ハワイのリーダーシップセミナーが開催された。出発の数日前に新社長のJohnParker氏(若干41歳の代理から電話があり『ハァダァサーン、いっしょにハワイィでサーフィンしませんかぁ!』とのお誘い。当然、受けて立つ!!(別に勝負じゃないんだけど・・・)その日はハイピンがぞろぞろと集まって、それはそれは楽しい、ハワイならではの時間になりました。 決めの一本は堀W、畑山T、波田、そして社長の四人で一本の同じ波に乗って相当に長いロングライドをした事!!みんなで波に乗りながらハイタッチをして喜んだ。新社長は皆の暖かいお持て成し接待サーフィンに日本人が大好きになったに違いない!! (^ム^)
「サーフ」タグアーカイブ
《海でマーケ》
今日は下田オキラクハウスで新規にマーケをした。(下田にいるときはあまりしていない・・) ミネはプロサーファーを目指す好青年。そしてその一番弟子のリョウは、やはりサーフィンに命をかける21歳。コイツら根性ありそうだ!
《阿出川氏の復活物語》
日本サーフィン界重鎮、テッド阿出川氏が病から復活。生涯車椅子生活との宣告を聞き入れず、リハビリしてついにサーフィン復活のレベルまで復帰。目標への執着心には脱帽、そして素晴らしい話を聞けました。そして多くの仲間が集まってきたのもキングの人徳。地元有名サーファーからも声をかけられて、偉大さを痛感しました。 また下田在住のシェーパーのジェフ氏宅も訪問。すごかったなぁ・・
マウイでのサーフィン三昧な日々。
マウイでのサーフィン三昧な日々。
ダイヤモンドフォーラムは本当に楽しかった。みんなで同じポイントで同じ波を楽しめるなんて機会はそうある事じゃない。(大人数はエチケット的にはあまりオススメ出来ないこと。小人数の人が気分悪くするんです。)こんなに素敵な1日は最高だぁ。右から神谷アンドリューC、野佐掛D、波田啓次郎T、橋本みどりT、小川D、八松エグ、橋本ちあきT、井利元W、ナゼか小川エメ(通りがかり・・)、末松ケンコウD、門田D。
モルディブ・サーフトリップ。 体育会系だってこんなにやらない。恐ろしき平均年齢42.8歳。
これは日付を追った日記ではない。2007年6月14日から21日までの7泊8日でインド洋の島々、モルディブにサーフ・トリップに行った。その内容を書くのだが殆んどの日々のスケジュールの内容的には変化は無い。しいていえば、何処のポイントに入ったか、それは良かったのか、そうでもなかったか、メシは何を食べたか、会話はなんだったのか・・・・・程度のもので、大きな変化こそ無いが、本当に濃い内容の “オトナのサーフィン強化合宿”だ。 冬のある日に、アキヤン(秋山和茂EX)から電話があり”サーフ・トリップに行きませんか!”と誘われた。それは嬉しさ半分、不安半分な誘いだった。嬉しさを分析すると”オレってサーファー!?”なんだぁと少々の認知を受けた嬉しさ。不安部分は約一週間の毎日のサーフィンを続けられるか、その体力。それ以上に、その技術力も不安だった。
今回は素晴らしいボート・トリップ(豪華な10ベッドルームの客船をチャーターしてサーフィンのポイントを目指して島から島へクルーズ。料理上手なコック、サーフィンのガイド、掃除係、船員、様々な世話をしてくれる係りなどがサービスをしてくれる快適そのもの船なのだ。)ということだったが、なんとなく消極的な返事をした。(あと問題は当社の秘書の土岐ちゃんが新婚旅行で2週間、出かけるとのこと、その日程がピッタリ、帰国日と出発日が重なる。ということは3週間、土岐ちゃんと顔を合わさない!我が社の存続の危機!!という不安もあった。) 結局、何かを決めないとイカンと思い数日後に”行きますぅ!!ヨロシク!”と返事をした。 さぁ後には引けない! この何年も進化をしていないサーフィン人生に何かのキッカケを与えなくては。 それからの準備が始まった。 まずコジマ電気でオムロン製の”体脂肪計”を買ってきて体力作りをスタート。(ズレてるかなぁ・・!) 今までも週に数回はジムに行くか、ジョギングかはしていたが、目標を持って体調を整えると言う事はあまりなかった。 