今年も恒例の変態ツアー。別に変態ヤローが集うツアーではなくて、人が決して行きたがらない場所を好んで回るというツアー。 オレ自身としては4月に中米五カ国を回って一週間後に、この旅に参加! ロシアでお仕事が少々あるが総体的には物見遊山かもね。
毎度ながら、そこに行く理由・・・行った事が無いから!(笑)
《一日目/5月8日 成田からモスクワへ》
アエロフロート(SU261)にて一路、モスクワへ。以前アエロフロート(ソ連航空)に乗ったのは33年前のヨーロッパ貧乏バックパッカー時代の事。やたらに機材がボロかった記憶しかない。当時はまだ東西冷戦の壁もある時代。モスクワの空港は軍用空港みたいで戦車が止まっていて機関銃を所持した兵士がそこら中にいた。
今回の旅は飛行機の乗り換え自体が少ないので気が楽。(やはり乗り換えが多いと荷物の心配が増えるんです。)モスクワとの時差は5時間(夏時間)なので夕方に到着。北極圏に近いロシアはこの季節は白夜と呼ばれる時期に近づいているので昼時間がやたらに長くなる。タクシーでホテルまで、いきなりタクシードライバーの先制パンチを頂戴した。アムウェイ社の配慮で空港まで迎えのクルマが用意されていたが、そのタクシー(アウディーA7)のドライバーは何を勘違いしているのか映画トランスポーター(カーチェイスとアクションが連続の人気映画、主人公はアウディー、悪役はメルセデスと決まっている)を見過ぎたのか、5車線の一般道で全車線をフルに活用して追い越し、蛇行運転、終いには最高速190キロを確認した。アウディーは高性能をフルに発揮されている。とにかくホテルに着いた時には安堵感でいっぱい。生きている事に感謝した。
ホテルはなかなかご機嫌な作り。アンドリューとも合流出来てディナーを! 当然にロシア料理とおもいきや、近所にレストランは一軒しかなくて選択の余地無し。外は地味でも中に入るとやたらにデカイ店で男性客は男性客同志、女性は女性だけで来ている確立97%。これまた好奇心の湧く所です。料理はロシア語のメニューを解読出来るはずもなくて近所のお客さんの食べているモノの美味しそうな物を指差して注文。今夜は肉に始まり肉に終わるというディナー。大皿にドンドンとバーベキューされたマトン(彼らはシープと呼んだ。)チキン、ポークがガンガンと盛りつけられダイナミックです。それをロシア人っぽいと勝手に判断してウオッカで食ったら時差ぼけな上に頭がグラグラ(笑)死ぬ思いで100メートル近のホテルまで帰って就寝。
《二日目/5月9日 モスクワからサンクトペテルブルグへ》
午前中に国内線にて移動。昨日みたいなタクシードライバーでは無くて安心。フライトは、わずか一時間でサンクトペテルブルグに到着。カナミちゃんのロシアのお友達でアーティストのMisia親子が迎えにきてくれていてスムーズにHotelノボテルへ。そこでロシア?アムウェイの事実上のドンであるデイビット?メルカッツ氏とマーシャと会いロシア?アムウェイの様々な話を聞いた。デイビッドの両親はドイツアムウェイを35年前にスタートさせて世界でも有数の巨大なグループを作ったFCA。その上、デイビッドはロシア?AMの開業の二年前からロシア語を勉強しながら起業して友人関係からネットワークを作った強者。彼無しにはロシアのアムウェイは語れない真の立役者なんです。その後、デイビッドは我々をクルージングに連れて行ってくれて街を案内。確かに水路がイタリアのベニスの様に発達した場所だし、全ての建築物は水路に向かって建っているので水の上からの眺めは最高だった。現在、ロシアは日本のゴールデンウイークに相当する連休状態なのでお店は閉まり気味。今日は“戦勝記念日”という事でパレードが開催されていて大通りで観賞。なかなか珍しい光景でオモシロかった。ただ日本みたいに全てがキッチリしていなくてどうみても一般者がパレードに参加していたりとアバウト感が楽しい。夕飯もデイビッドが招待してくれて、そのうえ運転までしてくれて川沿いの景色の素晴らしいイタリアンに連れて行ってくれた。そこで様々な話を聞けて勉強になりました。
