ピンポイント戦略は”一か八か”・・・勝負をかけるならば絶対に正しい。 このタコス専門店”メキシコ”は入るといきなり、『何人前!?』と聞かれる。『いらっしゃいませ。』もなければ『お暑いですねぇ~』なんて挨拶もなかった。別に愛想がないとか高飛車ということではなくて、単にストレートなのだ。カウンター越しのオヤジさんのスマイルで、そんな一見無愛想な接客もチャラとなる。

メキシコからどんな経緯で、この店までタコスが伝わったのか知るよしもないが、遠路であったことは間違いない。ただ、ここのタコスはアメリカやメキシコで食べる一般のタコスとは一線を画すのだ。 タコスはトルティーヤという小麦粉の皮の中に挽肉、トマト、レタスなどが入っている食べ物だ。(このプレゼン、全然美味しそうじゃないなぁ・・) 原産地は当然にメキシコ。きっと正しいメキシコ人は”サボテンのはえる荒野でソンブレロをかぶりポンチョを着て、片手にテキーラに瓶を抱えてタコスを食う!”なのだ。(多分、メキシコでそんな光景を見る事は不可能だとおもう。それは”秋葉原でチョンマゲをした武士が寿司を食いながらトヨタプリウスに乗る日本人”と同レベルな不思議な今も昔でも見れない妄想なる光景だ。まるで意味不明な方向に行くのには理由がある。この店の事を色々と書きようがないのだ。なぜならこの店の商品はタコスのみ!他に話題が全くなにからね。

ここでタコスを満腹になるまで食ったらどうだろうか・・・・・それは単品がゆえにオススメしない。おやつや小腹が空いたときなどには適しているが食事にはなりえないので、波田のお勧めコースは、ここでタコスを数個(波田は2個)食べて、店から6分の北谷の”浜屋”にて”ゆし豆腐ソバ”または”沖縄ソバ”を食うのが王道だと人々に説いている。(いや、波田は言っている!)とにかく波田は本当の南米のメキシコで10カ所くらいでタコスを食べた。また相当にスペイン文化が浸透してメキシコ人が沢山いるロサンジェルスでも散々食べたが、こんなに美味しいタコスは食べた事が無い。あぁぁぁぁぁぁぁタコス!・・・・・・昨日、昼下がりにメキシコに行ったら定休日だった。店のシャッターを叩いて”開けろー!!”と叫んだが反応はなく淋しい思いをした。代用が効かないのが困ったもんだ。

- タコス専門店 メキシコ 沖縄県宜野湾市伊佐3-1-3 電話098-897-1663
- 営業時間は朝11:30から24:00 定休日 水曜 タコスは4個で500円・・・・・・・以上
メキシコは日本の常識は通用しない。メキシコ人は全てに”テキトー”(適当)である。最近アフリカのノーベル賞を受賞した女性が”もったいない”という日本語での言葉がコンセプトとして美しいと提案し、いまや”もったいない”が国際公用語になっているように、”テキトー”(いい加減・・解釈によっては最先端な言葉だ。いい加減とはちょうどいいという事だな!お風呂が”いいかげん!!”と言うじゃない!)も国際公用語に認定してもらいたい。

