KEIJIRO のすべての投稿

人生の定番的日記です。下田《オキラクハウス》の夏。

多分、過去に何回か同じような内容の日記を書いた気がする。わざわざ調べようとも思わないが記憶にはある。仕方が無いのだ。これが夏の定番のライフスタイルであるし、こんな生活をイメージして目指していたのだから・・・・・・この夏も随分と長い時間を下田《オキラクハウス》で過ごした。オキラクハウスも今年で5年目の夏となった。毎年来る人もいれば久々に来る人も沢山いる。

人生の定番的日記です。下田《オキラクハウス》の夏。

みんなビックリするのが、毎年の進化だ。なんの進化かと正確に言えば、家と庭だ。この一年を簡単に振り返ってみても、裏のただのテニスコートがテニスコートでなくなり(テニスコートを庭にするには、まずテニスコートを破壊することから始まる。やってわかったが、フェンスの破壊、人工芝の撤去、下地のアスファルトの除去・・・・相当に大変だった。正確には福井達が大変だった。ご苦労様です。) 大体のデザインを考える・・・・植える木々、塀のデザイン、芝生の場所、植えるに相応しい木を選ぶのも簡単ではない。花も季節的に向いている花、向いていない花と知識が無くては出来ない事が多すぎる。(相当に園芸には詳しくなったが奥深すぎる。) とまぁ幾多の楽しい困難を乗り越えて、晴れて夏を迎えることが出来たのだ。(あまり中途半端な状態で夏を迎えると落ち着かない。)・・・・・・・・今年の夏も7月後半から北海道のイリモト御一行から始まり、山崎よっちゃんCAやシンペイ家、米村EXチーム・・・8月の下旬にかけてまで、延べ人数を計算したら約200人が遊びに来てくれた。(毎日平均10人、それが三週間続く!その間のビール消費量は約700本、ワインなんて恐ろしい量だ。)    夏は基本的に二泊三日でみんなが来るので、重複する日(前の班は三日目を夕方まで過ごし、次のチームは渋滞を避けて早朝に到着することが多い。するとある日のランチタイムは20人!そしてそんな日に限って地元の友達とか日帰りで遊びに来た友達が訪ねてきて25人のランチになるなんてことも頻繁にあるのだ。前はそんなランチは血相抱えて準備をしたが、もう全然、慣れてしまった。今年は夕飯も一度25人という日があったなぁ。

人生の定番的日記です。下田《オキラクハウス》の夏。

でもそんな日は準備をする人、仕込みの手伝いをする人、バーベキューを焼く人、どんどんと出てくる洗い物をサッサとする人、ゴミを整理する人・・・無言のうちに自分の役割が出来ていて、チームワークも良く和気藹々と和んだ時間になるのだ。だいたい2~4人組みのチームが3チーム来ているので、最初は他人、三日過ごすと新しい友達!みたいに新しいコミュニケーションがドンドンと生まれていくのが楽しいのだ。(そんなコミュニケーションから新しい仕事に発展した人、彼女が出来た人、結婚したカップルまでいるから可笑しい!!) サーフィン・デビューした人も数多く、かつてはウエイクボード世界ランクまで持った新潟の堀正樹はウェイクを捨ててサーフィンに没頭するに至っているキッカケもオキラクハウスでのサーフィンだった。園芸魂に火が付いた人、改築魂に火が付いた人、料理に、もちろんAМに火が付いた人も数多い。そんな沢山の出会いやキッカケが生まれたオキラクハウスは本当にハッピーだ。そして毎年、四季を通じて時間を過ごす事を楽しみにしてくれている友人が沢山いるということが、夏の楽しみのひとつになっているのは事実だ。 オキラクハウスはただのビーチハウスではない。人と人を仲良くしてくれる、そんな素晴らしい空間に発展している。 当分、夏はこんなスタイルで遊んでいるんだろうナァ・・・・・ちなみに、今年はどこも猛暑だったでしょ。でもオキラクハウスは一度もエアコンのお世話にならなかったんです。快適なんですょ!!・・・・・・・・・・来年も新しい”出会い”があるんだろうなぁ。今から楽しみだぁ。(余談ですが下田は一年を通して温暖な素晴らしい気候ですが、一年でベストシーズンは夏休み以外の時なんです。夏は人も多いし・・・・実はこれからが楽しいシーズンなんですょ。)

時代は変わる~~太平洋の上で大笑い!

今回のリーダーシップセミナーは誰もが大好きな”ハワイ” 何度行っても飽きる事無く毎回、楽しめる場所だ。今回は通常のスケジュールの三日前から入りハワイ・ライフを満喫した。数あるAМの招待旅行でもリーダーシップ・セミナーはグループの人も沢山、参加するので楽しい。パーティーも恒例のグループの食事会、グランドバンケット、エンターテイメントのCHIC(80年代のディスコミュージックを代表するグループ)も楽しみだが、それ以上に興味津々だったのがAmの新社長のJohnParker氏とのサーフィンだった。

時代は変わる~~太平洋の上で大笑い!