ホテルに遅くに帰ってチェックイン!巨大なホテルに驚いた。かつて泊まったどこよりも長い廊下でビックリ。イメージ的には30年前のモダンなホテルのスイートって感じ。そのスイートに四人泊まってます。
《三日目/5月10日、@サンクトペテルブルグ》
朝からエルミタージュ美術館に向かった。珍しく雨だった。ロシア人はサービス精神なんて何も無くてちょっと困りもん。結局、裏技を駆使して最短で入る事が出来た。エルミタージュ美術館はなんと言っても世界四大美術館の1つ(メトロポリタン、大英、ルーブル、そしてエルミタージュ)展示物の量も質もハンパ無い。ピカソ、マチス、ゴーギャン、ユトリロ、セザンヌ、モネ、レンブラント・・・東京だったら一作品で一部屋で展示するであろうモノをギュウ詰め状態で展示。美術館の箱自体も驚異的な豪華絢爛な作りでビックリ。なんだか素晴らしく目の保養になった午前中でした。スパース・ナ・クラビィー教会(血の上の救世主教会)はもう圧倒、どうしていちいち何もかもドデかくて荘厳なんでしょう! モザイクの作品としては世界最大。個人的には壁画より管理が楽チンだなぁなんて思ったりして。 そしてイサク大聖堂の展望台を頂上まで登って街を上から見学。もうお腹がイッパイ!! でも本当のお腹は空いて来て、そこから近所のガスプロム社(世界一の株価の会社)のビルの最上階にある“GINZA PROJECT”なるレストランに乱入。どこを銀座から学んだかは分からないけど受付には、美人を越えて生きたマネキンというか身長180センチにハイヒールで完全に上から見下ろされた美人受付嬢が案内してくれた。英語の質問には馬鹿っぽい答え。(なんだか納得)席に着けば先ほどのイサク大聖堂を見上げる景色の全面ガラス張り。街が世界遺産であるサンクトペテルブルグではこんな建築は簡単には建てられず貴重な存在にも思える。メニューは実に銀座。オイスターは一個1000円。ワインのグラスで1500円から。これって高いのか、または円が弱まってるのか。どっちにしろ気取って和むオレ達ではないから適当に飲み食いして退散。十分に社会科見学にはなった。(でも4人で3万円は支払った。しかし初任給が3万円の国でねぇ。) 帰りがけに庶民的なワインバーに寄ってから帰宅。
《四日目、5/11サンクトペテルブルグ二日目》
宿泊しているホテル(Azmut Hotel St.Petersburg)の朝食が激しい。どれだけ大人数が泊まっているかは計り知れないけど朝食会場の列は100人は列んでいるのだ。とにかくロシア人は列に並ぶ事に何の抵抗も無いみたいだ。いつでもどこでも列ぶのは、長らく共産主義の時代に配給制度で鍛えられた過去があるからなのか。
今日は午前中からAMのマーチャンダイジングセンターを案内してもらい、その後はデイビッドのAMのオフィスに連れて行ってもらった。そこには彼のビジネスを過去を物語る様々なモノが所狭しと飾られていた。そこでカナミちゃんの友人のアーティストのMissaもサインでオモシロい展開に! 午後はエカテリーナ宮殿に“琥珀の間”を見学に行った。
エカテリーナ宮殿は300メートルも続く荘厳なゴールドの館。もう圧巻!! ここも例外に無く長蛇の列で入場には一時間以上は待たされたけど、見て良かった! コレ逃したらダメでしょ。お庭も素晴らしい作り込みでした。しかしこんなモノ、庶民が見たら怒るのも無理ないね。そこからアンドリューを空港に送りかたがた街に戻った。(途中で食べたファラフェルなるサンドイッチ、メチャメチャな美味さでした。)
グランドホテルで北野の友達の坂田君と待ち合わせて合流。彼は日本の某自動車会社の転勤でこの街に移り住んだばかり。住宅など手厚い会社の対応には驚いた。家を見せてもらって様々な現地の話を聞いた。夕飯は彼の推薦してくれた近所のロシア料理専門店。なかなか美味しくてラッキー。その後はせっかくカナミちゃんといるんだからバレエ観賞という事でチケットを取ってもらって観に行った。お題目は“白鳥の湖” カナミちゃん(モスクワのボリショイバレエを卒業している。)だけど解説してもらったらオモシロさが倍増! 二時間半は意外にも短く時差ぼけが残っているので心配だったけど無事に乗り越えられて良かった。終了後は坂田君のクルマで市内の川沿いにて夜景見学。ありがたい!!
