メキシコで“バラガン”に会う!! 2008年5月19日 東京も過ごしやすい毎日だ。一年のうちで東京が一番好きな時期だ。サンディエゴでリーダーシップセミナーがある。それをさかのぼり五日間が今回の時間的に許される日程。 さて何処に行こう! 南米まで行くには時間が無さ過ぎ・・・アメリカ圏には、慌てて行く場所は無い。(今回はロサンジェルスにサンディエゴの帰りに寄る程度で十分) バハマ諸島か、カンクーンか・・・メンツを見るとビーチで和む気にならない。 ホモ軍団だと見られるのもナンだしなぁ! そうだ!夢の一つである“ルイスバラガンの建築を見る!”を叶えよう。ついでだからキューバまで飛んでキューバミュージックに触れよう。
ルイスバラガンは崇高な建築家だ。個人宅が世界遺産になっている。(他に個人宅が世界遺産になっていう例はあるのだろうか!?) 安藤忠雄氏(名実共に日本が世界に誇る建築家だ。)が敬愛するのがバラガンなのだが、随分前に東京都立美術館で安藤氏がプロデュースした“バラガン展”を見てバラガンに強烈な思いを持つようになったのだ。(バラガンは建築家のノーベル賞にあたるプリッカー賞を受賞している。グアダラハラの裕福なスペイン系の7人兄弟で育ち、若かりし頃世界中を旅して様々を感じていた敬虔なカトリック信者だ。作る作品は光の取り入れ方が絶妙。そしてメキシコの大地を感じる色使いが鮮烈だ。) 時間的な事もあるので見られる範囲を見よう! しかし調べるに、その黄金期の作品の多くはメキシコシティー界隈なので効率良く、回れば大丈夫!という事が発覚。神谷アンドリューがロサンジェルスから来てくれて一緒に回ることにした。アンドリューはツアーの段取りをしてくれて、日本語が話せる、そして建築の知識もあるガイドを捜してくれて手配済み。困ったときのアンドリューなのだ。(まだ困ってなかったけど案件としてアメリカ手配がラクチンと判断、そのかわりキューバに関してはアメリカ内では国交が無いので一切の情報が入らず、波田が手配)・・・・ということで5月19日に日本を出発! 成田でチエックインする際にバンクーバー経由メキシコシティーと聞いてなんだか、えらい遠回りに思ったら地球は丸い事を考慮すると近いらしい。約18時間で無事にメキシコシティーに着いたが、アンドリューがロサンジェルスから来るはずの便が来ていない。途中悪天候ということでアカプルコに行ったらしい。途中で電話連絡がついてホテルで待機することにした。こんな夜の決して安全そうとは言えないメキシコシティーの空港でも、同行の剛の者・福井剛と室町茂がいるとナンにも不安ではない。自分を守るために護身術を習うか、福井を連れて回るかの二者択一ならば後者を選ぶ。 数時間後に無事にアンドリューとホテル・ガレリアプラザで会えた! 食事もまだだったのと、そんなに期待が出来る状態ではなかったが、ホテルのレストランで、皆で盛り上がり・・・・いきなりコンセントを抜いた電気製品のように倒れて寝た。 5月20日 朝は9時に観光会社のガイドさん(大山さん)とドラーバーが迎えに来てくれた。いよいよメキシコのメインイベント“バラガンを観るツアー”だ。基礎知識なし。別段、興味も無いが何となく付いて来ている福井&室町氏がそれなりに楽しみ何かを感じる事を祈るばかりだ。走り出すと町中にブルーのジャカランタが咲き乱れているのが感動だ。 さて、バラガンなど建築物の中では一切の撮影が出来ないと聞いて少し残念だったけど、その分、しっかり肉眼,五感をフル活用して見て回ろう! 最初はバラガンの最高傑作と言われるカプチン修道院を見学。教会といえば教会の形をしているのが普通だが、スペイン様式というのは、まず中庭方式で外界から大きな高い壁でシャットアウト。