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堀正樹の夢は永遠に!!

2013年8月7日 今日は昼過ぎの電車で下田から東京経由で新潟に向かった。今回は新潟の友人・堀正樹のミーティングのゲストでお出かけ。かつてこの堀正樹という男の事をこの日記で書いたかもしれないけれど改めて、その破天荒ぶりを再度、書きたい。奴はそんな何度でもネタになる人生を送っている。 堀は本業はAMビジネスを構築、それにより充分すぎる年収を確保している。それとは別に20軒の飲食店を経営している。その店は同じ様な形態のモノは一軒もなく、全て違う店だ。古民家を改造したカフェ、ベトナム料理、ピザ屋、立ち飲みスペインバール、干物居酒屋、パーティーの出来るレストランバー・・・すごい!どれもこれも本当にスゴイんですよ。何軒も行ってみたけどとにかく考えられている。そして、その全ての店にヤル気満々の店長がいて全てを仕切っているので堀自身が一般の社長みたいに細かいことで思い悩むなんて事は無さそうだ。彼は一年の半分、というか毎月一回は海外でサーフィン三昧で過ごしている。と言う事は細かいことなんて気が廻る訳が無いのだ。そして、それらの店が存続していると言う事は当然に儲かっているのだ。(儲かっていない店は存続しないでしょ。)ミーテイングを開催してくれた場所も奴のレストラン。休日を利用して150人近くも入り、1000万円もかけたオーディオは音響効果抜群でミーティングがし易いんです。(高級な音響だと話がし易いと初めて知りました。) そして彼が今回、ドカーンと開いたのがビーチハウスだ。普通の表現をするならば海の家。メチャメチャな好立地のビーチの、一番角の一等地にその場所はある。目の前は日本海の大海原。遠くには佐渡島も見渡せる。そして西向きのこの場所は夕日が日本一美しく見える場所として有名なのだ。元々の建物は普通の(さえない)ボロいナンでも無い海の家で、それを買い取って一階はカフェとサーフショップ、二階がゲストルーム(たぶん10数人が泊まれそう。)と自分のプライベートな部屋、ミーティングルームなどに作り替えた。そして、その殆どを一年がかりで作り上げたというから驚き。二階のバルコニーにはジャグジーまで併設されている凝りよう。仲間と300人位でパーティーして盛り上がり、夕焼けを見て、酒飲んで花火を見て、バーベキューして、ジャグジー(よく考えたら混浴ですよ!)して酒飲んで~~~カッコ良い!! これぞ新しいお金持ちのスタイルでしょ。豪邸建てても友達なんかまるでいない人間はゴマンといるけどフレンドリッチ、タイムリッチで初めて出来る話ですよ。 堀の夢の実現化はまだまだ続くであろう。奴が好奇心を抱き続けるかぎりは!素晴らしき夢の実現パワーに敬服します。

60歳~~還暦かぁ・・・楽しみっ!

