10月14日、晴れ、朝起きて1時間、砧公園をジョキングをして発汗。ゆっくり入浴してから9時を目指して千葉へ向かった。(相変らずの早起き男)今日は格闘家・福井君(※―4)に付き合ってもらって、ジョイフル本田(※―1)とコストコ(※―2)に行くのだ。ボクのVV号(ブイブイ号)のナビゲーションは超頭が悪くて待ち合わせ場所を間違えてしまい格闘家・福井君に迷惑をかけてしまった。(このナビが馬鹿なんだ!、馬鹿なんだぁ!と事あるごとに言っていたら学習したらしく、どんどん馬鹿になっていった。)結局、福井君を乗せてボクの車に二人で乗ってジョイフル本田印旛沼店に始めての公式訪問が出来た。ここのホームセンターの規模は常識では考えられない巨大さで、アメリカのホームセンター事情に詳しい波田啓次郎氏もビックリの巨大さだった。きっと通常の体育館の20個分位あるとおもう。いやもっとかもしれない。とにかく品揃えもジョイフル本田は芸術的に素晴らしい。このホームセンターで売っている物だけで家なんか簡単に1軒建ってしまうほどの大物から小物までが売られているのだ。ネジ、釘から始まり工具類、窓、ドア、資材、床材、暖炉、園芸用品、・・・・結構、ピッチを上げて見ても丸々1日はかかってしまうだろう。どう見たって建設業者も沢山来ている。急ぎ足で下田・海の家《オキラクハウス》の必要な資材を購入してまわった。とにかく必要だった物が全部揃って大満足だった。照明器具なんて予算の半分だったぞ!。ランチを食い第二の目的地、幕張の”コストコ”に移動。1時間強しか時間が無かったがここも相当にアメリカ丸出しな巨大オモしろディスカウントストアなのだ。生活用品から始まって食材、ワイン、缶詰類などなど倉庫型巨大店舗充実の店舗で楽しくエキサイトな買物をした。ディロンギのオイルヒーターも格安で購入できてよかった。おっと!!。今晩は7時に茅ケ崎の相澤さん、佐藤昌美さん御一行と夕飯を御一緒する約束が入っているので慌てて帰ったが間に合わなくて途中の自由ヶ丘にワイン、資材満載のブイブイ号を乗捨てて東横線・学芸大學7時の待ち合わせに参上。相澤さん宅で先日会ったフレンチのシェフのお薦めの禅料理の店に皆で行ったのだ。僕は折角の機会なので最近頭角をあらわす藤田朋子さんを紹介したくて一緒に参加。ソサイボウ(蔬菜坊)(※―3)という武蔵小山にある店の前にタクシーで降り立つて驚いた!。なんと十数年前に良く通ったヤキトリハウスというヤキトリ屋が進化して”禅料理”なる新境地な店に変貌していたのである。オヤジ(店主)もなんとなくボクの事を覚えていてくれて懐かしかった。進化したソサイボウ(蔬菜坊)は抜群に美味しかったぞ。生まれてから食った事の無いモノが色々出てきて嬉しい。キノコ類の鍋は絶品だった。酒もゴキゲンだったなあ。シェフの坂本君も面白かった。昌美さんグループは皆さん上品で美しい。結構、飲んだのに酔い切れないのはその美しさが原因だろう。そして11時過ぎに解散。本当に美味しくて楽しい夜だった。僕はタクシーで戻った。今日もものすごい濃厚な充実した日だった・・・・・・・。
(※―1)ジョイフル本田 巨大ホームセンターである。本拠地は茨城方面らしい。とにかく品揃えはダイナマイト級で無いものは無い!。芝刈り機なんてエンジン付きでヒトが乗って運転してしまうようなサイズ!もある。1日いても全然飽きません!。
(※―2)コストコ(アメリカではコスコとも呼ぶ)の日本進出二店目。郊外型倉庫型会員制のディスカウント。アメリカからの直輸入品が多く店内はアメリカ丸出し。安い!、とにかく安いのだ。キャンベルの缶スープは明治屋、紀ノ国屋の半額。面白いものが毎回発見できる。駐車場は東京から買い出しにきた外交官ナンバーでいっぱい。店内には外人でいっぱい。面白いよ~。
(※―3)ソサイボウ(蔬菜坊)である。とにかくウマイ。僕らが行ったときには辛口グルメ評論家の女性が友人と来ていた。そのうち”波田啓次郎の勝手でしょ”で紹介します。