そうそう今日は玉田君の40歳の誕生日!! ハッピーバースディー!!
《五日目、5/12、モスクワへ!》
朝イチにサンクトペテルブルグからモスクワに戻る。ホテルにて北野の弟君と待ち合わせをして街案内をお願いした。彼はこちらに、もう20年も永住をしている。地下鉄を乗り継いでホテルから市内に入る。途中で中華料理店に入ったが醤油味が有り難かったけど化学調味料が激しかった。その後は“赤の広場”へ。もう何もかもがデカい事、ハデな事!皆でクラシカルなモールみたいな中のカフェでお茶をした。カナミちゃんの友達のアンニャも面白い子だ。そこから北野兄弟とは別れて、我々はモスクワの若者が集まる東京の原宿的な店のあるアルバート(?)を歩いた。しかしオシャレな店は見つけられず。ここにも沢山の“FREE HUG”と書いた紙を持った女の子に会った。これ世界的な流行り!?でも他人でもハグしあうと幸せ感が出て来る。 またそこからひたすらに歩いた。ロシア人はとにかく歩くのが好きらしくレストランまでトータルで2時間近くを踏破!健脚が自慢のオレも足がグラグラ。レストランは結構、スノッブなテントみたいな店。オシャレにアレンジされたロシア料理が中心で楽しいひと時。カナミちゃんはボリショイバレエを見学するとの事で一人だけ別行動で玉田とオレ、そしてアンニャと三人での食事。アンニャはかなりの旅好き。カトマンズからヒマラヤの麓のチベットにも行ったし、かなりの日本通で長崎から東京まで電車でずっと旅したと聞いた。22時近くにカナミちゃんと合流して川沿いのロシア聖教の教会前の美しいカフェにてワインを飲んだけど~~~眠くて死にそうだった。まだ少し時差ボケが残っているみたい。
《6日目 5/13 タリンへ!》
午前中のフライトでタリンへ!(この時点でオレはタリンはどこの国かわかってない。笑!)・・・・・・タリンはエストニアでした。(笑)基礎知識なし、そして既成概念と想像力だけだ。空港に到着するなり驚いた。近代的というかわかりやすくいえば対岸(約二時間の船での移動)はフィンランド、要は北欧文化圏なのだ。デザインが見るからに北欧。早々にレンタカーのハーツにてクルマを借りた。日本で予約をした時には三国にまたいでレンタルする場合はカーナビが借りられないと言われていたので少々心配していたけれど難なく貸してもらえて一安心。結構、安っぽいナビなんだけれど使ったら驚く程に高性能。そしてこれまた心配した道路標識だけど英語表記もあって助かった。一路、旧市街を目指す。玉田が旧市街地と新市街の間にあるホテルを昨日、ネットで予約をしておいてくれたのでチェックイン。清潔で三人で泊まっても問題なし。市街地に出てみたらなかなかいい町だ。そのサイズ感が好き。そして城壁に沿って街路樹も青々としてて気持ちがいい。するとそこにセグウェイの店を発見。なんと一台一時間で35¢(レートが悪くて約5000円)玉田と北野は初体験なのでトライ。先月、コロンビアのカルタヘナでボクが初トライした時はガイドがついていたけれど、今回は野放し。ボクが経験がある事を言うと『二人に教えてやってくれと!』自由奔放な貸し主。ヘルメットもお好きにと!(笑)
一時間で旧市街地は全て走る事が出来て大満足。本当にセグウェイはこんな街では便利だ。その後、ブラブラするけど歩くと遅くて・・・なんだか寒くてHOLUGHOFが近所のブランドだと思い出し探したけれどアウトドアショップとかがまるで見つからない。市民権ないのかなぁ!? 近所の洋服屋さんを見ていたら衣類がかなり安い。ここ恐らく繊維の工場があって中国的に近所の国のブランドのカジュアル服を作っているのではないかなと勝手に推測。夕飯は昼の散歩時に古着屋のカワイイ店員さんに聞いたスペインバルの店を訪ねた。これが満塁ホームランな美味しさでタリンの街が大好きになったのは言うまでもない。旅においてメシが美味いか、不味いかは大変重要な問題だ。
ノルディックホテル
『alter ego』オーナーはJuan Borras