外から見たらん中に何があるのかわからない。ただの壁なのだ。呼び鈴をならしてシスターが出て来てガイドさんが交渉。(もちろんアポは入れてあるのだが、時々断られるらしい。よかった!まずスペイン語で話さなければ無理そうだし、第一、この場所に来る自信もないし、隣まで来ても探し出せないであろう。)重厚なドアを開けると、散々写真集で予習をいていたので初めて見る景色ではなかった小広場に案内される。スペイン式は周りを囲んで内側に庭を作り、そこから採光をとるのだ。その50?程度の場所にも様々考え尽くされているのだ。その講釈を聞くとまたまた感動!中に入り礼拝堂にはお祈り中の修道女がいて気を使いながら見学。礼拝堂中央に5m?位の十字架がそびえ立つ。ちょっと違和感があるのだが、なんと午前7時過ぎに東側の縦長の窓(床から天井までの幅50センチ程度のスリット)から光が差し込み十字架に当たった光は礼拝堂の正面に光と影により十字架を映し出すしくみになっているのだ。残念ながら曇り空と10時を回っていたので光の演出を見る事は出来なかったが、さぞや感動だろう。この修道院は一時が万事、そんな演出が数々されている。また壁の色も考え尽くされ、光があたると色の変化が感じられるように演出。実はこの教会はバラガンの寄付で出来ている。様々な施主(依頼人)からのリクエストを聞くのが嫌だったバラガンの提案で、寄付するから好きに作らせてほしいという提案をそのまま受け入れたらし。そして没後にあまりにもデザイン重視で使いにくかった部分を修理したらしい。静寂をテーマとしていたバラガンは人生の最終章をここと自宅の往復で費やしたと聞く。巨匠・安藤氏も年に一度はここを訪れてご自身のチューニングをされているらしい。 バラガンのお気に入りのベンチに座ってみたら感無量となった。
そして次なる目的地へ! しかし、この街の運転の秩序はどうなっているのだ! まず東京の常識を当てはめれば大事故だ。メキシコでは“乱暴な運転ほどチャンと家に帰れる。安全運転を心がけると事故する!”というのが定説であるとガイドが言っていてビックリ。ますますこのガイドさんに会えて良かった。 そして折角だからとガイドさんが案内してくれたのが建築家リカルト・リゴレッタの代表作品のアートセンターだ。元ゴルフ場の広大な土地の中に美術大学や様々な芸術系の研究設備がある。その自由な空気に圧倒された。そして驚いたのが植物を考え抜いて植えられて、しっかり育ち管理されている点だった。メキシコは木々を大切にする国で勝手に木々の伐採などやってはいけないらしい。全て市当局の管轄なのだそうだ。だからどこも手入れが行き届いている。日本みたいに木々を大切にしないで勝手に抜きまくる建設業者なんて死刑だなぁ! ジャカランタやコロリン(デイゴ)などが咲いた時に映える壁の色を選ばれている。ちなみにメキシコ人は白を色として考えていなくて、つまらない色という位置づけになっているそうだ。どんどん散歩していると、すこし息が切れ気味になるのは、この街は標高2240m?から3000m?にあるからなのだ。そしてまた命がけドライブで、バラガンが人生のステージとしたバラガン邸を訪問。ここも周りからは只の壁。こんな地味な世界遺産は無い。中に入りやはり予習をしていたカットが実際に肉眼で飛び込み感動は100万倍! 鳥肌たちまくり! こんなモダンで味のある建物が1940年代に考案されて暮らしながら実験をしていたなんて凄い。ガイドさんからバラガンなどの人柄などを聞くと余計に面白かった。バラガンはヨーロッパでフランス人小説家にして画家と造園家という肩書きのフェデリアンバックという人に相当に影響を受けて、家作りと庭作りを同じほどに重要に考えたらしい。その後は近所のバラガンの遺作となったギラルディー邸を見学。