とにかく体脂肪と体重を落として身体の筋肉を強化。そして精々、近場にサーフィンの練習にでも出かける。DVDでも観てモチベーションをアップ・・・そんなとこだろうなぁ。(結果、3ヶ月半で体脂肪は5%、体重は5キロ落とした。体力的にはやることはやった。) でも知れば知るほどに不安にもなってくる。モルディブは恐ろしくデカイ、そしてホレホレな波が立つらしい。 何でオレなんかが誘われるんだぁ・・(事実、今回の参加者が一様に上級者だ。オレ、人数あわせかなぁ・・・なんて被害妄想癖も出てくる始末・・・・)しかし後には引けない・・・・・(結構、意気地なし野郎になっていた。)
成田までは大和田剛EXのベンツの巨大キャンピングカー(ヨドコウ号)で乗り合いで行く事になった。しかしデカイ車ながら、計画性ゼロ状態で荷物と人間はマンパン状態!途中、環状七号線で他の班の車と合流して荷物を仕分けて人間も分散! その道端での姿は佐川急便の荷物仕分けセンターそのものだった。(こんなことで成田に着くんだろうか。誰がこの姿を見て”憧れのモルディブ”に行く御一行と思うであろうか・・) 成田までの道々での会話は盛り上がっていたのだが、突然に”航空券”の話になった。オレとヤッシー(石島D)は旅行社から旅券が送ってきてない!当然、持ってきてないと主張。(結局、ちゃんと来てた・・トホホ) しかし他、全員は当然に持参。急きょ、無くても大丈夫か、また今から手配してバイク便で世田谷の家から成田に届けられるか・・・・様々な方法を考えてみた。JTBの友達に電話して聞いたら旅券なくしての成田チェックインは不可能との事。しかし不可能が可能になるのが波田の事。何とか成田に着いて、その間に代理店に連絡をしてくれて、チェックインが出来た。相当にラッキー! そして恐ろしい大量の荷物を運び込んだ。プロサーファーの集団かと思うほどのボードの量。だって一人で4枚も持ってきている人もいる。 笑っちゃう量の重量オーバーだったが、なんなく逃げ切りチェックイン! 今回のメンバーは相当にオモシロい。秋山和茂、通称ラルゴはアーティストにしてEX、とてもスタイリッシュでカッコいい! 二年間のサーフトリップ経験で旅はお手の物! 進藤由美子Tは、やはり二年間のサーフトリップ経験者だけあって上手。本当に可愛い子だ。 大和田剛EXはいつもゴキゲンさんな46歳、飲むは笑うは、ヤルコトは豪快。でもソーメンを”生”で食うのは止めたほうがいい。 高畠秀Wはいつもギャグを飛ばしっ放しのハナピー大阪(極悪)オヤジ。超おもしろい。 伊佐さんはアパレル勤務なのに自由で高収入、そして時間ありの不思議な一番の年長者。サーフィン経験は30年近くで知識もすごいDD。
そして友達の柴田ゴンちゃんは八王子でライドというサーフィン&スノボーの店を経営。小ぶりな西郷さんの見かけだが、紳士で優しい。サーフィンのワンポイントアドバイスは適格だった。 上地Rはフロム 沖縄!いつもデカイ一発を狙っている。今回は静かにしている。ピンに臆しているのだろうか。 石島ヤッシーDは、親友の橋本淳Dと大仲良しで、二人の絶妙なコンビには終始、笑いっぱなし。こんな仲良しが人生にいたら、本当に楽しかろうに。サーフレベルはほぼ、ボクと同じの15%なので心強い。 二人でモルジブ人のガイドやスタッフにウソの日本語ばっかりを教えていた。 新潟の堀Wは下田でサーフィンをしたのがキッカケだというが、完全に取り付かれたようにサーフィンにはまっている。今回も一日平均7時間位、海に入っていた。情熱の注ぎ方はハンパじゃない。(見てるとメゲる・・)なにせウェイクボード世界ランキング保持者の体力は尋常ではない。 倉本EX、フロム大阪は脳の中の95%がサーフィンだと推測できる。今回驚いたのは推定12時間以上、毎日寝ていた。いやもっとかも。要は一日の中でサーフィン、たまにメシ、睡眠で全時間の98,25%を消費していた。 そして高地三郎D! いやぁ愉快愉快!!。ずっとモルジブのガイドと交流しあっていた。”ヒッヒッヒッ”と高笑いしながらロングライド! 平均年齢42.8歳の世間的に言ったら、けっこう良い年のオッサンズは恐ろしく元気。