ということで誉めてんだかけなしているのだかわからないのがメキシコだ。だいたいメキシコの空港 での入国検査がすごい!各自が、目の前にあるクイズ番組の答える時のボタンみたいなのを、入国する全員が押して”青”ならばそのままゴー!!出国完了。しかし無差別に時々、赤が点灯するとイキなり取り調べを受けることになる。悪人は運勢も悪くボタン押しても、神様がご判断をくださり、赤となる!と波田は勝手に判断。 だから厳しい荷物検査を受ける事になる。・・・・意味が分からない。十数年前にメキシコのカンクンという田舎の空港に降り立った際、そんなシステムを見て大いに笑った。だって超・極悪そうなオッサンが緑ランプが点灯して通過した直後に、孫の顔をみに遠路はるばるやってきたみたいなオバーさんが、見事に赤ランプが点灯して荷物検査を受けているのを目の当たりにしたからだ。そんな笑えるシステムを思い出しながら久々にメキシコシティー(人口2200万人の南米最大の都市)にデザイン化された”善悪判断運勢選択ボタン”が進化もせずに設置されていたからだ。(もちろん波田は緑ランプ!匿名希望の友人は赤ランプ点灯!)・・・これをテキトーと呼ばずになにが適当であろう。・・・このコーナーはメキシコを誹謗中傷するコーナーではない。メキシコ料理を誉め讃えるのが本来の目的。(在日メキシコ大使館の広報官の方!ボクはメキシコ好きです!) 今日は久々のメキシコで先制パンチを食らった。ランチで気を抜いたところに素晴らしく美味しいメキシコ料理であった。メキシコの外食産業は凄くてメキシコシティーの真ん中を貫く南北に48キロ通じるインスルヘンラス通りには6000軒ものレストランがある。そんな過当競争のなかで紹介されたのが”エル・フォゴンシート”基本的メキシカンなレストランであった。

メキシコ人にとって外食の優先順位は①雰囲気 ②値段 ③味 らしい!ということで雰囲気はヨロシイ!合格だ。波田チームは5人なのでお得意な中華方式を採用して”人気商品注文しまくりドンドン片っ端から食べまくり法”で発注。 チームワークを問われるのだ。前菜の”アステカスープ”別名トリティージャスープはナチョスをフライにして砕いてアボカドと一緒にチキンスープに! 激美味い。 ”クレマーポブラノ”(ピーマンの唐辛子のクリームスープ)も美味い! コンソメスープは個人的にはダメだなぁ! そして満塁ホームランは”アラングレコンケソ”(オムレツの形で中に牛みじん切り、タマネギ、ピーマン、ベーコン、チーズオムレツをケソニチーズでくるんで焼いてある。これを崩しながらトルティーヤ(メキシコ料理の基本。とうもろこしの粉を焼いた小ぶりのパンケーキ)に巻いてタコスみたいに食す。とにかく何でもトルティーヤで巻きまくるのだ。チーズの解け具合とトルティーヤがベストマッチ! また”モロカヘーテ”(サルサなどのソースを作る石ウスの名前を流用)牛肉、パネラチーズ(リコッタみたいな無脂肪チーズ)なんとサボテン、そう砂漠に生えるヤツ!(血糖値を下げ、コリステロールを正常化)アボカドなどが煮込まれていて、これをまたサルサで巻きまくり!激ウマい!! メキシコ料理の基本はサルサソース! サルサベルデ(緑のソースは緑トマト、唐辛子、タマネギ、ニンニクとミキサーで混ぜる)、サルサメヒカートはメキシコの国旗の色。 赤ピーマン、たまねぎ、唐辛子、コリアンダーのみじん切りを混ぜたもの。これも必須で巻物に好みに合わせてブチ込む! ”ワカモレ”というアボカドのディップもたまりません!!

そうだ! 最初に食べた”タコスアルパストール”(トルコ料理のシシカバブーを巻いて食べる。 店頭で実演販売の肉の串刺しぐるぐる焼きだ。)も美味かった。そしてメキシコのビールのコロナかドスエックスと共に食すのが正しい。マルガリータも正しい。メキシコ人はこうやって何でも巻いてやって来たんだな!! そうだ!”テキトー”にいってみよう! 陽気なメキシカンなミュージックで気分は倍増!!またメキシコにくる日が楽しみだ。
- エル・フォゴンシート(El Fogoncito) Leibnitz No.54Col.Anzures Mexico D,F
- www.fogoncito.com 電話 5531-649
沖縄で友達からタコスを食おうと誘われ、頭の中では”タコ酢”をイメージしていた。それ程に食いたいという衝動にかられたことがない食べ物だった。世の中から無くなったって全然困らない食い物、それが波田のタコス観だった。タコスとは元々はメキシコの食い物で、登場する食材はトルティーヤ(小麦粉素材)、ひき肉、レタス、チーズとトマト位だから味も知れていると考えていた。しかし、沖縄にそのタコスを崇高な域に高めた店があった。メキシコ生まれの沖縄育ちとは想像を絶する濃い系な顔(ソース系を越して中濃ソースかケチャップかぁ・・。)をイメージ出来るが、決してそんな育ち方はしていなかったのだ。

