2005年7月26日(火)≪下田・オキラクハウスでの夏の生活、沢山の友達が訪ねてくる日々 ≫ 台風9号が東海、関東地方に向かってきている。 昨日から”暴風・波浪・洪水・大波・警報”が出ていて恐怖だ。気象警報関連の警戒警報がすべて出ている感じ。これ以上の警戒態勢はあるのだろうか。我が家は最高な立地条件だけど、その分、天災の恐怖感は臨場感を伴いハンパではない。いつもの平和な砂浜の、なんと波はすぐそこまで来ているではないか。スマトラ沖地震の津波の映像を見て以来、決して他人事ではないぞ!! 外出もままならず家でウダウダしながら過ごしていた。サーフィンなんてとんでもない。海には人っ子ひとりいない状況。昼前に遅れに遅れて電車で少年・宮田岳(ガク)がやってきた。岳は現在高校二年生、小学2年生ころからの付き合いでウチの娘と小学生時代を共に過ごしてきた。(家が近くで両親はEme)ダイヤモンドフォーラム・フロリダのディズニーワールドにもウチの家族として行ったこともある。下田駅に迎えに行ったら少年・宗一郎(次男七歳)が180センチを超える岳に向かって『ガックン大きくなったねぇ・・・・・そういう、お前もナァ・・・』という二人の会話が笑えた。宗一郎、元太朗にとっては憧れの存在なのだ。今回、オキラクハウスに来ているのは岩渕テっちゃん、沖縄のケイコちゃん、菊池Dと北野E(三人の男は誇り高きオキラクハウスのA会員という重労働により改築を手伝ってくれた名誉会員なのだ。)あとは岐阜の松田ルミちゃんと友達のチハルちゃんとトモちゃんのギャル三人。夕方、あまりに暇なので近所のゴキゲンな温泉”千人風呂”に入りに行って長湯をした。ここは本当に快適な温泉なのだ。菊池は自慢の”オネーさん踊り”を少年達に伝授していた。他の客がいないとはいえ露天風呂でのその光景は・・・逮捕だょ。ゆうがたになり台風がそれて雨雲の間から晴れ間が出てきて一安心。とてもサーフィン出来る状況ではないが雲の切れ間から見える青空は本当に清々しい。夕飯は焼酎&バーベキューナイトをして結構飲みまくったゾ。そして沖縄・ケイコ嬢はお誕生日なので皆でお祝いをした。

下田の気の効いたケーキ屋を知らないのでお手製ナベデモ・チョコレートケーキのレシピーを速攻で送ってもらい製作して祝賀。なかなかかわいく出来た。3メートルのダイニングテーブルには左側に子供達(少年ゲンタローの親友のシュウヘイも預かっている。)右側には大人達が座り盛り上がった。久々の少年・岳は大人と子供の中間で双方の会話に入り、それぞれと話しを合わせて面白かった。そんな楽しい”宴”は深夜まで続いた。岳は少年達とも本当によく遊んでくれたのだ。少年達は前のビーチで花火大会。明日はスイカ割りと基本的夏休みの正しい生き方、過ごし方を実践している。これから毎日様々な人間が入れ替わり立ち代り出入りして、飲んで食ってアホ話して、盛り上がり過ごす。ここ”オキラクハウス”は人生のお気に入りの場所だ。
6月30日(木) 最終営業日だ。一ヶ月の集大成(そんなに大袈裟なことではないかぁ。)朝から色々と慌ただしいかんじだ。とは言いつつ午前中の2時間はジムにて発汗。ルール違反だが携帯電話はスイッチは入れてあるが大した電話は無かった。勝負はまだこれからだ。帰って浄水シャワーを浴びて気分爽快のなんのって! ランチは家でパスタを食う。我が社というか我が家はランチは社長が作るのが恒例なのだ。本日は二種(夏野菜ペペロンチーノと茄子のトマトソース)その後、7月のスケジュールを仕上げて、細かい予定を立てて、ホームページの更新、そしてユメに頼まれたホームページの原稿を書き上げたりした。(ユメとは進藤由美子トリプルダイヤの事。彼女の有名サイトの投稿を頼まれたのです。せっかくだから読んでくださいね。)なんか雑務に終われる月末なのだが少々の緊張感とワクワク感が好きだ。そんなことしているうちに時間も遅くなり夕飯も食いそびれているのでニコタマ高島屋デパ地下までヒョイと行って数点のオカズを購入。そして帰って8時すぎ、最後の点数確認をしてニィマァァ~~うふぅぅ! 皆、達成しているじゃないのぉ。頑張ったナァ! 祝杯のエビスビールで乾杯!今日は新しい達成者も続々出たのでご褒美に取って置きの焼酎”森伊蔵”を飲もう。(買ってきたのは薩摩揚げ他 焼酎にピッタシアイテム。)焼酎飲みながら達成者からの電話で盛り上がった。。みんな気分良さそうだ。本当に一ヶ月頑張っていたもんなぁ。試される日々だったと思うよ。ボクがSPやったときの感動を今、思い出す。その感動を100万人に喋りまくったもんなぁ。今月は沖縄グループの一系列が先月にニューSPが誕生して、今月はDDが出た。長く通ったかいがあったなぁ。(大平夫妻おめでとう!スギノもおめでとう。あとからもニューリーダーがどんどん続いているぞぉ!)という上昇気流を感じる。みんな、どんどん跳んで飛んで素晴らしい夢をつかみとって欲しい。今夜のビールはいやに美味しい。 