Roseni8,10111 Tallinn Estonia +372 54560339
http://www.alterego.ee
エストニア・タリンのオシャレなレストラン
《7日目、5月14日タリンからラトビアのリーガへ!》(324キロ) 朝は早めに出発。エストニアのパルナのビーチに向かう。というか通り道なんだけど。初めて見たバルト海は今まで見た海とは違う雰囲気。外海でないからウネリも無く風波だからか。何かの鉱物が川から流れ込んでいるからか水がコーラみたいな色なのが印象的。砂は細かく真っ白だった。(早々に収集!)ここは古い別荘が並んで樹々も美しく、まるで“海の軽井沢”という感じ。街を見たけど何もない。なんだかこんな事を想定してランチはサンドイッチを作ってあった。というのもノルディックホテルの朝食が素晴らしく豪華で美味しかったので、サンドイッチの具材も完璧という事で作って持ち出したのだ。なんとマメな三人男であろうか! でもおかげで公園で美味しいサンドイッチを日光浴しながら食べる事が出来て幸せ。 その後、国境を越えたけどとても緩い査察。ボクの88カ国目の訪問国であるラトビアに入った。結構、大きな街で驚き。そしてキレイだ。さすがにリーガは“バルト海のパリ”と言われるだけのことはある。街をグルっと車で回ってみたけれど渋滞が結構激しい。そしてやっと駐車スペースを見つけたら現地通貨の“ラッツ”を持っていなくて、駐車のパーキングメーターの代金が払えない。時々通る通行人に?(ユーロ)と交換してもらってなんとか投入。(海外で交通違反するとしつこいし後々面倒なんです。)歩いて旧市街地を回った。様々見ているうちに聖ペテロ教会の展望台に登る事になり両替までして入った。夕方で閉館時間もわかっていたのに教会の一階で展示していたピューリッツァー賞の写真展に完全に釘付けになってしまい、結局、展望台に登る時間を惜しみ見入ってしまった。この写真展は衝撃的だった。街をブラブラと徘徊して夕飯はスペアリブ専門店へ。別にそんなに食べたかった訳ではないけど看板に“二品オーダーしたらワイン一本サービス”とあったのが気に入った。スペアリブは甘いバーベキューソースみたいなのが嫌なので念を押したが、結局甘かった。せっかく持参の醤油とワサビで食べようと画策していたのに・・・・
ホテルは現地で見つけたOLD CITY HOTEL. トリップアドバイザーの推薦通りにステキなホテルでした。
《8日目、5月15日 リーガからリトアニアのカウナスへ!》(316キロ)
駐車場代金は約1500円、結構高いなぁ。そのまま旧市街地を見学した。ビクトリア様式は美しいには美しいけど趣味ではない。一路、十字架の丘へ!ここはソビエトの宗教弾圧に反して民衆が十字架を小さな山に飾り始めて、結局、ソ連も政府も撤去できなかったという反逆の証。数十万といわれる大小の十字架が飾られていて圧巻!空気も澄んでいて気持ちがよかった。ランチは街の中心部の木陰でサンドイッチ。不味いピザとか食べるより100倍良いかと思う。カウナスに到着して杉原千畝(すぎはらちうね)記念館を訪れた。杉原氏はナチスドイツから迫害を受けて処刑される運命となったユダヤ人を政府の意向に反して勝手にビザを発給。結局6000人のユダヤ人を救った偉大な日本人外交官。外交官としては許されない事をしたが、人道的には正しい事をした素晴らしい誇り高き日本人なのだ。その後、要塞を改造して収容所や牢獄にした「第九要塞博物館」を鑑賞。全体がものすごい巨大な公園でそよ風の“音”が聞こえて感動した。カウナスに到着。ホテルは予約無しにカウナスシティーホテル。素晴らしかった。そして値段もトリプルで8000円弱。清潔そのもので大満足。ディナーは何故か嗅覚が働いて入ってみたら満塁ホームランだったMOKSYA。インド料理なんだけど、かなり都会的にアレンジしてあって、スパイシー感も抜群!『まさにこんな味の料理が食いたかった!』と叫ぶ美味さ。そして三人でワインを3本飲んで8000円弱!マジックアワーから夕闇に変わる時間をも楽しめた。最高です!