新社長が若いとは聞いていた。 日本を出発する二日前に社長の代理から電話がかかってきた。 『波田さんはサーフィンをされますか!?新社長のJohnParkerが、ご一緒にサーフィンをしたいと申しております。』正直、衝撃的だった。年齢が自分より若いというだけではない。接待ゴルフならわかるが、接待サーフィンの時代なのかぁ!!ということで朝の9時に集合ということでハレクラニ・ホテルの前のビーチで新社長を紹介された。なかなかのいい男!そして奥様もサーフィンをするということで紹介された。そして早々に入水。ここのポップスというポイントはビーチから相当に遠く、少々、体力が無ければポイントまで辿り着けない。先に既に入っていた細見ダブル、増田クラウン、シンペイEX、秋山EX、進藤由美子T、畑山健一郎T、梶原CA、堀W、北紺CA らと合流した。波のサイズは小さかったが、それなりに楽しめた。なにより、そんな仲間で入るのは本当に楽しい。(実はサーフィンのルール的にいうと仲間で同じポイントに入るのはご法度。少人数の地元民が気分が悪くなるからだ。)  そして、ある一本が最高だった。どうせ平和な波なのだからということで社長JohnParkerが乗ろうとした波に、堀W、畑山T、波田が同時にテイクオフ! 4人で並行して一本の波に乗ったのだ。皆でその平和感イッパイなライディングを楽しみながら奇声を上げて喜び合いハイタッチを何度もしてゲラゲラ笑いあった。その後も数時間、本当に楽しい時間になった。

時代は変わる~~太平洋の上で大笑い!

ランチタイムには、皆で上って記念撮影。そしてハレクラニ・ホテルのカフェで参加者全員でランチをした。新社長を囲んでのランチは本当に楽しかった。自己紹介的な話からマジなビジネスの展望などを聞けた。なんと入社15年で社長に就任という異例の大出世街道を歩んだだけのこともある。この次期・若き社長、ヤル気満々で日本にやってくる。きっと何かが変わるのだろう! 素晴らしいハワイでの午前中だった。

ゴールデンウィークは”穴掘り三昧!!”

昨年の秋に下田の《オキラクハウス》裏の使っていないテニスコートを、やっと買うことが出来た。そこでテニスなどは予定は無い。話せば長いのだが、最初にこの家を購入した時には海(ビーチ)には面してはいるのだが道路には面していない・・・・ということは不動産的価値はゼロ(法律上だと建て替えが出来ない。)という究極の難題を抱えた物件だったのだ。しかしオセロゲームの様に要所を手に入れないことには、話は進まない。その後、ご近所さんの民宿のご主人、植木屋さん、ペンションのオーナーと親交を深め、信頼関係(っていうか先方からボクを信じていただくだけの事。)を少しずつ作り、やっと最高実権を持つオバァ様に了解を得たのだ。

ゴールデンウィークは"穴掘り三昧!!"

このテニスコートには公道に面しているので、ここを利用すれば我が《オキラクハウス》も公道に面することになり万事休すとなるのだった。しかしテニスコートは面積350坪以上なので、どう考えてもそんなに土地は必要ではないので、ボクの使う予定のない部分を使って別荘を建てたい人(これだって隣人になるのだから誰でもいいという事はない。地元民はヨソモノを嫌う!)を探さなくてはならない。そんな幾多の難題を三年越しで解決して、やっと昨年の秋に最高な形で手に入ったのだ。・・・・・・そしてこの元・テニスコートも有効活用しなくては!! 当初は熱帯植物園案、プール案、バー&カフェ案、農地案、駐車場にして貸す案、トレーラーハウスを置いて・・・・様々な案となったが、いずれにしろテニスコートを破壊して整地して必要なモノ(駐車場三台分他)を作るのが先決。そして何故に急いだかと言えば、植樹を早く済ませたかったのだ。実は家の完成度は庭の木々で決まると思うようになったのは、この数年だ。『家は一年、庭10年』とも言う。要するに成長に時間がかかるのだ。だから要所の大切な木を早く植えたいという気持ちが爆発。ということは関連した”へい”とか入り口周りの植栽などは、早く作って植えて、残りの建物(今のところ三人分のベッドルームと野外バーが有力。)はジックリと考えながら進めようという方針だ。ということでゴールデンウイークは大工ハマーの指揮の元、強力な福井チーム、神谷アンドリュー、シンノスケ、仙台のコウコ、マコト、あつ子 などの混成チームに手伝ってもらい穴掘りを始めたのだ。

ゴールデンウィークは"穴掘り三昧!!"