《 進藤由美子トリプルのホームページ掲載の文章 》 すばらしきブランド”シンドウユミコ” Message From 下田≪オキラクハウス≫ 波田ケージロー 6月下旬、天気はあいにくだが十数人の友人と下田の通称《オキラクハウス》でサーフ合宿をしている。ボクにとってはサーフ合宿なんてカッコいいものでは無く暴飲暴食の日々である。今回はサーフィン界の重鎮、テッド阿出川氏が不慮の病から脅威のリハビリで復活し、医者も驚くほどに回復して、ついに久々のサーフィンを復活デビューするということで水の温かい下田にご子息のジュン君と来てくれたのだ。そしてその復活を祝う人々でとてもにぎやかな日々となった。 さて、ここ≪オキラクハウス≫は着工後二年目の先月で庭の造作も終わり、昨年の台風22号でダメージを受けたデイゴやハイビスカスなどの木々も復活の兆候である。今年植えたブーゲンビリアはすくすくと育つが、目標のタナに生い茂るのは10年計画であろうか。”家は一年、庭は十年”という言葉があるがとても幸せな気の長い作業なのだ。このアメリカ人が35年前に建てたビーチハウスは3年前には廃墟スレスレだった。そして現在は二年の歳月と無数の労働力に支えられ完成の域である。しかし家の修理、補修仕事はドンドンと湧き出てくるのだ。全部やり終わると性格的に飽きるので、今後の作業はスローダウンしてノンビリと計画している。こんなに楽しい作業はゆっくりと楽しみたい。昔、とても高尚なインテリア誌 エル・デコに “主人の居場所”という写真が毎号掲載されていて各界の著名人、アーティストの家の中にいつでも居る、お気に入りの場所を紹介していた写真がとても面白かった。著名人はお気に入りの場所で気軽に好きな事をやっている姿が印象的だった。それは書斎の椅子であったり、ダイニングの定位置とか、キッチンの片隅の椅子や、書庫の前のソファーであったりと、おそらく本人には、とても落ち着くし居心地のいい場所であろう写真が良かったが、そこは決してカッコ良くなかったり綺麗でなかったり、意外にその人なりの汚れ、散らかりがある場所が落ち着いたりするのだが、そんなその人の素顔が垣間見られるのが楽しかった。ボクの人生のお気に入りの”居場所”が下田の家のダイニングである。3メートルの元アメリカ片田舎の納屋にあったであろう作業台がこの家の”主”になるダイニングテーブルだ。座る場所の定位置は特には無いが海を正面に見る側に座りパソコンを開いたり読書をしたりするのが好きだ。(今もそこで書いている)ここで朝飲むハワイアン・コナコーヒーは格別だし友人を迎えて飲むワインも楽しい。 また家と同じくボクを魅了する心の故郷である下田の町にはお気に入りのカフェ数軒、魚屋、肉屋、食材屋、大工道具屋(ホームセンター)レストラン、居酒屋と生活を豊かにしてくれる店がある。そしてそれらの店は単にモノを販売してくれるだけではなく半地元民として暖かく迎えてくれているのだ。こんなお気に入りの場所を地球上に発見出来たのは本当に幸せな事だと思っている。 ところで進藤由美子からホームページへの寄稿を頼まれた。断れるはずもなく快諾。ボクも彼女のホームページは読んでいたから書いてみようと思った。そう”シンドウユミコ”の事を! AMには様々なシゴトを超越した魅力があるが、その結果を出した人々の生活は人に希望と夢を与える。そしてその表現方法が具体的でわかりやすい。毎年更新されるエグ本は、そんな好奇心と夢を満足させる本だ。ディストリビューターには誰々のような生き方がしたいという人が多い。 グループの女性にどんな将来にしたいの? どんな人になりたいの? と聞くと圧倒的人気なのは”シンドウユミコ”である。”浜崎あゆみ”とか”松浦亜弥子”になりたいとは返ってこない。”叶姉妹”も無い。その”シンドウユミコ”という名前から連想されるのは自由、快適、ユトリ、旅、経済的自立、美人にしてカワイイ性格、そして強い意思、好きな男を愛するハート、そして愛される女、バリ島との二重生活、海、二年間のサーフトリップ、カリスマ性、話し上手にして聞き上手、サーファーガールにしてシティーガール、永遠の少女・・・・・・・・”シンドウユミコ”はもうブランドとして確立されているのだ。しかしこの確立とは決して最終系ではなく進化型にある。だから私も”シンドウユミコ”さんの様に生きたいという女性は世の中にものすごく多いのだ。これからも、そんな世の中の女性に希望を与え続けて欲しい。オレも女なら”シンドウユミコ”のように肩に力を入れない生き方、ナチュラルな生き方がしたい。 彼女は沖縄の石垣島に永住計画を考えているらしい。また突拍子も無いアイデアと思ったが天性の嗅覚から感じたものに間違いは無いだろう。その期待を裏切らない魅力が石垣島にはある。経済的、時間的、人間的、社会的な自由があるとアイデアは際限の無い世界に突入するのだ。アナタが本来の人間的な生活をする為に必要なモノは何か・・・・・アナタが自分で答えを出して欲しい。賞味期限付きの人生を何処でどうして誰と生きるのかを・・・・・・・それには何が必要かを・・・。
