この店は有名なサムズレストランというステーキハウス。超超超超超アメリカな のだ。結構、美味しくて素敵な店。まさにアメリカ疑似体験が出来るのだ。ここ で昔、高校生の大平少年はバイトに明け暮れていたらしい。そんな懐かしい話を 聞きながらワインを飲みまくった。とってもいい時間だったなぁ!!

この店は有名なサムズレストランというステーキハウス。超超超超超アメリカな のだ。結構、美味しくて素敵な店。まさにアメリカ疑似体験が出来るのだ。ここ で昔、高校生の大平少年はバイトに明け暮れていたらしい。そんな懐かしい話を 聞きながらワインを飲みまくった。とってもいい時間だったなぁ!!

西海岸といえばアメリカ西部のキャリフォルニアからオレゴン、ワシントン州を指すが、一般的にはキャリフォルニアだろう。そして内陸部も緑豊かなところ、砂漠地帯など様々な顔を持つ。しかし、やはり海岸線の町々が西海岸的な空気がながれている。季節は一年を通じて温暖。夏は暑いが湿気がないので、一般家庭でエアコンをつけるなんて事はない程度。過ごしやすさは世界一。冬も夜はブランケット程度。ヒーターとは殆ど無縁である。(やはりサンフランシスコまで行くと秋からは相当に涼しいが。)まさに天国的な気候。またここぐらい、青い空が似合う所はない。ハワイや南の島は当たり前だが、あくまでもここには都会的なテイストがある。南国ハワイにはアロハが似合う。南の島はファラオ。北京は人民服。しかし西海岸の街に似合うのは少し気取った白に麻のシャツとかスーツとか。勿論、海岸線の街はサーフィンのメッカ。ここにはオシャレなビーチバムがいる。そしてやはりT―シャツが良く似合う。そんな自由な街が続くウエストコーストの代表的都市、ロサンジエェルスからサンフランシスコまでの700キロのドライブ、そして途中の街にふらりと訪ねた旅行をレポート。

10月のロサンジェルス(ここで覚えておこう。西海岸通な人はエルエーと呼ぶ。)は空港に降りると独特の臭いを感じる。これを表現するには相当の文学的センスが必要だが、僕の中のアメリカの臭いなのだ。すこし甘ったるいカンジ。(外人は成田に着くと醤油の臭いがするという。それが日本の臭いなのだろう)そんな空気を感じながらレンタカーをピックアップ。レンタカーを借りて、また返却するたびに思うのだが、このシステムの完璧さはさすがに車社会のアメリカ、実に無駄なく大量の客と車を管理、そして処理していく。地図をみながら早速にフリーウエイに入る。片側5~6車線ある道を相当なスピードで走っている。この道が幾ら走っても無料。タダだと思うといっぱい走りたくなる。これがアメリカ中を縦横無尽に走っている。いったい日本の道路公団の高額料金は何処に入っているのだろうか。今回は大好きなLAは通過するだけ。昼に到着して約200キロ北上したサンタバーバラまで一路、向かう。途中にもマリブなど素晴らしい街があるが、そこを回るのは老後の楽しみに取っておこう。そんなところで和んでいたら目的地サンフランシスコまで1ヶ月かかってしまう。

今回の旅はサンタバーバラからの上のカーメル、モントレー、そして17マイル・ドライブに時間をかけたいのでそこはフリーウエイを使った。本当はパシフィック。コーストハイウェイというまったくの海岸線沿いが素晴らしいのだが・・・。サンタバーバラには3時間弱で到着。静かなリタイアーを楽しむ人やのんびりした時間を楽しみたい人が暮らす街だ。文化レベルは相当に高い。 西海岸の朝にはクリーム色の霧が海岸地方の山岳地帯から太平洋にかけてかかる。朝日が昇り始めると、そのクリーム色のモヤがだんだんと美味しそうなオレンジ色に変化してきた。二日目の朝、桟橋から見たそんな朝焼けは今までの人生で見た朝焼けで最も美しいといえる素晴らしいものだった。こんな朝焼けが見れるだけでも、ココに住んでも良いと思う。(あいにく、時差調整ジョギングの途中なのでカメラは持参していなかった。)