小振りながら室内にプールがあり(日本の住宅と比べたら全く小ぶりではないが・・・)それが家の中心をなし、様々に工夫された窓(明かり取り)から差し込む自然光が水の上で芸術的な屈折をなすのだ。三階まで続く階段には手すりが無い。その緊張で場所を変わる演出なのだ。(波田が暮らしていたら酔っぱらいで落ちて即死であろう。) その後はランチ!!当然にメキシカンだ。これホームラン級に美味しかった。ランチ後はやはりリカルドリゴレッタ設計のカミノレアルホテル(1968年のメキシコ五輪の年に竣工)を訪ねた。元祖デザイナーズホテルという趣で凄い。正面玄関にある噴水が凄くて、噴水が日本海の荒れ海みたいにバッシャンバッシャンと洗濯機のごとく凄い勢いで回っているのだ。建築家本人はバラガンからの影響は無いと言っているらしいが、どこをとってもバラガン様式だった。椅子なんかバラガン作の“ミゲリート”がそのままあった。その後はバラカンが設計をしないでデベロッパーになった時代に作った街のラス・アルゴレーダスを見学。馬を共生する生活をテーマにするこの街は馬用の道が特徴で散歩道の最後には馬が水を飲める場所がありカッコいい。雨上がりでユーカリの木々から良い香りがしている。とても体に良さそうな天然ハーブだ。深呼吸しまくった。ちなみにバラガンの生涯を通じての趣味は乗馬だった。そして最後に、バラガンがデザインした街のシンボルである“サテライトタワー”を見た。ベストショットを求めて命がけで道を横断して撮影。見る角度で全然違うものに見えるタワーは時代を超越している。
その後、近所の巨大スーパーに寄り波田は趣味の外国産オイルサーディンの缶詰めを購入(話すと長いから今回はモノケージローでご紹介!)ホテルに一度帰り、ツアーは解散して、近所の屋台的お土産物屋街に行ってみた。民芸的お土産から様々な物を売っていたが、プロレス用覆面を同行の室町が発見して購買に燃えていた。(メキシコと言えば覆面レスラーが名物なのだ。)夜はFonda de Refugioにてイタリアン!アンドリューは相当にテキーラが気に入りストレートでガンガン飲んでクルクルしていた。充実の一日だった。また夢が一つ叶ったし・・・・・(後半のキューバは6月中旬に載せます。お楽しみに!!)
これぞ名作中の名作。100年近く経とうとしているデザインなのに現代の住居に置いても全くそんな年代を感じさせない。そして100年後に見ても美しいイス・・・それが名作“LC2”です。金属パイプのフレームに皮のクッションを挟み込む様式。非常に単純な構成で最大の快適さを作る。コルビジェの狙いはグランドコンフォーム(大いなる快適!)と名付けられたところからも、うかがえるのです。なんとニューヨーク近代美術館コレクション(1928年)
現在はこのデザインの意匠権が切れている為に、いわゆるニセモノが横行。たんにLC2の形をしたソファーが世の中に氾濫。 でも買うならば絶対にカシーナ(CASSINA)のオリジナルを!! (ホンモノは座って左側のフレームの裏側に刻印があります。)というか時が経つに従って皮のヨレ感が全く違うのです。そしてその代金はちゃんとコルビジェ財団に寄付! これも重要です。 とにかく高いけど買うならばホンモノを! ニセモノはニセモノなりの人生になってしまいます。
ボクも死ぬ気で買いました。なんと一脚70数万円也! 黒が多いのですけどボクはあえて“タン”を。これはオリジナルのモノなんです。(マニアックな話ですけどこのイスはコルビジェがパリの郊外にデザインしたサボア邸の為に作ったそうです。そこに行きましたが、やはり色はタンでした。 しかしそのタン皮が一番高級(Zシリーズ)なんです。)とちょっと自慢!!! 人生に価値ある逸品を!!
