この塩辛は只者ではない。人種差別(正確にはイカ種差別)をするつもりはないが”も○屋の塩辛”とは住む世界が違う。”ベンツ”と”便器”位違うのだ。まずその輝かしい履歴を!!。1998年の”世界塩辛選手権モスクワ大会”で金賞受賞。フランスの名門”ミシュラン・アッラ・シオカーラァ大賞”を2003年まで3期連続、ザガットサーベイのセーカァイーシォカァラァー大賞受賞、そして”波田啓次郎の勝手でしょ”のヒトから贈られてウレシイ塩辛の一位に波田の推薦で波田の個人審査で大賞。まさに塩辛界のサラブレッドなのです。(こんなウソばっかりついていると真実性なんてナンにも無くなってしまいます。)塩辛というと”イカの塩辛”しか思い出せないのは波田だけではないと思う。イカのウニ漬け、というかウニのイカ漬けかは定かでないが、とにかく瓶の中にそれらが同居しているのである。

対馬海峡は聞くところによると相当に美味しいウニの産地で、そこで捕れた天然の材料が何も混ざる事なく閉じ込められているのだが、この瓶の中の”小宇宙”が素晴らしい。いったい瓶内で何が起こっているのかは知る由もないが、きっとこの味になるまでには様々なドラマが瓶の中で起こっているの違いない。(美味さを言葉で表現するというのは大変な事なので、この美味さが伝わっていない読者は勝手に注文してみたらいい。)そう、ついでに波田への誕生日でも中元、歳暮、バレンタイン、早めの香典代わりとなんでもいいからオレにも送ってもらいたい。じゃなくて頂ければ幸いです。是非、お願いしますね。お世話になっている波田にタマには何かプレゼントなんて考えてたら色々考える手間を省く為にもコレで決定ですょ。パンフレットの”対馬の海と山を見つめて74年”というキャッチが好きだ。(ゴハンに良し、パスタに良し、酒のアテに良し・・・完璧です。)
- 長崎県対馬厳原町久田柳の元491-1 対馬ウエハラ
- 0920-52-0828 0120-22-3369 fax 0920-52-6171
- http://www.tsushima-uehara.com

こんなイキなクルマがあるであろうか! このクルマの持つオーラたるや現代のクルマには真似しても仕切れない圧倒的なモノがある。乗れば40年前とは思えないスムーズな乗り心地。なにせこの時代にパワーステアリングにオートマチックトランスミッション(いわゆるオートマ)なんて夢のまた夢! 当時だったら今のフェラーリの最高級なクラスを買うに等しい価値だったんです。ちなみに40年前の日本車と較べたら技術の違いは歴然! 今でも充分、いや十二分にアシに乗れる逸品です。このクルマ、前のオーナーが1200万円もかけてレストアしたモノ。うっふっふ!!
どなたか欲しい方がいたら問い合わせください。大切にしてくれる方ならば破格で譲ります。

《メルセデスベンツSL(型式番号W113)》
メルセデスベンツのSLは2シーターオープンの最高峰。SLはドイツ語でSPORT LEICHT の頭文字に由来。初代は1952年にルマン耐久レースを制覇した300SL(W194)をベースにライトウエイトののクーペ、カブリオレへと発展。二代目(W113) から高級車としての性格を強め、ラグジュアリー性や快適性を重視するコンセプトに!
1963年のジューネーブモーターショーで230SLがデビュー。自社製のオートマチックやパワーステアリングも用意(現在では当たり前だが、これらは超高級車の証であった!)こんな高級車なのにレーシングカードライバー級の腕前を持つ技術担当者のドルフウーレンハウトの運転する230SLはフェラーリ250GTが47、3秒で周回したサーキットで47、5秒で走るという実力を持ち合わせる。スタイリングはダイムラーベンツのデザイナーであったフランス人のポールブラックによる。パゴダルーフと呼ばれる屋根の中央が左右より低く逆反り形状のデザインが維新である。
1967年、機械式燃料噴射装置付き2,5L、 直6エンジンを積み、後輪もディスクブレ―キ化した250SLへ移行。1968年、燃料噴射装置付き2,8L エンジンを積んだ280SLへ移行。 高まる環境への配慮や安全性能の向上を目指して、1971年に後継モデルである3代目 R107へと移行する。
生産台数は230SLが19,831台、250SLが5,196台、280SLが23,885台である。
小粋なスポーツカーの代名詞はメルセデス・ベンツSLシリーズだろう。数少ないオートマチックが許せるスポーツカーである。最初は70年代の280SLを狙って数年探したが、気に入る車は見当たらなかった。(30台位みたなぁ。)しかし日常のアシと考えて、ひとつ新型(?)を友人から乗せてもらったら、その走りっぷりは二十年以上前の車とは考えられない俊足だった。そして探すこと数ヶ月、なんと探せばあるもので実走行距離たったの4045キロというクルマを発見。京都の大金持ちのジーさんが観賞用に購入(金魚じゃないんだから!)して18年間屋根付き駐車場で暮らしていたというクルマ。始めて見た時は、あまりの新車に近い程度の良さでビックリした。ドアの開閉バネはまるで新車(古い車はドアの開閉のバネで、その程度が想像つくのだ。) 皮のシートは新車のままで疲れはゼロ。当然エンジンルームも一切の汚れ無し。結局、相場を度外視した値段だったが安い買い物をしたと思っている。いくらお金を注ぎ込んでも、こんな程度の良い車には出会えない。そしてレストア(復元)して出来るものではない。ハードトップは取り外せて春から秋までは物置に入れて内蔵されたソフトトップ(ホロ)にしておいてオープンで走りたいときには開けるのだ。波田は洗車嫌いだが、この車の場合は別で乗るたびに洗車して乗っている。そんなピッカピカなSLがお気に入りだ。駐車場に停めて去るたびに振り返って眺めて、ため息をつく。フゥゥゥッ・・・・・・カワイイ。可愛い車は後姿が最高なのだ。これで深夜の都内をクルーズするとゴキゲンなのです。音楽は80年代っぽいソウルフルなのが合うかな!