ファーストフードに在りがちな、味気なさなんて全然無い素晴らしい食い物で、挽肉の味付けなんか努力を感じてしまうし、トルティーヤはわざと少々柔らかめに作ってあるので相性が抜群だった。(コーンフラワーと小麦粉にスパイスをブレンド) アメリカで評判の寿司屋なんかに行ってみると、驚くような寿司に出会う。最近だとサーモンスキンロール(鮭の皮を塩で焼いて細く切って巻物にしてある。)なんて日本人でも、オホーツク海の鮭専門海産物問屋でも思いつかない料理が色々と出るのだ。”すき焼”だって、アメリカで食うと牛丼の化け物というか牛肉の甘辛煮みたいな”すき焼”が出てくる。アメリカで”すき焼”を本当に食いたくて、それが出てきたら衝撃をうけるであろうが、それが現地の人間には美味しいのだ。ラーメンだって元は中華料理なのは誰しもが認める所だが、いまや完全な別モンになって日本の食べ物に進化している。ニッポンジンぐらい”食”に創作欲をもつ国民はいないといわれているが、そんなメキシコ産のタコスをここまで崇高に仕上げているのには恐れ入る。

チャーリータコスは創業1956年。生みの親は沖縄市のチャーリー勝田さん、昔はタコスを”多幸寿”と書いていた!。とにかく、ここの店に限らず沖縄にはタコスとか”タコライス”(御飯の上にタコスの材料がのっている)とかの、美味いタコスが食える店が数多くあるのだ。そうだ!、想像力が全ての原点なのだと痛感した!!。 (しかし、この店、恐ろしく静かなんです。やる気が無いんじゃなくて・・・・沖縄の風なんでしょうか。シ~~~~~~ンです。)
- チャーリータコス 沖縄県沖縄市中央4-11-5 TEL098-937-4627
- ビーフ、ツナ、チキンの3種。結構、数食えちゃいます。しかし1個当り180カロリー以下です。
バニアンツリーホテルでの最終日のパーティー! よく考えたら海外でパーティーが日常というのは素敵だ!(笑)


メキシコでの一週間は実に濃厚だった。カリブ海にシビレました!!



メキシコから空路でハバナ国際空港に到着した。やはり社会主義国への入国は緊張する。いきなり目についたのは空港ロビーの天井には万国旗が掲げられている。間違いなくアメリカ国旗だけはない。”オレたち世界中の人と付き合うけどアメリカだけは付き合わないもんね!”と物語っている。(アメリカ国籍の神谷アンドリューは相当に人生の想定外の旅だったようで、モロに緊張! アメリカで初等教育を受けたアンドリューにとってキューバに行く事は日本人のオレ達が北朝鮮に行く感覚と似ているらしい。そういえばオレの英語教師のケニー(完全アメリカ人)も同様にキューバ行きに関しては異常なまでに嫌悪感を示していた。そんな教育をうけているのだ。実際にはキューバは貧しいが相当に平和レベルが高く、歩いていて危険もないし国民は精神的には豊かそうにみえる。なんといっても社会主義なので最低生活が保証されているせいか自殺者は皆無らしい。 空港で緊張のイミグレーション(入国審査)を抜けて荷物をピックしようと思ったら同行者の室町茂がいない・・・奴は何を思ったか、今日のコスチュームは迷彩柄のシャツだった。どうもその挑戦的態度をかわれて別室に連れて行かれたようだ。待つ事、数十分で出て来れた。良かった!! そしてタクシーで30分で市内に入った。