(※―4)格闘家・福井君。この人は面白い。元は国会議員秘書。胸囲は1m○○cm。極真カラテを極めた格闘家。見た目は怖いがモノスゴイ優しくていい奴。グループも”類は友”を呼んでいて最高だ。一緒に夜道を歩くと安心。何処を切っても日本男児だ。現在EMカウント中、なのに下田の工事を良く手伝ってくれる。感謝だよ。
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O氏との時間は刺激的!。やっぱり大事なのは”夢”だなぁ。
10月6日(月曜日)曇り一時雨。朝一で沼津から東京に戻った。そして一時間のエアロバイクとストレッチをしてから入浴をして12時過ぎにミスターO氏と久々に会う事になって出かけた。O氏はAMが大好きな某超有名外資系証券会社で最年少重役まで上り詰めたエリートなのだがそんな空気は感じさせない。むかしは肩書きに相応しい体格だったが退社して20キロの減量。というか会社辞めたらストレスが無くなって痩せたのだそうだ。現在は現場を離れて名刺を5枚位持って自分のビジネスの管理をしているが社会経済情勢を読み取る分析力は凄く、会っていると勉強になりまくるのだ。(会社に在職中からサイドビジネスを半公認でしまくっていた。)やはり成功者は違う。広尾の自宅ビルまで迎えに行った。恵比寿の筑紫楼でフカヒレ蟹肉麺を食う。(これ相当にウマイ!)話題は世間話。そんな話しの中から、やはり成功している人間は一枚も二枚も上手だと痛感した。18ヶ所の不動産とキャッシュフローたんまり。自宅の広尾以外はローンは無し。(そのローンは保険代わり)そしてヘイマン諸島にダミー税金対策会社を持ち、河口湖に別荘・・・とにかく別格に成功している。フィリピンのミネラルウオーターの会社は200人の従業員を使い、従って一家5人計算で1000人をい食わせていると言っていた。そしてフィリピンに今、豪邸を建設中らしい。そんなにスゴイならもっと自慢してくれ!!。しかし謙虚で聞き出さないと話さない。昔、飲むたびに資産五億と年収一億円が目標とハッキリ数値的目標を上げていたのが印象に残っている。恵比寿のカフェでお茶を飲んで解散した。午後はオフィスにに戻って雑務をこなす。その後、近所に最近オープンしたニコタマの玉川高島屋に買い物に行った。とにかくブランド店がすべてあってビバリーヒルズかニユーヨーク五番街かという感じだ。しかしこんなブランド店が近所にあったってナンの役にも立たない。その後は目黒のオフィスに向った。今日は尾崎大が全デモをして僕がマーケという新パターンでミーティング。盛況だった。パーソナルの沖縄から引っ越してきたの本村麻美ちゃんが来た。白石喜一郎の友人はまたまたドタキャン。ひた向きに頑張るターサンが先日ハンマープライスで購入した(※―1)服装があまりに似合って驚いた。”ヒトは見たくれ”とは良く言ったもんだ。皆で4階のオフィスのラウンジでアフターをした。ニュージーのタケ(※―2)のフロントの斉藤君が来ていてみんなイイカンジだ。夢があってニュージーランドの永住を真剣に考えている奴らなので話しが早いし現実を理解している。次回の約束をして解散。深夜の目黒通りのお約束で自由ヶ丘にある深夜営業の本屋で立読みしまくって帰宅した。結構、1日の仕事を終えた後の立読みが好きだ。
(※―1)ハンマープライス 半年に一度、スタイリッシュな渡辺正人氏と一般人波田が着なくなった服をセリ形式で販売する企画。悲しい程に安価で流通するのだ。平均95%オフで流通。
(※―2)タケはスノボーのインストラクターで北海道で知りあった。相当におかしな奴なのだが夢があった。ニュージーランドに永住するのだ。そしてその夢は叶おうとしている。そしてやっとAMの可能性に気が付いてニュージーでがんばっている。
祝・イリモトさん!!。札幌のモノスゴイ濃厚で長くて短い1日。 アワタダシイ指数297点。
