4月26日(木) 最近、とても欲しいモノがある。それは自転車だ。ママチャリとは一緒にして欲しくない・・・ロードレーサーが欲しい。少年時代(記憶だと小学校4年生から中学校2年生位。)が頭の中はクルマと自転車でいっぱいだった。クルマは流石に乗れるようになるまで、6~7年あったので現実的ではなかったが、国産車から外車のカタログを1500冊位、集めて常日頃から研究をしていた。現代社会でいうところの”オタク”である。そしていつも空想の世界でドライブを楽しんでいた。自分の中で欲しくなって乗り回して、だんだん飽きて、また乗り換えてドライブしてみたいなことを繰り返していたなぁ。その頃に乗りたかったクルマを今、順々に乗っている。なにせ当時(70年代から80年代)は各国のクルマの個性が著しく違っていて楽しい時代だった。性能的には現代のクルマが格段に良いのだが愛着が湧くのは当時の車だろう。ドイツ、イギリス、フランス、アメリカと国によって会社によって主張がハッキリしていた。・・・・・・クルマ論議はさておいて、当時(時代的には熱狂クルマ少年の前の時代であるが・・・)自転車が大好きであった。

当時はサイクルスポーツなどといいうマニア向け雑誌を穴が開くほど読みふけっていた。自転車での日本一周旅行記なんて本を読むと妄想で頭が膨れ上がり寝られなくなった。そして、ここでも空想の世界・・・当時はランドナーという長距離の旅行用の自転車に憧れ、イタリア製の自転車なんて夢の又、夢だった。鉄人メルクスが活躍したツールド・フランス(フランスの国を挙げての自転車レース。スゴイよ!)なんて憧れだったし、当時から登場していたイタリア・ブランドの”コルナゴ”や”デローザ”なんてヨダレもの!! 崇高さはフェラーリ以上に感じたナァ。ただ一言で自転車といっても、もうここらへんは、性能もさることながら工芸品的に美しい”仕事”が細部に施されていた。しかし当時、乗れた自転車は国産ブリジストン社のスポーツ自転車。それをイタリアンバイクな気分で日曜日には60キロ位のサイクリングに出かけていた。話は長くなったが、最近、周りの大人の友達が自転車(ロードレーサー)に燃えている友人が多いのだ。そして様々な話を聞いているうちにフツフツと興味が湧いてきてインターネットで様々な情報を見ているうちに、当時の欲望が爆発したのだ。友達から紹介されて自転車屋も覗いてみて”ヤル気”も満々になってきた。細かい好みの話はしないが”クラシカル&快適”を追求して注文をしてみようとおもう。イタリアでは週末には草レースが沢山行われていて素人(ズブじゃマズいだろうけど・・・)も参加可能だし、ハワイでも、沖縄でも参加できるレースはあるみたいだし・・・・・・・・そんな少年時代の夢を実現するのも楽しい事だ。 後日、ものすごい一台を入手に成功!!!目の留まったのは、やはり80年代でした。アンティーク界の大御所T氏(20代にロンドンでお世話になった。)は自転車のコレクターで一台分けてもらえたのだ。それも名車”トマジーニ”当時はコルナゴ、デローザより高級ブランドだった。 ウッフッフ~~嬉しい。やはりモノ(道具)は大切だ。一流の道具で練習するぜぃ!!!
4月7日(土)朝から”お手伝いさん”の敏ちゃんが来て掃除、洗濯をしてくれたりと、本当に助かる。単身赴任生活のボクの家に敏ちゃんは月に四回程度来てくれるのだが、敏ちゃんがいなかったらオレの生活は全く成り立たない。人間にはどうして得意、不得意があるのか、料理は好きだが後片付けは苦手、洗濯は出来るが、干すのと取り込みがキライ、庭の手入れは好きだが、草刈りは好きじゃない・・・・自分の苦手な事は気持ちも入らないから、結果、なかなかいい仕事は出来ない。苦手な事を仕事としてお願い出来るのだから、ストレスを溜めない為にも、お願いできる事はお願いしよう。正しい社会は分業なのだ。午後からは石井俊八ダイヤと行う毎月表彰ミーティングの”イッピデゴォー”(毎月1日からバッチリと盛り上がろう!!)が行われ、先月、達成した人々を祝福した。今回はサファイア、エメラルドのカウントに突入した咲間ルビーや加藤ルビーのグループのおかげで、本当に盛り上がった。大島知己君は、マーケティングを聞いて理解できて、脳に衝撃が走り大学を中退して親には念書を書いて許しを請うてスタート!見事に三ヶ月でSPを達成した根性野郎だ。彼のスピーチは本当に素晴らしかった。なにより石井俊八&千賀は前期にファウンダーズダイヤを達成して、そのままの勢いでエグカウントに突入している。まさにノリノリな二人なのだ。この二人のお陰でどれだけ良い空気になっているかは計り知れない。存在がポジティブ・シンキングの空気清浄機そのものだ。とにかく素晴らしい経済効果。・・・・・・終了後は藤田の運転で浅草に向かった。今晩はイトウシンペイのサプライズパーティーが行われる。その会場は、なんと日本一古いというか由緒ある遊園地の”浅草・花やしき”だ。恐怖のジェットコースターで有名だ。それは富士急ハイランドみたいな高度なソレと違って、ジェットコースター本体が”木製”というシロモノ。揺れる恐怖は別物だ。