決して上等ではないが、位置的に便利なクラシカルなホテルだ。(というか町中にはクラシカルしかない。なにせ時代は1950年代の今のカストロ政権になってから諸外国との国交を断絶したことにより停止。走る車など50年代の羽根がはえた巨体のアメ車かソ連製の車がほとんど。その時代の止まり具合というかモノに支配をされていない雰囲気が面白い。そして町中、何処に行っても音楽に包まれている。国民のほとんどが楽器または歌を歌うといわれている。レストランに入ると”生バンド”は当たり前だ。市街地を散歩して夕飯時になってきたのでレストランを選んだ。だいたい夕飯はスペイン圏などだそうだが10時位が日本の7時位の感覚。従ってオレ達がメシを食う時間はガラガラだ。(カブれて10時まで待ったら倒れちゃう。ランチは機内食のパン一個だった。)ディナーはパエリアをメインとしたスペイン料理。 酒は普通はワインとなるが・・・・実は一昨日、成田発メキシコ往きのJALの機内販売で幻の焼酎の”森伊蔵”を買ってしまったのだ。(一年のうちの限られた期間に限定で販売される。見たら”買う”が鉄則。ちなみに機内では3000円だが市場に出るとプレミアで1万円は軽く超える。)何の考えも無くラッキーとか思い買ってしまったが、よく考えたら”液体物”なので機内持ち込みが出来ないのでメキシコ、またはキューバで飲むしか無い! 持って帰る事は出来ないからね。自業自得とはいえ困った。そして思いついた必殺技がペットボトルに入れてレストランに持ち込んで水のふりして飲むという技であった。最初から水で好きな濃さに割っておいたら尚、便利!(これ前割りという技なんです。氷だと薄まるでしょ!)

一応、カモフラージュにキューバの酒”モヒート”は注文。乾杯して飲んでから、我々は酒は弱いから後は水を飲みますね・・みたいな顔をして名酒・森伊蔵を飲んだ。しかし幻の名酒も鹿児島で生まれて、まさか飛行機に乗せられてメキシコ経由でカリブ海のキューバに連れてこられて、その上、ペットボトルに入れられ、カバンの中で半日連れて回され、ワイングラスに注がれ、あげくの果てには故郷の薩摩揚げなどと胃腸のなかでのランデブーを楽しみたかったであろうに、一緒になったのは友達だれもが見た事も無いパエリア・・・少し気の毒になったが、その分、誉めまくって飲んで差し上げた。しかし波田の脳みその中では《森伊蔵=キューバ》の図式が出来てしまい、作者の意図とは違う方向に向いている気がしてしまう。次回出会ったらちゃんと薩摩揚げと一緒にしてあげよう・・・・しかしレストランの従業員は、水を飲んでゴキゲンになるニッポンジンは奇異に見えたに違いない。ホテルに帰ったらホテル従業員の激しいセールス活動を受けた。この国は全員がセールスマン化していて可笑しい。ボーイは葉巻の手配からレストラン斡旋、タクシー斡旋、葉巻の販売までこなす。終いには、仲介人と女の子まで部屋に乱入されてマイッた! 処理を室町に依頼してオレたちは寝た。 翌朝はウルサい目覚めであった。多分昨夜は4~5回は起きてしまった。ホテルは一階の部屋だが回廊の隣で人通りが激しい。なによりキューバ人は朝からテンションが高くて騒がしい。人は最高!! みんなで朝食をしながら本日の行動を検討! ハズせないのはヘミングウェイの屋敷の見学。コヒバ(キューバは最大の葉巻の産地なのだ。その中の最高級ブランド。国営で本当にカッコいい!)あとは・・・別に無い。 近所のフリーマーケットをのぞいて、数点のお土産的人形を購入して、タクシーでヘミングウェイ邸へ。キューバでの観光では相当に人気があるようで、綺麗に修復されヘミングウェイが暮らしていた時と同じ状態である。(古い屋敷を維持、管理するということは相当にお金がかかるのだ。)