2003年9月28日、朝は5時半に起床して沼津から東京に戻って旅の準備をしてから羽田空港まで車で行って駐車場に乗捨てて8時半のJALで札幌に飛んだ。とても昨日、息子の運動会で盛りあがっていたとは思えないアワタダシイ状況。今日は井利元のダブル達成ラリーと誕生日なのだ。とにかく多忙な1日で千歳空港からそのままススキノの○寿司(マル寿司)まで行ってランチ。というか遅い朝食。この店は高級店でランチなんてやっていないのに井利元の顔で休業の日曜なのに開けさせたのだ。というか井利元(※1)の人徳以外のナニモノでもない。しかし、主人も午後から娘の発表会があるとかでアワタダシイ空気を出している。ゆっくり食いたいのにとにかくスケジュールが詰まっているので15分で食ってから会場に入ったら殆どラリーは始まろうとしていて、着替えて12時半にはスピーチの順番だった。(いっそのことマル寿司で弁当でも作ってもらえば良かったのに・・)真暗な会場なので少し話しにくかったが会場内の熱気はものすごいものがあったので話しやすかったし楽しめたナァ。(AM始める前は人前で話すなんて宇宙一に嫌いな事だったのに・・楽しむなんて。)しかし井利元の今回の達成は、一言でカッコイイ。井利元はニューWダイヤの達成ラリーと自分の37才の誕生日をこのラリーで飾ったのだ。そんな人間的魅力に溢れる男のお祝いラリーなので多くのハイピンが集まった。長友清、波田啓次郎、増田夫妻、山崎義幸、山崎タクミ、梶原夫妻そして薫DCAの豪華キャストだった。(自分の事を豪華メンバーに名前を連らねるのは気が引けるが・・)ラリーは感動的だった。何度もウルウルきてしまった。(※2)評判を聞きつけていた波田グループの姫路の重田グループがツアーをして感動を共有しにきていたのに驚いた。こんな志の高さが成功につながるんだなあ・・。ラリーの一部の最後に薫さんが登場。超感動的スピーチをして早々に空港に戻り東京に帰って行った。薫DCAはなんと札幌滞在時間4時間弱。あまりのVIPに北海道の唯一のリムジンのハイヤー運転手は緊張してキーを車内にのこしたままドアロックで空港でひと騒ぎ。みんな超過密スケジュールで大変だ。山崎タクミ氏は朝に東京本社でミーティングでマーケをしてから飛んで来た。きっとこの日を目標にイロモトもグループの皆も頑張ってきたんだろうなあ。表彰コーナーは素晴らしかった。終了後は今年オープンしたJRタワーのホテルの最上階のレストランでゲストで食事をした。長友氏とヘビーにワイン二本を飲んでしまった。そして三次会のクラブに向った。そこには推定300人が集まり盛りあがっている。ジャンケン大会、グループのコント、そして萬谷ダイヤのショーは”イリュージョン”と題した傑作であった。絨毯浮遊とマジックが呆れ返る凄さだった。笑いまくった。モノスゴイ小道具、衣装なのに井利元の為に自腹で準備をしたそうだ。井利元のライブもカッコ良かったなあ。(ラリー以上にこのショーがやりたかったんだなあ。)最後にハロートークして盛りあがって深夜に解散。他の人達はラーメンだぁ、カラオケだと向ったが僕はホテルに帰って倒れた。なんて体力のある人達なんだろうか・・・。しかしモノスゴイ濃厚で長くて短い1日だった。泥酔しながらのJRタワーのホテルの風呂からの景色は素晴らしかった。

(翌朝の清々しい景色の写真です。札幌は素敵な街だ。)
※1井利元(イリモトトシヤ)アイヌ語で”イリモト”とは打たれ強い、我慢強い、そして男らしいと言う意味は無い。しかし本当に井利元の打たれ強さというか精神力は普通じゃないと思う。精神力だけならプロレスラーより強く根性は相撲力士よりあるであろう。打たれ強さはバンタム級ボクサー以上だ。ナンだろう、この男の存在感とリーダーシップは!。最近は趣味的にプチマスモト化の傾向が少々見られる。
※2このラリーのビデオ・DVDは必見でしょ!。 toshiya@irimoto.net 見応え充分です。なにせ思いっきり赤字覚悟のラリーです。
