静かで良いと言えばそれもアリだけれど・・・国内線でトルクメニスタン第二の都市マーリへ。
(アシガバット8:00-マーリ8:40)
マーリ到着後、郊外の世界遺産「メルヴ」見学。
城壁跡であった。
茶色い、大きい、ホコリっぽい・・・オレ達、考古学マニアでは無いと言う事を認識した。
市内レストラン「Shapak」にてトルコ料理の昼食。
紫色のビーツのサラダ、ヨーグルト味のスープが美味しかった。
マーリ市内観光で郷土博物館などは中止。
市場も見たけれどかなり残念(笑)
マーリ・・・・わざわざ来なくても良かったなぁ。
ディナーで行ったレストランはバーベキューが豪快で美味しかったし、激安で幸せでした。

移動距離
アシガバット=マーリ 400キロ 飛行機
ホテル Yrsgal
Ata Kopek Mergen str.2, c.Mary, Turkmenistan
Tel. +993522-7-2127
◆5月22日(金)
ホテルにて朝食。
ウズベキスタンとの国境へ向けてクルマで出発。
(一度、戻る形になる。)
国境は出国よりは楽だけれど、ウズベキスタンの入国でランチタイムにひっかかり路上で1時間半も待たされてグッタリ。
そんなところは旧ソ連チック。
そこからクルマを乗り換えて一路ブハラへ。
ブハラは街そのものが世界遺産だけあって本当に美しい。
光も素晴らしい。
噴水のある公園脇でビール。
(今日は休肝日の予定がここの雰囲気の良さにはやられた。)
ディナーは屋上のあるレストランSARAYで。
ラグマンなるウドンをトマトミートソースで合えた料理が満塁ホームラン級に美味しかったなぁ。
全員ご満悦。
その後もドイツ人経営のカフェでお茶。そして就寝。
移動距離 390キロ
マーリ=トルクメナバード 250キロ 4時間
トルクメナバード=ブハラ 140キロ 2時間半(途中国境有)
ホテル Omar Khayyam
Khakikat str.7, Bukhara, Uzbekistan
Tel. +99865-221-4707
◆5月23(土)
早朝6時からウオーキング部は市内を散策。
風も光も本当に清々しい。
その後、ガイドのサイダとブハラ市内観光へ。
アルク城、ラビハウズ、タキバザール、サーマーニ廟など
市内レストラン「Old Bukhara」にて昼食
一路、青の都・サマルカンドへ。
クルマの中はひたすらに爆睡&読書。
快適リグライニングで良かった。
ホテルにチエックインしてレストランは予約してくれていたPlatan(プラタナスなる意味)でメシ。
住宅街のレストラン、ガイジンばかりだったけれど、雰囲気も抜群で美味しかった。
総じてウズベキスタンのメシは美味しい。
(今夜のメシはサイダが急病人の同行で来れなくなったペナで旅行会社のゴチ!)
移動距離
ブハラ=サマルカンド 260キロ 5時間
サマルカンド泊
ホテル Registan Plaza
Shokhrukh str.53, Samarkand, Uzbekistan
Tel. +99866-233-2475
◆5月24日(日)
早朝サマルカンド市内をウォーキング。
かなり見所ありそうな綺麗な町だ。
「サマルカンドはウズベキスタンの京都よ」とガイドのサイダは言っている。
レギスタン広場、グル・アミール廟、ビビハニムモスク、バザールなど見学。
タシケントまでクルマ移動の予定を変更して新幹線にしたかったけれど、チケットが取れなくて、特急列車で行く事に変更。
列車で3時間半。(クルマだと5時間)
一路首都タシケントへ。
ところがこの列車が結構キツかった。
一等列車なのにリクライニングが効かないは、同席のオバちゃんはものすごいボリュームでテレビを見ているは・・・タシケント到着後はティムール広場、ナヴォイ劇場、そして日本のシベリヤ抑留を強いられていた人々の日本人墓地をたずねた。
ナヴォイ劇場は、第二次世界大戦後に、ソ連の捕虜になった日本人が強制労働で建設に携わっている。
長時間の労働に加え、環境は劣悪で、労働に関わった500名のうち79名が亡くなっている。
しかし『日本に必ず帰って、もう一度桜を見よう』の合言葉のもと、日本人らしく細部までこだわり完璧に作り上げた。
結果、1966年のタシケントを襲った直下型大地震で、街がほぼ倒壊する中、この劇場はピクリともせず、ヒビひとつ入らなかったという。
そのことが讃えられ、ウズベキスタン大統領から『1945年から1946年にかけて極東から強制移送された数百名の日本国民が、このアリシェル・ナヴォイ―名称劇場の建設に参加し、その完成に貢献した。』というプレートが設置されている。
日本人の先人の心意気に感動を覚える。
夕飯は中華料理。珍しく玉田はダウン。僕も休肝日。
移動距離
サマルカンド=タシケント 310キロ (列車)
タシケント泊
ホテル Le Grande Plaza
Ovozi str.2, Tashkent Uzbekistan
Tel. +99871-120-6600
◆5月25日(月)
月曜日なのにウォーキング中も静かな街。
ヤル気あるのかな。
一路タジキスタンとの国境へ。
ここで初日から一緒だった素晴らしいガイド・サイダとお別れ。
少し悲しかったなぁ。
ハードと言われたウズベキスタンの出国は意外にスムーズ。
《タジギスタン/4カ国目》
タジキスタン入国後、英語ガイド・オリズの出迎えでソグド州の州都ホジェンドヘ。
市内レストランにて「Tavhid」にて昼食。
完全に胃腸がお疲れ気味!