100坪のテニスコートの表面に張ってある人工芝を剥がし(福井チームは冗談みたいな働きで2時間で全部、粉々に剥がしてくれた。)塀の予定の土地、約12メートルのアスファルトを、木っ端微塵に砕き、塀の基礎を作る準備をしてくれた。かたや塀の材料にする木材を切ったり防腐剤を含んだ塗料を塗ったりという作業も分担。仕事ぶりはビューティフルだった。そして三日間でお見事な進展を遂げたのだ。作業当日にアドバイスをしに来てくれた植木屋のご主人は、僕達の今回の作業プランを聞いて完全に『そりゃシロウトには無理!!』って目をしただけではなく、そのまんま言葉で発した。しかし最終日に来てくれたときには唖然!!!『今度、仕事、頼もうかナァ・・・』とまで言わしめる仕事ぶりだったのだ。うっふっふ 満足!満足!!~~今年の夏前の工事は楽しみだ!! 達成感を皆で楽しみながらの『サーフ&ロウドォー』ツアーは他では味わえない男のロマンなのだ。 これから夏前までに植え込みに植栽、大きい植樹(夾竹桃、ドラセナ他)そして側道のオキラクロードの塀も作り、芝生も植えて、新しいシャワーブースも作り・・・・・・果てしない空想はいつまでも続くのだ。波田の頭の中は文字通り”庭でイッパイ”だ。

10月10日は”悲願達成の日”

10月8日(祭日・体育の日) 体育の日といえば、昔は10月10日だった。いまだに毎年思い出す小学校時代の思い出がある。 小学校3年生の頃だ。とにかく自転車が欲しくて欲しくて仕方が無かった。当時は今では信じられないようなフラッシャー付き自転車が世間の子供の憧れであったが、そんなチャラチャラしたモノでなくて、硬派なブリジストンの自転車が欲しかった。(本当は相当にオタク化していてオーダーメイドのトーエイ号とかアルプス号が欲しかったが、値段が天文学的数字で母親にねだれる限界を超えていたのでブリジストンが要求範囲内と思っていた。)しかし望めど、望めど買ってはもらえない。母親も”通信簿で算数で4を取ったらご褒美に買ってあげる!”(五段階評価だった。)とは言うものの、算数は2から頑張って3が精一杯。母親は何かのキッカケと思い、ゆるい目標を定めたが・・・・・少年・波田ケージローには厳しいハードルであった。それが、何かの間違いか、偶然かぁ、たまたま隣の佐知子ちゃんの答案が見えてしまったのか(?!)、悲願の”4”を取れてしまい、自転車を買ってもらえたのが、小学4年生の10月10日だったのだ。波田はそれ以来、10月10日は”悲願の達成の記念日 “となっている。 母親と世田谷区奥沢の早川自転車店に自転車を買いに行った日を忘れない。あのピッカピカな白いブリジストン号が手に入った日は、泣きそうなくらい感激だった。たしか2万7千円だった。さっそくそのまま乗って帰り、家の周りをひたすらグルグル走り、止まってはスタンドをかけて眺め、また乗り回しては眺めて、そしてピッカピカに磨き上げた。それ以来、週末は自転車に乗っては磨き、乗っては磨きが日常になっていた。その日から、このブリジストンをいかに改造してカッコよくするかで頭の中はイッパイだった。考えたら、初めての自分が所有したオトナと同じモノだったのだなぁ。・・・・・・・モノが今ほどに無かった時代だったからか、今はそんな自分の”物欲”が懐かしいと思う。・・・・・・・・・・・数日前に納車された新車(普段のアシと冬対策で買ったボルボの四駆・XC90)で中央高速を長野県松本市に向かっている。10月10日の少年時代の思い出を懐かしく思い出しながら・・・・・もう、少年時代みたいな感動は感じないのかナァ・・・・なんて淋しい思いをチョっと感じてしまった。欲しくて買った車だがブリジストン号の興奮は無い。こんなにモノが余っている時代だけど、時代のせいにしてはいけない。物欲~我慢~物欲~興奮~物欲~爆発~物欲~勤労意欲~物欲~目標達成~~なんて段階を楽しんで買い物がしたいナァ。 今日は10月10日”悲願達成の日”

イトウシンペイの未知なる世界。

9月28日(金) 昨晩は目黒オフィスでミーティングをしていたので、アフターで遅くまでコーヒーを飲んで盛り上がった。と言う事は今日の朝の目覚めは大変にヨロシイ。(普段は起き抜けの二日酔い確認が日課なのです・・・)の田園調布まで一時間のジョギングをして街のパトロール活動。10時半からは目黒オフィスでの人妻ミーティングの宍倉久美子エメとの主催ということで9時半には家を出た。ミーティングは平和そのもの。とってもいい空気です。(自画自賛)そしてアフターは主婦とサボリーマンの10数人で、最近のランチの定番的に利用するインド料理の店”ルソイ”で食事。