7月7日(火)今日は七夕(たなばた)である。七夕は例の短冊(たんざく)に願い事を書いて笹に吊るすと願い事が叶う日として幼稚園から小学生までは真剣に願い事を書いた記憶がある。 そして今日は満月。バリ島に行くならば満月の日に限る!という程に月の満ち引きで生きている人々は沢山いる。バリでは満月の日には祭りが行われ、人々は祈り、そして海の中の生物など活発化して満月の日には明らかに普段と異なる状況になる。満月と七夕は19年に一度は重なる行事らしい。ところがそこに皆既日食で月がハイパワー!とにかく2009年7月7日はただならぬ一日なのだ。  その日に還暦60歳をむかえたのが有馬七重CAなのだ。今日は港区汐留のある会場でパーティーが開催された。数百人の有馬CAグループの人々が集結。東京タワーや東京の素晴らしい夜景を見下ろす素敵な会場だった。パーティーは非常に和やかに、楽しい時間になった。波田も久しぶりな沢山の人々にお会い出来て本当にウレシかった。 七重さんは若かりし頃、六本木、青山、赤坂界隈で相当にブイブイ言わせていたのだ。そりゃ、60歳にしてこの美貌!というか初めてお会いした30代もすでに抜群に素敵だったが、年齢を増すごとにどんどん女力が増している気がする。そしてそんな七重さんが赤いドレスで登場したときは歓声があがったのは当然。さすが元・モデルの歩き方が板に付きすぎている。七重さんはそれでいて、お高くなく、逆に庶民的な空気だから回りからの絶大な人気モノでいるのだろうなぁ!七重さんを見ていると、女の美しさは内面から出てくるモノだと痛感する。オレもいつかは(というか確実に9年以内)に還暦だ。どんな還暦を迎えられるかは日々の精進にて決まるのであろう。  素敵に生きよう!! 七重さん”ハッピーバースデー”いつまでも可愛く美しい素敵な七重さんでいてください。 今年の七夕は満月でした。満月には七夕同様に願い事を叶えるパワーがあります。これは19年に一度の事。そして2009年7月は月のパワーが爆発的に増大する皆既日食が起こります。日食は月が太陽の前を通過する為に起こりますが、この7月は月が太陽のパワーを充分に吸収しているのです。

おかげさまで50歳! ありがとう!

波田ケージローは、おかげさまで50歳を無事に迎えました。みなさん本当に、ありがとうございます。50歳になるためには特に何の努力もない・・・年月、月日という時間の経過が解決してくれる。でも”充実した・・”となると話は別でしょ。これは完全なる自己申告性の世界で、ジャッジするのは自分自身ですよね。ボクは本当に充実した素晴らしい日々の連続でこの50歳となる事が出来たのが嬉しい。 先日のラリーでゲストスピーカーで登場していた堀正樹ダブルの秘書の林美樹さんが、堀氏との仕事中のエピソードでこんな会話があったと言っていた。 『堀さん、この書類どうしましょう!?』『オレの人生にバックミラーは無い!捨ててくれ!』・・・だって!あまりにカッコいいではないですか!(笑!) 中島薫DCAは言っていた。『過去は生ゴミ!』・・・・とは言え、なんとなく過去をじっくり思い出した50歳の誕生日だ。だって50歳は半世紀とか呼び名がゴージャスじゃないの!あまり過去を懐かしむ方ではないけど今年ばかりは考えた! そして、それが一つの”出版”という形になったのだ。 40歳の時に”人生の折り返し地点”なんて考えたけど、最近ではまだ折り返しにも到達していないとも考えている図太さに発展している。という程に50歳を勘違いしていた自分がいたのだ。