今日は18時の閉園後を貸しきってた。(だいたい貸し切れるなんて初めて聞いた!) 高木ナオグループはもの凄い団結力で、このパーティーを盛り上げ成功するために準備していた。今日の参加者は480人と聞く。どうしてそんな大人数が連絡しあって準備していてもシンペイは気が付かないのかというと、シンペイは携帯電話は持ってはいるがメールなど出来ないのだ。そしてファックスも見ない。ハイテク生活は無縁・・・・だから人々の口封じさえしておけば、シンペイに気付かれる術は無いと言う事だ。シンペイにはゲストでミーティングとして依頼している人がいて、それの誘いで”花やしき”に入ってきて、そのままサプライズパーティーへと流れた。本人は全くナンの事だかわからない様子で”唖然”としていた。だんだん事の成り行きに驚き、珍しく男泣きをして感激を表していた。そしてその日、シンペイがもらったプレゼントはハーレーダビットソン(オモチャでなくて本物。)会場は本当にハッピーな空気で充満していた。渋谷センター街をウロウロしているような青少年も嬉しそうに見守っていた。(本当にシンペイのファン層は幅が広いのだ。)

二次会は近所の由緒ある居酒屋だった。そこの女将は浅草の有名人で天才・北野タケシのメンター。なんと映画・座頭一を撮るように勧めたのも女将の助言と聞く。しかし精々100人位の定員の店に推定280人!!そして先程まで季節はずれの夕立で豪雨が降った後にも関わらず外の道にもテーブル&椅子が100人分位、用意されていて外は外で盛り上がっていた。今夜は昔懐かしい顔も沢山見ることが出来た。皆、それぞれ元気そうだった。皆、少しだけ年をとっていた。皆、少しずつ笑いシワが増えていた。みんなAМでそれぞれの幸せを掴んでいるんだナァ・・・・・安い焼酎だけど、今夜はとっても美味しかった。
3月24日(土)沖縄での朝は気分が爽快だ。今日は天気は少々どんよりしているが、それでも少し湿った南国の風がたまらない。一時間のウオーキング&ジョギングで那覇の市街を回って発汗した。昨晩は照屋エグゼクティブ・ダイヤのオフィスを借りてミーティングを開催し、その後、近所のカフェでアフターをした。なかなか素敵なカフェで、二階には20人が座れる大テーブルがあり、そこはハッピーな空気が漂う楽しい少し遅めのディナータイムになった。今日ののミーティングの最後に岩渕Dのサプライズ・バースデーケーキが登場して皆に祝ってもらったのだが、その延長でアフターは岩渕テッちゃんバースデー&新婚の幸せオーラが出まくっていた。そんな楽しく素敵な夜は・・・・・飲み過ぎるのだ。そしてこの朝を迎えている。昨晩の最後は記憶にあるような、無いような・・・・まぁ発汗で全てはチャラとなった。祝嶺さん(波田のフロントDD)が迎えに来てくれて、大平綾ちゃんとお友達と”しむじょう”(首里末吉町)という最近出来た、熱帯植物が林立する中の琉球家屋をリノベートして作った沖縄ソバ屋で食事をした。ソーキソバもジューシー(沖縄炊き込みご飯)も中々美味しく幸せなランチタイムになった。さてその後、今日のメイン・イベントの”ホエールウオッチング”に出かけた。2月、3月には回遊してきたクジラが子育てをする為に、慶良間諸島界隈で生活するのだ。それを見学するツアーが様々な会社が出しているのだが、古山利行&あつ子さんが切り盛りするダイビングショップ(セブンテンスイメージ)でチャーターを出してくれて17人の仲間と参加することになった。意外にも沖縄人はこんなツアーには参加したことが無くてビックリ!そして13時の那覇マリーナという港での集合時間に急いでいったら、波田と同行した4人意外は誰もいなかった。・・・・そう、ここは沖縄なのだ。時間通りに来るほうが不思議って世界。結局13時20分過ぎに全員集まった。”遅れてゴメンね”も無ければ、待っていた船も”コラァー遅れんじゃないよ!”の空気も何も無い。沖縄人はドォーンとしてるのだ。そして出航!!一路、慶良間に向かったが船は多少のウネリの影響で揺れて数人は多分、一生、船なんかに乗らないと決断したに違いない。30分で慶良間諸島まで到着して、すでに船長が他の船と連絡を取り合ってクジラが出没するポイントをチエックしたらしく、到着したらイキナリ、クジラの親子が思いっきり近くに出没して参加していた全員が狂喜乱舞の錯乱状態となった!なんでこんなに大きな生き物がいるの!!なんでジャンプするの!!長~~~~い!!デカァ~~~い!!かつて遠めに見たことはあったが目前10メートルは衝撃だった。その後、そんなに目前に現れることは無かったが、充分に優美な姿を見せてくれたのだ。参加者全員大満足なツアーになった。アッちゃんの説明も素晴らしく楽しい時間を過ごせた。夕方、那覇に帰港して解散。その後はナンと、大平グループの月一恒例のバトミントン大会が開催されていて、断ることも出来ずに参加した。何故、テニスでなくてバトミントン・・・・と思い参加してみたら、これが実に楽しいのだ。元々殆んどの参加メンバーがシロウトだったらしいが、みんな楽しみながら練習しているらしい。”バトミントンをナメたらアカン!!”参加者20人がジャンケンでペアを組んで試合をしたものの、波田は3試合(6ゲーム)して一勝も出来なかった。そうとうなエネルギー消費をしたなぁ。終了後のアフターが近所の居酒屋で行われたが、本当に美味しいビールだった。大平達は様々な工夫をして人と人が出会ったり、仲良くなる為の工夫をしている。その結果、大平のグループは本当に暖かいし結束力がある。そんなリーダーの大平夫妻を誇りに思う。