ボクの尊敬するコルビジェを知ってください。
世界一の建築家ですよ! http://ja.wikipedia.org/wiki/ル・コルビュジエ 写真はサボア邸
あの2001年9月11日の悲劇から6年が経つ。丁度、その年の春先にニューヨークを訪ねた。何とも豪勢な旅でAМ社からというより、リッチからの招待でボストンの郊外のリゾート地であるナンタケットを訪れていた。KENNEDY家の別荘があるほどの素晴らしい場所であったし、宿泊は豪華クルーザー”エンタープライズ号”だ。(35億円するらしい。)それは、それは豪華な素敵な時間であったが、我々ガイジンには暇すぎる場所だった。そこで船長に提案。『ここは素晴らしい場所ですが・・・ニューヨークに遊びに行きたい!連れて行って下さい!』とのあまりにも身勝手な提案に船長は『了解しました。リッチからお客様の満足がいくようにと言われておりますので今しばらくお待ちを!』との返答。その数時間後には、全てが整いました。今夜、出航して皆さんがディナー、パーティー、そして就寝している間に走り抜けて明朝にはニューヨークです。多少ゆれる可能性がありますが勘弁下さいませ。』との返答。(この全てが整ったという意味が深く、船の入港場所の手配、フォーシーズンのスイート4部屋、各自のリムジン、おまけにミュージカルのプラチナチケットを並びで8枚、とびきりゴージャスなアランデュカスのレストランの予約・・・を指しているのだ。だいたいボストンからニューヨークまで船でカッ飛ばしたって8時間以上はかかる。)・・・・そして翌日、朝日がまだ空に赤みを残す時間にエンタープライズ号はハドソンリバーからManhattan島を右舷に見ながら下り、最後にはこの写真と同じツインタワーが見えて来て、感無量になった記憶は鮮明だ。参加者は全員、デッキに出て大富豪の気分を味わっていた。そして朝日がツインタワーに当たりキラリと反射したのを覚えている。その旅行の時に、道端で行商していた露天商の写真の中に、この三点があり、無意識のうちに購入した、この写真はもう現実には無い、その時の”想い出”の象徴になっている。世界が平和になって欲しいと写真を見る度に思うのだ。
いろいろな場所に旅していると、『いい街だなぁ!』と感じる場所がある。だいたい、そんな場所に住む人々は、自分の住む街が大好きだ。住民から愛される街・・・そんな街に住みたい。もちろん東京というひとくくりもあるけれど、もう少し狭い”街”だ。 思い起こせば世田谷のハジっこの田園調布で生まれた。この話もかなり笑えるし、我が家の強運ぶりがわかるが、ジイ様は貿易商を営んでいて、それこそ昭和初期をアメリカで過ごし、昭和10年代に帰国。その時に購入したのが東京の郊外の田園地帯(聞こえがいいけど田んぼに畑!)。当時は環状6号線の外側に住むなんてありえない話だったそうだ。ましてや環状7号線どころか8号線の外側なんて、ありえないと!でもそこでイギリス的カントリーライフを実践しようとしてたらしい。そこが後から澁澤栄一の田園調布計画にスッポリとギリギリに入り田園調布の住人になれたと。ジイさん達はある意味、先住人だった。(笑)だから今の田園調布とは全くの別物だったらしい。ジイさんも強運だったのだ。
話は飛んだが田園調布から結婚して世田谷区の等々力へ、そして目黒区の柿の木坂、世田谷区弦巻、世田谷区岡本、世田谷区野毛と移り住み、現在は駒沢に引っ越した。(ウチはエリアでは駒沢なんだけど住所は道を一本隔てて目黒区東ヶ丘になります。) 駒沢は柿の木坂のマンションに住んでいたときから大好きだった。とにかくオリンピック公園を中心として、やたらに”氣”が良いんですよ。という事でボクが駒沢に住んだ10の理由! ジャーーン!! ① 駒沢オリンピック公園が近い!(とてもヤル気のある公園です。) ② 駒沢駅が近い!(東京生活には電車は必須!渋谷から3駅で7分) ③ 大好きな魚屋”神田屋”が近い。(笑い事ではない重要なファクターです。) ④ 三軒茶屋が近い!三茶は深い!!いい店がハンパなくあるんです。 ⑤ 駒沢公園の都立のジムがある。(たった450円で最高な施設!) ⑥ 自由が丘が近い!歩いても20分!なにかと便利。 ⑦ 東京駅まで30分、羽田まで40分、日本中どこでも行ける! ⑧ 渋谷も近い!それなのに緑がイッパイ! ⑨ 東名高速も第三京浜も近い! ⑩ スーパー成城石井が近い!良いモノ売ってます。