そんな発想の転換が入ったのが先日、佐藤富雄ドクターの”口癖の法則セミナー”に参加した時だった。(参加費は二日間で5万円!超満杯で大盛況!)一番、強烈だったのは”老化は思い込みが全て!脳は決して老化はしないし、それは科学的に実証されている事実!”という話だ。そういえば40代は本当に健康には気を使った。(決して神経質というレベルではない。適度な運動、安全な食事、なるべく過度ではない飲酒(まわりくどい文章で失礼します。)、そしてストレスはためない。)結論から言えば自分に当てはめると30代より明らかに40代が健康だったし、元気でヤルキがある!・・・という事は50代はもっと様々な挑戦ができるのかもしれない!(心配しないでね。美学的にシャシャリ出て若ぶったオッサンなんかにはなるつもりはないから!)と何だか”老化”を勘違いしたオレがいたのだ。ということで危うく老化路線を走りそうになっていたが、方向転換して限りなく輝かしい未来に向かって走ることに決めたのだ!そう、オレは”決???めたぁ!”なのだ。  さぁ、オレの人生、これからどう生きようか!!① 世界80カ国訪問は制覇!(現在49カ国、 東欧、旧・東側諸国 離れ小島、極地、世界遺産などは制覇したい! 後半は一年の1/4は海外旅行をして様々な経験や様々なモノを見たい! ② 沖縄のカフェGreenGreenを沖縄で一番のお店にする。そうしたら”スモールラグジュアリー民宿”をやりたいなぁ。(ホテルと言わないのが謙虚さです!) そして民宿のオヤジをします。 ③ 心から愛せる古い車が一台欲しい。中途半端ではないコンディションのね。ポルシェ356、メルセデス280SL、フェラーリ275、ジャガーEダイプあたりかなぁ・・・飾ってないで乗ります! ④ 肉体的、健康的には今の状態をキープ!(体重も体脂肪も)これ簡単じゃないよ!でもやるよ! ⑤ まじめに農業を実践してやってみます。理由は達成感と充実感を感じられる野菜で、自分で料理して美味しかったら、こんな幸せはないでしょ! ⑥ ニッポン人が元気になる何かをしたい! ⑦ 東京の、どこか大きな公園(砧、駒沢、代々木・・・)近くの小振りな古いビルを全面改装をしてトウキョウ・アジトを作る。⑧ 和服を着こなす! ⑨ もう一冊、本を出そう! ⑩ 世の人の為に何かをアクション!何かを恩返し。⑪ キャンピングカーで日本中の秘境を訪問。 ⑫ 下田オキラクハウスは完全なる南国庭園に発展!育てます! ⑬     沖縄の宜野湾マリーナに32フィートのセイリングクルーザー!そこで沖縄生活します。まるでマイアミバイスみたいにね! ⑭ AMビジネスはファウンダーズダブルダイヤ(レッグで完成)が近い目標。そしてこだわったスタイルでCA達成。 他にも様々ある。そして生きていくうちに、新しい出会いや体験をしていくうちに様々なやりたい事が出てくるであろう。そんな時に自分の好奇心を抑える事無く、何でも実行出来る自分でいたいと思う。 だんだんと余分なモノが増えるのではなく、だんだんと不必要なものが削ぎ落とされて行くような人生がいいなぁ。間違いないこの世の”絶対”とは・・・いつかは”死”である。その日までオレはしっかり生きよう! そんな10年を過ごしますよ!   小笠原伯爵邸で行われたバースデーパーティー”KEIJIRO50″は最高でした。企画をしてくれた渡辺正人氏と藤田直之氏には本当に感謝。その他スタッフをしてくれた皆さんありがとうございました。次回は”KEIJIRO60″でお会いしましょう!