偶然に見かけたマイク(マイクはニックネーム、浅川ミチヒコが名前)だが、携帯で確認が取れて、やはりマイク本人であった。そしてマイクの野暮用の後で、そこから程近いボクの家に寄る事になった。爆音を立ててヒーレーに乗ったマイクがやってきたのは30分後。本当に変わらない。初めて会ったのはボクが高校生で時間給バイトには興味が無く、夏休みは原宿の路上で当時、流行りまくっていたプカシェル(ハワイで大ブームだった白い天然の貝をヒモで通して首飾りにしたもの。当時の主流ディスコのメビウス、ビブロスに行ったら全員している位に流行った。なかなか入手困難。)販売を友達と路上でやっていた。(違法か合法かはわからないが・・・)そう!布をひいて、その上に陳列して売るわけ。これが相当に売れて当時は豊かな高校生夏休みだった。その頃、原宿でブイブイ言わせて遊んでいたのがマイクだった。当時は衝撃的にカッコいいフォルクスワーゲンの改造車に乗っていた。スケボーも上手でファッション(今で言うアメカジ!)も超かっこ良かった。どこで売っているのだかわからない、多分、横須賀のベースか、アメ横の輸入専門店あたりであろうか。とにかく誰も履いていないコンバースのスニーカーとかジージャンを着ていて、まるでスティーブマックイーンだった。(まだナイキなんて世の中に存在していない時代!コンバースなんて見たことも無かった。)そんなマイクはその後、創刊期のポパイの海外特派員をしたりクルマの貿易をしたり、世界中を庭の様に遊んで廻って、探した物を日本に紹介したりもしていた。世界中のバイクレースにも出ていたし、ボクを誘って、あのイタリアのミッレミリア(世界一のクラシックカーレース)にも出場した。広尾でファラフェルというサンドイッチ屋をやったり、目黒でバンビーニというピザ屋、鎌倉の材木座で海の家をやったり、家具のコーディネーターをしたり、世界中を飛び回り、とにかくよく働き、誰より遊んでいた。・・・・・・・・・実はマイクとは計算してみたら33年の付き合いになる。その間、何年も会わない期間があったが、出会いからは、そんな年月だと計算して驚いた。しかし会っても、昔を懐かしむ話などは一切無く、遊び話で終始くれる。我が家に来ても、ガンガンに未来像を描いた話に明け暮れていた。今は世界中から買い集めたコレクションの車やバイク、雑貨、家具を整理しているそうだ。 ちなみに数年前に湘南の友人宅で見せてもらった”立体的な鯨の形をした風見鶏”を探しているのだが、マイクに聞いたら、アメリカは西海岸のハモッサビーチにある庭関係の雑貨屋かメキシコのティワナの彫金屋で見つかるであろうとの答え。ボクが最近、コスタリカに興味津々で是非行ってみたいと話すと、昨年、マイクも興味があって1ヶ月半、スミからスミまで見てきたとの事。どこどこのホテルが良いとか、リゾートがカッコいいとか、メシが美味いとか、バーが素敵だとか、女の子が抜群に可愛いとか・・・・・・”生”の情報にあふれていた。あぁ~マイクみたいな生き方に憧れていたが、なかなか追いつけないナァ~~と実感した。そんな好奇心を刺激しまくられた時間は本当に楽しかった。そして時間は夕方になってしまった。今日の日中はアポは入れないでデスクワークをする予定だったがズレ込んだ。それもオッケー!3月のスケジュールを立ててリーダーと連絡をしたりアポ取ったりと効率の良い仕事をした。しかし一ヶ月は早すぎる。今月は広島、姫路、岡山、仙台、沖縄、札幌と回り沢山のグループの人々と会えた。全国で何か新しい動きを感じるナァ。皆、一度の人生を、素敵に生きたいんだよね。”オレもこれからの人生をもっとかっこ良く生きたいネェ~”と痛感。今日会ったマイクも昨晩、久々に会えた実業家K氏(元・暴走族の大頭)もオレに本当に様々な影響を与えてくれた。ボクがバットな時は相談にも乗ってくれたし、様々な生き方をみせてくれたメンターだ。そんな素晴らしい大人に出会えた事で今があるんだなぁ~~とシミジミと感謝が湧いてきた素晴らしい月末となった。
2月28日(水) 昨晩は高校生時代に本当に世話になった先輩K氏と銀座で食事をした。共通の友人Y氏も同席。K氏はハンパなくビジネスで成功していて気持ちがいい。(会社は上場も視野にある程の絶好調、麻布に豪邸! クルマはベントレー、フェラーリ、ゴロゴロ・・・そこら中に別荘、超ハンサムで体脂肪は1ケタ、関係ないけどスゴイわぁ!) Y氏も凄くて、なにせ日本一メルセデスを売るセールスマン(年間160台!!二日に一台だよ!!)で話題は豊富。タックスヘブンのバージン諸島に税金対策の会社を持っている営業マンなんて聞いたことがない!