カーメルは小さな最も西海岸的な街だ。ここはかつて俳優のクィーント・イーストウッドが市長をしていたことでも有名だ。ここの、特に海岸線沿いの家(あえて豪邸とはいわない。ゴージャスな家はベルエアーやビバリーヒルズに行けば幾らでも見つかる。)ここの家は決してゴージャスではないが実に品が良い、そして住み手のセンスが光る家が並んでいる。樹齢数百年の木々が素晴らしい。そして自然を破壊することなく上手に融合している。目前に広がる太平洋は雄大だ。美しい波が立ち、誰しもがサーファーに憧れるだろう。街の店も上品な観光客を相手にした個性いっぱいの店が並んでいる。 17マイル・ドライブはまさに奇跡が生んだ美しい世界だ。ゴルフマニアでなくても、名前は聞いたことがあると思うが名門・ぺブルビーチ・ゴルフクラブはここにある。きっとここでゴルフをしたら他の何処にも行きたくなくなるであろう。樹齢数百年の大木と数万年かかって削られた断崖絶壁。美しく荒々しい太平洋の海。これにはどんな建造物もかなわない自然のオーラがある。

サンフランシスコは坂が多い街である。上り下りに運転は技術が必要だ。そのおかげで街のいたる所から絶景が眺められる。坂を登りきって、不意に現れた遠くの海に反射する光・・・本当に、ケーブルカーに乗ったり、タクシーに乗っていても、散歩していても、そんな光景がイキナリ現れて感動する。中華街も大好きだ。観光用の中華的デザインではない、自分達の居心地のよいデザインとしての町がある。そしてゴールデンゲート・ブリッジを走るたびに映画”卒業”のダスティンホフマンになってしまう。アナタもここを歩けば必ずたそがれてしまうことだろう。 今回はキャリフォルニア・ワインの聖地、ナパ・バレーを訪れた。20年前に一度、昨年に2回目。そして今回が3回目の訪ナパだ。キャリフォルニア・ワインの歴史には触れないが、ここにはアメリカンドリームがある。実力ではフランスワインをしのぐと言われるほどにまで成長したキャリフォルニア・ワイン。そのワインナリーを見学出来るのだが情熱を感じる素晴らしい世界だ。

今回、有名なレストランも訪れ美味しいワインと食事も楽しめたが、今回の大発見はニューヨークの超高級デリカテッセン・ DEAN & DELUCA が素晴らしい支店を出していた。天気の良い昼下がりだったので、そこで美味しそうなデリー(御惣菜)を十数品購入して、公園で冷えた白ワイン(勿論ナパ産)とともに昼食をしたのが最高だった。食事は何を食うかより誰と食うかだなあ・・・。楽しい仲間とのリラックスしたランチは御機嫌だ。 今回のコースは実は初めてではない。もう何回も訪れている。しかし、何度来ても新しい発見がここにはある。キャリフォルニアに来るたびに生活は楽しむ為にある・・・・・・と痛感するのだ。きっとこの先何十回も通う事になるであろうパシフィック・コースト。
2014年4月14日 久々にアメリカの西海岸のニュートリライト社と中部ミシガン州のグランドラピッツの本社を表敬訪問するというツアーを企画! 仙台で仲間と飲んでいる時に出た話で翌日から準備開始!様々な情報を集めてみると強行ながら深夜便で時差を利用して西海岸からミシガンに飛ぶと時間節約が出来るとか、宿泊はコスタメサが便利とか、その近所のCAMPという複合施設がやたらに楽しいとか・・・調べる程に楽しみがイッパイ、そしてグループの中でのツアーだったから半分は気心知れている人々なので事前にFacebookでグループでつながっているので様々な連絡事項を伝えたり、自己紹介が済んでいたりと、かなり事前からヒートアップ! 神谷アンドリューと和田洋子Cのご尽力には本当に感謝だった。なにせ豪邸でホームパーティーまで企画してゲストにエクセス社長のデイビットまで呼んでおいてくれたんだ!
以下はFacebookのリアルな日記です。 あぁ楽しかったぁ!!
《世界一のサプリメント!》
ニュートリライト社の普段公開しない研究施設を見学!法律で決められても無いのに製品になる前に500回もの検査を受ける事! その中にはテスターで製品が30分以内に体内で消化されないと全て破棄と言う厳しいチェックもある。