素晴らしい邸宅で置いてある物、全てがカッコいい! 小高い高台にあるのだが本宅とは別にお茶目な離れが10畳間そのまま三階建てのようになっている展望台型の書斎があって相当にいい雰囲気で執筆活動が出来たのだろうと想像がつく。書斎、応接室、ベッドルーム、ゲストルーム、バルコニーからの景色、すべてに文豪ヘミングウェイのこだわりを感じられる。とても素晴らしい時間になった。(オレも印税生活でこんな屋敷に暮らしたい。)その後、タクシーで市内に戻り、腹も減り、国営ホテルのナシオナルデェoクーバに向かう。1930年に出来たままの姿で維持管理され、まさにキューバの顔的なホテル。何となくランチをして、午後の活動に入ろうと思いきや・・・メチャメチャにダルい空気になってロビーのソファーでまったり状態に突入! 『あぁ、今回はビーチに行くチャンスが無かったなぁ!トホホo・・』(砂コレクターなんです。ボクの密かな趣味です。)なんて思った矢先に、アンドリューが『砂をとりにビーチに行きましょう!』と声をかけてくれて行く事に決定!バンザイ!ということでセント・マリアーナビーチに向かった。

タクシーで20分、行く道々も気分がよく窓から入る風も、なま暖かく、潮と木々の香りを含んだ素晴らしい風で、今、カリブ海にいるのだと実感した。ビーチはご機嫌だがビーチ対策の服がなくて少々残念だが、目的の砂も回収できたし、プリンプリンのカリビアンな女の子を沢山見る事が出来て幸せだった。タクシーの運転手のオジさんは遠距離のお客を乗せて上機嫌! 帰りは頼みもしないのに色々なベストビューポイントを案内してくれた。みんな、ドーにでもなってチョウだい的な空気で運転手の案内に身を任せた。ホテル・アンボスムンドスというヘミングウェイが居を構えるまで暮らしたホテルでモヒート(ラム&ミントのカクテル)を屋上のバーで飲んだ。その後、全員の意見が合致してホテルに帰りシェスタ(昼寝)をした。夕飯はラ・ポテギータ・デルメディオでキューバ料理を堪能(すばらし店なので波田ケージローの勝手でしょで紹介)実にキューバ的な素晴らしい時間でした。明日は朝、6時の便(朝3時起き!)でメキシコ経由、ロサンジェルス、そしてサンディエゴに向かいます。一日中移動かなぁ??またキューバが好きになったのは間違いない。

メキシコで“バラガン”に会う!! 2008年5月19日 東京も過ごしやすい毎日だ。一年のうちで東京が一番好きな時期だ。サンディエゴでリーダーシップセミナーがある。それをさかのぼり五日間が今回の時間的に許される日程。 さて何処に行こう! 南米まで行くには時間が無さ過ぎ・・・アメリカ圏には、慌てて行く場所は無い。(今回はロサンジェルスにサンディエゴの帰りに寄る程度で十分) バハマ諸島か、カンクーンか・・・メンツを見るとビーチで和む気にならない。 ホモ軍団だと見られるのもナンだしなぁ! そうだ!夢の一つである“ルイスバラガンの建築を見る!”を叶えよう。ついでだからキューバまで飛んでキューバミュージックに触れよう。