大学のサーフィン部の合宿だってこんなにしないだろうって位、みんな激しくサーフしていた。 そんなメンツとの人生初めてのツアーはエキサイトしたものだった。夜にモルジブのマーレー空港に到着して、そのまま空港前の港で船に乗った。(空港の真横に波止場があるのも島ばかりの国なのだと実感。) 僕たちが乗船するバーニーアドベンチャー号は相当にデカくて押し出しが効いたサイズの船だ。船首にはジャクジーまで完備されている。(結局、それは海水を入れて使うもので、どうして海から出てきて、常温の海水にわざわざ入らなくてはならないのか理解が出来なかった。) スイートルームが二部屋と船底に7部屋あり、部屋分けされた。波田はサーフィン9%の身分なので発言権なし。(当然だ)
部屋はなかなか可愛くて素敵だ。しかし昨年に出来たばかりの船・・・というキャッチコピーはウソだと直に判明した。船室は狭くても必要充分なのだ。ここで早朝に起きて朝一から、または7時半に朝食を取ってから入水。(食事がハンパなしに美味しくて、聞いたら5スターホテルのシェフを務めていたらしい。) 停泊している海の真ん中は数箇所のポイントの中心地で、テンダーという小船で母船から、希望のポイントまで数分で送ってくれて降ろしてくれる。疲れたらサーフボードを左右に振り回すとデンダー・ボートが迎えに来てくれる便利なシステムなのだ。14時頃までは海に入りっぱなし、帰ったらランチ。一休みしてまた入水。夕方は日没寸前に迎えに来てもらい、そのままシャワーを浴びてビアー・タイム、そして美味しいデイナータイムに突入。またまたそれが毎食、毎食本当に美味しいのだ。その後、グロッキーして就寝。ここはイスラム圏で酒類を自由に買えないとの情報で手荷物で持ち込もうかとトライしたが殆んどが税関で没収され生き延びたのは”これはジュースだ!文句あっか!”と逆切れしたサブちゃんと、何故かノーチェックのボク位。何とか持ち込まれた分を皆で大切に飲んだ。でも今回は普段の飲む量とは比較にならないほど少ない。酒豪的飲み方をするメンバーも沢山いたのに、完全な”サーフ合宿”状態だ。 初日はジェイル(刑務所がある島)というポイントに入った。皆はモルディブにしては相当にメローな波(ゆっくりと穏やかに割れる波)と言うが充分に早かった。波田には最初はハワイのワイメアと同じくらいに思えた。また波田はグーフィー(右足が前、逆が一般的でレギュラー)なので波的に言うと、ここの波は辛いのだ。しかし今回はそんな事、言ってられないので試練と思い練習を重ねた。(これもいつか克服しなくてはならない事なのだ。)
普段は日本で練習するにも、どこも相当に混んでいて、なかなかいい波に乗せてもらえなくて、実際には練習にならないのが現状なのに、まさにここはサーフィンの”打ちっぱなし練習場”みたいだった。どんどん様々な教則DVDで見た映像を思い出しながら試してみて出来たり、出来なかったり・・・楽しかった。そして少しずつ、上手になっていく自分を感じられて幸せだった。環境は本当に大切だ。みんな朝からヘロヘロになるまで体力を消費して、船に戻り体力を回復させながら、サーフィンDVD見ながら食事して、また出て行く・・・・・・・すごすぎる。恐ろしい軍団だよ! よーやるわ、オッサン!!って日々だ。 あっと言う間の7日間だった。天候も雨季にも関わらず、そんなに雨に降られなかった。最初にも書いたがサーフィン→メシ→サーフィン→昼寝→和み少々→サーフィン→酒、飯→爆酔 みたいな日の連続。島に上陸も一瞬した程度。すっと海の上だった為、いつも揺れているので三半規管が相当に鍛えれたと思う。間違いなく波田のサーフィン人生には、なにか良いキッカケになったし、素晴らしい経験だった。主催してくれたアキヤン&伊佐さんには本当に感謝だ。そして今回は初めてのサーフトリップで忘れ物も多数!(なんと二枚のボードのそれぞれのフィンを忘れてきた!) また下手すぎて”前のり”(一本の波に誰かが乗ったら絶対に邪魔してはいけない。)も散々して許してくれた人々にも感謝。じゃなくて謝罪します。また来年も参加させて下さい。 今後も精進します!