少年の様に長い夏休みが明けた!。新会計がいよいよスタート。
2003年9月1日、新しい月となった。そして新しい年となったのだ。普段の月変りよりグッと気持は引き締まっている。AMしてると正月が年に2回あるような緊張感が好きだ。人生的には一年の初めの正月に決め事をして、9月にはビジネス的な指針を決定する。朝は、長い下田生活で海岸に車が置いてあった為に塩害が心配だったので洗車をして沼津から東京に戻った。昼前に東京に帰ってランチを秘書・土岐チャンと久々に食べて近況報告を聞いてからダラダラと様々な雑務をした。お気楽社長といえども1ヶ月も事務所に出社していないとやらなくてはならない事は結構あるもんだ。(という程に無い・・)でも近頃は殆どの緊急を要する仕事は何処にいてもメールだぁ、携帯だぁと連絡はついてしまうので夏休みしていても、その手の連絡事項は済んでいる。(だいたいモノスゴイ重要で緊急を要する仕事なんて無いし・・・)夕方までそんな感じで新会計に向けての事務作業をした。出していなかったメールも今更ながら謝罪を含めて100本以上出したであろうか。夕飯はアポを入れていなかったので自宅で酒抜き和定食。そして一人ミーティング(一人LMと呼んでいる月数回の行事。)の日となった。結構、色々な人に連絡をとってみた。連絡しようと気になっていた大山氏はボクと同年代で重役まで登りつめた証券会社・メリルリンチを退社して独立。フィリピンでミネラルウオータービジネスが好調だそうで良かった。10年前に知合った頃に資産五億、年収一億が目標と言っていたがキッチリと達成している。実に刺激だなあぁ。近々にランチのアポ。9月前半のランチアポと久々酒のみアポを10件位入れた。この日頃の”種まき作業”が明日の優良ディストリビューター発掘となるのである。そして気になる人々、久々なグループの人々とも随分と話した。9月というか今回計は本気で頑張るぞ!!。今やらないでイツやるのと燃えている。そしてスタートして19年目に冷める事も無くチャンと興奮して燃えられるビジネスに出会って良かったと思うのだ。・・・・・・勝負!!。
文部化学省推薦なとても夏休みチックな日、下田海の家≪27連休の6日目≫
8月6日、下田、海の家”オキラクハウス”の朝は早い。5時には誰かが起床して波のチエックをして、そのまま海に入るか再度、睡眠。海に入ってからもまだまだ意識はオネムが続いている。何せ起床してから5分30秒後にはポイントにいられる位の環境だ。(歯磨き1分、着替え1分、ボードを用意してワックス塗り1分、コーヒー飲んで波見て1分、庭から波打ち際まで1分、そしてポイントまでパドル30秒)今日は早朝に数人が東京に帰って行った。波はあまりなかったが、とりあえず海に入った。その後、8時には家に戻ってきて朝食をみんなで食う。3メートルのダイニングテーブルには12人で囲んで食事が出来て大家族的で圧巻だ。
午前は大和田剛と世間話しをしながらにパソコンで日記とメールの整理。こんな日々だと毎日しっかりつけないと昨日と今日、そして明日の区別がつかなくなってしまうのだ。午前中に宗一郎,元太朗、千景と剛とで下田軽四輪”下田号”(ダイハツ・アトレーで10万円で購入。)大浜の山奥の方に竹を取りに行った。そこには竹林があって太い竹が林立していて清々しい気分だ。宮崎駿映画に出そうな景色なのだ。そこで相当に危険な思いをしながら、やっとの思いで竹を3本切り出した。今日は子供達(時々大人達)の為に”流し素麺”をするのだ。ウフフ~。そして帰ってからそれを流し素麺用に割ったり削ったりという作業をして昼前に完成した。庭のデッキで開催された”流し素麺大会”は大盛況だった。大和田剛&光さんの愛娘の真夏ちゃんも始めての体験で大喜び。ヒロリン家も、大山フェロモン律子、ウチの少年二人も喜んだ。(その後、連日やっていたら、ある日から全くよろこばなくなった。こんなものは年に一度やるからいいんだね。剛の知合いの岡本在住の安田一家も参加で面白い時間だった。その後は夏の基本”スイカ割り”をして盛りあがる。(夜は当然、花火大会だ。)午後も≪オキラクハウス)らしくダラリンと海に入ったりして過した。夕飯は子供が喜ぶというより酒飲みが喜びそうなバーベキューと料理を作って盛りあがった。またまた大和田剛チームが実に良く飲むんだなあ。信じられない量の酒ビンが転がってた。そして皆、意識不明となった。