まぁ、とにかく会話はバブリーで久々に90年代の日本に舞い戻ったような会話だった。K氏と出会ったのは、まだ高校生の頃、都会のどちらかといえば遊び人系の出会いだった。(なにか濁した表現でスミマセン。書けません・・・)ボクが大学をやっと卒業するある時、K氏は銀座にボクを呼び出して、いきなり紳士服店に連れて行き、そこで店員に一言”こいつにスーツを作ってやってくれ!”と言って”お前ももうガキじゃないんだからスーツの一着ももってろ!”と言ってスーツを作ってくれたのだ。その当時はまだK氏もサラリーマン。そんなに派手なことする経済状態ではないとおもうが、その頃から後輩思いの素晴らしい先輩だった。彼がボクに”人生の苦労は売ってでも捨てろ!”という名言を教えてくれた。当然、世間的には間逆なのだが、彼流の考えだと、人はいつか全力で乗り切らなくてはイケない問題にブチ当たるが、その時にこそ溜めておいたエネルギーを全快で使って乗り切れ!普段から使いすぎるとイザという時に発揮が出来ないという論理であった。しかし今、K氏の成功を見ると、その論理は正解だったのか。結局、ビジネスの成功は人徳から来るものなのか・・・・イタリアレストランの後は、超高級クラブでオネーちゃん遊び。何十万らしいがご馳走してもらって、それはそれは楽しく艶っぽい時間だった。(しかしオネーちゃんがハンパ無しに綺麗だった。それも数十人単位で綺麗で、いったいどうなってんだぁ!! 松本清張”黒皮の手帳”を思い出して怖くなっあがぁ・・・美人、艶々オネーちゃんに店の外に送られて帰宅という時、K氏の黒塗りの車の前に運転手さんが愛犬(超恐ろしいドーベルマン、愛犬じゃない狂犬だろ!がお出迎え。飼い主に出会って興奮して泣くドーベルマンの吠える声が銀座のビル街に響いていた。)ここは別世界だと痛感。 ということで楽しい夜だった。昔からの仲間が “成功”というのはAМだけでなく楽しいものだ。・・・・・・・正直、オレって本当に幸せだと思った。 そんな夜が一夜明け、多少二日酔いの中、起きてダラダラしていたらチャイムが鳴った!なんとボクの英語個人レッスンのケニーキクノ氏が玄関にいるではないか! そう今日は英語のレッスンの日であった。彼はベルリッツの偉い先生なのだが、通学が向かないボクの為に週1回程度来てくれるのだ。ということでフリートーク1時間。世間話100%で英語のレッスンというより”ジジイの話し相手”的な空気。その後、お客さんというかフロントの福ちゃんが浄水器のフィルターを取りにやってきた。彼はポルシェの営業マン。当然に最新のポルシェ911に乗ってきてもらい試乗した。実は試乗というか確認だ。ポルシェは好きだし欲しい。買える!(これ大切!)ただ面倒臭いというのも本音。欲しい気持ちと面倒だぁという気持ちが頭の中で行きかっている。野毛町内、多摩川土手、そして田園調布を回り帰路につこうと思ったら対向車線を、名車オースチン・ヒーレー3000/ハンドレット4 が屋根を開けて爆音をたてて走ってきた。

素晴らしい1950年代の名車だ。しかし良く見ると、その名車に乗るのは”おぉ!!!マイクじゃないの”思わず声を出してしまった。即、携帯電話でかけてみたら、やはりマイク浅川だ。こんなイキな人はそうはいない。懐かしすぎる!!昨晩に続いて、本当に懐かしい! 《ここからは、また話が思いっきり長くなるので次回に続く・・・・》
今日は朝からシンクビックラリーのスタッフ・打ち合わせを世田谷区野毛の波田宅で行われた。昨晩は久々の酒抜きをしているので、目覚めの気分はヨロシイ。(ならば毎晩飲むなって!!) 朝10時半からメイン・スタッフの鈴木デブゥと藤田が来てタイムスケジュールに合わせて打ち合わせをした。今回も相当に濃厚なラリーが期待できる予感!!今回は藤田がハイパワーで映像関係に力を入れていて、そのサンプル映像を見たが泣いてしまった・・・・・・ヤツはその道にも相当にスゴいセンスを持ち合わせているのだ。その後、堀正樹Wも参加して司会の打ち合わせをした。男三人の司会は正直、まだまだ慣れてはいない。だいたい司会なんて受けるんじゃなかったと毎回思うのだが、今更仕方がない。事の始めは第一回のラリー(2006年6月)で主催者の出番が少ないと、参加していた人からの陳情を聞き入れた状態で、しかし最初の挨拶なんて堅苦しいので四苦八苦して出たアイデアが前代未聞の”男三人司会案”となった。・・・・この際だからこの役割を楽しもうと思う。結局、タイムスケジュールに基づいて役割の相談をして完了。殆んどはアドリブに期待しよう。東大・渡部S考案の場内案内整理案なんて、サスガに東大理科系でなくては出てこない名案!!それぞれの担当者が全力で、ものすごい期待が出来る段取りとなった。