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南米ツアー2013 変態旅行友の会5カ国訪問!

2013年4月、今年は桜の開花も3月下旬、そして4月の初旬には散り始めると言う不思議な気象状態。それとこの旅はナンの関係もない。 しかしこの季節は世界中どこにいっても比較的、良い季節なのだ。特に赤道に近い地域は、夏だと暑過ぎて呼吸をするのも辛い気温と湿度の事もあるし、また逆に日本の冬場に訪れると、ラテン系の場所はどうも雰囲気ではないのだ。と言う事で絶好の季節。あと四月の中旬にAM社のインセンティブ・トリップのEDC(Executive Diamond Forum)がメキシコのカンクン近くで開催。とてもオトナの旅で現地集合、現地解散というスタイル。従ってその旅の前に、せっかくだから何処かに行きたいという事情もあった。地図を広げてみれば、北米大陸ではないし南米の中で何処がベストかをアンドリューと相談。時間的な事、過去の訪問地ではなく新しく今まで未経験の場所である事・・・メキシコから下の北アメリカ大陸と南アメリカ大陸の付け根あたりと決定。最終的には時間的な事情、アクセスの問題で五カ国に絞られた。本当は8カ国だったんだけれど、”世界の危険な都市ベスト10”なるリストにその中の三カ国が入っていたので迷わず却下。いい歳してわざわざ危険な思いはねぇ? という事でグアテマラ、エルサルバドル、ニカラグア、パナマ、そしてコロンビアを攻める事になった。

《初日4月9日 ロサンジェルスで!》 最初から相当なハプニング!東京から参加の服部テッちゃんが旅の準備で大忙しの前日の13時にバックパックを背負って我が家にやってきた。その姿を見てお互いにビックリ仰天! 『どうしたのテっちゃん!そんな格好で、大きな荷物を背負って!?』 彼は出発を一日間違えてエアーを予約。もうどうにもならなくて一人で成田に向い、当然にボクは翌日に乗ってLA空港で会う事に。 従ってロサンゼルスまでは一人旅。LAは昔、超貧乏学生をしていた経験があるからファーストクラスで旅が出来るなんて余計に感動なんです。ボロボロのチァイナエアラインしか選択の余地は無かったのに・・・(涙) LA空港でテッちゃんと無事に会えてハーツレンタカーにて車をピックアップ。あまりに快晴で予約をコンパクトセダンからオープンカーに変更しようとしたけど在庫がなくて無理! オープンカーがこんなに似合う街は無いんだけどなぁ。ナビ付きも無くて、もう昔の記憶で走り切ります。実はちょうど30年前にLAを中心に一年間、暮らしていた事があるんです。

南米ツアー2013 変態旅行友の会5カ国訪問!

まずは調べておいたラグーナの”Thalia”(タリアサーフショップ)を見学に向かった。ラグーナの街は本当にご機嫌な空気!大好きな街だ。トランクスを一枚購入してランチ。サーフショップの店員さんにオススメのランチの店を聞いたら即座にいい店を紹介してくれた。その名は”スタンド”ビーガン料理(菜食主義、動物は一切食べない)の店。ここがメチャメチャに美味しかったんです。 ここで何故か想い出になる出来事が! インプラントをしていた下の前歯がポロリとナンの抵抗も無く取れた!!前歯でなくて良かった。上の歯だったら旅の間中、モゴモゴと大声で笑う事も出来なかったであろう。少々”さしすせそ”の息が抜けるのは不便だけど・・・ その後は通称PCH(Pacific Coast Highway)を抜けてニューポートのピア、通り沿いにある気になるサーフショップ、そしてベニスのAbbot Kinney地区のオシャレな店々を見て回った。少し来ない間に素晴らしくカッコ良い街に変身していてビックリだった。その後、サンタモニカで夕焼けを見て、お気に入りの道でのサンビセンテ(SanVicente)からサンセットブールバードを抜けてビバリーヒルズ方面へ!テッちゃんを観光ツアーがてらだと色々見るモノも新鮮だ。ビバリーヒルズのロデオドライブ界隈。閉店時間を過ぎているのにハデハデな世界。ここは世界の間違い無く三指が集まる富豪のエリアだけある。そしてゲイのメッカのウエストハリウッドを通り抜けてサンセットストリップでメシ。もう朝からのお元気活動の為に、男二人でラグジュアリーな食事なんて考えられなくて、そこにあったMels Drive Inn なる映画アメリカングラフティー(巨匠ジョージルーカスのデビュー作品)に登場したドライブインを再現した店に入った。これが完全なアウト!! 塩っぱいは冷たいは・・・甘かった。アメリカと言う国の最高もあれば最低もあるというのを感じたディナーであった。 エアポート近くのヒルトンに宿泊。

南米ツアー2013 変態旅行友の会5カ国訪問!

《2日目、4月10日 まずはガテマラへ!》 朝は5時に起きてそのままロサンジェルス国際空港へ! 無事にアメリカ人で日本人の神谷アンドリューと会えた。そして3人でアメリカン航空でマイアミへ!ここで時差が三時間、そして次のフライトを待つ事三時間。ラウンジパスがあったのでここでも相当に助かった。またアメリカン航空で二時間で中米のグアテマラに到着。地震が多発する国なので空港の鉄筋の柱とかが、やたらに太く感じる。そして待機してもらっていた現地のドライバーにグアテマラシティーを抜けてアンティグア(ANTGUA)まで向かう。とにかく舗装している道も悪く、舗装道路も道もグニャグニャしているのか、石畳がガタガタすぎて車は新しいのにショックアブソーバーがガタがきているのか、ひどい乗り心地だ。ガテマラシティーは危険度数は少し高めな街なのか、皆さん早寝なのか、夜の9時を廻って、人通りは至って少ない。約一時間で目的地の街、アンティグアへ!なんだかコジンマリとしていい感じ。 ディナー難民(メシを食う場所を失う事)を逃れて喜んでいたら、難民どころか案内された店は超いい感じ! ステーキ専門店なんだけどお庭とか美しく、サラダバーもご機嫌! スカートステーキ(ハラミ)が抜群。当然にサーロインも美味い!ワインも地続きのチリやアルゼンチン(ワインの有名な産地)から入ってきているからなのかお見事!!実に大満足な良い時間でした。ちなみに入り口ではライフル銃をもったSPが守ってくれていて安全何だか不安なんだか・・・・

南米ツアー2013 変態旅行友の会5カ国訪問!

《3日目、4月11日 アンティグアの街LOVE!》 朝から手配をしておいたガイドと待ち合わせ。街中をガイドしてもらった。車かと思ったら歩いて来た。家まわりの細工品や鉄細工製品がかなり可愛い物が沢山見れた。けっこうカッコ良い店もいろいろとあった。なにより人々のスマイルが抜群だった。ランチは少し観光客向けっぽい店。というかローカルは、ちょっと抵抗があるしまぁ、こんなモンかなぁ。午後は別で田舎を尋ねるみたいなツアー(35ドル)を頼んだけど、これは大失敗。5星ホテルであるサントドミンゴ・ホテルは部屋をみせてもらったがスバラしかった。併設の教会がテント作りでカッコ良かった。夜は昼間に見つけた二軒をハシゴ! 元、たぶん荒物雑貨店をそのまま上手に使ったイタリアンとワイン販売をするのはエルサボール! とにかく雰囲気抜群で作ろうにも作れない空気。なぜかそこで販売していたイルカと牛の水道の蛇口(グアテマラ製)が可愛くて3人で購入! 二軒目のビストロチンクも中々なお味!そして流行ってました。コノ街はやたらに文化レベルが高い様です。ゴミなど全く落ちていないし、物乞いもいない。とにかく素敵な街だった。 【また来たい度数5】

南米ツアー2013 変態旅行友の会5カ国訪問!

Restaurante El Sabor del Tiempo
3a.Calle La Antigua Guatemala
502-7832-0721
BISTROT CINQ
4a.Celle Oriente No 7 Antigua Guatemala
7832-3408
【宿泊】Sor Juana
4ta calle Oriente #45 La Antigua Guatemala C,A
電話 502-7832-6902
www.hotelsorjuana.com 

《4日目、4月12日 エルサルバドル!人生最後かぁ!》 グアテマラを朝の7時05分のフライトに乗る為に4時に迎えに来てもらって向かった。従って時差ぼけに睡眠不足が重なってものスゴい状況! 一時間のフライトで82カ国目の訪問国のエルサルバドルに到着。税関を抜ける時にボタンがあって青ならば無審査。赤ならば厳重に審査というアバウトな方式でアンドリューが拿捕! 今日はコノ街にはステイしないで夕方に移動。と言う事で犯罪的にも厳しい街なのでタクシーを半日雇って観光しようという事になっている。タクシー選びも慎重に!英語が話せてなるべく温和そうなドライバーを捜した。アレクシーは身長160センチ弱のかなりのメタボ。60ドル(USドルをコノ国は使う。)で交渉成立。最初は海岸に向かう。サーフィンで有名なポイントであるエルトゥンコにやって来た。かなり遠いポイントでパワーのありそうな波だった。しかし暑くて!!そして空腹で11時にはランチをスタート。ビールを飲んでピンチョス的なオツマミを食べた。そしてランチ!シーフドピラフを頼んだらバケツ一杯の分量が出て来て衝撃! 午後は市内を見学。ハッキリ言って見るところが無くてガイドも困る始末。丘の上から景色を見たり、スーパーマーケットに行ったりと過ごした。そして17時に空港に送ってもらって搭乗手続き。珍しく様々調べられて、なんと七味唐辛子を没収!凶器になるんですかね!? ラウンジで過ごした。エルサルバドル・・・人生でもう来ないのかもしれないなぁ。【また来る度数1】
18:35のTACA(エルサルバドル航空)でニカラグアのマナグアに飛ぶ。 到着後はホテルのお迎えが来てくれてグラナダ(GURNADA)という古都へ!首都のマナグアな治安が今イチなのと見るモノも無いのであえてグラナダへ。ホテルはかなりファンシーながら居心地がよさそう! 中庭のプールを見下ろすと回りにはブーゲンビリアが咲き乱れ、アマンドピンク(古いですか!?)の外壁と素敵なコントラストだ。街に出てみたら店の外の道にイスとテーブルが出され、十軒近くある店は盛況そのもの。というか流しの楽団の奏でるラテン系ミュージックにお客が踊りまくり! 完全に文化の違いを感じる瞬間だ。見ているだけで楽しい時間だった。しかしそれにしても疲労困憊!(笑) ワインも少なめに軽めのモノを選択してメシ。当然にワインは飲んだけど!
《5日目、4月13日 少し高山病な朝!@グァテマラ》 今だに時差ぼけが残って寝不足状態。緯度が赤道に近くなるごとに気温も湿度も上がってくる。夜はエアコンが無ければかなり蒸し暑い。 朝イチにツアー会社がピックアップしてくれて火山ツアー。少々、寝不足だったからエアコンの効いた車内で寝ようと画策していたら、来たバスはなんとトラックの荷台にプラスティック製のイスを取り付けたフルオープンな車・・・無理! そんなトラックに揺られ始めるとかなり爽快な風に当たって楽しい。通り過ぎる街並みを見ているだけでハッピー。休火山であるモンバチョの麓に到着。しかしトラックはシートベルトも無いのに完全は四輪駆動車で恐ろしい傾斜を登っていくのだ。その迫力たるはハンパ無い。そして山小屋に到着して山岳ガイドにモデルの前で説明を受けて、サッパリわからない英語だったので再度、アンドリューから説明を受けて出発。トイレでも済ませておこうと場所を聞いて行ってみたら驚いた! だって回りに壁も無ければドアもない。平なデッキに便座無しの便器がおいてあって、下は穴ぼこ。こんなの野糞の方がよっぽどいい!コレ間違い無く世界でもマレなトイレでしょう。これから行く人は是非、先にトイレはしっかり済ませておきましょう! 火山トレッキングは想像より過酷だった。それはボクの時差ボケによる寝不足も影響していたからであろうか、かなりバテバテだった。地熱を実際に穴に手を入れると感じられたり、谷間から湯気が出ていて熱かったりと、かなりリアルな火山を感じられて少々、感動! 下山した山小屋脇のカフェで飲んだコーヒーは流石にコーヒー産地。

南米ツアー2013 変態旅行友の会5カ国訪問!

グラナダの街に戻ってオススメのステーキ屋zaguan は昼間っから大盛況。週末だからか、日本で言うなら家族連れで焼き肉を食う光景のニカラグア版と考えるか!とにかくボリュームも豪勢で美味しかった。そして昼間っから飲んでヘロッヘロ! ホテルで荷物をピックアップして空港まで送ってくれたのだが、車に乗るなりに爆睡! 空港からパナマに向かう。パナマの到着は乗り換えもあったので深夜近く。食事は機内食。ここの路線はビジネスクラスだったので、かなり助かった。 ホテルはアパートメント形式の2ベットルーム。長期滞在のビジネスマン向けであろうか。かなり快適で、洗濯機があるので洗濯を開始! こんなホテルも全てアンドリューがネットで発見してくれたのだ。感謝! ガテマラの税関は最低!砂と七味唐辛子を没収。凶器になるんだと・・・(笑)七味でハイジャックしたらお笑いだ。

《6日目、4月14日 少年の夢、パナマ運河だ!》 パナマの朝! タクシーをひろって今回のメインイベントのパナマ運河観光に向かう。9時スタートらしくタクシーにゲート前で降ろされて、オープンまで待機。わくわく感はマックス!! オープンを待ってゲートから水門を見られる展望台まで歩いた。小学生の時に教科書で習った水門をずっと見たかったのだ。チケットを購入して早々に四階にある展望台へ! そこには2ラインの水門があって、超大型タンカーがタグボートに引かれて入って来て水門が閉められて水位を上げて大西洋と太平洋の高低差を無い状態にして船を通過させるという、ものすごい作業を行う現場を見せるのだ。そもそもパナマ運河が出来たおかげで世界の航路はググっと短縮化されて効率化されたのだ。この革命的な構造を考えた人もスゴいし、実行したパナマという国もスゴイ。ボクは建造物というモノを見るのが大好きなので、こんな運河なんてたまらない存在なんです。その後は飲茶を食べに街中に出没! 飲茶レストランはどこも大盛況。まだ12時台なのに150席はゆうにある椅子とテーブルは片っ端から片付けられ始めて意味不明な空気。その後はビーチ方面に出かけた。今日は日曜日と言う事で多くの店が閉まっている。ある海辺のカフェでゆっくりとノドを潤わせるというアイデアに皆さん、賛同してくれて(3人の合意)シャンパンを注文して飲んだ。そしてヤル気無し。結局、そこに日が暮れるまでいて、日没後にやっと旧市街に移動してカサブランカという屋外レストランにてフリッターと赤ワインという組み合わせで楽しい食事をした。思い起こせば一日中グッタリとマッタリと飲んでいた週末の一日だった。それはそれで最高でした。

《7日目、4月15日 いよいよコロンビア!》  早朝、4時30分に起床して空港へ向かう。今日は緊張のコロンビアへ!コロンビアと言えば麻薬と悪の枢軸なる印象しかない。正直、そんなに積極的に行きたいとも思わなかったけど、今回行かなかったら間違い無くこの先もわざわざ行く事は無い気がして行く事に!  最初は首都ではないカルタヘナという古都を訪れた。空港に到着してタクシーでホテルへ! 旧市街なのでまるでモロッコのリアドの様な民宿的な小さなホテル。でも今回の旅では高額な方で、一泊3人で180ドル程度。決して広くはないけれど必要十分なサイズ。大昔の邸宅をそのまま改装しているので天井の梁(はり)とか柱が本当にカッコ良い。荷物を置いていざ出陣。(その前にネットでメールなどをチエック。しかしどこのホテルも無料Wi-Fiが当たり前になった昨今の旅のラクチンさったらないです。) とにかく空腹だったので少し街を散策してレストランを発見。(11時)昼からやりたいことがあったのでサッサと注文したけど飲み物しか出て来ない。超多汗症の黒人のオジさんが動く度に汗が飛び散るの。結局、待つ事30分でナニも出て来ない。空腹は極地だけど仕方が無い。断念!スペイン語は全くわからずなので・・・(アンドリューはかなり話せるので助かるんですけど、どうもスペイン語にも方言的なモノがあるようで!) 午後のメインイベントは”セグウェイ”(SEGWAY) http://www.segway-japan.net/index.html なる未来の乗り物!(二輪車の間に乗って立って電動で進む乗り物。体重移動で走行するんだけど見事に簡単に安全に乗れる。本国アメリカではショッピングセンターや空港内のパトロールに良く使われている。)で周囲4キロのカルタヘナの旧市街を観光しながらまわるというツアーだ。これをアンドリューが見つけておいてくれたので早々にトライ。これがメチャメチャに楽しいのです。スピードが丁度良いし小回りも抜群!道が狭い旧市街地を縦横無尽に走るにはもってこいのアシです。3人ともレクチャーを受けて5分後には乗れて、そのまま一列になって観光旅行です。楽しかったぁ!! やっとランチにありつけると言う事でセグウェイツーリストのオーナーのセザールも一緒に、彼のお気に入りの街の定食屋”MULATA”でランチ。それはそれは美味しい時間になりました。どれもこれも満塁ホームラン! その後、なんと翌朝のセグウエイツアーを申し込んでホテルに帰ってマッタリモード。ダラダラと太陽が下がるのを待って、街のシンボルにもなっている要塞を見に出かけた。当時のここ一帯を牛耳っていたスペイン軍が南米大陸から略奪したモノを海賊使ってイギリスが略奪し、また奪いみたいな、要は略奪の歴史が根深くあるのだ。 暑い中を歩いているだけでノドを潤わせたくなってきた。これまたセグウエイ観光のセザールが紹介してくれたセビーチェの店に乱入。美味かったぁ!二軒目はホテルの斜め前のワインバー。ボクは大陸に到着して一週間も経っているのにまだ時差ボケが残っていて眠くて死ぬかと思った。でも美味しくて楽しい時間でした。深夜にホテルに戻って就寝。
La Cevicheria
Cssllr dtreet7-14
【宿泊】Puertasdecartegena
www.hotelpuertasdecartagena.com

南米ツアー2013 変態旅行友の会5カ国訪問!

《8日目、4月16日 かなりラブリーなカルタヘナ!》 朝起きて準備して7時半にまたまたセグウェイツアー。今日はかなり上級者コースだった。昨日よりビビリが入っている。一時間で考えられないくらいの距離を走って楽しめた。帰って準備してタクシーで空港へ。今日は国内線なので検査もアッサリ! 一時間のフライトでコロンビアの首都のボゴタへ到着。かなり色眼鏡で見ている気がするけど、誰もが麻薬関係者に思えてくる。そんな事があるわけないのに!(笑)タクシーでホテルへ。旧市街地の荒れた場所ではなくて高級住宅地を背に位置するオシャレなエリアはゾナ テ(英語だとZONE T)なるエリアだ。道を走っているだけでワクワクする街並み。時間も昼過ぎだったのでホテルにチエックインしてホテル併設のイタリアンでランチ。なかなか美味しかった。しかし3人は隣の常識を超えた美女に釘付け!!(あとからホテルの人に聞いたら有名なモデルだった。)しかし屋外で食事をしているだけでトロトロになれる場所なんです。樹木もカッコ良いし、ここは高地(2500メートル、富士山の6号目程度)なので生えている樹々も少し違っていて高山植物的なモノも沢山。それがまたいい味を出しているんでしょうかねぇ。その後、ホテルでドライバーを紹介してもらって効率良く市内観光をした。最初は”モンセラートの丘”に行った。ケーブルカーで10分で頂上に到着。相当な急斜面なんだけどグングンと上がっていって、その見渡す景色は圧巻。街のサイズも相当なんだろうけど高地であるせいで空気が澄んでいてスモッグも溜まっていないせいかとにかくキレイなのだ。頂上には教会があって回りが展望台になっている。そこからの景色は圧巻! 感激したなぁ。そこにレストランが併設。日本だったらダッサいお土産物屋とか、ソフトクリームを売ったりナンだろうけどオトナの街であるボゴダは超美味そうなイタリアレストランが鎮座している。いつかここで食いたいなぁ?と真剣にメモリー。頂上で面白い日本人の旅人の二人とつながった。ものすごいユニークな奴でコロンビアのどこかの街で追い剥ぎにあったと楽しそうに語っていた。ドライバーには40分で戻ると言いつつ、結局1時間は待たせてしまった。下山して”ムセオ・デ・オロ・Museo de ORO”(金の博物館)を観に行った。これまたドハデで豪華絢爛、そして入場料は格安(200円程度)な博物館で面白かった。その陳列の仕方がかなり素敵だった。その後は国会議事堂界隈の風情のあるビル&広場を見て、夕焼けタイムに何処に行くかと言う事になって満場一致で再度、モンセラートの丘に夕焼け&夜景を見学に行った。これまた宝石箱を散りばめた様な絶景に息を飲んだ。世の中で素晴らしいと言われる夜景を随分と見た。函館、山梨、六本木ヒルズ、神戸、リオデジャネイロ、ロサンジェルス、ニューヨーク・・・ここボゴタの夜景は引けを取ら無いどころか勝っているかも・・・昼間の景色とはまた違う素晴らしい景色でした。 ディナーはアンドリューがカウチサーフィンという旅行サイトで知り合った地元コロンビア人の22才の青年とメシ。完全な草食系でビックリしたなぁ。とても穏やかな青年でした。地元のローカルフードの店に連れて行ってくれて説明を聞きながらコロンビア料理を堪能。友達と言うのは有り難いもんだ! 倒れる様に就寝。服部哲二はこの夜に我々とは解散をしてペルーのリマにマチュピチュを見学する為に空港に向かった。次は23日にサンフランシスコで会います。

南米ツアー2013 変態旅行友の会5カ国訪問!

《9日目、4月17日》 酸素不足でか寝不足気味~~近所の豪邸街を散策。やはりホテルのあるエリア、ソーンティーはものスゴいスノッブなエリアなのだ。殆どの建築物がレンガと打ちっぱなしに黒の窓枠という配慮された建築なのだがそれぞれが本当に美しい。樹々も高地のせいか大降りな葉っぱ、そして奇妙な花を咲かせていた。アンドリューがカンクンで着る服を買うと言う事で近所のショッピングモールに付き合った。どこの店も売っているモノは冬服でビックリ。まさかリゾート地のカンクーンで冬物を着るわけにも行かないので困ったら迎えにZARAが見えたので飛び込んだら、ちゃんと夏物を販売していて調達できた。なかなか素敵なダブルのジャケットが買えて一件落着。ファッションビルの三階のカフェで前に何処かで食べた事があるようなチキンとサンドイッチ、そしてスープを食いホテルに戻って空港に向かった。 これから出国してパナマ経由でメキシコのカンクーンに向かいます。 これにて第一部は無事に完了! 全てが新鮮で感動で驚嘆で、最高の旅が出来た。 様々な手配とスペイン語を駆使してくれたアンドリューに感謝。テッちゃんとの初めての旅も新鮮で面白かった。あいつのヒョーヒョーとした性格、学びたいね。
好きだった都市はグァテマラのアンティグア。
そしてコロンビアのカタルへナとボコダ
メシで美味しかったのはアンティグアで食べた深夜のステーキ(スカートなるハラミ) パナマのイタリアンレストラン・カサブランカで食べたフリッター 一番キレイだったのはコロンビア・ボゴタの夜景。
感動の建築物はパナマ海峡。
スマイルが素敵な人がいたのは各地!

中近東8カ国ツアー

今回も実に変態な旅行だ。(変態とはヤバいという話ではない、普通の人がなかなか行きたがらない場所を好んで行く旅行。)今回のメンバーは東ヨーロッパもご一緒した人間ウイキペディアの玉田と、壮大な好奇心を持ち合わせる北野とボクの三人。三月の終わりに”世界変態旅行会議”がウチで開催。世界地図を広げて、何処に行こう、ここに行こう!と相談しているうちに満場一致で決定したのがこの中近東を回る旅。中近東と聞いて、人がイメージするのは ”恐い””テロ”であろう。しかしそれは本当なのか行ってみなけりゃわからない。(なんて平和な事を書いてるけど恐かったらイヤだなぁ!)そして調べれば調べる程に様々な難問がわかってきた。例えばイスラエルの入国スタンプがパスポートにあるとレバノン等に入国を拒否されるとか、うまく交渉すればスタンプを押されないで済むとか(事実、国益である外貨獲得を重視してキューバの様にスタンプを割愛する国もある。)ビザは前もって取る事が必要であるとか無いとか、かなり重要だったのが・・・イスラム圏なので酒は飲めるのかとか! とにかく情報量が圧倒的に少ない。雑誌PENのイスラエル特集なんて買ってみたけど楽しそうな雑貨屋さん、レストラン、カフェなんて一軒も記載無し。(笑)とにかくわからない事だらけだけど、だからこそ行ってみよう!

《1日目 7/2 成田空港よりイスタンブール経由ベイルート(レバノン)》午前11:40分に乗ったトルコ航空TK051便、乗客の女性がみんなベリーダンサーに見えるのはオレの勘違いであろうか!? 約11時間のフライトは充実の機内映像のおかげで楽しかった。(トルコ航空はヨーロッパで大人気の設備とサービス。) 到着したのは時差もあって17:45にトルコのイスタンブール。当然に到着するなり、普段は歌う事など無い庄野真世の”飛んでイスタンブール”を口ずさむ。そして2時間トランジットで待ってトルコ航空でレバノンのベイルートへ。かなり様々な理由から、今回は最後にイスタンブールで旅を仕上げるという算段なのだ。結局、フライトが遅延して到着はかなり遅く23時頃・・・結構、長い間、飛行機に乗ってるなぁ! 到着してタクシーでホテルへチェックイン。近所に出たが夕飯を食べれる店も殆どなくて近所のカフェへ! スタッフの女の子が可愛かった。 (STAY WHITE HOUSE HOTEL/オススメ度2 少なくとも自己評価の4つ星はウソ!)