それ以上に駒沢の住人は駒沢を愛しているという事実。近所の人もいい人が沢山!初めて行った八百屋で買い物をしようとしたら、ジョギング途中でお金がなかったから後で来ると告げると今、持って行けと・・・アナタはどうせ近所でしょ!と。最近の東京では聞かない話。ジョギングをしようと歩いて1分の駒沢公園に向かうと、あちこちから公園に向かうランナーと出会う。いつ何時に行ってもランナーがいるので、こちらもヤル気になるんです。 大前研一さんも人生変えたければ引っ越しだ!と言ってます。(別に変えたい訳じゃなかったけど・・・) とにかく人生の中心は東京! そこでの基地としての生活をここで楽しみます。
2012年1月30日 東京の駒沢の家がだんだんと形になってきた。平面図と立面図だけで想像をしていたものが、立体的に現地に落とし込まれて姿になっていくのは本当に楽しい。そして図面では読み取れなかった部分が形になってきて、またまた嬉しいのだ。 しかし土地の購入から1年6ヶ月が過ぎて、この分だと完成まで22ヶ月という異常中の異常な時間がかかっている。そこに後悔や反省などはなく、本当はもっと考えていたいけど・・・完成もいい加減、見たいしで複雑な心境なのだ。
着工から7ヶ月目の1月下旬だが、やっと三階から屋上にかけての鉄筋が組まれてコンクリートが流し込まれた状況。型枠を外せば大方のスタイルが出来上がるので、ココからは早い!(と信じている。) 様々な部品を決めて、部材を揃えてという段階だが、決してゴージャスな趣味は無いけれど、納得のモノを揃えると、どうしても予算が超過していくのは仕方が無い。あと、作り付けの家具類などは部屋の型が見えて来て、もう数回に渡りデザイン変更がなされて、今回のチーム全員が全知全能をフル回転させて、デザイン面、構造面で常に論議をかさねているのだが、よそ様は、ここまでやるのだろうかといつも思ってしまう。コレくらい大きなモノをスミからスミまでコダわれるというのは最高に楽しい。 今回のメンバーは最終的な法規を遵守して図面に落としこむ、参河基(みかわもとい/一級建築士)、元々は船舶のデザイナーをしていて現在は営業などしなくても仕事は切れないセンス抜群の店舗デザイナーのシゲジだ。 二人の功績は計り知れない。オレもかなり建築やインテリアは好きだからこそ、二人の力が必要だった。自分よがりな好みは、結構、間違った方向に行ってしまうし、そんな暴走を止める為にも必要なメンツだった。 まぁ、とにかく完成が少しだけ見えて来て、感動の日々なんですよ。 ここまで魂入れて作ったら、そこで送れる生活は、それはそれは楽しいんだろうな! 人生で家は三回建てないとわからない・・・こんな言葉、聞いた事ありませんかぁ!? これどこかの住宅会社か建築家協会かの戦略だと思う言葉だけど・・・だんだんわかってくる事が沢山あるんですよ。 23年前、柿の木坂のマンションのスケルトンからのリフォームが初めてで、目黒のオフィス、沼津で一軒家、下田の改装工事で一回、新館(ゲストルーム)の新築で一回、そして今回の駒沢で一回・・・それにお友達の家も数軒やっているから、とっくに三回は超しているのに、まだまだ学びや気づきがあるんです。 だれか、この駒沢の家が完成したら、おうちのプランニングをさせてください。良い仕事しますよ?!!(笑)