6月12日(日)朝から岡本経由で羽田に向かい10時半発の日本航空で大阪に向かった。大阪は通常、新幹線なのだが、今年はJALのグローバルクラブ(お得意さんクラブ)の中の上のレベルのクオリファイの為に無理やり搭乗回数を増やしているのだ。まったく目指す、狙う、勝ち取ると言う事にどうしてこんなに執念を燃やすのであろう。ということで伊丹空港には以前に下田の家に高畠秀と一緒に遊びに来てくれた鈴木君夫妻が迎えに来てくれて、そのまま今日のミーティング会場のあるアメムラ(アメリカ村)に向かう。

今日は”エグパラ”(エクゼクティブパラダイス)という高畠秀Wの主催するミーティングのゲストなのだ。結構、伝統的なミーティングで今回で何回を迎えるかは知らないが出演した友人から”楽しかった!”の連発で興味津々だったのだ。クラブみたいな会場で、みんな酒飲んで特種な空気だったがステージ上のボクは結構スピーチを楽しんだ。ノリは素晴らしき関西人だし、秀の司会はお見事の一言。どんどん話しを盛り上げてくれた。しかし来ている連中は実に若い。そして若そうな年配もいっぱいだぁ。ミーティングの終了後は近所の”ママロ”(桝本Tのスープカレーの店)でアフターをした。その後は小さな洒落たワインバーで久々の上延Dと数人でじっくりお話。とても楽しい時間だった。上延は某有名蕎麦屋の十数代目で家を継ぎながらにしてAMも頑張っている。俳優バリのハンサム顔で、オレがこの顔なら人生大変なことになっていたであろうナァ・・と思う。その後、観光旅行でビックリな通天閣裏の赤線街を散策。(波田の希望です。誤解無く。)そして、悲願の高畠家を訪問!楽しみにしていたんだぁ。今日は”高畠旅館”に宿泊なのだ。

高畠家は、それはそれはカッコいい日本家屋でその上、大阪市を見下ろす八尾市の高台で半端なしの絶景が望めるのだ。(夜景も朝もすごかった。)家は十数年前に総工費ウン億円をかけた正真正銘の宮大工が建てた日本家屋で釘は使わず、細かい細工がまたまた素晴らしいのだ。窓は当然の建具屋の作った木製。半端なものではなく、別棟には蔵まで付いている。手入れの行き届いた日本庭園、そして住み方が超お洒落で和の部分はそのまま素敵なイサムノグチなどのライティングや小物でまとめ、またリビングとダイニングはモダンに仕上げ、カッシーナの真っ赤なソファーが効いていた。外人のインテリア好きに見せてあげたら泣くだろうなぁ。一人で感動しまくっていると、愛妻あっちゃんの有名な接待攻撃が!!それはウワサ以上の多品目の食材がアテ(東京で言うツマミ)が出てきてビックリした。量もすごかった。あっちゃんはものすごい料理好き、接待好き、人が感動するのを見るのが好きなんだなぁ。ビールが美味しかった。しかしAM界でもっともアバンギャルドなファッションを愛する秀夫妻がこの家に住んでいるということがスゴイし、カッコいいなぁ。

ぶっ飛びなファッションセンス、レンジローバー、息子ゴウと愛娘ララちゃん、笑いの帝王、40代でバリバリのサーファー・・・・良いもの見せてもらいました。アリガトウございました。ラィティングした日本庭園を障子の雪見窓から見ながらフカフカな布団で熟睡した。 これが京都の俵屋に泊まってるみたいだった。
5月26日(木)昨晩は酒を飲まなかったので朝は快調!しかし飲まない人生が正解かとは思えない。砧公園を一時間、発汗ジョギングをした。春らしい木々の息吹きは季語の”山笑う”という言葉を連想させる程に美しく楽しそうだ。何故か公園の片隅に”デイゴ”の樹があるのだが、下田のオキラクハウスの庭の木と同種類でボクは勝手に下田と砧公園を国交樹立姉妹関係を結んでいる程に好きな木なのだ。最近は筋トレしたくてジムにばかり通い、外で走る回数が激減したので爽快感は倍増。そして家に帰り快適浄水シャワーを浴びて、午前10時半から目黒オフィスでミーティング。この月一の定番ミーティングは結構、好きなのだ。夜のミーティングだと地下の80人入る部屋で行うのだが目黒オフィス4階のミーティングルームは30人しか入らないが朝のミーティングはそんなに人が集まらないので、ここだと顔がみられるし生声で話せるので参加者との一体感がもてて好きだし、ミーティングが盛り上がる。(気がする)共同主催の宍倉クミちゃんは元気満々なEMだ。本当に明るくて陽気で無邪気で楽しい。(出産、育児で数年間お休みしていたが突然にカムバック、そしてちゃんとしっかり新しいグループを作っている。すごいなぁ。育児中の何年もしっかりとAMの収入が入っていたと言っていた。)今日も面白いヒトが色々と来ていて楽しいミーティングだったなぁ。アフターは”タパスタパス”というパスタ屋でランチした。(携帯の電池が切れそうなので充電を依頼したら法律でダメだと無碍にも店長に断られた。どんな法律だよぉ?客にサービスしてはいけないのかぁ!?ケチ以外の何者でもない。悲しい雇われ店長に淋しさを感じた。二度と行かない。絶対に行くもんかぁ!いったい今まで何百人の友達を連れて行ったのだ!!