《2日目 7/3 ベイルート、バールベック、そして空路でアンマン》 時差ボケも無く寝続けて6時間後の7時半に起床。窓を開けたらその目の前に地中海がっ! ここは素晴らしいロケーションだったのだ。 日本から手配したガイドとドライバーは見るからに良い奴! 見るからにお坊ちゃん顔をしていて名前は アハマダ!(ウチのスタッフの濱田さんに加えて一つのという意味の”A” あっを加えて”一つのはまだ”と記憶。奴はひたすらに、もうすぐ結婚をする彼女(MARUWAちゃん、感じで書けば ”丸和”で意味は円満でピースフルと教えてメモ書きしてあげたら相当に喜んだ。)の自慢をしていた。 今日は、あまり期待はしていなかった世界遺産のバールベックを見学! しかし、そのスケール、デカさ、荘厳さ全てにビックリ仰天した。いくら権威の象徴とはいえ数十年もかけてこんなにデカいモノを・・・思いは果てない。ギリシャのパルテノン神殿より大きいというのだから・・・しかし観光客はゼロ。そうなんです!

中近東8カ国ツアー

こんなに平和はレバノンなのに外務省の渡航情報を見るとかなり厳しい”渡航は見合わせましょう!”という国。中近東ってオモシロいかも! ベイルートに戻る途中でランチをしたのだが、お決まりの観光客相手の店に行く空気だったので、地元の人が行く店に変更をしてもらう。お坊ちゃんアハマダは父上に電話して相談して、レバノン・ローカル料理の店に連れて来てくれた。そして、この店が大正解っ!! (詳しくはホームページの食で紹介してます。)

中近東8カ国ツアー

本当に幸せな時間でしたよ。 町はものすごく繁栄していてビックリ! 実はベイルートの街は夜遊び天国で数百のクラブが営業していると。(若者のクラブ?ね。クラブ?では無いです。) そしてアラブ人の大金持ちにとっては最高の遊び場なのだ。(アラブの国々はかなり戒律が厳しくて酒やデート、ましてセックスなどをすると厳重に罰せられるのだ。他の悪いことも・・・)  海岸線をドライブしてピジョンロックス(鳩の岩)など見学をして空港に向かう。 夕方の便(ロイヤルヨルダン航空)でヨルダンへ! この出国がけっこう複雑な気分。また来たいのは当然なんだけど、この先で立ち寄るイスラエルのスタンプをパスポートに押されると、二度と入国は出来ないルール。敵国なんですよ!! なので次に行きたかったらパスポートを更新するかして新しくしないと無理・・・ビックリでしょ。 そう言われると、なんだか行きたくなるではないですか!? 夜はNHKの取材のお手伝いを頼まれてディナーに同行した。現地での様々な手配をしてくれたコーディネーターの木村さんという女性が”アジアで花咲け!なでしこたち”という番組で取材されるらしく、彼女に手配をしてもらった我々がエキストラで出演するとの事。デイレクターは大の中近東好きな若手で、話がオモシロかった。レストランは庶民派のお店。深夜にお腹が痛くて起きた。オレの強靭なお腹が壊れるなんて・・・でも他の二人は何も無くスヤスヤと寝ているから食中毒ではないのだろう。イテイテイテイテ・・ (後から聞いたら二人もヤバかったらしい。昼間の生肉が原因か!?) THE REGENCY PALACE HOTEL《オススメ度4.5》

《3日目 7/4 ペトラ観光 ペトラバイナイト 》 今日はかなりの興奮だ。事前に旅行関係のジャーナリストの友人と話している時に『ペトラとワディラムに行くんだぁ!~あそこに行っちゃったら他の遺跡が全部、小さくなっちゃうよ!』と言われた。スケール感が変るのだと・・・興味ある!! ペトラがイメージ出来ない人・・インディージョーンズの映画のロケ地と言えば想像がつくかな!?

中近東8カ国ツアー

朝の8時半にガイドがやってきた。彼の名前はワイロ!(Wa’e l! 賄賂ですか!贈収賄のワイロ、簡単に記憶)とにかくそうやって記憶しないと難しい名前ばっかり。 そして娘の名前はラマイカ(LAMAIKA/典型的な昔からある名前で”私は暗影”ダークシャドーだった!という意味)という一人娘のいる父さん。今から永遠に砂漠を3時間走って世界遺産のペトラに到着。アラブ人ってどうして運転がこんなにハードなんでしょう!? この人も運転するとシューマッハになっちゃうんです。ものスゴいスピードで走りながら急にポケットに手を入れて携帯電話を取り出して写真を捜して、コレがオレの娘だ!とか自慢始めるわけ・・・勘弁してよ!) 最初にホテルにチェックインして荷物を置いてランチ、その後、ペトラ遺跡の入り方を聞いてドライバーとは夕方に待ち合わせて解散。ついに来ました! ペトラ遺跡。入場料の50JD(ヨルダンディナール)円換算で5500円! 世界一高額な世界遺産と呼ばれているそうだ。 決して安くはないが外貨獲得の為には世界遺産が稼がなきゃ! 街には意外にヒトがいないし、店が休んでいるので不思議に思ったら、今は閑散期(暇な時期)であると。なぜこの時期にと思いきや・・・理由は暑すぎるからと・・・確かに暑い!いや熱い! さて、ペトラ専門のガイドを雇い、歩き始めて20分、最初はなだらかな開けた道。ガイドのムハマド君、やたらに早口で、なかなか理解が大変! ミラーのサングラスをかけた奴はいきなりイッパツ芸!・・・皆さんはアメリカの映画を見たことがある!?そしてサングラスを外しながら『アイム ロバートデニーロっ!』って言った瞬間に三人は大爆笑! でも相当にイケメンなナンパ師で通り過ぎる女子には声をかける! 白人の女の子に『キミは何処から来たの!?えっ!ヘブン(天国)からかと思ったよ!』そして女の子はニンマリ・・・キミぃ、仕事中にナンパはやめてくれるかなぁ・・

中近東8カ国ツアー

道中は左右に彫り込まれたモニュメントの解説を。そして長さ1.6キロメートル、高さ100?180m?、幅は3?20m?程度のまさに峡谷のシークを歩く。ひたすら歩く。なんだか自分が”アリ”になった気分がする。そして歩く事、1.6キロでいきなり開けた広場に出る。とはいえ、まわりは三方が際立った渓谷になっている。そこにはエルハズネ神殿がある。そのサイズは30m?×43m?! まさに”インディージョーンズ最後の聖戦”の世界だ。とにかくデカイ! その先もどんどんと歩く。王家の墓、野外円形劇場などを見学。しかし気分はまさに砂漠を迷う旅人。だんだんと意識はモウロウとしてくる。するとずーっと向こうに日陰にある売店が見える。一路、先に見える売店を目指して進む。実は昨日から三人とも相当にお腹の様子が悪くて、かなり力尽きていたのだ。・・・ジュースを買って小屋の後ろのベンチで横たわってお昼寝・・・というか力尽きていたという感じ。帰りは迷わず高額ながら馬車で帰った。(砂漠で死んで行くってこんな感覚なんだなぁ!と学習。) ペトラ遺跡の歴史的背景うんぬん知りたい方は・・・ http://ja.wikipedia.org/wiki/ペトラ 夕方はホテルに帰ってプールでまったり読書&日光浴。このホテルはWi-Fiがサックサクで溜まっていた仕事が片付いて嬉しい。二年前までは考えられない通信の進化。パソコン本体も重量は重かったし部屋のネットは有線で超カッタルかったし、写真どころか動画を送るなんて考えられない。Facebookに写真をアップなんてあり得ない事だった。 さて、夕飯はホテルで済ませた。この食事を済ませるという言葉は不本意中の不本意・・・でも何も無いんです! ドリンクメニューを見る時なんてドキドキする。唯一あったのはビール・・・それは冷たくて美味しい。でもアルコールを感じないんです。薄い・・・酔わない・・・ そもそもアルコールを飲むという習慣があまり無いエリア。というかイスラム教の人々は飲酒している人を軽蔑しているらしい。別に軽蔑されたってかまわないから売るだけ売って欲しいというのがオレの個人的見解!(笑) まぁ、なにかの修行と思って頑張ります。

中近東8カ国ツアー

夜はペトラバイナイト(Petra by Night) 週に数回開かれる世界遺産ペトラ遺跡の中を3000個のキャンドルで飾り付けて小さなコンサートが開かれるという催し。さらに満月ということで楽しみがいっぱい。20時にゲートで待っていると入場が始まり(入場料は12JD)昼間通った開けた砂利道を歩く。まさにマジッックアワーで、空は日中のサンサンと突き刺さる様な日の光から一転して涼しくなり、深海の様な不思議な青に変わり、段々と闇になっていくのだ。道の両脇には点々とロウソクが灯されて究極的にロマンチック! そして峡谷の道もキャンドルで両脇を照らされている。エルハズネ神殿の広場に出ると昼間は観光客用に用意された馬車やロバはいなく、そこにも数千個のキャンドルが等間隔に飾られて、それはそれは愛しい光景だ。そしてそこで前衛的なアラブ民族音楽のアーティストが出て来てパフォーマンスを見せてくれた。上を見れば岩の突き出た部分に月の光があたって薄白く光り、幻想的な世界。帰り道、同じ道をダラダラ歩いて行く先に見えたのは、何かロケかなにかをしているのかと思う程に明るい月明かり。♪月の明かりを~はるばると~♪ 三人の歩く姿が月明かりによって影が砂漠に映し出されていた。 《ARMA PALACE INTERNATIONAL HOTEL /オススメ度5、素晴らしい!(部屋もキレイ、ガウンまである。プールにジャグジー、インターネットに豪華な朝食までついて三人で70JDは7700円!三人だよ!それも2部屋)》

《4日目 7/5 ペトラ、ワディラム(ジープツアー) そして死海!》 昨夜は爆睡して体調は完璧。まぁ、いい気になって暴飲暴食には気を付けましょ! そんな新たな決断を出来たのは昨夜の満月によって様々な悪いものが浄化されたからかもしれない。お迎え時間を早めて8時に出発。 一路、世界遺産に最近認定されたワディ・ラム自然保護区に向かう。アラブ語でワディはVALLEY(谷)ラムはMOON(月)という名前。ここ、わかりやすく言えば アメリカのグランドキャニオンとサハラ砂漠を足して2で割った場所とご理解頂きたい。とにかく荘厳かつ雄大! もうビックリでした。当分、どんなに大きな物が目の前に現れても驚かない自信が出た。砂漠を四輪駆動車で走り回るんだけど遠くに見える巨大な岩が、手前にある車と見比べると大きさが認識できるでしょ。とにかくスケール感がハンパなかった!

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ランチを済ませて、クルマで死海まで約3時間のドライブ! 走っても走っても砂漠という景色。そしてだんだんと景色が変って来た頃は、実は海抜ゼロメートル地帯なのだ。そして遠くの下の方に、死海が見える。随分と下に見える死海はなんと海抜マイナス420メートル。ということは世界で一番低い場所が死海なのだ。もう一度、よく読んでね。海抜ゼロから下に420メートルですよ。世界最高峰はエベレストとか知ってるけど、最低はあまり知らないかも。まわりは山々なので降りる程に盆地状態なので蒸し暑くなってくる。そしてほぼ降り切った界隈の景色たるや、全く見た事のない景色だった。塩分濃度30%(普通の海水は3%)故に生物が生存する事が出来ない、この湖は人間が泳ぐと身体がプッカリと浮くので有名だ。もちろん、それはやりたかった事のリストに入っている。早々にホテルにチェックイン! かなりリゾートのいいホテルだけどヤロー三人なので、たいして盛り上がりはしない・・・そんな事は無い。(笑) 三人で小道具を用意していざ、死海へ! いざスイミングへ! ホテル内のオシャレなプールにはヨルダン人らしき家族連れがイッパイ。そこを過ぎると死海が待っている。その奥様方は普段からベール(ヒジァ―ブ/布地を頭から首、人によっては鼻から目まで隠す)などを被って肌を隠すのが日常なので、さて海水着となると専用につくられたイスラムバージョンの上から下まで隠れて、顔だけ丸く開いたモジモジクン(古いね)みたいなファッションでプールに挑んでいるのが痛々しかった。 そして運命の死海へ! 世界で最低な(悪い最低ではなく最も低い地、なにせ海抜マイナス420メートルですよ!)の海水浴。ここは塩分濃度が海水(3%)に比べて30%という超塩分が強いため、人間の身体がフワッと浮いてしまうのだ。この浮遊感がビックリ!早々に撮影大会だが、通常の写真では書物を読んでいるのが普通!というか一般的。しかしオレ達ヤロー三人は英字新聞っていうのもウソ臭いという事で、東京からわざわざ”東スポ”(東京スポーツはわりと下世話な新聞!笑!)を持ち込んで撮影っ! ひとつの夢の実現です。

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しかしここ死海は世界自然現象七不思議にも数えられる程の不思議だらけ。皮膚病などイッパツで治るらしい。逆にキズ口など痛いのなんのって! あとここの海水だけど味は塩分が強いのはいいとして、カドミウムが通常の7600倍も入っていると! それは飲みたくない。 とにかく楽しい体験でしたよ。そして浜を歩くと恐竜の背中を歩いているようにユラユラしているんです。そこを掘ると中には泥んこがっ!! これがまさに ”死海の泥んこパック”という事で試しました。ゴンゴンと身体に塗り付けてヒリヒリ感を楽しみながら、約10分。シャワーで流すと出来上がり!見事に身体がツルツルに変身しちゃってました。死海地方は盆地なので極端に蒸して暑いんです。いや熱い! 恐らく気温は40℃を超えて湿度は限界点! でもそれを差し引きしても最高な体験でした。

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夕飯はホテル内のバイキングで日本の調味料を持ち込んでセルフ和食加工して満足なディナー! 最近のホテルはWi-Fiが飛んでいるので、ネットとかで連絡していると自分が海外にいるのを忘れてしまいそう! いい事なのか、悪いことなのか・・・間違い無く世界は小さくなってるなぁ。  (Holiday inn Resort Dead See スバらしいリゾートでした。オススメ度5 )

《5日目 7/6 死海、キングフセイン橋、国境越え、エルサレム》 いよいよ国境越えの時。朝7時にガイド&ドライバーのワイロが迎えに来てくれて国境&緩衝地帯のあるキングフセイン橋まで連れて行ってくれた。本当にここの出国&入国は一筋縄ではいかないのだ。出国時は日本大使館の若い外交官が同じ列に並んでいて様々な情報をくれた。ここの入国の面接は厳しくて曖昧な事や適当な事を言ったら大変。列に並ぶ時間など考えると5~8時間もかかる場合がある。だがここの陸路のゲートはパレスチナ人の為の物で、空路より少しは緩いらしい。(だが手数料が高い。)あと入国時に入国のスタンプをパスポート押されると、今後そのパスポートを持つ限りイスラエルと仲の悪い国には入れなくなるのです。(軽いスパイ容疑!?)だから別紙にスタンプを押してもらう様に嘆願。そんな面倒な事をしてでも入ってみたいのがイスラエルなのだ。島国ニッポン人には絶対に理解の出来ない世界だ。結局、かなりスムーズに3時間で出入国が出来た。(一緒だった日本国の若き外交官は更に3時間も足止めになったみたい。) そしてイスラエル側の入口には現地のガイド&ドライバーのイーサ氏が待機。(日本の友達の伊佐さんの同性と記憶) 奴はドヤ顔のフルサイズマッチョ!また怖い顔を余計に恐くするサングラスをかけて武装。運転はシューマッハ気分で日本ならば逮捕っ! しかし車内で聴いている音楽は・・・ラップか、ソウルか、クラブ系かぁ~~~いや、イーサが愛する音楽は ”賛美歌” (笑)賛美歌聞きながらどうして、そんな運転が出来るんだろう!?

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最初から濃厚なガイドぶりを発揮。予定には無かったエリコという世界で最も古い街(紀元前7800年。また海抜マイナス260メートルという世界で最も低い場所にある街なのだ。) そして、オリーブ山のイエスが捉えられたと言われるゲッセマネの園、万国民の教会、そしてその後は旧市街地のザイオン門から城壁内の、アルバニア人地区、ユダヤ人地区、嘆きの壁、ムスリム地区、キリスト教地区、キリストが十字架を背負って歩いたヴィアドロローサを歩き、聖墳墓教会(キリストが磔にされ、埋葬され復活した場所)ダビデ王の墓、最後の晩餐の部屋を訪問。もう頭は世界史の教科書の復習状態だけどグッチャグチャ! そりゃ戦争は終わらない訳だよ・・・本当に勉強になった。 夕飯はタクシーで街をブラブラしてイタリアンにて! 安くて美味しかった。そしてワインも飲めて幸せ。 (Commondore Hotel 決して便利、キレイとは言えないけどスタッフが本当に良かった!なのでオススメ度は4)

《6日目 7/7 エルサレム観光》 パレスチナ自治区のべツレヘムという街で”分断の壁”を見学。パレスチナ問題はニュースでは散々聞いて来たけど初めて少しわかった気がする。そこの中にある聖誕教会(2012年6月29日に世界遺産になったばかりの教会、世界で最古!)を見学。キリストが生まれた場所を見学。しかし地下のその部屋は時間制限がアリ見られない。ガイドのイーサ氏は裏技を使って隣の部屋の鍵穴から覗けと!(笑)しかし良く見えた上にiPhoneのカメラならば撮影可能で盗撮。 (合法)

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そして、壮大なるイスラエル博物館で世界最古の聖典を見学、裏にはエルサレムにユダヤ教が君臨していた時代の一大ジオラマが石で作られていて飾られていた。これがものスゴいスケールで驚き。様々な迫害を受け続けたユダヤ人の心のオアシスなんでしょうね・・・いつかは取り返すぞっ・・・なる意気込みを見ました。 そしてなんとパレスチナ自治区の中(ベツレヘム)で中華レストラン(もちろん出入りには毎回、パスポートチエックがある。すこし緊張!)へ!ここが美味しかったんです。 その後はガイドのイーサ宅を無理言って家庭訪問。奥様、子供達にご挨拶(どうしても現地の家庭を見たかった!)、その後は旧市街を散策。 夜はローカルのヒロヨ親子とディナー!  お店はDOLPHIN! ビックリな美味しさと雰囲気で大正解。

《7日目 7/8 ホテルから国境、キングフセイン橋、アンマン、アンマン空港からカイロ》 起床は6時、そして7時に出発。今日はかなりの緊張。なぜならば12時にアンマンからエジプト航空でエジプトのカイロに向かうのだが、イスラエルの出国にどれだけ時間をとられるかわからない。入国に3~5時間とか平気でかかる国だからだ。空港はセキュリティーの関係で2時間前には到着が理想だし、国境からアンマン空港はクルマで一時間は楽にかかるし・・・結局、全てのシワ寄せはクルマの移動にかかった。その恐ろしさったらなかった。なにせヨルダンには車線とか追い越し禁止地域とかは存在しない。という事は常に対向車から、こちらの車線にもクルマが飛び出して来ている・・・恐っ!! とにかく締め切り寸前にアンマン空港に到着した時にはクタクタだった。(笑) 無事にカイロ行きに乗って爆睡。 エジプトのカイロに到着。これまたタクシー運転手がものすごい奴(悪い意味)にあたり、ハンパの無い運転でビックリ仰天! スピード超過、車線変更無視の追い越し、意味も無くクラクション&パッシング! 隣に乗っているだけでクタクタ・・・タクシーを降りると正面にピラミッドが見えて感動。でもそれ以上、近づこうとは思わない。タクシーの運転にマイッタ。明日ゆっくり行きましょ!という事でプールでまったり。とにかく何もかもヤル気を失う程に熱いんです。きっと45℃とかだったと! 日が暮れて外にメシを食べに行くのも面倒で(という位にカイロの街が超ゴミゴミ×100みたいな場所でモチベーション下がったんです。)ホテルの屋上(2階)のオープンエアーなレストランでシンプルなモノを注文して自前のワサビ、味噌、柚子胡椒、胡椒で加工してニセ和食を作り出して美味しくいただいた。

《8日目 7/9 カイロ ギザ観光》 9時に迎えが来てピラミッドを見学。ガイドのテンションが低くてこっちもヤル気が出ない。というかとにかく熱い!!!! 熱過ぎてシーズンオフというのもわかる。 クフ王のピラミッド、王の玄室も細い通路を這い上がり見学。そしてカフラー王のピラミッドを見学。そしてメンカウラー王のピラミッドを見学。(これが三大ピラミッドといわれる。)それをパノラマで見学した。そしてスフィンクスを見た。スフィンクスの正面にケンタッキーフライドチキンがあるのも確認した。(笑) イスラム地区に移り、ムハンマドアリのモスクを見学。もちろん世界遺産(1857年に完成)内部の壮麗さはイスラム地区で抜きん出ている。

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ハーンハリーリ(バザール)を散策。エジプトの国民食の”コシャリ”をいただいた。(これは美味しい!)そして、そのまわりだけで世界遺産が10以上。その地区一帯も世界遺産。エジプト考古学博物館でツタンカーメンを鑑賞。しかし4500年間も観光で食べているエジプト人たち。とにかく観光客からむしり取る根性には脱帽。 ホテルに一度戻って、プールでゴロゴロした後にグランドハイアットに和食を食いに行った。オレ達が海外で和食を食べるなんて異例中の異例。だがどうしても今回は我慢が出来なかった。意を決して行ってみたら、なんとメニューにビールが無い!! 店員はそんなモノを飲むのかという態度!(笑) このホテルにはバーも無いという事で早々に退散!(二度と行きません!) コンシェルジェで近所の酒が飲める和食屋を捜してもらったがなかなか無いんです。やっと見つけたら残念なお店。しかし脳みそは完全にビールを待ちこがれる体制になっているし、仕方が無くその店に入るとボク達の下半身を指差され入店拒否。暑過ぎて全員短パン&ビーサンだったんです。(笑)でも隣の店で注文して配達してくれるという優しい計らいでやっと食事にありつけ一件落着。それなりに良い夜だった。 でもこの街には住めないなぁ・・・

《9日目 7/10 カイロ、カイロ空港からキプロス、ニコシア》 朝から何処かに行こうなんて意欲無し。ロビーでネットをしてお仕事。しかし何処にいても仕事が出来てしまうって本当便利な事です。こんな革命的な事、ここ最近二年の話ですよ。という事でプールサイドでまったりとお昼まで。せっかくだからカイロの街に出ようよなんて提案は誰からも出なかった。 ランチは昨日食ってかなり美味しかったコシャリを食う。ホテルのタクシーを雇い空港まで連れていってもらう途中だったが、実に美味しかった。本当に店により少しづつ違うんです。しかしながらホテルの専属ドライバーなのにスキあればオレ達を土産物屋に連れ込もうとする根性はいかがなものであろうか!? 空港に行く道のりなのに、三軒も連れ込まれそうになった。(笑)本当に気が許せない奴らだ。 おもいっきり早めに空港に行ってラウンジでまったり。

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キプロス島のラルナカ空港に到着したのが夕方遅く。玉田のお友達のお友達のニコリナ(ニコちゃん)が友達二人と迎えに来てくれた。ビーチ帰りらしくカジュアルを超えてグチャグチャ(笑)ニコちゃんの車は小型車。通常ならば4人で満席。だが、なにを考えたかニコチームは3人、オレ達3人&荷物! その上、車のトランクには先約の荷物が!結局二列目座席に大人四人と荷物をヒザの上という荒技で乗り切る事40分! キプロス島の中央部のニコシアでキプロスローカルディナー! ここメチャメチャにいい街です。空港近くのホテルをキャンセルしてCENTRUM HOTELに急きょ、変更! 深夜までニコちゃんの友達、彼氏らとバーで飲んだ。ココ好きだなぁ!!

《10日目 7/11 ニコシア(キプロス)観光、北キプロス観光、ラルナカ空港からアテネ経由でイスタンブール》 9時にニコちゃんが迎えに来てくれて、街の真ん中にある国境に向かう。もちろん徒歩ながらパスポートは持参。ついこの間まで島のなかで内紛があり、現在はギリシァが支援するキプロス共和国とトルコが支援する北キプロス・トルコ共和国に別れている。あちら側はイスラム圏なので少し違う空気なんです。 これまたいい経験したなぁ! ランチはラルナカビーチのレストランで海産物ランチ!! 飛行機が真上を飛んでる迫力満点なホテル。本当にいい時間になったのはもちろんだ。

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ラルナカ空港からアテネ経由でトルコ・イスタンブールへ。再び戻った形になった。夜も遅いので空港近くのホテルを予約。シャトルバスに無理矢理の乗り込みホテル(WOW AIRPORT HOTEL)にチェックイン! メシは向かいに併設されているカフェ。昔のカフェバーっぽい作りで不安感イッパイ。店内にはビリヤードにボーリング場! 店員さんはオレ達に全く気が付かない。そしてまずは最低限のモノをオーダー。するとそれらのモノが美味しい! トルコ&アメリカンのミックスおつまみセットみたいなのを注文したら、揚げミニ春巻きにバッファローチキン~~お見事でした! ここも幸せっ! トルコ人の食への探究心はなかなかなんです。ココの街、好きかも! 玉田充電センターに全ての電気充電グッズをセットして就寝。 (毎日の事だがかなり電気に支配された生活をしている。カメラ、携帯、パソコン、それらを充電するのは”携行品・準備率ナンバー1”の玉田君。海外対応コンセントに加え延長コードまで持参してくれて助かる!)