これはお宝クルマです。とにかくメルセデスのこの型(W123型)が好き。マニアには高品質のメルセデスベンツの最後の型と言われている。現に世界中で最も売れたベンツにして現在、最も多く残っている型とも言われている。同年式の”赤”を一年かけてレストアをしていた時にこの車に出会った。とにかく19年間で走行距離がたったの6万?という異常なまでの程度の良い車だったのでイッパツで恋に落ちた。名古屋の大金持ちが当時、本国に注文して特注、そのままエアコン付きガレージで暮らしていて,その後、東京のとある有名ミュージシャンが購入。そこから波田が購入という経緯。値段は相場より相当に高かったが、レストアではありえない新車の香りが残っていたこの車は僕には魅力だった。(幸いの赤の同型は友人が大切に乗ってくれている。それだって大変なシロモノ。)だいたい、この時代のベンツはヘッチャラで20万キロ~30万キロは走ってしまうから、お楽しみはこれからです。ドアを閉める音というか質感は現代の車とは比較にならないほどに高品質。歴史的に高級ステーションワゴンという潮流を初めて作ったのがこのメルセデス。それまでは”バン”という扱いだったんです。ボクのクルマは当時には相当に珍しい本皮張りシート(ボディー色の深緑)、スライディングルーフ、ヘッドライトワイパー、シートヒーターなどのフル装備。一年の内で夏以外に都内で乗る事が多く日常のアシにはベストです。特にネオン下での深い緑がとても良い色なんですね。(自分でもウットリしながら書きました。)

とにかく欲しかったし必要だった。7人がラクラクに乗れて4人が寝る事が出来る。そして操作性がよくて機敏な走り。荷物も相当に積める・・・ちょっと、カワイイ。多少の見栄も張れる。全ての条件を満足させたのが、このメルセデスVだった。注文してから納車まで7ヶ月近く費やした。

ドイツ本国で購入して専門コーチワークスのウェストファリア社で屋根を切断してポックアップに改造。天井にベットが設置されている。(写真のハイルーフ部分が1?上に上がって、そこには既設の二人用ベットがある。後部座席は対面の5人掛けシート。それはフルフラットになる。相当に役立つ一台。テーブルも付いてるのでキャンプ、サーフィン、小休憩と利用範囲は果てしなく広い、まさに走るリビングルーム!。これで子供達と全国を旅したのは良き想い出だなぁ・・・。

夏前になると、愛車をディーラーに修理に入れる。まぁ修理と言っても、何が壊れた訳でもなく、壊れる前に定期的な健康診断的なチェックだ。(6ヶ月法定点検とも違う。) まさに人間で言うところの予防医学だ。(逆の意味は治療医学といい、病気になったら健康保険証を握りしめて病院に行って薬を処方されてとにかく飲む!かなり消極的な考え方!)でも、理由も無いのもナンなので、無理矢理、不具合などをメモにして入庫するのだ。