駆け足でホジェンド市内観光へ。
ムグテッパ要塞、バザールなど見物。
そしてシャフリスタン峠、アンザーブ峠を越えて、一路首都ドゥシャンベを目指す。
峠越えのこのルートは景色が本当に素晴らしい。
遠くに雪山も見えるし、山あり谷ありで、グランドキャニオンかのようだった。
しかし、途中のシャーリトンネル、イスティックトンネルは2006年に完成したのにすでにボロボロ。
明かりはないし、浸水・陥没しまくってるし、狭いのに交互交通で対向車来るし、先も見えないし、急に人が立ってるし、恐怖すぎた。
あんな真っ暗な5キロのボロボロトンネル、これほど恐さを感じた事は無い。
無事に出れた時は感激して拍手喝采。
しかし中国の建設業社の仕事らしいが呆れ返った。

タジキスタンの首都ドゥシャンべの街はとてもキレイ。
夕飯は近所のインド料理店。
なぜかスタン料理には食指が伸びず。
ガイドの片腕の無い男オリズはとても不思議な雰囲気だ。
移動距離 490キロ
タシケント=ホジェンド 180キロ 3時間(途中国境有)
ホジェンド=ドゥシャンベ 310キロ 7時間半
さすがに疲れた。。。
ドゥシャンベ泊(連泊)
ホテル Lotus
Pervii Proezd Lohuti st.5, Dushanbe, Tajikistan
Tel. +99248-701-8800
◆5月26日(火)
朝のウォーキングはご機嫌だった。
この街の公園は素晴らしい。
ホテルにて朝食。
午前中はヒサール要塞観光、17〜18世紀の“新しい”メドレセ、キャラバンサライ(隊商宿)など見学。
そしてドゥシャンベ最大の市場グリーン・マーケット。
ここは24,000人もの人が働く巨大な市場。
ランチはRohatなるレストランでお気に入りの“ラグマン”のランチ。
“西洋風肉じゃがトマト味うどん“かな。
皆かなり食欲は控え気味。
午後は国内最大の涅槃仏が展示されている国立博物館、ギネスブックに世界で最も高いフラッグポールとして認定され(てい)た165mのフラッグポール(もう抜かれたらしい) 中央広場、10世紀サーマーニ朝の始祖イスマイール・サーマーニ像、いろいろ見たけれど大した事は無い。
もっと観光に繋がるモノを作れば良いのにと思っていたら豪華絢爛なビルを発見。
新しいホテルかと思えば税務署だって・・・この国、終わってるかも(笑)。
タジキスタンといえば、眉毛がつながっているのが美しいとされるヘンな文化。
だが、実際はなかなか見つからない。
さすがに都会化してきたか。
夕飯は中華料理。
同行のナカジーが何故か持ってきたアイブロウペンシルで、大のオトナが眉毛をつなげて大はしゃぎ(笑)。
大いに盛り上がった。
ドゥシャンベ泊(連泊)
◆5月27日(水)
ウォーキングをしていると様々なモノが見れて楽しい。
ホテルにて朝食、チェックアウトをしてドゥシャンベ国際空港へ。
エアアスタナ国際線にてカザフスタン最大の都市アルマティへ。
(KC132 ドゥシャンベ11:30-アルマティ14:15)
ドゥシャンベを飛び立つやいなや天山(テンシャン)山脈を超える。
ものすごい圧倒的な山々の景色に、ずっと窓に釘付けとなった。
ヒマラヤ観光で小型機でエベレストを拝みに行ったことがあるけれど、それ以上の景色だった。
生きていて良かった。

《カザフスタン/5カ国目》
本来はアルマティに宿泊して翌日の移動だったのだれども、そこから予定を変更して、本日中にアルマティから国境を超えてキルギス共和国ビシュケクまで移動することにした。
この決断は正解。いや大正解!