ビタミンCの王様のアセロラチェリー(世界の商業用の90%以上を生産)アセロラは16kgを1kg まで乾燥させる。
プロが見たら涙するクロマトグラフィー(成分分析器)の導入や、二年後の効能を確かめる為に13週間かけて検査するスティビリティーチェンバーなるマシンで検査!(もちろん落ちれば破棄)とにかく法も規制も無いのに自主管理する姿勢には感心あるのみ!
ニュートリライト社はバイオダイナミックス農法にサスティーナブル農法(自然持続可能な農法、現生しているモノは殺さず共生を選ぶ。)を加え 農地の近所の人々にもコミュニティを作り教育を提供したりてもいる。
オレ、感動しちゃった!
またそれを自慢しないニュートリライトの姿勢にも感心。なにせ世界で唯一、自社農園、自社管理、自社制作と言う一貫管理が出来てる会社のなせる”技”
絶対の自信になりましたょ!
なんてったって世界で初めてサプリメントを作った会社だから出来る事です。
そしてシカゴに飛びました!
シカゴの夜景、泣く程に美しかった!
Have a Nice Day!
《 アメリカの”お・も・て・な・し!” 》
“おもてなし” の心はアメリカにもありました! AM本社に到着するや我々を迎えたのはレッドカーペットに社員100人のお出迎え!(昨日はホリデーシーズンなのに)取締役陣のウェルカムスピーチに涙!個人的にはドデかい壁一面の “ウェルカムKEIJIRO” の映像(笑)

世界売り上げ1兆2000億円、社員2万1千人超え、世界65カ国に進出する会社のマメさとは思えない。
そして全員でランチまでご馳走になり本社&開発センター、非公開の工場まで見学。しかし何処を見ても、あの衛生さは尋常じゃなかった。社員が興奮気味に自社自慢するんだけど、そこには50年以上も成長し続けるファウンダース・ファンダメンタル(創業者の哲学と思想)が脈々と伝わりました。
実は個人的だけどアメリカ人のサービスぶりには本当にイヤけがさしててムカついてた。『アナタが海外で言葉の通じぬ外人からそんな態度を取られたらどんな気分ですか?』と英語で正しく覚えとこうと思った事が数回。(特にアメリカ系の航空会社)『二度と乗るか!バーロゥ!』??そんなアメリカ人ばかりでは無い!(笑)
とにかく素晴らしい体験でした。細かい話は後日ね!
《理念のある仕事!》
今回のアメリカ・ツアーは”理念”(ビジョン)と言う事に常に気付かされた。”希望”. “自由”. “家族”. “報われる” 事の大切さをブレる事なく伝え続けて54年の歴史を迎え、なお世界中で成長し続ける企業のポリシー。表向きの理念ばかりで、言ってる事とやってる事が違う企業や、改ざん、偽装とウソばっかりの企業が世の中に沢山ある中で、ひたすらに直向きに、正直に理念に基づいて進む姿勢には感動しかなかった。人を大切に、理念を大切に、成長を大切にしてきたからなし得た成果。
好きなエピソード。AM社は本拠地グランドラピッツに二つのホテルを所有しホテルのアメニティは当然に自社製品を使うけど新聞などを売る売店でジャンプー、髭剃りなど販売する場所では他社製品を販売。店員さんに『なぜAM製品を売らないの?』と聞くと『AMは店頭販売しないから』と言うシンプルな答え! 自分のホテルなのにね。その徹底ぶりが好きです。
創業者のテヴォス&ヴァンアンデル家は街に巨大病院、コンベンションセンター、研究施設を数多く寄付していて街は全米で有数の医療都市、文化都市として成長!それも素晴らしい。