“少年の目に写るのは・・・・・”
7月20日、日曜日。朝起きてウォーキング&ジョキングを沼津御用邸記念公園方面に向った。このコースは鹿野川沿いでなかなか情緒があってヨロシイ。1時間の発汗。その後、10時までに出発準備して元太郎(長男、10才)と共に沼津の家から東京に向った。今日は石井キンスケEX主催のミーティングのゲストで渋谷AM本社のオーディトリアムでラリーがあるのでせっかくの元太朗の夏休み中ということで同伴をしたのだ。行きは久々にお気に入りのレンジローバーで行った。しかし今日で最後のロングドライブ。8年近く愛して乗っていたが菊地クンに見せて売却なのだ。別れは辛い・・・。昼頃に東京の家に到着して着替えて歩いてニコタマに向った。元太朗のリクエストでニコタマの商店街裏道の”ソババリュー”で食事。そばに卵とバターという不思議な味だったがそのキミョウさが以外に美味い・・・。そして電車で渋谷に向った。時間に余裕があったので渋谷東急ハンズで最上階からゆっくりと見て下りた。結構、面白いものが発見できた。外人が初めて観光旅行でトウキョウに来てこの東急ハンズを見たら何より感動するだろうなぁ。その後3時半にはアムウェイ本社に参上してイシキンミーティングに参加。畠山よし子ダブルがマーケをしていた。元太朗にショールームやらレコグニションの写真やらを見せてから楽屋で待機させて石井キンスケ夫妻にご挨拶と世間話、その後、ボクは約40分のスピーチをした。会場は500人以上の人が入っていただろうか。内容はどうしても下田≪オキラクハウス≫になってしまう。だって本当に夢の実現なんだから語りたいよなあ・・。(しかし緊張もなく気分良く人前でしゃべれるなんて凄いことだ。誰も信じないが、AMを始める前はこんな事想像できなかった。話し方教室に真剣に行こうかと思う程に上り性だったつたなんて誰も信じない・・。慣れとはすごい事だ。)ラリーの終了後はお食事会で六本木の中華・香妃園に行く事になってたらしいが、無理やり渋谷の台湾料理の麗郷に変更してもらった。なんと勝手なゲストであろうか。(考えたら香妃園を紹介したのもオレだった!)イシキンは快く変更受諾。しかし”麗卿”は素晴らしい。(波田啓次郎の勝手でしょ。バックナンバー参照。)ものすごく美味しい店だが小人数だと、やはり中華系で多品目が食べられなくて悲しいので今回みたいな大人数ならば美味いメシになるのは間違いない。皆で乱入したら参加者からは相当に喜ばれた。(ような気がする。)たしかに美味しかったし・・!!。その後、驫木氏に新横浜まで送ってもらって新幹線で三島経由で沼津に帰った。今日は元太朗と過せて楽しかった。父がラリーでスピーチする姿は10才の目にどのように写ったのだろうか。本社のレコグニションの写真は・・・父の生業であるアムウェイの会社は・・・しかし麗郷で老酒を飲みすぎたのかなあ・・。新幹線で寝たら最後と思いとても辛くキツイ時間だった。夏の初めのワクワク感イッパイの素晴らしい1日だった。 もうすぐ夏の28連休が始まる・・。
大阪”ヘッケルラリー”でタマには適度な緊張感・・。