サービスって何だかわかっているのだろうか。バァーロゥ!奴はたかが電気で多くを失った。)ランチをしてから楽しみにしていた三軒茶屋のうらぶれた映画館で”モータウン”※―1 という映画を見た。。この映画の存在を知らなかったのだがJ―WAVEで少し紹介されていて、上映最後に間に合ってみることが出来た。これは強力に感動。実は数年前の映画みたいだが音響的にはDtsという高度な録音技術が施された映像なので、それなりの施設でみたら5,1チャンネルで感動倍増なのだが、なんとこの映画館は昭和初期から改築無しでひどい椅子と音響。だけど何故かこの映画をより一層印象付ける役割を果たしたのだ。しかし最後の一行に鳥肌立ちましたよ。ブラック系ミュージック好きなら必見。その後、渋谷経由で目黒にて恵美のプロスペクトと大戸屋で会ってメシを食い話をした。少し風変わりなオジサンだったが・・可能性である。夜の本日2ラウンド目のミーティングは20時からで、共同主催の尾崎大Sが全デモのテンションを一般人化させて大成功。(わからない説明で失礼)彼の毒舌と若者への訴える力は素晴らしい。元、広告代理店・博報堂の頭の回転の良さは流石だ。ボクのマケも我ながら冴えていて、いいかんじのミーティングだったなあ。パーソナル出席率も高くでご満悦。月末なので早めに家に帰ってパソコン見ながら点数見て唸ったり、感心したり、安心したり、不安になったり、盛り上がったりした。そうこれがあるからAMは楽しい。月末を楽しもう・・・・・・
※ ―1 STANDING IN THE SHADOWS OF MOTOWN. “永遠のモータウン” 言わずと知れたモータウンレコードの創設期、デトロイト時代にベリーゴーディーに集められたプレイヤーは14年間に出された膨大なヒット曲を支えたファンクブラザースだ。裏方に徹しているがゆえ、名前は出ていないがビーチボーイズ、ローリングストーンズ、プレスリー、ビートルズのヒット曲を合わせてもかなわない程のナンバー1ヒット曲で演奏。その偉大すぎる功績をたたえた映画だ。カッコいいよ!!
5月20日(金)≪ ホーチミン3日目、今日はシンガポールへの移動日≫ 朝はガッツリとジムで発汗した。外国のレベルの高いホテルのジムは朝早くから(場所によっては24時間)盛り上がっている。というかテンションが日本のホテルにあるジムの一応あります的なモノに較べてヤル気度満々なのだ。朝から来ている連中は”仕事出来そう!モード”な人間多数。インテリ層はどこでも健康管理と肥満防止には余念がないのだ。その空気を吸う事はとても良い。一時間半の発汗の後、部屋に戻り一階のダイニングで皆でベトナム的朝食をして荷物の準備をして空港に向かった。最近は佐藤富雄ドクターの講演を聞いて以来朝食抜きな生活だったが、ここの朝食ブュッフェを見ていると我慢が出来ない。チキンコンジー(鶏粥)が美味いのよ! その後、迎えの車に乗ってエアポートまで。そして一路、シンガポールまで二時間強のフライトで到着した。今回はリーダーシップセミナーということでグループからも沢山の参加者があり普段、会えない人とも沢山話せて楽しい時間なのだ。考えてみると一日中”やぁやぁ元気!!”と誰かに言っているのだ。ボクにとってシンガポールは全く行きたくない海外旅行一位に輝く場所なので、皆の顔を見られるのが唯一の楽しみだ。(すみません、清潔すぎて居心地が悪いのです。でも今回で相当に好きになりました。期待しないのがいいのかもねぇ。)空港からはタクシーで今回の宿泊地であるラッフルズ・ホテルにチェックインした。

ここ “ラッフルズ・ホテル”は数々の映画、小説の舞台になった名門ホテル。アメリカ大統領も世界のVIPはここに泊まるのだ。正面玄関前の停まっているクルマも半端じゃない。フェラーリ(通常の1500万円程度のモノが税金の関係で5000万円位する。従ってクルマのステータスは半端じゃない。)部屋には専任バトラー(執事)がいて何でもしてくれる。”御用事ボタン”を押すと24時間、即刻に飛んでくる!サービスでビックリしたのは読みかけの本をベッドに置いていたら、そのページに皮製のオリジナルなシオリが差してあった。オシャレこの上なし。 そして、そのバトラーのご挨拶を聞いてから外出した。何人かとの約束まで時間があったのでオーチャード方面に散策。別段興味ある店は見当たらない。ブランド品も興味がわかない上に値段も日本の方が安くすら感じる。夕飯は一応20時にラッフルズのロビーで待ち合わせていたので第2班で来ていて連絡が取れていた大熊夫妻、宇津木夫妻、桂夫妻、石井夫妻と波田家でホテル裏のタイ・レストランで食事をした。これが相当に美味しかったし平和な時間だった。また最後に食べた”ドリアン”がものすごい臭いで盛り上がった。ウワサには聞いていたがなんと臭い食べ物なのであろうか。この臭いをなんと形容しようか迷った”夏に三日経ってしまったバケツの中の生ゴミの臭い”という表現が正しいかなぁ。しかし食うほどに病み付きになるらしい。(本当かよ!)