なんだか"成幸"とは何か、人はなぜ仕事をするのか・・・・考えましたね!
生涯、他人の為でなく自分の為、仲間の為に働ける仕事を持つ事に誇りを持てます。
誰かの船に乗って誰かに舵を預ける人生より、自分の船に乗って自分で舵取りした方が、ずっと楽しい。責任の無い仕事は所詮それまで。自分の自分自身の仕事を持ちましょう。
楽しいなぁ!未来は明るい! (少しハードだったけど、皆の笑顔見てたら、また来年もやろうと思いました。)
ハブァ ビューティフル ウィーク!
※昨夜、東京に戻ってきてました!
カリフォルニアのサンフランシスコ、その近郊のバークレーという街は様々の文化が生まれた場所。 その中心にあるU,C,Barkley(ユニバーシティーカリフォルニア・バークレー分校)はものすごいリベラルな雰囲気な大学であると聞く。街はこじんまりとしているが、なんだかインテリジェンスを感じる若者であふれかえっている。そうそう! アップルコンピューターやグーグルの創業者など、名だたるIT起業家達も皆、この地でウロウロしてたのですよ。サンフランシスコの人間の気風は華美を嫌うんです。高級ホテルの前に行ってもロサンジェルスにオラオラいる様な高級車と出会う事は相当に稀な事。外見はシンプル、だけどスーパーリッチみたいな人々が沢山存在する場所なのです。 その街にある、とある有名なカフェは有名中の有名なカフェ。ボクの友人のカフェオーナーはここカフェショパニースを体験するだけの為にサンフランシスコを訪れていた程でした。その友人にならって、せっかく近所のサンフランシスコまで行っていたので、行ってみたら閉店中。というかボヤを出してしまい一時休店していた。がっかりしている時に目の前に入った異様な光景! 道路の間の路側帯(芝生が植わっている地帯)に若者が座り込んで、会話しながらピザをほうばっているのだ。

その先に目をやると長蛇の列。その数、50人!しかしその列の流れは意外に早くて、思わず好奇心は爆発した。そしてその列に並んでみた。どんどん進む列・・・その先には、なんとピザをどんどんと売るカウンター、そしてその奥でどんどん作られる実に見事な流れ作業となったピザ! 幸いに席が取れたので買うつもりも無かったピザを買ってみた。そして食ってみた!! びっくり仰天な美味しさで、それはまさに”リベラルな味”だったのだ。単一の味のピザに群がる人々、途切れない長蛇の列、何もかもが新鮮でした。間違い無くバークレーの人々から愛されまくる店なんですね。そして驚く事に、その店内ではジャズのライブが自然に行われていたのです。もうその自然さも抜群! バークレーの風にメロメロになった夕暮れの時間でした。

その夜はアメリカの旅の最終日。何を食べようか相談していたのに、そのピザで満腹。・・・まさかラストナイトのディナーがそんなアッと言う間に終わるとも想像していなかったが、後悔無し!

ホッドドッグなんてちっとも好きな食べ物ではない。まずい冷えかかったパンに、保存料たっぷりのナンの肉だかわからないソーゼージ、味付けと言えばケチャップにマスタード・・・これが通常のアメリカで食うホッドトッグだ。ハッキリ言うが、栄養バランスをしっかり考えられた犬猫のエサ以下だ。大好きな大リーグ観戦とかのスポーツの合間に小腹が空いた時に食うならばそれで良いが、とてもじゃないが、食事とは考えられない。オヤツでもない。

しかし~~そのホットドッグを劇的に美味しくした店がある。それは”ハンクス・オートドッグ” ハワイはカカコアのコーラル通りにある、外観はかなり年季が入っているけど、決して古くない(2008年7月開業)の、この店はシカゴでオーナーシェフをしていたヘンリーアオヤマ氏が、ご両親の地元であるハワイに戻って開業したのだ。そして一年間の間で、業界紙の”Bon Appetit(ボナペティー/伊語で召し上がれ!)で全米で最も美味しいトップ10の店に紹介されて、人気に追い風!!

普通のメニューが10種類、それにダック、コウベビーフ(神戸ビーフは高級牛肉の代名詞)、ロブスター、ラビット(ウサギ・・フレンチならある!)、バッファロー(わからない!)、アリゲーター(わに)と変わった素材モノも豊富。波田が試したのはCHIORIZO(チョリソ)とFAT BOY (ファットボーイ) というオススメの2種(というかノーマルなメニューが好きなんです。決して最初からチャレンジ精神は無い!)はホットドッグの概念を覆す美味しさだった。

一昔前のアメリカのコーヒーと言えば、”アメリカン”と呼ばれる薄くて不味いモノ、スパゲティーもアルデンテ(程よく硬さが残るパスタ)なんてイタリア料理店でも食べられなかったが、時代とともにコーヒーはスターバックスの台頭で美味しく変化、パスタもアルデンテの美味さは、ちゃんとイタリア料理店では当たり前になった様に、ホットドックもどんどん開発されていくのかもしれない・・・・と、発展途上の国民食の将来の可能性を感じるのでした。