《11日目 7/12 イスタンブール、カイセリ、カッパドキア》 早朝5時に迎えが来て空港へ!のはずが、アメックスの手配の旅行社が来ず、自力で空港へ!この問題が後々のハプニングを引き起こす!(笑) 早朝のイスタンブール空港は想像を絶する混雑。 カッパドキアのあるカイセリまで1時間程のフライト。 カッパドキア近所のカイセリ空港にはスティーブンセガール似のナントカ君がドライバーと二人で迎えに来てくれた。(セガール、セガールと勝手な名前で呼んでいたら本名を忘れた。) クルマは15人乗りのメルセデスのピカピカのバスが来ていてビックリ。  ガイドの日本語もお見事! 早々にカッパドキア見学へ! 写真では見ていても実際にあの姿をパノラマで見ると言葉を失う。世界遺産カッパドキア自然保護区~~~なぜ、この形になったの!? なにせカッパドキアは2億5千年前のエルジエス山の噴火から隆起がはじまり火山灰と溶岩が数百メートル積み重なり層が出来て風雨に打たれて浸食が進み硬い部分が残り不思議な形の、まさに奇岩と呼ばれる岩になった。もう今にも崩れそうなオカシな形の岩もあるが、なにせ浸食が進むスピードは100?1000年間で6センチほど。人間の一生など5センチ程度の話で、本当に違う時間軸で動いているのだと感心します。 ギョレメ国立公園、キノコ岩、洞窟レストランで壷ケバブ、ギョレメ野外博物館。カッパドキアパノラマ、そして洞窟住居兼カフェでお昼寝(スケジュールには無いが勝手に寝た。) カイマクリ地下都市見学! インチキ臭い絨毯屋、トルコ式お風呂(ハマム)体験、ローズバレーの大パノラマでサンセット見学。今夜のホテルはCappadocia Cave Suiteなる子洒落たホテルだがヤロー三人組は変わらず(笑)。ファンシーだったけど・・・夕飯はホテルのビュッフェ。それなりに美味しい!

中近東8カ国ツアー

夕飯後は時間があったので同行の北野の頭髪をカットする! オレって上手!! (Cappadocia Cave Suite 素晴らしいホテル!最高です!なんといっても洞穴っ!)

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《12日目 7/13 気球ツアー、カイセリ、イスタンブール》 早朝、日の出前に迎えが来て、気球ツアーに参加。ものすごい盛況で、我々クラスの気球は70機は出ていた。約1時間のクルーズは本当に楽しかった。ボクの気球にはフィンランド人、オランダ人、中国人、韓国人、ポーランド人が乗っていた。朝日も拝める約1時間のクルーズは本当に充実!高度200メートルまで上がったり地表面ギリギリまで降りたり~~また上がったり降りたり~~オモシロい!! 本当に楽しい時間でした。

中近東8カ国ツアー

ホテルに帰って遅い朝食をして荷物を準備、そしてカッパドキアのカイセリ空港へ! 空路でイスタンブールに戻った。今回はいったい何回、この短距離の移動の飛行機に乗ったであろうか!? イスタンブールにはアメックスに手配しておいたガイドのアリ君が来ていた。旧市街地を散歩、道ばたの店でケバブ-サンドと、そしてガラタ橋のたもとでサバサンドを食す。これが見事に美味しい。  現地の旅行代理店が、昨日朝のピックアップが遅れたことを申し訳ながり、ベリーダンス&ディナーを招待してくれると・・・それは嬉しい! 約束の時間にホテルのロビーで待っていたら、ホテルの間違いで違う迎えの車に乗せられて・・・気付けばガラタ橋のたもとの別のレストランへ!もう面倒になって自費で食べると決めてスタート。そんな頃、旅行代理店は相当なパニックになっていた様だ(笑)。 二人のガイドがご機嫌伺いに我々のレストランにやってきた。 おかげでダブル迷惑大会! でも結局ベリーダンスも見られたし、会社の手厚いサービスと心がこもった陳謝のお陰で我々は大満足。いい一日でした。

《13、14日目 7/14、15。 イスタンブール、機内泊、成田空港》ここのホテルは本当に素晴らしい。三人一部屋でもそんなに辛くない。午前中に世界遺産スルタンアフメット・モスク(ブルーモスク)を鑑賞! そして時間がなかったがトプカプ宮殿も見学。ホテルに一度帰ってからシャワーして荷造り、ランチはホテル前にあるトルコ人向けの料理店で食べた。ここも満塁ホームラン!! トルコは本当に何処で何食べても幸せだ。

中近東8カ国ツアー

車で空港に向かって、ラウンジで時を過ごした。いや、あまりに快適なラウンジでのんびり時間を過ごしすぎてあわや乗り遅れ!!!時計を見て三人は青ざめて一路ゲートまで全力疾走した(笑)。なんでこうなるの!! 結局、予期せぬフライトの遅延のお陰で乗り遅れなくて済んだ(笑)。

中近東8カ国ツアー

三人、無事に帰国しましたっ!! 海外渡航回数は250回近いけど、今回は印象に残る10指に入る素晴らしい旅。もちろん世界中には様々な素晴らしいモノがあるけれど、風習、習慣の違いを肌で感じるのが地球に生まれて本当に良かったと思える瞬間だ。 半月にわたる中近東8カ国ツアー! ますますイスラム圏の人々の暮らしに興味津々になってきた。世界は広いぞっ!! 急がねば!! Thanks god !

ブータンの人々の笑顔を見たい!

【2011 11/3~4 激しく充実な長~い1日】
東京でしっかり大きなミーティングを完了させて、軽い(いや重い・・・)宴会をして、深夜の羽田空港からタイのバンコク経由でブータンに入る。ほぼ24時間稼働する様になった羽田空港の完成で東京人の旅のスタイルは如実に変化した。 5時間のフライトはアッという間、バンコク国際空港ではアメックスのプライオリティーカードのおかげで快適なラウンジタイム!シャワー&軽食でリセットが出来た。実はラウンジで、和み過ぎてブータン・パロ行きの飛行機に乗り遅れる寸前・・・(笑)しかし空港から少し離れたバンコク市内では水害で大変なことになっているのに、この空港にいる限りそんな空気がまるでない。パロまでは3時間チョイのフライト。途中のバングラデッシュにトランジットしたが、ものすごいスモッグで驚いた。どうせわざわざ行く機会も無さそうだから、寄れば良かったと思ったが、この空気を見たら行かなくて良かったと思ってみたり・・・  ブータンの空港は恐ろしく山岳地帯を抜けて入って行く。もう飛行機のハネが、山とスレスレに近づいているかと思える程に近かった。 空港に降りるとニオイが気になるのだが、まさに空気清浄機を100台くらい並べてブンブンに回しているかのごとく、清く澄んでいて清々しかった。 ブータンの観光は、様々と制限されていて、自由気ままに入国をして勝手に見て回るという事が許されない。全てビザの取得など専門の観光会社を通して、そしてしっかりガイドをつけてホテルもキッチリと予約するのだ。1日のビザ代金が200ドル近く(それのホテル、食事代金などが含まれる)というシステム。
空港は本当にキレイで人々も紳士だ。物乞い的なひとも見受けられない。迎えに来てくれたのはガイドのサテン氏(たぶんそんな発音。喫茶店の略語であったサテンと暗記)パロから一番の都市であるディンプーへ! 国立僧侶学校ディチュポタン、伝統工芸院のソーリクチュズムなどを訪問。どちらも若いというか子供も沢山いたのだが、みんな良い笑顔してました。

ブータンの人々の笑顔を見たい!

このブータンに興味をもったのはここの有名なイケメン国王です。 世の中はグローバルスタンダードとか言って”発展”という方向を向いているのは事実。ブータンという国は地図で見ればわかるが強大な経済的発展を遂げているインドと中国に挟まれた土地なのだ。しかしそんな無意味な発展は国民の生活をマイナスにする部分も大いにあると判断した国王、政府はGNP(GrossbNationalProducts国民総生産)なる国の発展指標を捨ててGNH(GrossNationalHappiness国民総幸福度)を提唱したのだ。2006年、英国レスター大学の心理学者エードリアンホワイト氏の全世界8万人の100項目に渡る聞き込み調査を集計!で明らかになった、世界一幸福な国は! 1位 デンマーク 2位 スイス 3位 オーストリア 4位 アイスランド 5位 バハマ・・・・ブータンは8位、そして23位 アメリカ 35位 ドイツ 41位 イギリス 62位 フランス 82位 中国 90位 日本 125位 インドということで、日本は中国より下に位置している。 また、ブータン政府の聞き込み調査(2007年)で、9割の国民が幸福と感じている。
今回の旅、そんなブータンの微笑みを生で見てみたいと思ったのだ。ちなみに、ココの国には沢山の歴史的建造物があるが、なんと世界遺産登録は一つもしていない。なぜならそれをすることで観光客が無意味に増える事への懸念・・・と聞いている。スゴくない!?
ホテルはティンプールの町中のHOTEL Pedling 設備はお世辞にも上等とは言えないが必要十分、それ以上にスタッフのスマイルとサービスが素敵だった。 夕方に街をウロウロ~~買いたい物は残念ながら無かった。トレッキング時に使う手袋、せっかくならば記念にでもなったら尚、嬉しい!東京でお洒落につかえたら更に嬉しいと考えて捜したが・・・該当品はまるで無かった。買えたのは子供用のヒドいデザインが施されたモノだった。 そう、このブータンでは”モノに支配されない世界”があるのだ。
夕飯はホテルの地下にあるレストラン。決してブータン料理ではない。一生懸命とコジャレようとする意欲を感じるが・・・持参していた醤油、ワサビの登場、そして持参したイモ焼酎を初日から頂いてしまった。美味かった!!
【ブータン3日目 11/5 ドチユラ峠をぬけてプナカへ!】
天気は曇り、ひいき目に見ても暗い・・・気持ちは快晴! 今日は3時間のドライブでプナカに向かう。途中のドチュラ峠ではドゥオンゲルという寺院。ここには108個の石碑が立つ、荘厳な空気なのだが、まわりに霧が立ち込めて一層、荘厳な空気を醸し出している。本当は遠くにヒマラヤが見えるらしいが、残念っ! 昼前にチンミーハーカンという寺院を見学。聞けばここは”子づくり祈願”の聖地らしい。それらしき女性と家族が来ていた。そこの木の彫り物をみるとまるで冗談にしか思えないのだが、あえてその写真を載せたら、ここの威厳に関わると思うので割愛致します。(笑) その後はランチ。平野を見渡すレストランで食事を楽しんでいるのは欧米人ばかり。薄目で見ればヨーロッパの山岳リゾートだ。そこに来ていた日本人女性二人と友達に成る。女性二人のブータン旅行・・・謎だ。しかし今回も随分と多くの女性一人旅遭遇した。そんな時代なのかなぁ!? 午後はもう少し離れたプナカへ! ここは川の中洲にとんでもない寺院(プナカゾン)がある! その荘厳さたるやハンパではない建造物で衝撃的だった。これが世界遺産登録をしていないなんてあり得ない。そのスケール感もデザインもスゴいの一言! その後、同じコースをティンプーに戻った。

ブータンの人々の笑顔を見たい!

ホテルに帰ってちょいと事件が! 不覚にもホテルの部屋に鍵を忘れてしまった。正直、そんなに悪いことをしたとは思わなかった。フロントでスペアを依頼。ところがいつになっても開けてもらえない。上がって部屋を見てみると部屋の前で鍵を100個位並べて一つ一つ合わせている。なんとスペアが準備されていなかったのだ。これ、いつになったら開くのだろう・・・待って見ていたら結局、全ての鍵があわない。ホテルのエンジニアは困り果てて、結局、鍵を破壊しようと目論むがなかなか壊れない。するとその向かいの部屋に宿泊する格闘家・福井がジムから帰って来た。破壊=福井という事で、ヤツに鍵の破壊を依頼したら、なんと後ろ蹴りイッパツで開くには開いたが、なんとドアのど真ん中がガッツリと開いてしまった。従業員全員で笑い転げた。しかしこの部屋は明日からどうするんだろうか!? 福井は今日の昼間も畑でアーチェリーを練習している子供から弓を借り受けて、弓を引いて戻す瞬間にどんな力を加えたのか、弓を破壊してしまい、子供は放心! 温厚なブータン人の父親を怒らせるという事件を起こしたばかりであった。

ブータンの人々の笑顔を見たい!

夕飯はやはり外人専門のレストランでメシ! 可も無く不可もない当たり外れの無いレストランでした。 しかし予想外の停電でのキャンドルディナーはお洒落・・・でもヤロー三人です。
【ブータン4日目 11/6 パロへ戻りましょ!】
パロに戻る途中で鎖(くさり)で出来た橋を見学。これが衝撃的な橋で17世紀に出来たなんて信じられないモノ! というのは手づくり製の20センチ程度のクサリ4?5本のみで吊ってあり、今は網がかかっているが、昔は無かったという恐ろしい橋なのだ。オレって橋好きかもしれないって最近思います。なんだか橋を渡る時に、異常にワクワクするんですよ。とにかく良い体験でした。

ブータンの人々の笑顔を見たい!

そして市内のパロ・ゾンに入る。毎日毎日ゾンばかり見ていて、少々トゥーマッチ気味で、その次のヤツはパスしてもらって、その分、なんとパロから山中に20分入った所にあるアマングループのホテルであるAMANKORA(アマンコラ)を訪れた。道に小さなエントランスっぽい看板があるものの、そこにはアマンとはとても関係無さそうなオジイさんが数人座り、世間話をしている。そこの林の中を抜けるとホテルがあるのだが、そこにはナンのファサードとしての小細工もなくて、ただの松林を歩く感じ。するとだんだん見えてくるのだけれど、実にアマンらしく天然素材を使って、ブータンの建築様式をディフォルメした、ハイクラスなデザインで処理している。カナダ人のマネージャー(というか只の私服でフレンドリーなお客さんにしか見えなかった。)が挨拶してくれて、館内を見たいと言うとウエルカムで部屋を見せてくれた。自然と一体化した室内はゴージャスでハイセンス! ここで一週間位、引き込もりしたいもんだ。 そしてラウンジでお茶タイムを楽しんだ。実に良い時間だった。その後、ナショナルジオグラフィックが関与しているというホテルも見学、大分、大きなサイズのホテルだがブータンらしさが残って素晴らしかった。 今夜の宿泊はJANKA RESORT だ。チエックインするとスタッフのスマイルは素晴らしい。でも部屋を見ると、というかアマンの後だと何処を見てもトホホ・・・ (笑) ここにはHOT STONE BATH(石焼き風呂・ドツォ)という真っ赤に焼いた石をフロに入れて入る個室のフロがあり、気持ちが良かった。
【ブータン5日目 11/7 いよいよタクツァン僧院へのトレッキング】
ブータンの朝食・・・お世辞にも美味しいとは言えない。良く言えばシンプル!8時半に出発をして、今回の最大目的地であるタクツァン僧院へのトレッキングだ。9時半に駐車場をスタートして途中、15分の休憩をして、到着は11時45分ということで、片道約2時間半のトレッキングだった。

ブータンの人々の笑顔を見たい!

アップダウンは見ての通り、結構キツいが実に爽快な道だった。ただ標高は2300メートル近くまで上がるので、やはり息が上がり気味。途中、数カ所から断崖絶壁のそびえ立つ、タクツァン僧院が見えるのだが、お見事な建築だ。街で見かけた絵葉書そのままの景色がいくらでも見える。14世紀という時代に、この場所にこんな建築物を作れたのが不思議だ。 僧院に到着するとカメラ、携帯電話などは預ける事になる。というのも僧院の中ではいまだに修行を重ねる僧侶がいるからだ。 三カ所の仏堂を訪れてそれぞれゆっくりと座って瞑想チックな時間を過ごした。その時の体験・・・とても文章にはできません。

ブータンの人々の笑顔を見たい!

そして下山。途中の展望台にあったレストランで”例の”ランチ。ゴハン、炒めた野菜が2種、唐辛子の炒め物、ダル(スープ)を食す。3時には麓の駐車場に戻り、皆で今日の体験を喜び合った。
夕飯はパロの街の外人向けレストラン。というのも、この街では外食成る習慣が無い様で、レストランは外人観光客の為の物なのだ。ブータンは食料自給率も極端に低くて、野菜なども輸入に頼る。宗教上、あまり肉類は食べないという事で、今回の食生活はいたってシンプル、言い方を変えれば、食は期待をするなという事だ。 それを差し引きしても充分に楽しめる4泊4日だった。
ここからタイのチェンマイに移動します。11時にパロを出発して途中、バングラデッシュを経由して16時半にバンコク、そしてトランスファー、チェンマイは20時ということで1日が移動日。タイoチェンマイも楽しみだ。
※旅に出る前にブータンに行くと人に言うと『ヘェー・・・』で終わっていたのが、入れ違いの国王の来日で、帰ってからブータンに行って来たというと、いきなり『いいなぁ!ステキっ!』に変わっていた。人は不思議だ。

東欧への旅! 行く理由はただ一つ!『行った事ないから!』

男四人は13カ国3150キロを走破っ! 2011年9月5日  東欧(東ヨーロッパ)に旅に出た。 行く理由はただ一つ!『行った事がないから!』 世界遺産も相当あるし、アドリア海沿岸部もかなり美しいと聞く。ブルガリアでヨーグルトも食べたいし、アウシュビッツも実際を見てみたかったし・・・でも主なる理由は未体験ゾーンへの好奇心だ。 東ヨーロッパ(東欧)といえば20年前には旅するなんて考えられない土地だった。なんといっても俗にいう”東側諸国”だからだ。 今では東側なんて表現されても何も思わないが、20年前ならば”ソ連とツルんでいる国々”というだけで震え上がったものだ。そんな恐怖感はかなり昔の話で、今は少し発展が遅れ気味の国々というのが印象。良く言えば良き日のヨーロッパが残る、文化レベルの高い国々だ。とにかく見てみなければ、嗅いでみなければ、触ってみなければ分からないのが東欧だ。あまり情報も無く、地図を広げてみれば好奇心がどんどん湧いてくる。ただあまり興味が湧かない国があるのも事実。だがせっかく車で旅をするし、行きそびれそうな国(マケドニア、アルバニア・・・あたり!ブルガリアもわざわざ行かないだろうし、ましてやコソボなんて紛争地帯に用事は無いし・・・そんな事を言っていると、そんな国ばかりになってしまうから、あえて全部!行ける国は全部行こうと考えた。所詮、日数には限界があるのだから、逆に下見感覚で見て回るのも良いではないか!という事で時間が許す限り行ける国は全部行く事になった。本当にメチャメチャだ。 5日 日本から香港を経由してインドのデリーも経由、そしてフランクフルトから最初の訪問国のブルガリアを目指す。朝の成田発・香港経由のキャセイ航空は中国人でいっぱい! ヨーロッパに向かっているのに香港で乗り換える。どうも違和感があるのは同じアジア圏でも文化が全然違うからなのか・・・とにかくトランジットの2時間でニオイにやられて空港の中華料理店でラーメン!(笑)そしてそのままインドまで行くのかと思いきや、タイ・バンコクでまたトランジット、それからインドへ! 香港からはモノスゴい数の中国人、そしてバンコクからはビックリする程ウルサいインド人が機内に乗り込んで来た。 今回は復路にインドに寄る為、航空券の発券上の都合で、往路にもインドに寄る必要があるのだが、いつになっても到着しない。そしてフライトスケジュールを見ればデリーで6時間近くも時間がある。アメックスのステータスで空港ラウンジを使えるのは本当に助かった。その6時間の待ち時間にラウンジでシャワーも浴びられてスッキリ爽快っ!空港でカレーも食べられた。時計を見れば家を出てから18時間・・・それでもまだアジア圏なので距離的には半分程度。これはいったい、いつに到着するの!まさに失われた9月5日・・・この日は飛行機に乗る以外の事を何もしていない!! そして深夜2時にやっとヨーロッパ圏のドイツ・フランクフルトに向かう。朝8時に到着し、ここでもお約束の様に、空港内のレストランでフランクフルトソーセージを食う!大して空腹でもないし、座っているだけなので食欲もないはずなのに。 どこまでミーハーなんでしょ!(笑)でもすべて現地で、香港でラーメン、インドでカレー、ドイツでフランクフルトを食うチャンスって無いでしょ! ここから約2時間で東欧のブルガリアに行くのだけれど、そこでヨーグルトを食えればパーフェクトなのだ。(ちなみに中国では汁麺はあまり食べないし、インドではスパイスを多量に使う煮込みをカレーと呼んでるだけ。フランクフルトソーセージも多分、どこかの食肉加工業者がつけた名前で、ブルガリアはヨーグルトが大好きだが近隣諸国でも食うし・・・知ってます。まぁギャグですよ!)   今回のメンツは、まずはアメリカから参戦の神谷アンドリュー。まさに人間ウィキペディア!聞けば何でも知っているし、初めての街でもアンドリューはそこを曲がれば何があるまで分かっている。とにかく、いてくれるだけで安心出来る男。 そして弟家族がロシアにいるなら会いに行こうと誘ったものの、ビザが激しく面倒で、結局ロシア&バルト海界隈ツアーは東欧に変更となり、弟家族との久々の再会はキャンセルとなったのに付き合ってくれる長野県松本の北野。そしてチャレンジャー&好奇心の塊の玉田との四人だ。玉田は小さなデイパックに、旅をしつくした男しか気が付かないグッズを恐ろしい程持ち合わせていた。「玉田っ◯◯持ってる!?」の質問に持っていなかったモノは無い!レンタカーに乗るなり最後部座席に洗濯物を干す専用ロープを掛けた時は唖然だった(笑)4人の共通項は好奇心旺盛、メシ好き、酒好き、無計画好き、どんな状況でも楽しめる、そして2週間の時間が取れる仕事の持ち主・・・。

《第2日目 9/6 ソフィア(①ブルガリア)》 昼過ぎにソフィアに到着。ココが最初の訪問地になった理由はただ一つ! 交通の便だ。最初に地図を見てザッと回るコースを考えた時に、ポーランドのクラコフから南下しようと思った。しかしポーランドでレンタカーを借りると、ルーマニア等には保険の関係で乗り入れが不可能。何処で借りれば良いかを捜すと、ハンガリーのブダペスト。すると回りたい予定地の中心に位置して上がって戻って、下がって戻ってをしなくてはいけないので行程が倍になる・・・そして見つけた策がブルガリアで借りて上り(北上)約13カ国をまわりブダペストでクルマを交換(EUROPCARからHEARTZへ)そしてまた北上を続けてスロバキアを抜けてポーランドに入るというコース! コースへのこだわりは無く、効率重視なのでこれで決定!  空港でクルマをピックアップして、まず水などを買おうと入ったのが会員制スーパーのMETROだ。いきなり莫大な数のモノに圧倒! 何よりビックリなのがヨーグルトコーナー!30メートル位は続き、中には家庭用なのに一斗缶(18リットル)サイズまで売っている!ヨーグルト王国は真実なのだ。 ソフィアはブルガリアの首都。旧市街地には、旧共産党本部、大統領官邸、アレキサンドルレフスキー寺院、国会議事堂など荘厳な建物が建ち並ぶ。 少し市街地の外側に出れば、そこは西側の文化が流れ込み、マクドナルドに始まる西洋の文化が流れ込み、毒されているのが印象。みんな太ってるんです。スタバでコーヒーを飲みながら一服! 違う! オレ達はこんな時間をすごしに来たのではないと気づき、一路ソフィアの南に位置する世界遺産”リラの僧院”を目指した。山のはるか奥地にある僧院は、昔、大好きなテレビ番組の”世界遺産”でバッチリ見た場所だったので感動はひとしお! 何せ永遠に続くワインディングロードの先に忽然と現れる壮大な建物・・・演出したかの如く後ろ側には奥深い谷に挟まれて霧が立ちこめ、その荘厳さに輪をかけているんです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ リラ修道院

東欧への旅! 行く理由はただ一つ!『行った事ないから!』

その後はもう一度、ソフィアに戻ってホテルにチェックイン。ホテルの名前はケンピンスキーホテル。旧ソ連時代にきっと恐ろしい会談が行われいていたんだろうと想像つくホテルは、今ではかなりカッコ良いホテルだ。ケンピンスキーホテル=検品好きホテル・・・どうしてオレってこんな覚え方しかできないのだろう!? しかし歩いているロシア系大男がどいつもこいつもKGBかロシアンマフィアに見えてしまうのは偏見・・・ ディナーは恐ろしくレストランというモノが少なくて、選ぶというより選ばれるという状態。やっとメシを食える店を見つければケーキ屋さん・・・。そして裏通りに発見したピザ屋”マンマミーア”はブルガリアのお金”レヴァ”しか使えないという。もちろんカードは不可。そしてユーロも不可。ということで店内にいたインテリそうなお兄さんをつかまえて両替をお願いして成立させた! 見事に現地通貨”レヴァ”を使って晩飯にありつけた。ウエイトレスのオネーチャンには『お金は全財産でコレだけだから!』と万が一、食い過ぎてお金が足りなくなる事を恐れてクギを刺し、テーブルにレヴァ札を広げて出しておきながらピザを食べた。このピザが絶品だった!というのもヤギ系のチーズ(クワトロフロマジオ/4種のチーズ)を注文したんですが、外はこんがり中はしっとり・・・お見事でした。 (本日269.8キロ走破)

《第3日目 9/7 ブルガリアのソフィアから②マケドニア、③コソボ、④アルバニアへ!》 早朝、闇の中を出発! コンビニなども無いのでガソリンスタンドの中の簡単な店屋でパンを購入。勢いつけて一気に南西に向かう。目指すはマケドニア。東西の壁がなくなりユーロの時代になり”国境”がどんな存在なのかが気になったが、しっかりと昔ながらの国境は存在した。まずブルガリアで出国手続きをして、少し走るとマケドニアの税関。荷物を検査され、けっこうウザクてプロテインを不思議がられて・・・こんなの国境ごとにされるのかと思ったらウンザリだったけど、これはその後マケドニアだけだった。

東欧への旅! 行く理由はただ一つ!『行った事ないから!』

小さな街、クマノヴォで休憩してカフェでお茶! そして進路を北に変えてコソボを目指す。コソボは外務省の海外渡航情報ではハッキリと”渡航の安全上、見合わせろ!”と指示が!そして”地雷に注意”とあるではないの。地雷ってどうやって注意するのと疑問に思うが・・・舗装道を歩けば大丈夫らしい。入国の時に結構な金額の保険料を払わされるのだが、長居をする予定がないコソボだったので、クルマを税関界隈に止めてシカトでそこを去り徒歩で散歩。色々と異論はあったがパスポートには”KOSOVO”とハッキリとスタンプされたのでオッケーとしようという事になり退散っ・・・滞在時間、トイレタイムを合わせて15分というショートステイとなった。しつこいが”行った”事は事実だ。その後、マケドニアに戻り目指すはオフリドの街! ここは美しい湖畔の街でユネスコの文化遺産と自然遺産の複合遺産として登録をされている貴重な場所。到着してまずは・・・メシ! 湖畔のお洒落なレストランで湖魚、エビ、鶏肉などを片っ端からオーダー。全て美味しかった。その後、丘の上の要塞まで歩いて行った。途中、ガイドにも書いていなかった円形屋外劇場にはかなり感動! 丘の頂上の要塞からの景色は絶景そのものだった。ここで大切な懺悔・・・入場料の30ディナリ(約15円)だったがカードは不可、現地のディナリは無い、ユーロも使えないということで裏の階段から忍び入った(笑)。まるで忍者のように壁にはいつくばり・・・ドキドキしながらの観光は格別だった。 その後は一気にアルバニアに入国!!