“Keijiro-Special” DickBrewer Surf boad
2011年9月1日、サーフボードをオーダーしようと思った。自分のスキルを上げる為にも!! そして訪れたのはディックブリューワーのMr.下重氏! 氏はレジェンドだ。 ホンモノのサーファー(じゃ、オレは偽物かって話じゃないです。)なのだ。 ボクのモノを選ぶ指針である“クラシカル”というテーマを告げて、待つ事三ヶ月半!! いまや便利な時代で、下重氏は出来る行程をフェイスブックなどで写真を投稿! 完成していくマイボードを楽しみながら三ヶ月を過ごしたのです。そしてジャーン!! そのプロフィール! ・ ・・ボードはパーフェクトだ! 問題はオレのスキルだよ!(笑) サーフィンは冬に上達し、スノーボードは夏に上達する!と言われている。深いっ!! 頑張るぜぃ! BBS-AR (ALL ROUND MODEL) テイクオフが早く、回転生も優れている。取り回しが楽なので波をキャッチしやすく、膝腰からオーバーヘッドまで幅広く楽しめるオールランドモデル. デザインは3ストリンガー+バルサ風ブラシのオシャレなカラーリングに加えノーズブロックとテールブロックで、更に重厚感がブラスされてマニアにはたまらない仕上がりになっている。見た目は重そうな感じだが、エアーブラシデザインで軽量に上がっている為ラジカルなマニューバーも可能、尚且つ安定したノーズライディングも楽しめる。 ライディングを重ねる事にサーファーを唸らせるマジックボード!
MASANORI SHIMOJU 1955年生まれ/サーフィン歴37年/シェイプ歴32年 。 1971年に鎌倉七里ガ浜でサーフィンを始め1975年にシェイプをスタート。 シェイプの神様Dick Brewer、長沼一仁に師事し、その志を継ぐ者として多くのプロやアマチュアのトップライダー達から支持を得ている。自身もハワイ、アメリカ、オーストラリア、アジアなど各地にトリップし、波に乗り、シェイパー、ライダー達と積極的に情報交換をしており、そのノウハウの蓄積は所属の公認プロ14名、トップアマチュア12名達にフィードバックされ、ユーザーのあらゆるリクエストに答えられる事になる。 現在までシェイプしたボードは20,000本を超え、その中からはJPSAのグランドチャンピオンをはじめ、NSAメンクラスのチャンピオン、世界選手選抜選手などを輩出している。自身はシェイプするボード全てがマジックボードになる様、魂を込め納得するまで妥協は許さない。
DICK BREWER ディック・ブリューワー 1936年カリフォルニア生まれ、16才でサーフィンを始める。 1958年に初めてシェイプし、1961年にBREWER SUFBOARDSをハワイでスタートさせる。そして一気にBREWERブランドは圧倒的な支持を受ける。 1962年のマカハ・インターナショナルでは大会参加者の50%がブルーワーサーブボードでエントリーしていた。 1964年に現在のベースであるカウアイ島に渡る。1965年、栄光の大会デューク・カモナハク・インビテーショナルでジェフ・ハックマンがBREWERの板に乗って優勝する。 以降ブルーワーブランドとそのシェイプは黄金時代を築いていった。 それからおよそ40年たった2005年、ワイメアで行なわれたエディ・メモリアル・コンテストにおいてBREWERに乗ったブルース・アイアンが優勝する。