《9日目、5月16日、リトアニアのヴィルニスへ!》(228キロ)
またまたクセで朝食のレストランでサンドイッチを制作してしまう。リトアニアのカウナスから、まずは水辺のお城であるトゥラカイ城。道の左右が湖に面した素敵な場所。まわりには何十もの湖が連なっている。到着して、そのまま桟橋に停泊していた小さな観光船に乗って湖クルージング。豪邸も見学したし、カッコイイ建物なのに廃墟と化したボートハウスを見たりと楽しい時間だった。ランチは水辺のカフェでビーツの冷たいスープと名物のキビナイを注文して作ってあったサンドイッチをベンチでいただく。コレはコレで相当に満足! その後、湖の真ん中の城を見学。そして世界遺産の丘まで行ったが、遠い割には感動無し。確かに場所はスゴいけど・・・それだけ。これが世界遺産を取れるならば富士山なんかとっくに取れるであろうにと素人は考える。ヴィルニュスの街に入った。ブラブラしていたら、玉田がセグウェイに乗っていた人を発見して業者の店まで行ってみた。三台空いていてレンタル。勝手にどこでも行って帰って来いという姿勢。これで三軒目のセグウェイ業者だけど、共通点は適当そう、そして遊び人風! 本来、ケーブルカーで行くような街を見渡せる丘を目指した。街の中に勝手に独立した“国”であるウズピオ共和国を発見!(笑) 頂上の少し手前でセグウェイは挙動不審な動き。停めて頂上に行って見学して戻ったら北野のセグウェイが完全にダウンしてウンともスンとも言わず。仕方なくセグウェイ屋まで北野は走る羽目に。多分、離れていた事で盗難防止のセキュリティーが働いたのか!?セグウェイ屋に行ったら激怒され、一緒に山までまた上がってピックアップしに行った。北野は一往復走ってご苦労様。ホテルに戻ってクルマを停めて、メシは、現地のナルミミユキさん(玉田の紹介)から推薦してもらった、La Bohemeなるレストランにて。ここが衝撃的な店でした。美味しいしエロエロだし、超カッコいい店なのに、店内のBGMにいきなりクリスマスソング・・・お会計がビックリする程に安くて感激!
ウズピオ
《9日目、5月17日、鉄道でリトアニアから最後の訪問地ベラルーシのミンスクへ!》
今日は久しぶりにゆっくり起きた。主なる観光地は見てしまったし。今日は夕方の列車で移動。という事で駅前のホテルに泊まっていた。午前中にテレビ塔を見に行った。最上階は展望室ではなくてレストラン。365度、同じ景色に思えた。下山してレンタカーを返却する前に最後に街中をドライブ。オシャレなエリアを歩いたけどイマイチ。女性も男性も顔立ちは超カッコいいのにファッションセンスは・・・無い。ランチはヴィリニュスに在住のナルミミユキさんとオーガニックレストランへ!ここは店員さんが元受刑者というユニークな店。めちゃくちゃにキレイな店員さんが元犯罪者と思うだけでワクワクする。事実、その女性はスパイ映画に黒ずくめのピタピタなコスチュームで出て来るスパイ工作員にしか見えなかった。ミユキさんから様々なリトアニアの話が聞けて面白かった。
午後はクルマでレンタカー返却をする為、ハーツの営業所方面へ。途中、現代美術館があったので入った。かなり箱もカッコ良かった。近所のショッピングモールで時間を潰した。残念ながら購買意欲が湧く物は全く無かった。カフェでネット使ってお仕事。しかしここ数年だけでもネットの便利さは格段に上がった。どこにでもフリーWi-Fiが飛んでいて、ラインで電話も出来て、日本語でなんでも調べられる。もうどこにいても仕事ができてしまう時代なんですねぇ。レンタカーは無事に返却できて良かった。19時10分の列車なので早めにホテルに戻って荷物をピックアップして駅へ!駅から国外に出るのも久しぶりだ。けっして得意ではないので心配。メシを食べる機会も無さそう。本当に仕方がなく駅前のマクドナルドへ行ってサラダと豪華そうなハンバーガーを購入。これ10年ぶり以上だと思う。空腹になって車内で食ったら、もう一生食わなくても大丈夫な気がした。