東欧への旅! 行く理由はただ一つ!『行った事ないから!』

明らかに道がいきなり悪くなっているし、交通モラルも一気に低下。ゴミも散乱! 巨大な廃墟になった工場跡が生々しい光景。そんな”衰退”だけが目についてしまう。この国はなんと1990年まで鎖国をしていて、そして1997年に国中を巻き込むモノスゴイねずみ講事件でまたもや経済破綻!(笑)とにかく遅れていて、まだまだ発展途上の国なのだ。 目的地の首都ティラナまでは山道で3時間半! これが想像以上に幅も狭く悪路。途中で雨が降り、クルマがスピンしたりと、まさに珍道中! 下を見れば崖で落ちれば真っ逆さま!そしてガードレールさえ無い!! そんな悪路を玉田が緊張しながら走り切ってくれた。 この国民、不思議なのがやたらにクルマを洗車している光景を見た事。だからといって走るクルマがキレイとは言いがたいんだけど。あとは建築途中の家や店がやたらに多い。どうして鉄筋の駆体だけで工事が止まってる建物が多いのだろう!? そして、それからの作業は自分たち素人がやっているかの様にも見える・・・ティラナに到着して、やっとホテルを捜しチェックイン。(ティラナ・インターナショナルホテル)ノンアポだったがまぁまぁな条件で成立。 夕飯はホテル横のレストランをボーイに紹介されて入った。これが美味しい上に本当に安い! ビール、ワイン1本、追加でグラス、ラムと子牛を焼いてもらい、野菜もハイレベルなグリル!炭水化物も少し注文してお一人様10ユーロ以下(1200円程度) これは幸せだ。 今日は車内で『今日は何曜日だ!?』と議論になって結論が出なかった。長距離、長時間の移動、数多いトランジット、めまぐるしい都市めぐり・・・家を出たのは月曜日・・・正直、疲れた! 本日は爆睡してエネルギーチャージをします。    (本日の走行580キロ、それも山道!)

東欧への旅! 行く理由はただ一つ!『行った事ないから!』

《第4日目 9/8 アルバニアから⑤モンテネグロから⑥クロアチアへ!》 本日はティラナから北上! ティラナの街を出て空港の脇のカメズという街を通過。車内から見る限り、雰囲気がアジアっぽい。露天商がいたり、屋台で何かを焼いて売っていたり、人々がバスを待っていたり、道ばたに座っていたり・・・でもそこにいるのはアジアンではなくて西洋人・・・ボクの中では意外な光景。人々が、街がまさに”混沌”としている。モンテネグロまでの平地も道はかなり悪くて、運転マナーなんてメチャクチャ!あまり旅慣れていない人々はお勧めしないルートだ。(笑)だいたいこの国には信号っていうモノが無い。きっとあったって誰も守らないから、最初から無い方が良いのかなぁ!?・・・なんて思う。 国境を通過してモンテネグロへ! まず確認したのは『山は黒いのか!?』という事だ。モンテはマウンテン=山、ネグロは黒 要するにモンテネグロは”黒い山”という命名の由来。(ちなみに白い山はモンブランだ。マウント・ブラン=白・・・雑学博士のアンドリューが教えてくれた。) ということで見ればなんとなく黒部分が多い気もしないでもない。そのうちドドーーンと真っ黒い山が現れる事を期待する。BAR(バール)というビーチに立ち寄った。小さな高尚な趣味である”お砂集め”を実行する為だ。ところが砂ではなくて玉砂利・・・もちろん選別して、いただいた。玉砂利が進化(?)すれば”砂”となる。その後、左側には美しいビーチが見える。かなりの誘惑だったが、一路クロアチアを目指す。すると海岸から50メートル程度の小島がそのままホテルになっているという超お洒落なスヴェティ・ステファンというホテル http://www.amanresorts.com/amansvetistefan/home.aspxが・・・気になって降りてみた。これは良いかも!! 人生の宿題にしよう! そしてBUDVA(ブドヴァ)という1000年以上も前の海辺の要塞を街にしたリゾートにてストップ。3ユーロ払って要塞の先端の展望台に行くかどうするかで悩んだが(笑)突撃! 素晴らしい景色を堪能する事が出来た。海のキレイさはハンパがない。かなり高い位置の城壁から見下ろすと随分と深そうな海底までクッキリと確認が出来た! あぁ、いきなりシャツを脱いでドボーンとダイブして泳ぎたいもんだ。ランチは何故だか醤油味をここらで体内に注入しようという意見が出て、ビーチ沿いにある”上海”と”香港”という2軒の店のうち、少々考えて”香港”に突入。(どうも後から確認したら裏側はつながっているみたい!笑) 数種類を頼んで皆でドツキ食い・・・麺類が出て来て全員、唖然とした!焼そばの麺がなんとフィットチーネ(イタリアの乾燥の平ウチ麺)に他ならない! 早々に好奇心も爆発で食べてみたら・・・やはりイタリアンのパスタだよ! 海鮮焼そばなんて誰がどうみてもシーフードトマトソースのタリアテッレだ。キノコの焼そばはギリギリにオイスターソースがかかっていたから中華っぽいが。どちらかと言えば”中華風イタリアン”である事は否めない!(笑) まぁ、楽しく食べられたから良しとしましょ!  午後はモンテネグロが誇る世界遺産KOTOR(コトル)へ。アドリア海から十数キロも入り込んだ入り江の湾。そこの丘の上にある要塞と教会などの一連。ここは美しかった。やはり丘の上に上がるには通行料3ユーロを支払わなくては!頂上までは40分はかかるとの事。あまり時間的余裕はなかったが、駆け上がることにした!6合目あたりまで行って景色を望めば絶景なり!!こんな入り江にヨットを停泊させて2、3週間でも過ごしたいなぁ! http://ja.wikipedia.org/wiki/ コトル

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(今回、ある方のホームページの情報に本当に助けられた。この方は日本人で4年6ヶ月をかけて世界246カ国を旅されて、その記録を惜しげもなくデータにしている。その方のHPを参考にさせてもらった。世界遺産という名前だけで”えっ!?”と思うモノも数ある。お二人のランク付けした高位のものは間違いが無かった。どうしても物理的な時間という枠組みがあるので大変助かった。) http://tabisite.com/ 二人の世界旅。230カ国、1554日 夕方にはドブロブニクに到着! 今回のアドリア海沿岸の中では最も期待も大きい場所だ。実はクロアチアがまだ独立をする前、当然に内戦があるもっと前、旧ユーゴスラビアだった頃にクルーズ船で海から訪れた事があるのだ。その時の強烈な印象といったら、二十年以上経ってもまるで色アセていないのだ。そして内戦があって一度は壊滅的にブチ壊された街も、全て完全に修復されて世界遺産として登録されて復活したのだ。そんな姿も見てみたかった。 街はものすごく洗練されていた。というか20数年前は春から初夏にかけてのシーズンだった事もあるし、まだ観光地として脚光なんて全く浴びていなかったからか。ヨーロッパはこうやって観光地として脚光をあびると、カッコ良く洗練されて人が集まるが、きっと行政か総括するプロデューサー的な人間がいてしっかり総合的に見るから、こんなにまとまるんだろうなぁ。 残念な事に日本は役所のオッさんがデタラメに一つ一つをこなしていっちゃうから、結果として出来上がると、悲しいくらい税金の無駄遣いの塊みたいになって魅力が半減しちゃう気がする。昔、ケーブルカーで山頂に上がってそこから街の全景を見た時にエラく感動をした。今回も、と思っていたら、我々は山間の海岸線沿いに陸路で入る為にケーブルカーの頂上の脇を通過。という事で”殆ど同じ景色でしょ!”との結論から割愛! アンドリューが昨日、ネットで捜したホテルにチェックインした。(ホテル・ドブロニク/一泊1部屋130ユーロ) 4階なのにエレベーター無しで看板に偽りあり!まぁ金額が金額だから仕方が無いか! 街に出ればかなりの人出。やはりリゾート地には人がいないと淋しい。旧市街は期待以上に美しくライトアップされてかなり雰囲気を盛り上げてくれる。小さなお店も相当にお洒落。レストランだけは期待はしていなかった。こんな世界中から人が集まる観光地なのだから仕方が無い。 ということで雰囲気を重視して対岸の夜景が美しい岸壁沿いのレストランをチェック。人々が大きなバケツに入ったムール貝をカブりついている。コレしか無い! 入ってみればバリバリに伝わるものがある。早々にビール→白ワイン→ムール貝→フィッシュプレート(ムール貝、サーディン、白身魚、小さなタコ、エビの初心者向けセット)そしてサラダを注文! これが全てダイナマイト級に美味しかった。そして御会計をすれば100ユーロっ! 安っ!!!涙が出る程のパーフェクトディナァーになりましたよ!(おとなり地中海は海産物パラダイス!素材がいいから不味いわけがない!) THANKGOD! (本日320.6キロ走破!)

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《第5日目 9/9 クロアチアから⑦ボスニアヘルツゴビナ、⑧ブルチコ独立行政区、⑨スルプスカ共和国、⑩セルビア 》  ドブロブニクの朝は気持ちいい風が吹いていた。少しだけ近所を散歩したら公園のベンチのまわりなどにおびただしい数のビールの空き瓶が散乱! 若者が盛り上がってたんだなぁ。確かに昨夜は深夜まで外では、そこら中でパーティーをしていた。早々に荷物を積み込んで一路、ボスニア方面へ! 途中で給油の際にバックをしていたドライバーの玉田君、いきなり地元の若者のクルマのドアにガシャン!いやドッスーン! ぶつけられた若者は怒り狂う!そりゃそうだ。だいたい我々のクルマはサードシートの荷物上はお洗濯乾燥コーナーになっていて後部の確認はまるで出来ない状態なのだ。そして日本語VSセルビア語ではラチがあかずに英語が話せる女子が連れて来られた。どんどんと野次馬も集まる。そして通訳を買ってでた女の子が思い切って言って来た!『警察を呼ぶと面倒だから示談しましょ!・・・100ユーロでどーよ!?』・・・4人でウンウンとうなずき微笑んで100ユーロを出すと、相手のセルビア人男は満面の笑みで握手を求めてきた。ドアが一枚100ユーロ!どう考えたって安い。とてもピースフルな民間交流が行われた。 去り際にセルビア男はガッツポーズをしていたのを見逃さなかった。(笑) 一路、ボスニアヘルツェゴビナの世界遺産MOSTAR(モスタル)へ! ここの有名な橋はテレビ世界遺産でも見た事があった。橋の欄干に海パンで立つお兄さんがいる。お金を払えば、そこから飛び込んでみせるという芸らしい。景気が悪いのかお金を払ってまで見ようとする人がいなくてかわいそうだった。橋は1990年代の紛争で完全に壊されたが、見事に修復していた。街のあちこちに弾痕が残っていたのが、本当に痛々しかった。

東欧への旅! 行く理由はただ一つ!『行った事ないから!』

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その後は首都サラエボまで山道を走り抜けて行った。サラエボの街も所々に弾痕が残っている。戦火に被害にあったままのビルも残り、かなりの空爆を受けたであろう爪痕も見られた。ホテル・ホリデーイン・サラエボにてランチ。ここは戦火の中でも営業を続けたという伝説のホテルなのだ。世界中のジャーナリストが世界にニュースを発信し続けるのをサポートしたというホテルは1960年代のかなりミッドセンチュリー系の建物&デザインで、老朽化しているのは否めないが、今なおいい雰囲気を残している。ランチはホリデーインの二階のレストランで肉料理をいただいた。ボスニアヘルツェゴビナは”お肉天国”と聞いていたので期待は大! 街は川を中心とした決してハデさはないけれど、住人のインテリジェンスを感じる素敵な街だった。もう少しゆっくりしたいなぁ・・・という気持ちを引きずりながら移動した。今日は夜までに更に約320キロ離れたベオグラード(セルビア)まで移動しなくてはならない! 途中で⑧スルプスカ共和国という初耳の国にも寄るのだ。 セルビアの首都ベオグラードに到着したのは23時頃。ネットで昨日予約をしておいたホテルを捜してチェックイン!かなりデザイナー系の素敵なホテルだが、ネット直前価格で一人約5000円程度。ハイシーズンでなければ、こんな旅も可能なのだ。 今回の旅は全て”行き当たりバッチリ”プラン。ホテルの予約は移動しながらパソコンで前日、または当日予約! この二つのサイトがあれば全く問題無い。  http://www.expedia.co.jp/  http://nicetripper3.com/hotelB/ 夕飯を食べていなくて、空腹と疲労でクラクラ・・・でも街に出ることにした。しかし外食屋はほとんどやってなくて、かなりトホホ・・・やっとカードで食べられる店を発見した時は24時も超していたのでサンドイッチ(というかコレしか無かった)とビール程度。 金曜日だっていうのに・・・帰って寝ましょ! (本日の走行距離622.6キロ・・・スゴっ!)

《6日目 9/10 セルビアから⑪ハンガリーのブダペストへ!》 朝は7時から朝食!かなりボリューミィーで美味しい朝食。ついサンドイッチを作って”小腹空き対策用”として用意してしまう程の美味しいハム、プロシュート、チーズなどが揃っている。 車を出して来て荷物を積むとともに、全員で車内洗濯物コーナーに各自洗って来たシャツやパンツを物干にかけて干す!(笑)今回、飛行機の乗り継ぎがあまりに多く、経験上、荷物が紛失する可能性が大。どうしても全ての荷物を機内持ち込みにしなくてはならない上、レンタカーに四人分の荷物を載せるという事は極端に荷物を少なくしなくてはならず、持ち物をかなり制限された為にこれがベスト!しかしセルビア国境警察の女性係官に車内に干していた洗濯物のパンツを、指を指して笑われたのは悲しい記憶である。(笑) ベオグラードの街を散策。国会議事堂やセルビア教会、旧市街地などを散策! NATO軍に空爆されたビルなどが記念碑的に残されているのが痛々しかった。 昼前にはアウトバーンで一気にブダペストに向かう。しかしセルビア国境で予想外に待たされて時間を取られてしまった。待つ事、車内で2時間、これにはウンザリ。そして入国で更に30分! あとブダペストまで175キロ。でもアウトバーン(高速道路)は最高速度制限が120キロなので、130キロでぶっ飛ばせば1時間半!   ブダペストに入ってビックリした。明らかにものすごいいい街なのだ。古い建物は美しくちゃんとして保存され、地図で見る限り、程よい大きさ。ブダ地区とペスト地区の間を流れるドナウ川も美しいしそこをつなぐ橋もいい雰囲気のデザインだ。また緑も多いし、丘の上の宮殿やパーラメント(国会議事堂)、中央市場、駅・・・・全てが本当に美しい。今朝予約しておいたホテル(フランス系のビジネスホテルでアイビスという)に早々にチェックインをしてそのまま街へ出た。川沿いを歩いて散策!景色を見ているだけでウットリだ。その美しさはパリ以上かもしれないなぁ。散々歩いて、腹も減りタクシーをつかまえると、ドライバーがなかなかいいヤツで、折角なので街の観光スポットを色々と連れて行ってもらった。パーラメント(国会議事堂)を対岸から見た姿なんて本当に美しい。建築物として美しいだけではなくライトアップされて、それがピタッと静かに雄大に流れるドナウ川に写り込み、綺麗さが100万倍になっている。丘の上のレストランに連れて行ってくれたがビールだけで退散。ホテルで教えてくれたハンガリー料理の店に行ったら予約でいっぱい!という事でホテル近くのあまりに美味しそうだったスペインバルに入って、プロシュート、フォアグラ(ハンガリーは名産)、そしてピンチョス数種類を食べてワインを飲んだ。それもハンガリーワインではなくてスペイン産(笑)そして4人で泥酔! 楽しい夜でした。  (本日422.7キロ走破!通算2215.7キロ)

東欧への旅! 行く理由はただ一つ!『行った事ないから!』

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《7日目 9/11 ブダペスト(ハンガリー)から⑫スロバキア、⑬チェコを抜けて⑭ポーランドへ!予定660キロ、東京から岡山県程度!?》 今日は日曜日という事もあってブダペストの街はスローな始まり!9時にカフェが開いてのんびりとブレックファースト。 野菜のトマト煮込みの”レチョー”と魚味がやたらに濃いツナサンドをいただいた。 昨日は炭水化物無しで飲んでいたのでやたらに空腹なのだ。(そして二日酔い・・・) その後、10時にドナウ川の遊覧クルーズ船に乗った。かなりノンキな1時間のクルーズだった。 今日はレンタカー交換の日。ブルガリアで借りた車(ユーロレンタカー/韓国製KIA7人乗りミニバン)を返却して、ハーツレンタカーからVWパサートワゴンを借りた。 ランチはまたまた好奇心が膨らんだというかサンドイッチ的なモノが食べたくなくて満場一致で中華にチャレンジ!・・・満場一致で”ひどいメシ”の意見。二度と東欧で中華は食うまいと心に誓う。だいたい日本食レストラン、イタリアンすら見ないから、おそらく食に対しての好奇心はあまり無いのかもしれないなぁ。テイクアウトで酢豚っぽいモノを注文する人々を何人か見たので我々も注文してみたが、アメリカにも時々あるスィートサワーポークとうヤツで、それはそれは甘くてズレた酸っぱさでお世辞にも美味いとは言えなかった・・・というかマズかったなぁ・・・ヒドすぎて午後の会話にも出なかった。(笑)   かなりの後ろ髪を引かれながらブダペストを後にした。まぁ、気持ちよく全く見るべき物を見れていないので、次回の下見と思えばよろしい。 そのまま快適なVWパサートでアウトバーンに入り660キロ先のポーランドを目指す。 途中、スロバキアに入ったがEU加盟国なので国境は無く、少し淋しい。お買い物を少ししただけで通過。そのまま車は進んでチェコに突入! せっかくなので世界遺産のあるオロモウツに向かうが途中で挫折! 勘だけでチェコの山道は無理と判断。でも波田は新種のオイルサーディンの缶詰を発見出来てご満悦! 結局、ポーランドに入ってから道の状況が決して良くなく、途中のドライブインでディナーをして、23時にクラクフ(ポーランド)に到着した。今回はホテルでは無く、ポーランド人の友人アンジェイが紹介して予約してくれたアパートメントにチェックイン! 推定150?ある部屋は4ベッドルームでジャグジーもついて3日間で48000円(一人1日4000円)という部屋!これがかなり快適! ロング移動は今日で最後。明日からはここクラクフ(アンジェイはポーランドの京都と表現していた。)をゆっくりモードでまわります。 (本日はなんと710キロを走破!)

東欧への旅! 行く理由はただ一つ!『行った事ないから!』

《8日目 9/12 クラクフ(ポーランド)界隈!》 朝はアパートのキッチンで、昨日買い込んだ食材で朝食。 朝も夜もリビングで和めるし、それだけでも解放される。 さて、今日は午前中はヴィエリチカ岩塩坑に乱入。これも当然の世界遺産! クラクフの街から約1時間の距離。深さ100mくらいまで永遠に階段を下る。帰りはエレベーターで帰れるのか、かなり不安モードになったが大丈夫! 深さは300m以上、全長は300km以上に及び、そのわずか2.5kmのみを公開している。(2.5kmで充分!)まさに地下都市状態で中には教会(チャペル)バレーボールやバスケットボールをする運動場まである。1250年からスタートして約500年も採掘し続け、1950年代まで続いたというまさに世界遺産にふさわしい壮大な洞窟なのだ。実はチケットを買う時に、適当に見て帰ろうと考えていたので、ツアーに参加したくない旨を話すと、それは出来ないとの答え。行ってわかったが帰れるはずもない迷路状態だった。しかし人間の力と知恵というのは偉大だと痛感する素晴らしい体験だった。 http://www6.ocn.ne.jp/~wnet/story.html

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岩塩坑のチャペル。シャンデリアも岩塩製 さて、ヴィエリチカ岩塩坑見学に意外に時間がかかり、午後のアウシュビッツのツアーガイドの中谷さんとのアポに危うい時間になってきた。ここから車で推定1時間30分。でもあと45分しかない。これは困った! でもそこは素晴らしいのはアウトバーンだ。 制限速度は、昔は無かったが現在は時速120キロ(場所により異なる)。それ以上にマナーが素晴らしいので中央線をトロトロ走るヤツはまずいないので飛ばすのがラクチン! ということで時間に15分遅れるだけでアウシュビッツに到着できた。(一時は時速200キロオーバー!波田の気分はシューマッハだった!)   そして今回のメインイベントの一つ、アウシュビッツ強制収容所を見学。ガイドの中谷氏は様々なガイドブックに紹介されている唯一の日本人ガイドで、幾多の難関を乗り越えてこの仕事に就かれている方だ。このアウシュビッツで何が行われたかをここには記さないが、見学していて目をつむる事、そしてとてもではないがシャッターなど切れない部分も沢山あった。ユネスコはこれを悲劇の証拠として”負の世界遺産”として登録をしている。ヨーロッパというかユーラシアの土地、過去支配して来た国々、その精神状態、人種、民族、宗教など、からまる幾多の複雑な背景を考えないと、なかなか納得できるものではないが、二度と犯してはならない事件であるのは事実。ガイドの中谷さんはたんたんと様々なここで行われていた事を話してくれたが、最後に”平和”という事の矛盾について語られたのが特に印象に残った。 http://ja.wikipedia.org/wiki/アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所

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夕飯はクラコフに戻り CHLOPSKIEJADLO http://www.chlopskiejadlo.pl/onas.php で食事!! 基本的ポーランド人の食事はとても日本人好み!! スープからメインの肉詰めワンタン、ピエロギと全てが美味しくまたまた飲み過ぎてしまった。 その後はアパートの一階にあるポーランド人アンジェイ紹介のスキャンダルロイヤルへ! ・・・ここハンパ無いっ!!(とにかく行ってみるがいい!!後悔はさせません!!)

《9日目 9/13 クラクフ界隈》 せっかくレンタカーもあるし様々な計画が立てられたが、土壇場でホテルの自転車を借りて、近所の旧市街界隈(ココ自体が全て世界遺産)、バルバカン(城壁入り口)、ヴァベル城、ヴァベル城の大聖堂、聖メアリー教会の展望台、聖メアリー教会大聖堂、ユダヤ人街、ヴィスワ川沿いをサイクリング、河原のカフェでランチ&ビール ・・・今日もまた充実!!本当に清々しい天気でいい気分だった。 夜はまたまた昨夜に続いて、アパート下のスキャンダルロイヤルという、それはそれは楽しいお店でアフター!(笑)シュチェパンスキ広場に置かれた席での飲み食いは本当に自分が外国にいると感じられる瞬間。食事もビールもワインも最高!そしてマジックアワーからほぼ満月タイムを楽しめてゴキゲン! ここのお店のウエイトレス・・・尋常ではない可愛さだったんです。どの子も・・・(笑)独身のあなたならポーランドに引っ越すかと思うかも! 東欧ラストナイト。

東欧への旅! 行く理由はただ一つ!『行った事ないから!』

東欧への旅! 行く理由はただ一つ!『行った事ないから!』

今回の旅、とても難易度は高い旅でした、何せ9日間で走行した距離は通算3150キロ、それは日本列島を北海道の稚内をスタートして鹿児島の枕崎をタッチして戻り、大阪、東京、仙台を過ぎて岩手県あたりまでの距離に匹敵するのだ。スゴい日なんか、アウトバーンとはいえブダペストからクラクフは710キロ! それって誰にもお勧めできるとは思えないけど素晴らしい時間でした。 想像出来なかったのが国境! EU圏内ならば楽勝で当然だけど、そうでない国々の国境越えはなぜか緊張を強いられる。またその国によって保険をかけろ、通行料を払えとガイドブックにはない様々な難題が!それも今では面白かった。

東欧への旅! 行く理由はただ一つ!『行った事ないから!』

真面目なアンドリューのおかげで安心出来た事も多々あり。 あと、これはちょっとばかり困ったのは、ほぼ全ての国で貨幣が違った事。ブルガリア=レヴァ、マケドニア=ディナリ、アルバニア=レク、モンテネグロ=ユーロ、クロアチア=クーナ、ボスニアヘルツェゴビナ=マルカ、セルビア=ディナール、ハンガリー=コリント、スロバキア=ユーロ、ポーランド=ズォティー・・・毎回、両替など出来ないし、カード(VISA、MASTER!)が使えれば問題無いけど、もし使えないと大変! まぁユーロがあれば何とか出来たが。 それも全ていい経験でした。こんな変態旅行にご一緒できる仲間がいる事は幸せな事。そして出来る環境や時間があるのも幸せだ。    若者よ、老人よ!とにかく誰でも!自由を味わいに旅に出よう。そして、檻の中の囲われた自由より、ホンモノの自由を味わって欲しい。  近々、残りの東ヨーロッパを必ず制覇しますよ!! バルト三国とかロシアも含めて全部まわります。 今回はどうしても回れなかったルーマニアも含めて・・・個人的な話だが今回の旅で訪問国数は65カ国となった。目標の153カ国まであと88カ国だ。

東欧への旅! 行く理由はただ一つ!『行った事ないから!』

追加!! 帰りにインドに寄り道! そして悲願のタージマハールへ! 泣けたよ・・・

イギリスの”メシがマズい”と言ったのは誰だ!