7月6日、晴れ、朝は発汗がエクスタシーなのでウォーキング&ジョキングをした。沼津の海ではトライアスロン大会が開かれていて・・・苦しそうだった。少しの時間だけスイムからサイクリングに移る選手を見ていたが、決してやってみたいとは思わなかった。マッスンはどんないきさつでトライアスロンを始めたんだろうか・・。誰も楽しそうに走っていないゾォ!!。家に帰って家族で朝飯してから、準備してデコに沼津駅までおくってもらい、西武デパートでサンドイッチ購入してから新幹線で大阪に向かった。今日は大阪ヘッケルラリーのゲストスピーカーなのだ。車中、電気のコンセントを抜いたみたいに曝睡。そして起きてから読書。スケジュール調整とか大阪までの3時間のグリーン車は実にノンビリできて好きな時間だ。飛行機の移動だと何故か、こうはいかないのだ。新大阪からヒルトンホテルに向った。ヒルトンは今では大阪の老舗になったが最近の新しい、どのホテルより好きだ。ホテルでチエックインして着替えた。ゲストスピーカーなのでヘッケルが取ってくれている部屋はスイートなので気分はヨロシイ。(薫さんに感謝)ラリーは午後の第二部だったがスピーチはなかなか頑張った。多分、期待に答えられたと思う。そして、終了後に姫路の重田夫妻(EME)と息子(頼宏氏、DD)、そしてダウンのSPになりたての小林英樹(21才、本職はトビ!)とヒルトンのラウンジで、お茶を飲んだ。重田家のAMビジネスはファミリービジネスでみんなが楽しそうだ。話題には事欠かないというカンジ。完全な世代交代が進んでいるぞ。そして、その後は4部の薫DCAのスピーチを聞いた。やはりブルブルに感動してしまった。何故、薫御大の話しをきくとこんなにまで元気が出るんだろうか!!?。アフターのお食事はヒルトンの中華 “王朝”だった。中華に合わせて出されたワインが実に美味しかった。そしてワガママに薫さんにリクエストして裏メニューのネギラーメンを注文してもらい食ったが上品で美味しかった。以前に薫家でピアニスト・ブーニン氏に王朝の裏メニューのネギソバの話しをしていたのを思い出したのだ。少し飲み足りなかったがそんな事を言える筈も無い。部屋に帰って一人ダラダラとしながら電話各方面にして酔っ払い状態がバレていたが、次週のアポが数件入って満足な、そして長い1日が終った。
実は告白します。男性ファッション誌”ブリオ”に出ちまいました。 《今更、報告が遅くてスミマセン。根っからの露出嫌いなんです。》
6月30日、月曜日で最終営業日。朝から忙しいのだ。7時過ぎに起床。オレだってタマには朝から忙しいのだ。朝一で月末のポイントをチェックして、昨晩整理したホームページの更新用原稿を再度読んでから大島の送付。オフィスのスケジュールの最終信をチェック。後に砧公園で1時間のウォーキング&ジョキングをしてコンセントレーションを高める。軽い朝食をしてから珍しく洗車を2台。(車は好きだが洗車が大嫌い。)そして自由ヶ丘の美容院・アパッシュで髪を切って世間話をしてから買物。実は今日は午後にファッション雑誌”ブリオ”の撮影なのだ。

そして帰ってから洋服の選択をクロゼットに入って30分・・いや10分。いやいや5分・・コーディネートした割りにはこんなもんかと言う程度のコスチュームだが・・。神戸の洒落モンの細見寛氏の紹介で”車は人を語る”というページに出るらしい。大体に”ブリオ”っつう雑誌が金持ボンボン風の奴が父親に買ってもらったフェラーリですぅぅ・・みたいなのが出ていて恥ずかしいというか軽蔑の域に入るマザコンというかヘナチョコヤローみたいなのばかりなのが気に食わないのだ。(相当な偏見である・・・結局、出たくせに・・)まあ、編集者がオレの意志を尊重してアップは避けてくれたので承諾。名前もそのままだと察しがつかれるのもイヤなので偽名(という程ではないけど・・・ケージローになってます。)しかし実際には愛車、ロータスエランが主人公だったのでオレの存在なんてタイした問題では無いが2時間位で我が家の室内、車の要所要所は押さえて写真撮影と取材を終了。