すでに70歳を超えるBREWERだが、今でも現時点の最強のビックウェーバー達が彼にボードを削ってもらいたいと願うのである。それらを裏付けるストーリーは壮大かつ豊富で全てを説明するには時間とスペースを要す。彼の教えを受け現在も活躍する有能な数々のシェイパー達、その時代を彩ってきたサーファー達の名前を挙げれば理解することは容易だろう。ゲーリー・リンデン、アル・メリック、ドナルド・タカヤマ、ジミー・ルイス、デビッド・ヌヒワ、ブルース・ジョーンズ、ナット・ヤング、リノ・アベリラ、ジェリー・ロペス、オウル・チャップマン、エディ・アウカウ、マーク・リチャーズ、マイケル・ホー、ブライアン・ケアラウナ、ベティア・デビット、レアード・ハミルトンetc
オブジェと化したクラシック・サーフボード
最初に謝罪・・・神田さん、すみません! “大切にしますから!”と先輩からいただいたサーフボード・・・お見事に真っ二つで下田の家に飾られています! 事故で二つになったのではなく意図的、故意です! 9、6フィート(約3メートル)もあるクラシックサーフボードは日本のHAMILTON製。 恐らく1960年代の代物。フィンを見ると当時の面影が・・・飾る都合上で神田さんには内緒でカットして飾りました。 でもかなり気に入ってます。 上半分は玄関の脇にいます! クラシックロングボードは、こうして飾り物として第二の人生を送ってます。 神田さん、見たらビックりするだろうなぁ・・・今だに言えていません。(笑)
水泳教室に入門っ!!
2012年10月 何才になっても、何かを始めると言う事は素敵な事だと思う。(自分で言うなっ!) サーフィンもチッとも上達しない。 イメトレって言うけれど、いくら上級者のサーフィンの映像なんて見てたって落ち込む一方・・・とにかく陸で出来るトレーニングは~~水泳なんでしょうか! 何人かの友達は実践しているし、どう考えてもジョギングしているよりは、ずっと良い気もする。(事実、オーストラリアの水泳の金メダリストのイアンソープは最初からサーフィンが抜群に出来たと・・・それは持ち前の運動神経かぁ!?) とにかく肉体改善、パド筋育成(パドルをする時に使う筋肉)風邪も引きにくくなる気がするし、とにかく良い事尽くめだ。 しかしやる前から一生懸命に理論武装で固めて理由付けをしているなんて情けない。とにかく頑張る! と言う事で初日を迎えた。完全に出来上がっている雰囲気の中に混ざる雰囲気。しかし皆さん、本当にフレンドリーで上品そうな年齢で言うならば明らかにシルバーだ。女性率が97%、男性はすでにリタイヤした人々。そんなの想定内だ。平日の朝に習い事をする人間なんて普通の社会人ではなかなかいない。 ここのスポーツクラブは近所でも有名。施設は古いがインストラクターは厳しいが教えるのが上手だと! 上等だぁ!! 確かに施設は古い。本当に古い! 初日からインストラクターが厳しい課題を出すのだ。スケジュール表には明らかに初心者向けのコースとあるのに、いきなりクロールからバタフライ、そして背泳ぎだぞ。 心底、辛かったけどこれに耐えたらナントカなる気がする。ナントカってなんなんだ!? オレは何を目指しているのか。 それは1000メートルを泳ぐ。クロールで一時間泳ぐ! 以上が当面の目標です。バタフライなんて考えた事無かったけど、出来たらカッコいいかも!!(笑) 一時間のトレーニングはかなりキツいときもあるけれど、それも全て目標達成の為の事。頑張りますっ!!!
楽しい!悔しい!空しい!“モルジブサーフ合宿!”