ニッポン人の会話のなかで”普通ナニナニだよ・・”という言葉には、かなり重い意味合いがある。そんな平均値が大好きな日本人の中でも、コレは明らかに尋常ではない時間をかけているのが、今回の駒沢プロジェクトだ。簡単に話せば、春に悲願であった駒沢という場所に土地を購入した。そこに家を建てるのだ。通常、土地を購入したら2ヶ月から3ヶ月以内には建築がスタートするのが世の常ではないだろうか。借金をしている場合はますます金利ばかりがかかるし、家賃の二重の支払いなど金銭的にも大変な事なのだ。 ところが、購入から6ヶ月も経過したのにまだ着工どころか設計図も出来ていない。そして施主もまるっきり焦っていない。(笑) この設計の時間こそが大切な時間なのだ。練って、練って、練りまくる!! 考えて考えてまた練る。本当に大切な時間なのだ。こうしている間にも銀行への金利だけて毎月35万円も吹っ飛ぶが、この設計の時間こそが未来を決定する最重要な時間なのだ。何もしていない訳ではなく、そして他人任せにしている訳でもない・・・なのに時間が刻々とたっていくのだ。ペースで言えば週に一回は一級建築士のモトと、空間デザイナーのシゲジと三者打ち合わせを重ねている。毎回、なんと朝の9時からスタートして夕方まで、永遠に様々な細部の打ち合わせをしている。 50年代に主にアメリカで成功を収めた建築家ミースファンデスローエは”神々は細部に宿る”と言った。その細部をキッチリやらなければ完成は無いのだ。 人生で三回建てて初めてわかるという家・・まだ二回目だ。 来年の正月は新しい家で迎えたいと思う。 あと、ついでにもう一つ・・・今の時代に家を持つという事の、投資的な賛否両論! ハッキリ言って興味が無い。ボクが買ったのは、その過程の楽しみと、そこで過ごす時間だからだ。コレには価値は付けられないからだ。 楽しんでます! ※建築関係の方、なんでも売り込みしてください。 ◯◯業者ウエルカム!
2010年9月15日もうすぐ、ひとつの夢が叶う。ずっと東京に”基地”的な家が欲しかったんです。借家でもいいんだけど、やはり徹底的にこだわった家が・・・・そして、今回もこれまた強烈な”引き寄せ”の恩恵をちょうだいしたんです!(笑) ずいぶん前から、東京の都心部とファミリーエリアである世田谷などの中間点である、そして大きな駒沢オリンピック公園がある、好きで便利な三軒茶屋、ニコタマ(二子玉川)、自由が丘にもほど近く、大好きな魚屋”神田屋”にも近い、東名高速も羽田空港もまぁ便利・・・という駒沢をピンポイントで狙っていたんです。 たまたま、知人に駒沢の一軒の古いビルを紹介されて、それを一大リノベーションをして住むか・・・と考えたんですが、なにか最後で決断し切れなかったんです。 その決断をした瞬間に『妥協はダメよ!やっぱり本命を狙わなくては・・!』と思い出した場所があったんです。 少し大通り沿いで、駅にも近くて、公園にもほぼ隣接、雰囲気のよろしい路地があって・・・
その午後に何かピンときて友人で信頼出来る不動産屋さんのジロー君に電話をいれて、事の経緯を話したら・・・するとジロー君が『ケージローさん、昨日、未公開物件の駒沢の土地が出て来てましたよ!』との情報。そしてその場所を聞けば、まさにアンビリーバブル!! ドンピシャでボクがかねてから欲しかったその場所!!(ありえない!!) ・・・ただいくつかの障害はあった。 というのも、その土地はかなりの広さでとても一人で買えるボリュームではないので、この土地の半分を買うヒトを捜す事・・・でも本当に魅力ある場所だから根拠無い自信があった!(結局、素晴らしい御夫妻のお目にかかり解決!)その他の問題も強烈なパワーのジロー君の敏腕により解決! ということで話の勃発から数ヶ月後に契約となったのです。・・・嬉しい!かなり嬉しい!! 今は、信頼出来る建築士とデザイナーと三つの頭脳をフル回転で、その土地で出来る様々な可能性を考えて、夢の家をデザインしている最中です。完成は来年の今頃かなぁ! そんな自慢話でしたが、夢は片っ端から叶えましょ!! というお話です。 人生に”お楽しみ”は沢山あったほうがいいでしょ!