ハワイに到着した初日のランチには時差ボケ対策に軽いものがベスト。オススメな”大人のサイズ”なのも好感がもてる! パッケージを見ているだけでも”アメリカ”を感じますよっ!
サンドイッチをやたらに食いたくなる時がある。春か秋の季節の変わり目かな。天候的にはカラッと晴れた昼下がりだ。決してコンビニで売っているインチキな三角サンドではない。ホテルで出てくるサッパリした上品な物とも違う。僕が好きなのは代官山のトムズかここ上野毛のアンクルサムである。

寿司屋に美味い不味いがあるのと一緒で、当然サンドイッチにもそれはあるに決まっている。素材を考えテマヒマかけた物が当然美味しいし、パンに至っては美味いモノと不味いものの差は天と地の違いがある。昨今、グルメバーガーなる領域が盛り上がっているが、サンドイッチの世界も当然に深いのだ。 サンドイッチの好みは人それぞれだろうが、波田は特にBLT(ベーコンレタストマト)とトマトスープの組み合わせが好きだ。

実はここの店の紹介を書こうと思い数年が経っている。その間に何回も通い、何回もウナって食べていた。でもなかなか書けなかった、(偉そうに・・・・小説家じゃあるまいし!) なぜならば、衝撃の美味さではないが・・・・・どうして美味いかなんて説明できる話じゃない。いいじゃないか美味いのだから!!

サンドイッチの名前の由来が英国のサンドイッチ伯爵がウンヌンなんて書くつもりは無いけれど、このパンにはさんだオカズが美味しいのは、オニギリが美味しいのと共通事項はいくらでもあると思うんです。素材選びも当然に大切なんだろうけど、やはり”愛”なんでしょうかねぇ! それにしても気楽なサンドイッチ・・・値段が決して気楽じゃないのが、この店の残念なところ・・・心して行かないと、ランチにしては御予算オーバーな世界なんです。(笑)

5月29日《LSの帰りに久しぶりにロサンジェルスを訪れた。ジャカランタの花が咲きみだれ爽やかな風が街を吹き抜けていた!》 命の恩人という言葉がある。読んで字のごとく命を救ってくれた人だ。波田は1980年にアメリカに渡っていた。立場的に言えば”留学”という事になっているが勉強なんて学校でする予定はなかった。話せば長いが決めていた事は”アメリカに行く”という事。そしてその文化を体感するという事。 当時は今と較べようの無いくらいアメリカと日本の文化は違っていたし、日本は完全にアメリカ方面を全てに見ていた。今の日本のファッション界をリードする人々もほとんどがアメリカからの影響で育った。まだアメカジ(アメリカンカジュアル)なんて誰も着ていなかった時代だ。要するに、まだまだ未知の事が多い時代だった。当然に強烈にアメリカ文化に憧れていたし、いつかはアメリカを見て回りたい、影響を受けまくりたいと考えていた学生時代だった。しかし渡米の時期を決めるのも延び延びになりオヤジからはこっぴどく説教を受けて逆に期限を付けられてしまった。(そのわりにはオヤジは金銭的援助はなかった・・・)そして80年の4月に渡米・・・そこからの話は映画が一本、いや二本位、撮れる程にドラマがあった。