ボクの愛車は1982年製の今年で31才! メルセデスのW123シリーズという世界で最多に売れたメルセデスなのだが30年の歳月が過ぎると、もう最近では東京でも見る事が少なくなってきたし、クロームメッキのパーツも贅沢にふんだんに使われた小ぶりなメルセデスはクラシカル感いっぱいなスタイルでやはり公道では違和感もある。80年代の工業製品は品質的にも頂点を極めていて、そのクルマの質感は今のメルセデスには無い出来栄え。そして今時のオラオラ・ベンツ(エラそうな人を威嚇するような下品な顔立ち!)には無い端正な顔立ち!(ヒイキ過ぎかなぁ!ケンカ売ってません。)

古い車は古いなりの経費、リスクもあるのは事実だが、きっちりと手入れをしているクルマ(というかモノ全般)本当にチャーミングだと思う。 今回も三日間の入院をして、問題は発見されなかった。当たり前なんだけど、これでまたまた安心して乗れるというものです。 世間的には車検ごとに、新車に買い替える人、つねにニューモデルを追いかける人、流行だけでエコカーに乗り換える人もいるけど、こうやって古いものを大切にするのがエコなのではないかと真剣に思うのです。 そして個人的見解かもしれないけど、モノを大切にすると、そのモノにオーラが宿る気がします。

クルマを駐車してキーをかけて(もちろんキーレスエントリーなんて無いので手動で鍵をさして回す!)去る時に、必ず一度振り返って、そのかわいい後ろ姿を確認して去るのです。・・・自己満足(笑)
3月30日(火曜) 今日は大切にしまってあった”宝物”をガレージから出して来た。やはり春になるとウキウキ度数が増して、古い車に乗るのが楽しくなる。それは10数年間も捜し続けた可愛いクルマ・・・その名はメルセデスベンツ280SL(1972年生まれのの37歳)だ。まさにメルセデスの黄金時代を切り開いた、当時のメルセデスのフラッグシップカーだ。

このクルマに乗るのは少年時代からの夢だった。その昔(小学生の頃)近所を白髪の紳士が、この280SLの乗って走り行く姿を見て衝撃を受けた。当時の国産車と言えば、アメリカやヨーロッパの車を模倣したデザインも多く、個性も無ければ洗練さなどは、残念な事に無縁であった。やはり外車はその個性が際立っていた。そしてその車を見た時に、いつかこのクルマに乗りたいと切実に思ったのであった。(そのように決めている車が実はあと数台ある) 古い車を大切に長く乗る事はとてもエコな事だと思っている。ひょっとしてエコカーを買う事以上にだ。車と長く付き合うにはそれなりの覚悟がいる。例えば東京を走り回るタクシーは一日に20時間以上走り回り年間で二十万キロも走るという。そして3年間で50万キロから60万キロも走り、お役目を終えて、そのままアジアの国々に送られて第二の人生を送るのだ。ただタクシーはその分、相当にコマメにメンテナンスをして、オイル交換や消耗部品の交換なども相当にマメにやっているのだ。ちゃんとメンテナンスをすればそれだけ走れるのだ。これはまさに”予防医学”なのです。