その後、超有名なラッフルズホテルのバー”ロングバー”で飲んだ。名物のシンガポールスリングを注文。しかし大量に作り置きしてポットから注がれたシンガポールスリングは興ざめの一言だったなぁ。そんな細かいこと言ってないで盛り上がりたいところだが、今日は皆は長旅の疲れが出ているみたいで辛そうで会話にシャープさが無いので早々に退散した。これから三日間は楽しい再会が楽しみだ。”やぁやぁ元気!!・・・・”
翌日のウエルカムパーティー、フリーチョイスのナイトサファリ、グランドバンケットのドゥービーブラザースなど感動が沢山あったぞ。 ボク的な旅は招待旅行ならナオサラに何処かに寄りたくなる。せっかく行くのだから・・・という貧乏根性が染み付いているのだ。今回のホーチミンは正解。次回のLSは香港。従って何処に寄ろうか今から画策している。ベトナムでも北のサイゴン、アンコールワットがあるカンボジア、また北京とか・・・・聞くところによると雲南省が素晴らしく美味な世界で最高らしい。旅への欲求は止まる事を知らない。地球儀を眺めて遊び場を選ぼう。
4月29日(金)≪昨晩は初の鹿児島ミーティング、ここにもグループがいて嬉しかった≫ 朝起きて鹿児島の町をウオーキング&ジョギング。朝8時過ぎなのにまだ空気はキリリとしていて天気も良くて楽しい時間。宿泊していた城山観光ホテルは本当に素敵な場所に建っていてジョギングするにも最高だ。一時間の発汗をして展望台で和んでいたら、いきなり沖縄のリーダー大平君から電話で最終営業日が昨晩だったとガセネタが入ってパニクった。コーディネーターに問い合わせに、間違いと確認。気分良い朝がイッキに奈落の底に落ちた・・がまた元に戻った。しかし感情起伏の激しさを感じる朝だ。城山観光ホテルの風呂が素晴らしく、遠く鹿児島の海越しに櫻島が望めるのだ。夕焼けの時間のココから見る桜島も相当に素晴しいらしい。こんな景色の露天風呂に朝から入っていると”俺ってニッポンジン”と痛感する。入浴中にイキナリ、お客からハロートークをされた。昨日のミーティングに参加していた地元ディストらしい。(名前忘れてゴメンナサイ。風呂でメモが出来なくて・・)しかし何処にいっても気が抜けないのね。思いっきり桜島に向かってフルチンで気合を入れていた姿は見られたことだろう。その後11時にテルリンに迎えに来てもらって友枝正子Emeと町へ行き名物”トンシャブ”を食った。なかなか美味しかったなぁ。昼からのビールはが本当に美味しい。街の渋いカフェというよりコーヒー専門店(この手の本当に美味しいこだわったコーヒー店に行くとスタバがかすむ。)でお茶をしてから空港に向かう。途中でまたまた櫻島を見たが本当に素晴らしい。また来よう!!ここで焼酎を飲もう・・・じゃなくてAM頑張ろう。そして鹿児島から福岡に飛んだ。福岡はラリーのゲストだが、とても久しぶりだなあ。青柳君が迎えに来てくれてホテルへチェックイン。福岡のハイアットはラウンジが好きだ。ホテルの部屋でノンビリこいてまたまた入浴などをしてしまった。ここのお風呂はあまりに非日常的でもったいないから入ろうと思ってしまう。その後、ラリー会場の筑紫会館までタクシーで出かけた。ラリーは石橋さんという大阪の72歳のダイヤモンドと山崎義幸CAが一緒だった。石橋さんの若さにもビックリしたし、ヨッチャンのスピーチのセンスの良さとキレのよさは抜群で感動した。やはりヨッチャンは頭がいいんだナァ。今日、ボクが新規で参加しいてたら絶対にAMに興味をもつしサインしたがるだろうなぁ・・という程に、ヨッチャンのスピーチは良かった。その後、打ち上げ的アフターは”モツナベ”を食った。(というかモツ鍋が食いたいとワガママ言ったのだ。福岡まで行ってイタリアンなんて食いたくないのだよ。やっぱジャンキーなメシこそが福岡でしょ!)美味しい店だったが・・・・またまた飲みすぎた。(店前で集合写真を撮ったが記憶に無い。)

主催の愛子ちゃんも登場した。(感謝ですよ!) そして二軒目に移り地元・松本ヨシテル君と阿比留君が来てくれたのだが・・・意識不明だった。本当に失礼しましたぁ。ホテルに帰ってそのまま意識不明。記憶喪失状態・・・・・・・・いい加減にするべきだよね。翌朝、頭を叩きながら反省した。完全に飲まれている。・・・今日は緊急・休肝日にしよう。
4月24日(日)朝は5時集合でシンペイ釣り大会なのだ。今回で22回目を迎えるとの事。しかし参加者250人は常識では考えられないおそろしい数だ。だって有名釣り具店のサンスイが釣り大会を企画しても100人も集まらないと言っていた。そしてこの大会には素人、玄人、プロが入り混じり勝敗はそこらに関係なく決まる。主催のシンペイは日本釣り人協会がら表彰受けても良い位に釣り文化の振興に役立っていると思う。僕は今回は旧友の佐々木弥一を誘って参加。船の上ではウチの少年1号、2号と弥一だけなので色々と話して面白かったなぁ。春先の芦ノ湖は新緑と青い空、そして富士山とがとても幸せ感を高めてくれていた。なんだか気分が良くてついつい釣れなくてもイイッカァと思ってしまうのだ。