アメリカへの入国は観光ビザ。という事は自然と30日間と期限が決まられている。実は当初は一度、アメリカに来て学校を捜してから帰り、出直して行くつもりだった。当時は今みたいに入学を斡旋してくれる業者もなかったし、情報も本当になかった。(うちの親は全然知ったこっちゃ無い状態・・・)学校は様々な学校があったが波田が見つけたのはアダルトスクールだった。これはアメリカ政府が移民を受け入れる際に英語がわからないと困るから積極的に英語の指導をしている学校。奇特にも、その学校はビザを発行してくれる。その上に学費が三ヶ月で25セント!という事は年間1ドルだった。しかしビザを収得するには一度、日本に帰る必要がある。それは金銭的には本当に辛い! ということでイミグレーションにかけあうことにした。唯一、銀行にものすごい残高があれば例外的に観光ビザから学生ビザへの書き換えも可能性的にはあると聞いた。波田の残高は・・・・・500ドル程度。死ぬ程に金は無かった。そんな残高でイミグレーション(移民局)に掛け合うのも失礼というか前例がなさすぎたと思う。 実際にオフィスに行ってみた。何時間か待たされて波田の順番に・・・・辞書を見ながら書き込んだ書類と貯金通帳を提出すると、担当官はその通帳の残高を見た瞬間に波田の顔と数字をじっくり見たと思いきや大笑いを始めたのだ。それも机を叩きながら! そして後ろに座る同僚にも”こいつの残高を見てみろよ!!”と見せて廻る・・・意味がわからなかったが、要はこの残高でここに来るとは普通じゃないけど、この冗談みたいな数字を見て彼は何を思ったか”ビザ欲しいか?”と聞いて来たので”イエス”と答えるとバシーンと”受領”のハンコを押してくれたのだ。実にアメリカの”懐”の深さを感じた瞬間だった。そしてそのままアメリカに留まれる事になった。(アメリカ事情に詳しい方に聞くとありえない話だというよ。申請中という状態だとそのまま滞在をする事ができるのだ!)それはそれは、相当に強運だった。やはり聞いてみなければわからない。そしてアメリカ生活は始まった。最初は友達の友達の友達の家に居候。その後、別の友達の友達の家に居候。新聞で見た住み込みのホームステイで居候。そんな宿無しに近い何ヶ月が過ぎた。その間は暇だったから結構、必死で勉強はした。ロサンジェルスは車社会なので車だけはボロだが所有していた。ところが数ヶ月目にそのボロのフォードが壊れたのだ。その修理費は一ヶ月分の食費に相当・・・・辛かったなぁ。ついに貯金の底をついたのが4ヶ月目。(少ない貯蓄を無駄遣いしないように数ヶ月に一度ずつ日本から振込をしてもらっていた。) 残金は20ドルだった。もう終わりだ・・・・そんな時に、急に通りがかりの”UCLA (ユニバーシティーサザンカリフォルニア・ロサンジェルス校)の生活カウンセリング”の看板が目に入った。そこの学生でもないクセに、迷いも無くそのカウンセリングの戸を叩くと、出て来たのは品の良い女性だった。そしてボクの事情を全て話した。そのカウンセラーの女性は、困った人ねぇという顔でメモを渡してくれた。その住所に夜の八時に行きなさいという。という事で帰って夕飯にリンゴ一個を食して夜の指定された時間に出直した。場所はビバリーヒルズ。ものすごい豪邸! ブザーを鳴らすと、先程のカウンセラーの女性がいた。”????”

要はその奥様は、超お金持ちで、ボランティアーで学生の役に立ちたいと生活相談を受けているのだ。そしてそのご夫妻には三人の子供がいたが二人は実の子でサンフランシスコの大学へ。三人目は孤児だったが、その家で育てられ、大学でニューヨークに出た。ということで、もうこれ以上子供はいらないけれど、子供と同じ待遇ならば我が家で受け入れてくれるという。そしてプライバシーも尊重してあげるからプールサイドのサマーハウスに住めという。さっき初めてあったオレを信じてだ。ビックリした。そんなデカイ器の人が世の中にいたなんて・・・まさに破産寸前から人生V字回復を遂げたのだ。危機は回避出来た強運な瞬間だった。ただ夫妻は敬虔なユダヤ教信者なのでドイツ製品は敷地内に入れるなと(意味が分からない人は世界史をひも解こう!)・・・ということで当時乗っていたワーゲンは売却されてジャガーが与えられた。(これものすごいラッキー!!) そしてアメリカ生活は当然に豊かに変化した。とりあえず飢え死にだけは免れたい・・・・・なんてレベルを超えた。その後、アメリカ放浪旅行に出るまでの半年近くをこの家庭で生活させてもらえた。だいたいこんな素晴らしい条件だとハードな労働を強いられることが多い。事実、以前にお世話になった家庭では奴隷のように働かされた。だから覚悟はしていたが、最初の土曜日にダイニングに行くと”お仕事リスト”が置いてあった。メモにはプール掃除から芝刈り、家中の掃除機がけ、部屋の模様替え、カーテンを洗濯・・・・驚く程の量の仕事だ。(アメリカ人はお金持ちでも自分でそのような雑事をやる人が多い)『これ一人でやるのかぁ・・仕方が無いよなぁ、こんな生活させてもらっているのだから・・・』と思っていたらご主人の登場。そしてそのメモを見ながら①③⑤は一緒にやったほうが効率がいい。②④は家内にやってもらおう。⑥⑧はケイジローがやってくれ。⑦⑨はボクがやるから。そして⑩は三人で協力してやろうよ!と言われたのだ。その御主人に『一人で全部やるかとおもった!』と言うと『君は家族だ!』・・・・泣きましたよ!これが人を動かす基本なんだなぁと思ったなぁ・・・・そんな波田の青春の最高な体験をさせてくたビバリーヒルズのMr&Mrsランドレスさん宅を久しぶりに訪問した。ビバリーヒルズは例年以上にジャカランタの薄紫の花が綺麗に咲き乱れていた。突然の訪問、そしてオマケに福井と室町、そして妻を連れての訪問だったが大歓迎をしてくれた。