イギリスを訪れた。海外に行く時に頻繁に持ち物に加えるのが”チューブのワサビと醤油”なのだが、イギリスに行くのにも当然に持ち合わせた。イタリアやフランスに行く時には持たないのに・・・ハッキリ言って食事にはなんの期待も無かったのが事実だ。しかし、その予想は大きく裏切られた。考えてみれば初めて行ったイギリスは今から30年前の波田の20代前半のバックパッカー時代。その頃のイギリスは本当に景気が悪かった。そして二回目が20年前のEDCの初参加の時・・・どの時もイギリスは決して景気がヨロシイ状況では無かったからであろうか、波田の印象は”街は暗く、人も暗い・・”で止まっていたのだ・・・だから、その間に”イギリスに行く”という人に会うと正直、『ナニしに行くの!?』というのが本音だった。(笑)
《初日&移動日》6月4日 成田からヒースローへ!ヒースローには30年来の友人のMr.梶原(有名オーガニックの化粧品とアロマの先駆者でニールスヤードのオーナー。原宿のブラウンライスも経営、とにかく多方面の経営をする。現在はロンドンに在住していて、またどんどんと新しいビジネスを創造しているクリエーター。)が迎えに来てくれて、一路ロンドンの郊外のコッツウオーッズを目指した。 ロンドンは30分も郊外に向かえば、もう牧歌的な空気の景色ばかりとなる。まさに豊かさの象徴のような景色の連続だ。ブロードウェイという街の400年の歴史をもつホテル BARCELO THE LYGON ARMSにチエックイン。夕食はホテルのレストランで気取ったイギリス料理。まずはちゃんと美味しかった。(気持ちが疑ってかかっていたからなぁ・・(笑)

イギリスの"メシがマズい"と言ったのは誰だ!

《二日目》  見事に時差ボケの朝! 早朝に近所を散策したが、本当に歴史を大切にする町づくりで感心する。家は数百年経った石造りの建物。(石を張りつけたハリボテではなく本当の石積みの家。家の建て替えなんて個人の勝手では出来ないのがイギリスの町づくりで、だから未節操な建築物も無いしキレイに街がデザインされているのだ。)そしてどの家も庭作りが本当に素敵なのだ。少し街から離れるとそこは草原地帯・・・コッツウォーズ、ボートオンザウォーター、ストラトフォード、チッピングカムドゥン・・・どこも本当に素敵な街だ。イギリス人の成功者は沢山稼いで、早く引退してここら辺界隈に住んでカントリーライフを楽しみたいと思う人が圧倒的に多いらしい。 ランチは街の中心部でやっていた食品中心のマーケットで試食をしまくり。インド人の出していたお持ち帰りカレーの試食をしているうちにお腹イッパイになりランチは省略。 その後はバースに移動。 ここはローマ時代のお風呂が遺跡としてそのまま残る場所。お風呂の”バス”の語源となった街!ここがまた本当にキレイなんです。 夕飯はホテル近所のタイフード。これがまたまた美味かった!

イギリスの"メシがマズい"と言ったのは誰だ!

《三日目》朝イチで近所の散策! 川の滝が見事にキレイ! そしてローマ時代から残る公衆浴場を見学。ローマ人の時代から床下暖房があったのだ。そのスケールには圧巻! Mr.梶原はどこの街も津々浦々まで知り尽くしていて、そのベストポイントを見せてくれる。 その後はローワースォーター、デイリーズフォートオーガニック(今イギリスで相当に人気の自然食品系レストラン&雑貨屋さん)を見学。充実の時間の連続だ。渋滞を避ける為に早めにロンドンに戻って、日曜日だったので、ブリックレーンのマーケット(市)を見学。かなりストリートな感じで楽しいマーケットだった。
ロンドンのホテル Millennium Hotel London Mayfair(44Grosvenor Square Mayfair.LONDON W1K2HP UK) にチエックイン。ロンドンを見るならば素晴らしく動きやすく、便利なエリア。地下鉄の駅にもかなり近く、ハイドパークやリージェントパークも歩行距離で環境も抜群。ただロンドンはホテル料金が本当に高いので覚悟を!
夜は今夜だけ一人だ。ホテルのコンシェルジェで様々なレストランを紹介された。そして中東はレバノン料理に決定。トルコ料理との区別はつかないが、かなり美味しい時間でした。
《4日目》朝はハイドパークを一周散策。ゆっくり走って一時間なので推定7キロ! しかし公園の池はどう見ても池なのに真剣にトライアスロンの練習かたがた水泳をしている人が多数! とにかく緑が本当に美しい。ロンドン市内の移動は地下鉄(メトロ)とバスが本当に便利。不思議なのが初乗りが500円近いのに東京のスイカに相当するオイスターカードを使うと全然、安くなる。
月曜日の朝はコベントガーデンのアンティーク・マーケットが開いているので行ってみた。小さな露天を開く人々は楽しみながら趣味で開いているかの風情、その後はピカデリーサーカスの大英博物館を訪れたが大き過ぎて全部は無理なのでダイジェストで回った。しかし感心するのがロンドンで地図を広げて道を探していると『どこに行くかわかる?』と声をかけてくるローカル多数!こんな街はそうはない。彼らの中にはジェントルマン精神がバリバリに息づいているからであろうが、それにしても感動する。ランチは中華街近くのミシュランで星を取っている飲茶をトライ。美味いけどやはり中華は大人数が正しいなぁ。 SOHOの街の中にある公園・フェニックスガーデンはビルの狭間の公園なんだけど、小さな公園の樹々に下にベンチが隠れていて、良く見ると沢山の人が和んでる・・なんだかロンドンの象徴的な景色にも思えました。その後、デパートのハロッズやハーベイニコルズなどを見た。 コレといって買うものが無いのはロンドンっ子はあまりファッションに興味がないからかな・・夕方に、日本から到着したばかりの土田氏と合流してコマーシャルストリートのSt.JOHNで夕飯! この店はパン屋が経営するレストラン。相当に美味かった。(土田氏はロンドンに年に何回も通う、正真正銘のロンドン”通”で日本で約70軒のファッション店舗を経営し、アンティーク家具の店も経営。店の什器で使う都合でイギリスには特に通い込んでいて、ロンドンを知り尽くす方。奥様も同様で先日も”Miss土田と回るロンドン”という企画で雑誌社のロンドン特集が組まれていた。そんな方に案内してもらえるのもスゴい!25年来のお友達です。
St。JOHN (resevation 020-7251-0848)
St,JOHN Bread & Wine 94096Commercial Street London E1 6LZ
www.stjohnbredandwine.com

イギリスの"メシがマズい"と言ったのは誰だ!

《5日目》朝から地下鉄でウエストミンスターへ。地下鉄を出た瞬間に目の前にビックベンが現れてイギリス感はヒートアップ! 大観覧車ロンドンアイでロンドンを展望! その後は植物博物館、フルハムブロードウェイの建物の金物屋、リージェント公園の庭園、キングスロード(スローンスクエアからキングスロード)チェルシーガーデン(ガーデニングシヨップ)、コンランショップ(本店)、デイリーズフォートのカフェ(先日行ったカントリーサイドの店の都会バージョン)・・・とにかく一日、良く歩いた。万歩計の数字は2万6千歩! 夕飯はデイリーズフォートの店長に聞いたレストランにトライ!超オシャレで美味しい。これまたビックリだった。
The Orange.!(37 PimlicoRoad London SW1W8NE, 020-7881-9844 ,
THE ORANGE.CO.UK) /reservations@theorange.co.uk
ただし注意!どうもイギリス人は注文したものを前菜、副菜、メイン・・・とゆっくり持ってくるのが得意でないようでドンドンと持って来る。
《6日目》朝からレンタカーをピックアップしてロンドンから約3時間弱のリーンカーンのアンティーク・マーケットへ。ここは、わりと小さめなマーケットなのでウオーミングアップ! しかし世界中からのアンティーク家具のバイヤーが集まるだけあってモノの動きが激しい。いいかなぁ・・なんて思っていたらすぐに無くなってるのだ。とにかく雰囲気が英国なんです。  夕飯は醤油味が恋しくなり店構えで選んだ中華料理店! 宿泊はニューアークのB&Bでここは素晴らしい。
info@grangenewark.co.uk The GrangeHotel

イギリスの"メシがマズい"と言ったのは誰だ!

《7日目》ここのホテルが本当に朝ご飯が美味しかった。基本的なイングリッシュブレックファーストだ。数々の賞を受賞しているらしく壁には沢山の賞状が飾ってあった。 朝イチからニューアークのアンティーク・マーケットを散策。ここはイギリスだけでなく世界でも最大規模のアンティーク・マーケットでサッカーグランド2面、いや3面位はあるスケールに山の様な物が持ち込まれている。買っているのはプロっぽい人が殆ど。見るのも計画的に見ないと大変だ!イギリス人は本当にモノを捨てない国民なのだが、こんなモノまで売るの的なモノから、偽物っぽいモノ、本当に多種多様なモノが売られ、大きな家具から小さなアクセサリーまで本当に幅広い。土田氏のスタッフもチームを組んで朝から猛烈な勢いでモノを見つけて買い、トレーラーに積み込みをしていた。ランチはマーケット内で立ち食いのホットドック・・・今回の旅で一度だけ食事でハズれたのはここだった。まぁ状況が状況なので仕方がないのだが・・・期待通りに不味くてよかった。(あまり全部が美味しいとウソ臭いし・・) 夕方にロンドンに戻りレンタカーを返却して、近所のイタリアンで食事。ホテルのコンシェルジェのおすすめがイタリアンレストラン The Genova. 店主もスタッフも生粋のイタリアンでサービスもイタリアン!ここのワゴンでくる前菜は美味しかった!!

イギリスの"メシがマズい"と言ったのは誰だ!

《8日目》朝から他の人々(土田氏とゲスト)はお買い物に行くというので、一人で二階建バス(ロンドンバス)のチケットを買って市内観光。これがかなり観光気分が盛り上がります。テームズ川沿いのコンラン卿のデザインミュージアム、装飾品を集めたミュ―ジアム、そしてセビルロードを散策。(言わずと知れた男性スーツの背広の語源となった道)トラディッショナルな店が並ぶのだ。
夕方に土田氏とチエーンファーム駅で待ち合わせてご近所散策。イアンマッキーという生地屋さんに案内された。とても小さな良い街なのだが住みやすそうだ。近所の公園に連れて行ってもらったら、そこも市内のリージェントパークの片隅だという。いったいどれだけ大きい公園なんだろう! そして6時半に梶原氏の住む町、ハムステッドを訪れて待ち合わせ。そして3人でハムステッドを散歩、この街も本当にキレイだ。なんだかこんなにキレイな処ばかりにいると自分がキタナい人間に思えてきてしまう。 その後、地元で愛されるイタリアレストランで食事をした。これまた美味しい! その後ハムステッドの石造りのパブで一杯飲んで梶原氏が送ってくれてホテルに深夜に戻った。今日、イギリスの文化を日本に伝えるツートップ、そして新時代のアントレプルニュアーとの会話から学ぶ事は膨大であった。こんな幸せはそうあるものではない。
《9日目》朝からノッティンヒルのポートベローズのマーケットにくりだした。先日のニューアークとかは業者向けで、こちらは完全に観光というか一般向き! かなり楽しいけど時間とともにものすごい人出になってきた。 その後、ブリックレーンのレイバー&ウエイト(ガーデン用品の専門店)で買い物とおもいきや開店が13時ということで近所を散策。この界隈はインド料理専門店が秋葉原みたいに集中しているので、ランチはカレー屋で食べた。イギリスはインドを植民地にしていた関係か、沢山のインド人がイギリスに住んでいる関係でインド料理が相当に美味しい。中華料理店以上に多い気もする。待ちに待ったレイバー&ウエイトは楽しい店だった。 その後はタクシーでエンジェルを散策。ここもかなりスノッブな店のあるエリアでセレクト系のアンティークショップが並ぶ。(しかし値段は先日のニューアークの倍には感じる。もちろん日本では三倍だろうが・・) そんなハードと言えばハード、しかし充実と言えばこれ以上の充実はないであろう、素晴らしい時間の連続であった。
夕方のフライトで帰路に着く! 今回の大収穫はもちろん、イギリスへの間違った印象が全て正された事に他ならない。ロンドンは次のオリンピック開催地でもある。これからはロンドンから目が離せない! つねにチエックな街なのは間違いない。

モロッコまでひとっ飛び!!

冬のパリを訪れた。ハダのイメージでは春や秋のパリはもちろん、清々しくマロニエの並木道を歩いても、セーヌ川のほとりを歩いても、素晴らしい季節感があって好きなのだが、冬のパリは格別な楽しみが沢山あった。もちろん外気温は1桁になるのでそれなりのコートなどの装備も必要で荷物も多いのだが、それを差し引いても素晴らしい季節だ。特に街のイルミネーションは強烈で、エッフェル塔のライトアップショーなんて一人の観光客として観光協会の期待に応えるべく放心しながら口をあんぐりあいて、その美しさに見とれるのであった。 そんな素敵な8日間を過ごした後、何処かに行こうと世界地図を開いた。 寒いのが好きと言いながらもパリより北上する事は考えにくく、従って赤道に向かうのが正しき道! それはアフリカ大陸で未体験ゾーンといえば”魅惑のモロッコ”という事になった。 アフリカはそのままのイメージのサファリ(ケニアの国立公園でヌーの大移動、ライオン、象などをはじめ野生動物を観賞する旅)、そしてアフリカ最高峰のキリマンジャロを登る旅(タンザニア)また、イタリア対岸に位置するイスラム圏のチュニジアを散策する旅を体験したが、モロッコはハダにとって未知の国。 ・・・楽しみだった。 しかしこのモロッコ、人から聞けば聞く程に不思議な国だ。この数ヶ月でモロッコを旅して来た人々に7~8人会った。その殆どが女性。 そのうち何人かは世界中で数十カ所を回ったが、そのうちのベストな旅であった、まさにお気に入りの国であるとまで言い切った。 そしてその彼女達が連呼していたのが”モロッコ人の嘘つき、適当さ加減”であった。(笑) ハダもモロッコ経験者に会うと”モロッコ人は嘘つきなの?” と冗談半分で聞くと、真顔で”ヒドい!!”の答えが例外なく全員から聞く事が出来たのはなにかの偶然か。ちなみに、モロッコのマラケッシュの街で出会った世界一周の旅の途中の女の子は完全にモロッコに魅了されていたが、ことモロッコ人(男)の話になると、涙を浮かべて悔しがりながら、そのエピソードを語ってくれた。(笑)とても公共の場所で話せる事ではないが・・・・笑うよ! モロッコ男は男としての苦労が様々あるんです。 (毎度の事ですがモロッコ人やモロッコ観光局にケンカを売るつもりはありません。とても友好的関係を築きたく思います。) しかし彼女達はそれを差し引いてもモロッコは素敵な旅であったと断言する、そんな魅惑のモロッコに行く前から期待感がどんどん膨らんだ。

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12月9日(水) 一日目《カサブランカからマラケシュへ!》 早朝のエアーフランスでシャルルドゴールからカサブランカに飛んだ。機中3時間はほぼ爆睡! フランス人子連れ家族の”自己中心”を象徴するようなウルサさに参ったが、それも仕方が無い。 カサブランカ空港は驚く程に近代的でビックリ!! 冷静に考えるとそんなに近代的ではないが、ハダの頭の中ではハンフリーボガードの名画”カサブランカ”(おそらく1930年代とかの設定だろうなぁ・・)で止まっているので、そんな空港をイメージしていたんですよ。 ありえない話だなぁ・・(笑) 今回の旅は、プチ豪華なのです。まぁ、豪華というより効率重視が正しいかな。地元のツーリストのミニバン&ガイドを手配してあって9日間の全日程をサポートしてくれます。様々な話を経験者から聞くうちに、自分で民間のバスに乗ったり、あのメチャクチャな状況で運転したりなんて、行く前からウンザリで余計なエネルギーは使いたくないとの結論でこうなりました。  参加者は分かりやすく言えば”ヤロー4人組” 福井豪ボデイーガード1、ケンシローボディーガード2、愛葉ノブ・ボディーガード3と貧弱なハダの4人だ。この最初の3人を見る限り、対外的に獲物の対象にはならない。逆に容姿だけで稼ぐ気になれば稼げそうなメンツだ。(モロッコ人を不用意に脅かすことはありません!) 空港に迎えに来てくれたガイドのアラシッド氏とドライバーのカリド氏は信頼できそう!! ミニバンは快適でカサブランカから最初のマラケシュまでの三時間は快適そのもの。こんなラクチンに慣れたら自分がダメになりそうな気がしてくる。(迎えはランドクル―ザーでホコリっぽい砂漠のガタガタ道を発展途上国を旅する様な・・・イメージは大幅に異なり、新車に近いミニバンとキレイに舗装された高速道路!ただこの道の良さはマラケシュまでだけど!)   ランチは途中のドライブインで食べた。 経験上、ここで美味しいモノは無理とレッテルを貼るようなガソリンスタンドに併設されたドライブイン・・・仕方が無い。空腹を満たせるだけ幸せだと言い聞かせ・・・・すると美味しいパンとサラダ、そして”タジン鍋”が登場! 簡単に言えば”鶏のカレー味”なのだが、見事に美味しい! クミンの香りがパンチになっていて、なかなか日本で食べられるモノとは一線を画す、素晴らしい一品であった。最初からウレシいカウンターパンチ!  午後3時過ぎにマラケッシュに到着をした。今晩の宿泊は”リヤド”という、ホテルではない、一言で言えば高級民宿。世界遺産であるフナ広場にほど近く、まさにメディナ(グッチャグチャに入り組んだ旧市街地)の中にありなにかと便利。この手のリヤドは最近の流行で一般向けから高級まで色々とあるらしい。モロッコの建物もヨーロッパと同じで表に開放的ではなく、口の字の形をしていて表側からは壁があるだけ。まるで城壁のようで中に入ると中庭を囲んで建物が建つのだが、そんななかなか出来ない体験が連続することが、旅の醍醐味なのだ。この街には、かのアマンリゾートもあるが、そんな処に泊まっては見えない物が沢山ある。 早々にメディナを散策してみると、日本人ガールが本当にウザがる意味が良くわかる。小さなバブーシュ(日本で大流行の革製の刺繍を施したスリッパ)を売る店、彫金を売る店、布地を売る店、通るたびに『こんにーちわぁ!』と声をかけてくる。我々に現地人ガイドがいる事がわかると退散するが、いないとガイドを申し出てくるのを追い払うのに一苦労するらしい。(その意味でもガイドを雇って正解!旧市街地はあまりに複雑な迷路状態で誰が歩いても方向感覚を無くして出口がわからなくなる!) メディナの真ん中のフナ広場には蛇使いやら怪しい商売人が沢山ウロウロしている。そして一日に5回はアダンというお祈りの時間を知らせる案内が街中をモノスゴい爆音でスピーカーから流れるのを聞くと、ここが完全なるイスラム教徒の国なのだと実感する。

モロッコまでひとっ飛び!!

夜になって再び、フナ広場に行くとなんとビックリ、何も無かった広場に100軒近い屋台、それも屋台というよりお店が出来上がっていて、どの店も美味しそうなモノを出している。まさに”活気”という言葉が似合う大盛況なのだが、なんとこのフナ広場のモロッコ版屋台村は2000年の歴史をもつのだ。ニセンネンだよ!!(イスラムとしてはキリスト教よりも古いという事を 強調しているらしい) なんとこの屋台 数軒をハシゴして食いまくり!! しかし何かが足りない。それは”酒”である。厳格なイスラムの地域なので酒が無いのだ。・・・・簡単に済ませないでいただきたい! オレは軽いアルコール依存症なのだよっ!!(笑) ということで今夜は都合よろしく休肝日に認定した。 しかしメディナにしてもフナ広場にしても写真を撮るといちいちカッコいいのだ!  我ながら『オレってなんて写真が上手なんだろう!』と感激しているが、それは本当に街の景色が”絵”になるからなのだ。  リヤドでの寝心地は抜群だった。良い夢見たよ!!
12月10日(木)二日目《マラケシュの朝》 朝は7時に起床して散歩に出かけた。朝日が昇るのが7時過ぎなので朝焼けが差し込むメディナは静寂とキリリとした朝特有の空気で気分を一新してくれる。朝早くから営業を開始しているCD屋の屋台があったので覗いてみた。一枚位、モロッコらしいサウンドを調達してもいいかと考えたのだが、CD一枚の値段を聞くと600ディラハムと言われた。(1DHが約9円) 日本円に換算をそのまますると約5400円・・・・それはあまりに高いんじぁないのか!? ちなみによく見ればコピーモノである。マイケルジャクソンのコピーならわかるが(わかったらいけない!コピー撲滅っ!)地元のモロッコのミュージシャンをコピーしちゃダメだろとおもいつつ・・・・その店主の目を見たら”ライヤー(ウソつき)”と書かれていた。(笑) 『それ高いだろ!まけろ!』『3枚なら1200DHにする!』『じゃ、いいよ!オマエ、ライヤーだろ!』『・・・』そして一時間後に迎えに来た通訳兼ガイドのアラシード氏に聞いてもらったら、一枚がいきなり20DH(180円弱)になった。 ヒドい、ヒドすぎる!! いきなり30倍も吹っ掛けてヘッチャラだった。 しかし彼らも生きる道! よかった、ひっかからなくて! ”国民、全員うそつき論”は真実なのか!!  朝食の後は再び、メディナ散策をした。ココで昨日会った”女子一人旅リエコちゃん”と偶然の再会をして一緒にフナ広場を見下ろすレストランでタジン鍋ランチをして、世界一周話題で盛り上がった。午後には移動して大西洋岸のエッサウィラに向かう。エッサウィラに到着する直前に小高い丘からエッサウィラの夜景と夕焼けが見る事が出来て、とても感動的だった。日が暮れてライトアップされたエッサウィラはものすごいチャーミングな街だった。15世紀に作られた旧市街メディナはエーゲ海でよく登場するミコノス島やサントリーニ島のようなブルーと白が基調色になって、雰囲気は抜群。 今日も宿泊はリヤド(高級民宿)でこれまた雰囲気抜群! 夕飯はオープンテラスのレストラン。昨日の禁酒から解禁されてビール、ワインが美味しかった。夜になると大分、涼しいが空気がキリリとしていて好きだなぁ!  酔っていい気分で旧市街地を歩いていると200年位をタイムスリップしてしまった。

モロッコまでひとっ飛び!!

12月11日(金)三日目《大西洋岸の街・エッサウィラの朝》  爽やかな朝!!! 朝、7時に起きてもまだ真っ暗な闇だ。うっすらでも日が出るのを待って、海岸に散歩に出動!! とにかく絵になる風景の連続だ。 一時間の散歩ですでに100枚近くの写真を撮った。カモメにノラ犬にノラ猫、流れ着いた貝殻に、波が作った砂の模様、ビーチサイドのバーにカフェ、その看板、広大な空に雲、メディナの壁に、ブルーと白の建物、自分の影・・・無限に写真の題材が見つかるのだ。そんな街で午前中をすごして十二分に楽しめている。ここは超大物ロックギタリストのジミヘン(ジミーヘンドリクス)が愛してやまず、ついにここで暮らし始めたと聞いた。わかる!わかる!みんなここが好きになるに決まってる。ランチはスーク(市場)で魚料理を食いまくった。ランチの終了後はムーレイ・エルハッサン広場の前のカフェでエスプレッソを飲んだ。その時に靴磨き人がやってきて、ボクの砂でよごれた登山靴(ダナー)をピカピカに磨き上げてくれた。足元が綺麗になると気分がヨロシイ。 夕方にかけて再び、経由地であるマラケシュに3時間かけて戻った。途中で砂漠に入る為のモノをスーパーマーケットで購入!(モノってワインとビールなんですけど・・) 夕飯はマラケシュに60年近く前からあるイタリアンに入った。パスタ類は完全にアウトだが、他のモノは美味かった。なにせ最高の価格のワインが一本2500円位なので、心おきなくドンドンと飲めて皆でいい気分で様々な話をした。 そしてリヤドにて就寝! 寒っ!

モロッコまでひとっ飛び!!

12月12日(土) 4日目《アトラス山脈を超えてサハラ砂漠の入り口・ワルサザードへ!》 今日は移動が長いので少々、早起きで散歩は無し! カフェオレとパンの簡単な朝食をした後、早々に移動しはじめた。とはいっても車の後ろの席で座っているだけなので快適である。スタートして約一時間で景色はアトラス山脈っぽく変化してきた。 ピンク色っぽい岩山が永遠に続き、ワインディングロード(ぐにゃぐにゃ道)から下を見れば、断崖絶壁で落ちたら即死は免れないであろう高さだ。この先にアフリカの大地があるのかと想像すると雄大な気分にならずにはいられない。永遠に続く道から見える景色はどこまでもピンク色(いやレンガ色が正しいのか!)山岳地帯なのに冷たくないのだ。 途中2260メートルのティシュカ峠を超えて、要塞の村、世界遺産である”アイトベン・ハッドゥ”を訪れた。 土で作られた要塞は今でもベルベル人の6家族が電気も水道もない生活をしているらしい。 頂上からの景色は絶景で、とてもカメラではそのスケール感は伝えられないサイズだった。 ランチはお決まりのタジン鍋!! 毎日、毎日なのに飽きがこないのは何故だろう。 午後はひたすらに移動時間でカスパ街道をぬけて、バラの街・ティネリールまで向かう。街で一軒のホテルに宿泊。今日は移動が多くて歩き不足気味なのか食欲がわかない。久しぶりにネットがつながりドップリとジャパニーズな情報を入手! こうやって旅行してると、オレがいてもいなくても、世の中の体制に影響が無い事に気が付くし、いなくてもちゃんと回っているという事実に少し、感動するんです! 感謝だなぁ!(アフリカでも夕暮れ過ぎは相当に冷え込む。なのに同行の福井とケンシローは、何か記念にと訳の分からない事を行ってプール(当然ンに室外!)で泳いで死にそうになっていた!(笑)) 旅してる間は移動時間などで、普段よりいいペースで読書ができます。二日に一冊以上のスピードで読書してます!!