11月8日(木)昨晩は休肝日ということで、今日の朝は気分爽快。だったら酒なんか止めればいいじゃないの・・・・っていうワケには行かないのがノムウェイ・ビジネスなのだ。近所を一時間だけウォーキングをしがてら、町をパトロールした。この近所のウォーキングって結構、発見するものが色々とあって楽しめるのだ。楽しめて健康にヨロシイなんて最高な事だ。ランチは賞味期限ギリギリフルコースの”残り物ランチ”を製作。東京にはいたり、いなかったりという生活なので冷蔵庫の整理もなかなか大変なのだ。しかしそんな料理は意外に美味しいのだ。ランチの後でグループの児玉ミキちゃんがお母様を連れて来てくれた。実は一ヶ月前から、我が家の掃除を十年以上も前からやってくれていた敏ちゃんというお手伝いさんのご主人が倒れて介護の為に時間がとれず・・・・本当に困っていたところに、お掃除”命”というミキちゃんのお母さんが、その代役を買って出てくれたのだ。本当に嬉しい・・・・波田は掃除、洗濯、アイロンが決して得意ではいので神様がやって来てくれたような喜びだ。お母様は家事命という素晴らしい方なのだ。完全なる引き寄せの法則としか思えない。来週から毎週、来てくださると言う事で命拾いをした気分だ。うれしいぃぃぃ!! 夜は日本が誇る世界の建築家、安藤忠雄氏の講演を見に行った。会場は何故か世田谷区民センターなのだ。安藤忠雄氏は独学で建築を学び、小さな作品からスタートして、何も無い所から世界の第一線を舞台に仕事をするに至っている、まさに叩き上げの巨匠だ。なんと元・プロボクサーという過去を持つ。現在は東京大学の教授もこなし、たしかハーバード大学の客員教授なんて肩書きもあったと記憶する。講演は本当に素晴らしく、プロジェクターを使って現在世界中で進行中の主なプロジェクトを説明してくれた。なんと70以上ものプロジェクトを世界同時進行していて、全てが常識を超えた創作物であった。途中で居眠りしている中年オヤジを、マジに外につまみ出すというハプニングもあって、全てに真剣なのだとう姿勢をまざまざと見て、変なところに感動してしまった。(いつかミーティングで寝ている奴がいたらオレもつまみ出そうと決断。m(__)m )建築家(建築士と建築家は違います。一級の免許を持っていれば建築家と思ったら大間違い。)という仕事は芸術家と違う。芸術家は自己完結できるけど、建築家は施主との折衝、環境との調和、新しい技術の研究など様々な要因との調和があっての作品・・・とおっしゃった。そして終始、日本人は世界中のどの人種より本当に素晴らしい民族である。感性、技術力、国民性・・・について優位を語っていた。全てに日本人にもっと元気になって欲しいというメッセージを送り続けていた。世界をまたにかけてあらゆる人種を相手にしている安藤忠雄氏の説得力は抜群だ。安藤忠雄氏は建築家の枠を超えて小豆島のオリーブ基金を主宰したり、東京湾の緑化プロジェクトなど、仕事を超えた事も数多くこなす。終了後はホールで熱心に本の販売とサイン会をこなしていた。巨匠は小売活動にもまったく余念がないのだ。そのサインも、心がこもっていて名前まで書き込んでくれる大サービス。握手をした手がプロボクサーとは思えないほど、優しかった。オレも人をもっと元気に出来るような生き方がしたい・・・何故か建築の講演を聞いて思ったのだ。