イトウシンペイの未知なる世界。

その後、ミーティングに参加していた藤田Rと一緒に目黒のイトウシンペイの別宅というかオフィス、いやアジトを訪問した。実はこの日に至るまで数回の仕切りなおしをして、やっとの訪問。今回のセミナー(10月13日)のメインゲストがイトウシンペイなので紹介用のイメージ映像を制作する為の資料を借りるための訪問だ。  シンペイとは知る人ぞ知る仲なのだが、お互い若かりし頃に駅前で業界用語で言うところの”ガンのタレあい”がキッカケでの友達になった。今から33年前の出来事だ。

イトウシンペイの未知なる世界。

ここのアジトは五反田と目黒のちょうど中間点に位置して首都高速沿い、港区、品川区、目黒区に向かって殆んど視界で遮断するものがなく、とてもメトロポリタンな空気だ。築年数は想像するに30年前近く。なかなかなレトロ感漂うマンションは、またまた想像するに160?位のユトリそのもの。3LDKの殆んどは釣り道具、キャンプ道具が所狭しと並んでいる。(どうも放置に見えるがシンペイ的には心地よい部屋なのだろう。) シンペイは正真正銘の釣りキチガイだ。波田は”釣り用語”とか、詳しい話を説明が出来ないのが申し訳ないが、とにかくスゴイ。その入れ込みようは漁師の域だ。

イトウシンペイの未知なる世界。

以前、渋谷の某有名釣り道具店に行ってシンペイを良く知る担当者に聞いたが、その店で年間に落とす金額は軽く7~800万円と言っていた。(そんな金額の釣具なんて想像も付かない・・)また、オフィスには至る所にシンペイのセンスを覗わせる様々な品物がところ狭しと並んでいる。中でも本物のピカソのリトグラフは圧巻!なんと数年前に衝撃的な出会いをしてポンと衝動買いで600万円ですって・・・・。まぁシンペイズワールドはこんなページで軽く語れる程、小さくは無い。

イトウシンペイの未知なる世界。

山登りで言えば南米の最高峰のアコンカグアを制覇、釣りは南米のパタゴニアからモンゴル、ブラジル、アマゾン川の原住民宅にホームステイ(?)してワニの捕獲を習ったら、お返しにヘビの皮むきを教えたとか・・・とにかく世界中を飛び回る。日本の秘境、奥利根や銀山には半永住状態。まだまだ、語りつくせない。釣りだって行く時には一ヶ月とか数ヶ月! サーフィンをしにスリランカにも出かけていた。まぁとにかく趣味は多枝に渡り、それぞれがプロ的に制覇している。今回は彼の文章での説明はこのぐらいにして、シンペイズワールドを垣間見る、アジトを写真で紹介しましょう。

イトウシンペイの未知なる世界。

アナタの部屋の散らかりと、このアーティスティックな散らかり具合を較べてみてくださいね。 世界は広い・・・・・・・・Its SHINPEIS WORLD!!

石井俊八&千賀ニューエグゼクティブ・ダイヤの脳内解剖。

9月23日(日)人生には様々なセレブレート(記念日)な日がある。誕生日、入学式、卒業式、入社式、結婚式・・・・それらと同等にオメデタイ日にちがディストリビューターにとっての”達成”の日なのだ。AМビジネス的には8月31日で締め切られ、9月18日で正式認定となるので気分的には9月23日の達成ラリーは色々な意味で節目となる日にちであろう。さて今日は、待ちに待った石井俊八&千賀ニューエグゼクティブダイヤの達成ラリーが有楽町読売ホールで行われる。日ごろ自分達でラリーを開催する会場なのだが、なぜか今日は空気が少し違うのだ。この空気は”祝福””達成感”であろうか。 さて波田と石井俊八&千賀との出会いは約17年前だ。二人は波田からみると飯島ダイヤ(学校の先輩)→大熊ダイヤ(飯島氏の日本旅行の後輩)→中嶋裕エメラルド(日本旅行の同僚)→石井俊八&千賀(中嶋裕氏の実の姉が石井千賀)という系列になる。サインした当時から印象深い二人であった。サインに至るまでのエピソードは数々聞いているが、やはり中嶋E(通称ナカジー)の情熱が二人の好奇心に火をつけたのは間違いない。義理の母さん(ナカジーの母親)からAМを裕氏に辞めさせるように依頼された俊八氏。(戸籍的にはトシヤであるが、波田はトシハチと呼ぶ!)当時は某一部上場ゼネコンでエリートコースまっしぐら。過労で胃腸に穴をあけながら何回も入退院を繰り返す、まさに”会社人間”。 彼はその総力を振り絞りAМの秘密を暴露すべく調べつくした。最近のアホで低脳な人間と違ってネットでの調査とはワケが違う! 様々な文献を読破して、会社に乗り込み自分の目で調べ上げた結果・・・・自分もサインして活動開始という、いわば”ミイラ取りがミイラになる”という結果となった。その後のサクセスストーリー(これは肝心な部分であるが割愛します。)は当然に紆余曲折とまでは言わないが楽しいばかりではないが、きっと様々な事柄を楽しんだ事であろう。わかってしまった二人は自分達のサクセス、そして彼らのグループの一人一人のサクセスにベクトルが向いていた。そして俊八は様々な経験から様々なクチグセが生まれた。”ツイテル”はその代表的ボキャブラリーだ。一日に何回、何十回、いや何百回とその言葉を連呼する。グループへの電話は”もしもし”ではない。リーン、リーン、ガチャ~”ついてる~”だ!! そして完全にツキを見方にして、まさに宗教的といわれても仕方が無い位に”ツイテル”を連呼。今日も新しいラッキーを取り込みながら、新しい目標に向かっている。様々な人間の変化を沢山見てきたが、あの鬼の様な目をした会社人間・トシハチは、まさに時間と経済力の完全な自由を手に入れて、正に”自由人”となって今日も”謎のオヤジ”となり周りをハッピーにしているのだ。 ”ツイテル”に根拠なんてありゃしない。でも間違いなく言葉は”言霊”で”引き寄せ”なのだ。 彼らには、スバラしいサクセスストーリーを見せてもらいました。その集大成のラリーは素晴らしかった。ゲストで来てくれた渡辺正人氏のスピーチも完璧だった。世の中の仕事のサクセスとこのビジネスの成功と、大きく違うのは、ただの経済的成功だけではない共に成功を分かち合える仲間がいることだ。ラリーの最後の俊八のコダワリには感動した。(DVD見てください!)そしてフィナーレーの9系列の仲間と手をつないでバンザイをしている姿の石井俊八&千賀ニューエグゼクティブダイヤの姿を心から誇りに思えた。 ありがとう!!いいもの見せてもらいました。どんな映画より見応えのある素晴らしいライブのサクセスストーリーでした。そしてこのストーリーにはまだまだ、続編があるのです!コレはたんに序説にすぎないのです。 GО!ダブル・ダイヤモンド!!~