ルイスバラガンは崇高な建築家だ。個人宅が世界遺産になっている。(他に個人宅が世界遺産になっていう例はあるのだろうか!?) 安藤忠雄氏(名実共に日本が世界に誇る建築家だ。)が敬愛するのがバラガンなのだが、随分前に東京都立美術館で安藤氏がプロデュースした“バラガン展”を見てバラガンに強烈な思いを持つようになったのだ。(バラガンは建築家のノーベル賞にあたるプリッカー賞を受賞している。グアダラハラの裕福なスペイン系の7人兄弟で育ち、若かりし頃世界中を旅して様々を感じていた敬虔なカトリック信者だ。作る作品は光の取り入れ方が絶妙。そしてメキシコの大地を感じる色使いが鮮烈だ。) 時間的な事もあるので見られる範囲を見よう! しかし調べるに、その黄金期の作品の多くはメキシコシティー界隈なので効率良く、回れば大丈夫!という事が発覚。神谷アンドリューがロサンジェルスから来てくれて一緒に回ることにした。アンドリューはツアーの段取りをしてくれて、日本語が話せる、そして建築の知識もあるガイドを捜してくれて手配済み。困ったときのアンドリューなのだ。(まだ困ってなかったけど案件としてアメリカ手配がラクチンと判断、そのかわりキューバに関してはアメリカ内では国交が無いので一切の情報が入らず、波田が手配)・・・・ということで5月19日に日本を出発! 成田でチエックインする際にバンクーバー経由メキシコシティーと聞いてなんだか、えらい遠回りに思ったら地球は丸い事を考慮すると近いらしい。約18時間で無事にメキシコシティーに着いたが、アンドリューがロサンジェルスから来るはずの便が来ていない。途中悪天候ということでアカプルコに行ったらしい。途中で電話連絡がついてホテルで待機することにした。こんな夜の決して安全そうとは言えないメキシコシティーの空港でも、同行の剛の者・福井剛と室町茂がいるとナンにも不安ではない。自分を守るために護身術を習うか、福井を連れて回るかの二者択一ならば後者を選ぶ。 数時間後に無事にアンドリューとホテル・ガレリアプラザで会えた! 食事もまだだったのと、そんなに期待が出来る状態ではなかったが、ホテルのレストランで、皆で盛り上がり・・・・いきなりコンセントを抜いた電気製品のように倒れて寝た。 5月20日 朝は9時に観光会社のガイドさん(大山さん)とドラーバーが迎えに来てくれた。いよいよメキシコのメインイベント“バラガンを観るツアー”だ。基礎知識なし。別段、興味も無いが何となく付いて来ている福井&室町氏がそれなりに楽しみ何かを感じる事を祈るばかりだ。走り出すと町中にブルーのジャカランタが咲き乱れているのが感動だ。 さて、バラガンなど建築物の中では一切の撮影が出来ないと聞いて少し残念だったけど、その分、しっかり肉眼,五感をフル活用して見て回ろう! 最初はバラガンの最高傑作と言われるカプチン修道院を見学。教会といえば教会の形をしているのが普通だが、スペイン様式というのは、まず中庭方式で外界から大きな高い壁でシャットアウト。外から見たらん中に何があるのかわからない。ただの壁なのだ。呼び鈴をならしてシスターが出て来てガイドさんが交渉。(もちろんアポは入れてあるのだが、時々断られるらしい。よかった!まずスペイン語で話さなければ無理そうだし、第一、この場所に来る自信もないし、隣まで来ても探し出せないであろう。)重厚なドアを開けると、散々写真集で予習をいていたので初めて見る景色ではなかった小広場に案内される。スペイン式は周りを囲んで内側に庭を作り、そこから採光をとるのだ。その50?程度の場所にも様々考え尽くされているのだ。その講釈を聞くとまたまた感動!中に入り礼拝堂にはお祈り中の修道女がいて気を使いながら見学。礼拝堂中央に5m?位の十字架がそびえ立つ。ちょっと違和感があるのだが、なんと午前7時過ぎに東側の縦長の窓(床から天井までの幅50センチ程度のスリット)から光が差し込み十字架に当たった光は礼拝堂の正面に光と影により十字架を映し出すしくみになっているのだ。残念ながら曇り空と10時を回っていたので光の演出を見る事は出来なかったが、さぞや感動だろう。この修道院は一時が万事、そんな演出が数々されている。また壁の色も考え尽くされ、光があたると色の変化が感じられるように演出。実はこの教会はバラガンの寄付で出来ている。様々な施主(依頼人)からのリクエストを聞くのが嫌だったバラガンの提案で、寄付するから好きに作らせてほしいという提案をそのまま受け入れたらし。そして没後にあまりにもデザイン重視で使いにくかった部分を修理したらしい。静寂をテーマとしていたバラガンは人生の最終章をここと自宅の往復で費やしたと聞く。巨匠・安藤氏も年に一度はここを訪れてご自身のチューニングをされているらしい。 バラガンのお気に入りのベンチに座ってみたら感無量となった。