そうだ!!本だぁ!本を出そう!!

2月10日 波田にも夢がある。数ある夢の中で、生涯の間に本の一冊も出したいと言う夢がある。 総理大臣になりたいとかアメリカ人になりたい、鳥のように空を飛びたい・・・なんて夢よりはずっと現実的だと思う。ただ波田が書いた本を誰が読むのか・・・・読者あっての本だからなぁ。確かにホームページのアクセス数は激しく週末には1万を越す。ただし、波田の見解ではホームページ閲覧はタダだからなのであって、お金を払って本を買う人間がこの世にいるのか・・・・あまり自信ないなぁ! そしてだなぁ、波田には・・・小説、随筆、エッセイ、自伝 (笑)、ビジネス書(オレの書いたビジネス書なんて読みたくないでしょ!!)なんて書く自信もまるでない。 何でも人の書いた本を読んで文句を言うのは簡単だけどイザ、書いてみろと言われたって無理な話。 文才がある、ストーリーを描ける人ってスゴイとおもう。 先日も、とても面白い恋愛小説(相当に官能的だった)を書く若い小説家に会って、色々と話が聞けたのだけれど、おそろしく若くて美人だが、どこにそんな奥深い描写の恋愛小説を書く才能が潜んでいるかは、感じ切れなかった。(波田の中のイメージは、どちらかというと恋愛なんて無縁っぽく、その願望から様々な妄想に発展して文章を書けるのかなぁと思っていた。) 先日、進藤由美子さんが言っていたけど、現在は過去最高に”人がモノを書いている時代”なんですって。 正確には書いているではなく打っている(パソコンなり携帯を)時代なんしょう。 なるほどねぇ・・・ブログ人口は1千万人に達し、国民の10人に一人は書いているらしい。考えてみたら、波田だって10人のうちの一人なのだよ!  今回の出版という話はチラホラあったが酒の席での話しで、リーダーシップを取って積極的に行動してくれる人は、登場しなかった。 波田は50歳を前にして、何かの形を残したいと思っていたので、話もタイミング良く “ホームページを本にする!”ということで話は進み始めた。 進行役を務めるエミは山崎拓巳氏のDVDなども手がける映像関係の女性。 今回は拓巳FCAも助言をしてくれて、だんだんとイメージは出来上がってきた。(タクは本当に様々な角度から物事を研究していてスゴイと思う!) 中身的に言うと、”今までのホームページの集大成”(食のページ、日記、モノケージロー、旅行記)をダイジェストして作るのだが、まず過去8年間の作品をプリントアウトしてもらったら、軽い電話帳位あって衝撃!! 知らない間にこんなに書いてあったんだナァ!!量だけはすごい。  ここから選び出すのも簡単ではないかもしれないけれど、楽しい作業だ。 少し過去のモノを読んだら、結構、可笑しく思えたのは自画自賛!? 食のページは、今までに書いた全ての店で楽しく食事が出来た、懐かしさも入っている。 今までに紹介した店舗数は180軒! 今でも友達に美味い店情報を聞かれたら、波田脳内の検索エンジンをフル回転して、そこから紹介をしている。 monoケージローは様々な愛用品(世間的に言えばジャンクなんだろう。)を波田なりの解釈で購入や出会いの経緯を書いてきた。(このページに相当のファンがいる。)元来、モノが好きだが、愛用品を改めて書いてみると、そのモノへの愛情が改めて再認識できる。 日記と旅行記は読んでのお楽しみ・・・・・ということで完成は6月中旬です! 何かステキなアイデアがあったらアドバイスくださいな!こんな編集の仕方をして欲しいとか・・・どんどんと取り入れます。オキラクハウスの改装過程なども入れようか・・・・沖縄のカフェの紹介とか・・・  今日もガンガン食べ続け、笑いまくる日々を送るのは、このホームページの為なのかもしれないなぁ・・・・・・・・   ヨロシク! 本当にヨロシク!!!

沖縄の夢・・・・・

11月15日 以前にも書いた事があるが、沖縄に少々大きめな買い物をした。その物件の現物を見たら一切の迷いは飛んだ。 まさに脳天逆落とし(これ大昔のプロレスワザです。)をくらう衝撃だった。 物価的には沖縄は本土と比較して、やはり安く、その中でもその物件は波田の目には充分すぎるくらい安かった。・・・・・買わない理由なんて無かった。当初はグループのオフィスとしての目的と、月に一度、沖縄に行くときの宿泊場所にどうかとか探していた米軍ハウスだったが・・・・・・こんな素敵な場所にカフェでもやったら本当に素晴らしい店になるであろうことは想像が出来た。

沖縄の夢・・・・・

そして、この物件を興奮しながら探してくれて、紹介してくれた岩渕夫妻がカフェを経営したいと言う事で話はトントン拍子で決まった。(買いたいと申し出たときは不動産屋さんには二件の先約があったらしいが、勝利するのは見えていた。根拠の無い自信だが・・・) ということで初夏にゲットしたのに、肝心なカフェは、いまだに開店には至っていない。 その間に、ひたすら、どのような店を始めるかを考えつくしているのだ。 人の店を、散々に批評をするのは簡単だけど自分で店を作るのは本当に考えちゃうナァ・・・・・結局、東京に住んでいる僕には日々の運営をするということは不可能なので、なんと言ってもパートナーが無くしてこの話は成り立たないのだが、人にも本当に恵まれた。 “引き寄せの法則”で本当に素晴らしいスタッフが集まってきた。 求人広告などしていないのに、人が人を引き付けて、パティシエ、料理担当、ウエッブも制作できてセンス抜群、サービスのプロ・・・・とにかく素晴らしい人が集まってきた。その”長”である岩渕哲哉&慶子はシロウトだが、そんなことは関係ない。人柄とヤル気だけが必要な世界だと思う。 そして6ヶ月が過ぎようとしている。近所の水道工事の関係(なにせ沖縄の行政がスゴい。9月から開始する予定の家の前の下水道工事が着工したのが12月・・・・一事が万事!)とかもあって延びている。しかし、決して焦っていないのだ。(普通、家賃とかが発生したら死ぬ気になってやるんだろうに・・・)