モロッコまでひとっ飛び!!

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12月13日(日)5日目、《ティネリールから砂漠の入り口、メルズーカへ!》  9時に出発をしてトドラ渓谷のオアシス(砂漠のオアシス!)を見学。あんなに乾燥した大地に水があり、木が茂り、農業をしているなんて不思議です。 ランチはエルフードの街でデディユーン(フランス語で砂丘)という名前のレストランで通称”砂漠のピッッア”(メットフーナ)を食べた。ちゃんと石釜で焼いた中にミンチが挟まっているピザでチーズは使っていない。そしてタジン(Kalia)はトマトに牛肉、タマネギそして味付けはクミンと塩、胡椒で卵が落としてある。これが激美味くて、思わず”おかわり”を注文してしまった。なんだろう、このタジンの美味しさは!! そして昼食後、一時間したら右側に砂漠が見えて来た。ピンクに光ってオーラがガンガンに出てますよ!! 早々にロッジにチエックインをした。いくらアフリカだ、砂漠だといっても12月で冷え込みも厳しそうで、夜はテントでもロッジでも泊まれる段取りになっている。本当はテントがいいが、ここまで来て凍死はイヤだ!!  ロッジとはいえ、建物はワラと泥を練って作ったここら辺界隈風の景色を邪魔しない建物。実にサハラ砂漠の中で雰囲気がいいです。 またここもロの字の形をしていて中央には中庭とプールが備わっている。 早々にサハラ砂漠に向かう準備をした。 とはいえ、やることは通常の服にターバンを巻いてもらうという程度。(ターバンは宿の従業員からワガママ言って借りた。) ロッジの前にはラクダが4頭つながれて今日の観光客である我々を待っていた。 ラクダは思いのほか背が高い。現地の案内人のベルベル人が乗せてくれなければ、一生、一人で乗るのは不可能。 やっと乗ってもなかなか安定しないので、ダイエットマシーン・ジョーバ(乗馬の雰囲気で腰をグネグネするマシン)のノリで乗っていたらだんだんとコツがわかってきた。四頭のラクダはロープで繋がっていて絶対に裏切れないシステム。 そんな風に写真を撮ったり、ラクダを研究しているうちに景色は待望のサハラ砂漠になってきた。写真で予習していたそのままだ。途中でラクダを降りて歩いて眺めの良い砂丘を目指した。全員、テンションは絶好調になってきた!! まわりには一切の障害物もなく見渡す限り空と砂漠・・・それだけだ。 興奮しているうちにパラパラと小雨が降ってきた。砂漠で小雨とは相当にビックリだった。砂漠イコール雨とは無縁と思い込んでいた。空は雲が重なり、少しイメージと目指す景色が違うと残念な気持ちがわき上がるのは、ひょっとして今日は夕焼けが見えないのではと思い始めたからだ。淋しい・・・夕焼け、満点の星空、朝焼けは外せない三点セットだったのだ。砂と戯れウロウロしているうちに西の空がなにやら赤くなってきた。なんと!!!遥かかなたの空と大陸の間がすっかりと雲が抜けて見事にくっきり太陽が出て来て、その差し込む様な光が沢山の雲の合間に突き刺さり、空の雲にはものすごいグラデーションの夕焼けショータイムの始まりを予告したのだ。 一度、あきらめかけた光景なので余計に興奮!! その数分後から、見た事もないような真っ赤な太陽が辺り一面を照らし、サンドベージュの砂漠はピンク色がかり、空中に残っていた雲にも、そのピンク色の光が差し込み、また時間とともにピンクかオレンジに変化して行くのを見届ける幸運にみまわれたのだ。そしてオマケに東の空には、先程の小雨の置き土産に”虹”がくっきりと!! ハワイで見る虹が、このサハラ砂漠にて見る事が出来たのだ!! 感動→興奮→放心→を超えた瞬間、涙がどんどんと出て来た。 日が暮れないうちにラクダの待つ場所に戻る事だけを気にしながら砂漠をブラブラと大スペクタクルの中にいる事に感謝できた。 もう充分!! 帰りのラクダの上でも四人の興奮は全く収まっていなかった。 そんなうちにだんだんと雲が厚くなりホテルに到着して回りが真っ暗になった頃これだけラッキーな夕焼けを見られたんだから満点の星空なんて贅沢すぎてバチが当たるなんて思いながらロッジの煖炉の前で暖まった。そしてディナーは平和そのもの。ディナーを終わってあまりの寒さにテントは断念! 外を見上げたら、なんと満点どころか億点の星空が!!!!四人とも同時に『なんだぁ!こりゃーーー!!!!』と驚喜!! 衝撃的な景色がそこにあった! 全員、あんぐりと口を開けてひたすらに空を見上げていた。頭上ばかりでなく横の面(正しい表現がわかりません!地平線方面ですね。)まで満点に星が見えるんです。 流れ星は30秒ごとに見られるは、それも同時に2個、3個と・・・UFOも見ましたよ! 間違いない! とにかく、あんなに星を一度に見てビックリを超えていました。(天体マニアが一人でもいたら詳しく、なにがスゴいのかを解説できるんですが・・・) あまりの興奮でグったり疲れてベッドに入りました。 そして見た夢は何故か”味噌汁”・・・帰ろう! 日本に帰ろう!!

モロッコまでひとっ飛び!!

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12月14日(月)旅の6日目 《砂漠の入り口のメルズーカからフェズへ!》 今日は移動日。高速道路も整備されていない普通の道、そしてアトラス山脈の山道を抜けて一路、世界最大の迷宮都市(メディナ)のあるフェズへ! その距離520キロ、行程は8時間! 途中の景色は雪まで積もり完全なる冬景色! アフリカは広いのだ。車中はひたすらに睡眠、読書、パソコンで写真整理、みんなでアホ話とポルトガルの基礎知識のお勉強! けっこうアッと言う間の8時間だった。ドライバーのカリド氏は温和な性格が運転に出ていて安心できるのが何よりだ。 夕方には無事にホテルにチエックインできた。今回のツアーで一番、ある意味、高級なホテルだ。(決して大好きとは言いません!) 夕飯はホテルのバイキング(決して大好きとは言いません!) の人畜無害ディナーでした。 そして久しぶりのバスタブでの入浴はトロけたね! トロトロです。これは大好きです。
12月15日(火) 7日目 《世界遺産フェズでの一日!》 昨日は良く寝られた。 隣の部屋の福井とケンシローの部屋は、そのまた隣の部屋の宿泊客が新婚さんみたいで、とにかく一晩中激しく燃え合っていたらしく寝不足気味!!(笑) すこし散歩をしたが、街にはパリみたいにカフェが多くて、なかなか豊かな印象だ。 朝食を済ませた頃に、ガイドのラシドが来てくれ、様々な観光スポットを回った。”ガイド付きの観光旅行”って印象が”旅慣れていない人”という感じだが、今回はこれが大正解だったと皆で話している。だって住所表記なし。旧市街なんてまったく道がわからず、なにが何処にあるかなんて、まったく不明・・・結果、全てを見ようと思ったら大正解だったと考える。というかモロッコも観光が資源になっている国なので”ウザいモロッコ人”が沢山、存在するのは事実なのだ。 それを追い払うのにもガイドがいて良かった! さて、モロッコで4番目に大きな、そして一番最古のメディナ(旧市街地)であるフェズは、遠目に見るとスペインのアンダルシアか、イタリアはトスカーナあたりに似ている。良く見ると、全然そうじゃないんですが・・・街の家々には驚く数のパラボラアンテナが!!世界遺産にパラボラがぁ・・・ 尋常じゃない数なんです。(笑) 主な観光スポットを制覇した。個人的にビックリ仰天だったのは、街を走るクルマだ。 古い車の数が多いのはわかるが、メルセデスベンツ(W123という型式で1976年から85年に生産されたモノ、時代的に最も最強で強固と言われている。)がハンパ無い数がタクシーとして走っていて、タクシー乗り場に行ったら100台以上が列をなしていた事。 波田は実はこの型が大好きで、いまだに愛用しているんですが、東京でも本当に見なくなりました。それが現役バリバリで100台!勇敢な姿でした。波田のも、あと20年は楽勝でのれるなぁ!!   ランチはまたまたタジンです。 まぁモロッコなんでタジンはウエルカムですがぁ、さすがに7日連続、時には夕飯にも・・・となると話は別。でもモロカンサラダは相変わらず美味しかった。野菜がヤルキ満々なんですよ。 午後はダラダラと街で過ごしました。ここでも日本人女子バックパッカーと遭遇。日本女子は根性あるよ。一緒にお茶飲んで楽しい話、恐ろしい話を聞かせてもらいました。 夜はイタリア料理だが、どことなくモロッコ的だった。持って行ったワザビと醤油が本当に美味しく、アボカドに付けて食べたら、日本のお寿司やさん気分でした。 味噌汁飲みたい!! 夜は福井の部屋で、ある下心があって待機していたけど、新婚さんはお疲れなのか、なにも無くて残念・・・迷惑だったのか、ウエルカムだったのか・・・!(笑い)
12月16日(水)8日目 《フェズからカサブランカへ!》 朝は早めにカサブランカに向かった。カサブランカ=ハンフリーボガード(1940年代の”カッコいい映画”の代名詞!)なのだが、そんな一面に出会えるだろうか! 街に入ったらウルサくてどうしようもない。クルマは意味も無くホーンを鳴らしている! ここは中途半端な都会だ。街の中心にあるモスクはハンパの無いサイズでビックリだった。波田の広角レンズでもまったく入らない。こんなスケールのモスクを見たら思わず、イスラム教徒になってしまいそうな迫力!! その後、食事をしたが、暴力的な量でウンザリ!! この同じ大地で飢餓に苦しむ人々がいるなんて考えてるのかなぁ・・・(注文してないのに勝手に出て来た。)しかし回りを見渡せば明らかにメタボな人が多い! 実に不思議!!  カサブランカ空港まで送ってもらい、今回のモロッコは終了。ガイドの二人は本当に気がいい奴だった。実に流暢な日本語を話すのだが、どうも”はひふへほ”がアラブ語にはないらしくて、昼ご飯と言おうとすると”ヘルゴハン”になる。それじゃ”地獄のゴハン”だし、”いろいろあります”は”エロエロあります!”になる。最後まで直らなかったのが気がかりのまま、空路でカサブランカを後にした。アンフリーボガードの影は見えなかった。 夕方にポルトガルの首都、リスボンに到着。ポルトガルに降り立ち、ハダの訪問国は、累積で50カ国を超えた。そして西ヨーロッパは制覇!  空港では先日、マラケシュで会った一人旅のリエコ嬢が来ていてビックリ! 丁度、陸路でポルトガルに入ったのでジョインをする事になった。 リスボンの街はすでに闇の中。 タクシーで先日、ネットで予約をしたホテルにチエックイン。 最近では”booking.com”という便利なサイトがあって直前でも日本語で世界中のホテルの予約が出来るとの事。素晴らしいシステムだ。空けておくよりは格安でも部屋に客を入れた方がお得という方針だろうが、あまりにホテルの質に対して(四つ星)値段が安いのにビックリだ。 夕飯は、ホテルの女の子、そして別のマネージャーに聞いたレストランに行ってみた。 これが満塁ホームランでいきなりポルトガルのファンになってしまった!! 前菜類(プロシュート、小さいコロッケ、チーズなど)は座るとすでに新鮮な物が置かれて、食べた分を払えばよろしいシステムにウレシい。注文した料理はとことん正解だった。(あまりに美味しくて結局、翌日もこのレベルは他では狙えないであろうという事で連チャンで通うことになった。 ホテルに帰ってそのまま就寝! 寝心地ヨロシク幸せです。

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12月17日(木)旅の9日目! リスボン・デビュー 早朝にウオーキングでもしようと思ったら7時過ぎは、まだ”闇” しかし歩きたいので街の中心地まで歩き始めた。 地図が分かりにくくて、理解が難しいのだ。それでも何となく歩くうちに街の中心地の位置関係は把握できた。まるまる二日なので見る物には限界があるのだが、優先順位を決めてかかる! ホテルに戻り準備して皆で出動した。実はレンタカーを手配するつもりが国際免許を取得するのを忘れ、タクシーになったのだ。そしてタクシーをつかまえて、最初の訪問予定のジェロニモ修道院を告げると、そのオジイさんドラーバーは英語で(英語を話せる人は少し希少!)『そんな観光に来たのなら、まずはシンドラーへ行け! そしてアレとコレとアレを見ろ! とにかく見ろ!』 とまくしたてる。 どうも声のボリュームが壊れているらしくてウルサいし、まぁ別にどうしてもというワケでもない場所だったので、せっかくなので、そのまま乗って、いわば言いなりになって回ったらこれが大正解!ケリューシュ宮殿やペナ宮殿、そしてヨ―ロッパ大陸の最西端のロカ岬など、”本当に、コレを見ないで帰る気だったのっ!”という素晴らしい体験をさせてくれた。リスボンまでの帰り道はカスカイスという大西洋岸のリゾートをドライブ。ものすごいキレイな波が立っていて、少々サーフィン魂がゆすぶられた。 このツアーは本当に良かった!! ラッキー!!(しかしオレ達、どんなスケジュールを組んでんだぁ!) 夕方にカフェで軽いランチをした。昨日の食事は美味しかったが食べ過ぎて少々重かったのでモタレ気味みたい。その後は街の中心部のバイシャ、バイロ・アルトを散策して、行きたかった数店を廻った。 最高なのが、缶詰専門店のConserveira de Lisboa、 ポルトガルはサーディン(いわし)が名産なのだが、そのサーディン缶詰だけでも25種類の品揃え。 そしてそのパッケージ、店のデザインは驚異的な可愛さで感動した。ハダは世界中のサーディンの缶詰を収集しているのだが、これにはマイッタ!! 当然に購入!! 様々なモノを購入してホテルに戻り、夕飯は、迷わず昨日と同じ店COLLONIにてディナー! 昨日とは全く違うモノを注文して食べたが、どれも本当に満足のいくモノだった。今晩も幸せな夜だった!!
12月18日(金)旅の10日目  リスボンの二日目にして最終日! 朝から雨だった。昨日、”雨よ!降るなよ踊り”をするのを忘れていた。これかなり効果を望めます!  しかし今日の朝は絶対にハズせない予定があるのだ。 それは”リスボンの街のナナメ・ケーブルカーに乗る!”という悲願なのだ。(ちなみにナナメ・ケーブルカーの名前はハダが勝手に命名!) 数年前にクレジットカード会社のCMで”異国の地ポルトガルのシーン”で出ていて、何故かそのシーンに強烈に引かれたんです! という事で出陣!! これまた、どうしてだか地図にも表記がないし、なかなか捜せないのだが、ついに偶然発見!!感動だなぁ!! 可愛いなぁ!!みんなに愛されいてる、頼られている乗り物ってかんじなのだ! たしかに小高い丘の上まで歩くのは相当な旧坂で足腰に自信が無かったら難しそうだ。でも上でも沢山の人々が暮らしているから相当に頼られてるんだろうなぁ! 乗ってみたらわずか3分で頂上、そし5分待機して、またそのまま下降して終わった。雨の中、断り切れずに付き合ってくれた愛葉ノブに感謝!  それでも最高に楽しい時間だった。(おれって鉄道マニアだったのかなぁ・・・確かに乗り物好きなのは事実っ!)

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その後、リスボン的ファーストーフードの店にて”ポーク塩焼きサンドイッチ”(正式名称分からず。)を食べてホテルに一度戻った。今日は悪天候ながら、アレンティージョ地方に遠出が正しいとの情報。 実はブログで数ヶ月前にポルトガル情報をお願いしたところ、美人読者のH-Tさんがポルトガル在住の岸さんというコーディーネーターに連絡をしてくれて、かなりディープな情報を仕入れることが出来たのだ。そして彼女いわく、せっかくならばアレンティージョまで足を伸ばしたら充実のリスボンツアーになるとの事。彼女はレンタカーを提案していたが、運転を考えるとアレンティージョは相当にグルメな街で、往復は電車も可能との事・・・誰が運転するの。その終電に間に合うの・・・様々な未知への場所への移動で結局、『行ってから決めっかぁ!!』の問題先送り自民党体質だったのだが、昨日のハイテンション・ジー様タクシードライバーと交渉したら、午後2時からリスボンを数カ所回り100キロ以上、離れたアレンティージョまで回り、お薦めのレストランまで送ってくれて、迎えに来てまたホテルまで送ってくれて200ユーロで話がついたのだ。 4人なので分担を考えれば、何よりラクチンでしょ!! ということで観光旅行に出かけた。 ジェロニモ修道院界隈を見学して、小雨降る中、一路、目的地へ!! アレンティージョ地方の中心は城壁に囲まれたエボラの歴史地区。当然に世界遺産で雰囲気は抜群。最初にサンフランシスコ礼拝堂を訪れた。ここは礼拝堂の中がナンと5000体の人骨(ヒトの骨!)で出来ているのだ!! もう衝撃的! 恐ろしくて何かが写りそうで写真は撮れなかった。(笑)ここで瞑想をするんですって・・・ゾクっ!! その後、可愛らしい小道を歩きながら(道は可愛いが歩いている奴はヤロー4人組で可愛くはない!)お買い物!どういう訳か、物価がリスボンより安く感じられた。そしてライトアップされたディアナ神殿なども見学!! もう感激ですっ!! ここに来ないでどうするつもりだったんだ!!

モロッコまでひとっ飛び!!

ナンだかんだしているうちにディナータイム。数日前にモロッコから電話をしておいたレストランに行った。薄暗いがまだ営業前の準備中。わずか15席程度の小さなレストランなのだが、ポルトガルでは有名な店! 最後まで正式な名前は読めなかった!!(笑) ホールは一人のウエイターが全て仕切っていて、こきみがいい。(ヨーロッパのレストランには、本当にリジェンド的なウエイターがいてカッコいい!) またまたポルトガル形式で座るやいなや前菜(コールド物)が10点程、運ばれてワインもハウスワインを注文。(アレンテージョ地方はワインの産地としても有名!)この前菜がブッたまげる程に美味しかったのだ。 もう今思い出してもわざわざ行きたくなる程に美味しかった。結局、この前菜を散々食べてメインは二品を注文して4人でシェアとなったが、ウルトラ満足大会!!(いずれ”世界7大陸食ガイド・食次郎”に紹介します。HPの名称変更しました。)あっと言う間の2時間半、外には迎えのタクシードライバーが!!! めちゃめちゃ後ろ髪を引かれたが仕方が無い。また来ようじゃない!
■エボラ Tasquinha do Oliveira Rua Candido dos Reis 45 A – Evora 7000-582 EVORA 266744841
日曜休、ひとり40ユーロ前後 15席ほどの小さい店。早めに行くかできれば予約を。 城壁内。カルヴァリオ修道院のある通り沿い。
そしてタクシーに乗った。本当にこのタクシーを雇って正解!! 全員20秒後には爆睡して、気が付いたらホテル・・・この一時間半の車中睡眠は全員、あの店の前菜が夢に出たと思う。 ポルトガルの食事って、なんだかどこか懐かしい味なのです。 あぁ、愛しのポルトガル! たった二日半だったけど、十二分に魅力を感じました! また必ず来ましょ! 翌日は、いよいよ帰国日。 またまたジー様タクシーに迎えに来てもらい空港へ! 3週間ぶりの東京に戻りましょ! 良い旅だっ!!!!

ネパールで深呼吸!ジューサンマンポの旅!

ネパールに行きたかった。というか正確にはネパールという国よりも、ヒマラヤに踏み入りたかった。世界最高峰のエベレストを”生”で見たかったのだ。そこでの壮大な自然のおりなすスペクタクルを体験したかったと言うのが夢だった。ヒマラヤの山々はもちろん登山という方法で頂上を目指すという道もあるが8000メートル級の山々にチャレンジをするには、準備が無さ過ぎる。それはチャレンジャーや石川先生達にお任せ! そこには”トレッキング”なる頂上を目指さずに、遠目にその山々を鑑賞しながらひたすら歩くというスポーツというかアクティビティーがあるのだ。 決して、ハイキングなんてダラダラ歩きのものとは違う、ある程度の装備で動くのだ。実は今回は自分の中ではハイキング程度と考えていた。

ネパールで深呼吸!ジューサンマンポの旅!

『チョロいもんだろ!ケッ!』と本当に思っていたのです! ところがどっこい、軽い高山病にはなるは筋肉痛に苦しむは・・・なにせ5日間で歩いた歩数は13万歩(ジューサンマンだよ!)そのうちで6割は階段の上り下り!これはハイキングじゃないでしょ!しかし結構なシニア世代の方々がいらっしゃる。もちろんジジババ山岳会の方々だろうが!(後から聞いてビックリしたのが、我々は通常のコースを半分の時間で走破するプログラムだとガイドから聞いて唖然!)どうりでクタクタだよ! なにせこのヒマラヤという所ですが、スケールが伝わるであろうか! ブータン、中国、インド、ネパール、パキスタン、アフガニスタンの六カ国をまたぎ、ヒマラヤを水源とする川はインダス川、ガンジス川、プラマプトラ川、長江だ。そしてこの水をたよりに7億5千万人もの人間が暮らす、そして、ここには7000メートル以上の山が100も有り、8000メートル以上はナンと14もある。

ネパールで深呼吸!ジューサンマンポの旅!

(そのうち8ケはネパール圏内)ちなみに日本の誇る富士山は3700メートル、ネパールの中では5000メートル以下は”山”の扱いではなく”丘”なのだと言う。従って名前も無いらしい。ということで好奇心旺盛なる”珍道中”を記しておこう。 波田はこの旅を通して本当に沢山の経験をした。ヒトから、どこかお薦めの旅はと聞かれたら・・・・ネパールと答えるだろう! http://ja.wikipedia.org/wiki/ ヒマラヤ山脈
《1日目、2日目》4月14日 羽田空港から関西空港へ! 羽田からの海外への脱出はラクチン! 送迎してもらった藤田とカフェでアホな企画話でもりあがり、海外旅行気分はゼロのままで関西国際空港へ。

ネパールで深呼吸!ジューサンマンポの旅!

そこで関西から参加の石川龍彦氏(元・高校教師、京都大学卒のホンマもんの登山家、今回の隊長。そしてEX、注釈※1)と本山進氏(56歳にしてホンマもんのトライアスリート!生の鉄人!来年は宮古島トライアスロン出場、半端ない筋肉、多分、体脂肪3%)、そして北海道のヨシキダイ(吉木大輔E、波田と同じ軽いアルコール依存症! 飲んでないとテンションはドォ?♪、飲むとイキナリにラァ?♪♪♪と無口が饒舌に!パソコンを使いこなし、帰りの機内と待ち合い時間で約1000枚の四人の写真を編集してDVDを製作。とにかく面白い30代前半の若者。そういえばニセコのスノボーのアフターで飲んでいる時に無意識にボクが、このトレッキングに誘ったらしい。翌日、ダイが行く事を聞いてビックリ!!)と合流! 深夜の便でバンコクに早朝に到着して、接続便を待つ事6時間(空港内のスタバのソファー席を占拠して時間を過ごす。)、そして三時間後の昼前に、ネパールの首都カトマンズに到着!

ネパールで深呼吸!ジューサンマンポの旅!

ガイドのスリヤ氏(とにかくネパール系の名前が覚えられなくて皆で試行錯誤。スリヤはスリが業の人、すり屋と記憶。本名はスリヤ・バハドール・タマンク。 この人は視力が5、0はあると言っていた。すごいのが生まれ育った場所はカトマンズからバスで12時間、そしてバス停から歩いて丸々3日だそうだ!通学していた学校は自宅から徒歩2時間弱・・・すごすぎ!そして仕事がトレッキングガイドだから人生、歩きっぱなし!) 案内されて、早々に五つ星のホテル・マーラにチエックイン。 この”五つ星”って誰が決めてんだぁ!? ”笑う五つ星”だった。 まぁいっかぁ!!早々にカトマンズの街を散策に出かけた。ここは全く洗練なんかされていない、ある意味、毒されていない街。雰囲気はインドかなぁ。まるでアメリカナイズされていないし(良い意味です)決して財政的には豊ではないはずなのに、物乞いもいなければ、ストリートチルドレンもいない、偽物ブランド業者もいなければ、ぽん引きもいない・・・平和なんですね。

ネパールで深呼吸!ジューサンマンポの旅!