7月1日より常夏のモルジブに出かけた。行きの機内では南国に向 かう新婚さんやダイバーで気持ちはかなりハッピー感が漂っていたが、一人いまひとつ浮かない男がいた・・・オレ。 機内ではずっと“なんでこんな旅、約束してしまったんだぁ・・・”とかなり後悔の念が飛んでいた! モルジブはダイバーの聖地であり、サーファーのパラダイスでもある。ただしそれはそれなりのスキルがあるエキスパートにとってはなのだ・・・・
数日前に旅行社から送られたツアーの日程表を改めて見て、ため息が出た・・・初日の日本からの移動日、最終の日の移動と夜に出て朝に東京に到着するフライトスケジュールの間の日程の6日間・・・ 何も無い。普通の旅ならば、何日目には◯◯観光とかセミナー、自由行動とか書いてあるのに何も無い。
このツアーはボートサーフと言う名の体育会系、いや“系”ではない。体育会のサーフツアーなのだ。毎日、起床→サーフィン→朝食 →サーフィン→昼寝→ランチ→ごろごろ→サーフィン→バカ話→サーフィン→ビール飲んでアホ話→夕飯→9時には倒れる→これが永遠に続く!!こんなツアーなのだ。モルジブは大小数百、いや数千・・・忘れたが多くの島で出来たインド洋にある島国なのだ。空港も当然に島で空港横には港があり、到着後にそのまま船に乗り込 み、よほどのリクエストがなければ永遠に上記のパターン!(笑) 永遠だ!!
船はなかなか快適だが、参加者、特に主催者が戦闘モード丸出しなので憩いの時間というのはあまり無い! ・・・ならばどうして参加したの。大人の自己責任でしょと思うのだが・・・オレも自分のサーフィンスキルを何とかしたいと思い、半年先のこのツアーを申し込めば、少しは準備に気合いが入るかなと考えたのが甘かっ た・・・仕事にかこつけてサボったんです。季節は冬をまたいだので気持ちがノラないというのもあったのは事実!!そんな言い訳言ってどうするの!! とにかく最初の二日間は本当に辛かった。 支払った代償は大きかった。身も心もキズだらけ!(笑) 三日目に少しだけ勘を取り戻し・・・でもダメ。サーフィンは本当に厳しいスポーツで、これほど素人に厳しいスポーツが他にあるのだろう か。ジェリーロペスはあんなに神の様な存在なのに、こんな勝ち負けの世界で勝ち上がったのか・・・(波の取り合いという壮絶な戦いが毎回あるのがサーフィンです。恐いんだから・・オレ下手だからねぇ。)
言い訳を言うならば、今回はグーフィー(右足前)の人には不利な波の場所(ライトと呼ばれる右から左に割れる波。)ばかりで、波田には辛いリハビリだった。一年間の出場停止をくらっていた選手がいきなり試合のど真ん中に投げ出されたような過酷な状況。サイズは時にはダブル近く(背丈の二倍)波質はグリングリンでチュービーな波。(マニアにはたまらない波!)まぁそれをいきなりバックサイドっていうのもねぇ・・・なんて言い訳してるけど全ては自分の撒いた種ですから。
後半は1ラウンドに2~3本は乗れて、一本でも乗れると嬉しく なっちゃうのが困ったもん・・・そして飲んだ勢いもあり、来年のツアーに参加の約束をしてしまいました。今度こそ・・・・・バカヤローやってやる!!(このバカヤローは社会やサーフィンにでなくて自分自身へのバカヤローです。)
早々に陸トレ・グッズを購入して準備に入りました。今年は違いま す!!(笑)
堀クン!散々、気を遣ってくれてありがとう!!倉元氏、服部氏感謝です。
あと、今回は伊豆からミネ(山中ミネ&ヨッシー)が新婚旅行で参加。 グループの茜チャンと下ちゃん二人が本当に楽しませてくれた。
今回、乗船したボートはスティングレイ号(110フィート、9 ベッドルーム、各部屋にトイレ、シャワー、温水、エアコン完備、 シェフも乗船していて三度の食事は完璧!
モルジブのサーフポイントは全てリーフブレイク(下は珊瑚礁)カレント(流れ)が早い。有名なのはチキンズ(レフト)、コーク(ライト)、ロヒズ(レフト)。 ニンジャ(ライト)、パスタポイント (レフト)、サルタンズ(ライト)、ホンキーズ(レフト)、 ジェイルブレイク(レフト)、フルムーン(ライト)など
夏のある日の出来事!