結局、昼まで頑張って成果は一匹。これはボク的にはすごいことで快挙! 最近の大会で5レンチャンで魚を見ることは無かったのだ。本当に快挙です。おかげで久々に嬉しかったぞ。まさか22センチで賞金15万円が取れるとは思わないが!折角だからリリースなんてしないで持って帰って食うぞ!! 元太郎がなかなか釣れなくてクーデターを起こして帰りたくないといい始めて仕方なく芦ノ湖に残して三島駅まで新幹線に乗るイリモトを送りに行った。イリモトはナントこの大会参加のために北海道から飛行機に乗ってやってきたのだ。そして一泊で札幌に帰っていくという強行スケジュール。 オレはまた芦ノ湖に戻り表彰式を見てから元太朗をピックして沼津に帰った。その後、沼津の家に帰って一服した頃、4時に焼津の鈴木君(ダイヤの中野さんの義理の息子さん)が沼津の友人宅・金井家の改築工事の請負をしてくれることになり一緒に現場を視察した。改築好き好き病の波田は今度は沼津の友人が購入した築10年の純日本家屋を改築プロデュースの依頼を受けて仕事をする。(当然、無給の趣味です。)この家はなかなか楽しそうな物件だ。元々の築十年の日本家屋なのだが素晴らしい細部の職人仕事と素材なのでカッコいいのだ。最初は贅沢に建て替えを考えていたが、しかし生活を考えると金井家の家族構成を加味してリニューアルするのが得策。キッチン、ユティリティー、バスルーム、ダイニングにデッキ、そしてベッドルーム他ブラインドの選択、家具の手配までを請け負う。(仕事でないのに請け負うはオカシイね。)約二時間の金井夫人との打ち合わせでどうしたいかは良く理解できた。僕の頭の中で、どのようなデザインでやるかも決まってきた。相当に大掛かりな工事だが楽しそうだ。大きな軒(のき)があるので縁側的ウッドデッキも良いかもしれない。そんな構想をしていると寝られなくなるのだ。その後、建築業・鈴木君(エメラルドカウント中だって!先日、横浜の石井家も一部作業してくれた。)が我家に寄って家で食事を一緒にした。色々話せて面白かったナァ。当分は改築エネルギーをこの金井家に注げるぞ! 家の改築工事は本当に楽しい。しかし仕事にしなくて良かったと思うのが本音だ。もうすぐ月末だぁ・・・・・・・・・・・・・・・・・・やっぱりAMだなぁ。
3月26日(土)沼津での朝・・・少々寝不足気味だなぁ。メシを食う気も起きないので宇宙の朝ごはん(プロテイン、ポジトリウム、ニュートリテンコ盛り)を食う。洗車をしてから東京に戻った。洗車なんて大嫌いだったのに最近は何故か好きになった。自分で洗車すると何故か気分が良いのだ。(そういえば金城タケシは洗車が趣味と言ってたなぁ。人の車まで洗ってるって言ってた・・・来てくれないかなぁ!)今日は昼過ぎにアムウェイ本社のオーディトリアムで行われるエグゼクティブダイヤの猪俣節子さんのラリーのゲストに呼んでいただいている。猪俣さんは業界では古く相当に早くからドバッと安定収入を取っている。ご主人は数年前に他界されたがビジネスは奥様と娘さんで引継ぎ安定。御主人を失っても安定収入ってスゴイと痛感。ラリーのスタッフの方々も真面目で親切。グループは完全主婦主導型でどうしてボクがよばれているのかわからない。きっと異分子導入の期待!?たまには別物を見てみたい・・?! ラリーには沢山の他系列のダイヤモンド以上の方々も参加されていた。これもリーダーの人柄の表れでしょう! スピーチはまるで緊張もしないで(いいのか悪いのか・・)良くスピーチというかおしゃべりした。しかしいつからこんな人前で話す事に抵抗が無くなったのか自分でも不思議だ。昔AМを始める前は人前で話すなんて三日前から緊張して腹痛まで起こす始末。東横線のなかで”話し方教室・どもり赤面解決”の広告を見て電話番号をメモっていたボクが・・・。初めてのゲストスピーチはエメラルド時代(28歳)で腸ねん転起こして内臓が口から出そうになる、まさに悪夢だった。それがねぇ・・・・ヒトは慣れるのだ。成りたい、出来るようになりたいと強く思うと叶うのだ。猪俣さん、素晴らしい機会を有難うございました。余談ですが楽屋に用意してくださったお弁当が美味しかったです。アフターは時間的に失礼して退散した。帰りに六本木のアクシスの生活雑貨屋のリビングモチーフにて買い物。欲しかったハイチェアーのLemStool レムスツゥール(とても美しい椅子でイタリア製、しかしデザイナーは日本人のアズミ夫妻)を購入。