沖縄の夢・・・・・

最近、ようやく改装業者の選定も終わり工事に取り掛かり、家具も米軍払い下げの素敵なモノを集め、だんだん店らしくなってきた。 店の器(はこ)が、いくらかっこ良くったって、味が不味い、サービスが悪いなんて話にならない。当たり前の事だが、このことも散々のミーティングを重ねて話し合った。要は今までに自分が受けてきたサービスで何が良くて、何が良くなかったかをジックリと考えて整理した。・・・・・1月の某日、試験的開店を機にヒトツの夢がスタートする。完成したスタイルになるのは1年後だろう。いやもっと先かナァ・・・・まだまだ、やるべき事は山盛りあるが、ひとつづつ片付けて、目指すは”お客様とスタッフが最高に幸せになれる店”だ。  必ず沖縄に行ったら”グリーングリーン”だねっ!! と言われる店を作ろうと思う。まだスタートもしていないけど、間違いなく成功するだろうなぁ。何故ならば最高な店になるまで続けるからだ。そんな店は必ず、皆をハッピーにしてくれるからだ。新しい目標と夢が出来て、また人生の楽しみが出来た。  《また改めて紹介をさせてください。店名はCafe GREEN GREEN です。》

10月10日は”悲願達成の日”

10月8日(祭日・体育の日) 体育の日といえば、昔は10月10日だった。いまだに毎年思い出す小学校時代の思い出がある。 小学校3年生の頃だ。とにかく自転車が欲しくて欲しくて仕方が無かった。当時は今では信じられないようなフラッシャー付き自転車が世間の子供の憧れであったが、そんなチャラチャラしたモノでなくて、硬派なブリジストンの自転車が欲しかった。(本当は相当にオタク化していてオーダーメイドのトーエイ号とかアルプス号が欲しかったが、値段が天文学的数字で母親にねだれる限界を超えていたのでブリジストンが要求範囲内と思っていた。)しかし望めど、望めど買ってはもらえない。母親も”通信簿で算数で4を取ったらご褒美に買ってあげる!”(五段階評価だった。)とは言うものの、算数は2から頑張って3が精一杯。母親は何かのキッカケと思い、ゆるい目標を定めたが・・・・・少年・波田ケージローには厳しいハードルであった。それが、何かの間違いか、偶然かぁ、たまたま隣の佐知子ちゃんの答案が見えてしまったのか(?!)、悲願の”4”を取れてしまい、自転車を買ってもらえたのが、小学4年生の10月10日だったのだ。波田はそれ以来、10月10日は”悲願の達成の記念日 “となっている。 母親と世田谷区奥沢の早川自転車店に自転車を買いに行った日を忘れない。あのピッカピカな白いブリジストン号が手に入った日は、泣きそうなくらい感激だった。たしか2万7千円だった。さっそくそのまま乗って帰り、家の周りをひたすらグルグル走り、止まってはスタンドをかけて眺め、また乗り回しては眺めて、そしてピッカピカに磨き上げた。それ以来、週末は自転車に乗っては磨き、乗っては磨きが日常になっていた。その日から、このブリジストンをいかに改造してカッコよくするかで頭の中はイッパイだった。考えたら、初めての自分が所有したオトナと同じモノだったのだなぁ。・・・・・・・モノが今ほどに無かった時代だったからか、今はそんな自分の”物欲”が懐かしいと思う。・・・・・・・・・・・数日前に納車された新車(普段のアシと冬対策で買ったボルボの四駆・XC90)で中央高速を長野県松本市に向かっている。10月10日の少年時代の思い出を懐かしく思い出しながら・・・・・もう、少年時代みたいな感動は感じないのかナァ・・・・なんて淋しい思いをチョっと感じてしまった。欲しくて買った車だがブリジストン号の興奮は無い。こんなにモノが余っている時代だけど、時代のせいにしてはいけない。物欲~我慢~物欲~興奮~物欲~爆発~物欲~勤労意欲~物欲~目標達成~~なんて段階を楽しんで買い物がしたいナァ。 今日は10月10日”悲願達成の日”