その後は田園調布の歯医者に行ってから7時にニコタマ(二子玉川)でプロスペクトの○○氏(※―1)と食事をした。波田と同世代の○○氏が転職で苦労しているなんて信じられない。(45才)メチャクチャ人生にやる気がある人なのになぁ。学歴だって立派だし、職歴もスバラシイ。でも再就職はなかなか難しい時代らしい。こういう人は人から使われるのではなくて自分の仕事を持つのが正しい道である。やはりAMみたいな仕事を勧めしなくては罪なこと。なにか他の事業を立ち上げるにしろ平行してAMを取り入れる事は将来設計上は必要でしょ。人生の意味とか目的を考えたら・・・・結局、食事中そんな話しになっていった。人生はたったの1回。ならば誰かの利益の為に時間の(人生の)切り売りなんて悲しい。そんな○○氏の仕事を応援出来るのもウレシイ事だ。・・・・そして数本のワインが空いていた・・・・。またして意識不明の泥酔・・・。
※―1 ○○氏は晴れて新らしい仕事を探して、いまはAMもスタート。一年後には、つまらない経済的な問題なんかとオサラバ出来るようにビジネスを構築していく事業計画だ。
下田海の家《オキラクハウス》素人集団改築計画・その2.いよいよ戦いは始まった!!。真夜中の海岸に鳴り響く電動工具の爆音は不気味以外の何モンでもない。
6月11日、曇り、オキラクハウスの素人集団による改装工事《第1期工事》二日目。いつ終るか、どれだけかかるか、わかっていることは作業するのは素人で予算は無い。終りの見えない第1期工事に勇気あるものが集まった。そして頼るは大工ハマーと”日曜大工の全て”というノウハウ本。常識では考えられないウルトラプロジェクトだ。昨晩も遅くまで作業していた。真夜中の海岸に鳴り響く電動工具の爆音は不気味以外の何モンでもない。

夜中に浜松から鈴木道彦チームが来てくれていた。大塚、名高そして小栗夫妻と静岡の名桐氏、名古屋の高橋氏。青木夫妻。昨日からの大塚健司と阿部ちゃん、そして大工ハマー。手弁当(無料奉仕)というムチャクチャな労働条件に関らず来てくれている。ものすごい人数でペンキの下地作り、壁のブリック張り、天井ペンキの準備、キッチンの棚のペンキ塗り、各所お掃除、地階のブロック壁のシーラー塗り、床ハリの準備(※―1)、ドア外してペンキ・・・・とにかく恐ろしい数のやるべき事の山である。こんなこと一体ダレが素人でやろうとするのか。しかし現場には笑い声が絶えない。浜松チームは表玄関のファサードを枕木で作り出した。これはけっこう傑作だし、白玉砂利を入れるというのは相当にナイスアイデアだ。しかし片付け様と思うほどに仕事が涌き出てくる。浜松の青木君は元建具屋で扉の修理、襖、障子の張り替え、ドアの調整、製作など素人では出来ない仕事をしてくれた。昼は食う場所もないので適当に外してあるドアをテーブルに床に皆で座ってソーメン・ランチ。夕方まで皆、本当に頑張ってくれた。

夜になって皆で大和館にお風呂に入りにいった。女将が大変だろうということで作業中はお風呂を貸してくれるというのでそのお言葉に甘えた。(その後、数十日超汚い大人数で風呂を借り続けでしまった・・・感謝)ここの展望風呂はすこぶるゴキゲンでびっくりした。本当に疲れが吹っ飛ぶ。そしてメシはハダズフェイバリットの”ゴロサヤ”(波田啓次郎の勝手でしょバックナンバー参照)に乱入した。浜松チームは車中泊、ミツチームは民宿にステイ。庭のテントに泊まる者、現場にてキャンプ用簡易ベッドで寝る者、とにかくスゴイ状況でみんなで休んだ。いつまでも波の音が心地良くてこんな作業所みたいな所なのに快適睡眠がおくれた。明日もやることが山ほどあるぞ。頑張ろう!!。皆に感謝だ。きっと最高な夏がやってくる。(そしてこのプロジェクトはこんな調子で約20日間、のべで125人が手伝いに来てくれたのだ。)
(※―1)たかが床ハリといえ、合板のフローリングもどきではない無垢(むく)の板を一枚ずつ張り込んだ。そりゃ簡単なのは一般的な合板だが、素足で歩いたときの感覚が全然違うのだ。そしてペンキではないオスモという自然系の塗料を5回塗り。そりゃスバラシイぞ!!。
下田海の家《オキラクハウス》この大仕事、相当部分を素人、いやド素人である自分達でやろうと壮大な計画。そしてこの夏を楽しむためには時間制限までついている恐ろしいプロジェクトなのだ。やるしかないぞ!!。