90カ国目の訪問地、ベラルーシのミンスクに到着。夜の遅くに初めての都市に訪れるというのは何とも心もとない気分。駅前を地図を持ってウロウロする姿。オレがもしも悪人だったら最も狙いたくなる姿だ。そんな所に先ほどの列車の後ろの席に座っていた美女が『大丈夫!わかりますか?』と声をかけてくれてホテルまでの道のりを説明してくれた。いきなりベラルーシLOVEになるのは当然。ホテルまでは徒歩で5分、女の子もミニスカートを履いて歩いている位だから安全な街なのは間違いない。ホテルにチエックイン。このホテルは三人一緒ではなく、ボクだけ1人部屋。ソ連時代の有名ホテルという佇まいだ。久しぶりの休肝日でなんとなく違和感。就寝!
《10日目、5月18日、ミンスクの日》
今日はミンスクで一日過ごす日、玉田が昨日、ガイドブックを読みながら『この街、見るべきモノは何も無いですね!』なんて言うもんで観光意欲は完全になえた。(笑)という事でゆっくりめのスタート。メインストリートであるモスコフスカヤ通りをブラブラ歩く。ナンだか地下の方から群衆が騒ぐ音が。その迫力たるや尋常ではない。気になって観に行ったら地下の大きな会場に二千人以上の若者が集まっている。良く見ればなんとゲーマーの集会。元、社会主義で自由に既成があったとはいえなんだか骨抜きになった若者を見た気がした。 見るべき物はココだけという事だがデパートなんか見てもまるで購買意欲は湧かず。旧市街に行ってみたが土曜日なのに驚く程に人はいない。いったいどうしたの!?なにか劇団員による豪勢なパフォーマンス&音楽なんていうイベントにも出くわしたけど人はパラパラ。 イタリア料理店でランチをしようと思ったけど、ここも人はいない。決して不味くはないのに。お茶して歩いていたら“大祖国戦争史国立博物館”なる戦争の記録が残る博物館が土曜日で無料開放。ガイドには生半可な気持ちでは見るな!とまで書かれていたがアウシュビッツを過去に見ていたので免疫があったから大丈夫。小学生が学校から随分と来ていて残虐な光景の写真の前で丁寧な説明をちゃんと受けていたのが印象的。ずいぶん日本と違うもんです。夕方、早めに帰ってウザかった北野のヘアースタイルを奴のヒゲ剃り機を使ってカット!切った自分が気分爽快になった。 夕方はホテルでのんびりして夕飯は先日、美女から聞いた店に行ったらなんとやってない!! 慌ててトリップアドバイザーで調べたら数件がヒット。ホテルから歩ける範囲だったので向かったら遠目に見ただけでオーラ溢れるレストラン。迷わず入店したら、驚くばかりの絶世の美女があっちにも、こっちにも!!まるで観賞用に用意されたように!メシはさすがにどれも美味しかった。
勢いに乗って二軒目にも突入。ここはピンチョス(スペイン小皿料理)の店だけど、はいった直後にライブが入って店内は激しくノリノリ状態。もう異常な勢いだった。そしてここでも女子は超カワイい。世界一と言われる所以がわかる。オレは最終日ということでウオッカを食らって撃沈! ロシア人がアルコール依存症が多いのもわかるなぁ。最後の夜はふけて行った。
(翌日は朝から移動、モスクワで5時間のトランジットタイム。北野の弟氏が迎えにきてくれてゴーリキ公園など散策。感謝です!)
とにかく何もかも新鮮なロシア&バルト海の旅!! 旅はしてみなけりゃわからない! 多くの出会い、体験が出来て生涯忘れられぬ日々になりました。
皆さんに感謝です。
Bistro de luxe
Tapas bar