みんなヨロシクね!・・・・・・夜は成城に”お住まい”の(成城とか田園調布はナゼか『お住まい』という表現となる!)金森ダブル・ダイヤ宅にワインパーティーに御招待を受けたので向かう。成城の町は本当にリッチな家が立ち並ぶ。ただゴージャスなだけではなく、センスもヨロしい家々だ。こんな景色を毎日、見ていたら心も豊かになるのだろうナァ~~などと考えつつ金森邸を訪問。それはそれはゴージャスなマンションだ。(マンションとは本来は豪邸の意味。まさにマンションが金森邸だ。ピッカピカだ!)今日は金森家は女子ばかり4人が招待されていて、それは楽しい時間となった。一人の女の子はソムリエの卵で、フランス人のクォーター。旅行代理店店長、とかキャリア組の方々が参加しているのがサスガの金森グループという感じだった。出てきたワインは、それはそれは美味しいモノばかり!!金森家は数千本のワインを貯蔵しているらしい。その中から選ばれた至福のワインはワイン好きなら、もうプルプルモノの一品ばかりだった。 〆の炭水化物を製作依頼されていたので”トマト&アサリのスパゲティー””森のキノコのクリーム・スパゲティー”をお作りした。最近マイブームの”ササミのバジルペースト和え”は上出来で売れ行き好調!! そんなスペシャルに楽しい時間はアッという間に過ぎていった。 AMを通じて系列を超えて素晴らしい方々と出会えたことに、本当に感動している。こんな仕事ってあるのかなぁ~~~人生、生まれ変わっても、やっぱりAМビジネスはやると思う。人生は誰と出会うか!何と出会うか!! それが全てを決めるのだ。今日も心から感謝の一日でした・・・・・・ありがとう。
2007年1月7日(日) 数年前から気になっている若者がいる。沼津に在住の健ちゃんだ。たぶん24歳位(本当に人の年齢を覚えられなくて・・・・たぶん、あまり人の年齢に興味がないせいかなぁ。だって物理的な年齢・・・・生まれて365日が一歳、730日目が二歳・・・なんて無意味だ。成長していない奴は30代、40代だって、いくらだっているし、逆に10代なのに本当にしっかりした奴はいくらでもいる。だから年齢という基準値はあまり興味が無い。・・・要するに記憶力が悪いのを棚上げしてるのだが・・・)健ちゃんはこの2月に結婚すると昨年の秋に連絡をもらった。昔から付き合っていた彼女のユウキちゃんである。そして結婚式の案内をいただいたのだが、4ヶ月も前なのに、すでに先約が入っていた。本当に申し訳ないと思ったが、コレばかりは仕方が無い事なので、穴埋めと言ってはナンだが、なにかお祝いにさせて欲しいと申し出ると、是非、ゆっくり食事がしたいということで、当然の快諾。健ちゃんは日曜日しか休みが無いので、いつにしようかと探っていたら三者の都合が良いのが年明けの今日となったのだ。そして何でも食べたいものを言ってちょうだいと言うと間髪いれずに返ってきた答えが”岩井食堂”であった。”えぇ!!何でも良いんだよ!!”(この意味には寿司とかイタリアン、フレンチ、そして高級店も含みますよぉ~~というニュアンスも含んでいたのに・・・・) 実は健ちゃんは本当に感心な子で将来は自分でカフェ+居酒屋÷2 の様な店を創りたいという野望があるのだ。以前、そんな話をしている時に、それは四谷の岩井食堂に他ならないとイメージして、こんな店なのよ・・・・というプレゼンをしたのだ。そこで四谷の有名店”岩井食堂”の話になってそれ以来、是非、いつか、そこを訪れてみたいと懇願していたようだ。岩井食堂は”食堂”とは名ばかりで、店主の岩井聖氏の謙虚な姿勢が現れる店名だ。本来ならばリストランテ岩井とかビストロ・デ・イワーイなんて名前が相応しいのだが、あえて食堂という”冠”をつけた。そこはカウンターのみの12席程度、メニューがあるような無いような、ワインリストがあるような、ないような。僕に言わすと”料理5割、店主岩井のトーク5割”という比率のお笑い系ちゃんとガッツり食べられる良心的洋風居酒屋ニース風とでも表現しようか。(実は”ケージローの勝手でしょ”に掲載しようと何度もトライしているが、なかなか紹介文が書けないのですよ・・・今回は並行して書きました。ついにご紹介!)とにかく店主と客がコミュニケーションがバッチリ取れている店だ。健ちゃんはそんな飲んだ席でのボクの岩井食堂のプレゼンで興味津々となっていたらしい。そして自分で調べて益々興味倍増していた。ということで四谷三丁目交差点で待ち合わせて7時の入店。だいたいこの店は業界人が多いせいか遅い時間が盛り上がる。7時、8時なんて早いのだがユウキちゃんが妊婦との事で疲れてはいけないという配慮から、この早い時間になったのだ。まずはベルギービールで乾杯して白ワインにシフトした。さて健ちゃんだが彼は目指すお店を開業するために、カフェでコックの経験を積み、今は上質な居酒屋で修行中の身。やはり見ているところが違うみたいだなぁ。オープンキッチンの中で働く岩井氏の仕事ぶりに注目している。早い時間は岩井氏(ボクはAM繋がりなので個人的知り合い。)は注文に応じた料理を作っていたが、だんだんと時間が経ち、飲酒量が多くなるに連れて(オレじゃなくて飲んでいるのは岩井・・・!)話が炸裂してきた。