先日、自分より先に50歳を迎えた二人の友人の誕生日に出かけた。努力はしなくても達成できるのは年齢。とはいえ50歳を迎えるにあたり、考える事は多い。なにせ半世紀なのだ! 同時期だが対極的なバースデーだった。一人は”イトウシンペイ”だ。浅草の日本最古の遊園地である”花やしき”を貸しきってのサプライズ・パーティーは、常識をブチ破る型破りなパーティーだった。仕切ったのはシンペイの分身、右腕、生き写し、手下ナンバーワン、フロント・・・とにかく若い(いや、もと若いっていう年ではないかぁ!)リーダーの高木ナオ&ロミとその仲間。動員数600人でサプライズだから、本人には気が付かれないように進行するというのは並大抵の事ではないと察するが、本人への事前、情報リークを避けるのは簡単だったらしい。なにせシンペイは究極のアナログ人間で、今だに携帯のメールも出来なければ、パソコンも無いので気が付きようも無いのだ。・・・・・・・夕方の時間までに600人は”花やしき”に静かに入り時間を待った。シンペイはゲストということで側近から騙されて連れてこられ、フラフラっと会場の正面入り口に連れ込まれ、そこからは600人の祝福する花道を歩いた。本人の顔といえば”鳩にマメ鉄砲”(びっくり仰天の代表的な表現!)で放心状態になっていた。そして皆からプレゼントでもらったのはシンペイ仕様に改造されたハーレーダビッドソンだった。 ヤンチャなオトナが、仲間にヤンチャに演出された素晴らしいパーティーだった。 そして対極は”ワタナベマサト”の誕生日だ。これまた強烈にカッコいいパーティーになった。場所は新宿のパークハイアット。いわずと知れた、東京ホテル戦争の覇者というと激しいが、世界中のホテルがその成功例として研究に訪れる模範的カッコいいホテルの代名詞だ。(最近はリッツとペニンシュラの出現で多少は勢力図は変わったが、今なおトップを走るのは事実。) そしてそこの一番大きなバンケットルームを使って、総勢300人(これが限界の人数だったらしい。)の盛大なパーティーだった。そんなお洒落でアットホームなパーティーは25/50(アムウェイはじめて25周年、人間はじめて50年)というタイトルで構成されていて、入場時はピアノ演奏がパーティーの格を上げる。ビンゴもジャンケンゲームも無い”おとな”の演出。高層階からの夜景は何よりもの演出になっていた。当然に料理は美味しいし高級な演出。 終始、上品で気品あふれる立食形式のパーティーは昔からの知人とも沢山会えて楽しい時間だった。美人妻のエミちゃんのフラダンスも超魅力的!隣で踊る愛娘・すみれチャンも可愛かった。クロージングのスピーチなんて、そのまま市長選に出ても当選しちゃうであろう、ジェントルでクリーンなイメージだった。 波田は今年、50歳を迎えるにあたって、色々と考えた。 今まで楽しく、充実した人生を過ごせた事へのお礼というか、いままでお知り合いになった方々、お世話になった方々、これからもお付き合いしていただける方々と、記念になるような素敵な時間を過ごしたくパーティーを企画していただく事になった。 渡辺正人氏&藤田直之の英知を振り絞った素敵な企画になります。 場所は新宿の”小笠原伯爵邸”(建物は1927年に出来た東京でも屈指のスペイン建築の洋館。料理の基本はスペイン料理。なんと先日発表のミシュランでは堂々の二つ星の栄誉!)で来る6月21日(土曜日)の夕方から夜にかけて立食形式にて行います。洋館も魅力ですが庭園も相当に素敵です。 ・・・・・・・・お付き合いのある方々には1月末までに簡単なインフォメーションをお送りしますので日程の調整をしていただけたら幸いです。 もし、インフォメーションが届かなかった方でも、波田とお付き合いのあった方ならば歓迎ですので、ご一報いただければインフォメーションをお送りします。 (古い洋館なので人数的にも限られていますのでヨロシクご理解下さい。) ということで静かに進行しています。 きっといい時間になりますよ! ハロートークもジャンケンゲームもないけど・・・・・・・
小笠原伯爵艇 http://www.ogasawaratei.com/
波田 啓次郎 keijiro-hada@pv-bv.com
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