かなり、翌日の行程が短縮できて快適と思われる。
日本語ガイドのタラスは、純粋なキルギス人だそうだが、どうみても日本人に見えた。
《キルギス/6カ国目》
国境を越え、キルギスの首都ビシュケクに着いた。
ディナーはガイドオススメの店へ。
屋外でかなり気分良く安くて美味しかった。
ただウエイトレスの「Why not ?」連発には閉口したけれど。
旅程変更のホテル
ホテルGreenCity
◆5月28日(木)
恒例となった朝のウォーキングが本当に気持ちいい。
ビシュケクから引き続きクルマ移動。
イシク・クル(湖)の湖畔の街、チョルポン・アタへ向かう。
途中で街道沿いのレストラン・ティユベテイカでランチ。
ここでもラグマンを食す。
今回知って本当に驚いた。
遊牧民のウイグル族が食べていたラグマンが中央アジアに広がり、そこから中国そして日本のラーメンに発達。
またシルクロードを通ってなんとイタリアにも広がり、そこでラグーソースに化けたのだという。
そう言えばラグーソースは名前も雰囲気もそのままだ。
途中、温泉があるというので、行ってみたが、温泉というか40℃の温水プールだった。
せっかくなので入って泳いだ。
チョルポン・アタ観光。
紀元後8世紀頃にサカ人の手により生み出されたと考えられている岩絵を鑑賞。
そこから見るイシク・クル(湖)も素晴らしい。
夕方、早めにホテルにチェックイン。

イシク・クル(湖)を散策。
イシク・クル(湖)は謎の多い湖で、幻の湖などと呼ばれている。
長さは東西に182キロ、南北に60キロ。
面積6236平方キロメートルで。
琵琶湖の9倍の広さ。
海抜は1609m。
世界で2番目の高山湖で、深さも668mと世界2位の深さ。
真冬に周囲は氷点下になっても年中凍らないそうだ。
さらにこの湖底にはチムール帝国の煉瓦積み建物の跡や生活用品などが沈んでいる。
昔は街があったが井戸の水が溢れ、街が沈んだとされているのだ。
とにかく水が青く美しく、周囲の山々とのコントラストがたまらなかった。ソ連時代は外国人は立ち入り禁止だったとか。
今では、ここは夏のリゾート地となっている。
ところが、ここのホテルにはサービスなんて概念はまるで無い。
さすがに旧ソ連を感じたなぁ。
夕飯はホテル指定なのだけれど指定時間が19:00〜20:00で、遅くても20:15には出て行けと(笑)。
仕方が無く部屋飲み。
なんだか学生みたいだった。
ホテル Ak Maral
Issyk-Kul region, v.Baet, Kyrgyz Republic
Tel. +996-3943-57775
◆5月29日(金)
ホテルにて朝食、チェックアウト。
再び国境を越えてカザフスタン・アルマティへ戻る最後のクルマ移動。
国境の町Kordaiのカフェ「Rublenka」にて昼食。
アルマティ到着後、市内観光:パンフィロフ公園、ゼンコフ教会など
アルマティ市内レストラン「Dastarhan」にて最後の夕食の後、空港へ
移動距離
チョルポン・アタ=アルマティ 540キロ 9時間(国境有)
空路ソウルへ(所要時間:5時間40分)
OZ578 アルマティ23:10–仁川(インチョン)7:50のナイトフライト。
◆5月30日(土)
仁川乗り継ぎ、日本に帰国。成田へ!
OZ104 仁川10:00-成田12:10
※今回の旅は贅沢して大人三人はビジネスクラスで行っちゃいました。
そこはラクチンだった。
そのシートをカラダが記憶形状しているので余計に移動のボロ車はこたえたなぁ。