しかし大気汚染はハンパ無い! ここに空気清浄機を設置したら3~4日でフィルターは許容量をこえるであろうか。 なにせインフルエンザ対策に持参していたマスクが一日で目に見える程に真っ黒になっていた。初のカトマンズナイトに夕飯を食べていたら、イキナリの停電で真っ暗になった。この街では日常茶飯事の事らしい。店員は何食わぬ顔をしてロウソクをもってきて、いきなり男四人とガイドのスリヤさんだけのマンズワールド・男の世界がラブリーな空間に変わったのだった。(カトマンズでは一日の大半が停電状態になっていた。)従って電化製品なんてあまり無いのだ。

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《3日目》4月16日カトマンズでの朝。空港からポカラへ。国内線の空港なのだが、空港入り口のサインはブロック塀にペンキのサイン。セキュリティーのX線検査はなくて手で調査。荷物のハカリはアナログの巨大体重計。滑走路を犬連れのオッサンが歩いていたり、座り込んでいる奴がいたりと既成概念なんて吹っ飛ぶ。空路で数十分、乾いた大地を見ながら、全席自由席のプロペラ機は超低空飛行をしているので楽しい時間だった。到着したポカラの空港は本当にラブリーでいい感じ。相当に気に入った。荷物をピックアップして車で一時間のトレッキングのスタート地点のナヤプルへ。 早々に準備をして、ポーター(荷物持ち係)に荷物を預けてトレッキングを開始して、河原の道をどんどんと谷に入って行き、だんだんと傾斜がつきはじめ上り階段攻めが始まってくる。空気もだんだんとマイナスイオンが多く含まれる爽やかさで、おもわず深呼吸をする。

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ビレタンティという村のカフェ、いや休憩所でランチをしたのだが、極上に可愛く素晴らしロケーションで料理も抜群。気分はグリーングリーン・ネパール支店だった。 メニューのモモ(餃子)と春巻き(スプリングロール)など抜群に美味しかった。 まさか今後、毎日のランチ、夕飯で同じモノをずっと食べるなんて、この時は想像もしなかった。 こうやって旅をすると、言葉は無理矢理な英語でも良いが、やはり簡単な挨拶は現地語のネパール語が好感がもたれるのは万国共通ということで、皆で学習。 ところがなかなか覚えられないのがネパール語(たぶんネパール語が悪いのではなくて記憶力の問題かなぁ。)とにかく一番、お世話になる身で大切なのがご挨拶とお礼。こんにちはの ?”ナマステェ” はヨガ教室に行くと先生が最初と最後に言うので知っていた。

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インド語に同じで ”生捨てる” とメモリー。 山は行き交う人々とは必ずご挨拶な世界なので ”ナマステェ” は大変便利。 何故か最後まで覚えられなかったのが ”ありがとう” の ”ダンネバート”(鶏肉は断念と記憶・・・こんな覚え方しているからイザという時に出てこなくなるのかなぁ!) そしてセットで記憶するべくは ”どういたしまして” なのだが ”ソーガダウン”(寒川さんのダウンと記憶/寒川さんという大阪のF・EXダイヤがいらっしゃる。)・・・・今日の目標地点のティルケドゥンガ(標高1540メートルへ)までの途中、驚く程のスコールに出くわした。山の天気は変わりやすいというが、あまりにも変わり過ぎ!! 運良く雨宿りもできて濡れないですんだが! 初めて泊まるロッジは設備(電気、温水シャワー)などは無いが(裸電球があったが異常に暗い。シャワーもあったが・・・冷ッ!) なのに清潔で何とも言えずに和む空間。

ネパールで深呼吸!ジューサンマンポの旅!

シュラフ(寝袋)には封筒型のパリっとしたシーツが仕込まれていて愛を感じる。(これは旅行社の段取り)到着するとポーターがアルミニウムのタライに温水を運んで来てくれて顔を洗えと・・・・早々に皆でテラスで裸になって、タオルを使い全身温水マッサージをして綺麗サッパリとなった。実に爽快な気分! 日も暮れて食堂に行くと、メニュ-をガイドのスリヤさんから渡されて唖然!! ランチの店とメニュー内容が一緒じゃないの!! これは後でわかった事なのだが、ガイジンがやってくる店のメニューは、ほぼ統一されているらしく、各店がその枠の中で創意工夫をして出すらしい。 毎回、頭を使わずに注文していたメニューは《モモ(餃子)、炒飯、スプリングロール(春巻き)、焼そば、トマトスープ、野菜スープ、》結局、お店ごとに味は違っていて、それはそれで楽しめた。(後日”ケージローの勝手でしょ”でご紹介予定。)

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夕飯が終わるのは21時位で、その後は停電もしていて暗いし・・・寝るしかなかった。しかし良く寝れるのですョ!! 山小屋のいい時間でした。  《本日の歩行歩数16500歩/本山EXがdocomoの老人向けラクラクフォンを持参していて、なんと万歩計が付いている。毎日何歩を歩いたかがわかってものすごい達成感があって楽しかった。》
《4日目》4月17日(金)当然に早起きが出来る!朝6時に起床しても8時間睡眠を遂行しているのだ。そしてやたらに快便! とにかく身体を使って、バカ話をして、美味しいものを食べて、美味しい空気を吸ってたら、快調にもなるわなぁ!! 今日は、ティルケドゥンガから峠の村ゴレパニ(2860メートル)へ。 標高だけで1300メートルも上がるんだから、相当な距離だろう。今回、悲願の山男ウオッチのSUUNTOを購入していたので、常に標高が表示されていて楽しいし達成感があったのだ。 朝からひたすら歩き始めた。空気はとことん澄んでいて気分爽快。

ネパールで深呼吸!ジューサンマンポの旅!

ただ一つ、写真には写らないがライブだと要注意な問題があった。ここらへんは運輸機関がなにもなく、佐川急便もなければクロネコ・ヤマトもない。あるものはロバだけ!!この住人のライフラインをつなぐ”ロバ”は大切な労働の担い手なのだ。そのロバは犬と違って、決まった場所で排泄をするわけではない。 ハッキリ言えば、そのまま・・・出たい時に出す!ということは歩いている道のど真ん中にて、いきなり排泄物(ウンコ)に遭遇したりするわけ! 遠くの山も見たいし、下も見なくてはエンガチョしちゃうから、大変だ。前を歩くダイちゃんなんか、何回か生々しいのを踏みつける瞬間を目撃して思わず”危ないッ!!”なんて叫んでも手遅れな事があった!(登山靴は靴底が凸凹で激しい作りだから余計に入り込む!) そしてある時、ある法則がわかったのだ。

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“ロバも人間と同じでヨイショってリキむ場所で、無意識に排泄をする” という事だ。または緊張が続いた下り階段の下りた様な場所も多かった。”アナタのモヨオしそうな場所はロバにもモヨオしそうな場所である” という新しい学説を見いだしたのだ。今後もロバの研究をしたいが、ロバは回りにはいない・・・・ランチはバンダイティという眺めの良いカフェで取った。ここも例外無く同じメニューで、オーダー担当の波田が同じ注文をすると ”所変わると姿変わる” の定説どおりに違う味付けの料理が運ばれるのだ。 隣の席の白人女性一人旅の女の子と話していたら、ネーデルランド(オランダ)から来たという。約3週間のトレッキングで5000メートル級のベースキャンプまで行くという。左薬指には指輪がぁ! それを見た石川隊長は ”おおっダッチワイフだぁ!”と叫んだ。(英語ではオランダ人をダッチという。)

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まったく、流石に京都大学出身だけの事はある。その後、何故にしてダッチワイフという名前の商品名になったのかを討論する時間が随分とあった。 (深く、いや浅く、いや真剣にとらえないで下さい!) 夕方、日没の少し前にゴレパニには到着をした。ゴレパニは特別な種族が集まっているらしく、聞けば今日は、ゴレパニ村の年に一度の ”お正月”だそうで村はお祭りをやっているという。 実際に行ってみたら、想像していたお祭りではなくて、露天が少し出ている程度で、ハデなお祭りではなかった。なんとこの村は、この正月で2066年になっているらしい。 相当に未来にいっているのだ。 夕方に、山と山の間から尖って見える魚のシッポみたいな ”マチャプチャリ”(6993メートル)が見えて、尖った山が夕焼けで染まってなんとも言いがたいオーラを発していたのが見えて感激だった。

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ところで、何か、お土産をと考えているのだが、本当に買うものがなくて困った。彫金細工や木の人形などを売っている店先に古い空き缶(意味不明なアラビア文字のよう。)なんだか可愛くて交渉をしたら、相手は思いっきりふっかけてきたのだが、100円位だったので支払ったら、ビックリして喜んでいた。 夕飯は停電の中で、またまた同じメニュー!でも違う味! 夕食後は寝るにも回りの広場ではお祭り騒ぎで深夜まで騒々しかった。そりゃ年に一度のお楽しみなんだから我慢してあげなきゃ・・・なんだか素朴でいい村だ。(今日は26360歩を走破)
《5日目》4月18日(土)日の出前の4時に起床して、ゴレパニからプーンヒル(3193メートル)に朝日を見に出かける。 頂上の展望台から見るヒマラヤの山並みは感動的だった。だんだんとアンアプル・サウスが姿を見せ、マチャプチャリ、そして8091メートルのダウラギリが見えてきた。

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朝日にあたったそれらの山々は半端のない存在感! オーラ出まくりだった!! 自然のおりなす雄大な姿を見ると人はただただ無言となる。世界各地からの旅行者が、そこに集っていたが、みんな無言で視野に入らない程の雄大な姿を見とれていたのだ。 その後、ゴレパニに戻り朝食をすませてから、本日の予定は9時間のトレッキング! 思わず朝のプーンヒルまでの往復の二時間が含まれての9時間なのか質問をしたら、ガイドのスリちゃんはクールに ”含まれてませんよ!” との答え。ということは一日のうちの11時間を徒歩に費やすのだ!! なんだかダマされた気分。(笑) 文句を言ってたって仕方が無い。 いざ出発っ! 3時間かかって3200メートルのグリーンヒルズに上がり、その後2645メートルのブァンタンティまでものすごい急傾斜の階段を下りた。

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もう太ももはプルプル、ガクガク! しかしそんな急傾斜でも現地の”仮称・ヒマラヤ老人会のオバァちゃん御一行が孫とか巨大な荷物を背負いながらビーチサンダルで先を越してさっさと下りて行かれると、さすがにメゲルのだよ!  バンタンティで、またまた定番のランチをしていたら ”ダッチワイフ” が追いかけて到着して一盛り上がり!(相当にキュートな子なんです!) アンナプルナ山脈も望むグルン族の村、ガンドルン(1951メートル)へたどり着いたのは夕方遅くであった。 ガンドルンはとても素敵な村だった。ここの村はイギリス軍に派兵されている勇敢な若者が多く高額所得層が多く豊からしい。 サクラ・ホテルで久々の温水シャワーを浴びられて気分は爽快だった。しかし二日間もシャワーが無いと本当に部屋にキレイなタオルが置いてあるだけで、皆で歓喜が上がる程に感激したのだ。

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夕飯は停電のなかで同じメニュー。こうなったら同じメニューを楽しもう!!(本日の徒歩9時間、36666歩)
《6日目》4月19日(日)ガンドルンを朝の8時過ぎに出発。見渡す景色は壮大な ”谷” だ。 しかしこれから向かい側の谷を超えて山の上に行くのだが、よく見るとモノスゴい深い谷で、谷底の村の家々のサイズを見るとビックリする程のサイズでこれから末恐ろしく谷底まで下りて、ふたたびものすごい距離を上がるのかと思うとメマイがする。まずはガンドルック(1950メートル)から谷底の河原沿いの村のキューミまで高低差600メートル。そして再び急斜面を1700メートルまで上がりランドルンクへ! もう体力的にはヘロヘロ。トゥールカ(1700メートル)でランチ(これまた同じメニュー)をしてからデウラリ峠へ。

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今まで三日近くの間、携帯電話が使えなかったが、ここで久々のバリ3(アンテナ三つたった状態)になったのでブログの更新をした。まったく忙しい!! そこからは約2時間、アンナプルナ山脈を望む尾根上の村、ダンプス(1650メートル)の ”月の家” まで二時間、ほとんど傾斜もない森の中をトレッキングした。夕方に到着をして本日の力を使い果たしてチエックイン。 ここは日本人の経営するロッジで五右衛門風呂まで備えていて快適だった。 夕飯は久々に定番でない料理が出て来て美味しかった。(本日の万歩計による歩数は30500歩。)
《7日目》4月20日(月)午前にダンプスから下山してフェディ(1130メートル)まで2時間かけて下りる。しかし相変わらず、下りの2時間は本当に足、ひざに激しい負担がかかるのだ。

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波田の励みはトライアスリートの本山氏も ”きつぃなぁ!ミィはいるなぁ!(関西弁で筋肉痛になるなぁの意味)と言い、隊長の石川氏もヘロヘロになったと弱音をはく時に安心を感じるのだ。それは ”良かった!こんなアスリートの二人が疲労困憊しているのだからオレが疲れても当然だぁ!” と安心するのだ。 そしてついに最初にスタートした場所であるフェディーに戻って来た。もうこれ以上、下り階段だけは見たくもないという程に足腰は疲れた!! でも心地よいんです。あぁぁぁ良い旅です。(本日だけで7200歩)          そしてポカラにて湖畔の中華料理店でランチをしてから、空路でカトマンズへ。 通算計算したら今回のトレッキングで13万歩以上を歩いた事になる。素晴らしい体験になりました。ジュウーサンマンポ・・・・ 夕飯はカトマンズのネパール料理店にて、踊りを見ながら平和な時間。

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《8日目》4月21日(火)今日は悲願であった、ヒマラヤの山々を空から見る旅ツアーに参加。カトマンズの国内線空港からプロペラ機でヒマラヤ上空までひとっ飛び!その景色の素晴らしさたる生涯忘れられない景色でした。迫力は満点! しかし石川隊長は本当にスゴいのが『あの山はナンですかぁ!?』の質問に『あれは○○○山で標高○○メートル、そのトナリは○○山で○○メートル、あの山はアタックが難しい・・・あの山はまだ日本人が登頂に成功していない・・・』と完全に”登山オタク”なのだ。 先生の登山の美学は8000メートル以上の山に重装備で登るのは好きではなく、少人数で軽装備でサクッと7000メートル級を軽く登るのが好きなのだそうだ。 一時間のフライトから帰り、そのまま市内観光旅行に出かけた。世界遺産のバクタプール(バクダッドのプールと記憶)を訪れた。

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この街が世界遺産だということは、行ってから知った。その看板をみていきなり有り難い気分になったのだ。ランチはこれまた波田の悲願であった ”ヒマラヤ蕎麦” を食べた。 ネパールは蕎麦の実の産地で美味しい蕎麦が食べられると何かの本で読んだ記憶があったのだ。 事実、美味しかった!! 食後はまた別の街、パダンを訪問。 夕方に激しいスコールがあったが、こんなスコールを体験すると、この街がアジアで雨期を迎えているのだと実感する。夕飯は流石に、なにか別の味のモノを食べたく、イタリアンを食べに行った。しかし街は停電でイタリア・レストランもロウソクの火で超ムーディー!! この店、相当に美味しくて4人でワインを3本とグラスで数杯いただいて、散々食べまくり、なんと御会計は5000円チョイ!(全員分で!) いきなりカトマンズの街が大好きになる体験だった。 ホテルに帰ってダイちゃんは四人の1000枚近くの写真を整理し始めて、今回の旅のDVDの編集を開始した。波田はトナリのベットで平和にお先にお休みした。

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《9日目》4月22日(水)バンコク経由で東京へ!! 帰って風呂に入ろう!!帰って白いゴハンを食べよう! 世界にはまだまだ行かなくてはいけない場所が、ゴマンとあるではないか!!  仕事もしなくちゃ!! こんな旅をすると、本当に身体にエネルギーが湧き出てくるのだ。

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注釈※1 石川龍彦(EX-ダイヤモンド)ホンマもんの登山家(アルピニスト)京都大学在学中から登山三昧!そして就職は休みが多いとの理由で、高校の教師に!(普通、京都大学卒業者は教師にならない(^ .^)y-~~~)長い休みをフル活用してヒマラヤに何度も登頂。それだけでなく後輩育成に尽力。ド素人の仲間を従え、冬山へ!アコンカグア(南米最高峰)やキリマンジャロへ(ー)! 以下は、登山好きならばぶっ飛ぶ登山歴&プロフィールです。
京都大学卒。
日本ヒマラヤ協会理事
協会発表の登山家ランキングでは日本のトップ20に入るほどの実力。
登山暦 主なもの
海外登山 1979年 韓国/インスボン、 岩登り 1980年 カナダ/ヴィクトリア、テンプル他 1983年 旧ソ連/レーニン(7134m) 隊長、登頂 1985年 旧ソ連/コルジェネフスカヤ(7105m)隊長、登頂 コムニズム(7495m) 隊長、登頂 1987年 アルゼンチン/アコンカグア(6959m) 隊長、登頂 1989年 インド/ヌン(7135m) 隊員 1996年 中国/ムスターグ・アタ(7546m) 副隊長、登頂 1997年 中国/ニンチンカンサ(7206m) 登頂 1999年 アルゼンチン/アコンカグア(6959m) 隊長、登頂 1999年 中国/チョムカンリ(7048m) 隊員 2000年 カザフスタン/ハンテングリ(7010m) 隊長、登頂 2002年 アルゼンチン/アコンカグア(6959m) 隊長、登頂 2003年 タンザニア/キリマンジャロ(5895m) 登頂 2003年 パキスタン/パスー東峰(7295m) 登頂

甘いキューバの香り・・・男はハバナを目指す!

メキシコから空路でハバナ国際空港に到着した。やはり社会主義国への入国は緊張する。いきなり目についたのは空港ロビーの天井には万国旗が掲げられている。間違いなくアメリカ国旗だけはない。”オレたち世界中の人と付き合うけどアメリカだけは付き合わないもんね!”と物語っている。(アメリカ国籍の神谷アンドリューは相当に人生の想定外の旅だったようで、モロに緊張! アメリカで初等教育を受けたアンドリューにとってキューバに行く事は日本人のオレ達が北朝鮮に行く感覚と似ているらしい。そういえばオレの英語教師のケニー(完全アメリカ人)も同様にキューバ行きに関しては異常なまでに嫌悪感を示していた。そんな教育をうけているのだ。実際にはキューバは貧しいが相当に平和レベルが高く、歩いていて危険もないし国民は精神的には豊かそうにみえる。なんといっても社会主義なので最低生活が保証されているせいか自殺者は皆無らしい。 空港で緊張のイミグレーション(入国審査)を抜けて荷物をピックしようと思ったら同行者の室町茂がいない・・・奴は何を思ったか、今日のコスチュームは迷彩柄のシャツだった。どうもその挑戦的態度をかわれて別室に連れて行かれたようだ。待つ事、数十分で出て来れた。良かった!! そしてタクシーで30分で市内に入った。

甘いキューバの香り・・・男はハバナを目指す!

決して上等ではないが、位置的に便利なクラシカルなホテルだ。(というか町中にはクラシカルしかない。なにせ時代は1950年代の今のカストロ政権になってから諸外国との国交を断絶したことにより停止。走る車など50年代の羽根がはえた巨体のアメ車かソ連製の車がほとんど。その時代の止まり具合というかモノに支配をされていない雰囲気が面白い。そして町中、何処に行っても音楽に包まれている。国民のほとんどが楽器または歌を歌うといわれている。レストランに入ると”生バンド”は当たり前だ。市街地を散歩して夕飯時になってきたのでレストランを選んだ。だいたい夕飯はスペイン圏などだそうだが10時位が日本の7時位の感覚。従ってオレ達がメシを食う時間はガラガラだ。(カブれて10時まで待ったら倒れちゃう。ランチは機内食のパン一個だった。)ディナーはパエリアをメインとしたスペイン料理。 酒は普通はワインとなるが・・・・実は一昨日、成田発メキシコ往きのJALの機内販売で幻の焼酎の”森伊蔵”を買ってしまったのだ。(一年のうちの限られた期間に限定で販売される。見たら”買う”が鉄則。ちなみに機内では3000円だが市場に出るとプレミアで1万円は軽く超える。)何の考えも無くラッキーとか思い買ってしまったが、よく考えたら”液体物”なので機内持ち込みが出来ないのでメキシコ、またはキューバで飲むしか無い! 持って帰る事は出来ないからね。自業自得とはいえ困った。そして思いついた必殺技がペットボトルに入れてレストランに持ち込んで水のふりして飲むという技であった。最初から水で好きな濃さに割っておいたら尚、便利!(これ前割りという技なんです。氷だと薄まるでしょ!)

甘いキューバの香り・・・男はハバナを目指す!

一応、カモフラージュにキューバの酒”モヒート”は注文。乾杯して飲んでから、我々は酒は弱いから後は水を飲みますね・・みたいな顔をして名酒・森伊蔵を飲んだ。しかし幻の名酒も鹿児島で生まれて、まさか飛行機に乗せられてメキシコ経由でカリブ海のキューバに連れてこられて、その上、ペットボトルに入れられ、カバンの中で半日連れて回され、ワイングラスに注がれ、あげくの果てには故郷の薩摩揚げなどと胃腸のなかでのランデブーを楽しみたかったであろうに、一緒になったのは友達だれもが見た事も無いパエリア・・・少し気の毒になったが、その分、誉めまくって飲んで差し上げた。しかし波田の脳みその中では《森伊蔵=キューバ》の図式が出来てしまい、作者の意図とは違う方向に向いている気がしてしまう。次回出会ったらちゃんと薩摩揚げと一緒にしてあげよう・・・・しかしレストランの従業員は、水を飲んでゴキゲンになるニッポンジンは奇異に見えたに違いない。ホテルに帰ったらホテル従業員の激しいセールス活動を受けた。この国は全員がセールスマン化していて可笑しい。ボーイは葉巻の手配からレストラン斡旋、タクシー斡旋、葉巻の販売までこなす。終いには、仲介人と女の子まで部屋に乱入されてマイッた! 処理を室町に依頼してオレたちは寝た。 翌朝はウルサい目覚めであった。多分昨夜は4~5回は起きてしまった。ホテルは一階の部屋だが回廊の隣で人通りが激しい。なによりキューバ人は朝からテンションが高くて騒がしい。人は最高!! みんなで朝食をしながら本日の行動を検討! ハズせないのはヘミングウェイの屋敷の見学。コヒバ(キューバは最大の葉巻の産地なのだ。その中の最高級ブランド。国営で本当にカッコいい!)あとは・・・別に無い。 近所のフリーマーケットをのぞいて、数点のお土産的人形を購入して、タクシーでヘミングウェイ邸へ。キューバでの観光では相当に人気があるようで、綺麗に修復されヘミングウェイが暮らしていた時と同じ状態である。(古い屋敷を維持、管理するということは相当にお金がかかるのだ。)

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素晴らしい邸宅で置いてある物、全てがカッコいい! 小高い高台にあるのだが本宅とは別にお茶目な離れが10畳間そのまま三階建てのようになっている展望台型の書斎があって相当にいい雰囲気で執筆活動が出来たのだろうと想像がつく。書斎、応接室、ベッドルーム、ゲストルーム、バルコニーからの景色、すべてに文豪ヘミングウェイのこだわりを感じられる。とても素晴らしい時間になった。(オレも印税生活でこんな屋敷に暮らしたい。)その後、タクシーで市内に戻り、腹も減り、国営ホテルのナシオナルデェoクーバに向かう。1930年に出来たままの姿で維持管理され、まさにキューバの顔的なホテル。何となくランチをして、午後の活動に入ろうと思いきや・・・メチャメチャにダルい空気になってロビーのソファーでまったり状態に突入! 『あぁ、今回はビーチに行くチャンスが無かったなぁ!トホホo・・』(砂コレクターなんです。ボクの密かな趣味です。)なんて思った矢先に、アンドリューが『砂をとりにビーチに行きましょう!』と声をかけてくれて行く事に決定!バンザイ!ということでセント・マリアーナビーチに向かった。

甘いキューバの香り・・・男はハバナを目指す!

タクシーで20分、行く道々も気分がよく窓から入る風も、なま暖かく、潮と木々の香りを含んだ素晴らしい風で、今、カリブ海にいるのだと実感した。ビーチはご機嫌だがビーチ対策の服がなくて少々残念だが、目的の砂も回収できたし、プリンプリンのカリビアンな女の子を沢山見る事が出来て幸せだった。タクシーの運転手のオジさんは遠距離のお客を乗せて上機嫌! 帰りは頼みもしないのに色々なベストビューポイントを案内してくれた。みんな、ドーにでもなってチョウだい的な空気で運転手の案内に身を任せた。ホテル・アンボスムンドスというヘミングウェイが居を構えるまで暮らしたホテルでモヒート(ラム&ミントのカクテル)を屋上のバーで飲んだ。その後、全員の意見が合致してホテルに帰りシェスタ(昼寝)をした。夕飯はラ・ポテギータ・デルメディオでキューバ料理を堪能(すばらし店なので波田ケージローの勝手でしょで紹介)実にキューバ的な素晴らしい時間でした。明日は朝、6時の便(朝3時起き!)でメキシコ経由、ロサンジェルス、そしてサンディエゴに向かいます。一日中移動かなぁ??またキューバが好きになったのは間違いない。

甘いキューバの香り・・・男はハバナを目指す!

メキシコでバラガン!!

メキシコで“バラガン”に会う!! 2008年5月19日   東京も過ごしやすい毎日だ。一年のうちで東京が一番好きな時期だ。サンディエゴでリーダーシップセミナーがある。それをさかのぼり五日間が今回の時間的に許される日程。 さて何処に行こう! 南米まで行くには時間が無さ過ぎ・・・アメリカ圏には、慌てて行く場所は無い。(今回はロサンジェルスにサンディエゴの帰りに寄る程度で十分) バハマ諸島か、カンクーンか・・・メンツを見るとビーチで和む気にならない。 ホモ軍団だと見られるのもナンだしなぁ! そうだ!夢の一つである“ルイスバラガンの建築を見る!”を叶えよう。ついでだからキューバまで飛んでキューバミュージックに触れよう。

メキシコでバラガン!!