そして次なる目的地へ! しかし、この街の運転の秩序はどうなっているのだ! まず東京の常識を当てはめれば大事故だ。メキシコでは“乱暴な運転ほどチャンと家に帰れる。安全運転を心がけると事故する!”というのが定説であるとガイドが言っていてビックリ。ますますこのガイドさんに会えて良かった。 そして折角だからとガイドさんが案内してくれたのが建築家リカルト・リゴレッタの代表作品のアートセンターだ。元ゴルフ場の広大な土地の中に美術大学や様々な芸術系の研究設備がある。その自由な空気に圧倒された。そして驚いたのが植物を考え抜いて植えられて、しっかり育ち管理されている点だった。メキシコは木々を大切にする国で勝手に木々の伐採などやってはいけないらしい。全て市当局の管轄なのだそうだ。だからどこも手入れが行き届いている。日本みたいに木々を大切にしないで勝手に抜きまくる建設業者なんて死刑だなぁ! ジャカランタやコロリン(デイゴ)などが咲いた時に映える壁の色を選ばれている。ちなみにメキシコ人は白を色として考えていなくて、つまらない色という位置づけになっているそうだ。どんどん散歩していると、すこし息が切れ気味になるのは、この街は標高2240m?から3000m?にあるからなのだ。そしてまた命がけドライブで、バラガンが人生のステージとしたバラガン邸を訪問。ここも周りからは只の壁。こんな地味な世界遺産は無い。中に入りやはり予習をしていたカットが実際に肉眼で飛び込み感動は100万倍! 鳥肌たちまくり! こんなモダンで味のある建物が1940年代に考案されて暮らしながら実験をしていたなんて凄い。ガイドさんからバラガンなどの人柄などを聞くと余計に面白かった。バラガンはヨーロッパでフランス人小説家にして画家と造園家という肩書きのフェデリアンバックという人に相当に影響を受けて、家作りと庭作りを同じほどに重要に考えたらしい。その後は近所のバラガンの遺作となったギラルディー邸を見学。小振りながら室内にプールがあり(日本の住宅と比べたら全く小ぶりではないが・・・)それが家の中心をなし、様々に工夫された窓(明かり取り)から差し込む自然光が水の上で芸術的な屈折をなすのだ。三階まで続く階段には手すりが無い。その緊張で場所を変わる演出なのだ。(波田が暮らしていたら酔っぱらいで落ちて即死であろう。) その後はランチ!!当然にメキシカンだ。これホームラン級に美味しかった。ランチ後はやはりリカルドリゴレッタ設計のカミノレアルホテル(1968年のメキシコ五輪の年に竣工)を訪ねた。元祖デザイナーズホテルという趣で凄い。正面玄関にある噴水が凄くて、噴水が日本海の荒れ海みたいにバッシャンバッシャンと洗濯機のごとく凄い勢いで回っているのだ。建築家本人はバラガンからの影響は無いと言っているらしいが、どこをとってもバラガン様式だった。椅子なんかバラガン作の“ミゲリート”がそのままあった。その後はバラカンが設計をしないでデベロッパーになった時代に作った街のラス・アルゴレーダスを見学。馬を共生する生活をテーマにするこの街は馬用の道が特徴で散歩道の最後には馬が水を飲める場所がありカッコいい。雨上がりでユーカリの木々から良い香りがしている。とても体に良さそうな天然ハーブだ。深呼吸しまくった。ちなみにバラガンの生涯を通じての趣味は乗馬だった。そして最後に、バラガンがデザインした街のシンボルである“サテライトタワー”を見た。ベストショットを求めて命がけで道を横断して撮影。見る角度で全然違うものに見えるタワーは時代を超越している。