波田は所有する車は御老体が多いので(普段は15歳のゴルフ・カブリオレ、長距離は25歳のベンツのワゴン、勝負時はこの37歳のSLを愛用。) 信条的に言うと壊れてから直すなんて事は健康維持をする都合上、避けたいと思っている。何を言いたいのかわからなくなって来たが、古いものを大切に!というか価値が無いものを買うのはやめようと言いたい。 ”ひゃっきん(100円ショップ)”が悪いとは言わないが、”ひゃっきん”で購入したもので長く愛している物がある!? 殆どが間に合わせで、後日にゴミとなっているモノが多いのではないかなぁ!? 良い物を長く使う事は本当にエコでしょ! そして堅実なお買い物の姿なのです。 ・・・・と提議づけて、波田の浪費を正当化するのでした。
2月18日(金)昨晩は名古屋でミーティングだった。名古屋には早めに入って現在、改装工事を監修している愛葉君のオフィスを視察。全くなにもなかったビルのガレージ一階の奥に事務所をデザインすることを依頼されてデザインした。なかなかの出来上がりで素敵!普通は設計監修といえば総工費の10%~15%が通常だが無料。今はデザインはボクの”生業”ではないから楽しい仕事は無料なのだ。(現在横浜市都筑区の石井家マンションリフォームも楽しんでいる。)アムプラでアメリカから帰ってきている神谷アンドリューと偶然会えてひと盛り上がり。7時からアムウェイプラザでОMをしたが、なかなか盛り上がった。しかしいつもながら伸びて欲しいパーソナルはソコソコで盛り上がらなくていい奴ばかり(失礼) 力強く盛り上がる。懐かしい顔も沢山見れて楽しいひと時だった。アフターは名古屋ということで手羽先唐揚げ”風来坊”にて飲んだ。楽しい夜だったなあ。そしてホテルに戻ったのは深夜だった。朝の目覚まし時計のセットは何の役にも立たず電話で起きてからシャワーを10分で済ませて迎えに来てもらった愛葉氏に京都までつきあってもらい京都郊外の車屋に1986年製メルセデスベンツ380SLを見に行った。(道中は二日酔いで魂が抜けていた。)さてインターネットとは便利なもんで情報収集にはすばらしい効果を発揮する。ボクは少年時代から脳の35%を自動車が占めているのだが18歳で免許を取得してからの車遍歴は激しくAМスタート時代までで約40台(一台1万円のワーゲンとかだから決して高級車を乗り回しみたいなのとは違います。直して蘇らせて売ってみたいなことを繰り返してました。)AМスタート以降の約20年でも30台以上に上る。今欲しい車は、わかりやすく言うと昔欲しかった車だ。今のテクノロジーが進んでエコロジー的にも完全に近づいた車は嫌いではないが、まだボクの乗る車ではない。70年代、80年代特有の工業製品がデザイン的にも品質的にも好きだ。そこにはコスト計算、量産性も感じないクラフトマンシップを見出せる。鉄は厚くクロムメッキはビッカビカ、必要最低限な装備で品質重視。ドアが閉まる音と質感は現代のクルマには無い。そして加速感は圧倒的、なにより各メーカーが個性を出しまくっていたので現在にクルマとは違いBМWとメルセデス、英国車、フランス車、そしてアメ車は明らかなる違いがあって面白かった。(現在の車はメーカーによる差が本当に無くなった。)そんな古めのクルマを綺麗にピカピカにして日常の”足”とするのが理想だ。良く質問される事に古い車の修理とか故障の対処を聞かれるがココ数十年、故障で泣いた事は無い。それは人間の体と同じで予防医学なのだ。治療していたら大変!なんだか様子が変と思ったら即チエック。大事に至る前には病気の源をつかんで修理してもらう。そのかわり素材の車選びには技術がいる。素人的安全策としては距離で判断するのが正しい。今回見つけたクルマは格段に素晴らしかった。380SLは決してまだコレクターズアイテムとは言いがたいがアシに乗るには先代の280SLより現実的だ。ボクの見つけた車は京都の大金持ちのジイさんが趣味(眺めることが趣味)で18年前に購入。毎年定期点検と車検の時に近所をドライブするだけというクルマだった(実は世の中にこんなクルマは時々市場に出てくる。このオーナーだったジイ様はジャガー、ベントレー外8台この手を所有)この車は非の打ち所なしの完璧さだった。なにせ走行構距離は実に4054キロ。そう年間200キロしか乗っていない計算の奇跡のクルマ。でも、そんなの信じられなくて自分の目で確認しようと京都まで見に行った。しかしクルマは完璧!新車そのままで黒いレザーシートはマッサラ!ドアのバネ、エンジンルーム、タイヤハウス中までみてもマッサラの新車だった。ハッキリ言って嬉しかった。こんなものが世の中に存在していて出会えた事がウレシイ。そして値段交渉して買っちまう!!そんな金を出せば買えるという品物とは一線を画した出会いは余計ウレシイ。 このクルマはボクが買って乗るためにある!と意味不明に決断して自分を納得させた。愛葉君に京都駅に送ってもらう途中でランチと二日酔い飛ばしにラーメンを食う。しかし頭の中は95%クルマ。話題は当然に車。AMの質問をされたが答えは上の空。京都駅から新幹線で東京に帰った。グリーン車のリグライニングを倒して外の景色を眺めながら頭の中では380SLの屋根をオープンにしての仮想ドライブに突入していた。海辺を走ったり新緑の峠道を走ったり、渋谷、青山にも行っちまおう!!東京に着いてからはスイッチ切り替えてパーソナル古山と先日会ったDJのマイクル山下とで大戸屋で食事をして、ひと盛り上がりしてから若者カリスマの高木直のミーティングに連れて行って紹介してミーティングに参加させてもらった。その後、またプロスペクトの手伝いで自宅に帰った。仕事に趣味に忙しい一日だ。深夜に就寝。夢は当然380SLでドライブだった。

その7日後にベンツは陸送業者によって東京に運ばれてきた。初めてドライブしたら鳥肌たった。だって走りっぷりは新車だったから・・・・・・・うふふ! しかしガレージのロータスエランとのカワイイオシリ二台を見ているとムラムラするねぇ。
PV-BV Corporation. Presented by Keijiro Hada