ルイスバラガンは崇高な建築家だ。個人宅が世界遺産になっている。(他に個人宅が世界遺産になっていう例はあるのだろうか!?) 安藤忠雄氏(名実共に日本が世界に誇る建築家だ。)が敬愛するのがバラガンなのだが、随分前に東京都立美術館で安藤氏がプロデュースした“バラガン展”を見てバラガンに強烈な思いを持つようになったのだ。(バラガンは建築家のノーベル賞にあたるプリッカー賞を受賞している。グアダラハラの裕福なスペイン系の7人兄弟で育ち、若かりし頃世界中を旅して様々を感じていた敬虔なカトリック信者だ。作る作品は光の取り入れ方が絶妙。そしてメキシコの大地を感じる色使いが鮮烈だ。)  時間的な事もあるので見られる範囲を見よう! しかし調べるに、その黄金期の作品の多くはメキシコシティー界隈なので効率良く、回れば大丈夫!という事が発覚。神谷アンドリューがロサンジェルスから来てくれて一緒に回ることにした。アンドリューはツアーの段取りをしてくれて、日本語が話せる、そして建築の知識もあるガイドを捜してくれて手配済み。困ったときのアンドリューなのだ。(まだ困ってなかったけど案件としてアメリカ手配がラクチンと判断、そのかわりキューバに関してはアメリカ内では国交が無いので一切の情報が入らず、波田が手配)・・・・ということで5月19日に日本を出発! 成田でチエックインする際にバンクーバー経由メキシコシティーと聞いてなんだか、えらい遠回りに思ったら地球は丸い事を考慮すると近いらしい。約18時間で無事にメキシコシティーに着いたが、アンドリューがロサンジェルスから来るはずの便が来ていない。途中悪天候ということでアカプルコに行ったらしい。途中で電話連絡がついてホテルで待機することにした。こんな夜の決して安全そうとは言えないメキシコシティーの空港でも、同行の剛の者・福井剛と室町茂がいるとナンにも不安ではない。自分を守るために護身術を習うか、福井を連れて回るかの二者択一ならば後者を選ぶ。 数時間後に無事にアンドリューとホテル・ガレリアプラザで会えた! 食事もまだだったのと、そんなに期待が出来る状態ではなかったが、ホテルのレストランで、皆で盛り上がり・・・・いきなりコンセントを抜いた電気製品のように倒れて寝た。 5月20日 朝は9時に観光会社のガイドさん(大山さん)とドラーバーが迎えに来てくれた。いよいよメキシコのメインイベント“バラガンを観るツアー”だ。基礎知識なし。別段、興味も無いが何となく付いて来ている福井&室町氏がそれなりに楽しみ何かを感じる事を祈るばかりだ。走り出すと町中にブルーのジャカランタが咲き乱れているのが感動だ。 さて、バラガンなど建築物の中では一切の撮影が出来ないと聞いて少し残念だったけど、その分、しっかり肉眼,五感をフル活用して見て回ろう! 最初はバラガンの最高傑作と言われるカプチン修道院を見学。教会といえば教会の形をしているのが普通だが、スペイン様式というのは、まず中庭方式で外界から大きな高い壁でシャットアウト。外から見たらん中に何があるのかわからない。ただの壁なのだ。呼び鈴をならしてシスターが出て来てガイドさんが交渉。(もちろんアポは入れてあるのだが、時々断られるらしい。よかった!まずスペイン語で話さなければ無理そうだし、第一、この場所に来る自信もないし、隣まで来ても探し出せないであろう。)重厚なドアを開けると、散々写真集で予習をいていたので初めて見る景色ではなかった小広場に案内される。スペイン式は周りを囲んで内側に庭を作り、そこから採光をとるのだ。その50?程度の場所にも様々考え尽くされているのだ。その講釈を聞くとまたまた感動!中に入り礼拝堂にはお祈り中の修道女がいて気を使いながら見学。礼拝堂中央に5m?位の十字架がそびえ立つ。ちょっと違和感があるのだが、なんと午前7時過ぎに東側の縦長の窓(床から天井までの幅50センチ程度のスリット)から光が差し込み十字架に当たった光は礼拝堂の正面に光と影により十字架を映し出すしくみになっているのだ。残念ながら曇り空と10時を回っていたので光の演出を見る事は出来なかったが、さぞや感動だろう。この修道院は一時が万事、そんな演出が数々されている。また壁の色も考え尽くされ、光があたると色の変化が感じられるように演出。実はこの教会はバラガンの寄付で出来ている。様々な施主(依頼人)からのリクエストを聞くのが嫌だったバラガンの提案で、寄付するから好きに作らせてほしいという提案をそのまま受け入れたらし。そして没後にあまりにもデザイン重視で使いにくかった部分を修理したらしい。静寂をテーマとしていたバラガンは人生の最終章をここと自宅の往復で費やしたと聞く。巨匠・安藤氏も年に一度はここを訪れてご自身のチューニングをされているらしい。 バラガンのお気に入りのベンチに座ってみたら感無量となった。

メキシコでバラガン!!

メキシコでバラガン!!

そして次なる目的地へ! しかし、この街の運転の秩序はどうなっているのだ! まず東京の常識を当てはめれば大事故だ。メキシコでは“乱暴な運転ほどチャンと家に帰れる。安全運転を心がけると事故する!”というのが定説であるとガイドが言っていてビックリ。ますますこのガイドさんに会えて良かった。 そして折角だからとガイドさんが案内してくれたのが建築家リカルト・リゴレッタの代表作品のアートセンターだ。元ゴルフ場の広大な土地の中に美術大学や様々な芸術系の研究設備がある。その自由な空気に圧倒された。そして驚いたのが植物を考え抜いて植えられて、しっかり育ち管理されている点だった。メキシコは木々を大切にする国で勝手に木々の伐採などやってはいけないらしい。全て市当局の管轄なのだそうだ。だからどこも手入れが行き届いている。日本みたいに木々を大切にしないで勝手に抜きまくる建設業者なんて死刑だなぁ! ジャカランタやコロリン(デイゴ)などが咲いた時に映える壁の色を選ばれている。ちなみにメキシコ人は白を色として考えていなくて、つまらない色という位置づけになっているそうだ。どんどん散歩していると、すこし息が切れ気味になるのは、この街は標高2240m?から3000m?にあるからなのだ。そしてまた命がけドライブで、バラガンが人生のステージとしたバラガン邸を訪問。ここも周りからは只の壁。こんな地味な世界遺産は無い。中に入りやはり予習をしていたカットが実際に肉眼で飛び込み感動は100万倍! 鳥肌たちまくり! こんなモダンで味のある建物が1940年代に考案されて暮らしながら実験をしていたなんて凄い。ガイドさんからバラガンなどの人柄などを聞くと余計に面白かった。バラガンはヨーロッパでフランス人小説家にして画家と造園家という肩書きのフェデリアンバックという人に相当に影響を受けて、家作りと庭作りを同じほどに重要に考えたらしい。その後は近所のバラガンの遺作となったギラルディー邸を見学。小振りながら室内にプールがあり(日本の住宅と比べたら全く小ぶりではないが・・・)それが家の中心をなし、様々に工夫された窓(明かり取り)から差し込む自然光が水の上で芸術的な屈折をなすのだ。三階まで続く階段には手すりが無い。その緊張で場所を変わる演出なのだ。(波田が暮らしていたら酔っぱらいで落ちて即死であろう。) その後はランチ!!当然にメキシカンだ。これホームラン級に美味しかった。ランチ後はやはりリカルドリゴレッタ設計のカミノレアルホテル(1968年のメキシコ五輪の年に竣工)を訪ねた。元祖デザイナーズホテルという趣で凄い。正面玄関にある噴水が凄くて、噴水が日本海の荒れ海みたいにバッシャンバッシャンと洗濯機のごとく凄い勢いで回っているのだ。建築家本人はバラガンからの影響は無いと言っているらしいが、どこをとってもバラガン様式だった。椅子なんかバラガン作の“ミゲリート”がそのままあった。その後はバラカンが設計をしないでデベロッパーになった時代に作った街のラス・アルゴレーダスを見学。馬を共生する生活をテーマにするこの街は馬用の道が特徴で散歩道の最後には馬が水を飲める場所がありカッコいい。雨上がりでユーカリの木々から良い香りがしている。とても体に良さそうな天然ハーブだ。深呼吸しまくった。ちなみにバラガンの生涯を通じての趣味は乗馬だった。そして最後に、バラガンがデザインした街のシンボルである“サテライトタワー”を見た。ベストショットを求めて命がけで道を横断して撮影。見る角度で全然違うものに見えるタワーは時代を超越している。

メキシコでバラガン!!

その後、近所の巨大スーパーに寄り波田は趣味の外国産オイルサーディンの缶詰めを購入(話すと長いから今回はモノケージローでご紹介!)ホテルに一度帰り、ツアーは解散して、近所の屋台的お土産物屋街に行ってみた。民芸的お土産から様々な物を売っていたが、プロレス用覆面を同行の室町が発見して購買に燃えていた。(メキシコと言えば覆面レスラーが名物なのだ。)夜はFonda de Refugioにてイタリアン!アンドリューは相当にテキーラが気に入りストレートでガンガン飲んでクルクルしていた。充実の一日だった。また夢が一つ叶ったし・・・・・(後半のキューバは6月中旬に載せます。お楽しみに!!)

メキシコでバラガン!!

未知の国ブルネイへ・・・・・

ダイヤモンドフォーラムはブルネイ王国と発表されたのは前回の開催地であったニューヨークの最後のフェアウェルパーティーの席上だった。通常、こうやって次回の旅行が公表されると、その後の数日間は、どこを回ってその地に入ろうかとか思いを馳せるのだ。ちなみに、その回のニューヨークの時は以前から行ってみたかった、南米はブラジルのリオデジャネイロとサンパウロを訪れて、数日を過ごしてからニューヨーク入りをした。 それはそれは、楽しい経験が出来た。リオデジャネイロ・・・憧れはあるけれどわざわざ行くには遠すぎる。ついでならばこの上なくし幸せだ。 そして今回のブルネイ・・・・いったいそれは何処なのだ・・・・・映像から想像するとイスラム教の国、そして石油産出国で相当にリッチ。世界に二つしかない7つ星ホテルであるザ・エンパイヤ ホテル&カントリークラブ があるっていう程度。あまりに情報も知識も無くて予定も立たなかった。・・・・・別に何処にも寄らないでただ、真っ直ぐに行って真っ直ぐに帰れば問題ないのだが、なんだかモッタイナイの一言なんですよ。そして地図と飛行機の運航表(日本から直行便はないので、香港、タイ、インドネシア、シンガポール、マレーシアなどを経由して行く必要がある・・・・・ということで以前から寄付を続けているタイのチェンマイのエイズの孤児の施設であるバンロムサイを訪ねようと準備をしていたら、なんと秋になった頃にロイヤルブルネイ航空にフライトをキャンセルされてしまった。航空会社なんて勝手なもんで、こっちがキャンセルしたらお金を取るクセに、あっちからは一方的通達となった。そしてタイ経由の日程的には断念。アンコールワット観光もチェンマイでの雑貨屋めぐりもフッ飛んだ。 もう今更、ストレートに近いルートでブルネイに入るルートから席を探すのは不可能ということで、インドネシアはバリ島を経由を模索したらバッチリ。バリで三日間すごして、直行でブルネイに入れるルートがあり、これはラクチンということで予約。ところが直前にまたまたロイヤル・ブルネイ航空はバリ~ブルネイの直行便をキャンセルしてきた。どうなってんの!!そんな適当な事で国際社会の信頼は獲得出来ないぞ!と叫んだところで、ブルネイの王様の耳には入らない。(ブルネイ航空は王様の所有物。)結局、8日の過激なスケジュールでの移動となった。(ロイヤル・ブルネイ航空の広報部の方、ちゃんと謝罪しないと永久に悪口を言いますよ! 謝罪はね・・・・ボクは甘いものはキライですから!!)
12月5日 午後15時50分のフライトで成田から直行便でバリのデンパサール空港に飛んだ。ファーストクラスの設定が無いフライトなのに機材はファーストのフルフラットを使っていてお得感イッパイ。(ビジネスクラスでファーストに乗れたと言う事。)

未知の国ブルネイへ・・・・・

読書しまくり、映画を見まくりな文化レベルの高い時間を楽しめた。深夜に到着して空港にはホテルの迎えが来てくれていて、そのままホテルにチェックインした。入室後4分で就寝。
12月6日 朝6時にホテルのロビーに集合して堀正樹Wと専属サーフィンガイドのマデ君に案内されてスミニャックから1時間半のバリアンというポイントにサーフィンに出かけた。とっても良い空気のビーチで幸せな時間を過ごせた。なにせ波はいいのに入ってる人数は10人弱ということで気分は最高だった。ただ波田自身が2ヶ月近くサーフィンから遠ざかっていたので体力的な限界が早かった。どうしても最後の最後でパワーが入らないのだ。ということで二時間半位だが楽しんで出た。なかなかタイミングがつかめなかったが、一本のロングライドが決まって気分は爽快!堀はまたまた”親のカタキ打ち”的に攻め込んでいる。堀も一時間後には出てきてシャワーを浴びてから移動した。 ランチは途中のクロボカンのサテカンミン屋(細めの焼き鳥を自家製味噌に漬け込んで味付ける。それを専門的にやっている。)にて食う。三人分で500円程度。(ビンタンビール大瓶二本を含む値段!安っ!!)これが超美味い。本当に美味い。ホームページに紹介しようと思い、住所を聞いたら『住所は無い!!』との事。電話も『無い!!』そんなアホなぁ・・ おまけに店名も無いとの事。・・・・その後、ホテルに帰ってマッタリしてから夕方の1ラウンドということで、今度はチャングービーチのポイントに来た。ここは以前に大和田剛が連れてきてくれた”サーフポイント世界十選”に選ばれていポイントで素敵。その日はチャングーにしては波が無かったらしいが、波田には充分なビッグウェイブだった。m(__)m 二時間半の間に、楽しめる三本の波に乗れてゴキゲンさんだった。入ってから一時間もしたころから地元の小学生は10数人が入ってきて、ものすごい勢いでサーフィンを始めたが、その、すごいレベルの高さでビックリした。(オレ、この先どれだけ頑張れば、こんなレベルになるのだろう。俺、負けてる・・・と見ていてネガティブが入ってきてしまった。) オッサンサーファーは小学生に迷惑をかけないように頑張るのだ。夕焼けをしっかり眺めて帰った。 夕飯は堀正樹と二人でワルン・イタリアという”簡単・バリ風イタリアン料理店”がオススメということで出かけた。そしてその料理は実に多彩で美味しかった。(ここは住所も電話もあるのでご紹介します。) ○紺CAは一緒にゴハンをする予定だったのに・・・・彼女としっぽり・・悪の虫が爆発してしまい来なかった。友情は大切なのになぁ・・・・
12月7日 朝6時にサーフガイドのマデが来てくれて、昨日は入ったチャングーに入った。人数も少なく幸せだったなぁ。昼はホテルのプールサイドでインドネシア料理を食べた。プールサイドの野郎二人は絵的に人迷惑な気がしたのはオレだけだろうか。午後はそのままプールサイドで日光浴&読書。 今回は本は10冊持参してきていて、すでに機内からで三冊を読破。 少し頭も良くなった気がする。(ちなみに読んだのは《頂点のサービス・リッツカールトンとペニンシュラ》《カンブリア宮殿/村上龍×経済人》《人間の関係/五木寛之》読み始めが《養老訓/養老孟司》) 夕方はお洒落なエリアである近所のスミニヤックを散歩して小さな店を見学。家賃が安いからか、様々な国のチャレンジャーが様々な店を出している。来るたびに発見があるのが若い町な証拠なのだろうなぁ。 夕飯は大和田剛と連絡を取って、クロボカンのワルンソバというインドネシア料理店で食事をした。増田C、細見W、橋本T夫妻、進藤ユメT、堀正樹W、大和田剛EX・・・要はバリ経由のブルネイ組みが集まった。終始アホ話とサーフィン話題で盛り上がった。解散して帰ろうと思ったら外はイキナリの豪雨。この熱帯地方の夕立が好きなんだ・・・
12月8日 朝、5時に起床して空港に向かう。冒頭で話したが、アホ・ブルネイ航空のドタキャンでジャカルタ経由に変更となり、そのうえジャカルタで5時間も潰さなくてはいけない羽目となった。結果、ブルネイには夕方の5時過ぎに到着。  空港の税関でオレンジ色の書類に持参してきた酒類を書き込んで申請。実はこの数年で最強の問題が降りかかってきたのだ。なんとブルネイは国をあげての”禁酒”の国。そんな国、あるのかと耳を疑った・・・・以前、行ったモルジブがやはり禁酒の国だが、なんとかなったのだが、ブルネイは一筋縄にはいかないようだ。申請書を出すと受け付けた係官は心なしか犯罪者をみるような、軽蔑の目で見るのだ。中学校の頃に本屋でエロ本を買おうとして店主に見られた目と似ていた。・・・飲酒がそんな悪い事には思えないが・・・・ 暴飲暴食がオレのライフワークなのになぁ。  ホテルまではタクシーで向かう。高畠秀ちゃん夫妻とジョー君と四人で楽しい車内。 エンパイアホテル&リゾートに足を踏み入れて驚いた!なんだぁこのロビーはぁ!なんだぁ!この部屋はぁ!!

未知の国ブルネイへ・・・・・

(豪華絢爛を超えている。黄金蛇口の黄金ベンキブラシだよ!m(__)m) チェックインしてその夜はディナー難民を恐れてあらかじめ日本で夕飯友達(メシダチと呼んでいる。)お願いしていた京都の外川EX御一行と合流してホテルの中のタイ料理に出かけた。そしてイキナリに持ち込みをした焼酎を飲んだ。トムヤンクンと芋焼酎の組み合わせはなかなか好きだ。終始、ここでもバカ話で終わった。そして、やたらにでっかいバスタブに入って和んで入浴。浴槽が大きすぎて滑って、あわや水死するところだった。酔っての入浴は危険だと学習・・・・就寝。
12月9日 《ブルネイ2日目》 今日はフリーチョイスアクティビティーの日。ということでウル・テンブロン国立公園日帰りツアーに参加。(他にはゴルフ、市内観光、エステとか色々準備されている。このコースは明らかに変態系だ。)ボルネオの荘厳な手付かずの原始熱帯雨林を体験することが出来るのだ。参加者は約20人。今回のダイヤモンドフォーラム参加者の殆んどは市内観光とかゴルフをチョイスしていた。我々はホテルを朝の7時半に出発してバスに30分、運河を高速のボートで40分、また小さなマイクロバスに乗り換えて20分、再度、唯一の交通手段の伝統的なロングボートで公園の入り口まで30分。衣服は結構なビショビショ状態。そしていよいよハイライトの1226段の階段を登るトレッキングになった。

未知の国ブルネイへ・・・・・

つり橋を渡り、階段を登って・・・・その道のりは決して楽ではなかった。約40分かかって頂上到着。そこにはアルミの工事現場の足場で作ったキャノピー(鉄塔)がある。その高さは推定30メートル。200段はある鉄塔をまたまた登りきると、ボルネオの密林からポッコリと展望台が出ていて、とんでもない景色を見ることが出来るんです。みんな、オタケビを上げて興奮していた。素晴らしい森林浴を楽しめました。 ランチは下山して皆でバーベキューを食べた。こんな発汗して気分は爽快なのに、ビールが飲めないって厳しいなぁ。また帰りは行きの逆で時間をかけて帰った。ホテルに戻ったのは夕方。 帰って一番先にやった事は、当然に部屋に配給されて冷やされていたビールをプシュッと飲み干した。二本目もプシュッ! ダメって言われると10倍に美味しい。なんて美味しいビールだろう。ちょっと感激。 夜はウエルカムパーティーがあった。本来はガーデンパーティーの予定だったが、夕方のスコールで出来なくなりプールサイドのレストランで行われた。日本全国のダイヤモンドが一同に会して楽しい時間になった。波田は『やぁやぁ!!』と皆さんに久しぶりのご挨拶。  その後、渡辺正人氏の提案でホテル内のボーリング場で”賭けボーリング”をした。(きっと酒がダメなんだから賭け事なんて絶対にダメなんだろうなぁ・・死刑かなぁ。) 波田は恐ろしく下手っぴなのだが、ハンディーを三十点いただき2ゲーム戦った結果、勝った。そうなのだ!!波田は賭け事になるとものスゴイ、パワーが出てくるのだ。と言う事で明日の夕飯はご馳走になることとなった。うふふぅ~~やたらに嬉しい!
12月10日 《ブルネイ3日目》 朝7時からジムで発汗した。外国のホテルのジムはやたらに外人がテンションが高くて好きだ。健康オタクっぽい人々、ビジネスマンが朝からトレーニングに精を出している。 帰ってゆっくりシャワーを浴びてホテル内を散歩。ビーチで砂を採取(これ、小さなボクの趣味なんです。モノケージローを見てください。)写真をたくさん撮ってブラブラして過ごした。 その後、市内観光のシャトルバスでお出かけ。街は・・・・・地味だ。食事は、やはり飲茶でしょ!! ということでローカルなホテルの中のレストランで食べた。何故か一味、足りないのは、やはり料理にもお酒を使わないからかナァ・・・その後、近所のブルネイで一番の繁華街を見たが何も買うものは無かった。ショッピングセンターの最上階に不思議なカフェが二軒あった。 一軒は”ブライダルカフェ”と書いてある。

未知の国ブルネイへ・・・・・

薄暗い中を覗くと周りにはウエディングドレスがかけてあり、真ん中では女の子達がお茶を飲んでいる・・・・・理解不能だ。その隣は、店は明るいカフェで周りでは輸入文房具を売っているという”文具カフェ!” こんな店を考えた事も無かった。沢山のファイルやボールペンを眺めながらお茶・・・・引き続き理解不能だ。 近所の庶民エリアに突入してスーパーマーケットを散策した。プラス思考で考えれば買うものが全く無いので無駄遣いをしないですんで良かった。 今晩は唯一のフリーな日なので、6時に林厚子CA、正人T、山本EX夫妻、岡リエコEX、佐々木穂積W、堀正樹ダブル夫妻、石井俊八・ちかEX、伊藤かずえEXらと中華料理でお食事会を開催。ちょうど夕方はハンパの無い豪雨でものすごい水溜りを駆け抜けて地元の中華料理屋に突入。このフォンムンレストランは、検索ワード”美味しい中華で酒を持ち込める”という条件でAМのホスピタリティーデスクで探した。(多くのレストランは持ち込みがダメなのだ。そんな店はこっちからお断りだぁ!!)静かなローカルな店で個室に案内されて各自、持ち込んできたシャンパン&ワインをテーブルに並べてご満悦。 そのワインのビンを並べて驚喜する我々を見て、従業員は完全に軽蔑の目・・・・そんなの関係ねぇ!! 早々に注文して超盛り上がりながら食事をした。

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本当に楽しい食事だったなぁ。料理も美味しいしワインも最高、それ以上に楽しい仲間なんだなぁ。普段から酒が飲めない佐々木穂積や石井俊八などは割り勘負けがなくて嬉しそう! 二時間のお食事会はアッという間に終わってしまった。帰りもまだ洪水みたい水溜りが残る中、帰って波田の部屋で再度、酒宴は続いたのだった。 正に乱れ狂う異教徒を地元の人々はどんな風に写ったのだろうか・・・・国際問題に発展しない事を祈るばかりだ。
12月11日《ブルネイ4日目》 朝からビジネスセッションが開催。ホテル内の超カッコいい国際会議場のエンパイヤシアターで行われた。新社長のJohnParkerのスピーチは素晴らしかった。完全に参加者の気持ちは一体化していたなぁ。そして日本市場に対しての考え方などを細かに説明してくれた。ちなみに本社社長のダグ・デボスはパーカーに連れられ、日本の庶民の家を見学、山手線、地下鉄に乗り様々な小売店などを見学して日本のマーケットを理解すべく時間を過ごしたらしい。こんなことは今までには無かった事。なにかが変わるなぁ!

未知の国ブルネイへ・・・・・

ランチはまたまたまたまた中華料理。ホテル内の高級中華を食べに行った。雰囲気はお洒落だったが、やはり昨晩のローカル店が美味しかった。 午後は完全なるヒキコモリ状態で部屋でパソコン、読書、時々うたたね・・・そしてジムで発汗大会。こんなの贅沢でいい時間だぁ。今晩はグランドバンケットということで全員、正装(タキシードまたはブラックスーツ) 会場はホテル内のエムパイヤシアターで行われた。荘厳な作りのこのシアターは本当に、タキシードが良く似合う。豪華ディナーも素晴らしい。海外旅行はいくらでも出来るけど、こんなパーティーを海外で経験出来る人なんて、すごい事だ。

未知の国ブルネイへ・・・・・

エンターテイメントは世界中が注目するピュアボイスのヘンリーウェステンラ。(ホセカレーラス、アンドレボッチェリ、などのデュエットパートナー。イギリス王室の前でも歌う。若干20歳にして3枚目のCDを出す実力派。フジテレビ45周年記念ドラマの”白い巨塔”の主題歌も歌う。)がもの凄い美しい声と声量を披露!まさに圧巻的な歌唱力だった。アンコールはなんと”なだそうそう”を歌う。ものすごい感動したなぁ。終了後は中島薫DCAの部屋を見せていただいた。なんと一泊が170万円。出来て七年のホテルだが、その間に泊まったのはクリントンとプーチンだけ。でもそれぞれ一泊だけだった。そこに薫さんは4泊ということで凄い!!室内プールなんて25メートルあって衝撃のデカさで笑えたナァ。

未知の国ブルネイへ・・・・・

クローゼット部屋も8畳、そして専用エレベータまで付いていた。だいたい、こんな部屋に泊まる人は沢山の友達を部屋に呼んじゃうなんて人はまずいないのだ。薫さんの部屋には30人くらいはいたけど広すぎてガラガラ。(*^_^*)豊かなお金持ちなんだなぁ。翌朝はクアラルンプール経由で日本へ帰国する。・・・・・・・・ 今回も新しい経験がテンコ盛りで本当に楽しかった。人生は一回だけ。そして賞味期限付き! こんな旅行にグループの沢山のダイヤモンドを連れてくるのが当面の”夢”だなぁ。こんな楽しい時間を仲間と共有したら最高だよ!!・・・・・一度来てみたらいかが!