その後、近所の巨大スーパーに寄り波田は趣味の外国産オイルサーディンの缶詰めを購入(話すと長いから今回はモノケージローでご紹介!)ホテルに一度帰り、ツアーは解散して、近所の屋台的お土産物屋街に行ってみた。民芸的お土産から様々な物を売っていたが、プロレス用覆面を同行の室町が発見して購買に燃えていた。(メキシコと言えば覆面レスラーが名物なのだ。)夜はFonda de Refugioにてイタリアン!アンドリューは相当にテキーラが気に入りストレートでガンガン飲んでクルクルしていた。充実の一日だった。また夢が一つ叶ったし・・・・・(後半のキューバは6月中旬に載せます。お楽しみに!!)

2013年4月15日 EDC(ExectiveDiamondCouncil)なる旅がメキシコのマヤで開催。最高にハイグレードな旅なんですけど、なんと”4/17にメキシコのカンクンで待ち合わせ!”って感じで現地集合みたいな旅なんです。まぁ旅慣れた人ばかりだからオッケーなんでしょうけど。(笑) カンクンは過去に行った事があって、あまり大好きなタイプではない場所なんだけど(東京のお台場みたいな!人工的に作られた場所という感じ。)会社が用意してくれるホテル(バニアンツリー)は間違い無く素晴らしいからもちろん楽しみ。だいたい遺跡マニアにはたまらないであろう”マヤ遺跡”なんて世界遺産もあるから見所はいろいろとあるんでしょうね。

さておき、せっかくそこまで行くのならば何処か前後で行った事の無い場所を攻めようかと”旅友”のアンドリューと相談して南米の北の方(要するに中米)の8カ国を訪問計画。服部テッちゃんも参加。スケジュールをたてていくうちに、その中に”世界の危険な都市ベスト10”に入っている都市が三つもあって、流石に死ぬ思いまでして行くのはドーヨ!? と言う事で軽く断念。(笑) 今回はロサンジェルスからマイアミに飛んで最初の訪問国がグァテマラ。そしてエルサルバドル、ニカラグア、パナマ、コロンビアを訪問! なんとどの国も”昔から行ってみたかった都市”では全くないんだけど、とにかく行ってみよう!! 何があるかわからないからこそ行ってみよう! 旅の情報誌、地球の歩き方なんて買って読んでみたけど決してワクワクする街には思えないけど~~行ってみよう! 友達、誰に話しても誰も羨ましがらないからこそ行ってみよう! メシが美味いとも思えないけど、行ってみよう! でも行ったら何かあるに違いない。それが旅というもんです。だから行ってみよう!!そんな旅を待ち合わせ場所のメキシコのカンクンに行く前に計画。 到着日はLAで乗り継ぎに21時間もあるので久々のロサンジェルスを楽しみましょ。サーフショップ巡りにビバリーヒルズで豪邸見学、好きな美術館もある。そう、やる事は沢山ある! カンクン(メキシコ)の帰りにはサンフランシスコで一週間過ごします。ヨセミテ・ナショナルパークやナパバレーなど行ってみようかと!
何が起こるかわからない”旅”こそボクの好奇心を最高潮にあげてくれる至福の時間!
《人が旅をするのは到着するためではなく旅をする為である。/ゲーテ》 旅は決して目的地に到着する為に旅しているのではなく、極論を言えば目的地は何処でも旅に出ている事が重要だと思う。団体旅行などは時間通りに目的地を一つずつクリアーするのが重要なんでしょうけど、それはボクの求めている旅とは違います。
人生はたった一度だけ。だから旅したい!
《この日記が配信される頃はパナマ運河を眺めている頃かと・・・!便利な時代だなぁ!》
PV-BV Corporation. Presented by Keijiro Hada