沼津の家の内装のフィニッシュはこの椅子と決めていた。無理やりに、どうしても今日、座りたくてSL(2座席のスポーツカーで狭い)の助手席に乗せて沼津まで持って帰った。夕方に到着して今晩は簡単夕飯。その後、最近 頑張っている優子嬢と初対面の弟の孝一君がうちに来て僕の車で静岡に向かった。今日は高木直ダイヤの沼津ミーティングだったのだが会場の都合(というか予約を忘れたらしい・・・)で会場が急きょ静岡に変更になったのだ。(しかし変更って沼津と静岡市は50キロ位離れているゾ)会場は水野ダイヤモンドのオフィスで行われた。素晴らしいオフィスで感心した。年末ボーナスを全て注ぎ込んだそうだ。そのグループ思いの意気込みがダイヤの”器”なんだろうねぇ。終了後は高木直グループとファミレスに行ってアフターをした。直が始めて参加した孝一君に色々と話をしてくれて本当に良かった。この優しさがやっぱりダイヤの”器”なんだなぁとまたまた痛感。深夜12時過ぎてまで盛り上がり沼津まで帰ってきた。大きな”器”に触れると自分も大きくなれる気がする。今日も色々ありがとう。・・・・・AМ的に充実していたなあ。
3月10日(木曜日)朝は砧公園を一時間ウォーキング&ジョギングをして発汗。まだ寒いのでドッとは汗は出ないが気分が良い。その後、朝食を軽く食い準備してから長女・桜子の中学の卒業式に出席するために沼津に向かった。初めてのメルセデスベンツ380SL(1986年式)でのドライブだったが素晴らしい走りっぷりで大満足。沼津の家に到着して少々、和んでから妻ヒデコさんと近所の素晴らしき蕎麦屋”ふくでん”でメシ。昼から少々ビール飲んでしまってご満悦だ。どうして昼のビールはこんなに美味いのだろうか! その後、1時から卒業式。それは、まったくお決まりなスケジュールだった。定番の卒業証書授与、歌、校長先生の祝辞・・・しかしその後の教室で行われた最後の会に出席して感動した。先生がパソコンを使いプロジェクターで一年の想い出をアルバムにして音楽も編集して流した。スピッツの選曲が実に中学生の最後にマッチしていた。先生が生徒一人一人を呼んで書類を渡しながらい一言を添えていた。先生と生徒の信頼感、距離感が抜群で、また生徒同士、特に男女がものすごく仲良く楽しい日々と聞いていたが垣間見れて良かった。生徒が自主的に先生への感謝の祝辞を述べていたが先生が大好きで信頼して中学生生活を楽しんでいるんだなぁと痛感した。そんな素晴らしい学校に通って素晴らしい友人が出来て最高の青春を送っているんだなぁ。青春なのだよ! 娘の幸せを見れるのは親として幸せなのだ。しかし回りを見渡したらお父さんは殆んどいないじゃない。こんな大切なシーンを見なくちゃ親として淋しすぎるぞ。そしてボクは先に家に帰って来た。学校から少年二人も帰ってきていた。

そのまま学校から桜子は塾に行ったらしい。勉強なんか大嫌いなのに塾にはしっかり通っている。というのも塾には素敵な先輩がいるらしい。まぁ我が家の娘が自主的にすることなんてそんなヨコシマな心が入っているんだなぁ。一度しかない青春を思いっきり楽しむのが正解でしょ。ということでボクは沼津の紀伊国屋(?)と呼ぶ高級スーパー・アオキで買い物をして夕飯の準備開始! お気に入り白ワインをシゥポン! お祝いだもんねぇ。昨日、久米島のアカさんが送ってくれた活車海老を美味しく食べた。生でそのまま、老酒で酔っ払い海老、焼いて、蒸して食いまくり楽しんだ。相当に飲んで幸せだった。今晩はなんだか、とりあえず三人の子供の一人が義務教育が終わったというので感無量なのだ。つい先日まで一緒にお風呂に入ったり肩車をしたりして、まだまだ子供だと思っていた娘がねぇ・・・・もう大人だよ。本当にあっという間だった。でもこのあっという間を感じて過ごせて良かったと思う。幸せになぅてちょうだい。卒業おめでとう!!。 素敵な人生を!!母さんご苦労さん。
※写真はまだオレの言うことを聞く少年二人。風呂から出てベランダで”兄弟裸ダンス”をご披露。まだまだ子供だぁ。