O氏との時間は刺激的!。やっぱり大事なのは”夢”だなぁ。

10月6日(月曜日)曇り一時雨。朝一で沼津から東京に戻った。そして一時間のエアロバイクとストレッチをしてから入浴をして12時過ぎにミスターO氏と久々に会う事になって出かけた。O氏はAMが大好きな某超有名外資系証券会社で最年少重役まで上り詰めたエリートなのだがそんな空気は感じさせない。むかしは肩書きに相応しい体格だったが退社して20キロの減量。というか会社辞めたらストレスが無くなって痩せたのだそうだ。現在は現場を離れて名刺を5枚位持って自分のビジネスの管理をしているが社会経済情勢を読み取る分析力は凄く、会っていると勉強になりまくるのだ。(会社に在職中からサイドビジネスを半公認でしまくっていた。)やはり成功者は違う。広尾の自宅ビルまで迎えに行った。恵比寿の筑紫楼でフカヒレ蟹肉麺を食う。(これ相当にウマイ!)話題は世間話。そんな話しの中から、やはり成功している人間は一枚も二枚も上手だと痛感した。18ヶ所の不動産とキャッシュフローたんまり。自宅の広尾以外はローンは無し。(そのローンは保険代わり)そしてヘイマン諸島にダミー税金対策会社を持ち、河口湖に別荘・・・とにかく別格に成功している。フィリピンのミネラルウオーターの会社は200人の従業員を使い、従って一家5人計算で1000人をい食わせていると言っていた。そしてフィリピンに今、豪邸を建設中らしい。そんなにスゴイならもっと自慢してくれ!!。しかし謙虚で聞き出さないと話さない。昔、飲むたびに資産五億と年収一億円が目標とハッキリ数値的目標を上げていたのが印象に残っている。恵比寿のカフェでお茶を飲んで解散した。午後はオフィスにに戻って雑務をこなす。その後、近所に最近オープンしたニコタマの玉川高島屋に買い物に行った。とにかくブランド店がすべてあってビバリーヒルズかニユーヨーク五番街かという感じだ。しかしこんなブランド店が近所にあったってナンの役にも立たない。その後は目黒のオフィスに向った。今日は尾崎大が全デモをして僕がマーケという新パターンでミーティング。盛況だった。パーソナルの沖縄から引っ越してきたの本村麻美ちゃんが来た。白石喜一郎の友人はまたまたドタキャン。ひた向きに頑張るターサンが先日ハンマープライスで購入した(※―1)服装があまりに似合って驚いた。”ヒトは見たくれ”とは良く言ったもんだ。皆で4階のオフィスのラウンジでアフターをした。ニュージーのタケ(※―2)のフロントの斉藤君が来ていてみんなイイカンジだ。夢があってニュージーランドの永住を真剣に考えている奴らなので話しが早いし現実を理解している。次回の約束をして解散。深夜の目黒通りのお約束で自由ヶ丘にある深夜営業の本屋で立読みしまくって帰宅した。結構、1日の仕事を終えた後の立読みが好きだ。
(※―1)ハンマープライス 半年に一度、スタイリッシュな渡辺正人氏と一般人波田が着なくなった服をセリ形式で販売する企画。悲しい程に安価で流通するのだ。平均95%オフで流通。
(※―2)タケはスノボーのインストラクターで北海道で知りあった。相当におかしな奴なのだが夢があった。ニュージーランドに永住するのだ。そしてその夢は叶おうとしている。そしてやっとAMの可能性に気が付いてニュージーでがんばっている。