2008年8月9日(土曜日) 下田オキラクハウスにいると前の晩に、どんなに飲んでも5時には起床する。波チエックをして、そのまま10分後には海に入っているなんて日常だ。そして7時半頃に戻って朝食の支度をするなんてのが下田の日常だ。昨日から大和田剛エグが泊まっていて、彼もデッキで波チエックをしていた。本日はノーウェイブ!!(サーフィンは成り立たず!)ということで二人でガレージに置いてあるカヤックを出して海に運んで近所の海岸へ海上散策を決め込んだ。なかなかヨロシイ旅なのだ。陸から見る海も好きだけど、海上から見る海、山は本当に雄大だ。またカヤックで廻ると”人跡未踏の地”みたいな場所が沢山見えてアドベンチャー感はたまらない!そんな自然からのエネルギーをたくさん吸収出来て素晴らしい朝だった。
最近は”ナカジー式デトックス”が流行して、みんな美しくなるのは素晴らしい事だ。しかしオキラクハウスには発育盛りの少年少女も沢山くるので、朝食抜きはどうかと思い、非常に軽く作っている。波田は化学調味料には頼らず、味噌汁はイリコ(小魚)、昆布、鰹節などからキッチリ取るし、下田には美味しい無農薬の新鮮な安全野菜が手に入るので夏の滞在期間には”ぬかみそ”も育てていて毎日、美味しい漬け物も食べられる。・・・・・・・全員、それを見ると”朝ご飯食べる人”に変身しているのだ。そして宿泊者約十数人で食べる朝食は楽しい。オキラクハウスは1チーム4人までで3チーム位が同時に滞在する。ということは最初は借りて来た猫みたいに上品にしている人々がだんだん二日目には仲良しになって三日目に頂点となり解散・・・・・・そんな二泊三日が3週間続くのだ。 さて、本日は一週間ぶりの東京だ。本社オーディトリアムで塚原EX-DIAご夫妻のラリーのゲストに選んでいただいたのだ。ということで9時発の特急”踊り子号”に乗って出勤だ。東京までの道のりの二時間半はとても好きな時間だ。まずこの時間のグリーン車には人はほとんど乗っていない。今日もボク一人。イスを回転させて大の字になって寝たり、歌ったり(マジ)、パソコンいじったり、本を読んだり、iPod聞いたり、ご機嫌な景色を眺めたり、またうたた寝したり、絵を描いたり、バナナ食べたり、スケジュールを調整したり、メールでアポ取りもして、ブログも更新して・・・・・・到着。東京に入って電車で移動すると本当にビックリなのが『皆、どーしたの!?!?』と言う程に顔にスマイルが無い。まぁニタニタしながら山手線に乗るヤツなんていないのか、久しぶりに見る東京は観光客目線で楽しい。 塚原さんのラリーは主婦率98%だった。オーディトリアムは約700人の席は満席。1400個の人妻目線!! 緊張もするが心地の良い時間だった。終始、頭の中を走った疑問は”なぜここにオレが!”という事だった。話す程に、こんな話を誰が聞いて喜ぶのか・・・・と自問してしまう。でも、楽しい時間だった。 終了後は本来、アフターがあってお食事会が企画されていたようなのだが、申し訳ないが遠慮させていただいた。なぜならば16時10分の品川発の伊豆の踊り子号に乗らないと夕飯に間に合わないのだ。(夏場はオキラクハウス生活が中心なんですね。)ということで17時58分に下田駅に帰って来た。みんなに”父さん!お帰りなさい!”と歓迎されて皆で夕飯。(半分の料理は朝、仕込んで行きました。)今日は働いた!!そんな日のビールは本当に美味しい。仕事は楽しもう! 些細な事を楽しもう! なんでもかんでも楽しませてもらうとか思わないで、自分で楽しみを見つけよう。すると人生はたちまちに楽しくなる。また明日から5時起きの生活が始まる。 (サーフィン的には毎日、朝晩がヨロシイのです。)