2月18日(金)昨晩は名古屋でミーティングだった。名古屋には早めに入って現在、改装工事を監修している愛葉君のオフィスを視察。全くなにもなかったビルのガレージ一階の奥に事務所をデザインすることを依頼されてデザインした。なかなかの出来上がりで素敵!普通は設計監修といえば総工費の10%~15%が通常だが無料。今はデザインはボクの”生業”ではないから楽しい仕事は無料なのだ。(現在横浜市都筑区の石井家マンションリフォームも楽しんでいる。)アムプラでアメリカから帰ってきている神谷アンドリューと偶然会えてひと盛り上がり。7時からアムウェイプラザでОMをしたが、なかなか盛り上がった。しかしいつもながら伸びて欲しいパーソナルはソコソコで盛り上がらなくていい奴ばかり(失礼) 力強く盛り上がる。懐かしい顔も沢山見れて楽しいひと時だった。アフターは名古屋ということで手羽先唐揚げ”風来坊”にて飲んだ。楽しい夜だったなあ。そしてホテルに戻ったのは深夜だった。朝の目覚まし時計のセットは何の役にも立たず電話で起きてからシャワーを10分で済ませて迎えに来てもらった愛葉氏に京都までつきあってもらい京都郊外の車屋に1986年製メルセデスベンツ380SLを見に行った。(道中は二日酔いで魂が抜けていた。)さてインターネットとは便利なもんで情報収集にはすばらしい効果を発揮する。ボクは少年時代から脳の35%を自動車が占めているのだが18歳で免許を取得してからの車遍歴は激しくAМスタート時代までで約40台(一台1万円のワーゲンとかだから決して高級車を乗り回しみたいなのとは違います。直して蘇らせて売ってみたいなことを繰り返してました。)AМスタート以降の約20年でも30台以上に上る。今欲しい車は、わかりやすく言うと昔欲しかった車だ。今のテクノロジーが進んでエコロジー的にも完全に近づいた車は嫌いではないが、まだボクの乗る車ではない。70年代、80年代特有の工業製品がデザイン的にも品質的にも好きだ。そこにはコスト計算、量産性も感じないクラフトマンシップを見出せる。鉄は厚くクロムメッキはビッカビカ、必要最低限な装備で品質重視。ドアが閉まる音と質感は現代のクルマには無い。そして加速感は圧倒的、なにより各メーカーが個性を出しまくっていたので現在にクルマとは違いBМWとメルセデス、英国車、フランス車、そしてアメ車は明らかなる違いがあって面白かった。(現在の車はメーカーによる差が本当に無くなった。)そんな古めのクルマを綺麗にピカピカにして日常の”足”とするのが理想だ。良く質問される事に古い車の修理とか故障の対処を聞かれるがココ数十年、故障で泣いた事は無い。それは人間の体と同じで予防医学なのだ。治療していたら大変!なんだか様子が変と思ったら即チエック。大事に至る前には病気の源をつかんで修理してもらう。そのかわり素材の車選びには技術がいる。素人的安全策としては距離で判断するのが正しい。今回見つけたクルマは格段に素晴らしかった。380SLは決してまだコレクターズアイテムとは言いがたいがアシに乗るには先代の280SLより現実的だ。ボクの見つけた車は京都の大金持ちのジイさんが趣味(眺めることが趣味)で18年前に購入。毎年定期点検と車検の時に近所をドライブするだけというクルマだった(実は世の中にこんなクルマは時々市場に出てくる。このオーナーだったジイ様はジャガー、ベントレー外8台この手を所有)この車は非の打ち所なしの完璧さだった。なにせ走行構距離は実に4054キロ。そう年間200キロしか乗っていない計算の奇跡のクルマ。でも、そんなの信じられなくて自分の目で確認しようと京都まで見に行った。しかしクルマは完璧!新車そのままで黒いレザーシートはマッサラ!ドアのバネ、エンジンルーム、タイヤハウス中までみてもマッサラの新車だった。ハッキリ言って嬉しかった。こんなものが世の中に存在していて出会えた事がウレシイ。そして値段交渉して買っちまう!!そんな金を出せば買えるという品物とは一線を画した出会いは余計ウレシイ。 このクルマはボクが買って乗るためにある!と意味不明に決断して自分を納得させた。愛葉君に京都駅に送ってもらう途中でランチと二日酔い飛ばしにラーメンを食う。しかし頭の中は95%クルマ。話題は当然に車。AMの質問をされたが答えは上の空。京都駅から新幹線で東京に帰った。グリーン車のリグライニングを倒して外の景色を眺めながら頭の中では380SLの屋根をオープンにしての仮想ドライブに突入していた。海辺を走ったり新緑の峠道を走ったり、渋谷、青山にも行っちまおう!!東京に着いてからはスイッチ切り替えてパーソナル古山と先日会ったDJのマイクル山下とで大戸屋で食事をして、ひと盛り上がりしてから若者カリスマの高木直のミーティングに連れて行って紹介してミーティングに参加させてもらった。その後、またプロスペクトの手伝いで自宅に帰った。仕事に趣味に忙しい一日だ。深夜に就寝。夢は当然380SLでドライブだった。

その7日後にベンツは陸送業者によって東京に運ばれてきた。初めてドライブしたら鳥肌たった。だって走りっぷりは新車だったから・・・・・・・うふふ! しかしガレージのロータスエランとのカワイイオシリ二台を見ているとムラムラするねぇ。
PV-BV Corporation. Presented by Keijiro Hada