  • 石井俊八&千賀ニューエグゼクティブダイヤの達成ラリーのDVDの申し込み。
  • ①住所、②名前、③枚数、④連絡先(TEL&FAX)、⑤アップダイヤ、⑥ピンレベルを記入の上FAX03-3269-3170(有限会社マゼラン)まで。
  • 申込期限:10月10日
  • 発送予定:11月下旬 価格:2500円 送料・手数料:合計1万円未満1000円、1万円~3万円未満1500円、3万円以上サービス

久々のニーツさん。ニーツさんは新津さん!

2007年7月31日、久々にニーツさんに会った。ニーツさんは新津さんで新津章(ニイツアキラ)さんだ。ニーツさんは波田のフロントでダイヤモンド。22年前にAМをスタートして一週間目、ボクが三人目にスポンサーしたのが新津さんだ。(ニーツさんスポンサーリングは至上命令であった。当時は我々には信用なんてものは皆無であった。そんな自分に絶対に必要なモノが信頼を勝ち得るという事!スポンサーする友人に”新津さんも始めたんだぞォ!”と言うと全員が”じゃぁ間違いないナァ!”と納得してくれてサイン。そこまで新津さんの信用は絶大だった。) 関係を簡単に言えば、元の会社の上司。新津さんと初めて出会ったのは、波田が18歳の時に、押しかけバイト(バイトとはいえ2年間は無給だった・・・)のフラットフォーという、まだ産声を上げたばかりの三人しかいない会社だった。夢イッパイの会社と社長は本当に魅力的だった。最初の”志”が高い分、いまでは業界では屈指の大サクセス・カンパニーに成長している。新津さんは当時は弁護士を目指す法律学科の大学院の学生だった。超×100位におしゃれで、そのコダワリ感は今でも鮮明に記憶があるほどに衝撃的なカッコ良さだった。(当時、深夜にアメリカのドラマで”若い弁護士達”という番組があって、お洒落な若き弁護士が問題をどんどん解決していく、という正義感あふれるインテリな若者・弁護士が主人公のドラマがあったが、相当にその主人公とラップしていた。)そのニーツさんとの出会いがキッカケで波田も”ファッション魂”に火が付いたといっても間違いがない。初めて見たときは、フランス製のソレックス(黒い自転車に原動機という小型エンジンが付いた乗り物でモペットという当時、パリジェンヌが愛している乗り物。日本ではまず見ることは出来ないシロモノ。)に乗り、当時ではまだまだ珍しいハンティングワールドのバックを斜めにかけて、(ルイビトンのモノグラムも初めて見たのはニーツさんのモノだった。)セーターは上質なイギリスのプリングル、パンツは誰も履いていないリーバイスのコーデュロイ、靴は見たことも無いクラークス、タバコはフランスのジターン。(名優アランドロンも愛したジターンがニーツさんの大人の香りだった。) 車はフォルクスワーゲンのバリアント、50年代の真っ黒いビートルにも乗っていたナァ。とにかくお洒落の極地だった。あんな選択眼はどうやって養ったのであろうか・・・・当時はまだ、ファッション情報誌ポパイもブルータスも無い時代。せいぜいメンズクラブ位だったからなぁ・・・そんな、とにかく時代の先端だったニーツさんとは、かれこれ30年の付き合いになる。   お互いのAМのビジネスが順調になるにつれて、だんだんと会う機会も減り、いまや意識して待ち合わせをしないと会えない位に忙しくなってしまった。ということで一ヶ月前に調整して、やっとお互いのスケジュールがあったのが7月31日だった。東急東横線の学芸大学駅で待ち合わせをしてニーツさんの知っている寿司屋を訪ねた。(これまたいい店だった。)ニーツ氏は超グルメで波田が知っている店、発見した店なんてとうの昔から、ことごとく全て知っているのだ。その情報量は本当にスゴイ。(自動車の情報量もスゴイ!自転車もスゴイ!何でも本当に良く知っている。)そんな久々の酒宴は昔話チョット、趣味の話が殆んど、AМ話もチョコっととで楽しい時間だった。年の頃、55歳だというのに、そんな空気は微塵もない。一昔前なら定年の年なのに、こんな健康体を放っておいたら危険だ。(最近は毎日、ロードレーサーでツーリングしているらしく筋肉ブリブリ!)そしてルックスが若い以上に脳が超若いし、発想なんて子供だった。・・・・・昔からの友達(いや、先輩です。失礼!)が幸せなのは、自分にとっても幸せだ。少なくとも、このビジネスがニーツさんの思考も、様々な選択も若くしているのは事実だろう。長い目で見て・・・・ビジネスの成功ってナンだぁ!?!と考えたとき、自分らしい素敵なライフスタイルを送り続けるニーツさんは充分な成功者なのだと思った。ダイヤモンドなんてもったいない程の実力なのに・・・・