ある時はフライパンを振り回し、ある時はオタマで拍子を取りながら馬鹿話に興じた。しかし良くしゃべる男で楽しい。笑いながら食うメシは味も美味しくする。彼は料理本も出していて(過去、トンネルズのイシバシレシピに出演していてDVDにも出演。料理本は業界初のパラパラ動画まで着いて笑うよ!)そんな岩井を見ながら健ちゃん&ユウキちゃんは完全な『くちポカ状態』であった。でも時々、真面目な健ちゃんはノートに何かをメモっていたから、開店準備をする店のアイデアか、岩井のワザを盗んだのか、はたまたギャグ100連発をメモしたのかなぁ・・・・・とにかく客と店側の一体感は新宿二丁目の怪しいお店以上の雰囲気でした。あぁ楽しい夜だったぁ・・・・・・二人の門出を祝えて本当に幸せでした。お店の開店の日には一番に駆けつけよう!
年の終わりというのはなんとも好きな時間だ。確かに慌ただしいし、やることは沢山ある。沢山あるけど『まぁ、いっかぁ!!』と思えばそれで済む程度のヤル事だ。そんな代表が”大掃除”といえる。今年は、昨日、お手伝いの敏ちゃんも来てくれて殆んどお掃除も済まされているし、せいぜい今日、散らかさない事を念頭に生きれば大丈夫だ。意味不明な朝の決心で気が楽になった。『ヤメェ!ヤメェ!!大掃除はヤメェ!』しかし年内に済ませなくてはならない事は多々あるので気分は、やはり大晦日に他ならない。外国で年越しをしたことがあるが、それはただカレンダーが《12》から《1》になるだけの事で、日本のような”大晦日→→紅白歌合戦観賞→→行く年・来る年→→除夜の鐘→→新年→→そして初詣→→おとそ→→お雑煮→→お節料理→→年賀状→→初詣~~なんて流れはない。この流れが無いのも少し淋しいもので、やはりこの風習は慣例に従い楽しみたい。結果・・・・普段とあまり変わらない時間の慌ただしさだった。

夕方にシェフ・大塚健ちゃん&れい子、そして息子のショウタ(大塚家の子供だけあって完全な食生活をしていると見受けられピッカピカ、プリンプリンな笑顔をしている赤ちゃん。)が登場。今晩の”宴”の準備を始めてくれた。健ちゃんはいつの日からか毎年、年末に来てくれて年越しのディナーを作ってくれるのだ。(健ちゃんはフレンチのシェフにしてエメラルド。ナベデモの巨匠として君臨!(そして、ついにオリジナルレシピのDVDが新発売となった!是非、買って見てください。https://shopping.express.jp/otsuka/index.html内容は超濃いですよ!!) 北海道からは健ちゃんコネクションで注文した上等な鮭の”鮭児”(ケイジといい1万本に一匹の貴重品。)ほたて、貝類も届き健ちゃんは片っ端から調理を始めた。ボクは仕事の整理やら何となくの片付けをするので書斎で過ごしていた。要はキッチンに出入りすると邪魔なだけにしか思えないので時々、健ちゃんの仕事っぷりを見学しては、つまみ食いする程度にしていた。今日の参加者は波田家、神谷アンドリュー家(クラウン/これを楽しみにしてくれてキャリフォルニアから毎年、帰ってくる。)渡辺正人家、そしてノンナだ。18時に柿の木坂に今年は83歳になるノンナ(川口文子ダイヤモンド)を迎えに行き(これも恒例の仕事になっている。)我が家に来てもらった。20時近くにシャンパンで乾杯して今年最後の、そして恒例のディナーが始まった。それは、それは美味しい料理のオンパレード!!今日のメニューは・・・・・・ 《ホタテと鮭児のタルタル/オードブル》バケットに付けていただくが驚異の美味さ。《鮭児の軽いスモーク》もう普通の鮭なんて食べられなくなる!スモークの軽さと香り付けが常識を超える。《ソーセージと白インゲンの煮込み》白インゲンはただただ美味い。《北海アサリのスパゲティー》濃厚なアサリの味がドドぉーンと!《和牛ステーキ&サラダ》赤ワインが進む!進む!《鮭児のお茶漬け》サァーラサラ!と豪勢な茶漬け。《チーズ》多種多種!!・・・・・・飲み物はシャンペン、白ワイン、赤ワイン・・・・・合計10数本! 皆で飲んで話して一年を振り返り、新しい一年に期待をする。今年もいい一年だった。2007年の末日・・・・健ちゃん待ってます!!今年の”初”お約束はオオツカケンジとの今年の年末・大晦日のディナーのお約束だった。コレで万事がうまく行くのだょ!