ランドレス夫妻は本当に元気で、先週まで船旅で一ヶ月間のオーストラリア、ニュージーランドに出かけていたとアルバムを見せて話を聞かせてくれた。まさに悠々自適なリタイア生活をしている。もちろん夫妻は今でもボランティア活動には積極的で、最近まで12年間も中国人家族を家の離れで暮らさせ、親は大学を卒業させて子供も近所の高校に通わせてあげたと言っていた。(簡単な事ではないよ!!) ランドレスさんとの出会いは、波田がアメリカで見て、身体で感じた生のアメリカだ。おれもこんな人間になりたいって本当に感じた人だ。久しぶりに懐かしい良い時間になった。 想い出っていいもんだ。
3月20日、東京は最高とは言えないドヨンとした天気だ。早めに起床して食事をした。昨晩は子供とボクだけだったので質素にしていた。というのも子供と酒を飲んでも盛りあがらないので僧侶のような和定食だった。数日間、日本をあけると様々な雑務を全て片付けなくてはならないので忙しいがスっきりする。長男・元太朗にはアメリカ小遣い稼ぎのニュースのスタンプ押しバイトを任せた。(時給換算100円位、雇用主もお得!)午後1時半に成田に向けて車で出発したがものすごい渋滞をしている。途中でコンビニオニギリなんて好きではないので都立大學駅前の赤坂ラーメンを食ったが中々の美味しさだった。何故か海外に行く前とか帰国後すぐは普段、そんなに食わないのにラーメンが食いたくなる。無事に成田に着いてマルエイ駐車場(25年間に渡って使っている。ジイサンとも旧知の友状態。)に車を預けて空港に行ってチェックインした。今回は初めて子供3人はエコノミーで大人はビジネスクラスということで少し楽になった。(家族皆でエコノミーは体力的に辛く皆でビジネスは財政的に辛い。ちなみにLAまでビジネス往復で60万円位)。出発して即、睡眠誘発剤を投入して熟睡体制に入った。機内での飲食はバナナ一本とミネラルウオーター一本のみ。ひたすらに寝ていた。・・・・・・・・・・・・・・・・・《時差の関係で同日朝に到着》朝9時に到着してアメリカ在住の神谷アンドリューと良子ちゃん(クラウンDDの和田家)(※―1)が迎えに来ていてくれて、そのまま洋子さん宅まで向った。洋子さんの家はLAから車で南下すること約一時間の超豪邸エリアだった。昼前に到着して家の中を案内してもらい数日間を泊めて頂くので部屋を見た。庭でシャンパンを飲んでスイッチがオフし、軽いランチも用意してくれていて和みモードに入った。ゆっくり気味に荷物を整理して準備して時ボケ対策も兼ねてディズニーランドに出発。すこし強行スケジュールだが、家でゆっくりしてしまうと逆に時差ボケで眠くなってしまうので無理やりお出かけだ。ディズニーランドは地元民向けキャンペーンで1日券を購入すると2日に分けてディズニー2つのアミューズメントに入れるパスを購入した。(神谷良子ちゃんは相当なディズニーフリークで年間パスを持っている。なんと結婚式もディズニーで、そして家中にディズニーグッズで溢れているのだ!。)そして最後のショーが終了するまでゆっくりと過した。元太朗がショーの前に買い物をするというので一緒に歩いていたら財布を失ってしまい可哀相だった。さすがアメリカで落とした財布は二度と出てこないので小遣いは消えてしまった!。夜のここでしか催されない”水のペイジェント”は凄かったなあ。そして、とにかく物凄い人出で驚いた。これでも最近のディズニーは不調らしい。夕飯はディズニー内で適当なアメリカ的にファーストフードのピザを食った。こんなジャンキーな食事がアメリカっぽいのだ。みんな実に良く笑って騒いで楽しんだ。遅くに和田家に帰ってから庭のジャクジーに皆で入ってから和んで寝た。決して熟睡ではない時差ボケが薄っすらと残った状況だった。明日からはホームセンター乱入(※―2)などの盛りあがるプログラムがいっぱいだ。この熟睡していないのは久々のアメリカにワクワクしているからかもしれないなあ。(ボクはディズニーなどのアミューズメントがあまり楽しめない。しかし家族持ちとしては拒否権はない。)しかしアメリカの空気を吸い込むとナンだかエネルギーが湧いてくる!!。楽しもう!。(和田家、神谷家のみなさんに歓迎してもらえて本当に嬉しい限りです。感謝、感謝。)