悲願の17店舗ハシゴ・・・・新潟の堀正樹に学ぼう!

2007年7月11日 新潟の堀正樹はダブルダイヤにして二児の父、ウェイクボードの世界ランキングをもつ腕前にしてサーフィンに熱狂中。日本中、そして世界中をサーフトリップして回っている。その上、新潟市内で17店舗の店を経営しているというのだから感心する。今回はその17店舗を全て案内してもらおうというのが、その趣旨。店がどんな店なのか、どんな状態なのか、どんな料理で雰囲気で店員さんがいて・・・・是非見てみたいと前から思っていたのだが、なかなか機会が得られなかったが、ついに実現の時となったのだ。夕方に波田は新幹線で新潟に入り、同行の井利元Wは札幌から空路、駆けつけた。折角なのでミーティングが企画されていて、19時からお仕事なので早々に戦略会議が開かれる。と言うのはミーティングをしたら終了は21時、それから17店舗周りと考えると、実質4時間で17店舗ということは240分÷17=14,11分/1店舗当たり・・・・という計算だ。食事どころかドリンクを注文して出てきた頃には次の店へ・・・・なんて状況も考えられる。ということでミーティング前に行かれる数軒の店に開店同時に乱入作戦で、イタリヤ料理店の大箱の”ラルゴ”を視察。ここは日本海側一番の音響施設を備えている。(しかし日本海一という比較級があるんだなぁ)そしてベトナム料理の店”ハノイ”(この店だってスゴくて、堀と一緒にベトナムのハノイを旅行して、帰ってきて一ヵ月後にはその店が出来ていた!しかし旅先で出店計画なんて、一切そんな話は出ていなかったのになぁ・・・)にてフォーと生春巻を食べて、早々に移動して、ナナメ迎えの焼き鳥屋へ出かけて注文したのは、名物の鳥つくねとウーロン茶(ミーティング前には流石に飲めないからネェ・・ちょっと辛かった。>^_^<)・・・その後ミーティングに挑んだ。持ち時間の二時間半は全て井利元と波田が担当!ハロートークも無い。ビールを美味しくするためにも120%の全快状態で飛ばした。なにせ会場は恐らく定員の220%は入っていたよ!消防法をナメてるか、会場の担当者を手なずけた意外には考えられない。ミーティング終了後はイッキに堀号で市内に戻り、戦いは始まった。申し訳ないが、それぞれの店名はハッキリと記憶していないので悪しからず。最初は和ダイニングの店。奥の個室が落ち着いてイイカンジ。何故か同行した姫路の重田洋子さんと宮崎五子も落ち着いたソファーでくつろいでいる。しかし落ち着きすぎて時間がドンドン過ぎている。堀は、聞くと、はなから全店制覇は無理と決め込んでいるではないかぁ。そこで奴の間違った考えを一撃して、キッチリ正して波田の覚悟と意思を確認してもらった。その後、その一階の居酒屋、近所のアジアンダイニング、洋風居酒屋、ダーツバー、不思議なバー~~~~~~をどんどん店から店を回った。それぞれに個性があり、作った経緯(いきさつ)を聞きながら飲むのは楽しい。店の数店は一年以上ぶりの社長の訪問にビックリしている。最後の焼酎専門バーでは、本当に全員ともぐったりと疲れたが楽しい時間だった事を一軒ずつ思い出して確認しあった。今回、堀の言葉で印象的だったのは”人ありき”ということ。店をやりたい人がいて、その人の責任で店を作り運営も決済も任せているのだ。(回った店の中の一軒で”足長おじさん”という店があったが、まさにその人が堀なのだ。)何かをやりたい人間にも最高のチャンスを提供して、当然に利益も分かち合える関係をもてる人間関係を作れている・・・・これって素晴らしいことじゃない! これが堀の幸せの”源”の考え方なんだナァ・・・・・学びました。有難うございました。また今回、運転手をしてくれて段取り良く回る手配をしてくれた富樫エメにも感謝です。   あぁ~~~オレも堀様になりたいなぁ。