冬の下田・・・・ここは東京の温度とは明らかに違う。そして沖縄ともハワイとも違うギリギリ南国の冬だ。今日は下田《オキラクハウス》にシンノスケ、アミちゃん(沖縄のグループの本村チエさんの娘でグラフィックデザイナー、相当にセンス良くて仕事速い!)が来ている。下田に朝着くと、最初にするのは《旬の里》という農家の朝どれ野菜を持ち込む店に行って野菜を購入。八百屋とは違った、地元民相手の物々交換場みたいな雰囲気だ。農家の人は明らかに美味しく新鮮な野菜を日々食べているんだナァと悔しい思い。今日は葉物野菜とクレソン、ニンジンなどを購入。(それぞれイチイチ美味しい。) さてシンノスケはもう数十回、オキラクハウスには来ているので、別荘特有の作業(雨戸開け、水道の元栓開け・・・)なんて仕事は言わなくてもやってくれるので楽だ。アミちゃんは下田デビューで沖縄にも負けない下田の海を見て興奮状態で顔が笑ったままの状態でロックされている。基本顔がニマニマというのは可愛すぎる。散歩したり昼寝をしたり、読書をしたり音楽聞いたり~~そんな全身から力が抜けたような時間を過ごしていた。 今日はヤマ(山野辺君、元・ヒルトンホテルの中華料理の名店、王朝にて修業。悲しいかなあまりの給料の安さで、仕方が無く夜は近所の中華ファミレスのバーミヤンにてアルバイトというユニークな過去を持つ。現在DD)が下田に来てくれて夜はチャイニーズナイトが催されるのだ。今晩は下田ミーティングなのだが、下田は結構な田舎でミーティングの終了時間の9時過ぎとなると、店は殆んど、やっていないし、ましてや20人近くの参加者の宴会なんて出来る店が無いので、いっそ《オキラクハウス》で中華料理人ヤマを呼んで忘年・チャイニーズパーティーでもしたほうが、皆も楽しめるかナァ・・・ということで朝から準備などで慌ただしいのだ。ボクは担当の”鳥鍋”を作るべく昨日、鳥専門店で購入してきた鳥ガラでスープを作ったり、ツクネ(鳥だんご)を作ったりと、殆んど”家庭の奥さん”みたいな昼下がりだ。(実は今、鳥鍋がマイブームなのです。全然中華料理ではないけど・・・) ここにいると、そんなキッチンで皆で馬鹿話をしながら、普通の時間を過ごすのが、すごく快適なのだ。ランチも地元サーファーのミネや彼女のヨッシー、グループのイケメン・リョウなども交ざり皆でパスタランチをした。今日は晴天で肌寒さはあるが、なにかキリリとしていて気分爽快だ。合間を見てサーフィンでもしようかと思ったらウエットスーツを忘れて己の”志”の低さを感じた。 夕方、皆で準備して下田の町の中の公民館みたいな場所のミーティングに出かけた。当然、ミーティングは楽しく盛り上がった。城野Wの盛り上げパワーは素晴らしい。元・有名音楽プロデューサーなのに、そんな過去を驕る事も無くサラリとAMの魅力、可能性を語ってくれる。彼のユルさが下田にピッタリなのだろう。最後の『いつかこの会場をグループで満杯にする日をイメージしてます・・・』というスピーチには本当にやられた。終了後、皆で移動してレッツパーティー!!だ。ローカルサーファーのジェフやユウジも駆けつけ、修善寺のジーザス(キリストにあまりにもその風貌が似ているので波田が命名!本名は山田君。しかし本当に似ている!)も夫婦で参加、伊東のチカちゃんも来て盛り上がり! 下田のモリオノ薬局店主にしてDDの森夫妻もグループで大挙参加。大食漢の森君(頭の中の思考回路・円グラフを書いたら80%が食べ物に違いない程の食通!) 様々なタイプの人々で今日も新しい出会いや感動が沢山あった。ヤマと弟のおかげで楽しく美味しく最高な夜になった。本当に感謝してますよ! 明日の事も考えずに、みんな永遠に、そんな時間を楽しんでいた。