5月24日土曜日、沼津での朝、天気は晴れ。7時過ぎに起きてウォーキング&ジョキングで沼津港周りで海岸コースを走った。そして10時に東京から大工のハマー(※―1)に来てもらって一緒に下田に向った。今日は下田の工事計画の下見をして作業計画を立てるのだ。元太朗は友達のタイガ君を連れてきた。4人で昼前に到着して下田で回転寿司に乱入して、みんなでランチ!。元太朗友人タイガは僕の倍位、バクバクと高級食材ばかり食っていた!!。ウニ、アワビを食う屈託の無い少年の前には金、銀、ハデ系の皿が立ちあがり、オレはアジ、イカ、サバの青い皿ばかり食う。(まあ、それが好きなんだから良いじゃないの!)そしてシーハーしながらホテル大和館にビーチハウスの鍵を受け取りに行ったら女将の中川さんがいて子供とハマーを優しく迎えてくれてラウンジでアイスを御馳走してくれた。波田はこの女将程美しくインテリジェンスに富んだ女性を見た事が無い。今回もこの家の件で交渉している際に何度もボーッとなってしったほどに美しいのだ。そして鍵を借りて、ハマーとビーチハウス(仮称)に行ったら庭師を入れてくれたみたいで見違える様にキレイになっていた。

といっても10年間未使用に近い状態だったのでやる事は沢山あるのだ。その後、夕方まで時間を忘れて室内の計測、傷んでいる部分のチェック。ハマーと作業上の相談,材料の考察をしながらデザイン上の相談をしまくった。また不要なカウンター外し、ドア外し、そしてジュータンの撤去、最後には床に穴を開けて地下への階段の新設する位置を確かめたりした。少し考えたって、マスターベッドの天井、リビング、キッチン、ベッドルームの床張り(約40畳)、壁の全面ペイント、一部は漆喰壁の塗り直し、キッチンの造作しなおし、地階倉庫を床を張って部屋にして泊れるように改造。玄関部分の作りなおし、庭の造作、バルコニーの防腐ペンキ、和室の壁、天井全てペイント、シロアリにやられているハリの入れ替え、電気の引きなおし、上下水道のチェック・・・・果てしなく仕事がある。書き出したらメマイがした。でも、この”下田海の家”は手の入れがいのある素晴らしい建物なのだ。(※―2)しかし、この仕事は誰がどうやってコナすのであろうか。なんと、この大仕事、相当部分を素人、いやド素人である自分達でやろうと壮大な計画があるのだ。そしてこの夏を楽しむためには時間制限までついている恐ろしいプロジェクトなのだ。そしてそして予算なんか、全然無いのだ!!。だんだん相当不安モードも入ってきたゾ。夕方に時間も遅くなってしまったので沼津に戻り、素晴らしき定食屋”ヤジキタ”で夕飯を食った。その後、ハマーとカフェ・ブルーウオーターで打ち合わせをした。オーナーの天野氏も加わり盛り上がった。しかしやる事も山盛りだが、デザイン上の決めなくてはならない事も山盛りだ。ヤルからにはハンパ無い最高なモノに仕上げたい。だって、これこそオレの夢そのものだったのだから・・・。
(※―1)大工ハマー 大工ハマーはニホンジンである。浜憲工務店という3代続く宮大工なのである。そこらぁのデェイクゥ(ダイクの江戸っ子読み)とは訳が違う腕前なのである。そんな心やさしきハマーは何処までもボクの我がままに付き合ってくれて下田に共に寝泊りする事,数十日となった。しかしその仕事ブリはお見事。今回の工事で絶対素人には不可能な部分、また技術的な事を我らド素人軍団に丁寧に教えてくれたのだ。下田海の家の庭に銅像でも立てなければイケナイくらいに尽力をつくしてくれたサイコーな男です。だれかオヨメサンにいませんかぁ!?。そして良い仕事しまっせ!!。
(※―2)下田・海の家。波田の夢だったビーチサイドの家。32年前にアメリカ人、ロバートニコラスラテンバーグ氏が建てた。豪華ではないがキュートなビーチハウスでフロリダの片田舎の水辺にありそうな建物。現在の法律ではありえない建物なのだ。