(※―1)和田、神谷家 AM界のまさに新たな潮流というべき家族でアムウェイ登録をしてファミリービジネスを展開している。洋子さんは日本のAMの草分けというか創世記を作り上げた素晴らしい女性。キャパのデカさは宇宙一!。娘と息子、そしてそれぞれのパートナーも素晴らしくアンドリュー(良子ちゃんダンナ)は日本人みたいなアメリカ人みたいな頭脳明晰成績優秀米国人である。日本語はボクより優秀。主婦にモテモテのハンサムガイ。素晴らしい憧れの家族です。(洋子さんはアメリカ、そしてフランスにはお城(シャトー!!)と横浜山手に家を持ち季節に応じて世界を移動。カッコ良すぎです。
(※―2)結局、今回の滞在で庭用暖炉から機械工具、インテリア部品などなどものすごい量のモノを購入。成田では税関で引越しかぁと言われた。
アメリカにも定食屋に相当する店はある。何かを食おうかと目的を持って行くのではなく、腹が減って行ってから何を食おうか考えるという手の店だ。ここでも正しい食べ方というものがある。まず、店の前には新聞を販売する自販機か必ずあるから、英語が読めるとか読めないということに関係なく買う。どうしても買いたくない人は、古い新聞を調達して題目とか日付けを見られることが無いように小脇に抱え、さて準備はできた。これで誰が見ても地元民。まずはカッコから・・・・。(話しかけられるのが恐怖な人はフランス語かスペイン語の新聞を買おう。何故か日本語新聞はあわない。)
大体にそのタイプの店には勤務年数26年みたいな、その店を仕切るオバチャンがいる。これが大体にデブであるが、ここサンタモニカに限っては超健康志向のヘルシー文化の中心地。だから例外的にこの場を盛り上げるべく”デブチンオバさん”は残念ながら居ない。この店にいたのは役者志願っぽい爽やかヒトクセ風の店員Aと元不良系フェロモン出しまくりの女店員B。これが”味出し効果”に一役かっている。波田は初めてこの店に行ったのは20年前、しかしそれから店内改装どころか模様替えすらしていない。別に営業努力を怠っていると言う事ではなく、そんな必要はないのである。この店の真正面はサンタモニカ海岸。10分も北上すればマリブビーチ、南下すればベニスビーチにレドンド、ハモッサと続きサーフィン文化が根付いた街が連なっている。従ってここら辺の地元民は気取る事もなく気軽に美味しいモノが腹イッパイ食えれば最高!!。店に来ている客も原液じゃない現役サーファー、レジェンド風サーファー、近所の大学教授、一夜を共にしたカップル、引退したインテリビジネスマン、たぶんゲイのカップル・・・が和やかに食事をしていた。

さて肝心なメニュー。大きく分けると卵料理(30種類)、ハンバーガー(20種類)、サンドイッチ(20種類)、スープ、サラダ(10種類)とデザートという大充実。残念ながら全メニュー制覇はしていないが、毎回食っている本日のスープ(今回はメキシコ風チリスープ)とアボカドバーガー、BLTサンドの美味さをすれば押して知るべしというかんじ。週末のブランチ・タイムは特に楽しい店内だ。偽(ニセ)アメリカ人の第一歩は、それらしく朝食を食うところから・・・・・・・。キャリフォルニアの朝がグッとパワーアップして楽しくなります。