11月29日(水)朝起きて昨晩の残り物の味噌汁とプロテイン、ニュートリを飲んで羽田空港に向かった。9時の羽田発のJAL沖縄・那覇行きに乗るには渋滞などを考慮して7時半には出なくてはならない。途中の環状八号線の蒲田付近の渋滞は、決して朝の清々しい空気と景色のマッチングは期待出来ないので避けたい風景であり時間帯だ。まぁ渋滞中もこの見苦しい光景を抜ければ青い海、青い空が待っていると考えると辛くはなくなるがぁ・・・なんとか8時に到着をして空港駐車場に停めてJALのカウンターでチェックイン。(普段ならばギリギリ好きなので8時半のチェックイン) 今日はJALの搭乗手続きの際に何が何でも頼まなくてはならない重要案件があるのだ。それはたかがクラスJに乗せてくれという事。なぜならば些細といえは些細な事だがJALのメンバー(グローバルクラブ)にもピンレベルがあって、毎年の搭乗実績によって様々な得点が得られるのだ。今年は大体の旅行や出張も終わりなので、それそろ点数を計算しておこうかとJALの専用電話に連絡し、年内の、すでに予約の入れてあるフライトをチェックして計算してみたら、なんと100マイルだけ足りない!!(ちなみに羽田~沖縄は995マイル、ボクの今会計年度の必要マイルは7万マイル、という事は現在69900マイル。)100マイルっていったらウチから下田位の距離。しかし足りないものは足りないのがコンピューターが判断する淋しい世界!情状酌量は無いのだ! 今日の行きのフライトはJクラス(一クラス上のクラス)が満席で仕方が無く普通席だったが、そこをクラスJに無理やり乗れれば、マイルが1、5倍になるのでクォリファイ完了!ということに気が付いた! ということは、どなた様かに席をお譲りいただくしか手は無い。または12月中に何処かに出張を作り出して無意味な旅をするか・・・・そんなのイヤだぁ。ということで普通より相当、早めに家を出て羽田に向かったという事だ。・・・・ そしてJALグローバル・カウンターに並ぶ三人の女子係員のうち、瞬時に誰がこの”無理難題”を親切に対応してくれるか判断! 結果、一番右側の愛嬌がある女子に決定して向かった。親愛の気持ちを込めて”女子係員Mさん”と呼ぼう! (普段なら一番左側の、どう見たって美人な子に突き進んだと思うが・・・・何故かこの美人は、今回の要職とは違うと判断。真ん中は愛嬌でもない、美人でもない、その子の対応が悪かったらアキラメも付かない空気の容姿とでも言おうか・・・・という事で”女子係員3号”が選任された。) そして一礼をして、目を見て、紳士的に朝の挨拶をし、スマイルした後に、非常に困った顔をして相談というか陳情、いや泣き落としが正しいかなぁ・・・とにかく事情説明したら、”女子係員Mさん”は”そんなご事情でしたら何とかして差し上げましょう!!”という母性本能的な心にスイッチが入ってくれて、ボクはひとまずラウンジで待機する事になった。その後、ラウンジで待つこと40分。その間、きっと、あの”女子係員Mさん”ならこの問題を解決してくれると信じていたからドキドキすることも無く平常な気持ちで待っていたが、だんだんに搭乗時間が近づいて少々、不安と言ったらウソではないが・・・搭乗時間の5分前に、さすが、ボクがミソメた”女子係員Mさん”は勝ち誇ったように搭乗券を掲げて走ってきた!それは、まるでマラソンランナーがゴールのテープを切った瞬間のように!!”波田さまぁ~~お取りできましたぁ~!!” やったのだ!!こんな些細な事でも達成は嬉しいのだよ。彼女の愛嬌は一層、可愛さを増していた。思わず彼女の手を握り”ありがとう!ありがとう!”と心からの賛辞をして、彼女から受け取った搭乗券を握り締め出発ゲートに向かった。(今考えても、手を握ってのお礼は立派なセクハラ事件として立件可能な事態であろう。)そして”女子係員Mさん”は最後まで手を振って見送ってくれていた。このピンレベルを達成するのにこんなにまで努力をする奴がいるのだろうか。(ちなみに特典としては国際線・無料アップグレード券三枚、ホテル無料宿泊券、クラスJ券10枚、そして待ち時間無しの快適な専用ゲートからの搭乗・・・他多数。) いつも”女子係員Mさん”の恩を忘れないで使おう! そして沖縄に飛んだ。小さな満足と共に・・・・・
PV-BV Corporation. Presented by Keijiro Hada