少し大きなお買い物・・・・迷いは無し!

6月25日 お買い物をした。少し大きい買い物だ。夢リストを確認したら、そんなサイズの夢は書かれていなかった。でも正直、時々だが考える事はあった。何となくねぇ・・・ ボクは十数年、ほぼ毎月、沖縄に通っている。最初はダイビングがてらAМのグループ・ フォローというのが大義名分であったが、そのうちにフロントが出来て、グループが出来だして独立、また別にもグループが出来て、また独立、そして新たなグループが出来て・・・ダイビング熱は一時的に冷めてしまったが、沖縄熱は冷めるどころか、どんどん増していき、どんどん好きになっていっている。離島(石垣島、宮古島、与那国島、西表島、竹富島、小浜島、慶良間諸島、・・・)も随分、行ったが本島が好きだ。それは自然と都会(程よいサイズの街)そしてアメリカ文化が根強く残っているところであろうか。ここの中心は米軍基地。基地の周りにはアメリカから持ち込まれた文化が色濃く残っている。食べ物、家具や家、文化にまで浸透している。

少し大きなお買い物・・・・迷いは無し!

沖縄には一泊1日で通う事も多いが、(昼過ぎの便で那覇に着いてミーティングをして居酒屋で飲んでホテルで倒れて、翌朝8時台の便で東京に戻る・・) 近年は滞在時間がだんだん長くなってきていた。それでも二泊二日程度かなぁ・・・・なのに毎月、来ないと何故かリズムが狂うような気持ちにさえなってくるのだ。そんな沖縄には天気や土地からくる魅力もあるが、人間の魅力は大きい。素晴らしい出会いが出来たといえば、全てだが、出会う人、出会う人が本当に素晴らしい。ノンビリしすぎている人も多いが、それもオッケー。  だいたい沖縄の人は本当に沖縄が好きで、東京に働きに出てもスグに帰ってきちゃうし、何かに付け沖縄は素晴らしいって話をしている。・・・・・まぁボクも同じ部類だよなぁ。  ボクにとって沖縄での魅力的な”家”は二種類で、昔からある”琉球住宅”(赤瓦で木造、軒が長くて日差しをさえぎる、畳の広間が続く伝統的な住宅)良く沖縄の映画といえば出てくるタイプだ。 または”米軍住宅”と言われるアメリカ軍のベース(基地)の中にあるアメリカ人に住みやすい”小さなアメリカ的”平屋の住宅なのだが、これは本島にしかない。そして当然に日本人にも住みやすい家。(これは個人の趣向によるなぁ。) 時々市内に数十件の集落の様に米軍住宅が建ち並ぶ地域がある。 いずれにしろボクの好きなそんな住宅は減少傾向で、だんだん貴重な存在になることは必須だ。 古いものに強く惹かれる、ボクの趣味は、いつか住んでみたいなぁ・・・的な希望的観測はあったが、そんなに現実的ではなかった。ただ東京の価格と較べるとワンルームマンション程度で買えるのは事実。ならばオフィスとか使い方はあるかナァ・・・あの頃に手に入れていれば・・・・なんていうのも淋しいので、何となく酒の席で岩渕テッちゃんに、何かあったら情報をちょうだいねとは言っておいた。(テッちゃんはこの手のお願い事には誠心誠意答えてくれる。) そしてそんなお願い事も何ヶ月もたって忘れ始めた頃にテッちゃんからのメールが届いた。『こんな物件がありますよ!ケージローさん見てみたら・・・・』 正直、見るのが怖いナァ~的な思考が脳を走ったが、即クリックしたのだ。(それが丁度、下田工事が終盤戦でだいたいの完成図がわかった日の夜だった・・) そこには、かつて見たことも無い位の素晴らしい物件があった。 家自体もパーフェクトであったが庭が凄かった。庭の充実した家というのは沖縄では希少なのだ。(どういうわけだか人々は庭に過度なエネルギーを注がない。緑は山に行けば沢山あると考えているからであろうか・・・沖縄だけではないが・・)その庭には樹齢100年級のホウオウボクやシークアーサー、またマンゴーなどが自生しているのだ。アレカヤシなど見事で植物園状態だ。

少し大きなお買い物・・・・迷いは無し!

また道路から一段下がり、家が建って、もう一段下がって庭がある。遠方には太平洋も望めるのだ。おそらく米軍の将校クラスが庭を愛しながら長く住んでいたのだろう。 ということで後日、沖縄に行く日に内見のアポを取った。そして、約10日後に現地を初めて見たのだ。・・・・・・・・・正直、衝撃だったなぁ。現物は写真などよりズッとかっこ良かった。沖縄の家に本物の石積みの暖炉なんてお洒落すぎる。 当然、欲しくなったが、なにせ家を買い集める趣味など、まるでないし、時々住むにはデカすぎる。オフィスにするには大きすぎる・・・・何に燃えたかと言えば、この場所でカフェを開いたら、相当に地元民に喜ばれる素敵な場所になると思ったのだ。・・・・しかし良く話を聞けば、すでに手付金を入れている先約があるという。でも、そんなのは全然、大丈夫だと察知した。絶対に”引き寄せ”られるに決まっている。(波田の不動産引き寄せパワーは凄いんです!!)・・・・・そして一週間後に不動産屋さんから連絡があり、手に入ったのだ。 また引き寄せてしまったナァ~~そんな安易なカフェ構想がスタートしてしまった。しかしやるからには中途半端はしない。今はそんなテキトーな事を言っているが、やるときにはやりたい。自分の理想をジックリと考えよう。やはり潜在的には何かをやってみたいと言う考えはあったんだよなぁ。   だから実現しつつあるのだ。そして考えた事がなかった夢を手に入れるのだ。
沖縄方面の大工さん、水道屋さん、植木屋さん、食材屋さん、カフェの店員希望の方、なにか素敵なアイデアのある方、メール下さい。

久々の”奴隷マスターズ”の顔見世。

2007年6月4日 久しぶりにハイスピードで下田の工事をしている。5月の連休に始めた下田第15期工事(本当かよ!)は裏のテニスコートを破壊、そして普通の土地にしてから庭として機能するようにしなくてはならない。プール案、熱帯植物園案、温室案、バー案、カフェ案、トレーラーハウス案、パオ(モンゴルの丸いドーム型据え置きテント)、丸太小屋でビレッジをレンタル・・・・・様々な案が出たが考えているうちに迷い迷い迷いまくり・・・・飽きて次のアイデアに移り・・・・・デザインも散々考えているが今だ、結論には至っていない。(ゲストハウスは必須なので場所はあけてある。) ということで、大体のグランドデザインは出来たので見切り発車!

久々の"奴隷マスターズ"の顔見世。

一気に夏前になんとか出来るまでやろうというのが今回の工事なのだ。まずはガレージを作る。その線引き、塀を作るので基礎を掘る工事。こんな時に怪力・福井チームは本当に100万人力だ。塀だって何もこだわらないアミのフェンスにすれば、まったく問題は無いだろうに、しかしやはりカッコいいのは”木”だろう。メンテも手間も費用も全部大変なのに・・・・・・今回の工事で裏庭から母屋をグルリと塀で囲うことにしたので、その調達した木の量だってハンパじゃない。またそれを一枚一枚丁寧に防腐剤がはいった材料で二度、三度とペイント、ソレが出来たら植栽にかかる。

久々の"奴隷マスターズ"の顔見世。

ドラセナインディーサを13本、巨大ソテツを3本、細かい木々を大和田健(大和田剛の弟で庭師)と相談して東京の市場で購入・・・膨大な量を植え込んでもらった。そして芝生も入れられて完成の粋に!!  今回の工事には、久しぶりの菊池優D(オキラクハウスでは奴隷マスターという最高ピンレベル)が来てくれて、一緒に穴掘りをした。ヤツは本当の創設期(5年前のまだ廃墟だった頃。いや、初めてオキラクハウスを発見したときも一緒だったから真の生き字引だ。)を一緒に手伝ってくれた、いわば恩人だ。久々のオキラクハウスで日々遂げている発展を見て喜んでくれた。オキラクハウスには最初からの工事が写真で記録として残っているが、そのヘビーな工事の写真にはだいたい菊池、岩渕あたりが写っている。福井チームも劇的な変化を作業してくれた”恩人”で今回もサーフ&ロードウのハードスケジュールを楽しんでいた。夜の”宴”はどうしても昔話でも盛り上がった。

久々の"奴隷マスターズ"の顔見世。

世の中には様々なハッピーな姿があるのだろうが、オレはこんな瞬間に幸せを感じる。素晴らしい仲間がいるということは、実は最高の財産なのだと思う。《オキラクハウス》の完成までの道のりは確実に進んでいる。沢山の人々に愛され、沢山の人が集うここ《オキラクハウス》、いつも楽しいオーラに包まれている。・・・・・・・・今年も沢山のお客さんがやってきます。うっふっふ~~~楽しい。